7月30日 1930年の本日 新見南吉さんが 誕生されました

一番有名な作品は やはり「ごん狐」だと思いますが 僅か二十九歳にして 結核でお亡くなりになられてしまったので 作品数もそれほど多くはありませんが とても魅力的な作品が少なからず残された 児童文学作家だったと思います。同じよう二十代で亡くなられた作家として 思い出すのが 石川啄木です。亡くなられた病名は やはり同じ結核です。啄木は 詩人 歌人と言われていますが 一番有名な歌集「一握の砂」の中に特に好きな歌が二つあります。あまりに有名な歌を上げるのでお恥ずかしいのですが「砂山の砂に腹這い 初恋の いたみを遠くおもひ出づる日」と「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ 花を買ひ来て 妻としたしむ」です。
高校時代に 生まれて初めて好きな女の子に告白して 「気持ち悪い」と言われてしまい 最低最悪の失恋をしたときに 自分のベッドで腹ばいになり 思い切り泣きじゃくった時に重なってしまい 啄木のこの歌を知った時に 啄木が大好きになりました。「友がみな」 という歌は 現役で大学受験をして 悉く不合格になってしまい落ち込んだときに 無論私には妻も慰めてくれる彼女もいませんでしたが 子供の頃からお気に入りの大事な犬のぬいぐるみを抱きしめて 何とか心を癒しましたので 私の中では気持ちが重なって ますます啄木を大好きになりました。他にも「たわむれに母を背負いて」とか「はたらけどはたらけど」なんか いかにも一般庶民の気持ちを 素敵な歌に詠みこんでくれているので 大好きな歌人です。
新見南吉さんと並び称される作家としては 一般的に宮沢賢治さんを上げられる人が多いようですが 私は同じ児童文学というジャンルにおられただけで 作風があまりに異なるので お二人を比較したりする気持ちは全然ありません。
新見南吉さんの作品で一番好きな作品は あまり知られていないのかもしれませんが「花を埋める」という短編小説です。この作品との出会いは 私が岐阜大学に通っていたころに 生活費を稼ぐためのアルバイトとして結構大きな塾で国語の講師として 働いておりました。確か夏期講習の国語の教材として この「花を埋める」という小説の 一部分が引用されて 問題が作られていました。私としては 数多い国語の問題の一つの小説から引用された文章 としか感じていませんでしたが その教材を扱った日の帰りがけに 数百人いる受講生のうちでも 成績がトップクラスなので 名前と顔を覚えていた とても知的な美少女が 私の所に駆け寄ってきて 「花を埋める」という文章にすごく魅力を感じるので 出来たら全文を読んでみたいのだけれども何とかならないか とお願いに来ました。
私は ただのスケベなおっさんでしたから そんな美少女にお願いされたわけですので 勿論確約は出来ないけれど 何とか全文をコピーでも文庫本でも手に入れるように最大限の努力をすると約束しました。それから 岐阜大学の図書室を駆けずり回って ようやくこの「花を埋める」という小説を見つけ出して その全文をコピーしました。本当は文庫本を入手したほうが その本をその美少女に貸し与えておけば 返しに来てくれるので 会う機会が増えますから 文庫本を購入しようとしましたが 生憎とマイナーな作品らしくて 分厚い全集にしか掲載されていないので コピーをさも苦労したかのように 恩着せがましく話して 手渡しました。まあその苦労のかいがあってか 夏期講習が終わった時に わざわざ講師室まで訪ねてきてくれて お礼を言われてしまいました。鈴木光ちゃんのような 知的な美少女だったので 凄く嬉しかったです。
彼女に手渡す前に 勿論私もその小説の全文に目を通しましたが 何とも甘酸っぱい 初恋の味がしていそうな 若い女の子に好まれそうなしょうせつでした。たわいもない子供の遊びを紹介されていて その遊びを通じて好きになった女の子とのその後の顛末まで描かれていましたが ハッピーエンドではなかったので 楽しい気分にはなりませんでしたが その辺りが猶更女の子には評判がいいのではないかなと思いました。私は全く女の子にもてない人生を歩んでまいりましたので 結果的にはその女の子とうまくいかなくても そんな甘酸っぱい思い出を共有できただけ 幸せだったのではありませんか と初めて読んだときには思いました。でもその何とも言えない 情緒たっぷりの遊び方に 妙に心惹かれてしまったことも事実です。この遊びは 別に勝負をつけるためにやるわけではなくて 土の中にガラスの欠片をかぶせて花を埋めて それを別人が ドキドキしながら探して その作品をこっそりと鑑賞して楽しむだけの普通の男子の感覚なら そんなことをして何が面白いのか という風に受け止めてしまうはずなのに 何故かじぶんでも そんな相手がいればやってみたいなと思わせるような 非常に微妙な気持ちを掻き立ててくれるような小説でしたから たまたま教え子が興味を持ったので というきっかけで読んだ小説が 凄く魅力を感じる作品として心に残っています。
勿論「ごん狐」という作品も大好きです。ごんというキツネが 兵十という人物に いたずらをして大変な迷惑をかけた事に気付き お詫びの気持ちのしるしとして クリやマツタケを兵十に届けたりしていたが 勿論兵十はごんが罪滅ぼしのつもりでやっていることを気付かずにいて ごんの姿を見かけた時にまたいたずらにをしにやってきたと勘違いして ごんを撃ち殺してしまい その直後にクリなどを届けてくれていたのがごんだったと気づく という悲しい結末のお話です。
数年前に この小説を読んだ女の子の感想が評判になり 一悶着ありました。その子に言わせると ゴンが殺されたのは 因果応報だし こっそりとやっていた罪滅ぼしは 自分勝手な自己満足にすぎないのだから 殺されて当然だ といった内容でした。この子の感想に 結構肯定的な人間がいて 当然のことを言っている 話に筋が通っている等と盛り上がっている人たちが 結構いたことに とても残念に思いました。そもそもキツネは結構賢い動物ですが いたずらをした数日後に母の葬式があったことを知って 後悔したり 罪滅ぼしにと人間が喜びそうなクリやマツタケを届けるようなことをするはずがありませんから あくまで人間が勝手に作り上げたストーリーであるわけで 小学生の子供にその辺りの事情を理解しろとは言いませんが 迷惑をかけてしまったことに対してせめてもの罪滅ぼしの行動をとろうとした動物の素直で優しい気持ちを そのまま受け入れられないなんて 凄く気持ちのすさんだ 哀れな人間だとしか思えません。同じ日本人なのだとしたら 凄く残念だし とても恥ずかしく思います。
まあ未熟な子供が そんな偏った受け止め方しかできないのは しょうがないのかもしれませんが こんなくだらない感想について 大の大人がああだこうだと議論することの方が 滑稽かもしれません。私もこの話題を取り上げて また蒸し返しているのですから 同様に滑稽であると思いますから これ以上長引かせるつもりはありませんが 新見さんの おおらかで優しい気持ちを 素直に受け止められない人には 新見さんの作品を読んでほしくないと思います。

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