10月5日 1949年の本日 今は亡きたかじんが生まれました

たかじんさんがお亡くなりになられてから 四年近くが過ぎましたが 彼の事を今のお若い方たちは どのような存在として認識されているのでしょうか。私はたかじんさんを 思わずさん付けで呼ぶように 極めて尊敬の気持ちが強い存在でした。まずは歌手として極めて魅力的な方でした。普段喋る時は だみ声のオッサンにしか見えませんが 凄くきれいな声であり歌い方も独特の凄くチャーミングな歌いかただったと思います。私はカラオケに行くと 最後から数曲前に 必ず[東京」を歌います。ちなみに最後は必ず 沢田研二の「抱きしめたい」でしめます。
たか仁さんのコンサートは 大半がしゃべりに費やされて 三時間ほどのコンサートで歌われる曲はほんの十数曲だったと言われています。ファンにしてみれば たかじんの歌声は当時の話ですからレコードで何時でも聴けるから その場にいないと聞けないおもろい話を期待していたと 言われています。何しろたかじんさんの喋りの面白さは 歌手なのに上方お笑い大賞を授与されそうになったほどです。たかじんさんが 自分は歌手なので大賞を頂くわけにはいかないと辞退して審査員特別賞と言う事で落ち着いたのだそうです。
歌手には しゃべくりの上手な歌手 例えばさだまさしなどユーモアたっぷりのコンサートを開く方は少なからずいるのかもしれませんが それなりに権威のあるお笑い部門の賞を現実にもらったのは たかじんさんだけのようです。但したかじんさんは 極度のあがり症だったために 観客席がよく見えないように わざわざサングラスをかけていたのだそうです。テレビでは生放送ですら 言いたい放題のようなイメージがありますが やはり相当に緊張しながら喋っておられたのだそうです。
活動を極端に関西に限定しておられましたから それこそ関西でたかじんさんの存在を知らない人は殆どいなかったと思いますが 逆に関東での知名度は驚くほど低かったのだそうです。たかじんさんが仕切る番組の面白さは 勿論東京でも評判になり番組出演のオファーはいくらでもあったようですが 極端に東京が嫌いなたかじんさんは 頑なに出演を拒否されていたみたいです。関西ローカルのたかじんさんの番組は 勿論大阪のテレビ局で制作されていましたが 全国ネットで放送することを東京のキー局から要望されましたが それもすべて断っておられたのだそうです。
私は生まれは福岡県ですが 育ちは幼稚園から大阪で通いましたから 大阪人としての誇りを持っているつもりです。ですからとくにこれといった理由はないけれども 東京に対する反感は少なからず持っているようです。たかじんさんがどうしてそんなに東京を嫌われるのか理由は分りませんが 私も特にこれといった理由はないけれども 東京弁を話す人とは なかなか友達になれませんから 本能的に東京を拒否するのに理由なんて必要ないのかもしれません。
私がたかじんさんを尊敬するのは 歌手としての十分な歌唱力を持っておられるにもかかわらず テレビ番組のMCとして 非常に魅力的な存在だったことも大きいように思います。女性に非常にモテておられたようなので そちら方面の話題にも事欠かれませんでしたが 非常に色んな方面の物事をよく勉強されていて 政治経済の問題から 芸能界に関する裏事情にまで精通されておられましたから どんな話題になっても関西人らしく必ず話に落ちをつけて終わらせてくれるサービス精神が 人気の秘密だったように思います。
私もこのブログで多少は政治について 偉そうなことを語ったりすることがありますが そんなものはネットで仕入れた薄っぺらな情報に 自分の意見をちょこっと被せただけのお粗末極まりないものでしたが たかじんさんの場合 政治学者や政治家たちと 堂々と渡り合っておられましたから その度胸と身についた幅広い知識には 何時も脱帽しておりました。
歌手としても一流 タレントとしてもトップクラスの才能を持ち合わせておられたたかじんさんが 六十代半ばでお亡くなりになられたのは 非常に残念に思います。一月三日に亡くなられたのだそうですが 本人の希望でみんながお祝いをしている正月 松の内のうちに訃報を流さないようにと言い残されたので 実際に亡くなられてから密葬がすんで 死亡が発表されたのは そこそこ日にちがたってからの事だったそうです。最後の最後まで ファンを大切にされるたかじんさんの死は あまりに早すぎる様で残念無念です。私もあと数年でその年齢に達してしまいますが 無事に過ごせるよう今から精進しようと思います。

ブログ一覧