4月25日 1719年の本日 「ロビンソンクルーソー」が出版されました

作家ダニエルデフォーは 17~18世紀に イギリスで活躍した作家さんだそうですが この作品は凄く有名であり その続編まで書かれたみたいですが それ以外の作品は あまり存じ上げておりません。私はこの物語や 「十五少年漂流記」(二年間の休暇)が大好きで 子供の頃繰り返し繰り返し読みました。その他に[宝島」や 「ドリトル先生」も話の始まりが 航海に出る場面からでしたから 私も将来は船乗りになって 大海原に旅立つことを夢見ていたころもありました。
事実高校を卒業して大学を受験するときに 一瞬 商船大学に進んで 航海士になろうかと考えたことがありました。勿論獣医師になることを夢見て 獣医学科を受験しましたが 失敗して その時はあっさりと夢を諦めてしまいました。その時にもう少ししつこくその夢を追いかけていたら 十年近くも人生を回り道することもなかったのかもしれません。とにかく 子供の頃には 何時か船に乗って旅をしていて 無人島に流れ着いて 自給自足の生活をすることを ずっと夢見ていたことは 間違いないし この物語がそのきっかけになったことも確実です。
高校生になってから一番影響を受けたのは 五木寛之の「青年は荒野を目指す」とか「青春の門」でしたが いずれも故郷から旅立って成長していく男性の姿が描かれていますから 私もいずれは親元を巣立って 放浪の旅に出る事に憧れておりました。少なくとも 大学生になったら親元を離れて生活すのることを目指しておりましたが 結局落ち着いたのが 自宅から通える大学でしたから 独り立ちする願望は叶いませんでした。
一人暮らしを初めて経験したのは 塩野義製薬に就職して 勤務地が金澤に決まった時でした。塩野義製薬は 福利厚生の充実した有難い会社でしたから 住む所から車まで至れり尽くせりの環境を用意してくれました。寮はありませんでしたが 独身者は 同じアパートに固まって住んでいましたから それ程孤独感を味わなくて済みました。只仕事は凄く厳しかったし 更には初めての北陸地方の生活は 雪に埋もれて かなりしんどかったです。まあこの厳しさのおかげで サラリーマン生活に見切りをつけて 獣医師の道を再度チャレンジする決意が出来ましたから 塩野義での厳しい一人暮らしも悪くはなかったように記憶しています。
話が大分ずれてきましたから 「ロビンソンクルーソー」に戻ります。この物語は 何度読み返したかわからない位に繰り返し読みました。子供の頃の私は 情けないぐらいの腰抜け野郎でしたから 夜にトイレに行くことさえ 怖くてしょうがありませんでした。トイレと言っても2DKの団地に住んでいましたから 寝ている所から ほんの数メートルしか離れていないのに 怖くて怖くてたまりませんでしたから 一人ではとても安心して寝つけなかっただろうと思います。
そんな腰抜け野郎が 無人島でたった一人で流れ着いても たくましく生きていくことなんて 不可能なことは子供なりに分っていましたが それでもいずれは私も無人島に流れ着いて一人で力強く生きてみたいという 強いあこがれがあったからこそ この物語を何度も繰り返し読みなおしたのだと思います。私の子供の頃の一番の愛読書としては「シートン動物記」がありますが この漂流記も劣らない位の私の愛読書でした。
現在も 最愛の奥様はいますが 事情があってすぐ近所ですが 別居生活をしておりますので 一人暮らしの身です。一人目の奥さんとは 勿論普通に新婚生活を始めましたが 開業したばかりで余裕がなかったために 二人の生活は長続きしませんでした。その後奥様と巡り合って 一緒に暮らし始めましたが やはり事情があって 別居の道を選択しました。仕事を引退したら 奥様と一緒に暮らすつもりですが 私は料理が趣味だし 掃除も洗濯も最低限の事は自分でできるので 独り暮らしの気楽さが 寂しさよりも勝ってしまっているのかもしれません。結局私は無人島で暮しているわけではありませんが ロビンソンクルーソーよりも 長い期間一人暮らしをしているみたいです。
まあ我儘放題の協調性に欠ける私ですから 長年一人暮らしをせざるをえなかったのかもしれません。人生の最後ぐらいは 奥様と二人で ゆったりとのんびりと暮して行けたら それだけで 幸せな人生だったと感じられるであろうと 思います。長年の一人暮らしにピリオドを打ちたいから 少しでも早く仕事を引退したがっているのかもしれません。ロビンソンクルーソーも 最後は無事救出されて ハッピーエンドに終わっていますから 私の人生も同様の終わり方が出来たら 有難いです。

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