8月19日 語呂合わせで 俳句の日なのだそうです

俳句を読む人 俳人として松尾芭蕉や小林一茶が 有名ですが 江戸時代には 俳句と言う言葉はなくて 俳諧と言う連歌の最初の句が 独立性を持って一人歩きを始めたものが 俳句と言う形式の由来なのだそうです。俳句という言葉は、明治20年代に俳人であり歌人でもあった正岡子規が「俳諧の発句」という言葉を縮めて造った造語なのだそうです。俳句とは 五七五と言う僅か十七文字に 季語を含めて表現する非常に短い文学の形式なのだそうです。
私は このダラダラと長ったらしいブログを書くことからもお分かりだと思いますが 私の身の回りに起こったことや その日にちなんだ話題を取り上げて 自分が勝手に思ったことや知っていることを のんべんだらりと書きなぐっております。俳句はこのブログとは ある意味対極に位置する文学だと思います。六十年以上も生きてきましたから これまでに俳句を幾つか詠んだことはありますが とても人にお見せできるようなレベルの代物ではありません。
テレビの番組で「プレバト」と言うのがあって 芸能人が色んなジャンルで その才能を競い合い その道の達人に評価されて点数をつけられる内容で 人気があり視聴率の好調のようです。私はお正月などに放送されるスペシャル番組位しか見ませんが その中で俳句と言うジャンルがあり 特に注目されているようです。夏井先生と言うおばちゃんが登場して 出演者が苦しみながらひねり出した十七文字を ぶった切っておられますが 私の様な俳句に全く興味もなければ 才能の欠片も持ち合わせていない人間がみていて 確かにそのおばちゃんが手直しした作品の方が 数段素晴らしい出来栄えであることは伝わりますから その先生が達人ぶりには 文句のつけようがないのだと思われます。
ただその番組を見ていると 分り易ければいいのかと言うとそうでもないみたいだし あまりこねくり回し過ぎても 高評化されていない様に思われます。与えられた題材にそのまま飛びついても いけないみたいだし 自分の世界に入り込みすぎて 題材との距離が大きすぎても なかなか褒めてもらえないようです。私には 俳句と言う繊細な感覚を要求されるデリケートな表現が必要な文学作品へのアプローチは 無謀であり 結局は無駄な努力に終わりそうなので 最初から諦めてしまう方が 賢明なのかもしれません。
最後に現在の心境を読み込んだ一句をひねり出してみたいのですが 取り敢えずは夏の季語にどのようなものがあるのかから 調べる必要がありそうです。

     暑中見舞い 出す人いなくて 寂しいな

もし夏井先生にみてもらったら こんなものは俳句でも何でもありません と評価されることは重々承知のうえで あえて恥をさらしてみました。お粗末様でした。

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