7月28日 本日はゴロ合わせ的に毎月ニワトリの日なのだそうです

子供の頃に 父方の祖母のうちは 福岡県の田舎の農家でしたから牛も飼っていたように思いますが ニワトリが普通に庭を歩き回っていたのが 最初のニワトリの思い出です。私たちが帰省した時には 特別のご馳走として そのニワトリを一羽つぶして お鍋の材料にしてくれました。祖母たちにとっては ニワトリは家畜であり ある意味食べるために買っているわけであり 勿論ペットではありませんから ニワトリを一羽つぶすことは 日常茶飯事のひとつであり 特別な感情を持っていなかったのかもしれませんが 私はこのブログに何度も書きましたが 子供の頃には 塊の肉が一切食べられなかったし、ニワトリを殺す場面をうっかり目撃してしまいましたから その肉を食べることなど 全くできませんでした。

ニワトリをつぶす時のやり方が残酷で 首にひもをかけて いわゆる絞首刑のような形で その命を奪っていました。死ぬまでに時間がかかるし その分ニワトリの苦しみも長引きますから すごく残酷なやり方に見えました。普通屠畜場で家畜の命を奪う場合 放血(大きな血管を切開して 大量に出血させて 失血死させると同時に その肉体から血抜きをしていたように思います。血抜きをしていない肉は 血生臭くて 食べ辛いと思います。ですから 家庭でニワトリをつぶす時には 一見残酷なようでも 首から頭部を切断してやる方が ニワトリの苦しみも一瞬で済みますし 頸動脈などから大量に出血して 同時に血抜きの作業も済んでしまいますから 合理的なような気がします。

以前に土佐犬の面倒をみるアルバイトをしたことがあります。土佐犬を飼っているぐらいですから 大きなお屋敷で 夏休みのバカンスの為にに約三週間家を空けるために その土佐犬の面倒をみる人を求めていたので やってみました。大きな庭がありますから 繋がれている場所から庭に出してやれば 自分で好きなように走り回ります。その間に便と尿の始末をして 後は水と餌を用意すれば仕事は御終いです。大きな犬ですから洗面器のように大きな器に ドライフードを並々とすくって入れます。その上にそのバイトの時にしか見たことがありませんが 鶏頭を水煮した缶詰を汁ごとかけます。かなり大きな缶詰で鶏の頭の部分がゴロゴロと沢山入っていました。かなりグロテスクな代物ですが その土佐犬は鶏頭を一つそのまま口に入れて何度か噛み砕いたら さも美味しそうに飲み込んでいました。立命館に通っていたころの ニワトリの思い出では それだけです。

岐阜大学で私は薬理学研究室に所属していましたが 最初に取り組んだのがひよこの回腸にある薬を投与しての 反応を見るものでした。実験材料であるひよこの回腸を入手するために 実験をする日は毎回一羽のヒヨコの命を奪わなければなりませんでした。やり方は 首の辺りをハサミで一気に切断していました。始めた頃は 多少罪の意識にさいなまれましたが 折角死んでもらって提供してもらった実験材料ですから 大切に扱って ちゃんとした実験結果を得るように心掛け 真剣に実験と取り組んだつもりです。

そういえば 乃木坂のナーチャンが 太ったハトをみるのが好きだと泣きながら告白した時に全般的に鳥類が好きなのだけれども ひよこだけは気持ち悪くて苦手だと言っていました。ひよこなんて誰が見ても可愛らしく見えるものだと思いますが まだ幼鳥なので体の形態が一般的な鳥の体をなしていない所が気持ち悪いと言っていました。その気持ちは幾らナーチャン大好きの私でも理解できません。

岐阜大学に通っていたころにやったアルバイトで 養鶏場から成長した鶏を出荷する仕事の手伝いをやったことがありました。早朝五時か六時ごろに集合して 薄暗い鶏舎にはいり まだ寝ぼけているニワトリを捕まえて 出荷用のかごに入れるのです。明るくしてしまうと鳥が目覚めて逃げやすくなりますから わざわざかなり薄暗い場所で 勿論鶏糞も尿もたっぷりと落ちている 相当に刺激的な匂いの中 逃げ惑うニワトリを追いかけますから ほこりや羽が飛び交う中で どうしても中腰の体勢が続く 相当にしんどいバイトでした。

まあ、早朝の集合と かなりの匂いや埃と羽の飛び交う厳しい環境での労働でしたから 制約される時間の割に実入りがよかったので 度々参加しました。ニワトリとのかなり濃密な接触としては このバイトが最初で最後になると思います。

その後はスーパーで食材として 鶏肉を購入して 調理して食べる時位しか ニワトリとの接触はありません。子供の頃に苦手だった塊肉に対する恐怖心を失くしてくれたのは 鶏の唐揚げのお陰かもしれませんから その点でニワトリさんに感謝の気持ちをかいて 本日のブログを終わりにしたいと思います。

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