Dr.喜作のブログ

  • 3月11日 一つ目の大学のサークルの同窓会がありましたので 参加してまいりました

    私が一つ目に卒業した大学が 京都の立命館大学と申します。理工学部化学科を卒業しましたが もっぱらサークル活動にばかり 勤しんでいたように思います。そのサークル活動が 混声合唱団でした。ピアノを十数年習っていたこともありましたので 歌にもある程度自信がありましたから 特に勧誘されたわけでもありませんでしたが 自主的に参加しておりました。そこから卒業するまで どっぶりとはまったのが 「メディックス」(ムラサキウマゴヤシ)という名称の合唱団でした。この名称は ヨーロッパが原産だったと思いますが 一つの花としては小さくて目立たないけれど 花束としてまとめられると 可憐でとても魅力的な花の名称なのだそうです。
    私たちの二つ上の学年が 非常にまとまりがあり 魅力的な先輩たちの学年でした。その方々が 同期会的な集まりを開かれたのですが その学年に一人 特異的な音楽家が存在しています。確か立命館大学文学部の日本文学科を卒業されたのですが 卒業後何と音楽活動をされるために ドイツに旅立たれたのです。いわばずぶの素人が 音楽家として通用するものなのかと心配しておりましたが 音楽家として頑張るんだという その信念が岩をも貫いたみたいで ヨーロッパで主にパイプオルガン奏者として 認められて 名のあるオーケストラと共演するような音楽家として 現在も現役で活動されているのです。
    ドイツで音楽家として 立派に活躍されているだけではなくて その先輩は 何と橋本環奈ちゃんの 叔母さんにあたられるのです。数年前「アナザースカイ」という番組で その事実が取り上げられて放送されていました。立場上叔母さんにあたるのだけれども 環奈ちゃんからオバサンという呼び方をされるのに抵抗があったみたいで ドイツ語で叔母にあたることばである「タント」と呼ばせていたのだそうです。三十分番組の 前半は環奈ちゃんの紹介ばかりでしたが 後半はその先輩のドイツでの活躍が紹介されて 殆ど出ずっぱりでしたから 単なる一後輩に過ぎない私ではありますが 誇らしく思ったりしておりました。
    その先輩が コロナの事もあって 久しぶりに帰国されたので その同期の学年を越えて集まろうという企画が持ち上がって 日曜日の夕方からの泊りがけでの

    宴会が企画されましたので 申し訳ないけれど 半日病院をお休みして 参加してまいりました。最近は このブログでほとんど触れなくなりましたが 数年前までは熱狂的な乃木坂46の大ファンでありまして アイドル好きですので 環奈ちゃんの裏話が聞きたくて 参加したようなものでした。二十人近くが集まりましたので なかなかその先輩と話す機会はありませんでしたが 環奈ちゃんの子供の頃のエピソードなど聞けて嬉しかったです。それからドイツでの生活の方が長い先輩なので 夢を見るときなどはドイツ語で考えるのか日本語で考えるのか たずねましたらケースバイケースなのだとお答えいただきました。
    コロナのことがあり 先輩方とお会いするのは 凄く久しぶりでしたので 充実した楽しい時間を過ごせました。私も還暦を通り越して 大分経ちますので 懐かしい方々と再会できる機会があれば なるべく大事にしていきたいと考えております。

  • 3月7日 久しぶりに ウーパールーパーが来院されました

    ウーパールーパーという両生類は 三十年以上も前に たまたまテレビのコマーシャルに登場して 有名になり 当時は結構 人気を博したように覚えています。ただ現在は ほとんど忘れ去られたように思っていました。ペットショップさんは かなり流行り廃れに敏感なように思います。コンビニと同じで 限られたスペースに出来るだけたくさんの 商品であるペットを陳列して販売したいので 人気のなくなった種類は 直ぐに在庫を置かなくなるように思っておりました。大人しくて可愛らしいウーパールーパーは それなりに 人気を継続していたのかもしれませんが 飼い主さんにお尋ねしたら 久し振りに見て 懐かしくて 購入して面倒をみているという話でした。
    ここ数日 食欲が落ちているという事で来院されました。正直申し上げて 両生類 それも凄く久しぶりに診察するウーパールーパーですから 細かく検査したりできませんので 勿論原因がわかれば 根治療法 即ち原因に即した治療を行いたいのですが 現実的には 対症療法つまり症状に応じて お薬を投与して 様子を見る事しか出来ません。なので 食欲中枢を刺激して 食欲を呼び起こすためのお薬を投与してみて 様子を見る治療しか出来ません。飼い主さんにその辺りの事情を 正直にお話しして 納得していただいて 治療をさせて頂きました。数十グラムとかなり小さな体格でしたし 栄養状態も元々でしょうが かなり悪いみたいでしたので 注射による薬物の投与は 心配でしたので 内服薬の投与で様子を見ていくことにしました。何とか上手くお薬が効果を発揮してくれて 食欲 そして元気を回復していってくれることを期待するしかございません。飼主さんが 凄く大事にされているみたいでしたので 元気になってくれることを 心よりお祈りいたします。

  • 3月6日 父親の遺産相続に関する税務申告が 何とか無事に終えられたようです。

    三年前の暮れに 父が94歳で亡くなりました。私は生前 父と凄く仲が悪くて 顔を合わせれば喧嘩ばかりしておりました。なので一時的には絶縁状態になっていたこともありましたが 亡くなる一年ぐらい前に 遺言状を預かった銀行が仲介に入ってくれて また実家に出かけるようになりました。私は 非常に頑固な業突く張りの爺であることを 自覚しておりますが そんな人に嫌われる要素は 父からそっくりそのまま受け継いだように思います。なので 顔を合わせると反発し合ったのだと思っております。まあ長男ですから 父の最期を迎える前の一年ぐらいは 出来る範囲ではありますが せっせと面倒をみていたように思います。
    その父が残してくれた実家を売却した時に受け取った金銭に対して キチンと税務申告をしないと 数百万円にも及ぶ税金がかかってくると 突然税務署から 通知が届きました。
    こちらとしては 父が亡くなったのが三年前で その遺産を受け取ったのが 何時だったのかさえよく覚えていない時期になって 突然そんな知らせを受けたので 凄く焦ってしまいました。税務署から申告するのに必要な書類を教えてもらいましたが 書類のキチンとした管理など 私の一番苦手な分野の事なので 途方に暮れてしまいましたが そちら方面に妹夫婦が私よりは通じていましたし 妹夫婦は 私よりも一足先に引退生活に入っておりましたので 時間的な余裕がありましたので 申し訳ありませんが妹のご主人に大活躍していただいて 何とかかんとか必要な書類をかき集める事が出来ました。
    そしてインターネットで 空き家対策のための特別な相続税の免除という項目を調べて 税務署にそろえた書類を持って 訪れました。車で行ったのですが 勿論税務署に注射できるわけがありませんし 近所の道路は係員が目を光らせていて 路上駐車出来るわけもございません。そこで私はここ数年 税務署のお隣の 簡易裁判所に こっそりと車を停めております。ちしゅつするだけの ほんの五分十分ですから 問題ないだろうと思って 平気で駐車しております。
    私は車を停めてから そそくさと税務署の書類を提出する部屋へ直行しました。所得税の申告は 毎年ここに提出に来ておりますが 相続税の特別控除のための書類の提出ですので ひょっとして書類に不備があったり 不足しているものがないのかと 不安な気持ちでしたが 受け付けて頂いたお姉さんに 相続税の申告は初めてですので これだけで大丈夫でしょうか と訊ねながら提出する書類を差し出しました。その方が一つ一つ書類を確認してくださって 過不足なく書類がそろっているし 必要な項目に記入されていることを 認めてもらえたので ホッとして提出を終えました。
    ただあんまりホッとしすぎて 提出する書類を入れた封筒を 荷物置きのテーブルに忘れてしまいました。私は帰りの車で そこそこ走った時にその事に気づきました。書類の余分な部分や 提出する書類のチェック表などは 別になくしてもかまいませんが 万が一記入間違えなどがある場合に訂正印が必要かもしれない炉 印鑑を一緒に入れておりました。その印鑑は 銀行印などとしても使用している大事な印鑑でしたので 慌てて引き返して 取りに向かいました。提出したカウンターに駆け付けると 書類を受け取ってくださったお姉さんが 私の顔を見てニコッと笑って 「封筒を忘れましたよね」と言って 差し出してくださいました。深々と頭を下げて 受け取り 本当の帰路につきました。
    申告が無事にすんだのかどうかは まだ分かりませんが 必要な書類 それも入手するのにかなり手こずった書類を 揃えて キチンと記入するべき欄を記入しましたから 恐らく無事に申告出来て 税金の減免を受けられるだろうと思います。上手くいかなかったり 申告に間に合わなかったりしたら 恐らく三百万円以上の税金を求められていたはずですので 取り敢えずは無事に申告が出来ましたので ホッとしました。妹のご主人には 一方ならぬお世話になりましたので 何かお礼をしなければならないと考えております。
    最初は 旅行に頻繁に出かけているような話だったので 旅行のクーポン券を購入して 渡そうかと思いましたが 旅行会社に電話して確かめてみると 今の旅行クーポン券は 使える宿泊施設が限られているうえに 交通機関で使用するのにもいろいろ制限があったりするので かなり使い勝手が悪いと教わりましたので やめておきました。次に百貨店の商品券ならどうかと思いましたが 正直な所 私はここ数年百貨店で買い物などしたことがありません。近所のスーパーなどでも使える金券なら 便利かもしれませんが 百貨店の商品券も 思ったより使い勝手が良くなさそうなので やめにしました。
    金券ショップに直接電話をかけて 使いやすい金券がないかと訊ねようと思いましたが ネットで調べてみたら 私が求めているような商品を扱っている 金券ショップが見つかりませんでした。質屋さんなどの 人気商品の買取専門のお店の情報ばかりで 私が求めるような便利で使い勝手の良い金券を扱ているお店が 上手く見つけられませんでした。そんなわけで 結局謝礼は 現金を渡すのが 一番確実で受け取った方が使い勝手がいいだろうという結論に達しました。まあ本音としては 何かの金券を商品として購入したほうが その金額の領収書が手に入るので 来年の申告の時に 上手く紛れ込ませて 接待交際費当たりの経費として 計上しようという せこい考えがあったのですが 諦めました。
    善は急げで 封筒にそこそこの金額を入れて 簡単な感謝の言葉を並べた手紙を添えて 近所の妹の所へ持参して 手渡し勿論その場でも感謝の言葉を添えました。私は父とは決定的に仲が悪かったのですが 恥ずかしながら 妹ともそれほど仲が良い関係ではありません。今回の事も 私の所には税務署から通知が届かなかったので 電話がかかってきて 事の顛末を知ったわけで どうしても対応が立ち遅れてしまいました。プライベートでも いろいろと問題が生じておりましたので 猶更対応が上手くできなかったので 全面的に妹夫婦に助けてもらって 辛うじて申告が出来ました。この事を切っ掛けに 少しでも妹夫婦と仲良くなっていけるように 今後努力していこうと思っております。

  • 3月4日 WBC本番が 近づいてまいりました

    私は現在熱心に応援しているプロ野球チームはございませんが 五十年以上 熱狂的に中日ドラゴンズを応援して参りましたので 野球の一大イベントであるWBCに興味がないわけはございません。この大会 一回目と二回目は 日本が連覇しましたが 各国が本腰を入れだしたその後は ベストフォーが精一杯だけれども フィジカル面で 劣る日本人としては 致し方のない事かなあと 思っております。前回 大本命であるアメリカが かなり本気になって選手を動員したので ようやく優勝しましたが 今回はもっと本気でベストメンバーに近い選手たちが動員されているみたいですから 日本の優勝は 客観的に言って難しいように思います。勿論まかり間違って 優勝で来たら 喜びの舞を舞うだろうと思いますが まあ現実的に選手の顔触れや 年俸 実力を比較検討したら しんどそうに思います。
    日本も ようやくメジャーリーガーが集まってくれましたから これまでの戦力と比較したら 最強と言えるのかもしれませんが アメリカ ドミニカ共和国 ベネズエラ 辺りの方が 総合戦力では上回っているように思えます。まあ本気のアメリカや中南米の国々に 力負けするのは致し方のないことかもしれませんが アジアの宿敵韓国にだけは 絶対に負けて欲しくありません。予選リーグで対戦した時に 完膚なきまでに叩きのめしてほしいと願っております。
    まあ野球の試合は 実力が上のチームが勝つとは限りません。まあスポーツ全般に言える事かもしれませんが ラグビーなどのスポーツの方が 実力差が正直に結果に反映されいわゆる番狂わせが少ないように思いますが 野球の場合 たまたま先発した投手が絶好調だったり、出合頭の一発で決着がつくことがありますから 優勝のチャンスが皆無だとは思いませんので 頑張って欲しいように思います。ただメジャーリーガーが集まってくれたので 日本としては史上最強のチームになっていることは間違いないように思いますが 冷静になって他国との戦力を比較したら かなり厳しい状況になっていることを 注目を集めたい日本のマスコミは あえて触れていないのだと思いますが 思わしくない結果になったとしても 凡退したバッターや 打ちのめされたピッチャーを非難するような愚かな事だけは 絶対にしてほしくありません。日の丸のついたユニホームにそでを通した選手は 私たちが想像するよりもずっと大きなプレッシャーの中でプレイするのですから 普段は絶対にしないようなミスをしでかしたとしても 決して責められるべきではないように思います。
    取り敢えずは 予選リーグをトップ通過出来る事だけを祈りながら テレビの前で応援しようと思います。頑張れ ニッポン。

  • 3月3日 今日は桃の節句なのだそうです

    イメージとしては 女の子の健やかな成長を祈る雛祭りが思い浮かびます。私には 二つ年下の妹がおりましたので 子供の頃に ごく小さな雛人形 所謂団地サイズで箪笥の上に置けるような ミニサイズの雛人形が飾ってあったのを覚えております。うちの母親は あんまり雛祭りだからと言って それにちなんだ料理を作ってくれたりしませんでしたので 自分の家では 雛祭りを祝った記憶は 殆どございません。但し 近所に住んでいる同級生の女の子がいて その子のお母さんととうちの母親が仲良しだったみたいで その子のうちで雛祭りをやるので 有難くもありませんが ご招待いただいたみたいで 行かされたのを覚えています。
    たまたま住んでいる所が近所だっただけで 母親同士が親しくお付き合いをしていたらしいのですが 私としては単なる同級生としか認識していない女の子のお宅へ 普段話したこともないのに 訪問させられて かなり辛かったのを覚えております。その子のうちも うちと同じ団地でしたから 2DKの間取りのはずなのに 凄く大きくて立派な雛人形がデーンと飾ってあったのに まずは驚きました。更には 同じクラスの女の子が三人ほど 既に到着していて 賑やかに盛り上がっていた部屋に入って行った時のショックは大きかったです。
    大人になってからなら そんな女性陣に囲まれて 嬉しくなったのかもしれませんが 同じクラスに一日一緒にいても 殆ど口をきくこともない女子が四人も陣取っている部屋に座らされたのですから 一体どういう態度に出ればいいのか サッパリ分かりません。よく覚えていませんが 「お邪魔します」の一言しか 喋っていなかったように思います。私は今では大変お喋りな人間ですが 子供の頃には かなり内気で無口な男の子でしたから それこそ借りて着た子猫の様に しょんぼりとうなだれて ひたすら黙って その地獄ような数時間を過ごしたように覚えております。今なら女性に囲まれて 美味しいものを飲み食いする場ですから 天国の様に受け止められるのだと思いますが 女の子と話すことに全く免疫のなかった子供の頃でしたから 辛くて苦しい数時間でした。親の手前がありますから 流石に直ぐに帰るわけにはいかないと 最低限の対応は心掛けたように覚えております。
    そんな訳で 雛祭りには あまり良い思いではございませんが かといって五月五日 端午の節句にも さほど良い思い出があるわけではありません。ただゴールデンウィークなので 休みが続いて嬉しいな あとは柏餅は甘くて美味しいな 位の事しか覚えておりません。うちにはなぜか 誰かからお祝いで頂いたのでしょうが 結構立派な兜の飾り物がありましたので それを毎年飾ってあったのを覚えているぐらいです。桃の節句なのですから 今は桃の花が見ごろなのでしょうか。ニュースで梅の花が見ごろだというのは 聞いたことがありますが 桃の花も似たような時期に咲くのだそうですが 正直な所 桃の花が咲いているのを見た覚えがございません。
    まあ世間的にも あんまり騒がれていないようだし スーパーのお総菜売り場に ちらし寿司が並んでいたのに気付いたぐらいです。私が年をとったために 鈍感になっていることもあるのでしょうが 日本全体があんまり伝統行事に無関心になってきているようで 少し残念に思います。何も昔を惜しんで尊ぶことだけが 良いことだとは言えないように思いますが 日本の昔から伝わってきている文化を もっと大切にする気持ちも大切なのではないかと 思います。

  • 3月2日 コオロギ食について思う事

    将来的に 食糧難の時代が来ることは 残念ながら間違いのないことのように思います。爆発的に人口が増加しているのですから 避けようのないことのように思われます。しかし同時に現在日本は勿論 中国やアメリカでも フードロスの問題が深刻化しているみたいです。将来確実に不足するであろう食料を 現在大量に無駄にしている という事実に人間の愚かさを改めて痛感してしまいます。スーパーで商品が並んでいると わざわざ奥の方の 賞味期限が長い商品を選んで購入している人を未だにちょくちょく見かけます。どうして手前に置いてある 賞味期限が短い商品から購入しないのでしょうか。この辺りにも 日本人の自分さえ得をすれば この世界がどうなったってかまわない という残念な気質がうかがえるようで 悲しいです。
    さて本日の本題は いずれ訪れるであろう 昆虫食 その代表格になるであろう コオロギ食について思う事です。私は獣医師になるぐらいですから 子供の頃から 動物や昆虫が大好きで 団地のベランダの下に潜って 石をひっくり返しては コオロギを捕まえて 水槽でキュウリなどの餌をやりながら 飼っていました。コロコロという鳴き声が可愛らしかったので 喜んで面倒をみておりました。コオロギ食は 現在でも東南アジアでは行われている国々もあるみたいです。日本でもイナゴの佃煮や ハチの子を 貴重なたんぱく源として 現在でも食しておられる方々が いらっしゃるみたいです。イナゴの佃煮は かなり昔に 一度だけ食してみましたが イナゴの姿のまま 口に放り込むのには かなり勇気と時間を要しましたが 正直味は 良かった 言え美味しかったように覚えております。
    コオロギなんて イナゴの親戚みたいなものですから 多分偏見をなくして 食べてみれば 結構美味しく頂けるのかもしれませんが 色が黒いので どうしてもゴキブリに近いイメージが湧いてしまうので 余程の勇気が 必要かと思います。三大栄養素の炭水化物 タンパク質 脂肪のうち タンパク質を摂取するのに どうしてもコオロギなどの昆虫を食べなければならない時代は いずれ必ず来るのだと思いますが せめて粉末にしたりして その姿かたちを 思い浮かべずに食べられるような調理法を期待しますし そんな時代が来るまで あんまり長生きしたくもないように思ってしまいます。

  • 3月1日 先月の 缶瓶のゴミの日を 出し忘れていたので 本日 朝一でゴミ置き場に持っていきました

    私は 自慢ではありませんが 相当にウッカリした人間ですので 月に二回しかない 缶瓶のゴミの日を ちょくちょく忘れてしまいます。最近 なめ茸の大びんを買って 豆腐の上に乗っけて食べるのが 秘かな私のブームなので 結構大きめの瓶が コンスタントにゴミとなって溜っているのです。重たいし 割れたら危ないので 早めにゴミ出ししたいのですが 二週間に一度 それも水曜日なので ウッカリしがちなのです。取り得ず病院を開ける日は 医局にかけてある 予定を書き込んだカレンダーを確認するのですが お休みの水曜日は 二階でゴロゴロしてしまうと 予定表に書き込みされた 缶瓶ゴミの日を 思い出せずに午前中を過ごしてしまう事が 多いのです。
    昨夜 二階に溜まった缶瓶のゴミを トイレの前に置いておきました。トイレには 必ず毎朝出入りしますから その時に 思い出して そのまま前回出し忘れて 病院の片隅で 邪魔者扱いされていた瓶の入った袋とともに さっさとゴミ出しの場所まで 持っていきました。何だか 溜まっていてなかなか出せなくて腹立たしかった ウンチがようやく排便出来たように スッキリとしたいい気分になりました。私は だらしのない 人間なので なかなかゴミ出しすらきちんとできない情けない駄目男です。誰にも助けてもらえないので 結局は自分が 責任をもって やり遂げねばなりませんが これからも上手いこと行かない 辛くて悲しい人生が待っていそうで 残念です。

  • 2月20日 SDGsというものがよく理解できません

    最近 よくこの言葉を耳にしますし 当たり前のように喋っておられる方を 特にテレビなどでよく見かけます。私は 社会常識が欠落している人間だからかもしれませんが この言葉の意味を想像もできなかったので 、ネットで検索してみたので その説明文のコピーを ここに掲載してみます。

    SDGsとは「持続可能な開発目標」。簡単に言うと「世界中にある環境問題・差別・貧困・人権問題といった課題を、世界のみんなで2030年までに解決していこう」という計画・目標のことです。
    ※「持続可能な」という部分は、「人間の活動が自然環境に悪影響を与えず、その活動を維持できることを意味しています。(改善する動きを)長期間に渡って、実施し続けられる」という意味。

    この文章は簡単な言葉を使って 分かり易く説明されているのだそうですが 何度繰り返し読んでも サッパリ意味が理解できません。差別や貧困、人権問題なんて 人類の歴史が始まった時から 全ての人々がではないにしても 何とか解決しようと取り組んできたのに 一向に解決できていない非常に難解な問題だと思います。そんな普遍的な大問題が これまでにも解決に向けて頑張ってこられた人が少なからずいらっしゃったのにもかかわらず 殆ど解決できていないように思いますが どうしてあと数年で解決しよう 何ていう夢物語を声高に大騒ぎしている人が 結構いらっしゃるのか理解不能です。この説明文には続きがあって 子供たちに分かり易く説明をしているのだそうですので その文章もここにそのままコピーします。

    子供向けにもわかりやすく要約すると、このような方針・目標があります。「貧乏で困ってる人を無くす」:発展途上国への支援等が該当します。
    「差別のない社会を作る」:年齢や性別、障害、人種、民族、出自、宗教、経済的地位等で差別をしない社会を実現していく。「環境を大切にする」:地球環境・自然環境に配慮しながら、国や企業が活動できるようにしていく。

    貧乏で困っている人に援助の手を差し伸べる事は 立派な事だと思いますが 一応先進国の端くれであるはずの日本にも 貧困で苦しんでおられる人は少なからずいるはずです。まずは身近な困っている人に援助をした方が 遥か彼方におられて 見たこともあったこともない貧困でお困りの方々を援助するよりも ずっとその成果が分かり易いし 手っ取り早くて 確実だと思いますが 如何でしょうか。発展途上国にも 裕福な人は少なからずいるはずですから 曖昧な目標を立てたって 実行できるはずがないし 効果があったのかどうかの判断はどのようにするつもりなのでしょうか。性別や障害、人種などにおける差別なんて 本当に長い時間をかけて 失くそうと人類は努力してきたはずなのに どうしてそんな遠大なる問題を ほんの数年で解決してしまいましょう 何てお気楽な目標を立てて 声高に主張されるのか さっぱり理解できません。
    私は 人類が取り組むべき大問題に対する意識が低すぎるから SDGsなるものをさっぱり理解できないのでしょうか。「人間の活動が自然環境に悪影響を与えず」という言葉が説明の文章にありますが 現代社会の人間は 電気と縁を切った生活など 考えられませんが 発電するためにどれだけ自然環境に 悪影響を与えているか分からないのですから 根本的にその主張がおかしいように私には思えるのですが 間違っていますか?私は 原子力発電が 二酸化炭素を一切発生しない 一番クリーンな発電方法だと思いますが 使用済みの核燃料の処分などで 自然に大いに迷惑をかけるし 火力発電では 化石燃料を燃やして 大量に二酸化炭素を生成しますから これまた確実に自然に大いに迷惑をかけているのです。人間が普通に生活しているだけで そんな電気を毎日確実に消費しているし 洗濯や炊事で 確実に汚水を少なからず垂れ流しているのですから 大いに自然に悪影響を与えているのです。
    志の高い目標を設定して それに向けて頑張って活動をしていくこと自体は 目標を立てずにふしだらに生活していくよりは まだましだと思いますが もう少し現実的な問題と正面から向き合って 実質的な効果のある活動すべきだと私は思います。

  • 2月19日 卒業式が近づいてきましたが 今年も校歌が歌えないのかもしれません

    ようやくコロナ騒ぎが終息に向かって動き出しているこの時期に 東京都の公立の学校では 教育委員会が 校歌や国歌を歌わないように求めているのだそうです。国の方針に一応形としては従って マスクの着用は求めない姿勢で臨むのだそうですが 歌を歌う行為が 病気の感染を促すという判断からなのでしょうが 与えられた権限で 校歌を歌う事を禁じることは出来ないのでしょうから 歌わない方向に強く指導していくらしいのです。事なかれ主義が ここまで極まっているのかと残念に思います。歌うときだけは マスクを装着して臨もうと 各学校が殆ど無意味であり面倒な準備していたみたいなのですが 教育委員会からの要望に 判断を戸惑っている現場が多いのだそうです。
    国の方針とは 逆向きの意向を声高に叫んでいるわけですが 教育委員会という組織は 何だか偉そうに聞こえますが 要するに教育関係のOBや弁護士、会社の偉いさんなど 一般的に社会常識を持ち合わせているであろうという人が 数人選ばれて 集っているだけの組織だと私は思っております。一応 首長からは独立していて 独自の意見を発信できるのだそうで 今回もまた 事なかれ主義で 学校生活の最後ぐらい卒業する学校の校歌を歌いたいであろう卒業生の気持ちを 無視して 歌うなと主張しているように思います。私は歌う事が好きだったから 通っていた中学校の卒業式で 校歌以外にも卒業生全員で グローリア という壮大な曲を歌いあげて感動したことを記憶しています。今の子供たちは あんまりみんなで歌う事に喜びなんか感じないのでしょうか。恐らく校歌を歌える最後の機会になるであろう 卒業式でさえも 校歌を歌いたいとはあんまり思わないのかもしれませんが 歌いたい子供たちが沢山いてくれたら 嬉しいし 歌うなという教育委員会の主張に 腹立たしい思いを持ってもらえたら嬉しいです。
    卒業式は 当たり前ですが 卒業生のためにある儀式ですから 少しでも良い思い出になるように 皆で校歌を歌って一体感を感じられる体験を出来たらやらせてあげたいなと思います。教育委員会にしたら 卒業式で感染か広まった 等と言われてしまったら 自分たちの責任を追及されるかもしれない位の気持ちで そんな保守的な主張をしているのだと思いますが、一生に一度しかないその学校の卒業式を 良い思い出にしてあげるためには 校歌位思い切り歌わせてあげたいと私は思います。結局はその学校の校長の判断によって決まるのだと思いますが そんなつまらない横やりに影響されて 後で文句を言われないようにと考えて 校歌斉唱を取りやめる学校が 残念ながら皆無ということはないのでしょうが 少ないことを心よりお祈りいたします。
    生徒はみな同じ方向に向かって並んでいるのだから そんな数分歌を歌ったからと言って 感染拡大の危険性が拡大するなんて 皆同じ教室で授業を受けて 生活をしているのですから 今更ながら 阿保らしい保守的な考え方の年寄りどもによって 良い思い出になるはずの校歌斉唱が出来ないなんて事がないことを願っております。

  • 2月18日 トルコで とんでもない地震が起きて 被害が甚大なのだそうです

    お隣のシリアにも被害が及んでいるのだそうで 二国あわせてこの災害での死亡者数が四万人を超えているのだそうです。阪神大震災の時の死亡者数が確か六千人台だったと思いますから その被害の大きさが尋常ではないように思います。その被害の大きさの割には 日本のマスコミの扱いが小さいようで不思議に思います。位置的には ヨーロッパとアジアの境目当たりだったと思います。子供の頃にピアノで弾いたトルコ行進曲が 初めてトルコというの国の名前を耳にした時かもしれません。
    トルコという国は 日本とは あまり馴染みのない国かもしれません。私が知っているのも 首都がアンカラで 国旗が赤地に白く月と星が描かれていたかな と言うぐらいです。そして世界の三大料理に フランス料理、中華料理と並んでトルコ料理が選ばれていることを知識として知っているぐらいで 無論 フランス料理 中華料理は食べたことがありますが トルコ料理と言えば ケバブという料理の名前を辛うじて知っているぐらいで 殆ど食べたことがございません。それ位なじみの薄い国かもしれませんが 多くの子供たちが路頭に迷って 苦しんでいるのだそうですから 正直日本もそんなに余裕がないのかもしれませんが 援助の手を積極的に 差し伸べて頂きたいように思います。
    ウクライナの人々が ロシアの侵略で苦しんでおられるのは かなり詳しく報道されているみたいですが トルコの大震災の被害の状況や 復興に向けてのプランや援助のニュースも もっとたくさん取り上げて頂きたい様に思います。こんな影響力が微塵もないブログの中からですが トルコの被災された方に心よりお見舞いを申し上げるとともに 一日も早い復興をお祈りいたします。