Dr.喜作のブログ

2015年2月 の記事一覧

  • 2月28日 またまた膀胱炎の猫が深夜に来院しました

    基本的に猫の膀胱炎は寒い季節に起こりやすい病気です。その年によって膀胱炎の猫が沢山来院する年もあれば 殆ど来院されない年もあります。今年は猫の膀胱炎の当たり年 等と表現すると罰当たりですが 開業して以来一番来院される患者さんの数が多い年かもしれません。

    猫の膀胱炎とは 猫のおしっこが正常であれば酸性の状態のはずですが フードの内容や生活習慣などによって アルカリ性のおしっこになってしまうために起こります。猫のおしっこが本来の酸性であれば溶けている物質がアルカリ性になってしまうと固体になって出現してしまい それらが尿結石となって 膀胱からおしっこの出口までの通り道 いわゆる尿道に詰まってしまいおしっこが出にくい 場合によっては全然出ない状態になってしまいます。

    便が出ない状態、いわゆる便秘状態は 人間でも特に女性には多い状態です。私は全く経験がないのでその辛さは想像もできませんが 便がでなくてもそれほど急激に命に関わることはありません。所が 尿は血液の老廃物を排泄するために非常に重要なものです。コンスタントに尿がでないと老廃物が血液に貯まってしまい 直ぐに命にかかわる状態になってしまいます。分かり易く言うと おしっこが三日でなければ 人間も殆どの動物も死んでしまいます。

    ですから尿が出ない状態とは 非常に危険な状態 死と隣り合わせの状況なのです。ですからおしっこが出ない状態で来院された患者さんは かなり切羽詰っているのです。このような患者さんは直ぐに預かって 尿道にカテーテルを通す準備ができたら 直ぐにその処置を始めます。

    今夜も深夜の十二時ごろに電話があって すぐに来院されて診察すると 膀胱はパンクしそうな位に満タンでしたので そのまま預かってカテーテルを通しました。このところこのカテーテルを通す作業で 非常に苦労するケースが続いていましたが 今夜の猫ちゃんもそこそこ手こずらせてくれました。でも何とか膀胱までカテーテルを挿管できましたので 膀胱内を洗浄して 自然排尿できそうな状態かどうかチェックしてみました、カテーテルを通すのに苦労したこの場合は尿道に狭くなっている場所がありますから 自然に排尿できそうになくて残念ながらカテーテルを縫い付けて留置することになりました。

    この子の場合は一応三日間留置してから カテーテルを抜いてみることにしました。処置後に点滴を入れておしっこが出やすくなるためのお薬をたっぷりと投与しましたし、内服薬も同様の薬を七日分準備しました。何とか今回の処置だけで うまくおしっこが出てくれるようになってくれれば 嬉しいのですが 再発を防ぐためにはおしっこを酸性に保つための食餌療法が重要です。食餌療法をきちんと続ければ 先ず再発は考えられませんし そのフードによって 心臓やほかの内臓までが良い影響を受けるのできっと長生きしてくれることと思います。

    食餌療法を続けて頂けるかどうかは その重要さを説明する私次第かもしれませんし、猫ちゃんの将来を真剣に考えて頂ける飼い主さんか否かにかかっているのかもしれません。私の言葉をきちんと理解して頂いて きちんと食餌療法を続けて頂けると 一生懸命に説明してよかったと本当にうれしく思いますし、何よりその猫ちゃんが元気で長生きしてくれそうなのが 楽しみです。今回の飼い主さんも食餌療法の重要さを理解して 続けて頂けると本当にうれしいです。

  • 2月27日 プロ野球のキャンプが終了しようとしているみたいです

    私はこのブログにも何度も書きましたが中日ドラゴンズの数十年来のファンです。しかし、落合監督を解雇したあたりから チームというよりも球団が好きではなくなってしまいました。球団が落合監督を解雇した理由は情けないけれどそのあまりに高いお給料だと言われています。落合監督が指揮を執った八年間で 実に五回も日本シリーズに進出しました。日本一になったのは残念ながら一度だけでしたが その八年間はドラゴンズファンにとっては常に優勝争いの中にいて 本当に幸せな日々でした。ファンをこれだけ幸せにしてくれる監督にならいくらでも給料を払うべきだと思います。

    落合監督が辞めてからは 日本シリーズはおろか悲惨なBクラスに低迷しています。ちなみに落合監督のいた八年間はBクラスを一度も経験していません。現在の中日という球団にチームを強くして優勝を目指している気持ちが全く感じられません。

    具体的にいうと 先ずは監督の谷繁です。昔の大雑把な野球をしているころなら兼任監督も可能であったのかもしれませんが 現代の野球で選手兼任監督なんて 絶対にありえません。球団が選手兼任等と中途半端なポジションを用意してしまったから 谷繁としては当然選手としての個人的な記録がかかっていますから 選手としても成績を残したい、そのために若手の捕手を積極的に育てていません。捕手なんてある程度実戦で経験を踏ませなければ 成長できないポジションなのに 中途半端なチャンスしか与えないから 全然捕手が育っていません。谷繁の監督としての資質についてはよく分りませんが 全精力を監督に注ぎ込んだら捕手として素晴らしい実績をあげた選手ですから ひょっとしたら監督として一人前になれるのかもしれません。谷繁は今年も選手として試合に出るつもりのようなので 選手としても監督としても全く期待できません。

    次に選手の補強です。中日にしては珍しくフリーエージェントの選手に期待していたようですが 結局当てにしていた選手が宣言せずに残留を決めてズッコケてしまいました。フリーエージェントの場合は猶更正確な情報を入手しなければ 何時まで経っても満足な補強は難しいと思います。ドラフトの指名にしても 落合監督がマネージャーとして参加していながら かなりの下手を打ったように思います。落合さんのマネージャーというのは名目だけで 権限が全く与えられていないのではないでしょうか。外国人の補強にしても 相変わらず宝くじを買うようなものでブランコのような大当たりを期待しても現実的にはほとんど期待できないと思います。

    期待していた若手も掛け声ばかりで 全く成長の兆しがみられません。ドラゴンズから移籍してから活躍する選手が結構いますから 指導法というか育て方に問題があるのではないでしょうか。堂上や吉川、高橋など鳴り物入りで入ってきた選手が まじめに練習していてこれだけ鳴かず飛ばずなのだとしたら 本人の将来の為にも 早目に解雇してあげた方がいいのではないかと思います。

    今年もキャンプ情報などは 一応チェックしているつもりですが ドラゴンズで明るくて楽しみな話題は殆どありません。昨年もそうでしたが今年もまた ナゴヤドームまで遠征して応援しようという気持ちには 到底なれそうにもありません。

    阪神というチームは体質的に受け入れがたいので 今年は思い切ってオリックスを応援してみようかなと考えています。オリックスは昔阪急ブレーブスだった頃に V9の巨人に対して 賢明にぶつかっていく姿が大好きでした。正直現在主力選手がどの様な顔ぶれなのかも全然知りませんが 昨年あと一歩で優勝を逃したので 今年は気合を入れて戦力補強をしたという噂だけは聞いています。大阪ドームなら応援に行くのも名古屋よりはずっと近いので 行き易いこともありますから 今年はオリックスの久しぶりの優勝を期待して応援してみようと思います。

    オリックスが優勝すれば阪神ほどではないでしょうが それなりに大阪という街が活気づくと思いますから本当に久しぶりですがパリーグに注目してプロ野球を見ていこうと思います。頑張れオリックス。

  • 2月26日 確定申告の書類を提出に税務署へ出かけました

    以前は申告が始まるとすぐに出かけていきましたが その時期には提出する人が多いので 混み合いますし。必然的に待たされますので 一段落したこの時期に提出に出かけるようになってきました。今どきは わざわざ出かけなくてもインターネットによって提出できることはもちろん知っています。ですが病院を開業した時から一年に一度提出の時だけ税務署に出かけるのが 何となく恒例行事になっているので 今年も提出してきました。

    税務署の駐車場は勿論満車で利用できませんから 奥様と一緒に出掛けて税務署の近所に停めて 私が提出に行きます。税務署に駆け込むと順路通りに進んで 提出窓口につきます。殆ど待たされることなく提出窓口で係りの人に決算書と申告書 添付書類の台帳を渡して 控えにハンコをもらって車に戻るまで五分もかかりません。

    書類の提出は昔から 申告の書類に同封されている封筒で郵送する方法は昔からありました。ただ私は控えの書類にハンコを押してもらった方がなんとなく安心なので わざわざ自分で提出に行きます。病院を開業した初期の頃は 私に申告の知識が全くないので 父親に手伝ってもらっていました。父親はサラリーマンであり営業担当の重役でしたが 個人の申告についてはそれほど通じていなかったので 学生時代の友人で税理士の方にわずかながら謝礼を払って 書類の仕上げを手伝ってもらっていました。

    何年かすると徐々に私が自分でできるようになってきたので 税理士さんにお願いするのは止めました。所が提出書類に税理士のサインが無くなったとたんに税務署から調査が入りました。やはり税理士は税務署の出張所を病院内に置くようなものだという噂は本当だったのだと思いました。

    更に数年後に 税理士が無料で訪問してくれて パソコンの会計ソフトを決算と申告に利用するように指導に来てくれました。会計ソフトを利用すると非常に決算処理が簡単になりました。簡単になりすぎてそれまでは売り上げや金銭出納など毎月きちんと〆ていましたが 一年間ほったらかしにしておいて一月に全てまとめて処理する悪い習慣がついてしまって 今日に至っております。

    動物病院の先生でも 自分にとってプラスになるアドバイスなど全くもらえなくて 税金をたくさん納める方向にしか誘導してくれない税理士を結構高い金を払って雇って 苦労している方が少なくありません。会社組織にしてしまうと税理士をおかざるを得ないのだそうですが こじんまりとした動物病院なら下手に会社組織にして税理士をおくよりも 個人商店のままでいて税理士を雇わない方が 絶対に得すると思いますから よく考えましょう。

    税務署に書類を提出してから 近所の法務局によりました。先日出かけてきてやりかけた手続きの完了所を受け取るためです。法務局ではすんなりと駐車場に車を停められましたので そのまま奥様とお昼ご飯を食べに出かけました。枚方市駅の近所で奥様がお気に入りなのが「ソラカフェ」です。

    主にイタリア料理を中心としたブッフェ形式のレストランですが 明るくて清潔感もあり料金もそこそこなのでこれまでにも何度も利用していますが 本日もまた訪れました。私も奥様も食いしん坊なので ブッフェ形式のランチにはちょくちょくでかけますが このお店もおしゃれな雰囲気であり デザートが充実していて 時間無制限なので お客さんのほとんどが女性です。

    私たちの隣の席に二十歳前後と見える女性が二人座っていました。私たちが案内されて席に着いたとき 既にお皿が何枚も積み重ねてあり 食後のデザートを食べているようでした。私たちが食事を始めて ほぼ満腹になってきた頃になっても 隣の二人は全然帰る様子がありません。デザートを食べていたはずなのに また肉料理やご飯ものを食べ始めたのです。

    二人ともほっそりとしていてお洒落な服を着たそれなりに可愛らしい女の子だったのですが またデザートを取りに行って フルーツやアイスクリームをどっさりともってきました。別に女の子のすべてに ナーちゃんのお淑やかさと奥ゆかしさと謙虚さを求めるつもりはありませんが いくら時間無制限だからと言って あまりに長時間居座りすぎやろうと 思わず注意しそうになりましたが その雰囲気を事前に察知した奥様によって取り押さえられました。

    男性にはとてもできない厚かましい行動だと思いますし ナーちゃんも同じ女の子の仲間だと思うと ちょっと心配になってしまう気持ちもありますが 人を気遣う気持ちの人一倍強いナーチャンですから 絶対にそんな厚かましい行動はとらないだろうと思います。

     

  • 2月25日 昨夜父親が救急車で病院に運ばれました

    深夜の十二時半ごろに電話がかかってきました。急患からかと思って電話を取ると 交野市の市役所の救急対応の方からの電話でした。父親が寝る前になってもおしっこが出ないという事で 救急を知らせる発信ボタンを押したのだそうです。役所の方と話をして 心配なので救急車を呼んで 関西医大に運ばれたのだそうです。

    関西医大に電話をすると 以前にも一度経験している前立せん肥大による尿道閉塞によっておしっこが出ない状態になっているのだそうです。これからカテーテルを入れる処置をする所なのだそうですが、本人はタクシーを呼んで自力で帰ると主張しているが 結構酒を飲んで酔っ払っている状態なので 心配であり出来たら迎えに来てほしいとのことでした。

    せっかくの休みの前の晩であり のんびりと過ごそうと思っていましたが しょうがないので関西医大まで迎えに行きました。病院につくとカテーテルを入れる処置は既に終わっていて 何時もの酒を飲んでご機嫌な父親がいました。尿バックを見ると二百五十cc位溜まっていましたから 朝まで様子を見ている余裕はなかったと思いますので 深夜に処置をしてもらってよかったと思いました。

    明日カテーテルを抜けるかどうか判断するので 朝もう一度来院するように言われて 料金を支払い病院を後にしました。交野の実家についたら一時半を回っていたので静かに父親を下ろして家の中に入りました。カテーテルが入っているので 勿論入浴もできませんから すぐに父親をベッドに寝かしつけて 明日の朝八時半に迎えに来ることだけを伝えました。

    朝八時半に実家に行ってみると 父親はもうすでに起きだしていましたので 顔だけ洗わせてすぐに病院に向かいました。ここの病院の駐車場は料金が凄く高いので 父親を正面玄関でおろして 向かいの安い駐車場に停めに行きました。泌尿器科につくと 大学病院ですからたっぷりと待たされることを覚悟していましたが 割とすぐに呼び出されて カテーテルを抜く処置をしてくれました。その時点でのおしっこの出具合と 膀胱に残っている尿量から カテーテルを留置するか抜いてしまうか判断するのですが どうやら微妙な量が残っていて抜いてしまっても大丈夫と判断するのには もう一度ある程度おしっこが膀胱にたまってからの出具合で判断することになりました。

    たった今だしたばっかりのおしっこですから 再びある程度おしっこが溜まるまでにはそこそこ時間がかかります。仕方がないので 病院内の喫茶店に出かけていきました。私は朝ご飯を食べてから出かけましたので 水のペットボトルを冷蔵庫から取り出しましたが 父はモーニングセットでハムチーズサンドをむしゃむしゃ食べていました。九十近くになっても お酒が毎日おいしいし、ハムやチーズも大好きなので まだ当分は大丈夫なのかなと思ってしまいます。

    十一時ごろになって ようやく父が尿意を催しましたので 二回目の判断をしてもらい 診察室の前で待つように指示されました。所が、診察室の前で順番を待っている患者さんは何人もいるのに、三十分以上待っても 誰一人として診察されません。診察室をのぞいてみると 医者も看護婦も誰一人として存在しません。隣の診察室は私たちが待っている間に 診察を終えて帰っていく患者さんが何人もいました。

    そこで私の堪忍袋の尾が切れて 看護婦に怒鳴りつけました。「おい、第四診察室の担当医の○○はどこで何をしているんや。眠たくなったので昼寝でもしているのか お腹が空いたから早目の昼飯にでも出かけているのか 一体どっちや?」と声をかけると 「患者さんの検査に立ち会っているために不在なのかもしれません」とその看護婦は答えました。「かもしれないとはどういう事や。」と私が言うと「すぐに探してきます」と答えました。私は怒りが頂点に達して「探しに行く、とはどういう意味や。外来担当の○○が三十分以上も自分の仕事をほったらかしにしているのに 担当科の看護婦がその所在もしらんというのはどういうこっちゃ。患者を舐めるのもいい加減にせえや」と私の声のトーンもかなりボリュームアップしました。年配の看護婦がやってきて「直ぐに対処しますのでお名前を教えてください。」と言うので「うっかり名前を言ったら 文句を言ったうっとおしい患者やから最後回しにされたりするのが嫌やから 名前は言いません。」と答えてやりました。

    しかし文句を言った効果はあったみたいで 私が席に戻って五分もしないうちに一人目の患者の診察が始まり私の父は三人目でしたが 約十分後には診察室に呼び出されました。実質医者と話したのはわずか三分足らずでしたが 診察を終えた時には 既に十二時を回っていました。結局大学病院なんかの診察を受けたら 予想通りに半日が潰されてしまいました。

    診察を受ける前に父が尿意を催した時の看護婦の対応も悪すぎます。前立せん肥大で尿意を催すと 急激に辛抱できない状態になります。泌尿器科の看護婦ならそんなことは熟知していなければならないはずなのに、父が尿意を催したと看護婦に伝えた時も 担当者を探すから少し待ってくれと言って、結局担当者が見つかったのは五分後ぐらいだったので 父は尿が少し漏れてしまい 下着を汚してしまいました。患者の状態に応じて臨機応変に対処できないのは 看護婦のレベルが低すぎます。

    そもそも関西医大なんて 入学するための学力偏差値も凄く低いので 医者のぼんくら息子が 出来が悪くても金を積めば医者にしてもらえる為の大学ですから 優秀な医者がいることを期待するのが酷な話なのかもしれませんし、そんな病院にいる看護婦に優秀さを求めるのはナンセンスな話なのかもしれません。

    昼になったので 父と昼食を取ってから実家まで送っていきました。せっかくの休診日だったのですが つまらない時間の使い方をしてしまいました。

     

  • 2月24日 1934年の本日直木三十五さんが亡くなられました

    直木三十五さんと言われても あまりピンとこない方が多いと思います。大衆小説を対象として授与される直木賞のもととなった作家さんだといえば ようやく何となくイメージが浮かぶのかもしれません。私は文学に非常に疎いので 作家さんに授与される賞としては 芥川賞と直木賞位しか知りません。自分の無知をさらけ出しているようでお恥ずかしいのですが 事実だからしょうがありません。

    芥川賞とは 純文学を対象としているので 受賞したらある意味作家さんとしての箔がつくのかもしれませんが 受賞したからと言って あまりお金になる、要するに本が売れるようになるとは限らないのだそうです。その点直木賞は大衆小説の一番面白い作品が受賞するわけですから 一度受賞するとその本がかなり売れて 要するにたんまりお金が入ってくる賞なのだそうです。

    私も若い頃にはかなりいろんな作家の小説を読んだつもりですが 直木三十五さんの作品は手に取ったこともなければ 本屋さんの書棚に並んでいるのを見た記憶すらありません。代表作は「南国太平記」なのだそうですがおそらく絶版になっていて 今更読みたくても読めないのかもしれません。若い頃にはマキノ省三の家に居候していて 映画作りにかかわっていたが 全然映画がヒットせず借金ばかりを抱えていたのだそうです。

    その後時代小説を書くようになり「南国太平記」がやっと売れて 多少は金回りがよくなったけれどもわずか四十三歳で病死してしまったのだそうです。当時文芸春秋にいた菊池寛が 直木の仕事の功績をたたえて大衆小説を対象として直木賞を授与する制度を確立したのだそうです。

    直木さんは今となっては全く無名の作家ですが 直木賞を受賞した作家には 超有名な方が綺羅星のごとくならんでいます。私が作品を読んだ事のある作家さんだけでも 海音寺潮五郎さん、源氏鶏太さん、柴田錬三郎さん、山崎豊子さん、城山三郎さん、平岩弓枝さん、司馬遼太郎さん、池波正太郎さん、永井路子さん、五木寛之さん、野坂昭如さん、早乙女貢さん、井上ひさしさん、藤沢周平さん等など沢山たくさんいらっしゃいます。

    直木さんご本人が全く有名ではないのに その賞を受賞された方があまりに有名な作家さんばかりですから なんだか少し不思議な気がします。せめて直木三十五 というお名前だけでも憶えておきましょう。

  • 2月23日 狂犬病集合注射の獣医師会の打ち合わせがありました

    お昼から 淀川衛生事業所で 保健所さんと枚方市獣医師会のメンバーが集まって狂犬病集合注射の打ち合わせをしました。集合注射の会場は毎年大部分が同じですが 毎年少しずつ変わっている会場があります。土地の所有者が変わったために 会場として貸してもらえなくなったり、周囲の事情で市民運動の拠点が近所に出来てしまい会場として使えなくなったりしたからなのだそうです。

    私は会場の確保なんてそんなに苦労するものとは知りませんでしたが 去年会場として使用できたところが 諸般の事情で使えなくなってしまい 保健所の方がその近所の会場を確保するために あちらこちらを駆けずり回られて 凄く苦労されている経過をリアルタイムで報告されましたので 今まで知らなかった保健所さんのご苦労を知ることが出来まして 良い経験をさせて頂きました。改めて昨年までの市役所さんと今年からの保健所さんの会場確保という 地味ではりますが非常に重要なお仕事へのご苦労に対して 感謝する気持ちを強くしました。

    保健所さんから使えなくなった会場やその代わりに新しく使用する会場の説明があり 今後の獣医師会との契約などについての大雑把な流れが説明されました。保健所の方が退出されまして、今年の各自が担当する会場を決める抽選をまず行いました。全員が二日間注射担当にあたり 別に二日間予診票を問診する当番を務めます。運が悪いと一日で三百頭ぐらいに注射する会場に当たって凄くしんどい思いをするかもしれません。

    私は注射担当の日は 二日とも二百頭足らずの割と楽な会場に当たりましたので嬉しいのですけれど 当番で日曜日に当たってしまいましたので 若干残念ですが まあ公正な抽選の結果なので 致し方ないでしょう。その後 会場によって各獣医師の注射した頭数は異なりますから その取り分を平均化するための分配基準額について議論しました。今年から駐車料金が五十円上がることになりましたので分配基準額も変更するか否かについての議論でした。

    採決を取ると十六人で意見がちょうど八人と八人で同数となってしまいました。同数だったので 最年長の先生から会長の意見に従うとの提案が出ましたので 私の意見を採用させて頂き五十円基準額を上げることに決まりました。

    今年から注射金額が例年よりも五十円上がることになりました。五十円のアップは私たち獣医師の取り分が増えることなので一見有難い事のようですが 金額が変わったことにより発生するであろうトラブルを考えると 喜んでいる獣医師はあまりいないと思います。

    例年よりも五十円上がると 恐らくそこそこの人がそのことに気付かずに会場に来て値上がりしたことに対する飼い主さんからの文句をまずは聞かなければならないだろうという事です。まあ、文句を言われるぐらいなら 黙って聞き流せばよいのですが少なからぬ人が料金不足になるであろうことが 不安です。基本的に注射会場に犬を連れてくる人は大人であるはずですから 五十円ぐらいの値上がりにはその場で対応できるはずなのに 去年までの金額丁度しか持ってきていなくて 結局自宅までもう一度取りに帰ってもらって 再度名前などを確認してから不足分を受け取る人が少なからずいらっしゃるだろうことが予想されるから 不安なのです。

    料金が不足しない人でも 登録したら6250円 登録済みなら3250円の料金になりますから 去年までだと硬貨は殆どが百円玉だけでしたが 今年から確実に五十円玉の数が凄く増えるし、場合によっては十円玉が支払いに混じることもあり得ます。効果の種類が増えれば それだけお釣りの渡し間違え等のトラブルの危険性が高まります。

    そんな事で 集合注射での問題発生の可能性が高くなる料金引き上げは全然嬉しくありません。いずれ消費税が十パーセントに上がるのを待って 百円値上げする方が ずっと良かったと思いますが 役人のお偉いさんが そのような細やかな配慮に欠けた値上げをすることを 私たちは受け入れざるを得ませんから これ以上は文句を言いません。

    私の枚方市の代表の任期も 今年の集合注射が無事に終わってくれれば その後の打ち上げパーティーまでとなりますので 何とか昨年と同様に無事に乗り切れることを祈るばかりです。

  • 2月22日 本日は乃木坂の三周年記念コンサートが全編生放送されました

    数日前にナーチャンネタが二日続いたので 暫くは乃木坂ネタは封印しようと思っていましたが、なんと休憩も含めて七時間以上も続く長時間のコンサートをテレビで生放送するなんて 信じられない事件が起きましたから 現在 乃木坂命である私としては ブログで触れないわけにはいきますまい。

    毎年乃木坂のデビューした日である二月の二十二日に行われるバースデーコンサートは それまでに乃木坂が発表したすべての楽曲を披露することを前提としています。ちょうど一年前の二周年のコンサートの時にもかなりの長時間で メンバーの体力が限界に近かったので 今年は全曲披露は無理だろうと思っていましたが約七十曲を延々七時間にわたって無事に歌い踊ってくれました。

    会場となった西武ドームは一応屋根はありますが構造的には殆ど屋外と同じで 凄く寒そうでした。歌っているメンバーの吐く白い息が画面からはっきりと認められました。歌って 踊って 広いステージを走り回っているメンバーにとっても寒さは辛かったろうと思いますが それを応援しながら見守っていたファンにとってもその寒さは相当に辛いものだったと思います。

    コンサートの途中で発表されていましたが 二月二十二日は乃木坂46の日として 日本記念日協会が認定してくれたのだそうです。だからなんやねん と言われてしまいますと 返す言葉もございませんが 来年の「今日は何の日カレンダー」の二月二十二日のページに乃木坂の日と記されていたら ファンとしてはやはり感動する事と思います。

    コンサートは広い会場の広いステージをメンバーがそれこそ走り回りながら歌って踊ってしていますので かなりの数のテレビカメラで撮影していると思います。どのカメラの映像を放送するかはスイッチャ―の判断によって選択されているのだと思いますが この日担当したスイッチャ―は 恐らく私と同様にナーチャンの事が大好きなのだと思います。出演している四十数名のメンバーの中で 明らかにナーチャンが写っている時間が断トツで多いように感じたからです。

    勿論私はナーチャンの大ファンなので ナーチャンが沢山写るのは嬉しい限りですが 他の押しメンである カズミンやマイマイがもっと写っていて欲しかったような気もするからです。まあナーチャンは乃木坂の出した十一シングルのうち三曲でセンターを務めていますから沢山写るのは 当然かもしれませんが 生駒や白石を押すファンにすれば 相当にストレスを感じているのかもしれません。

    まあ、テレビの番組としては昼の十二時から始まり夜の八時まで コマーシャルの入らない正味八時間の番組は本当に見ごたえのある映像なので 恐らく自分でもブルーレイに焼いて残すと思います。ブルーレイでの映像が発売されたら 生写真や特典映像などのおまけの魅力に負けて購入してしまうのかもしれませんが 乃木坂の商品の売り上げに貢献できるのであれば もったいないとは全然思いません。

    何しろ七十曲ぐらいを歌うコンサートなので致し方のない事かもしれませんが 全ての曲がフルコーラスではなくて短縮バージョンになっているのが 残念と言えば残念な事でした。私の大好きな「気づいたら片思い」や「ひとりよがり」はきちんとフルコーラスで歌ってほしかったです。来年以降のバースデーライブは物理的に全曲披露は不可能ですから ある程度曲目を吟味して厳選して 短縮バージョンにするのではなくて コンサート仕様に伴奏をグレードアップするとか 振付に手を加えるなどして コンサートならではの演出をしてくれることを 今から期待しておきます。

    乃木坂について書いていくと いくらでもかき続けてしまいますので 本日はこの辺りでお開きとさせていただきます。

  • 2月21日 1986年の本日 泉重千代さんが天寿を全うされました

    御年120歳で わざわざ重千代さんの為に大還暦(二度目の還暦を迎えられた方への尊称)という言葉ができたのだそうです。人類最長寿としてギネスブックの表紙まで飾ったこともありましたが 戸籍に曖昧な点があることが発覚してからは 残念ながら公認の記録から除かれてしまいましたが 日本では重千代さんの記録は疑われていないと思います。

    まあ何にしても 重千代さんが生まれたのは大昔の事ですから 戸籍の記録が曖昧であっても 致し方のない事なのかもしれません。ギネスブックに長寿として掲載されることになった時のインタビューで 長寿の秘訣は「酒と女性」と答えています。私は体質的に全く受け付けませんが やはり酒は百薬の長であるのかもしれません。私の父も今年米寿を迎えましたが 相変わらず毎日寝酒を楽しんでいます。「酒が美味しいうちは健康であり 当分は大丈夫」が父親の口癖です。

    女性の好みを尋ねられて 「年上の女性」という機知にとんだ受け答えができることから まだまだ頭もボケてはいないように思いました。女性への興味が長生きにつながるのであれば 私が乃木坂に執着するのも 多少は長生きへの可能性を広げているのかもしれません。

    私は今年58歳になりますので 体のあちらこちらでかなり弱ってきていることを実感させられていますが 重千代さんは私の倍以上もの時間を生きてこられたのですから 私は重千代さんの人生について何も存じ上げておりませんが 特に立派な行いなどなかったのかもしれませんが それだけの時間元気に生きてこられただけで 十分に称賛に値する事だと思います。

    私は相当な肥満体でありますし 心臓を患っておりますし 血液検査で糖尿病の数値(ヘモグロビンA1c)もなかなかさがりませんので どちらにしてもそんなに長生きできるとは期待しておりません。所が考えてみると 私の父も結構若い頃、 確か四十代から心臓を患っていたように思いますし、もっと若い頃には結核で数か月間入院した経験があることも聞いています。定年を迎えてから 全く酒を飲まなかった日が何日ぐらいあるのか、というぐらいの酒飲みです。私は酒もたばこも一切やりません。

    父親も私と同様に気が短くて 言いたいことを黙っていられる性格ではありません。その性格は米寿になってもあまり変わっていないような気がしますが、要するに言いたいことを言って、飲みたい酒を好きなだけ飲んで、と全く辛抱しない ストレスを感じない生活をしていますから そこら辺りに元気で長生きの秘訣があるのかもしれません。

    奥様に言わせると 私は父親と生き写しのようにそっくりであるのだそうです。ですから こんな私でも それなりに用心していけば そこそこ長生きできるのかもしれないような気もしてきました。長生きするためには 私の生活で一番のストレスの原因であるところの 病院のお仕事をなるべく早めに切り上げるべきではないかと考えています。老後の憂いがなくなるまでの十分な蓄えが出来るまで あと少しは頑張らざるを得ませんが 長生きする為にも早く南の島へ移住したいです。

  • 2月20日 1791年の本日チェルニーが生まれました

    チェルニーと言われても ピアノを先生について習ったことのない方には あまりピンとこない作曲家だと思います。逆にピアノを習ったことのある方なら 少なくとも日本でのピアノの練習においては必須の練習曲集だと思います。私がピアノを習い始めたのは 小学校の三年生の時でしたから 結構遅い目かもしれません。幼稚園の頃からマリンバという楽器 要は木琴の下にパイプをつけて音が美しく響くようにした楽器 を習っていました。

    父親がかなりの音楽好きであり 自分は何にも楽器を演奏できないのが相当に残念だったみたいで 私と妹は幼い頃から楽器を習わせられました。幼稚園の頃からマリンバの練習は朝学校に行く前に少なくとも三十分間は毎日していました。妹も幼稚園の頃からオルガン教室、小学校に上がったらピアノの個人レッスンに通い始めました。

    2DKの狭い団地住まいだったのに アップライトのピアノが購入されましたので 私がうっかりピアノにも興味があることを口にしてしまったがために だったらマリンバとピアノ両方習いなさい、という事になってしまい 小学三年生から二足の草鞋を履くことになってしまいました。

    お陰で私は 朝の七時ごろから マリンバとピアノの練習を三十分ずつするノルマが課されてしまいました。当時は団地住まいでしたから よくご近所からの苦情が出なかったものだと思います。マリンバはちょっと特殊な楽器だったので 小学校を卒業する時に辞めましたが ピアノは高校二年生の時まで習い続けました。

    私は小学校三年生でピアノを習い始めましたが マリンバの経験がありましたので ピアノを習い始めるときの最初の教本であるバイエルは一週間で卒業しました。だいぶ昔の事なので記憶が曖昧ですが 習い始めて半年ぐらいしたところで 「チェルニーの30番」という練習曲集を練習し始めたと思います。

    一つの練習曲を練習しはじめて 先生に合格を貰えるまでに 勿論毎日ソコソコ練習してもに三週間はかかったと思います。ですから、「三十番」には三十曲の練習曲が収められていましたから この練習曲集を卒業するのに二年以上もかかったはずです。やっと「三十番」を卒業したと思ったら すぐ次に「チェルニーの四十番」という練習曲集を与えられました。「三十番」よりもずっと技術的にに高いものを要求されますし 曲数は十曲も増えているのですから、かなりの絶望感に襲われました。

    事実 シューマンは「退屈でイマジネーションに欠ける練習曲集」と評しましたし、ルービンシュタインは「子供への拷問」と評していました。ですから世界的にはピアノの演奏技術をあげるための練習曲集としては それほどポピュラーではないのだそうですが、取りあえず日本でのピアノの練習では 避けて通れない曲集だったみたいです。

    とにかく難しくて 毎日練習しても先生から合格を貰えるまでにはひと月以上かかることがザラでした。恐らく「四十番」を卒業するのに五年以上かかったと思います。やっと卒業できたと思ったら すぐ次に「チェルニーの五十番」が手渡されました。どんどん難しくなるのに 曲数は増えていくのですから ルービンシュタインの言うとおり 本当に子供への虐待だったと思います。

    当時私は高校生だったと思いますが まだ素直な子供だったので 有難くその練習曲集を頂き 正面から練習に取り組みました。結局、高2の終わりで 大学受験の為という理由で ピアノを習う事を終了しました。「五十番」の途中、確か十番まで合格を貰ったと思います。それでチェルニーとの縁は切れましたが、 なんと「五十番」を卒業しても「六十番」が待っているのだそうです。

    私の妹は はっきり言って私よりも上手くなかったと思いますが(発表会では私の方が後で演奏していましたから) 音楽の道に進み 大阪音大のピアノ科にすんなり入学しました。音大を受験するためには それなりの先生について十分な準備をしていたようですが 最終的に「チェルニーの五十番」は 私よりも進んでいなかったと思います。まあ、それぐらい日本のピアノ教育においてチェルニーの練習曲集は 重大な位置を占めていたのだと思います。

    チェルニーはピアニストとしての才能も高くて その演奏を聴いたベートーベンが直々に弟子に取った位です。作曲家としても 何もピアノの練習曲ばかりではなくて ピアノコンチェルトや交響曲まで作っているのだそうです。でも私はチェルニーの作品を演奏会などで聴いたことがないし 恐らくほとんどCDにもなっていないと思いますから、やはり練習曲専門の作曲家のイメージが拭えません。

    ベートーベンの弟子であったチェルニーにベートーベンから自分は多岐に渡る作曲活動の為に時間が足りないので 練習曲集などの音楽教育のためのプログラム作りの仕事を託された という記録が残っているらしくて チェルニーがそのベートーベンの期待に応えたのだと思いますから それなりにすごく立派な作曲家だと思います。でもやっぱりその練習曲集は「子供への拷問」であるように思ってしまいます。

    私は大学に入るまで自分よりも上手にピアノが弾ける友人は ほんの二三人しかいないと思っていましたが、立命館大学理工学部化学科に入学してから 私など足元にも及ばない位にピアノの上手な友人と出会いました。同じ化学科で名前が早田君だったので 学籍番号も近くていつも一緒に実験などをしていた子でした。

    早田君はずんぐりむっくりな私と違ってスラーっと背が高くて指も長いので 十度(ドから1オクターブ上のミまで)簡単に押さえられました。私なんか 手足も短ければ当然指も短いので八度(1オクターブ)が精一杯でした。この指の長さの違いは 特にラベルやドビュッシー等の仏近の作品を弾く時に如実に現れます。

    早田君はチェルニーの練習曲集はあまり頑張っておらず むしろショパンのバラードやポロネーズなど 弾いていて楽しい曲を中心に練習してきたそうです。はっきり言ってチェルニーの練習曲は上手に弾けるようになってもそれほど楽しくありませんから やはり弾いていて楽しい曲を練習するのが上手になる早道なのかも知れないと思いました。単調で楽しくない辛い練習よりも やっていて楽しい練習の方が 結局は一生懸命が長続きするので上達につながるのではないかと考えます。

    そういう意味では チェルニーは疎ましい存在のようにも思いますが こんな根性なしでヘタレ野郎の私でも 辛い事を投げ出さないで続けることが 多少でもできるようになったとしたら それはチェルニーのお陰なのかもしれません。

  • 2月19日 オールナイトニッポンでナーチャンのスペシャルが放送されました

    2月18日の深夜、正確には19日になっていますが午前一時から三時まで 通常はAKBのオールナイトニッポンの枠で ナーチャンこと乃木坂46の西野七瀬さんのスペシャルが放送されました。私はナーチャンの大ファンを自認しているつもりですが うっかりこの放送の情報を入手できておらず 恥ずかしながら聴き逃してしまいました。

    昨日がナーチャンのファースト写真集の発売日だったので その写真集の評判でも調べようと思って 「西野七瀬、写真集」で検索したところ 「西野七瀬、オールナイトニッポン」という項目が引っ掛かってきたので そのページに入ると なんと昨夜というか本日の早朝に「オールナイトニッポン西野七瀬スペシャル」を放送されたことを知りました。

    そのページは ナーチャンの放送の感想などが述べられていて 何とナーチャンが放送が始まって数分で泣き出してしまったことを知りました。途中からカズミンこと高山一実さんが助っ人に入ってやっとナーチャンが落ち着いてくれたことなどを知りました。そこで慌てて「オールナイトニッポン」のページに入り ナーチャンスペシャルの項目をクリックしました。

    昔はラジオの放送など一旦ききのがすと なかなか聴き直しが出来ないものでしたが 今はインターネットのお陰で簡単に聴き直すことが出来る有難い時代です。オールナイトニッポンは基本的にパーソナリティの喋りが大切なので途中でかかった曲の部分は殆どカットされていますが パーソナリティの喋っている部分は全て聴き直すことが出来るようです。

    ドキドキしながら番組の最初から再生してみました。番組の冒頭にナーチャンが出来るだけ元気に明るく振る舞おうと懸命に頑張っているのが手に取るように分かる雰囲気でしたが 案の定泣虫のナーチャンの声が震えだして 泣きだしてしまいました。ナーチャンもデビューして三年たとうとしていますし もうそろそろ芸能界のお仕事に もう少し順応してほしいと思わないでもありません。

    でも、まあそこがナーチャンの何時までも純情であり 可愛らしい部分でもあるので ナーチャンのファンにしたら たった一人でラジオ番組を生放送するプレッシャーに負けて ナーチャンが泣きだす事なんて 全然不思議な事ではないし 二十歳になって成人しても 何時までも下手に業界慣れしていないナーチャンでいてくれることが むしろ嬉しくさえありました。

    でもこの番組を聴いているのは ナーチャンのファンばかりではありません。本来AKBの放送枠ですから 当然ライバルであるAKBのファンの方が沢山聴いているのだと思います。AKBのファンにしてみれば 乃木坂の西野七瀬がなんぼのもんじゃい 位の批判的な気持ちで聴いているのかもしれませんから ナーチャンのファンのように好意的な気持ちで聴いてくれている人はむしろ少ないと考えるべきでしょう。できたら素晴らしく魅力的なナーチャンにはそんなAKBファンを乃木坂ファンに取り込むぐらいの強い決意を持って 番組に取り組んでほしかったのですが 泣虫であり どうしょうもない位気持ちの優しいナーチャンにとっては 無理な注文かもしれません。

    何とかいきなり泣きだした最悪な状態からは脱出しましたが まだまだ緊張感ばかり感じられるナーチャンでしたが しばらくしたら カズミンこと乃木坂のメンバーであります高山一実さんが 放送に加わりましたので やっと落ち着きを取り戻せたように思います。番組のスタッフもさすがにナーチャン一人で二時間の生放送はしんどいと考えて 予め恐らくは後半からカズミンが放送に加わるような構成を考えていたのだと思います。

    所が ナーチャンがいきなり泣き出すし 何時まで経っても緊張が抜けないので かなり早めのカズミンの投入になったのだと思います。ナーチャンは大阪人なのですが あまりお喋りが得意ではありません。その点カズミンは乃木坂のバラエティ班の班長さんみたいな存在ですし ナーチャンとは普段からとても仲良しなので カズミンが目の前に座ってくれたことで やっと本来の明るさを取り戻してくれました。さすがカズミンです。

    カズミンが参加してからは ナーチャンも普段に近い形でお喋りできるようになってくれたみたいで 最後まで順調に放送できました。私はファッションに全く興味がないので ファッション雑誌にも勿論まったく興味がないので 「ノンノ」の専属モデルになることが 女性タレントとしてはどれくらいのステイタスになるのか全然見当もつきませんが 大嫌いな白石麻衣には絶対に負けて欲しくないので マイヤンよりも胸を張れる雑誌であってほしいと思います。

    私は 乃木坂のメンバーは殆ど全員大好きです。但し嫌いなメンバーも勿論存在するわけで このブログに以前も書きましたが ワースト3は白石麻衣、生駒里奈、桜井玲香の三人です。白石麻衣は恐らく美少女揃いの乃木坂のメンバーの中でも一番美人だと思います。でも多分根性が一番悪い女だと思います。

    先週の「乃木坂ってどこ」の放送でも 内容はバレンタインデー特集で 各メンバーが日頃から好意を寄せているメンバーにチョコとプレゼントを贈ろうという企画でした。白石麻衣は 普段から敵意をむき出しにしている秋元真夏さんを指名しました。普段から敵意をむき出しにしているのはいかにも番組上のしぐさであって本当はいい人であるアピールが感じられて不愉快でしたが 真夏さんに渡したプレゼントを見た時に 真夏さんへの敵意が本心であることを確信しました。

    白石麻衣は普段から真夏さんの頭が大きい事を散々いじっています。そこでかなり大きめの帽子をプレゼントに用意したようなことを言っていましたが 真夏さんの頭には小さすぎてフィットしませんでした。白石麻衣が被って丁度いい位でしたから 頭の大きな真夏さんにフィットするはずがありません。結局真夏さんの頭の大きい事が強調されただけでした。いかにも白石麻衣の悪意が感じられて ますます彼女が嫌いになりました。

    そんな根性の悪い白石麻衣の写真集に比べて とにかく性格がよくて 人一倍優しくて思いやりに溢れたナーチャンの写真集が売り上げ的に劣る訳にはいきません。ちなみに乃木坂で性格の良いメンバーベスト3は あくまで私の想像ですが 一番がマイマイこと深川麻衣、二番がナーチャンこと西野七瀬、三番がカズミンこと高山一実だと思います。ですから私の乃木坂で好きなベスト3も この三人です。

    二日続けてナーチャンネタになってしまいましたから 明日以降はもう少し硬派のネタで ブログを綴ろうと思いました。