8月14日 お墓参りに出かけました

近所にあるお墓に 今年から両親が眠っておりますので 出かけて 墓石の掃除をして お花を供えて 線香をあげてまいりました。日本人としては 極当たり前の行動かもしれませんが 私は信仰心やご先祖様を敬う気持ちが 申し訳ないけれども 非常に希薄なので 何時までこのようなことがきちんと実行できるのか 不安はあります。でもまあ 大阪にいる間位は 人並みの事をしておこうと考えております。但し 冷静になって考えると お盆の時期には ご先祖様が 自宅にお帰りになっているはずですから お墓はお留守の状態のはずだと思いますが そんな時にお墓参りをしても 意味があるのかなあ なんて思わないでもありません。まあこういう切っ掛けがなければ 近所にあっても お墓にお参りしなくて お掃除やお供えもさぼってしまうのでしょうから 無意味なものだとは思いませんけれど。
私は 仕事柄 動物の死とはちょくちょく遭遇してしまいます。長年可愛がってきた ある意味家族と同様の存在であったかもしれないペットとの死別は 飼い主さんにとって非常に大きな精神的ダメージを伴う事だと理解しております。でも殆どの動物と言うのは その持って生まれた寿命が人間よりもずっと短い場合が多いので ある程度の年齢になってから 飼い始めたとしても 自分よりもペットの方が 先立つことを覚悟して飼い始めなければならないように思います。もしペットの方が長生きしてしまう場合には 面倒を誰にみてもらうのか 等という別の次元の心配事が発生してしまいます。
自分が 元気なうちに ペットを見送ることができたことを 喜ぶべきだなどと申し上げるわけはございませんが キチンと最後まで飼い主さんとしての責任を全うできたことを 誇りに思っていただいてもいいのではないかと思います。飼い主さんによっては 動物霊園に立派なお墓を建造される方もいらっしゃいますが 私はできたら 自分の庭があるのなら その片隅に葬ってあげて 毎日のように思いだしてあげて 手を合わせてあげるのが 一番の供養になるのではないかと思います。何時までも 涙ぐんで くよくよしていることは 決していいことだとは思いませんが 忘れずにいてあげる事が なくなった子たちとしても 一番うれしいのではないかと考えます。
同じように 私は昨年末に父が亡くなり 両親ともに失いました。父とは顔を合わすたびに 喧嘩ばかりしておりましたし 90歳を随分と越えておりましたから 覚悟も出来ておりましたので 涙の一粒も流しませんでしたが この世に存在しないと思うと 自然に寂しさがこみ上げてまいります。まあ自分も還暦を過ぎましたので いずれは順番で 自分が亡くなるときがやってくると思っております。それまでに さっさと仕事を辞めて 充実した老後を過ごそうと考えておりましたが 昨日のブログに書いた通り ほぼ理想的な老後のプランが 砕け散ってしまいました。
未だに今後どうしてよいのか見当もつかず 途方に暮れております。可愛がっていたペットを亡くした悲しみからも いずれは自分の気持ちを切り替えて 立ち直っていかなければならないように なくしてしまった夢を嘆くよりも 素早く気持ちを持ち直して 次善の策を探す方向に踏み出していく 努力すべきだと思います。私に残された時間は それほど長くはないのでしょうから。

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