9月21日 1933年の本日 宮沢賢治さんが亡くなられました

御年僅か38歳でした。日本人で宮沢賢治の名前を知らない人がどれくらいの割合いるのか知りませんが そこそこお若い方には 賢治の名前も「銀河鉄道の夜」とか[風の又三郎」といった有名な作品も知らない方が結構いらっしゃるのかもしれません。亡くなられてから百年近くがたちますし 私の生まれるずっと前に逝ってしまわれた方ですから 致し方の無い事かもしれません。昨今のテレビのバラエティー番組では おバカタレント 自分の無知ぶりだけを 売りにしている芸能人が 少なからずいることはとても残念な事だと思いますが 一般的な日本人の若者は 宮沢賢治の名前と人となり位は ある程度知っておいてほしいと思います。私たちの時代には 国語の教科書に登場しましたから まともに学校に通っている人間なら知らないはずが ありません。
宮沢賢治について 一般的にはどのようなイメージが定着しているのでしょう。私にとって一番インパクトのあるのは「雨ニモマケズ」の詩ですから 何となく詩人と呼ぶのがふさわしいように思います。大学時代に所属していた合唱団の定期演奏会のパンフレットの中でのベースのバート紹介文を書いたことがありますが 誰でも知っているこの詩を下敷きにしてベースのパート紹介した覚えがあります。見るのは勿論私と同年代の人間が中心でしょうから この賢治の詩を知らない人はいないと言う事を前提に紹介文を考えました。
でも賢治の作品としては 童話の数が圧倒的に多いみたいです。有名な作品「銀河鉄道の夜」は何度も映像化 アニメ化されましたし [風の又三郎」や「注文の多い料理店」位は読んだことがありますが それ以外の沢山の童話とは出会える機会がありませんでしたので 全く読んでいません。ただ沢山の童話作品が完成していながら 賢治の生前に発表されて 評価された作品が殆どない というのは 別に賢治としても作家として名をあげたい とか儲けたい等と言う低俗な欲望は強くなかったのでしょうが 他人事ながらとても残念に思います。
何時も亡くなられた人の事を思うときに 自分よりも若い方の場合 特にこの頃は私よりも若くして亡くなられた方が徐々に増えてきていますが 亡くなられる瞬間 さぞや無念な気持ちではなかったかと思えてしまいます。だって何とか還暦を迎えた私ですら まだまだ死にたくはありませんから。私の目下の目標は 健康寿命 いわゆる一人で最低限の生活に必要な行動が出来るうちの寿命を何とか75歳まで保ちたいと言う事です。体に不自由を抱えながら つまり奥様に今まで以上にご迷惑をかけながら 無様に生きながらえたくはありません。現在一応ぴんぴんしているつもりでも 散々迷惑 ご苦労を奥様にかけていますから 更なる面倒をかけながら生き続けることは 人として潔しとは しません。
もし体に不自由な部分を抱えてしまったら 病院通いも治療も一切やめて やりたい放題の事をして この世に未練を残すことなく さっさと自分の人生の幕引きをしてしまう覚悟です。まあ飛び切りの腰抜け野郎の私の事ですから 今はそんな威勢のいいことを口にしていますが 現実に一人で生きていけない状態になってしまったら 周囲にいる人すべてに援助を求めて 一日でも長く生き延びようとするのかもしれません。でもこれまでの人生で さんざん生き恥をさらして 他人様に迷惑かけ放題で生きてきたことを自覚していますから 死に際 自分の人生の終焉位は美しく飾りたいものです。
とにかく38歳と若くして 亡くなられた宮沢賢治さんのように 後世に何も残さずに生きてきましたが これから残りの人生で 何かしら人のお役にたつことが出来たらばと 柄にもなく殊勝なことを考えている 今日この頃でした。

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