9月19日 私にとっては とっても悲しい言葉の変遷

私は二つ目の大学 岐阜大学に通っている間 授業料から生活費から全てアルバイトで稼いでおりました。主な収入源が 中学生相手の大きな学習塾で 国語の先生をしておりました。中学生相手ですから英語や数学の方が 準備が簡単だし 生徒も意欲を持って取り組む科目ですから やりがいがあるのかもしれませんが ある意味ちゃんとした大学の理系の大学生なら誰でも務まる科目だと思います。理科や社会は 勿論ある程度の基礎知識はあるつもりですが 歴史の細かい年号や 公民の興味のない分野だと質問されても即答できないかもしれません。理科でも 地学の分野 石の種類や 天文分野の問題は全く興味がないので ウッカリ質問を受けてしまって 必ず正解できる自信がありませんでした。
その点国語は 割と文法などには子供の頃から興味がありましたから もう一度中学生レベルの日本語文法を徹底的におさらいしておきましたので 心配なのは 漢字の問題で確実に正解できる自信はありませんでした。そこで国語辞典を一冊だけ教室に持参していきました。自信のない漢字を質問された時には 勿論分ってはいるけれども 万が一はねや押さえ等細かい点で間違いがあるといけないので 念のために辞書で確認する ともっともらしく言えば 事なきを得ました。念のために 即答できるような簡単な漢字でも いちいち辞書で確認するという 面倒な伏線を張り巡らしておきましたから 自信が無くて辞書を引いている時でも 疑われることはあまりなかったように思っています。 
よく国語は何を教えればよいのかわからない と言われますが 私が主として教えたのは 基本的な文法の知識を徹底させたこと そして長い文章の主語と述語を見付ける事でした。中学生のレベルの基礎文法なんてきちんと整理して教え込めば 簡単に覚えきれるものです。そしてかなり長い文章でも その文章の作者が表現したかったことを理解するのには 主語と述語さえ見つければ簡単に読みとることができることを教え込みました。勿論理解できた生徒はそんなに沢山いませんでしたが 分ってくれた子たちは 国語の科目が と言うか文章を読むことが 好きになったと言ってくれました。私の真意を理解してくれた子は 相当に優秀な生徒でしたが 数学の問題も文章題なら 問題の作者が何を問うているのか どんな数学的知識を試そうとしているのか 理解できるようになったので 簡単に正解が導き出せるようになったと言ってくれました。
そんなわけで 私は日本語の基本的な文法については 普通の方よりも少しだけ思い入れが強いのだと思います。本日テレビで見たニュースによると 「食べられる」と言う言葉を「食べれる」と表現する人の割合が半数以上を占めるようになったのだそうです。言葉というものは 非常に流動的な存在であり 常に新しい形に変化していくものであることは 何となくわかっているつもりです。「食べられる」と言う言葉は 食べると言う動詞と られる と言う可能の意味を表す助動詞から構成されている言葉です。同じ形で同じように変化する助動詞に 受け身を表す場合や 尊敬を表す場合もあります。ですから字面だけを見たら 「食べられる」と言う言葉で 食べることができる と言う意味をあらわしているのか 食べられてしまうという意味で使われているのか曖昧になってしまうから 「食べれる」と言う表現の方がいいのではないか 等とその時解説していた言語学者を名乗る三流大学の教授は偉そうに言っていたが 私はその主張は全く間違っているように思います。その助動詞がどの様な意味合いで使われているのかは 前後の文脈から推定できるからです。
現在の若者が きちんとした日本語の基礎的な文法を身に着けずにいるから そのような誤った日本語がまかり通るようになってしまったのだと思います。結局はキチンと日本語の文法を教えてこなかった小学校 中学校 高校の国語の教師に責任があるのだと思います。先程の大学教授が 「食べれる」と言う表現に対して肯定的な発言をしたのは ある意味若者に媚を売っているように感じましたし 国語の教師を敵に回さないための発言の様にしか思えません。
まあこんなことにこだわっているのが 昔気質のジジイである証拠かもしれません。でも私は 最近よく言われている ゆとり世代は学力的に劣っている と言う残念な事実から 目を背けないで生きていきたいのです。勿論 ゆとり世代にも 賢くて頭の回転の速い人は沢山いますが 大半は己の置かれた立場に対する危機感とおバカであることへの自覚が欠けていることが心配なのです。もう結構前から芸能界 特にバラエティの分野で おバカタレントがもてはやされています。
確かに常識外れた受け答えは笑えますし あんなおバカよりは自分の方が少しはましである とささやかな優越感にも浸れます。しかし同じ日本人として そんな一般常識を持ち合わせていない人間が 一人前扱いされて 表面的にはもてはやされているために 勘違いして偉そうな口をきいているのに 危機感や嫌悪感を感じる私はおかしいのでしょうか。若い人は 当然生きてきた期間が短いのですから 経験に乏しくて 過去の事実を知らないのは 当然かもしれません。しかし本当に賢い人間は 過去の出来事をちゃんと勉強して 知識として身に着けているし 古いことを知らないのが 新しいと言う事だ等と勘違いして生きているのは はっきり言って見苦しいです。
話が大分横道にそれてしまいましたが 要するにきちんとした文法を身に着けていないために 日本語として誤った使い方をされている言葉が その使用頻度が上がったからと言って 正しい使い方とみなされていくことは やっぱり私は間違っているように思えて 悲しくなってしまいますが 如何なもんでしょうか。

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