8月27日 漫画家のさくらももこさんがわずか53歳で亡くなられました

さくらさんと言えば 勿論[ちびまる子ちゃん」ですが 日曜日の六時からの放送が始まったころ 私は岐阜で大学生をしておりました。テレビは小さくてオンボロなもの 確かサークルの先輩から譲り受けたものがありましたので 見るとはなしにみていたのだと思います。子供向けのアニメーションだと思っておりましたので 勿論最初は偶然につけっぱなしのテレビで放送されているのを眺めていましたが そこに描かれている時代背景が 昭和の色がかなり濃いので 今どきの子供さんたちに受け入れられるのかどうかと不思議に思っていましたが 日曜日の六時から 「さざえさん」という伝説的な子供向けアニメの直前に放送されるのですから 当然最初から大ヒットするものと予測されて放送が始まったのかもしれません。
私も昔から 日曜日の夕方には 何となく「サザエさん」を見ていましたが そのほのぼのとした内容は 時代劇の「水戸黄門」と同じで 家族で見ていて安心できること間違いなしの番組ですから 長年高視聴率を誇っていたのだと思います。その「サザエさん」を見るためにあわせたチャンネルで 直前の放送ですから 積極的に見るつもりもなくて「ちびまる子ちゃん」を見ていたつもりが 何時しかその独特の昭和の香りに強く引きつけられてしまって 毎週楽しみに見るようになってしまいました。
漫画の内容も 非常に魅力的でしたが エンディングで流れる「踊るポンポコリン」がまた強烈なインパクトがありました。私はちょうどそのころ 獣医さんになるために岐阜で大学生活を送っておりましたが 二度目の大学生なので 同級生とは約十年ほど年齢が異なりました。当然ですが ジェネレーションギャップを 常に感じさせられておりました。ですから 私の中で「ちびまる子ちゃん」が大ブームであることなど クラスの友達に話していませんでした。昭和の香りが強いアニメなんか 普通の大学生が理解できるとは思えなかったからです。所がクラスの友人たちとカラオケに出かけたら 誰かが「踊るポンポコリン」を歌いだして 全員がノリノリで大合唱になりました。私もうれしくなって 大声で参加しました。
そして「ちびまる子ちゃん」が大好きな事を話すと みんなも同様に大好きで 毎週欠かさずにみているという話を聞いて凄くうれしくなってしまいました。このアニメの魅力は 普段年齢の違いを痛感させられる同級生たちと 一体感を持てることにとても感激しました。入学式で 初めて顔を合わせた時から 感じていましたし約十年の年齢の違いによる違和感を 当然覚悟はしていましたが かなり寂しい思いをすることが多かったので このアニメによって 本当に始めて同級生たちに親近感を抱けました。そういう意味で このアニメは非常に有り難い存在でした。
私は二十歳前後まで 二つ年下の妹と一緒に生活しておりましたので 少女漫画は結構読んでいました。ちびまる子ちゃんが連載されていた「りぼん」も妹が定期的に購入していましたので 殆ど毎号しっかりと読んでいました。少女漫画家で一番好きなのは 田渕由美子さんですが かなりマイナーな存在みたいで 名前をあげても知っている人は殆どいません。でもそのストーリーは ほのぼのとした心温まる でもとっても切ない気持ちになるラブストーリーでした。
さくらももこさんと言う漫画家は 「ちびまる子ちゃん」と言うアニメを見るまで全然知りませんでしたが 静岡県の清水市{当時)の出身であることや まる子ちゃんの周囲に起こる出来事は 基本的に実体験に基づいている事等 その人となりも何となく伝わってきましたから このアニメがより身近に感じられるようになりました。さくらさんは 私よりも八歳年下ですから 丁度二度目の大学の同級生とほとんど同じ年ですから 彼らが共感できるのは ある意味当然かもしれません。
さくらさんの 他の作品とは接する機会が無かったので 全然知りませんが さくらさんが亡くなられても 同じ時間帯にアニメ番組の放送は継続されていくみたいです。「さざえさん」も同様に作者が亡くなられてからもずっと放送が続いているように 三十分の放送で 二本のドラマを構成するだけの素材は まだ十分にあるのだそうです。最近は 日曜日の夕方は 何時も仕事をしている時間帯なので 全く見ていませんでしたが 久し振りに放送を録画してみてみようと思います。さくらさんが亡くなられたことを切っ掛けに 生前に出版されてエッセイなどがまたバカ売れしているのだそうですから 当分はさくらさんの事を忘れる人はあまりいないのかもしれません。
[ちびまる子ちゃん」を久し振りに見ますが サザエさんのカツオたちと同じように何時までたっても同じ小学生でいてくれるのでしょうから リアリティには欠けますが 逆に安心して楽しめると思います。久しぶりにこのアニメを見たら 岐阜大学に通っていたころの 凄くお金が無くて経済的には苦しかったけれど 勿論大学生活でしたからそれなりに楽しかった頃の気分に戻れるのかもしれません。岐阜大学時代の友人とは 年賀状のやり取りをしているだけの付き合いが残っている友人が ほんの数名しかいませんが 久し振りにメールでも送って 旧交を温めてみようかと思います。

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