12月27日 年賀状をやっと書きました

毎年12月はなんとなくバタバタしているうちに過ぎてしまいます。年賀状なんて毎年書かなければならないことは分り切っていますが なかなかその作業に取り掛かれないで ほったらかしにしておいて ギリギリで書き上げて慌てて投函するのが習慣の様になってしまっています。年賀状も中学生の頃には 自分でオリジナルの図案を考えて 一枚一枚手書きで仕上げていました。特によくできた一枚は 当然好きな女の子に送りました。どう見ても失敗作に近いものは 没にしてしまうとはがき代がもったいないので 義理で仕方なく出す友人へ送りました。

その後一時期はプリントごっこにはまった時代がありました。図案を選んで配置を考えて組み合わせて焼きます。そして丁寧に仕切りを貼り付けます。インクがはみ出さないように 勿論まじりあわないように慎重にのせてから 先ずは試し刷りを何枚が刷ってみます。上手くいきだしたらはがきに刷り始めます。但しプリントごっこで刷り上がった葉書は 直ぐに触るとインクが乾いていませんから 電話帳に一ページに二枚ずつ挟み込んでいきました。二日ほどたってインクが完全に乾いたら やっと完成でした。

宛名履きはコンピューターの住所録から プリンターで印刷してもらいました。大した枚数ではないので宛名ぐらいは自分で書くことが礼儀かもしれないとは思いましたが 何しろ私は字が下手糞で 一生懸命丁寧に書いている気持ちは辛うじて相手に伝わっていたのかもしれませんが とても大人の書いている文字のレベルではありませんでしたので プリンターに助けてもらっていました。

プリントごっこもどんどん進化して便利な機能がバージョンアップしていたみたいでしたが 何時しかパソコンの葉書ソフトが改良されてかなり簡単な操作で 美しいカラフルな年賀状がいとも簡単に出来上がりましたから いつの間にかプリントごっごとは縁が切れてしまいました。

今はパソコンを買いかえると 大抵はがき印刷ソフトがついていますので パソコンが代替わりする度にそのソフトも同時に代替わりしてしまいますから その操作方法も変わってしまいます。奥様が本当に頭が良くて どんなソフトでも二三日も説明書を読んで勉強すれば 大抵のことは出来るようにマスターされてしまいます。

今年の年賀状も 勿論図案はある程度私が考えましたが 仕上げの段階でのバランスや配色は奥様が何しろ美大出身なので そのセンスにお任せしてしまいました。今年は七月に父の弟 私の叔父さんに当たる方が亡くなられたので 私は一応喪中と言う事になりますが 父と相談して 亡くなられた叔父さんのご家族や父の兄弟には年賀状を出すことを控えるべきかと考えましたが 仕事関係や友人関係には 年賀状を出すことにしました。叔父さんのご家族には 年が明けてから 官製はがきでお見舞いの言葉を贈ろうと思っています。

今年は合唱団に新しく加入しましたので その関係者の方々数名に新しく年賀状を出そうと思います。私は子供の頃から 父が毎年何百枚も年賀状をだし それと近い数の年賀状を受け取っていたのをいつも見ていました。ですから 私も大人になればそれ位沢山の方と年賀状をやり取りすることに自然になるのだろうと思っていました。所が私は60歳近くになっても 年賀状を出す枚数も受け取る枚数も 小学生の頃よりは多少は多いようですが 数十枚のレベルから上がっていません。

結局私はその時に付き合いのある方としか年賀状のやり取りをしてきませんでしたから 私の交際範囲が広くないのもあって年賀状数十枚のやり取りしかできてこなかったのだと思います。例え引っ越したりして それまでの付き合いが途切れたとしても 年賀状のやり取りだけは継続していれば きっともっと増えたはずです。別に年賀状のやり取りをする方の数が多い人の方が偉いとは思いませんが 最低限年賀状のやり取りを続ける人たちをたくさん抱えている人の方が 私の様に少ない人間よりも 寂しくない人生だったのではないでしょうか。

毎年年賀状を書いた時の反省は 来年こそはもっと余裕をもって年賀状を作成しよう と言う事ですが 恐らく来年もまた同じ反省をすることになるだろうと思います。来年一年が無事に終われそうな時期を迎えられたら それだけですごく有難いことだと思いますし 健康で仕事を継続できていれば それが一番の幸福なのだろうと思いますのでそうなってくれることを心から祈ります。

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