9月25日 「国語が乱れている」と感じる人が減り、「乱れていない」と感じる人は増えているのだそうです

「国語が乱れている」と感じる人が20年前と比べて減り、「乱れていない」と感じる人は増えているという事が 調査の結果報告されたのだそうです。とはいえ乱れていると感じる人が 六割前後 乱れていないと感じる人が 三割ぐらいなのだそうですから ある程度年配の方々が 今どきの若い者の言葉づかいはなっていない と感じることは 昔からの伝統なのかもしれません。現在は メールやSNSなどが 凄く普及してしまいましたから 私が若いころに比べて 自分の気持ちを文章で表現する場合が凄く増えてしまって 昔ほど 直接話して相手に伝える機会が多くはないのかもしれません。
話す言葉はその瞬間に消えてしまいますが メールなどは発信者がまずは自分で打ち出してから 送信するわけだし その文章は相手に残ってしまいますから 猶更慎重に言葉を選んで 正しい日本語で表現しようと考えそうに思いますが 現在のお若い人たちは 日本語としての文法や慣用表現から見ると明らかに間違っている使い方をしても その場の勢いや雰囲気で自分の気持ちが伝われば それでいいとでも考えておられるのでしょうか。私はほとんど毎日このブログにダラダラと 内容の薄い文章を書きなぐっております。勿論誤字や脱字 文法的な間違い 誤った慣用表現などが なるべくないように気を付けているつもりですが きちんとした日本語を身につけておられる方からは お叱りを受ける点が多々あるであろうと覚悟しております。
勿論言葉というものは 生き物であり 時代とともにどんどん変化していくのは 当然だと思います。古文を学ぶと いかに現代語とかけ離れているか 不思議に思えるぐらいですから。でも明らかに誤った言葉の使い方などは やっぱりきちんと正されるべきだと私は思います。まあ 間違っていることを理解していて 敢えてそのような新しい表現法を用いておられるのなら しょうがないのかもしれませんが 自分たちの都合や感覚だけで 本来の使い方を知りもしないのに 勝手にそして強引に 誤用して いずれその使い方が正しくなるだろうから 文句を言うな という態度は決して褒められるべきではないように思ってしまいます。
まあ今どきのお若い方々の 斬新な言葉づかいを感覚的に受け入れられなくて かたくなに拒否している姿勢自体が 私が頭の固い 新しい変化を柔軟に受け入れられない 頑固ジジイであることを 証明しているだけのことかもしれません。でも 私は日本語とは とても美しい言葉としての伝統がありますから 何も新しいものを何でもかんでも受け入れて どんどん変化していくことには どうしても反対です。まあ私のようなジジイが ピチピチの女子高生と親しくお話ししたい気持ちは 山々ありますが 残りの私の人生でそんな幸せな機会は 殆どございませんでしょうから それ程問題視しなくてもいいのかもしれません。ただ新しい物こそ 素晴らしいと私自身も 若いころには 考えていたのかもしれませんが 長いこと使ってきた美しい言葉が 失われ 破壊されていくのを見るのは とても悲しい気持ちだという事を 理解していただければ嬉しいです。 

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