9月28日 1993年の本日 コメの作況指数が80と発表されました

この年はフィリピンで大規模な噴火が起こり その影響を受けて 記録的な冷夏となってしまい そのために米の出来が悪くて 作況指数の見込みが80(実際には76)とかなり低めの数字が発表されたために 「平成の米騒動」 と言われる現象が起こってしまいました。私はこの時にも日本人はなんて愚かな国民なのだろうと思ってしまいました。作況指数というものの意味合いが 私には正確に理解できていませんので いい機会なので調べてみました。要するに例年の収穫量に対するその年の収穫量の見込みのパーセンテージを表している数字のようなのです。

その評価として :作況指数106以上      やや良:同102~105      平年並み:同99~101

     やや不良:同95~98          不良:同94~91       著しい不良:同90以下

と表現されるのですが この表現が間違っていると思います。良、やや良、平年並み、やや不良まではいいとしても 不良、著しい不良という表現は不適当だと思います。現実にこの年の作況指数は 76ですから 例年の四分の三しか米が収穫できませんでしたから 米作農家にすれば収入が減少して問題が起こったのかもしれません。でも収穫量が少なくなると 米の単価がはね上がって現実には農家としては非常に儲かったのかもしれません。以前にキャベツの収穫量が激減した年には 農家でキャベツ豪邸が沢山立ったと評判になったことがありましたから。

日本人にしたら90以下で著しい不良の所に80と発表されたので 今年は日本で全然米が収穫できないとても勘違いしてしまったのだと思います。本当に愚かな国民たちだと思わざるを得ないでしょう。例年よりも二割取れ高が少ないだけなのです。つまり例年の八割は収穫できるのですから 普通に考えれば米部足なんて起こるはずがないのです。例年収穫された米の何割かは余剰米として古米になっているのですから もし今年の収穫量で現実に足りない現象が起こったとしても 昨年収穫された米を食べればそれで済むのです。

よく似た現象として トイレットペーパーが市場から姿を消した騒動もありました。オイルショックの影響で政府が紙類を節約するようにと発表したのを どこかの馬鹿者がトイレットペーパーが不足すると勘違いして スーパーで買占めに走って それを見ていた周りの大馬鹿者どもが追随して買占めに協力してしまい その現象が夕方のテレビのニュースで流れてしまいました。その番組のキャスターがまともな人間で 「トイレットペーパーが不足するはずなどありえないのに」 と笑い話にしてくれれば 何事も起らなかったのかもしれませんが そのような現象が起こったことだけを伝えてしまったために 日本人は世界的に見れば 秩序があって理性的に行動できる良い国民と評価されているように思いますが 一皮むけば 自分さえよければそれでいい というエゴの塊のような国民性だと 私は思います。翌日から全国で一斉にトイレットペーパーの買い占めが行われたために 市場から消失してしまう現象が起こりました。トイレットペーパーの生産業者にしても 通常の消費量から生産量を算出して 生産しているはずですから そんな急激な買占めに対応できるはずもなくて 本当にどこを探してもトイレットペーパーが見つからない状態になってしまったのです。

その当時私はまだ子供だったように記憶していますが 大人たちが騒いでいるのが不思議でしょうがありませんでした。勿論人間ですから毎日必ず大小便の排泄はしますが もしトイレットペーパーがなければ 新聞紙は世の中にあふれていましたから 新聞紙で代用すれば済むことのはずです。新聞紙をよくもんで柔らかくして使えば 殆ど問題はありません。もちろん現在のようにウォシュレットンなど存在していない時代ですが 何らかの紙類で代用すれば トイレットペーパーなんてなくても全然困らないのに 大騒ぎになっているのが不思議でしょうがありませんでした。

コメ不足の騒動の時もなぜそんなに大騒ぎをしているのか実に不思議に思っていました。ほっといても例年の八割はコメが獲れるのです。もし現実に米が不足する状態が起こるとしても 来年の米の収穫前のほんの短い期間だけのはずです。確かに米は日本人の主食ですが 米以外にも主食たる食物はいくらでも世の中にあふれかえっているのです。

例えばパンが全然不足していませんでしたし 簡単に食べられる麺類の代表選手であるインスタントラーメンも幾らでもスーパーで売っています。蕎麦もうどんも生めんから乾麺まで多くの種類が簡単に手に入るのです。私は昨年の八割が収穫できるはずだから 国民が落ち着いて対処すれば 来年の夏ごろにでもコメが手に入りにくい状態になるのかもしれないと思っていました。

所が現実には 米の作況指数が 超ウルトラスーパー著しく不良と発表されたとたんに スーパーのコメ売り場や普段は殆どのぞかない米屋さんの店先まで 米の姿が一切見えなくなってしまいました。相当数の国民が米の買い占めに走ったからでしょう。本当に他人はどうでもよくて自分さえ困らなければよい という本当に恥ずかしい国民性だと思います。

何しろ普段は米なんて扱うはずのない電気屋さんまでが 飛びついて米を販売していましたから驚きました。テレビの取材に行ったアナウンサーが列の一番前に並んでいるおばさんに質問していました「いつごろから並んでいるのですか?」おばさんは嬉しそうに答えていました「開店の三時間前からです。今日十キロのコメが買えたら うちの備蓄米は五十キロになります」

なんて愚かなおばさんなのでしょう。普段は米なんていつでも手に入りますからどの家庭でも米櫃がからになりそうになったら 次の米を買うはずです。なのにコメが不足する可能性を感じたら 各家庭でやたらと米を買いだめし始めたのです。普段しない行動をするから米が市場から消えてなくなってしまったのです。大体米不足が騒がれてから 売り出されている米なんて 普段は見向きもされないような美味しくない品種の それも下手したら古米や古古米かもしれないような商品に馬鹿みたいに高い値段がつけられた米なのです。

私はそんな愚かな行動はしていませんでしたから 米はいつも十キロ入りの袋をスーパーから購入していましたから それが無くなってしまった時に 我が家にはコメのない状態になってしまいました。そのことをたまたま電話がかかってきたときに親に話したら 普段は病院に顔を出さない私の親が 慌てて十キロ入りの米の袋を持って現れました。「なんでしっかりと準備をしておかないんだ」等と文句を言われながら 米を受け取りました。当時は一人目の奥さんと一緒に暮らしていましたが そちらの親からも十キロ入りの米が届きました。私が偉そうに愚かな国民 等と表現していましたが己の親たちが やっぱり愚かな国民の一部だったようで情けなくなってしまいました。

私は 米が無くなってしまったという事実を伝えただけで 別にその為に生活に支障が出ているなどとは一言も言っていません。事実パンを食べる機会と麺類を食べる機会が増えただけですし 関西人ですからお好み焼きやたこ焼き、イカ焼きなどの粉ものがありましたから 全然不自由は感じていませんでした。せっかく持ってきてくれたので米袋は受け取りましたが その二十キロの米があるうちに 今回の米騒動は収まり 再びスーパーの棚にコメが並ぶようになりました。

トイレットペーパー不足にしても 米騒動にしても 要するに自分さえよければ他人の事等どうでもいい という自己中心的で愚かな考え方から騒動が起こっているのです。この二つの騒動で日本人が多少はその愚かしさを自覚して 節度ある態度で対処すれば 全く問題など怒らなくて済むことを学習してくれていると嬉しいのですが まあ全く期待できないでしょう。馬鹿は死ななきゃ治らない 等と申しますから。

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