12月25日 今年は年賀状を早めに書き上げました

例年なら 今頃になってやっと刷り上がったものに 幾つかパターン化されていますが 相手によって考えて 一言書き加える作業に追われている時期ですが 今年は 十二月になって直ぐにまずは図案を考えました。考えると言っても パソコンに入っている年賀状ソフトから 背景を選び 来年の干支であるイノシシのメインキャラクターをチョイスして 付属品の小物までバランスや色どりを考えて選択します。少なくとも挨拶の文面だけは自分で考えて打ち込むように心掛けております。今年の一文字として 災が選ばれた年が明ける訳ですから 来年は明るくて楽しい年になってほしいと思いながら 年賀状の図案を考えました。自分なりに仕上がったと思ったら 一応奥様にチェックしてもらいます。
奥様は芸大出身で 私よりもずっと美術的なセンスが優れておられますので 毎年最後に仕上げの手直しをお願いしています。「プレバト」と言うテレビ番組で 俳句の先生の小母ちゃんが何時も偉そうに発言しています。最初は偉そうなおばちゃんの態度に 少しムカついていましたが その先生が生徒の作品をほんの少し手直しすると 確かに作者の意図がずっとはっきりとわかり易く伝わるようになりますから このおばちゃんの偉そうな態度を皆がありがたく受け入れていることに納得しました。
美術方面のセンスが段違いの奥様が 幾らか手直しをしてくれると やっぱり明らかに見栄えがよくなりますから 毎年どうして最初からそのような図案を作れなかったのか 不思議に思うし 悔しくもありますが 有難いことなので 仕上げの調整を何時もお願いしてしまいます。私は 父親の趣味で強制されただけの事ですが 小さい頃からマリンバとピアノという楽器を習わされていましたし 大学生以降は合唱と関わりを持つことが多かったので 歌はそこそこうまいと自惚れていますし 音楽の知識や素養は 人並み以上にあるつもりです。所が 美術方面については 子供の頃から苦労していましたし 事実成績も悪かったです。小学校の三年生の時の二学期に 図工の評価として五段階評価で2を貰いました。最初で最後でしたが 本当に屈辱的な思いをしましたので 還暦を過ぎた今でもその時の悔しさは忘れられません。
中学生の時も 三年生で美術の評価で十段階評価で5を貰った時も屈辱的でした。男子は技術と言う科目もありました。椅子や塵取りを作らされたのですが 私は例によって不器用さを発揮してしまい とても上手な作品は出来ませんでしたが 筆記試験で何時も百点満点を取っていましたので 先生が勘違いをしていたのかどうかわかりませんが評価としては10を貰っていました。中三の時の成績は9科目を十段階評価されて その合計した数値でやはり十段階に評価されて その成績が内申点として 受験する高校に送られます。私は美術が5と言う極端に低い評価のために 合計点が下がってしまい残念ながら9の評価しかもらえませんでしたので その時の美術の教師を凄く恨んだこともよく覚えています。
まあ美術や音楽と言った方面の成績は 持って生まれた才能によるものでしょうから いくら努力しても なかなか上手くならないのは致し方のない事かもしれません。私がどんなに頑張ってみても 上手な絵はかけないし 逆に音痴な人が幾ら練習しても 音程が外れるのはどうしょうもない事のようです。要するに私の美術センスは 還暦を過ぎてもやっぱり残念な年賀状しか作れないので センスのある奥様に手直ししてもらって そこそこの見栄えになっているのではないかと 自画自賛しております。
文面が早めに出来上がったので 宛名書きをしましたが この段階をあまり速めにしてしまうと 宛名書きが終わった段階で 喪中ハガキが届くことがありますので要注意です。私の年齢になると 本人が無くなることはさすがに殆どありませんが そのご両親などが亡くなられる方が多いので 毎年数人は年賀状を出すのを差し控えなければなりません。喪中ハガキと言うのは その年の遅くに亡くなられたのなら致し方がありませんが 早目にお亡くなりになられた場合は 早目に十一月中に届いてもいいと思いますので こちらの年賀状の準備との兼ね合いもありますから とにかく早めに届くようにお願いしたいです。喪中で年賀状を出せない相手には 年が明けてから 暇があれば 寒中見舞いを差し上げております。やはり年に一度ぐらいは キチンとした挨拶をしておきたいという気持ちです。期待していない時期にハガキが届くので 結構印象に残ると思いますし 喜んでいただけているのではないでしょうか。これもまた自画自賛の自己満足かもしれませんけれど。とにかく今年は 締め切りに追われないうちに年賀状を投函できましたので いつもよりも余裕のある年末のような気がします。

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