Dr.喜作のブログ

2018年12月 の記事一覧

  • 12月31日 手術をしながら新年を迎えてしまいました

    大晦日で 一応病院はお休みしていますが 私は常に急患に対応すべくスタンバイしておりましたので 昼間に数件の患者さんがお越しくださいました。今年も最後の最後まで仕事が出来て とてもありがたく感じておりましたが 夜になって 紅白歌合戦を録画しながら 格闘技を見ておりましたところ 電話が入り ラブラドールが悪戯したので 折檻していて怪我をさせてしまったという電話が入りました。考えようによっては 動物虐待みたいな飼い主さんの身勝手な行動の尻拭いをさせられるようで 気が進みませんでしたが 出血が続いているという事なので 放っては置けないので 対応することにしました。
    可愛いペットとは言え 想像を超えた悪さをしでかされると 思わずカッとなって 折檻してしまう気持ちは分らないでもありません。しかし動物は言葉を理解しませんから 既にしでかしてしまったことに対して 叱っても全くその意味を理解できません。悪さをしでかしている時に 現行犯で捕まえて 注意するのであれば ある程度 自分のどの行動に対して飼い主が腹を立てているのか理解できます。既に過去の出来事になっていることに対して あとからその現場で叱られていたとしても 幾らきつく怒られても 自分のどの行動について叱られているのか理解できませんから 全く行動を改めることは期待できないのです。
    よく犬のしつけの本に書いてあるまちがいに 犬が家の中のトイレ以外で排泄をしてしまった場合には その場所に犬の鼻をこすりつけて 叱りましょう 等と記されていますが これは全く無意味な行動です。犬にとって排泄が終わってしまってから その場所に連れて行かれても 臭いなどで排泄した場所と認識するかもしれませんが ある程度時間が経過してから その場所で叱られたって どのような理由で叱られているのか全く理解できないからです。人間が人間を叱る場合も タイミングが重要です。犬に排泄するべき場所ではない事を教えるのに適したタイミングは まさに排泄をしようとしたときに止めさせて叱ることが大切です。そのタイミングで叱られると 犬はなるほどここで排泄するのがよくない事であると理解してくれます。厳密にいうと 排泄している最中に叱っても その効果は半減してしまうと言われています。
    要するに 出かけている間に悪さをした犬に対して 帰って来てから叱っても 全く無意味であり 過度の体罰は 動物の虐待でしかありません。この飼い主さんは 全く無意味な過度の体罰を実施してしまい かなり大きなけがを負わせてしまったのです。どのような状況だったのか尋ねてみましたが 椅子が犬にぶつかった 等と訳の分からない表現をしていましたが 実は椅子で飼い犬を思い切り引っ叩いたのでしょう。来院されたので診察してみると 左のわき腹に皮膚がかぎ裂き状に破れて 中の状況を覗いてみると 皮下の筋肉にも大きな穴があいていました。筋肉と皮膚を縫合するしかなさそうなので 飼い主さんにすぐに縫合手術をすることを伝えました。
    飼い主さんも 自分のしでかした粗っぽすぎる体罰に かなり後悔し反省しておられるみたいでしたので すんなりと了解されて その犬を預かりました。預かったのが十時半ごろでしたが 手術の準備と言うか器具の滅菌に小一時間かかります。中型犬までなら一人で麻酔をかける事も出来そうでしたが 何しろ体重が三十キロ以上のラブラドールでしたので 慌てて奥様に連絡してお手伝いをお願いしなければなりませんでした。大晦日のその時間帯ですから奥様なら恐らく紅白歌合戦を見ている時間でしょうが 今年最後の手術のお手伝いをしてしまいました。十一時過ぎに手術の準備が出来たので 早速始めました。
    まずは引き裂かれた皮膚をメスで成形しながら切開しました。筋肉に開いた大きな穴を探ってみると 予想よりも大きくて深いものでした。穴の一番深い所は 何と胸膜にまで傷が及んでいました。さすがに胸膜にまで穴は空いていませんでしたが 外側からかなり傷がついていましたので 面倒ですが 胸膜の縫合をしました。続いて筋肉を元通りになるように縫合しました。最後に皮膚をしっかりと縫い合わせて手術を終了しました。ホッとして 時計を見ると 何と十二時を回っていましたので 多分皮膚を縫合しているうちに 新年を迎えてしまったようです。
    麻酔から覚めて何とか立ち上がったので 飼い主さんに電話を入れて 手術が無事終了した事を報告して 明日の朝九時ごろに迎えに来てもらう事にしました。何時の間にか新年を迎えてしまいましたから 有難みは全くありませんでしたが 仕事をしながら新年を迎えられたのですから ある意味幸せな新年の迎え方かもしれません。ちょくちょくあるのが 十一時過ぎまで起きていたのにうっかり眠ってしまって 目が覚めたら何時の間にか年が明けていたという失敗です。別に新年を迎える瞬間を実感しなくても 年なんて自然に明けるのだし その時居眠りしていてもいいようなものですが やっぱりその年のスタートを寝過ごしてしまったみたいで 残念な気持ちになりますから 仕事をしながら新年を迎えられたのは いい歳を迎えられる予兆かもしれませんので 取り敢えずは感謝しておきましょう。手術後に奥様を送りましたが 中途半端な形で新年を迎えてしまったことを 車中で何度もお詫びしました。まあ本年も 奥様にはいろいろとしんどいお願いをしてしまうでしょうが いつも機嫌よく対応してくださいますので 今年も奥様に感謝する気持ちを忘れずに 仕事に取り組もうと思いました。

  • 12月30日 乃木坂が二年続けて レコード大賞を貰いました

    大の乃木坂ファンである私が 乃木坂の事をブログに取り上げるのは 凄く久し振りだと思います。大好きなナーちゃんが実質的には年内一杯で卒業してしまう事を知ってからは ダラダラとなぎごとを書き並べてしまいそうなので あてでブログの題材として取り上げずにいたのかもしれません。私の一押しは カズミンこと高山一実ちゃんですが ナーチャンは私が生まれてから見た女の子の中で一番魅力的な女の子なので 彼女が卒業してしまったら 乃木坂への興味が正直な所半減してしまいます。
    私は乃木坂がCDデビューする前からの「乃木坂ってどこ」が放送されて直ぐからの筋金入りのファンですから 勿論メンバーの顔と名前は 四期生を除いては分りますし 年齢や出身地 性格の特長も殆どのメンバーについて記憶しています。とは言えアイドルグループそれも一期生については七年以上もファンを続けていると そこそこ飽きてきているのが本音かもしれません。今年発売されたCDにしてもナーチャンのラストになる「帰り道は遠回りしたくなる」を三枚買っただけです。秋元さんの狡い所は かならずABCと三パターン作るので ファンとしては三枚買わざるを得ないのです。カレンダーもナーチャンカズミンが登場する全体のAパターンと 個人のカレンダーは今年もカズミンをチョイスしましたがまだ到着していませんから 恐らく届くのは来年になるのでしょう。運営側もいい加減な気持ちで仕事しているとは思いたくありませんが はっきり言ってたるみ切っています。
    ナーちゃんが卒業してしまうと 私の乃木坂好きなメンバーベストテンのうち 二位のナーチャン 三位のマイマイ 四位のワカツキ 五位のラリンと カズミン以外の上位がゴッソリといなくなってしまいます。その上私の大嫌いな 秋元真夏と桜井玲香はのさばっていますから 尚更乃木坂への興味が薄れてしまいます。三期生の久保史織里とか与田祐希など 非常に魅力的なメンバーも加入してきてはいますが 恐らくカズミンが卒業した時点で 私は乃木坂ファンを辞めると思います。今の所 気に入らないメンバー渡辺梨加はいますが 特に嫌いなメンバーのいない欅坂のファンは継続すると思います。どうしても注目度の低いひらがなけやきは一番応援したい気持ちです。私は幾つになっても スケベジジイなので 若いぴちぴちした女の子が大好きなので アイドルファンは死ぬまで続くと思いますが 実際に死ぬ時には一体誰のファンであるのでしょうか。
    話がレコード大賞から全く外れてしまっていますので 元に戻します。ファンとしては受賞させていただいた名誉を素直に喜ぶべきだと思いますが 果たして[シンクロニシティ」が今年を代表するほどインパクトのある曲だったのかと言うと 首を傾げてしまいます。国民全般へのインパクトで言うと 「USA]の方がずっと大きかったのではないでしょうか。大人から子供までの認知度で見れば段違いだったように思います。個人的には 「USA]の歌詞もメロディーもダンスも 凄くダサくて何であれほど世間で騒がれるのか不思議でしょうがないのですが 世の中に受け入れられてしまったものは仕方がないのかもしれません。
    それからわたしはあまりなじみがないのですが米津玄師の楽曲の方が 今ではCDの売り上げ枚数だけではヒットしているかどうか判断できないのでしょうが ダウンロード数やカラオケで歌われた回数などは圧倒的に多かったようですから 彼が受賞する方が妥当だったのではないかと思ってしまいます。乃木坂もかなり認知度が上がって来ていて グッヅも含めた売上や 集客力ではトップクラスかもしれませんが レコード大賞を二年続けて頂くほどの活躍ではなかったように思います。乃木坂の大ファンの私が 素直に喜べない位ですから 世の中首を傾げている方が非常に多いのではないでしょうか。正直な気持ち 大嫌いなサシコがガッカリしているであろうことだけが 喜ばしく感じます。
    そんな訳で 大好きなナーちゃんが花道を飾れたのは 嬉しい事この上ありませんが もう少し納得できる人の多い受賞者選びをすべきではなかったのかと思ってしまいました。

  • 12月27日 今年の重大ニュース

    日本と言う国にとっては 豪雨や台風 地震などの大きな災害によって 被害を受けたことが 強く印象に残っています。印象に残るどころか 私の病院も入口のテントが台風でふっとばされて 現実的な被害を受けてしまいましたので くっきりとした記憶に残ってしまいました。同時に被害を受けた看板の修理がキチンと終わったのは つい最近の事でしたから 尚更忘れられません。これまでに阪神大震災や 高槻を震源とした今年の地震 予報によるととんでもなく強大な台風に見舞われても 実害を全く受けていませんでしたから 私の体と同様に 病院の建物自体が老朽化してきているのは否めないのかもしれません。
    相変わらず 大嫌いなアベチャンの政権に何事もなく過ぎてしまったことと 日大の悪質タックルについて 本来責任を取るべき人間がほとんど無傷に終わってしまったことが 不愉快な出来事のツートップだと思います。結局無責任で無能であり独善的な首相のもとでは 日本と言う国の現状が改善されないのは当然かもしれません。かといってだれが首相にふさわしいかと 考えてみても思い当たる人物が自民党の若手にチラホラ見え隠れしているぐらいで 肝腎の野党には 皆目見当たりませんから 日本の将来は明るくないのかもしれません。
    日大の悪質タックル問題については 現在の日本では 本来責任をきちんと取って処罰を受けるべき人間が 安穏と生き延びてしまう事が日常茶飯事なのかもしれませんが その事がたまたまわかりやすい形で発覚してしまっただけの事のような気もしますから 現実的にはそれほど大騒ぎして取り上げるほどの事件ではないのかもしれません。私も還暦を過ぎた人間ですから 何も世の中水戸黄門のドラマのような分り易い勧善懲悪で出来上がっているなどとは思いませんが 自分の生まれ育って 恐らくは死んでいくであろう国ですから もう少しだけでも清廉潔白に向かう国であってほしいものです。
    プライベートな事で振り返ると 今年の目標として掲げたのが 若い女の子みたいで恥ずかしかったのですが 減量 体重を減らす事に取り組んでまいりました。年末少し気を許してしまいましたので あっと言う間に体重増加してしまっておりますが 現在92キログラム位です。今年の元旦の体重が100キロ丁度でしたから 一年かけて落ちた体重は僅かばかりですが まあ体重を落とすことは 患っております心臓の負担を減らす事にもなりますし 血糖値を低い状態に保つことにもつながります。当面の私の生涯の目標である「元気で長生きする」に直結する事なので 来年は目標を何とか80キログラムにおいて 引き続き頑張って減量に取り組んでみようと考えております。
    プライベートな面では 一つ目の大学時代のメンバーとの食事会を企画して 一回目の五人から十一人に参加人数が増えました。関西に在住の先輩 同輩に輪が広がり 友人関係が復活したことが とても嬉しい事でした。何しろ二十歳前後に巡り合った人たちばかりですから 上手くいけば恐らく死ぬまでいいお付き合いが期待できる人たちばかりです。この歳になると お金も大切ですが 友人と言う財産はどれだけお金を積んでも手に入りませんから この方たちとのお付き合いを大切にしていきたいと考えております。
    友人関係と言えば 久し振りに と言うよりも卒業してから初めて 高校の学区年単位の同窓会に参加して 懐かしい人たちと再会したことも 凄く大きな そしてとても嬉しい出来事でした。自慢するわけではありませんが かなり賢い人たちの集まりですから 参加された方は皆さん何かしらやり遂げたり やり遂げつつある人物ばかりで 私のようにふらついた人生の人間は 殆ど参加していなくて 圧倒されてしまう事ばかりでしたが 四十年以上ぶりの再会でも 参加された皆さんと 割とスムーズに話が出来たことは 有難かったです。
    十月に 変則的な集まりですが 一年生の時のクラス同窓会が企画されましたので そちらにも参加してみましたら 今度は参加人数が限られていましたので より密度の高い昔話に花が咲いて盛り上がりました。そのうちの一人とは 十二月になってから 夫婦で食事を共にして 個人的に旧交を温めましたので 卒業以来全く疎遠になっておりましたが 今後しっかりとつながりを再生していきたいと考えております。
    その他では 仕事では大きな失敗やつまづきはなかったように思いますし 売り上げ的にも 将来に向けての貯蓄の面から考えても 順調な一年であったことに 感謝しなければならないと考えております。このブログの更新頻度が このところ凄く低下してしまったことは 反省材料としてあげておくべきことかもしれません。私は男としては 決して褒めらられる事ではありませんが かなりお喋りな人間で このブログにも どうでもいい事ばかりダラダラと 書き綴って参りました。読んで頂いている方は 簡単に数えられる位の人数しかいらっしゃらないとは分っておりますが 極たまに来院された飼い主さんから ブログので取り上げた話題を持ち出されたり 「楽しみに読んでいます」とお褒めの言葉を頂いたりしますので それを励みに結構頻繁に更新してまいりました。
    性格に難のある私なので 友人が凄く少ないのですが 何故かこの所 メールをやり取りする友人 所謂メル友が とっても有り難いことに 急に複数人出来てしまいました。その方たちとのメールのやり取りに かなり時間を取られてしまいますし 私としてはキーボードで文字を打ち込む作業としては 似たような動作なので メールの文章を沢山打ち込んでしまうと それだけでお喋りな私の欲求がかなり満たされてしまっておりましたので どうしてもブログの更新がおろそかになってしまっておりました。更新が滞ると もともと少ないであろう読んでくださる方が さらに減少してしまうのは 間違いありませんので 来年はまた出来るだけこまめに更新することを目指そうと思っておりますので どうぞよろしくお願い致します。
    私は世間知らずの大馬鹿者なので もっと日本にとって重大な出来事が山ほどあったのを 取り上げてカッコよく論じてみようと思って書き始めましたが 殆ど個人的な反省会になってしまいました。まあ所詮私のブログなんてこんなものだと思いますので 見捨てないでお付き合いを続けてください。何卒よしなにお願い致します。  

  • 12月25日 今年は年賀状を早めに書き上げました

    例年なら 今頃になってやっと刷り上がったものに 幾つかパターン化されていますが 相手によって考えて 一言書き加える作業に追われている時期ですが 今年は 十二月になって直ぐにまずは図案を考えました。考えると言っても パソコンに入っている年賀状ソフトから 背景を選び 来年の干支であるイノシシのメインキャラクターをチョイスして 付属品の小物までバランスや色どりを考えて選択します。少なくとも挨拶の文面だけは自分で考えて打ち込むように心掛けております。今年の一文字として 災が選ばれた年が明ける訳ですから 来年は明るくて楽しい年になってほしいと思いながら 年賀状の図案を考えました。自分なりに仕上がったと思ったら 一応奥様にチェックしてもらいます。
    奥様は芸大出身で 私よりもずっと美術的なセンスが優れておられますので 毎年最後に仕上げの手直しをお願いしています。「プレバト」と言うテレビ番組で 俳句の先生の小母ちゃんが何時も偉そうに発言しています。最初は偉そうなおばちゃんの態度に 少しムカついていましたが その先生が生徒の作品をほんの少し手直しすると 確かに作者の意図がずっとはっきりとわかり易く伝わるようになりますから このおばちゃんの偉そうな態度を皆がありがたく受け入れていることに納得しました。
    美術方面のセンスが段違いの奥様が 幾らか手直しをしてくれると やっぱり明らかに見栄えがよくなりますから 毎年どうして最初からそのような図案を作れなかったのか 不思議に思うし 悔しくもありますが 有難いことなので 仕上げの調整を何時もお願いしてしまいます。私は 父親の趣味で強制されただけの事ですが 小さい頃からマリンバとピアノという楽器を習わされていましたし 大学生以降は合唱と関わりを持つことが多かったので 歌はそこそこうまいと自惚れていますし 音楽の知識や素養は 人並み以上にあるつもりです。所が 美術方面については 子供の頃から苦労していましたし 事実成績も悪かったです。小学校の三年生の時の二学期に 図工の評価として五段階評価で2を貰いました。最初で最後でしたが 本当に屈辱的な思いをしましたので 還暦を過ぎた今でもその時の悔しさは忘れられません。
    中学生の時も 三年生で美術の評価で十段階評価で5を貰った時も屈辱的でした。男子は技術と言う科目もありました。椅子や塵取りを作らされたのですが 私は例によって不器用さを発揮してしまい とても上手な作品は出来ませんでしたが 筆記試験で何時も百点満点を取っていましたので 先生が勘違いをしていたのかどうかわかりませんが評価としては10を貰っていました。中三の時の成績は9科目を十段階評価されて その合計した数値でやはり十段階に評価されて その成績が内申点として 受験する高校に送られます。私は美術が5と言う極端に低い評価のために 合計点が下がってしまい残念ながら9の評価しかもらえませんでしたので その時の美術の教師を凄く恨んだこともよく覚えています。
    まあ美術や音楽と言った方面の成績は 持って生まれた才能によるものでしょうから いくら努力しても なかなか上手くならないのは致し方のない事かもしれません。私がどんなに頑張ってみても 上手な絵はかけないし 逆に音痴な人が幾ら練習しても 音程が外れるのはどうしょうもない事のようです。要するに私の美術センスは 還暦を過ぎてもやっぱり残念な年賀状しか作れないので センスのある奥様に手直ししてもらって そこそこの見栄えになっているのではないかと 自画自賛しております。
    文面が早めに出来上がったので 宛名書きをしましたが この段階をあまり速めにしてしまうと 宛名書きが終わった段階で 喪中ハガキが届くことがありますので要注意です。私の年齢になると 本人が無くなることはさすがに殆どありませんが そのご両親などが亡くなられる方が多いので 毎年数人は年賀状を出すのを差し控えなければなりません。喪中ハガキと言うのは その年の遅くに亡くなられたのなら致し方がありませんが 早目にお亡くなりになられた場合は 早目に十一月中に届いてもいいと思いますので こちらの年賀状の準備との兼ね合いもありますから とにかく早めに届くようにお願いしたいです。喪中で年賀状を出せない相手には 年が明けてから 暇があれば 寒中見舞いを差し上げております。やはり年に一度ぐらいは キチンとした挨拶をしておきたいという気持ちです。期待していない時期にハガキが届くので 結構印象に残ると思いますし 喜んでいただけているのではないでしょうか。これもまた自画自賛の自己満足かもしれませんけれど。とにかく今年は 締め切りに追われないうちに年賀状を投函できましたので いつもよりも余裕のある年末のような気がします。

  • 12月24日 本日は クリスマスイブで天皇誕生日の振替休日です

    今上天皇が来年退位されますが 来年のカレンダーでは お誕生日にはすでに 退位されていますから祝日とは表記されていません。昭和天皇のお誕生日は ゴールデンウィークを形成する祝日だったために お亡くなりになられてから「緑の日」や「昭和の日」と言う名称で 祝日として残っています。明治天皇や大正天皇のお誕生日も祝日として残っていませんから 当たり前なのかもしれませんが 退位されただけで 生存されているのですから お誕生日をお祝いする日として残してもいいのではないかとも考えてしまいます。
    平成の次の元号がどの様なものになるのか 想像もつきませんが 病院の伝票などで 平成と元号が印刷されてあるものが幾つかありますので それが一寸困ったことになります。まあ当面は 平成と言う文字を二重線で消して 新しい元号に書き直しすればいいのかもしれませんが そんなごまかしをいつまでも続けてはいられないと思いますから さっさと仕事を打ち切った方がいいのかもしれません。昭和生まれと言えば 平成生まれの若い人たちから見れば 一昔前の遺物のように思われていたのかもしれませんが 新しい元号の時代になれば 二昔前に生まれた 正真正銘のお年寄りとして認識されてしまいそうで 不安ですが 来年には62歳になってしまいますから 致し方のない事かもしれません。長い事生きてきましたから 三つ目の時代を生きることになりますが まあ残りわずかしかないはずの私の人生ですから より慎重にそして大切に生きていこうと思います。
    日本人ほど信仰心が希薄な国民は 世界でもまれなように思いますが 何故かクリスマス キリストさんのお誕生日 それもその前日のクリスマスイブを 有難がる分けの解からない習性があることを昔から不思議に思っていました。キリスト教の信者さんたち 普段から教会通っていらっしゃる方々が クリスマスを大切にされるのは 最も過ぎる事だと思います。子供たちがプレゼントをもらえる日として楽しみにするのは 私にとっても誕生日とともに重大な日でありましたから 分らなくもありません。
    キリスト教の信者は 日本人のほんの数パーセントにすぎないのに ずっと沢山いる仏教徒がどうして御釈迦さんのお誕生日を 大切にしてお祝いしないのか理解に苦しんでしまいます。まあこんな日に屁理屈こねてぼやいても仕方がないし 私にとっては至って普通の日ですから 本日も簡単な手術をして 来院された患者さんを診察しました。よりによってこんな日に手術をしなくたってとか 具合が悪くならないでも と言ったって飼い主さんにも都合があるし 体調とクリスマスイブは全く無縁のものですから しょうがないでしょう。こちらとしては せっかく通常通りに仕事をする体制で臨んでいますから 仕事があれば 売り上げにもつながりますから 有難いことです。
    クリスマスの頃には かなり冷え込むとか言われていましたが 本日はそこそこ暖かくて過ごし易かったです。今年は暖冬らしくて 助かっている人が多いのかもしれませんが スキー場などの方々にすれば 雪が積もらなくて 死活問題になっているみたいです。昨年だったか今年の最初の方だったかよく覚えていませんが 雪による災害でお亡くなりになられた方がいらっしゃったように記憶しています。そんな不幸な事件は勿論起こってほしくありませんが スキーやスノボを楽しみにしていらっしゃる方も少なくないと思いますので 適度に寒くなって丁度いいくらいの雪が降ってくれればいいのですが なかなか人間の都合よくは事が運ばないと思います。
    病院としては 何とか最低限の目標はクリアできるぐらいに売り上げが上がっておりますので 有難いことだと思っております。まあ何とか健康で怪我もしないで 仕事が出来て 奥様のご機嫌が麗しければ 私は仕合わせですので 何とか無事に仕事が出来て良い年が迎えられるように精進していこうと思っておりますので 皆様今後ともどうぞよろしくお願い致します。

  • 12月20日 今年一番心残りな出来事

    日大アメフト部の選手が行った 危険タックルのその後の流れが 今年一番残念な出来事だったように思います。私は軟弱な文科系の混声合唱団に所属していましたから 偉そうなことは全然言えない事を自覚しているつもりですが そもそも大学の体育会系の部活動が 私が学生だった頃も 現在でもいわゆるパワハラパラダイスであるのは 間違いない様に想像します。人間なんて 元来自分に甘い生き物ですから 一流の強い運動部では 凄く厳しい上下関係のピラミッドが 完成されているのは 当然すぎる事かもしれないのであろうと思います。
    私は何も絵にかいたような 純粋なスポーツマンシップが存在しているなんて 青臭い勘違いをしているつもりはありません。昔ラグビー部で頑張っている友人から聞いた話ですが 例えば自分が左ひざを痛めているとしたら 右ひざにサポーターをはめて試合に臨むのだそうです。ボールを持って突進するときに 当然相手側はタックルして 前進することを阻止しようとしてくるわけですが その時にはサポーターを巻いている足の方にタックルを受ける場合が多いのだそうです。相手が怪我している方の足をわざわざ狙うような 姑息な考え方ではないのかもしれませんが 反射的に弱っている足にタックルした方が 突進を止めやすいであろうと本能的に判断するからなのか 真剣にラグビーに取り組んだことがないのでわかりませんが 結果的には サポーターをした方の足をタックルされるのは致し方のない事かもしれません。
    使い古された言葉かもしれませんが 「強い方が勝つのではなくて 勝った方が強かったと評価されるのです」から 遮二無二勝つことを目指すのは スポーツを真剣に取り組んでいれば当然の考え方だと思います。今回の日大の選手が犯した反則も たまたま録画されていた映像が 巷に流されてしまったから 大問題に発展してしまったのです。もしあの映像が 録画されて 巷にばらまかれていなければ アメフトと言う選手同士が密接にコンタクトし合うスポーツのゲーム中に起こった 不幸な偶然による一反則行為として見過ごされていたのかもしれない出来事なのです。
    今回はたまたま暴露されてしまった 日大アメフト部の勝つためにはどんな卑怯な反則行為も許されるという 恐ろしいポリシーが 偶然に発覚してしまっただけの事のように 私は思います。そして発覚してしまったことをきっかけにして その行為を行った選手がとんでもない勇気を振絞って 記者会見の場で その真実を暴露したことに マスコミが飛びついたので 大きく問題視されるようになっただけの事のように思います。私は 反則行為を絶対に逆らえない状況下で命令されたとはいえ 危険な反則行為を犯してしまった選手をほめたたえたくはありませんが 記者会見で自分の犯した行為や その時の気持ち等を全て告白して きちんと謝罪したのですから そこからの行いは凄く立派であり 尊敬に値する人物だと思います。
    私が腹立たしく思うのは その選手の試合後に行った 素晴らしい行為に対して 直接反則行為を命じた一番の元凶である監督とコーチが 一切責任を認めないで 見苦しくも足掻いている事と その元凶どもに対して 厳しく対応しない日大の経営陣への不快感が凄く強いです。かなり時間を経過してから 役職の名称は立派なのに 立場が監督よりも下っ端である学長と言うのが登場してきて 形ばかりのおざなりな謝罪をしていた事も非常に不愉快でしたが 結局は日大のトップに君臨する化け物が 一度も公の場には登場して 謝罪するのか開き直るのか どちらでもいいけれど 取り敢えずは人前に顔ぐらい出すのが 人としての最低限の礼節だと思いますが 頑として一度も人前に登場しなかったことが 今回の最大の不愉快な出来事です。
    この日大のトップに君臨し続けている怪物は これまでにも何度も似たような問題を起こしてきているのだそうです。マスコミに取り上げられて世間の知るところになったのは たまたま今回の事件が初めてなのだそうですが これまでの世間に走られていないだけの大問題が起きた時も 結局は人の噂の七十五日 と言う極ごく簡単な理論で乗り切ってきたらしいのですが 今回の大問題も結局はこれまでと同じ対応法で 世間がいつの間にか忘れ去ってしまってくれて 責任者としては全く何の対応もしないままに乗り切ってしまうことが 腹立たしくてしょうがありません。
    可哀想なのは アメフト部で頑張って練習を続けている選手たちです。結局今シーズンは 公式戦に参加できませんから 自動的に来年は トップリーグ落ちしてしまいます。日大クラスになるとアメフト部で目立つ活躍をして 就職していく選手も少なからずいたはずですから その子たちの人生設計まで醜い大人たちの卑劣極まりない行為によって狂わされてしまったようで とても可哀想に思えてしまいます。
    不愉快な出来事の炎に油を注ぐような行為が 監督やコーチたちが全く反省する態度を見せずに 偉そうに自分たちの受けた処分に対して 反論する姿勢を見せている事です。そして最後に不愉快の極みだったのが 第三者委員会が日大首脳部に 非がありと 判断しているのにもかかわらず 大学の運動部の実態について全く何もわかっていない警察が 一体どこの誰に対してどの様な意味合いで忖度したのか知りませんが 日大側に責任はないので 監督コーチの責任は問わないと判断してしまったことです。
    昨今の法曹界を描いたドラマで「99.9パーセント」と「スーツ」と言うのがありました。この中で 描かれていたのは 日本で犯罪が行われると警察が事件の捜査をして 犯人を特定し捕まえて 起訴するに足る証拠を集めます。その先の段階として 容疑者が検察に送られて 起訴されるかどうか判断され 起訴されれば裁判にかけられます。99.9パーセントと言うのは 一旦起訴されてしまうと 裁判にかけられて 有罪の判決を下される確率の数字です。つまり一旦起訴されてしまうと 殆どの事件が間違いなく有罪と判断されているのが 現実なのです。つまり検察は 絶対に裁判でひっくり返されない事件だけを起訴するのです。逆にもしかしたら無罪と判決されてしまう可能性がそこそこある事件はほぼほぼ間違いなく不起訴処分と判断されてしまうのです。裁判にかけて 白黒はっきりさせる機会すら与えられずに お終いになってしまうのです。つまりかなりの数の悪い奴らが 不起訴処分即ち無罪放免されているのだと思います。
    今回の日大アメフト部監督が下した選手への命令も 周囲の状況証拠は間違いなくクロを示しているのかもしれませんが 裁判官がクロと判断するような決定的な証拠が存在しないので 検察に持ち込むことの前の段階で 白旗をあげてしまったとしか 考えようがありません。警察の言い分は「反則が行われたその瞬間を 監督が自分の目で見ていない」ので監督が命令したとは言えない と言う訳のサッパリわからん理由をあげています。監督にしたら いざと言う時のアリバイ作りに 反則が実行されるタイミングは熟知しているはずですから わざとその行為が見えない状況を作ることなど簡単な作業でしょう。
    それから その反則行為が行われた時に 凄く危険な行為であると判断されていたのなら 即刻レッドカード 一発退場の処分を受けているはずなのに 審判がそのように判断していないから その反則行為が大して危険な行為ではなかった 等と全くアメフトと言うスポーツを理解していない事から来るとんでもない勘違いの判断です。審判はあくまでもボールが存在するスペースに全神経を集中しています。ボールを投げ終わったクウォーターバックの動きなどは 一切見ていないのは当然です。反則を受けた選手にしても ボールを投げる瞬間までは 集中して緊張してプレイしているはずですが ボールが手を離れた瞬間から 自分は役目をはたして ステージを降りたと判断して 気を抜いて 緊張感もなくしているはずで その瞬間にタックルを受けるのが どれだけケガをしやすい危険な反則行為か 全くわかっていない人間の判断であるように思います。
    警察にも 当然アメフトの経験者もいる筈でしょうから 監督が反則行為を行われる瞬間を目撃していないようにこうどうする事なんて簡単なはずだし ボールを投げ終わって 一旦注目されない場所 いわば楽屋で起こった反則について審判の目が届かなくて きちんとした判断が出来なかったことは 日大側に責任を問えない事と判断することが無茶苦茶な事であるのは分っていたはずですが 逆にはっきりクロと証明することが いかに難しいのかもよく分っていたので 恐らく波風を立てて自分たちの責任が追及されることを恐れたのかもしれませんが 日大側の責任を認めなかったのだと思います。
    この事件は たまたま反則行為のその瞬間が撮影されて巷に暴露された事と その反則を実行した選手の 勇気ある行動によって 恐ろしい悪巧みが白日の下にさらされたのですが 結局は今回の事件の元凶であるアメフト部の監督もコーチも全く反省していなくて かえって開き直っているし 日大の責任者はいつものパターンで 時間がたてば人は忘れてしまうという法則に従って 難なく責任逃れをしてしまうし 警察も腰抜け野郎どもの集団で 波風立てずに終わらせようとしかしないことが 明らかになった事で 現在の日本の腐りきった現状が少しだけ明らかになった事件だったと思います。
    結局は 圧倒的多数派の国会議員に担がれた 総理大臣が やりたい放題の事をしても周囲の人間が自ずと忖度してしまって 問題なしと判断される日本を象徴しているようです。まあ世界に目を向ければ 香港の民主化運動も みんなの注目が無くなるまで何にもしないでほったらかしにしておいて みんなが忘れ去ったタイミングを見計らってデモ隊を強制撤去させた中国政府を責める声が全然上がらないのですから この世の中 結局は大きな権力に逆らえないのは致し方のない事かもしれません。 

  • 12月15日 近所のスーパーが店を閉じました

    うちの病院から 歩いて二三分の所にあった「ゲット」という 元々は飲み物やお菓子の類を卸売りのような安い価格で販売していましたが いつの間にか肉や野菜、魚などの生鮮食品まで扱うスーパーマーケットのような 近所に住む者にとっては 有難い存在となっていたであろうお店が 本日をもって閉店しました。その昔そこは 畑が広がっていて お店が出来る前にそこにある芋畑で 芋ほりをしたのが懐かしい思い出ですが ある時突然畑であったところが造成されて 広い駐車場を持つ店舗が出来上がったのです。
    開店当初は ジュースなどの飲み物や お菓子の類が 包装単位は大きかったかもしれませんが かなりの割安感のある価格で販売していましたから それなりにお客さんが集まって 繁盛していたように思います。お店の特性を生かして その分野に特化しての発展を目指せばよかったのかもしれませんが いつの間にかお酒の類を販売するようになり 肉や魚野菜の類にまで手を広げて 一般的なスーパーマーケットのように 商売の範囲を広げてしまい 結局はそのことが原因かどうかは知りませんが 閉店に追い込まれてしまいました。
    扱っている生鮮食品の品質と鮮度と価格の兼ね合いに関しては 正直な所あまり魅力的なお店とは言えませんでしたが とにかく歩いてすぐの所にありますから 便利なので頻繁に利用していました。病院の仕事が夜の八時までで そのお店も八時に閉まりますので 病院の終いがけに患者さんがいなくて暇な時に 度々出かけて 終いがけで値引きしてあるお総菜などの商品を狙って 買い物に出かけたものです。行くタイミングが終いがけだったからかもしれませんが 殆ど他にお客さんがいなくて かなり暇そうな状態なのに アルバイトの小母ちゃんやお姉ちゃんが結構な人数いましたから 不思議には思っていました。もともとスーパーの類のお店は 薄利多売が原則のはずで 利益率がいいわけないのに どうして必要以上と思われる人数の人間を雇っていたのでしょうか。
    うちの病院も一時期は 売り上げが右肩上がりで アルバイトの女の子やトリマーさんを何人か雇っていた時代もありました。毎年人件費として数百万円を計上していたこともありました。その時は 病院の掃除や 手術の準備 器具の後片付けなど まかせっきりにしておりましたので 当然雑用から解放されて 楽ちんでした。所が 残念ながら売り上げが頭打ちになり 少しずつ減少し始めました。まあその頃には 開業当初や病院の土地建物を買い取った時のように 数千万円の借金を抱えていて その返済に四苦八苦していた時代は終わっていましたから 奥様と二人で暮らしていって 将来の蓄えが毎年そこそこの金額出来るのであれば それで十分だと判断して アルバイトの類で人を雇うのを直ぐにやめてしまいました。
    当然掃除や 準備後片付けなどの雑用を自分でしなければなりませんが 自分でできることであり 当然しなければならない事を 自分が面倒なのを辛抱してやるだけで 十年間で数千万円の蓄えが出来るのですから 大して苦痛には感じませんでした。現在は 仕事を辞めて引退するまでカウントダウンに入っている時期を迎えて 更に病院の売り上げは落ち込んできていますが 一年で蓄える最低の目標金額は達成できていますので まあ有難いことだと思うようにしております。
    この「ゲット」と言うお店も 数か月前からお酒の販売をやめていました。寝かせておく金額が大きいし それほど頻繁に売れる商品ではないはずなので 資金繰りが苦しくなってきているのかなと思っていたら 先日突然閉店を予告する貼り紙を見つけましたので やっぱりかと思いました。それにしても 経費を削減しようと考えたら さして必要とも思えない人数を雇う事を考え直した方が 有効であったのではないかと思います。「ゲット」が出来たおかげでと言うか影響で 以前からあった「マツヨシ」と言うやはりすごく近所にあったスーパーが あっと言う間に閉店してしまいましたから 「ゲット」と言うお店が無くなってしまう事は 病院が開業してからずっと すぐ側にスーパーマーケットがある状態でなくなってしまいますので 不便になり 困ったことです。もう少し賢明な経営努力をして 営業を継続してほしかったです。
    まあ「他人のふり見てわがふり直せ」という言葉がありますから うちの病院も経営難で潰れてしまわないように 気を付けてあと少しだけ仕事に精を出そうと思いました。

  • 12月5日 高1の時の一番の仲良しの友人と夫婦同士で食事をしました

    高校時代の同窓会が 学年単位で春に行われましたので 参加したことはこのブログでも報告しました。高1の時のクラス単位での同窓会が秋に行われて 参加したことも同じくブログに書きました。その時に高一時代に一番仲の良かった友人と再会しましたが 僅かな時間ではゆっくりと話が出来なかったので 改めての再会を約束して本日互いに奥さんも交えての食事会を開いたのです。彼は高校卒業後 文系のクラスにいましたから 大阪市大の本人に確認はしておりませんが 恐らく経済学部辺りをを卒業して 近鉄に就職したのだそうです。立派な大学を卒業して 一流の企業に就職してずっと勤めあげてきたのですから 順調な人生を歩んできたのだと思います。
    高校の一年生の時に たまたま同じクラスになり 話が合ったので 一番一緒にいることが多かった級友でした。当時は 麻雀が男子高校生の遊びとしては メジャーな存在でしたので よく互いの家で泊りがけで徹夜麻雀を楽しんだものです。四条畷高校は 私たちの学年から 学区改変が行われて 大阪第四学区のトップ校になりましたので クラスで勉強のできる最上位の子ばかりが集まっていました。私も別に自惚れていたわけではありませんが そこそこお勉強のできる部類の人間だと勘違いしておりましたが 初めて定期試験を受けた時に ウッカリすると平均点を下回るので かなり焦ったのをよく覚えています。
    私もその友人も 下手したら落ちこぼれてしまいそうな状況に 生まれて初めて感じる 相当な劣等感を共有していましたので 特に話が合ったのかもしれません。彼はもともと守口辺りに住んでいましたが 入学するのと同じタイミングで 泉南地域に引っ越したので 通学に時間がかかるから クラブ活動を諦めたようです。私は合唱部に入ろうと思いましたが 雰囲気が自分に合いそうになかったので 無理して入部して波風を立てるのも 気が進まないので 諦めて三年間部活動はしないで過ごしました。その反動で 大学に入ると 直ぐにサークル活動として混声合唱団に参加して どっぷりと浸った生活をしたのかもしれません。
    一年生の時には 凄くよく話をしましたが 二年三年と 別のクラスになってしまったので 自然と疎遠になってしまったようです。卒業してからは 進学した立命館大学が 少なからずコンプレックスになってしまったので それ以降の高校の集まりには 一切参加しませんでしたので その友人とも全く縁が切れてしまっていました。そして人生の大きな節目である還暦を迎えて 催された同窓会に思い切って参加してみて その事がきっかけになって その友人とも凄く久し振りに再会しました。とても懐かしかったし ジックリと話したかったので 本日個人的な再会の場を作りました。彼の奥様とは初対面でしたが 気さくで話し易かったので 直ぐに打解けて話す事が出来て 楽しい時間が過ごせました。私の奥様は 人見知りをしないので 直ぐに誰とでも親しくなれる性格ですから 友人ともその奥様ともすぐに親しくなって 楽しくて有意義な時間をを過ごしてくれていたように思います。
    私にとって 彼はかなり影響力を持った存在です。私は高校時代から 人間相手ではなくて いきものを相手の仕事をしたいと考えていましたが その事を彼に話すと かなり懐疑的な意見を述べました。高校生としては仕方がないのかもしれませんが いきもの相手の仕事と言えば 理学部の生物学科にでも進学して 研究者としての道を歩むことを おぼろげながら夢見ていましたが その方面に進んで 所謂学者として身をたてることは かなり難しいだろうと言ったのです。
    確かに 名の通った大学の理学部は 入学するのにはかなりの学力の高さを求められるでしょうし 例え運よくそのような場所で勉強する為機会がつかめたとしても その後長年にわたる懸命な努力を継続することを求められ続けて行く人生が待っているでしょう。私のようなグウタラな人間に そのような険しい道のりは とても歩んでいけそうにありません。ほんの数か月同じ教室で学び 語り合いともに遊んだ友人に 私の本質的な部分を見透かされてしまったことが 初めての経験だったので かなり驚きましたが 逆にうれしい気持ちにもなりました。
    私の人生は 一度普通の大学を出て一般企業に勤めてから どうしても動物相手の仕事がしたくて 結局獣医さんの道を選択しましたが 動物を相手にしていて 比較的身を立てやすい職業に進むことになったのは 彼から高校時代にもらったアドバイスのおかげかもしれませんでした。そこで 現在の私にとっての一番の懸案事項である 仕事を引退してからの移住先についても アドバイスを求めてみました。偶然かもしれませんが 彼は現在不動産関係の仕事についていたからかもしれません。
    取り敢えず私は 仕事を辞めてしまったら 奥様と二人で静かにのんびりと生活していきたいのです。その為には ある程度の自然がたっぷりとある環境が望ましいのですが 病気を患っている身なので そこそこ信頼できる病院や 食料品や日用品を買い物できるお店が 近所にあると助かります。ゆったりと暮したいので 出来たら二百坪以上の土地が欲しいです。奥様と二人で 静かに暮らすだけですから 二十坪位 間取りとしては2LDKもあれば十分なので 客観的に見ても それほど贅沢を望んでいるわけではないつもりです。
    私は 人よりも大きく回り道をしましたから それ程大金を貯め込んでいるわけではありませんので 金額的な上限もあまり高くありません。そんな私の我儘な望みを叶えてくれそうな土地を探すのには かなり苦労しそうです。取り敢えず彼からもらったアドバイスは いきなりそこの土地に住むことを決めてしまわないで そのご近所辺りでしばらく仮住まいでもして その場所の気候や土地柄 ご近所さん付き合い 等を体験してみて そこの土地柄をよく把握してから移住するべきだという事でした。確かに いきなり勝負をかけて移住してしまうのは 軽率な行動かもしれません。但し私の老後はそれほど時間的な余裕がなさそうなので あんまり悠長に構えてもいられないのかもしれません。
    年が明けてからの旅行は 彼が地方で住むのなら大分県をおすすめしてくれました。奥様がたまたま大分の出身なので 大分県にはもともと関心がありましたし 私の注目していた移住先プロジェクトが存在していましたので 急に移住先候補地として浮かんできました。年が明けて寒い時期の旅行先として 大分県に出かけてみようかとも思うようになりました。私が移住先として一番に考えていたのは 暖かい南の島 石垣島が移住先候補の一番手でした。但しそんな南の果てに住んでいたのでは 日本全国津々浦々をキャンピングカーで回ってみたい と言う引退後の最大の楽しみにとっては 大きなハンディになると 友人から意見されて それでは日本と言うか本州の中心に位置する 長野県か静岡県辺りがいいのではないかと考えて 何度か尋ねてみましたが もう一つ決め手に欠けていました。
    そんな時に 九州の大分県と言う暖かな地域が候補地として急浮上してきました。引退してからの移住先と言う 私の残りの人生がかかった 非常に重大な決め事が 友人の意見で簡単に左右されてしまいそうで 幾つになっても優柔不断な自分の性格にも呆れてしまいますが まあここは本日いただいたアドバイスに従って 取り敢えずはその地でしばらく生活してみて 本当にその場所に自分が済みたいと感じられるのかどうか 試してみることが賢明な判断をするためには いい方法なのかもしれないと考えるようになりました。
    本日再会して ゆっくりと話した友人は またまた私の人生にとって大きくて有益なアドバイスをしてくれたのかもしれません。今後とも末永く仲良くしていきたいと強く思いました。