12月14日 手術の最中に犬に噛まれました

 ブログを更新するのは 久しぶりです。タイトルにあるように手術をしていて するべきことは終了して 麻酔を切りました。気管チューブを抜くために犬歯にかけてある開口機を外しました。通常は 麻酔を切って二三分後に麻酔から覚めはじめてきて気管チューブを嫌がるようになるのでチューブを引きぬきます。所が本日手術した犬は 麻酔を切って開口機を外した瞬間に 思いっきり顎を閉じる動きをしたので 左手の中指をかなり強く咬まれてしまいました。

 勿論100%私の不注意であり 犬には何の責任もありません。丁度爪の真ん中を噛み砕かれました。私は自分の手術の時に大袈裟にいたがる腰抜け野郎と書きましたが 手術は予想していたよりも全然痛くありませんでした。所が本日噛まれた瞬間に目から火花が散るほどに すんごく痛くて先日の手術で味わった痛みよりもずっと強い痛みでした。指先ですから出血もかなりあり手術室の床がけっこう血だらけになってしまいました。しばらくは痛くて身動きも出来ませんでした。

 医者に行くことも考えましたが 爪が砕けて真ん中に穴が開いていましたが 指の腹の方は1センチほど切り裂かれた状態でした。冷静になって傷口のダメージをよく観察すると 幹部を化膿しないように清潔にして動かないようにきちんと固定しておけば少し時間はかかるけれども自力で治療できそうに思いました。そこで、まず消毒液をたっぷりと降りかけて十分に消毒すると 滅菌したガーゼ抗生剤の軟膏を塗りたくって患部に被せ包帯でしっかりと固定しました。

 痛みは時間の経過とともに和らぎましたが これから年末に向けてトリミングが忙しくなる時期に 負傷したことが残念です。まあ起こってしまったことは悔やんでも仕方がないので少しでも早く傷が治るように努力しようと思います。もし咬まれたのが第一関節であったとしたら ひょっとして障害が残ったかもしれませんから 爪が割れたくらいで済んでよかったと思います。

 ところで本日は赤穂浪士が吉良邸に討ち入りした日であり 以前ならそのたぐいの映画やドラマが放映されたものですが 最近はあまり興味をそそらないみたいでニュース番組でもほとんど話題にもなっていなかったように思います。別に赤穂浪士にあまり思い入れもありませんが 入院している時に読んだ雑誌で歴史は勝者によって作られる、というのがありました。

例えば石田光成は関ヶ原で敗れた敗者であり徳川家康が勿論勝者です。われわれ現代人が認識している歴史観は 基本的に現存する歴史書からどうしても形成されてしまいます。現存する歴史書は殆どが勝者を主人公として描かれます。敗者の歴史書は抹殺されてしまうのです。勝者の歴史書は 当然勝者の立場から見た勝者に都合よく解釈された事実だけが描写されます。勝者にとって不都合な事実は徐々に隠蔽されていくのです。

 しかし、当然敗者には敗者の言い分もあるわけです。関ヶ原の戦いの原因は 秀吉の後継者として 当然秀吉は自分の息子の秀頼を立てたいわけだが 家康にすれば 当然自分が後継者になるべく行動したわけです。秀吉が生きているうちは 家康は秀頼をたてていくと約束していたわけで秀吉の死後に豹変して約束を一方的に破ったのは家康です。客観的にみたら立場が悪いのは家康の方かもしれません。今は亡き主君の願いに一番忠実であろうとしたのが光成だったのかもしれません。でも徳川家が政権を握るのに最後まで反抗した敵役として必要以上に悪者扱いをされてしまっていたのかもしれません。

 でも戦国時代には自分のしっかりとした後継者を作らないうちに死ねば 家臣にとってかわられるのは当然です。秀吉だって信長がなくなった時に自分がその後継者となったのだから しっかりとした後継者を作らぬうちに死ねば 家臣にとってかわられたのは至極当然の出来事だったのです。

 話が大分反れましたが赤穂浪士の討ち入りではいつも吉良さんが一方的に悪者扱いされていますが地元の愛知県吉良町では 名君として慕われていたみたいだし たまたま浅野内匠頭との相性が悪かった為に必要以上に摩擦が生じたのかもしれません。大体会社でもすごく意地の悪い上司なんて珍しくもないのに 勝手にブチ切れて喧嘩を吹っ掛けたのは浅野さんの方であって 吉良さんにすれば一方的な被害者なのです。武士の喧嘩は両成敗が常識なのかもしれませんが 吉良さんにすればいきなり吹っかけられた喧嘩に応じなければならない理由もないので 無抵抗だったわけでありそのことが武士としてあるまじき行為だったのかどうかは私には分かりません。

 いろんな文献によると吉良さんは確かにかなり底意地の悪い人物だったのは間違いないようですが 他の大名たちが出来た辛抱を浅野さんだけが出来なかったのなら やはり浅野さんの方に問題があったのではないでしょうか。それと浅野家の家臣のうち討ち入りに参加した家の人たちは忠臣の誉れの恩恵を相当に受けたけれど 逆に討ち入りに参加しなかった人たちは忠臣ならざる者としてかなり冷遇されたそうです。

 亡き主君の恨みを晴らすための討ち入りと言えば聞こえがいいけれど 客観的に見れば徒党を組んで他人の家に侵入し主君の敵かもしれないけれど無抵抗の老人一人を殺したわけで それほど末代までも褒め称えられることをしたのでしょうか?私はどうも物事を懐疑的に見過ぎるところがある事は自覚していますが 赤穂浪士の討ち入りについては どうも世間とは受け止め方が異なるようです。指が一本動かないので ブログの打ち込みにもかなりの余分な労力がかかりますので 今日はこのあたりで終わりにします。

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