9月19日 1902の本日 正岡子規先生が お亡くなりになられたのだそうです

正岡子規と言う私から見れば 俳人の名前を 日本人なら誰でもきいたことがあるようにおもいますが 如何なものでしょうか。国語の教科書などに 何故か横を向いている写真で紹介されているので 割と印象に残るのではないでしょうか。
                     柿食へば 鐘が鳴るなり 法隆寺
と言う有名な俳句は やはり日本人なら誰でも 記憶に残っていて欲しいものです。俳句を幾らかでも齧っている 私からすれば 超大物俳人だと思いますが 短歌や小説 随筆 評論など 多岐にわたって活動されている 明治を代表する文学者なのだそうです。わずか34歳で亡くなられてしまいましたが その晩年は結核菌に侵されて 脊椎カリエスとなり 寝たきりに近い状態になってからも 積極的に後輩の指導に当たられるなど 文学者の鑑のような存在だったのだそうです。
私の年齢の半分ぐらいで お亡くなりになられたのに そのお名前が 燦然と輝いているように思います。まあ私のような凡人中の凡人と 天才を比較すること自体が無意味な事ですし 憧れたり羨んだりすることが 烏滸がましいのだと思います。私は 下手糞なりに 何とか上手な俳句を詠めるようになりたいと 願っております。まずは厳しくご指導いただける 良き師匠を探し求めて 日々俳句を作って 俳句の道で成長したいと考えております。いつの日にか ほんの少しの人の心に残るような 俳句が作れるようになりたいと 思っております。

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