7月29日 あまりにひどい物忘れ

 私は自分が年を取っていることを自覚しているつもりですけど あまりにひどい物忘れに今朝も悲しくなってしまいました。よく奥様と口論になるのが以前にその話をしたのかしないのかです。勿論 私としては 奥様に嘘を言っているつもりはもうとうないのだけれど残念ながら過去の事実に対する認識が食い違うことが 頻繁にあります。その様な事を曖昧なままにしておくのは嫌なので 過去の事実を少しずつ順を追って確認しながら検証していくと 非常に不本意ながら99.9%奥様の主張されることが正しいのが分かってきます。私は、自分をそれほど優秀な人間だとは思っていませんが 少なくとも中学生、高校生の頃の記憶力は同年代の平均よりは上まっていたと思います。所が、現在の記憶力の低下のひどさは泣きたくなるぐらいです。

 奥様と二人で枚方市内を車で走っていると、以前焼き肉屋さんだったお店がラーメン屋さんに変わっていた事に気付いて、そのことを口にするとラーメン屋さんに変わったのは2年前で二人で一度ラーメンを食べに行ったことがあると告げられました。このようなことは珍しくもないのでそれほどショックを受けるわけではありませんが、一人になった時に悔しさで涙を一粒流します。手術に使う導入麻酔薬が麻薬として指定されているので麻薬を扱う免許を二年に一回更新手続きをしています。もう何回も更新していますが、二年ぶりにする更新作業では 前回と同じ用紙に同じ内容を記入して提出するだけなのですが 前回の記憶がまるで無いので 毎回初めてする作業のように不安を覚えます。

 今朝、記憶力の低下を自覚させられたのが 病院内のエアコンについてです。昨年から不調になり 全く動かないわけではないけれど冷房の能力がかなり低下しているのですぐに買い換えを検討したけれど 修理できる可能性もあるので 取り敢えず様子をみることにして 他のエアコンと扇風機をうまく活用することになった事実を 私がすっかり忘れてしまっていたのです。奥様には「いつもいつもそんなに過去の事をきれいに忘れてしまえたら、物事がいつも新鮮に見えて幸せでしょうね」とよく言われてしまいます。 

 私は岐阜大学の獣医科を卒業したので6年間岐阜市内で暮らしていました。親の援助の無い貧乏学生でしたから通学やバイトの為の移動はもっぱら自転車でかなりの距離を移動していました。奥様とお付き合いを始めてから岐阜大学を案内したり、いきつけのお寿司屋さんがあったので何度か岐阜市内へ車でお連れしました。私はもともとかなりの方向音痴であり、記憶力がどんどん低下しています。それに対して奥様は異常なくらい一度通った道に対する完璧な記憶力と非常に優れた方向感覚をお持ちなので ほんの数回岐阜市内をうろついただけで私よりも岐阜市内の道路事情に詳しくなられました。今では岐阜に遊びに行くたびに奥様の道案内でドライブしております。

 一般的に仕事を頑張っているうちはそれほどではないが 仕事を引退すると緊張感が低下して一気にボケが始まるそうです。私はあと数年は現役で頑張るつもりですが あと数年のうちにどれだけ記憶が曖昧になり 体が思い通りに動かなくなるのか凄く心配な今日この頃です。

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