2月27日 1862年の本日 新撰組の前身「壬生浪士組」が結成されました

新撰組と言う組織は 京都に存在しましたが 地元の京都人には あまり評判がよくなかったのかもしれませんけれど 現在は特に 女性を中心に人気が高いみたいです。そもそも表記にも 諸説あるみたいで「せん」と言う漢字として「選」を用いるか「撰」を用いるかというものがあるみたいです。隊士自身の書いた手紙でも 両方が使用されていたみたいなので 正式な決まりごとは勿論あったはずですが 細かい事に拘らなかったのかもしれません。現在の所は「選」と表記される場合が多くなってきているのだそうです。
日本人には 桜の花が咲いたとたんに散るから その儚さに哀れを感じるからなのか 非常に人気があります。新撰組も 崩れ去る寸前の江戸幕府を懸命に支えた それも出身が浪士(農民や町民まで含む)であり 同様の目的で組織された見回り組(出身は旗本、御家人)のような正式に認められた組織ではなくて 会津藩の預かりというある意味危なっかしい立ち位置であったことが 余計に人気のある組織として認知されているのかもしれません。
まあ新選組と言う組織は そこそこ昔からそれなりに人気があったみたいで 映画やテレビドラマで 何度も描かれているようです。ただその幹部クラス 近藤や土方 芹沢などは いずれも中年の貫録のある役者さんが演じておられました。ですから私は 近藤 土方が無くなったのは 四十代半ばぐらいかと 思っておりました。所が 近藤も土方も 無くなった年齢が 時期も場所も全然異なりますが33歳の時です。池田屋事件で 大いに名前をあげましたが その時にはまだ二十代だったのです。池田屋事件については 明治維新の時期を遅らせた と言う説と逆に早めたという説があるようですが 尊王攘夷派の急先鋒を壊滅させられたわけですが 彼らの立てていた計画は 実現が相当に難しかったように考えられますので 私は客観的に見て明治維新の動きを加速して 結局のところは早めたのではないかと思っています。
NHKの大河ドラマで 近藤をSMAPの香取君 土方を山本君が演じましたが 何となくそれまでドラマで描かれていたものに比べて 若くて頼りなさげにみえてしまいました。それまでに描かれていたイメージとは かけ離れているみたいでしたが 年齢的には ご本人たちに近くて 逆の意味でリアリティがあったのかもしれません。脚本が 大好きな三谷幸喜さんでしたから あの年の大河ドラマは一回も欠かさずにみました。堺さんの演じた山南さんは 特にカッコよかったとおもいます。私の一番大好きな 長倉新八をグッサンが好演していたのも印象的でした。若くて強くて カッコいい沖田に 女性の人気が集まるのは 致し方のない事かもしれません。若くして胸を患ってしまい 早い時期に亡くなりましたから 一層女性のファンが多いのでしょうが 新撰組の辛い末路を見なくて済んだのは ある意味幸せだったのかもしれません。
会津藩と言う 京都からは位置的にも遠い藩が 貧乏くじを引いたようなもので 討幕派の恨みを一身に背負ったのには 新撰組の面倒をみていたこともあったのかもしれませんから 後の戊辰戦争における会津藩の悲劇を考えると どう頑張ったって幕府は倒されていたのでしょうから 新撰組と言う組織自体が 時代に逆行する仇花であったのかもしれません。只江戸時代の末期に 無邪気に大名になることを夢みていた 近藤さんの純粋さ と言うか本物の武士に対する強いあこがれの気持ちが 何となく可愛らしく感じられてしまいます。
私の様な 運動神経はないし 根性もない人間には 新選組と言う組織は もしその時代に生きていたとしても 縁もゆかりも無かったろうとは思いますが 手の届かない所になっている葡萄の実は 酸っぱいに違いない と言うやっかみと 諦めの気持ちで見つめる存在だったのかもしれません。たぶん 己には 君子危うきに近寄らず なのだと言い聞かせて 自分を慰めながら。

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