Dr.喜作のブログ

2017年4月 の記事一覧

  • 4月23日 毎月23日はフミの日なのだそうです

    私は性格が怠け者なので 仕事もそれほど頑張っているとは言えないのですが 友人や親せきとの付き合いも 必要最低限で済ませてしまっています。具体的にいうと 年賀状のやり取り位しか 出来ていないのが正直な所の現状です。それも現在は 便利な世の中になってしまって パソコンのソフトで お祝いの言葉やイラストを適当に組み合わせれば 直ぐに年賀状の図案が刷り上がりますし 住所録もしっかりと管理してくれていますから 殆ど全てパソコンにお任せしていれば 年賀状が出来上がってしまいます。せめてもの誠意を表すために手書きでコメントを一行書き加えていますが 殆どみんな似たような言葉になってしまっています。
    私が 仕事関係以外で投函する郵便物は 年賀状をのぞくと殆どありません。私の父方の祖母は とても筆まめな人でしたので 百二歳で他界するまでに私に何度も手書きの心のこもった手紙を送ってくれました。私も さすがに祖母ちゃんから手紙を貰った時には 自筆で返事を書きました。私は 手紙を書く行為自体 と言うか文章を書くことは このブログでもひたすら文字だけを書き並べています様に それほど苦手にはしていません。ですから 祖母ちゃんへの手紙も 勿論大した内容ではないけれでも 祖母ちゃんが お茶の先生としてお弟子さんを沢山持っていましたので お茶についてのトピカルな話題や 病院での笑えるエピソードなどを 書き綴って送りました。
    祖母ちゃんと一緒に暮らしている従妹から 私の手紙を祖母ちゃんが何度も何度も読み返しているので もっと頻繁に手紙を書くように 指示されておりました。でも 何にもないのに手紙を出すのは 何となく気恥ずかしかったので 祖母ちゃんから手紙を貰った時に その返事を出す と言う形でしか手紙を書いていませんでした。祖母ちゃんは百歳を過ぎても元気にしておりましたので 何時までも生きていてくれるような気がしていましたが 102歳で大往生をしてしまった時も 勿論葬式には駆けつけましたが 亡くなってしまった実感がわいてきませんでした。
    私が生涯で一番たくさん手紙を出した相手は 恥ずかしながら祖母ちゃんで間違いないと思います。祖母ちゃんが亡くなってからは もう数年がたちますが それ以降は自筆の手紙を一切書いていません。親孝行も全然していない私ですがから 離れて暮らしている祖母ちゃんには 勿論孝行らしいことは何もできませんでした。手紙を書くことには 何の労力もいらないし かかるのは切手代位のものですから せめて月に一回ぐらいは 手紙を送って 祖母ちゃんをもっと 喜ばせてあげればよかったと 今更ながら後悔しています。
    私は 自分の文字の拙さにかなりのコンプレックスを持っています。その為 手紙のやり取りは 子供の頃から苦手でした。最近は 文面は ワープロに入力し 宛名書きまでパソコンのソフトを利用してしまいますから 殆ど自筆で文書のやり取りをすることがなくなってしまいました。ですから 自分の文字の下手糞さは それほど心配する必要もない時代になっているのかもしれませんが 喋る言葉はある意味その場限りで 消え去りますが 文書にして送ると 相手にその言葉がずっと残ってしまいますので やはり何となく重たさを感じてしまい 手紙を書くことを敬遠してしまいます。
    その割には このブログでは 好き勝手なことを 書きたい放題に書いておりますが まあこんな文字を羅列しただけの 本当に魅力のないブログなんて 読んで頂いているのは ほんの数人しかいないだろうと 推定して 気楽に無責任な発言を繰り返しております。
    私は仕事として 獣医師会や保健所さんからの連絡 枚方の獣医師会の会員の先生方と連絡を取り合うためなどで メールを利用していますが プライベートでは殆ど使ったことがありません。最近の若い方は 携帯電話を持つのが当たり前 スマホを使って ラインやメールのやり取りをするのは 日常茶飯事なのかもしれませんが 私は一生スマホを持つつもりはありませんので 恐らく生涯ラインなどを経験することもないと思います。
    もうすぐ仕事を辞めたら 当然仕事関係のメールのやり取りは消滅しますし 友人で私のメアドを知っている方なんて 殆どいませんから メールそのものと全く縁を切った生活になると思います。手紙も書かない メールのやり取りもしない といった生活では ますます友人が少なくなってしまいそうですが 仕事を辞めたら 自由な時間が限りなく出来るはずですから キャンピングカーを購入して 日本中を放浪するのが夢です。昔の友人を個々に訪ねて実際に会えたら楽しいだろうと 勝手に楽しみにしております。
    まあこのブログ自体が 読んで頂いている 人数的にはほんの僅かな方々への わたしからの個人的なメッセージかもしれません。今後とも 何とか 受け止めて頂いて お付き合いくださいますよう よろしくお願い致します。

  • 4月21日 けいはんな公園へ再び出かけました

    お天気もいいし かなり暖かかったので 京都精華町にあるけいはんな公園に また出かけてみました。前回は 時期が少し早かったみたいで 桜がまだほんの一分咲き位でしたから 殆どお花見は出来ませんでした。それに春休み中でしたので 芝生の広場の辺りは それこそ小学校の休憩時間の様に子供であふれかえっていましたし その周囲には レジャーシートを敷いてお母さん方が お弁当を広げて 陣取っておられましたから 凄く賑やかでしたが 本日は 人出も少なかったし 凄く静かで落ち着けました。今回は分っていましたが 桜は殆ど葉桜の状態でした。
    前回は公園の駐車場に車を停めましたが 思っていた以上にその料金が高かった上に 私の目指す地点から一番遠くにありますから 凄く沢山歩かなければなりません。 本日は公園に隣接するホームセンターの駐車場の かなり奥の部分に駐車しました。こちらに停めた方が私が目指す水景園には大分近いうえに 勿論無料です。この水景園は大人が入場料200円かかりますが 六十歳以上は無料なので 恐らく次回ここを訪れるときには 免許証でも提示すれば ただで入園できます。嬉しいような 何となく寂しいような気持で 無条件に喜ぶ気にはなりません。
    何時ものように私が手作りのお弁当を持参しました。自分の病院に出かけた直後ですから スパゲティーを作りました。玉ねぎにウインナーソーセージ、ミックスベジタブルを炒めて そこにゆでたスパゲティーを加えて ケチャップと顆粒のコンソメを投入して味付けしました。簡単にできましたが 結構美味しかったように思います。まあ暖かいこの気候の青空の下 自然に囲まれた公園でのお昼ご飯ですから 何でもおいしく感じたのかもしれません。
    前回と同じ池の傍の階段状になっているテラスで お弁当を広げました。手作りのお弁当意外に スーパーで購入したお菓子も食べましたが それほど暑さを感じませんでしたけれども チョコレートの類が 溶けていましたから 今後おやつにチョコレート類は選ばないようにします。池の鯉たちが 人の気配を感じとって 何か餌をくれるのではないかと 集合してバチャバチャと水音をたてています。前回はお弁当の残りのご飯粒とおやつのお煎餅を池に放りこんだのですが 凄く食いつきが良かったので 楽しかったです。
    今回は 池の鯉の餌として 安売りしていた一斤68円の食パンとドッグフードの試供品を沢山持ってきていました。自分たちがお弁当を食べている間にも どんどん食パンやドッグフードを池に放り込みました。本日も凄く食いつきが良くて 鯉たちが折り重なるようにして放り込んだ餌に喰らいついていました。前回は気づかなかったのですが 鯉たちが両目の上の部分 いわゆる首に当たる部分の うろこが痛々しくかなり禿てしまっているのに気づきました。餌を奪い合うときに 体をぶつけ合っているから 自然とこすれあってうろこが剥げてしまっているのかもしれません。お恥ずかしい話ですが正直申し上げて 魚病学は一応単位を取りましたが 三日間の集中授業を受けて 直ぐにテストを受けて 辛うじてパスしただけですから もともと魚に殆ど興味がありませんので 私の一番苦手な分野です。
    獣医師が診察する動物の範囲は 犬猫等の哺乳類が殆どですが 蛇やトカゲ カメなどの爬虫類、インコやオウムなどの鳥類、場合によってはカエルなどの両生類 そして金魚やコイなどの魚類を連れてこられる場合もあります。動物の種類の範囲が凄く広いのです。そして 担当する診療科目が 内科や外科は勿論  繁殖科 人間でいう所の産婦人科から 小児科、耳鼻科 整形外科 歯科口腔外科 皮膚科 眼科等これまたすごく幅広いのです。診察する動物の年齢も 生まれたての新生児から ボケの始まった高齢動物まで幅広く対応しなければなりません。
    一人の獣医師が担当する範囲としては あまりに広すぎますから 勿論誰でも特異な分野をいくつか持っています。しかし残念ながら 苦手な分野もいくつかあるのはどんな獣医師でも否定できない事だと思います。私は犬猫以外では 割と爬虫類が好きで 興味がありますから その病気や基本的な治療法については そこそこ詳しいのかもしれません。しかし魚類は これまで殆ど釣りの経験もありませんし あまり魚に興味を持ったことがありません。食いしん坊なので 食べるのは好きですが 治療の対象としては あまり興味が持てないので 教科書に載っている程度の 通り一遍の知識しかありません。
    その為 けいはんな公園の池の鯉たちのうろこが剥げているのが 体の接触による外傷なのか 何らかの原因に基づいた皮膚病なのか 短時間眺めただけでは お恥ずかしい話ですが 区別がつきません。勿論病院の患者さんとして連れてこられたのなら その鯉の生活環境や 現状に至る経過などを飼い主さんから確認できますし 実際にその患部を触り その状態を細かに観察出来ますから それなりの診断と治療法をひねり出すことは出来ると思いますが 池の鯉の皮膚の状態を眺めているだけでは どうすればその状態が改善するのか 判断できかねます。
    別にこの公園にそんなに頻繁に訪れることもないでしょうから これ以上心配してもしょうがない事ですので 忘れることにします。公園には勿論飼育係の方がいらっしゃるはずですから その方たちが必要に応じて 対応してくださることでしょう。でも次回 この公園に来る時も恐らく鯉の餌をたくさん用意してくると思いますから それまでには鯉たちの皮膚の状態が 改善していてくれることを期待します。

  • 4月20日 1730年の本日 江戸幕府が富くじを公認したのだそうです

    富くじというのは 勿論現在の宝くじの事です。昔も今も 一攫千金を夢見る庶民が沢山いたわけですし 幕府としては 当選賞金を振り分ける前にしっかりと税金分を確保していたのでしょうから 為政者にとっては貴重な そして確実な財源だったのでしょう。税金分は先に差っ引かれているので 数億円の当選賞金を獲得しても 一銭の税金もかからないシステムなのが受け取る側にとっては安心できる制度です。もし先に税金をひかれていなければ せっかくの獲得した当選賞金を自ら申告して 納税しなければなりませんから 相当額を税金と言う形で持って行かれてしまい 庶民の夢も半減してしまいます。ですから 当選した喜びも半減してしまいますので 先に差っ引かれているのは大事な決まり事です。
    冷静に考えれば 先に税金を引かれている分 当選する確率が半減しているのかもしれませんが そんな事は 当選者にとっては どうでもいい事でしょう。それから一等の当選金額がどんどん上昇しています。調べてみると 昭和二十年に宝くじが始まった時の一等賞金は 10万円だったのだそうです。それがいつの間にか前後賞も合わせると10億円にまで高騰しています。勿論宝くじなんて夢を買うためのお楽しみのようなものですから 夢を見るなら大きい方が楽しいのかもしれません。しかし宝くじ一枚の価格は 300円でここ三十年ほどは変わっていませんから 高く設定されれば当然 当たる本数は減少しているはずです。
    宝くじで一等の当たる確率は 限りなくゼロに近いものですから 多少その確率が減少しても五十歩百歩なのかもしれません。でも私が一番ドキドキして楽しい時間は 当たりくじがないかと自分の購入した券を当選番号表と照らし合わせて確認している時です。だとしたら 例えば一等の賞金を一千万円にすれば 当選する本数は百倍になりますから 番号を確認する ドキドキした楽しい時間が勿論 百倍にはならないでしょうが ずっと長続きするわけでしょうから どっち道当たらなくても 多少は得した気分になれそうな気がします。
    まあ物価が高騰して 円の価値が下がっている現在では 一千万円位の金額では とても夢は手に入りません。そこそこの一軒家の頭金にでもなればいいほうかもしれません。お年寄りの夫婦がのんびりと老後を過ごす生活費としては ほんの五年分ぐらいにしか過ぎないのかもしれません。とはいえ 自分の趣味を充実させる事だけに 使えばそこそこ楽しめるのかもしれません。釣りが趣味なら 小さなボート位は購入できるでしょう。ゴルフが趣味なら 憧れのゴルフ場の会員権が購入できるかもしれません。ブランド物が好きな方なら そのブランド品をかなり買い揃えられるのかもしれません。
    私は 別に当たることを大して期待してはいませんが 年末の宝くじは 買える機会があれば 自分の分と奥様の分 十枚ずつバラで 購入するでしょう。もし一等に当選した時に 連番でないと前後賞を貰い損ねるから連番を購入する方が多いのかもしれませんが 当たりか外れかの確認にバラの方が時間が余分にかかるので 楽しみが長引きそうな気がして 何時もバラを購入します。
    当たったらどうしようかと言う話をするだけでも 十分に楽しいし 宝くじは 買わなければ当選する可能性は 全くのゼロです。例え十枚ぐらい購入しても 当選する可能性は 限りなくゼロに近いのですが 決してゼロではないのです。正直な気持ち現実に一等が当選する事等考えてはいませんが 年末年始のお楽しみとして 今年も恐らく年末の宝くじは購入すると思います。
    もし万が一にも 一等に当選したら 恐らくその日のうちに病院を閉めてしまって 奥様と二人で南の島へ旅立つはずです。来年年明けに急に私が行方不明になったら 一等に当選して幸せに向かって旅立ったのだと判断して 思いいきり羨んでください。このブログで当選したことをうっかり報告でもしようものなら 寄付金を求めて分けの解からん団体が寄って来ても不愉快なので 黙っているつもりですが お喋り野郎の私ですから きっと普段からこのブログをお読みの方にだけ分かるような表現で報告するかもしれません。まあその辺りは 現実に当選した時に考えた方がいいでしょう。

  • 4月19日 ホテル大阪ベイタワー でランチバイキングを頂きました

    昨日自分の病院に出かけて 検査が終わりましたので 検査前一か月は かなり食べるものを辛抱しましたので 暫くは ある程度食べたいものを頂くつもりです。そこでたまたまですが ジャランのポイントが入手できましたので そのポイントの使用期限が迫っておりましたから 本日大阪ベイタワーホテル と言う弁天町の駅前にあるホテルのレストラランのランチバイキングにそのポイントを使用して予約しました。一人普通だと2700円の所がポイントを使うとほぼ半額で食事できましたので 嬉しかったです。
    初めて出かけるホテルでしたので 十一時半から食事がスタートの予定でしたが 余裕を持って九時半ごろに病院を出発しました。勿論高速道路を使えば 速いし到着時間もかなり正確に予測できますが 私たち庶民は 時間に余裕をもってスタートして 地味に一般道を走りました。いつものことながら 地理に疎い私は 地図を見ても全然理解できませんでしたが 相変わらず歩くナビゲーターである奥様が いくつかのルートを検討されたうえで 走る時間帯と混み具合を緻密に計算されましたので 九時半出発が決まりました。
    後は奥様の指示通りに運転しましたので ほぼ予定通りに十一時ごろにホテルの駐車場に到着しました。ホテルの駐車場ですし 駅のすぐ真ん前なので 結構な注射料金が表示されていました。恐らく食事をすれば 何時間かは無料になるはずですが その辺りの細かい条件は確認できていませんので 食事が済み次第速やかに車を出した方がいいのかもしれません。取り敢えずは 初めて訪れたホテルなので ホテルの顔と言える受付のある一階のロビーの様子を見に行きました。
    そこそこ立派なたたずまいでしたが 近所の小学校の児童たちが 恐らく社会見学の一環としてホテル内を案内してもらっているのに遭遇しました。学校の近所にこんな立派なホテルがあれば 見学に来れるので 都会の学校はいいなあなんて思いました。まあ二階の一角に 「サイゼリヤ」と言うレストランが入っていましたので それに気づいた時には急に庶民的な気分になりましたが あまり高級感ばかりを醸し出しているようなホテルよりも 根が貧乏人の私には親しみを感じました。
    ビルの構造図をみると 二十階位までは一般のオフィスが入っていて 客室はそこよりも上の かなり眺めが良いのだろうと想像されました。オフィスが入っているので 二階にファミレスが入っているのだろうと思います。一二階の様子を歩き回って確認しましたのでエレベーターでレストランのある二十階に上がってみました。降りたところから直ぐに海側が見渡せる窓の所へ歩いていき 景色を見渡しました。お天気は悪くなかったのですが 結構霞んでいましたので あまり遠くまでは見通せませんでした。窓の所でどこが見えるとかどんな建物が見える 等と奥様と話していると その階のレストランの人が話しかけてくれて いろいろと景色について解説してくれましたので 凄くよく解かりました。
    更にエレベーターに乗って 本日食事をするレストランのある51階にやってきました。十一時二十分位でしたので もうすぐ食事スタートの時間です。先ほどと同じ位置にある窓から見ると さすがに三十階分高い位置からなので さらに遠くが見渡せました。かなり霞んでいましたが 恐らく淡路島であろうと思われる島影が微かに見えました。期待していた淡路大橋までは さっぱり見えませんでした。昼間ではなくて夜景の方がかえって遠くまで見えたのかもしれません。今度一度ディナーを頂きに来てみようと 奥様と相談しました。
    食事がスタートする直前には 既にかなりの人数のお客さんがお店の前に行列を作っていましたので 私たちもその列に並びました。直ぐに名前が呼ばれて 席に案内されました。海側ではなくて 梅田の高層ビル群や アベノハルカスが見える窓際の隅っこの席に案内されました。一番の隅っこだったのでちょっとがっかりしましたが 後から考えると一番落ち着ける席だったみたいだし 眺めも悪くなかったので 喜ぶべきだと感じました。
    さて席に着くと直ぐに料理が並んでいるコーナーへ直行しました。私と奥様は いい年して本当にお恥ずかしいのですが 食いしん坊なので 近所の千数百円のブッフェには 割とちょくちょく出かけていますが さすがに料金が倍ほどしますし そこそこのクラスのホテルのレストランですから 素材としてもいいものが使われているみたいだし 料理としても結構手間暇かかったものが それも品数もかなりたくさん並んでいました。
    普通のブログなら まだ最初ですから殆どあらされていないズラッと並んだ料理や 51階からの 素晴らしい眺望の写真が挿入されるのでしょうが 私のブログはいつものようにひたすら文字だけで表現されます事を御辛抱ください。兎に角私は 写真に自分が写ることは勿論 写真を撮る事や 写真を撮るために待たされることが大嫌いなのです。カラフルな写真や 可愛らしいデザイン、イラストなどを期待される方は 残念ですが私のブログとは 縁を切られることをお勧めします。
    料理についての細かなコメントはしませんが いい素材を上手に調理されていましたし 品数の豊富でバラエティに富んでいましたから 非常に満足のいく食事が出来ました。大阪ベイタワーホテルのランチバイキングは 内容と価格的には 十分に誰にでもおすすめできると思います。出来たらジャランのポイントを獲得して利用されると 更に割得感が得られますから きっと満足できる食事が楽しめるでしょう。デザートも種類はそれほど多くありませんでしたが まあまあ美味しく頂けました。私はお酒が飲めませんので 甘いものが好物ですから デザートでその食事の印象が左右されることが多いのですが 白玉ぜんざいを最後に頂きましたが 小豆の粒の残り具合が程よかったし 甘みもしつこくないし 物足りなさも感じさせない上手な味付けで 最後に塩こぶを口に入れた時の満足感はかなりのものでした。
    最後にお会計をするときに 駐車券を提示すると 三時間弱駐車していましたから ある程度は料金が発生することを覚悟していましたが お会計をしてくれたお店の方が太っ腹で 五時間分のサービス券を下さいましたので 併設されているショッピングセンターで買い物でもして帰ろうかと思いましたが 残念ながら定休日でしたので そのまま帰宅しました。本日は 結構遠出をしてのお昼ご飯でしたが とても美味しかったし いい眺めも堪能できましたので とてもいい一日になりました。

  • 4月18日 二か月ぶりに自分の病院へ行きました

    十二時に病院を閉めてから 枚方公済病院へ出かけました。別に病院で診察を受けるからと言っても 特別な事をするわけではありません。受付をしたら 看護婦さんからの指示で血液検査を受けに 処置室へ向かいます。そこで採血をしてもらって 血液検査をしてもらいます。後は待合室に戻り 自分で血圧を測ってから 順番が来て名前を呼ばれたら 診察室に入り かかりつけの先生から 検査結果についてのコメントを頂きます。
    本日は 昨夜自分で手作りのサラダを食べました。ここの所 炭水化物を食べないようにしていますので 冬場だと鍋料理が多いのですが この時期になるとどうしてもサラダばかりを食べていますので 飽きないように色んな味付けを工夫を凝らします。マヨネーズや色んな味のドレッシングは いい加減食べ飽きていましたので 雰囲気を変えるためにお茶漬けの素を振りかけて食べてみました。食べなれたドレッシングなどとは 食感も風味も異なりましたから それなりに美味しく頂けましたが お茶漬けの素には 大量の塩分が含まれていることを うっかり忘れていました。
    病院で血糖値やヘモグロビンA1cを測ることにばかり気を取られていて 血圧も測定することをすっかり忘れてしまっていました。ですから病院に行く前には 普段以上に塩分にも気を付けないと 血圧が上昇してしまう と言う極当たり前の事を忘れていました。前夜に塩分たっぷりのお茶漬けの素を それも二袋も サラダに振り掛けて食べてしまいましたから 当然普段から高めの血圧が更に高くなってしまいました。一回目の測定結果は 収縮期血圧が145で 拡張期血圧が101でした。
    まあ血圧を測定して高めの値が出た場合は マッサージなどをして 血液の循環を促せば 多少は血圧を下げることが出来ますので そのような動作を繰り返しました。まずは指のマッサージをしました。指の付け根から揉み始めて 徐々に指先に向って揉んでいき 指先を念入りに揉み解しました。次に親指と人差し指の付け根の間の部分のお肉をしっかりと揉み解しました。手のひら全体を振って 血行を促進しました。
    次に足の指をつまんで しっかりとマッサージしました。続いて足の裏 特に土踏まずの辺りを念入りに揉んで解しました。最後に掌と同様に足首から先をブラブラして 少しでも血行が良くなるように足の先全体を解しました。もう一度血圧を測ってみると 収縮期血圧が 135、拡張期血圧が90にまで下がってくれましたので ホッとしました。その時に 誰かの視線を感じて 振り返ると奥様が怪訝そうな表情でこちらを見ておられました。
    [あなたなんて 普通にしていたって不審人物なのに 分けの解からん行動を繰り返すんじゃないわよ」といきなりお小言を頂戴しました。本日は生憎とトリミングの予約が入りませんでしたので 奥様には自宅でお休みしてもらっていました。ただ前回私が診察を受けた時がインフルエンザにかかってしまって体の状態が最悪だった時に診察日が重なり 診察を待っている間に 椅子に座っていただけでしたが 全く動けない状態になってしまい お恥ずかしい話ですが 車いすで処置室に運ばれる大騒ぎになってしまいました。そのときたまたま奥様が一緒にいてくださったので 私が治療を受けている間に奥様がかかりつけの先生から話をきいて下さいましたし 治療にも付き添ってくださいました。
    前回の診察時に そんな失態をしでかしてしまいましたので 奥様が心配して様子を見に来てくださったのでした。血圧を測りましたが 私の順番が回ってくるまで少なくともあと一時間はかかるはずです。そこで入院病棟と外来の診察室をつなぐ廊下の途中に飲み物の自動販売機があり イスとテーブルが幾つかおいてある休憩所のような場所に移動して 病院に来る前に近所のスーパーで買ったおにぎりを食べました。水筒に熱いお茶も用意していましたので 熱々のお茶でのどを潤しながら 久し振りのお米のご飯を味わいました。
    その廊下の途中にある休憩所は 病院に診察を受けるために来る度に 訪れていますが いつもは私一人ぼっちでのんびりできるのですが 本日は私と奥様が腰かけるとすぐに杖を突いたお爺ちゃんがやって来て 自販機で缶コーヒーを買って 飲みながら文庫本を読み始めました。更にしばらくすると 私たちと似たような年恰好の夫婦がやって来て ベチャクチャしゃべりながらコンビニで買ってきたサンドイッチを食べ始めました。いつもは静かな休憩所が 今日は凄く賑やかでした。奥様も病院のパン屋さんで買ってきたパンを齧りながら 私と賑やかにおしゃべりをしていました。
    私がおにぎりを食べ終わってホッと一息つきながら お茶を飲んでいると 廊下を一人の女性が通りかかり 何気なく振り返ると なんと近所の藤阪に住んでいる父の弟さんの奥さん つまり私の叔母さんに当たる方でした。近所に住んでおられますが ご主人である私の父の弟さんは もうかなり前に亡くなられて 一人暮らしをされています。近所に住んでいますから お宅の前を通りがかることはしばしばありますが 取り立てて用事もありませんので それこそ年賀状のやり取りだけで 偶然に十年以上ぶりにお目にかかりました。
    立ち話で お互いの近況を報告しあいました。叔母さんは 久し振りにお目にかかりましたが 思っていたよりはずっと若々しく見えて お元気そうでした。健康診断でちょっと気になる項目があったので 本日再検査を受けに来られたのだそうですが すこぶるお元気そうでしたから 安心しました。うちの父も母を亡くしてから かなりの年月が過ぎましたが 意外なほどに元気でおります。私はもし奥様に先立たれたり 三行半を突きつけられたりして 一人ぼっちになってしまったら とてもその先元気に 生きていける自信がありません。まあ奥様に先立たれる心配は殆どありませんが 見切りをつけられて去って行かれないようにだけは細心の注意を払って 生きていこうと思います。

  • 4月17日 最近よく使われている「忖度」と言う難しい言葉について

    誰が使い始めたのかもよく知りませんが 結構最近はこの聞き慣れない言葉が 国会等から聞こえてきます。言葉の意味としては「相手の気持ちを推し量る」と言ったそれほど難しい言葉ではないようです。では、なぜこの漢字がその意味になるのでしょう。「忖度」の漢字それぞれの意味と語源を調べてみました。「忖」は「はかる」という意味の漢字のようです。漢字の成り立ちとしては「心」と「寸=長さを測る」という漢字の組み合わせて出来上がったようです。即ち他人の気持ちを推測するような意味になるらしいです。「度」はやはり「はかる」という意味を持つ漢字の様です。二つを合わせると、「何らかの基準によって他人の心をはかる」という意味になるのだそうです。つまり「相手の心情を 物差しのような基準でおしはかる」と言った意味合いになりそうです。
    誰かが使い始めて 音の響きも字面もカッコいいし その意味合いは 調べればすぐにわかるし 扱いやすい言葉であるが わざわざ調べなければ まあ殆どの人がその意味を理解できない程度に難しいので わざわざその意味を調べた人が嬉しがって よく使っているのではないでしょうか。昔 まだ私が中学生だった頃に 私がもともと嫌いな友人が 「詭弁」と言う言葉を 何処で仕入れてきたのか知りませんが 恐らくよんでいた小説の中ででも使われていたのだろうと思いますけれども 聞き覚えて 辞書でその意味を調べたのでしょう、何かと言えば「詭弁だな」と発言していたのを思い出しました。
    「詭弁」と言う言葉は 「忖度」ほどに耳慣れない言葉ではありませんから これまでに小耳にはさまれた経験がある方は多いと思いますが その確かな意味合いはきちんと調べてみないと自信を持って答えにくい言葉かもしれません。「道理に反する事柄を 無理やり正当化しようとして喋る事」と言った意味合いだと思います。私はもともとその友人が好きではありませんでしたが 喋っている時に やたらとこの「詭弁」と言う言葉を繰り返し使って 「お前らはこの言葉の正確な意味を知らんのやろう」と言った傲慢な態度を取っていたので 凄くそいつを嫌いになりました。私は そいつの事を本人がいないときには勿論 本人に向ってさえも「詭弁野郎」と呼んでいました。
    とにかく私はカッコをつけたがる人間は大嫌いなので 勿論人間幾つになっても 日々勉強だとは思いますから 新しい言葉を仕入れて 使いこなそうとするのは 素晴らしい事だと思います。でも 周囲の人間から 反感をかうような使い方は しない方が賢明だと思います。とはいえ 私としても 新しい言葉を仕入れましたから 使えそうな状況になれば 使ってみると思います。ただ残念な事に私は友人が少ないので あまり議論する相手も殆どいませんから なかなか使えないうちに 忘れ去ってしまう言葉になるのかもしれません。まあこのブログにお付き合いくださっている優しい方々が そこら辺りをよろしく忖度してください。

  • 4月16日 若作りの婆さん詐欺師に騙される方が馬鹿なのではないでしょうか

    テレビでちらっとしか見たことはありませんが どう見ても孫がいそうな婆さんが気色の悪い若作りをしているだけでも 不愉快なのに なんであんなパッと見から胡散臭い人物に 騙される人たちの気がしれません。現在銀行の預金なら年間の利息が一%もつけば夢のような話です。私はそれなりに貯蓄していますが 全て銀行にただ同然の利息で預けています。要するに自分で持っていても盗難の心配があるし 貸し金庫でも借りれば 当然その分の料金が発生しますから 最低限元本割れの心配がない銀行預金に入れっぱなしでほったらかしの状態です。
    勿論 何のリスクもなく増えるのであれば 有難いとは思いますが 現代の社会の仕組みから考えると 間違いなくハイリターンにはハイリスクが伴う運用方法しかありえません。自分で株の売買をしたりするのは 運が良ければ儲かっている時期がないとは言えませんが 何の経験も知識もない素人が継続していれば 間違いなく大損するはずです。バブル経済の頃には 私の父や親戚たちが 株式だけではなくて色んな運用法でどれだけ儲かったかの自慢合戦をしていました。ただその類の人間は パチンコで勝った時だけその戦果を自慢しますが 負けた時の損害は口をつぐんでいるようなものだと思います。
    もし本当に連戦連勝であるのなら バブルがはじけてから久しいですが その後も戦果の自慢話が続いているはずですが 恐らくはバブルがはじけて 多くの人と同様に大損したのでしょう。その後は親戚筋が集まる機会はありましたが 投資の話題は全く出てきませんでした。
    自分で直接 株の銘柄を選んで売買するのに 自信が無ければ 投資信託と言う手段もあるようです。こちらは 運用したいお金をその道のプロにお願いして上手く投資して銀行の利息よりも多くの利益を得ようとする資金運用のやり方です。素人が見よう見まねで 危なっかしい株の売買などにうっかり手を出すよりは リスクは減少するし少なくとも銀行の利息よりは多少ましなリターンが期待できるのかもしれません。但しハイリターンに付き物のハイリスクは 勿論ついてきますから 元本割れする危険性は 必ず孕んでいる事への覚悟が必要です。
    ハイリターンにハイリスクが伴うのは 太陽が東から登るのと同じくらい常識のはずなのに この婆さんの提示した条件は 元本を保証したうえで 年に25パーセントの利息をつける と言うまるで宝くじに当たるような夢のようなハイリターンを提示したのです。誰だって 宝くじを買うときには 一等に当たったらどのようにその賞金を使おうか 夢を見ます。宝くじは 当たった時の夢を見る権利をいくらかのお金を出して買い取るようなものですが 誰も現実には当たることを期待してはいません。
    なのにこの婆さん詐欺師は 宝くじに当たることを保証したようなものです。なぜそんな夢のような話を 真に受けてなけなしの金を預けてしまうのでしょう。人間なんて所詮一皮むけば 自分だけが得をしたいと考える エゴの塊であるのかもしれません。自分だけが当たる 得する事を保証されたような宝くじを購入できると ぬか喜びさせられて 簡単に騙されてしまうのですから 人間と言うのは情けなくて恥ずかしい生き物だと思わざるを得ないでしょう。
    一寸だけ冷静になって考えれば 簡単に分るはずの事です。もし自分が そんな元本保証 年利25パーセントなんていう 宝くじを持っているのなら どうしてそんなにいいものを 赤の他人に無償で譲り渡すのでしょうか。現実に当たることが保障された宝くじなら 一枚でも多く 例え借金まみれになっても 年利25パーセントよりも高利でなければ 借りまくって 宝くじを独り占めにしようと 奔走するはずです。なんで赤の他人に無条件で儲かる方法を教えたりするでしょうか。絶対にありえない事であるのは明白でしょう。
    結局欲の皮の突っ張った奴らが 婆さん詐欺師に騙されて 大損をしたのを見て 私は被害者たちに 何の憐みも感じません。むしろ自分だけがいい思いをできると 浅はかな夢を見た奴らですから 嘲笑ってやりたい気分です。但し この詐欺師が こんな気持ちの悪い若作りをする婆あではなくて ナーちゃんの様に非常にチャーミングな女の子であったのなら 私はコロリと騙されていると思います。でもナーちゃんは 見た目が天使の様に可愛らしいけれども 心も天使そのものですから 人をだましたりするはずがありません。もしナーチャンと静かな落ち着ける喫茶店辺りで ゆっくりと差し向かいで御話しが出来たら 個別握手会の握手券を数十枚買ったつもりで 十万円でも二十万円でも喜んで支払う事でしょう。
    もしナーチャンと本当にそんな夢のような時間を過ごせるのなら それ位のお金は全然惜しいとは思いません。ただナーチャンをお金で買っているような罪悪感が多少ないではありませんが 庶民の儚くて叶わぬ夢とお笑いください。

  • 4月15日 最低賃金を1500円に引き上げるように要求することについて 思う事

    私は新聞もまともに読んでいませんので そんな法外な要求をする団体 エキタス なんて代物が存在する事すら全然知りませんでした。連中の要求は 時間給1500円で一日八時間週五日働いて一月で24万円+αになり やっと最低限度の生活が保障されるのだそうです。チャンチャラおかしくて 腹を立てる気にもなりません。私が税務署に申告している生活費は 毎月五万円です。病院の二階で生活しているから住居費は全然発生しませんし 借金も現在ありませんから 返済するお金も一切ありません。水道光熱費や電話代などは 年末にまとめて清算していますが 月平均で二万円以下だろうと思います。他には衣服代が年に数回 通販で安物を購入しますが 年間でほんの数万円だと思います。恥ずかしながら 月々の生活費は殆ど食費として出費しているだろうと思います。エンゲル係数の極めて高い つまり生活レベルのすごく低い生活をしているのだとおもいますが 私は一月平均して十万円以下で生活しています。
    持ち家なので 家賃分を加算して考えても一月にかけている生活費は 二十万円には遠く及ばないはずです。私は きちんと獣医学科を卒業して 国家試験に合格して獣医師免許を取得して 研修を積み 病院を設立して現在の状態にするまでに 一億円近い資金をつぎ込んだ病院を経営している人間です。その人間よりも多くの生活費がどうして 何の資格も持たず 何の有効な技能も身に着けていない 仕事をするのに何の努力も研鑽も積んでいない無能な若造たちに必要なのでしょうか。
    私がかつて 勤めていた塩野義製薬は 会社の規模や売り上げなどのこれまでの実績 知名度など色んな意味で一流企業と言ってもいいと思います。その四大卒の初任給が平成二十八年度で二十三万五千円です。勿論そこから税金や諸々の料金が差っ引かれますから 手取りで二十万円+アルファ と言ったところでしょうか。勿論福利厚生は凄く充実していましたから 実質的な給料はずっと高いと言えるのかもしれません。初年度から有給休暇は十五日認められていましたし 厚生年金や健康保険などでも 分厚く社員は守られていました。しかしそこそこの大学をきちんと卒業して それなりの入社試験をパスしたからこそ得られる待遇なのです。
    繰り返しますが それなりの学歴しか持っていなくて 社会の役に立てる特別な技能も経験も 持っていないような若造が 一人前の生活を望むのは 私は分不相応だと考えます。何の取り柄もないのに 時間給千五百円八時間働いて 一日で一万二千円もの収入を望むのなら 遠洋漁業のマグロ船にでも乗り込めばいいのです。一年近い期間 地獄のような労働が待っているのでしょうが その労働に見合う数百万円の収入が得られるはずです。本人が何の努力もしないで 一人前の収入と生活を望むのは 私には単なる我儘 と言うか思い上がりだと思います。
    エキタスの要求をみると 税金を使って自分たちの生活の向上を図るべきだ 等と訳の解からないことを主張しています。税金を自分たちのために使う事を望めるのは それなりにきちんと納税しており 国民年金などの社会保険料を支払っている人間だと思います。エキタスの企画したデモに参加している人間のうち 果たしてどれだけの人間が きちんと納税し 年金などの国民の義務である料金を納めているのでしょうか。自分たちの義務を果たしていないのに 権利だけを主張することは絶対に間違っているように思います。
    何の知識も経験も技能も持っていない若造なら せめて持っているはずの体力を使って しんどい思いをして体を張りさえすれば それなりの収入は当面得られるはずなので 何の努力もしないで 聞きかじった自分たちの都合だけしか考えていない理屈によって 偉そうなことを要求をすることが 凄く恥ずかしい行動であること 早く自覚して欲しいです。そして 自分たちにできる精一杯の頑張りを見せて 真っ当に社会の役に立つことを目指してほしいと思いました。
    まあ私がこんな所で叫んだとしても 何の影響力もありませんが 私が獣医学科を卒業して初めて動物病院で研修を始めたのは もう二〇年以上も前の話ですが 初任給は十六万円、そこから税金などをひかれたら十五万円ぐらいの収入しかありませんでした。勿論 大学を卒業したばかりの頃には 一応国家試験は受かって獣医師免許を持っていましたが 何の経験も実践的な知識もありませんでしたから 病院の仕事を手伝わせてもらいながら 自分が開業するための勉強をさせてもらっていましたから 取り敢えずは自活できさえすれば文句はありませんでした。ちゃんとした目的がありましたから かなり厳しい勤務条件だとは思いましたが 平気で頑張れました。その時に研修したことで 自分が開業してから今日まで 何とか病院を潰さずに経営できているのです。
    時間給をあげることを目指して活動していても 自分の将来に何の役にも立ちません。まずはきちんとした将来へのビジョンを持って その為には現在できる事 すべきことが何であるのかを よく見極めることに 最大限の努力をすべきだと思います。無責任に自分たちの権利を主張する事だけしか考えていないような団体に煽られることなく 自分の大切な将来を明るくするためには 現在何をすべきなのか 結局は自分の為になる事ですから 考えましょう。
    私が塩野義製薬を退社して 獣医師になることを目指してもう一度大学受験の準備を始めたのは 二十六歳の時でした。何とか二十七歳の時に岐阜大学の獣医学科に合格して 卒業して 自分の病院を開業したのは 当然三十歳を大分過ぎていました。人間 どのような年齢 どんなタイミングで 人生を振り返り やり直すことは 幾つになっても遅すぎることはないと思います。くだらない主張をするデモに参加する暇があったら 自分が本当にやりたい事 生涯をかけて頑張りたい仕事が何であるのかを 見つけることに全力を注いでほしいと 切に望みます。
    私が このほとんどだれも読んでいないブログで 主張したって影響力なんて 皆無であることは自覚していますが まだ若くて 無限の可能性を秘めた人たちが 無駄な回り道などなるべくしないで悔いのない人生を送れることを心より願っております。

  • 4月14日 日本の人口が六年連続で減少しているのだそうです

    とりたてて六年連続の減少に驚いている場合ではないようです。それまでなんとか人口が増えていた 減らないでいた状態から とうとう減少と言う現象が六年前に始まってしまいましたから 今後はずっと少なくとも数十年にわたって減少していくのだろうと 予測されています。現在の一億二千万人台の人口が 五十年後にはおよそ四千万人も減少して 八千八百万人位になってしまう と言う予測がたっているのだそうです。勿論五十年後には 私はとっくに死んでおりますので 想像しても実感がわいてこないので ほとんど無意味ですが 人口が最盛期の三分の二位に減少しているはずですから 現在よりも豊かな国になっている可能性は あまり高くないでしょう。
    現在でも六十五歳以上の方の占める割合 所謂年金の受け取れる 正真正銘のお年寄りの比率が四分の一以上を占めていますが 五十年後まで順当に日本と言う国が続いていたら 更に高齢者の多い国家になっているでしょう。若い人たちが少なくなってしまっては 明るくて楽しい未来など待っているわけがありません。でも現在二十歳前後のナーちゃんやユイポンは 五十年後にもお婆ちゃんとして健在なはずですから 彼女たちの為には少しでも日本が 明るくて楽しくて豊かな国であってほしいと願います。
    日本人の人口は 毎年確実に かなり減少していますが 外国人の日本への出入りをみると そこそこプラスになっているのだそうです。日本人には どうしても島国根性 と言うか日本人以外の民族に対する 警戒心が強すぎて どうしても閉鎖的で排他的な感情が表だってしまうような気がします。そりゃ見た目が違えば 言葉も文化も生きていくうえでの根本的な考え方なども 日本とはかけ離れている国々も多いのかもしれません。しかし 日本と言う国土に しっかりとした日本の文化を残していくためには 色んな国々の人たちを受け入れて 上手に馴染んで 程よく融合していくしかしょうがないように思います。
    人口の推移に関しては 寂しいデーターしか見当たらないようですが 唯一明るい数字が上がっているのが出生率なのだそうです。医学が進歩したおかげで 昔は高齢出産が難しいと言われていましたが 現在ではかなりのご高齢の女性の初産でも それほどの危険はないのだそうで 高齢出産が増えた分出生率が上昇しているのだそうです。私たちは 普段この日本と言う 安全であり安心して生活できる国に住まわせてもらっている有難味を殆ど感じていません。でも国情が安定しないために 真っ当に生きていても難民になってしまう人々が沢山いる国や 暑さ寒さなどの気候的環境がずっと厳しい国など 日本に比べて住みづらい国々はいくらでもありますから 我々は日本に生まれたことにもっと感謝の気持ちを持つべきだし 自分には直接関係なくとも 日本の未来に対して出来る事 残せることを考えて 現在を生きていくべきだと思います。
    とは申しましても もうすぐ引退して のんびりする事しか考えておりません現在の私としましては 今後の日本に何かお役にたてる事等 全く思いつきません。せめてあまりご迷惑をかけないように心掛けて生きていくことぐらいでしょうか。でも一人一人が 自分の行動に責任を持って 他人に迷惑をかけないように心掛けて生きていくことが 案外誰にでもできる 身近で現実的な未来への貢献なのかもしれないようにも思えます。直ぐにかっとなり易い私ですが 出来るだけ穏やかに 優しく思いやりのある行動を心掛けて 生きていけば 自ずとから安らかな生活が未来へ続いていくように思いますので これからできるだけそのような生き方を心懸けます。

  • 4月13日 パンツに大きな穴が開いてしまいました

    私はこのブログでは しょっちゅう書いていますが 自分は器が小さい、ケツの穴が小さい、情けないぐらいの腰抜け野郎です。ですから当然自分に全く自信が無くて 何時一文無しで 一人ぼっちで 路頭に迷ってしまうのかと不安で不安でしょうがありません。その為に 恥ずかしい話ですが よく表現すれば 始末家 普通に言えばケチンボ、悪い言い方をすれば守銭奴 であるのかもしれません。とは申しましても そんなに物欲が強いわけではありません。と言うよりもありきたりの表現をするのなら 自分に対する物欲は極めて希薄な人間 と言えるかもしれません。
    一応動物病院を 何とか潰さずに数十年経営しておりますから 決して流行っている病院ではございませんが まあ日本人の平均的な収入を下回っていることはないのかもしれません。たまにするちょっとしたぜいたくと言えば 年に二回ほど国内を数日旅行する位の事かもしれません。食いしん坊なので 時々外食で 一寸だけリッチな気分を味わいますが 普段は健康の事も多少は考慮しているつもりなので 至って質素な食事だと思います。
    服装についてもこれまでにこのブログで何度も書いてきましたが 夏仕様と冬仕様のツーパターンしかありません。上半身は 夏は下着の半そでシャツの上にポロシャツ、冬は その上にトレーナーを重ね着するだけです。下半身は年がら年中ジーパン、素足にサンダルです。トレーナーやポロシャツはいい加減くたびれたら 奥様が新しいものを 殆ど通販で購入してくれます。ジーパンやサンダルも履き潰したら やはり奥様が新品を何時の間にか 入手してくださいます。トレーナーやポロシャツジーパン は丈夫で長持ちすることが選択基準で 決して上等のブランド物などには手が届きませんし 手を伸ばすつもりもございません。私自身が洒落っ気が全然ないので ブランドの商品に対する 憧れも有難味も 全く感じませんので 完全にノーブランドの製品ばかりを着用しています。
    そんな生活ですから 正直な所 収入に比べてかなり質素で 殆どお金を無駄には使わない生活をしているように思います。酒もたばこもギャンブルも 一切興味がございません。別に爪に火をともしての ぎりぎりの切り詰めた生活をしているつもりはさらさらありませんが 客観的に見たら 結構質素で贅沢とは縁のない生活をしているのかもしれません。その為に大して収入はないのに年間そこそこの貯蓄が出来ているのかもしれません。私はこのブログでそれこそ何度も何度も書いていますが なるべく早くに仕事に見切りをつけて 引退してそれなりに優雅な老後をおくりたいので 現在せっせと貯蓄を増やしています。
    身の回りの必要なものは 殆ど奥様が用意してくださいますが さすがに下着のパンツとシャツについては 奥様も一応女性だからかもしれませんが 自分で必要に応じて 購入するように指示されております。パンツは 私は子供の頃から ずっとブリーフを愛用しています。入院している時には 病院からの指示でトランクスを着用したことがあります。別にトランクスを履いてもそれほど違和感はありませんでした。
    退院してからもしばらくはトランクス型のパンツが身近に存在していましたから ブリーフと兼用しておりましたが やはり長年履きなれたブリーフの方ばかりを履くようになり いつの間にか箪笥からトランクスが消え去りました。単になじみ深いだけの理由だと思いますが 何時の間にかトランクス型のパンツは全然はかなくなってしまいました。私は 自分の着るものに対して 全く執着や興味がないように思っていましたが やっぱり特に直に肌に触れる下着については それなりの拘りを否定できないのかもしれません。
    パンツもある程度履き古して来ると どうしてもある部分が黄色く汚れて 洗濯しても落ちなくなってきますし お尻の部分など 私の相当な体重がかかっているからかもしれませんが 徐々に薄くなってしまい 擦り切れそうになって 小さな穴が無数に開いてきます。お洒落な方でなくても 普通の男性でも 前の部分に黄色いしみが目立つし お尻の部分は穴だらけになってしまったら ゴミ箱に放り込むだろうと思います。
    でも私は そんな状態になったパンツでも 平気で履いてしまいます。見た目が多少悪かろうと 私のパンツ姿なんて誰に見せる訳ではないし 勿論誰も見たくもないでしょう。パンツとは ズボンを直接はいたら やはり男性の大切な部分が当たるところが 直ぐに汚れるだろうし 動いた時にズボンの堅い生地がこすれたら きっと大事な部分がヒリヒリしそうだから 履くのだと思っています。多少落ちないシミがついていても 小さな穴が少なからずあいていても パンツとして望まれる必要な機能を有しているのなら 全然履いても良い存在だと思うのです。
    もしも 万が一にでも 私が大好きなナーちゃんと一夜を共にできる機会があるとしたら さすがにその晩はシミ付きの穴あきのパンツは着用しません。シャネルでもビトンでも構いませんし 価格も全然気にしないで そんなブランド物の新品のパンツを履いて出かけると思いますが そんな機会は 間違いなくやってきません。私は ナーちゃんを天使か妖精のような存在と考えていますから そんなナーちゃんと私が一夜を共にする機会があったとしても 私自身で拒絶してしまうでしょう。
    そんなわけで 私は黄色いしみのついた 小さな穴が幾つも開いたパンツを平気で履き続けていましたが 今朝お風呂に入る時に 脱いだパンツの穴が直径五センチを超えていました。幾らパンツの穴に無頓着な私でも さすがにこのパンツにこれ以上働かせるのは 残酷であると判断して 普段なら脱いだらそのまま洗濯機に放り込むのですが ゴミ箱に「ご苦労様でした」と言いながら投げ込みました。今朝 頑張って働いていたパンツが最後の時を迎えた と言う 本当にどうでもいいお話でした。何のひねりも落ちもない こんな汚らしい話を 最後まで読んでくださった方には 本当に感謝いたします。ありがとうございました。