3月21日 本日は加藤和彦さんのお誕生日です

私にとっては昭和を代表するような音楽プロデューサーですが もう62歳で自殺されてから五年が過ぎていますから ご存知の方もそれほど多くないのかもしれません。私が加藤さんの存在を初めて知ったのは「フォーククルセダーズ」の「帰ってきた酔っ払い」です。すごくヒットしましたから この曲はご存知の方も多いと思います。ただそのコミカルな歌から 単なるコミックバンドだと思っていましたら、その大ヒット曲に続く第二弾として発売されようとした曲「イムジン河」が発売直前になって発売を取りやめられラジオなどで放送されることまで禁止されてしまいました。原曲は北朝鮮の曲にメンバーが日本語の歌詞をつけて発表しようとしたら、歌詞の内容についてや作曲者の表記について北朝鮮からクレームが付き 韓国からもなんやかんやとクレームがついたので 結局は政治的配慮という奴が働いて急遽発売が中止、どころか「イムジン河」という楽曲の放送まで禁止されてしまいました。そこで加藤和彦が代役として大急ぎで作ったのが「悲しくてやりきれない」という名曲です。

その後最初から一年間だけの活動予定でのデビューでしたので「フォーククルセダーズ」はあっさりと解散しました。その後「サディスティックミカバンド」を結成して一世を風靡しました。当時は去年亡くなられた大滝詠一ひきいる「はっぴーえんど」と日本のロック界を二分していたと思いますが 私は断然「サディスティックミカバンド」派でした。「黒船」というアルバムは大人になってから聴き直しても その出来栄えの素晴らしさは秀逸だと思いました。

私はあまり知りませんでしたが かなりたくさんの歌手それも結構アイドル歌手に曲を提供されていました。例えばアグネスチャン、伊藤つかさ、岩崎良美、石川秀美など、それに俳優、女優さんでは神田正輝、高岡早紀などで あまりヒットした有名な曲は少ないみたいですがその人数と作品の数はすごく多いように思います。

サディスティックミカバンドは後年になって 再結成されたりしましたが さすがにその時はあまり興味がわきませんでした。数年前にホテルで首を吊って自殺をしたことをニュースで知りましたが そういえば久しぶりにその名前を思い出したなあ ぐらいの気持ちでしたが今思い返してみると 懐かしさがと同時に寂しさが蘇ります。昨日LPレコードについて書きましたが 私が日本人のレコードで初めて購入したのが サディスティックミカバンドだったことを今思い出しました。

もうなくなって数年たつのに 今日は何の日カレンダーの本日生まれの人として紹介されるぐらいだから 加藤さんの音楽業界に残した業績は私が知らないだけですごく大きかったのだと思いますが それほど才能に恵まれてそれなりに経済的にも豊かだったろう方がなぜ自らの人生を終わらせてしまったのか皆目わかりませんが 奥様の安井和美さんを大切になさっていたみたいだったからおひとりで寂しかったのかもしれません。私ももし年を取って奥様に万が一先立たれてしまったら 何にもやる気が起こらなくなって生きていく意欲をなくしてしまうのは間違いありません。お誕生日に申し上げるのもなんなのですが 心よりご冥福をお祈りいたします。

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