6月1日 いつの間にか 5月が終わってしまいました

6月になれば 気温が上がり やがて梅雨もやってきますから 蒸し暑い季節の始まるのでしょう。まあ雨が降るべき時期には きちんと降ってくれないと 田植えがそろそろ始まるのでしょうが 日本人の主食であるお米を収穫する稲が十分に成長してくれないのだと思います。うんざりしますが しっかりと気温も上がってくれないと稲が順調に成長して お米を実らせてくれないのだと思います。ですから 六月には しっかりと梅雨の時期に雨が降って 気温も上がってくれないと 米の収量が例年に比べて 幾らか減少したことによって いつぞやの米騒動のような大事件が 起こってしまうのかもしれません。
もう何年前だったかさえ 覚えていませんが 私がこの病院を開業して間もない時期でしたから 三十年ぐらい前に怒った騒動でした。
この愚かな大騒動の原因は 私はすべて政府にあると思っております。政府が発表する その年のコメの出来具合で とんでもない誤解を招くような表現を使ったことによるのだと思います。結果的に 米騒動が起こった年のコメの出来高は 気候 気温などの影響によって 例年の八十パーセントぐらいでした。日本人の主食であるコメの出来具合ですから 政府が慎重に判断して 国民を安心させるために発表するべきなのに 確か大凶作と言った 極端な表現で 発表してしまったので 愚かな日本国民たちが とにかく自分さえ困らなければ 他人の事など知った事じゃないと 普段はしない 米の買いだめに走ったために 瞬時にして 店頭で販売されるコメが 消滅してしまいました。
私は 現在でも 普段五キログラム入りの米をスーパーで必要に応じて 購入しています。当時私は 一人目の奥さんと二人暮らしでしたから 五キロのコメを消費するのに どれくらいの日数がかかるのか 見当がつきませんが普段一回に三合ずつ炊飯器で炊いていましたので 残り僅かになったら スーパーでやはり五キロ入りの米を購入していたはずです。所が 大多数の国民が 米が販売されるのを見たら 銘柄や 収穫した時期に関わらず どんなに高い価格設定になっていたとしても 無条件で購入したために 何処を探しても 米が販売されない状態が 始まり 結構な期間継続しました。
「大凶作」などと聞き慣れないけれど 恐ろし気な響きの言葉で その年の収穫量を表現してしまったがために その年は 日本で殆ど米が収穫されないと勘違いして 愚かなこと極まりない日本国民が 一斉に買い溜めをしたために 例年ならコンスタントに販売されるはずの米が 姿を消してしまったのです。でも例年の八割の米が収穫されたのです。簡単に考えたら週に一回米を食べない日を皆が心掛ければ 現実的には米不足など全く起こらないのです。当時も外米の輸入が幾らか行われていましたし 古米や古古米などが 備蓄されていたわけですから それらを上手く活用すれば たとえその年の米の収穫量が八割に落ち込んだとしても 現実的には 米が不足する 店頭で販売される米が全く見当たらない等という現象は 起こるはずがないのです。
週に一回だけ 一切米を口にしない日にするのは 簡単な事です。朝食は 取り敢えず食パンを食べれば事足りるでしょう。昼は 麺類にすれば うどんでも蕎麦でも ちょっとおしゃれにパスタでも 誰からも不満の声は上がらないでしょう。大阪人なら 夜はお好み焼きの晩御飯でも 全然平気なはずです。そんな風に 全国民が 週に一回だけ 米を食しない日を 心がければ 例年通りに 米は普通の価格で 普通にスーパーや米屋さんで販売されていたはずなのです。なのに 自分さえよければいいと考えてしまった大多数の日本人が 普段は絶対にやらない米の買いだめに一斉に走ったために 米不足が起こってしまったのです。少しでも譲り合う気持ちがあれば こんな不可思議なコメ不足による 米騒動など起こりませんでした。
私は 当時の奥様に 米が無くなる寸前になるまで 決して米を購入しようとしないように 指示しました。現実には米が我が家からなくなった時に 炊飯器で米が長けない状態になりました。でも私は パン食が結構好きだったので 朝はトースト 昼はサンドイッチなどの米をパンに置き換えた食事で 何の不満も感じませんでした。夜はうどんや蕎麦の乾麺を茹でたり インスタントラーメンに 野菜やチャーシューなどをタップリとトッピングした麺類を食べていましたので 別に不自由は感じておりませんでした。私と奥様の両親から 米はあるのか と問い合わせが入り 現在全然米がない状態だと返事をしたら 両家から 慌てて十キロ入りの米袋が 送られてきました。
両方の両親が やはり愚かにも米の買いだめに走っていたみたいで 心配して米を送ってくれました。その為に 我が家としては 普段の四倍もの米が溢れかえる状態になりましたので 米を消費すべく 普段通りに米を焚いていただく生活に戻りました。送ってこられた米が無くなる頃には 秋になっていましたから 翌年に収穫された米が 普通に販売されていましたから 結局米不足で辛い思いを全くしないままに 米騒動は終わってしまいました。現在の日本では 例え主食のコメを一粒も食べなくても パンや麺類 大阪人なら粉物文化 お好み焼きやたこ焼きなどで 殆ど不満を感じることなく生活できるのです。あんな愚かな米騒動に自分たちの両親も加担していたみたいですが 一寸だけ賢くなって 平然と米が全く販売されない事態になっても 平然と乗り切れるのだと 日本国民に学習していただきたいと 思います。 

ブログ一覧