Dr.喜作のブログ

2015年9月 の記事一覧

  • 9月29日 「初森ベマーズ」が終わってしまいました

    ドラマ「初森ベマーズ」が 感動の最終回を放送されて 終わってしまいました。このドラマは私にとって日曜日深夜に放送されている「乃木坂工事中」という番組とともに 私の心の支えとなっていた番組です。乃木坂のメンバーが総出演したドラマで 勿論初めからワンクールで終了するはずだったのは 分っていましたが ひょっとしたら視聴率が異常に高かったので 続編を続けて放送する なんて事態にならないかと期待していましたが 残念ながらそのようにはならなかったみたいです。

    主役を演じるのは私が六十年近く生きてきた中で 一番魅力的に思う女の子西野七瀬でした。ただナーちゃんの演技力の無さには 毎回毎回放送を見るたびに驚きました。他の主要キャストも乃木坂のメンバーが演じていましたが 勿論それほど高い演技力ではないにしても それほど不自然さを感じない程度には演じていたように思います。ですが ナーちゃんが大好きな私から見ても その演技力は あまりにも拙すぎたように思います。ナーちゃんはソロで歌っている曲が 何曲かありますが歌唱力はそこそこだと思いますから 将来的には歌手の道へ進むべきであり 幾ら人気があるからと言って女優への道は進んでほしくないように思います。

    ナーちゃんの拙い演技ではあってもドラマとしてはそこそこ盛り上がっていたように思いますが 一般の方々にはこのドラマはどのように評価されていたのでしょうか?そもそもどの程度認知されていたのでしょうか?もう少ししたらまた今年も年末の紅白の出場者が発表されますが 昨年も下馬評では乃木坂は当選確実と言われていましたが 実際には落選してしまいました。この一年間で乃木坂の認知度はどのくらい上がったのでしょうか。このドラマが放送されていることを知っている国民が一体どれくらいいたのか非常に興味があります。

    私がこの夏から参加している合唱団で 自己紹介をしたときに 好きなものは乃木坂です と言いましたが 何しろ平均年齢が六十を超えているかもしれない年寄り軍団ですから 殆どの方から認知されていませんでした。一番認知度の高そうな生駒や白石の名前を出してみても殆ど反応はありませんでした。勿論二十歳前後の世代なら その存在や主要メンバー位は知っている人が多いと思いますが 紅白の場合は子供からお年寄りまでの総合的な認知度の高さが 選考の重要な基準になりそうなので お年寄りに認知されていない現実を知って またまた不安になってしまいました。

    話をドラマに戻すと 最終回ですから 勿論来週の予告編などあるはずもありませんが その時間帯になると なんと宮脇咲良や島崎遥香が ベマーズと対戦するような場面がちらっと流れて「続く」というコメントが流れましたから 今後AKBグループまで巻き込んでの続編が作られるのではないかと 期待させたまま番組が終わりました。宮脇、島崎と言えば マユユなどの初期メンバーが卒業したら それこそ看板を背負わなければならない主要メンバーですから 続編が作られることを凄く期待してしまいます。

    ナーちゃん以外のメンバーはそこそこに演技力があることが証明されたわけですから 今後乃木坂のメンバーのドラマへの主要キャストでの出演が増えることを期待したいと思います。月曜日の夜の楽しみが消失してしまって 残念ですが番組は始まればいつか終わるのが運命ですから 諦めざるを得ませんがでもやっぱり残念でしょうがありません。一日も早く続編が放送されることを期待したいと思いますが 全ては秋元さんの気持ち次第だと思いますので 秋元さんどうぞよろしくお願い致します。

  • 9月28日 1993年の本日 コメの作況指数が80と発表されました

    この年はフィリピンで大規模な噴火が起こり その影響を受けて 記録的な冷夏となってしまい そのために米の出来が悪くて 作況指数の見込みが80(実際には76)とかなり低めの数字が発表されたために 「平成の米騒動」 と言われる現象が起こってしまいました。私はこの時にも日本人はなんて愚かな国民なのだろうと思ってしまいました。作況指数というものの意味合いが 私には正確に理解できていませんので いい機会なので調べてみました。要するに例年の収穫量に対するその年の収穫量の見込みのパーセンテージを表している数字のようなのです。

    その評価として :作況指数106以上      やや良:同102~105      平年並み:同99~101

         やや不良:同95~98          不良:同94~91       著しい不良:同90以下

    と表現されるのですが この表現が間違っていると思います。良、やや良、平年並み、やや不良まではいいとしても 不良、著しい不良という表現は不適当だと思います。現実にこの年の作況指数は 76ですから 例年の四分の三しか米が収穫できませんでしたから 米作農家にすれば収入が減少して問題が起こったのかもしれません。でも収穫量が少なくなると 米の単価がはね上がって現実には農家としては非常に儲かったのかもしれません。以前にキャベツの収穫量が激減した年には 農家でキャベツ豪邸が沢山立ったと評判になったことがありましたから。

    日本人にしたら90以下で著しい不良の所に80と発表されたので 今年は日本で全然米が収穫できないとても勘違いしてしまったのだと思います。本当に愚かな国民たちだと思わざるを得ないでしょう。例年よりも二割取れ高が少ないだけなのです。つまり例年の八割は収穫できるのですから 普通に考えれば米部足なんて起こるはずがないのです。例年収穫された米の何割かは余剰米として古米になっているのですから もし今年の収穫量で現実に足りない現象が起こったとしても 昨年収穫された米を食べればそれで済むのです。

    よく似た現象として トイレットペーパーが市場から姿を消した騒動もありました。オイルショックの影響で政府が紙類を節約するようにと発表したのを どこかの馬鹿者がトイレットペーパーが不足すると勘違いして スーパーで買占めに走って それを見ていた周りの大馬鹿者どもが追随して買占めに協力してしまい その現象が夕方のテレビのニュースで流れてしまいました。その番組のキャスターがまともな人間で 「トイレットペーパーが不足するはずなどありえないのに」 と笑い話にしてくれれば 何事も起らなかったのかもしれませんが そのような現象が起こったことだけを伝えてしまったために 日本人は世界的に見れば 秩序があって理性的に行動できる良い国民と評価されているように思いますが 一皮むけば 自分さえよければそれでいい というエゴの塊のような国民性だと 私は思います。翌日から全国で一斉にトイレットペーパーの買い占めが行われたために 市場から消失してしまう現象が起こりました。トイレットペーパーの生産業者にしても 通常の消費量から生産量を算出して 生産しているはずですから そんな急激な買占めに対応できるはずもなくて 本当にどこを探してもトイレットペーパーが見つからない状態になってしまったのです。

    その当時私はまだ子供だったように記憶していますが 大人たちが騒いでいるのが不思議でしょうがありませんでした。勿論人間ですから毎日必ず大小便の排泄はしますが もしトイレットペーパーがなければ 新聞紙は世の中にあふれていましたから 新聞紙で代用すれば済むことのはずです。新聞紙をよくもんで柔らかくして使えば 殆ど問題はありません。もちろん現在のようにウォシュレットンなど存在していない時代ですが 何らかの紙類で代用すれば トイレットペーパーなんてなくても全然困らないのに 大騒ぎになっているのが不思議でしょうがありませんでした。

    コメ不足の騒動の時もなぜそんなに大騒ぎをしているのか実に不思議に思っていました。ほっといても例年の八割はコメが獲れるのです。もし現実に米が不足する状態が起こるとしても 来年の米の収穫前のほんの短い期間だけのはずです。確かに米は日本人の主食ですが 米以外にも主食たる食物はいくらでも世の中にあふれかえっているのです。

    例えばパンが全然不足していませんでしたし 簡単に食べられる麺類の代表選手であるインスタントラーメンも幾らでもスーパーで売っています。蕎麦もうどんも生めんから乾麺まで多くの種類が簡単に手に入るのです。私は昨年の八割が収穫できるはずだから 国民が落ち着いて対処すれば 来年の夏ごろにでもコメが手に入りにくい状態になるのかもしれないと思っていました。

    所が現実には 米の作況指数が 超ウルトラスーパー著しく不良と発表されたとたんに スーパーのコメ売り場や普段は殆どのぞかない米屋さんの店先まで 米の姿が一切見えなくなってしまいました。相当数の国民が米の買い占めに走ったからでしょう。本当に他人はどうでもよくて自分さえ困らなければよい という本当に恥ずかしい国民性だと思います。

    何しろ普段は米なんて扱うはずのない電気屋さんまでが 飛びついて米を販売していましたから驚きました。テレビの取材に行ったアナウンサーが列の一番前に並んでいるおばさんに質問していました「いつごろから並んでいるのですか?」おばさんは嬉しそうに答えていました「開店の三時間前からです。今日十キロのコメが買えたら うちの備蓄米は五十キロになります」

    なんて愚かなおばさんなのでしょう。普段は米なんていつでも手に入りますからどの家庭でも米櫃がからになりそうになったら 次の米を買うはずです。なのにコメが不足する可能性を感じたら 各家庭でやたらと米を買いだめし始めたのです。普段しない行動をするから米が市場から消えてなくなってしまったのです。大体米不足が騒がれてから 売り出されている米なんて 普段は見向きもされないような美味しくない品種の それも下手したら古米や古古米かもしれないような商品に馬鹿みたいに高い値段がつけられた米なのです。

    私はそんな愚かな行動はしていませんでしたから 米はいつも十キロ入りの袋をスーパーから購入していましたから それが無くなってしまった時に 我が家にはコメのない状態になってしまいました。そのことをたまたま電話がかかってきたときに親に話したら 普段は病院に顔を出さない私の親が 慌てて十キロ入りの米の袋を持って現れました。「なんでしっかりと準備をしておかないんだ」等と文句を言われながら 米を受け取りました。当時は一人目の奥さんと一緒に暮らしていましたが そちらの親からも十キロ入りの米が届きました。私が偉そうに愚かな国民 等と表現していましたが己の親たちが やっぱり愚かな国民の一部だったようで情けなくなってしまいました。

    私は 米が無くなってしまったという事実を伝えただけで 別にその為に生活に支障が出ているなどとは一言も言っていません。事実パンを食べる機会と麺類を食べる機会が増えただけですし 関西人ですからお好み焼きやたこ焼き、イカ焼きなどの粉ものがありましたから 全然不自由は感じていませんでした。せっかく持ってきてくれたので米袋は受け取りましたが その二十キロの米があるうちに 今回の米騒動は収まり 再びスーパーの棚にコメが並ぶようになりました。

    トイレットペーパー不足にしても 米騒動にしても 要するに自分さえよければ他人の事等どうでもいい という自己中心的で愚かな考え方から騒動が起こっているのです。この二つの騒動で日本人が多少はその愚かしさを自覚して 節度ある態度で対処すれば 全く問題など怒らなくて済むことを学習してくれていると嬉しいのですが まあ全く期待できないでしょう。馬鹿は死ななきゃ治らない 等と申しますから。

  • 9月27日 久し振りにカレーを作りました

    このブログでは何度も書いていますが 私は子供みたいで恥ずかしいのですが カレーが大好きです。今日は仕事で色々と嫌なことがあったので 久し振りにカレーを自分で作りました。カレーの美味しい店はいろいろと紹介されていますが 私は自分で作るカレーが 自分の美味しく感じるように作りますから 私にとっては一番おいしいカレーになると思います。

    昔 塩野義に勤めていたころには 休みがたっぷりとありましたし 拘りも強かったので ターメリックやいろいろな香辛料を買い求めて 自分なりのカレー粉をブレンドして作ったりもしていました。しかし現在はカレー作りにマルマル二日間もかけられませんから 市販されているカレールーを組み合わせて自分好みの味になるように工夫しています。

    以前は時間がたっぷりとありましたから 玉ねぎをきちんと細かい微塵切りにしていましたが 現在は時間短縮のために スライサーでスライスした玉ねぎを炒めるところからカレー作りが始まります。カレー作りで一番時間のかかる作業が この玉ねぎを炒める工程だと思います。手を抜かずに丁寧に飴色になるまで徹底的に炒めます。カレーとは炒めた玉ねぎを美味しく食べるための料理だと 誰かが言っていましたが 当たらずとも遠からぬことだと思います。

    玉ねぎを炒めながら ニンジンやジャガイモの皮をむき適当な大きさに切りそろえます。十分に玉ねぎが炒まったら 鍋に移して水を加え煮込む作業が始まります。フライパンで人参ジャガイモを軽く炒めてから やはり鍋に移します。最後に牛肉を炒めます。やはりこのブログで何度も書いていますが 子供の頃に塊肉が食べられなかった私ですから今でもカレーに入れる牛肉はスライス肉です。スライス肉の方が味がしみ込みやすくて ご飯にも絡みやすいと思いますから カレー用のお肉を使われている方は一度スライス肉を試されるとよいと思います。牛肉は輸入肉ですから それほど高くないので かなりたっぷりと入れます。どっち道グツグツに込んで 香辛料まみれにして食べるのですから 上等の和牛の肉を少し入れるよりも 安い肉をたっぷり入れた方が 間違いなく美味しくなるように思います。

    肉を炒めてから 鍋に移したら 煮込み作業になりますが ここで丁寧にあくを取る作業を手を抜かずに頑張ることがカレーを美味しくしてくれると信じています。あく取りが済んだら ほぼ材料に火が通っていますから いよいよカレールーを加えます。カレールーは市販されているものを適当に組み合わせていますが その配分は個人によって各々の好みがあると思いますから ご自分で色々な組み合わせを試してみられたら美味しいカレーになると思います。カレールーを一種類だけで作ることは絶対におすすめしません。

    カレールーを加えたら とろみがでますから焦げ付かないように丁寧に鍋を混ぜることが必要です。この段階で 私は好みなので ビーフシチューとクリームシチューのルーも少し加えます。あくまで私の好みなので他の方が美味しく感じるのかどうかは分りませんので とくにはお勧めしませんが 試してみられても良いのかもしれません。

    更に隠し味として インスタントコーヒー、ウスターソース、醤油、そして私はかなり辛いカレーが好みなので 黒コショーと一味を加えて 私好みのカレーに仕上げていきます。それからうっかりするとご飯を炊くのを忘れてしまいますが カレーが出来上がるのに間に合うようにご飯を炊くのを忘れてはいけません。

    いつもなら でっかいお鍋に沢山カレーを作って 二三日かけてお腹いっぱいになるまで食べ続けて幸せな日々を過ごすのですが 先日のブログに書きましたように 合唱団のステージに上がるために その衣装であるブレザーを少し小さめのサイズのものを買うつもりなので 見苦しくないように着られるように 痩せるという目標を設定したばかりです。なので 本日は取り敢えずお腹いっぱいになるまで食べますが 残った分はタッパーに入れて冷凍して保存することにしました。沢山炊いたご飯もラップにくるんで冷凍にしました。

    十一月の七日 合唱祭までには何とか小さめのサイズのブレザーを着ても見苦しくないようになるまでは頑張ろうと思っています。その六日後に 病院へ行く予定ですから どっち道その時期には摂生を重ねなければなりませんから 病院で先生に怒られないためにも努力しようと考えています。取り敢えず今日だけでも自分の作った 一番おいしいと感じるカレーを思う存分食べて 仕事のストレスを発散して 明日からまた仕事を頑張ろうと思います。

  • 9月26日 悲しい決断をしました

    実は今年の秋の旅行の予定が やっぱりディズニーランドに行くことにしていましたが 定宿にしているホテルオークラの宿泊プランを細かく検討しましたところ 11月の30日から五連休を取って出かける予定になっていました。ディズニーランドは11月の上旬からクリスマスバージョンの飾り付けが始まりますから その時期からかなりはやめですがクリスマス一色のディズニーランドになってしまいます。

    数年前にクリスマスバージョンの時期にディズニーランドに出かけたことがありましたが さすがはクリスマスバージョンの飾り付けで 凄く華やかで幻想的で素晴らしい雰囲気でした。但し私たちがディズニーランドに出かけるのは通常シーズンオフのお客さんが少ないであろう二月と九月が ていばんでしたので その時期でも相当な人出でしたが クリスマスバージョンですからずっとずっとたくさんの人出でした。

    魅力的な催しをしている時期には人手が増えるのは必然的な事ですが 例えば空いている時期なら五時からイベントがあるために見えやすい位置にはびっしりと人が立ち並びますが 次のイベントが七時からだとすると 一旦はその場所から人が立ち去るので 二時間後のイベントの為にいちばん見えやすい位置を確保したりできるのですが 混み合っている時期の場合は 五時からのイベントが終わっても 全然人が立ち去りません。ほとんどの人たちが そのままの場所を確保したままで立ち去らないのです。

    私はディズニーランドに入場する日はおよそ開場の二時間目には入場ゲートに到着して順番待ちをします。空いている時期なら開場二時間前に来れば そのゲートの一番前ではありませんが十番以内で入場できる位置に並べます。結構寒い時期でも 私は携帯できる折りたたみ椅子を持参していますから それを組み立ててどっかと腰を落として 新聞を読みながら パンとコーヒーの朝食を取りつつ開場を待ちます。開場30分ぐらい前に奥様と合流して入場します。

    所が混んでいる時期ですと 会場のやはり二時間位前にゲートの所についても 既に二三十人の人が並んでいるのです。こちらはモノレールの始発にのっているので それ以上早くはやってこれないのですが 恐らくは車で来ている人がもっと早い時間から並んでいるのだと思います。そんなことで兎に角混み合っている時期には アトラクションに乗るにしても イベントを見えやすい位置から鑑賞するにしても とにかく並ぶ時間が凄く長くなるので大変なのですが この時期としては破格に安い宿泊プランを見つけましたので 十一月の末から十二月の初めに旅行の時期を設定しました。

    本当にディズニーランドというのは何度出かけても ワクワクさせてくれる夢の国なので 今回も奥様と二人でウキウキしながら旅行のプランや食事の予定を立てていました。所が 本日になって急に常連の飼い主さんから 自分が十一月の末に大きな手術をするので その入院している期間とその後のリハビリをする期間 合わせて二か月ほど二匹の犬を預かってもらえないか という依頼を受けたのです。

    以前に別の所にホテルで数日預けたら 体調を崩して酷い目に合っている割と神経質な犬たちなのです。その後 当院に預けた時には元気な状態で帰宅してくれたので それからはちょくちょくお預かりをしていました。但し今回は二か月とかなりの長期なので 当院としてもデリケートな犬たちなので 体調を崩さないかと心配はありますが 飼い主さんにしてみれば 万が一体調を崩したとしても病院に預けているのだから 十分な対応はしてくれるだろうという安心感をお持ちの様で 是非当院に面倒をみて欲しいと依頼されたのです。

    私としても 信頼して頂けて すごく嬉しいのもありますし 二匹でかなりの長期のお預かりですから 通常料金よりもかなり割引させて頂くにしても 相当な収入にもなりそうです。手術の時期がもう少し遅ければ旅行にかち合わないのですが 旅行に出かける数日前からのお預かりを希望されていますからしょうがありません。

    旅行の時期をお預かりする前にずらすことも検討してみましたが 余裕のない時期なので 宿泊プランが以前予約していた時よりも一泊二人で一万円ぐらいも高くついてしまいます。二十万円ほど稼ぐために旅行の時期をずらすのですから 宿泊料が三万円ほどアップするのも致し方のないことと考えようかとも思いましたが 時期が二週間早まると 他の予定までがすべて流れてしまうのです。

  • 9月24日 頑張って減量する必要がありそうです

    以前に枚方市内の合唱団に奥様と二人で入団したことはこのブログにも書きました。練習は毎週土曜日の昼からなので これまでに一度体調を崩して欠席した以外は 緊急の手術が入って一度遅刻した位で 頑張って練習に参加していました。合唱団としては 今年の春に創団二十周年の演奏会を終えたばかりの時期に入団したので 当面大きな演奏会の予定はないのだそうです。

    十一月の七日土曜日に 枚方市の合唱団が市民会館に集まって行う合唱祭に参加するのが 今年の唯一のステージになるのかもしれません。私は合唱経験が十年以上ありますし 声量的に声質的にも そこそこ歌える自信があります。ベースのメンバー数名のうちでも 練習では一番とは申しませんが 少なくとも平均点よりは高い点がもらえるぐらいに 歌えているつもりです。それだけに合唱祭というほんの七分間ほどのステージでも ある程度期待されているのではないかと 自惚れております。

    合唱祭とはいえステージに立つわけですから ステージ衣装の用意をせねばなりません。私が普通の体型をしていれば合唱団にストックしてある衣装を借りて済ませることもできるのですが 恥ずかしながら体重百キロを超えておりますので 勿論私の体型に合う衣装などあるはずもなくて 仕方なしに購入せざるを得ないようです。

    一つ目の大学時代に所属していた合唱団の衣装が ひょっとしたら実家を探せば見つかるかもしれませんが 現在よりも四十キロぐらい軽かったので 袖を通すこともできないでしょう。合唱団の衣装係の人から ステージ衣装を扱っているお店を教えてもらって そのお店のホームページをのぞいてみました。合唱団のステージ衣装とは 薄いクリーム色のブレザーに黒ズポンと黒靴、蝶ネクタイなどが一般的です。この合唱団の衣装もそんな感じなのですが サイズ一覧表を見ると 胸囲とウェストサイズで表示されていますが レギュラー仕様の一番大きなサイズで 胸囲が106センチ、ウェストが102センチでした。

    凄く恥ずかしいのですが このサイズだと現在の私には多分かなり苦しいと思われます。合唱祭までに一月半ほどありますから 本気で減量して何とかこのブレザーが余裕で着られる位になろうと思います。どっち道糖尿病の治療のために血糖値が上がるような食事は我慢しなければなりませんが これまでは血糖値さえ上がらなければと カロリー制限を殆どしていませんでした。

    例えば野菜サラダを食べるときに マヨネーズやドレッシングは相当高カロリーであるのは分っていましたが 炭水化物を辛抱している分 サラダを美味しく食べるために ドレッシング類をたっぷりとかけて食べていました。でもこれからは 血糖値とともにカロリーにも注意した食事にしようと思います。別にこの歳になって 見てくれを気にするのは 恥ずかしい気がしますが 取り敢えずステージ衣装が見苦しくない状態で着れるようになるまでは 本気で減量に取り組もうと思います。趣味の為に頑張ることが健康にもつながるわけですし 痩せれば 太ってしまって着られなくなってしまった服がたくさんありますから 洋服代的にも助かりますから 一石三鳥のつもりで頑張ります。

     

  • 9月23日 せっかくの水曜日が祝日で残念です

    当院は毎週水曜日が休診日になっています。当然ですが普段は平日です。普通に勤めている友人は カレンダー通りにお休みですから 土日と祝日がお休みのはずですから 当然お休みは合いません。従って 勤め人の友人とはなかなか一緒に遊べません。そのことは開業当初は残念でしたが 何にもない平日がお休みだと いろいろとメリットがあります。いろんなところに遊びに出かけるにしても 土日は混んでいるうえに料金設定が平日よりも高いのが普通です。

    その点平日だと 殆どの場所が 先ず空いていますし 平日料金で安く上がります。空いているから待たされることも殆どありませんから 時間を有効に使えるような気がします。カラオケが然り、映画を見るときもそうです。食事をする際でも わざわざ予約しなくても大丈夫な場合が多いように思います。病院を開業してから かなりの年月が経ちますが それまでの土日祝日休みから 水曜日だけ休みにかわって相当な期間が過ぎましたが 休診日は平日 というパターンに慣れてしまっているようです。だからたまに水曜日が祝日と重なると なんだか損したような気分になってしまいます。

    サラリーマン時代は期間としてはほんの数年でしたから わずかな年月でしたが 一応一流企業と言われる塩野義製薬でしたから 土日と祝日年末年始休暇などを合わせると 年間110日以上もお休みでしたが やはり勤めていて働かされている気持ちがあったからかもしれませんが もっとお休みを欲していたように思います。

    現在は 水曜日のみお休みですが 電話があれば休日であっても患者さんを受け入れて仕事をしますし、年末年始なんて いつもよりも沢山の患者さんを診ますから 本当に一切仕事をしない休日なんて かなり少ないように思います。とは言っても自営業者ですから 働いたら働いた分だけ直接収入につながりますので お休みの日でも仕事をするのが 殆ど苦痛には感じません。

    頑張って働いた分 毎年二月と秋ごろに月曜日から金曜日まで五連休を取って 表向きは研修の為と貼り紙をしていますが 実は百パーセント遊ぶために旅行に出かけます。あと数年は仕事を目いっぱいがんばるつもりですので 同じようなペースで仕事をするつもりです。仕事をリタイアしましたら このブログでは何度も書いていますが 南の島へ移住して 広々とした土地にゆったりとした家を建てて 豪華な車に乗り クルーザーを操縦して 毎日が日曜日を満喫しようと思っています。

    楽しい老後をしっかりと楽しむために 健康面で一応不自由のない生活のできている現在の状態を長持ちさせられるように 心臓病と糖尿病が悪化しないように 十分に気を付けた生活を続けていこうと思っています。私たちの仕事には定年退職がありませんし やめるとなると現在の病院をどなたかに買い取ってもらわねばなりませんから 仕事の辞め時が難しいのかもしれませんからある程度早めにその準備にかかる必要があるのかもしれません。勿論 南の島へ移住にするにしても かなり大きな不動産を購入するわけですから そちらも私の希望通りの物件が探してもすぐに見つかるとは限りませんから そのタイミングも慎重に図らねばなりません。

    仕事を辞める時期なんて自分の決断次第ですが 仕事を引き継いでもらえるタイミングと 希望通りの不動産物件が見つかるタイミングとの兼ね合いが結構難しそうなので 慎重に事を運びたいと思います。仕事を長く続ければ 蓄えは増えますから より老後が安心ですが 楽しい老後を満喫する時間がそれだけ短くなってしまいますから ある程度思い切りが大事であるように思います。私はかなり優柔不断なので 結局奥様に決断を下していただくような情けないことにだけはならないように 頑張ります。

  • 9月22日 病院にかかってくる不愉快な電話

    つい先ほどかかってきた不愉快な電話は 「犬が足を痛がっているので診察してほしいのだけれども 治療費はいくらかかるのか?」という問い合わせの電話でした。私は即座にわかりませんと答えました。「大体でいいからいくらかかるのか教えてくれ」と繰り返されるのでこちらもわかりませんと繰り返しました。それで電話は切れましたが 恐らく、というよりもほぼ間違いなく来院されないでしょう。

    犬が足を痛がっているという情報だけでは どんな名医さんでも その犬の状態を正確に把握できないでしょうし、初対面の飼い主がどこまで犬の治療にお金を賭ける腹積もりか 見当もつかないはずですから 具体的な金額を回答できるはずがありません。私も電話をかけてきた相手が もう少し丁寧な口調で話していたら 痛がっている原因が一時的な打撲によるものであれば それこそ時間薬で直るでしょうから診察料の500円で済むかもしれないし、もし骨折でもしていれば手術が必要になり10万円以上かかるかもしれません ともう少し丁寧に返答をしていたのかもしれません。

    私も病院の仕事は趣味でやっているわけではありません。当面の生活費と将来的には奥様と過ごす老後の蓄えのために働いています。ぶっちゃけお金を稼ぐために仕事をしているのです。ですから電話をかけてきた相手の口調が気に入らなかったからと言って 無愛想な応対をするよりも 相手が気持ちよく来院してくれるような対応を心がけるべきだったのかもしれません。地道に一件一件の患者さんの数を増やすことが そのまま売り上げの伸びにつながり 仕事のリタイアの決意できる日を一日でも早める結果につながるはずです。今回の出来事を反省して次回からは 何とか来院してもらえるような応対ができるように心を入れ替える必要があるのかもしれません。

    そういえば先日深夜一時ごろにかかってきた電話も 私の短気が原因で患者さんを一件なくしてしまったような気がします。深夜の一時ごろですから 私は当然眠っていました。電話の着信音に反応して 枕元の受話器を取りましたが 私の対応する口調がいかにも今まで眠っていました感のあるものになってしまいました。そうすると相手の開口一番が「何やねとったんかいな。犬が苦しがってんのやけど診てくれるのか診てくれないのかどっちやのん」と問いかけられたので 私はむかっ腹が立ってしまって 体調が悪くもないのに 本日は体調がすぐれないので診察できません、と答えてしまいました。「なんやみられへんのやったら、電話代と時間が無駄になるから電話に出るな」と言われて電話を切られてしまいました。

    こんな失礼な飼い主からは沢山治療費をふんだくってやればよかったのに と朝まで後悔していました。但しこんな無礼で非常識な輩の場合 治療費を請求した時に 高いのどうのこうの と文句を言われてきっとまたひともめあったでしょうから 恐らく関わり合いにならなくてよかったのかもしれません。しかし私が辛抱すれば少なくともウン万円は稼げたわけですから 勿体無いことをしたのかもしれません。

    うちの病院は何故かしら深夜の救急病院としての需要が結構高いみたいで 売り上げに占める割合も結構高くなってきています。勿論全くの初対面の相手ですから 非常識な輩もいれば 調子はいいのだけれど最初から治療費を踏み倒すつもりで診察を受ける犯罪者紛いの奴らも時々います。けれども こちらも眠い目をこすりながら 懸命に対応して患者さんが回復に向かってくれる場合も少なくないわけで 後日丁寧な礼状やお電話で謝意を伝えられることもしばしばありました。私のような至らない人間でもたまにはお役にたてて喜んでいただけることがあるのだと この仕事についてよかったと思えるときも そんなに多くはないけれどあります。これからも 不愉快な相手かもしれませんが 時間外にかかってきた電話は出来るだけ受けて 例えそれが腹立たしい話し方の飼い主さんであっても 精一杯対応していこうと考えております。

  • 9月21日 1933年の本日 宮沢賢治さんが38歳で亡くなられました

    私が初めて宮沢賢治と接したのは 恐らく中学の頃の国語の教科書で 賢治が紹介された文章が掲載されていた時だと思います。日本人なら誰でも知っているはずの「雨ニモマケズ」という詩ともその時に巡り合いました。その当時は「へえそんな人がいたんだ」くらいの感想しかありませんでした。今でも賢治は国語の教科書に教材として取り上げられ続けておられるのでしょうか。

    私が最近 過去の偉大な先輩方の人生について考えるときに いつも驚かされるのがその先輩方が 結構若くしてお亡くなりになられている場合が多いことです。宮沢賢治も わずか38歳で亡くなってしまわれました。賢治は詩人であり作家でもありましたが 農学校出身で農業と深く関わりを持った人生だったからなのか かなり偏った菜食主義者だったと言われています。飽食の時代の 過食の申し子みたいな私であれば 菜食主義は健康のために望ましいことなのでしょうが もともとそれほど若い頃から栄養たっぷりの食事とは無縁だった賢治が 菜食主義者となったために その晩年には体力が落ちてしまい 菜食主義が返って死期を速めたのではないかと言われているみたいです。やはり食べる楽しみは 生きる楽しみのうちの相当に大きな割合を占めていると思いますから 適量に注意しながらも美味しいものを食べながら生きていく人生を送りたいものです。

    今の若い方も賢治の「雨ニモマケズ」という詩はご存知なのでしょうか。私が一つ目の大学の合唱団で活動をしていた時に 定期演奏会のパート紹介文を書いたことがありました。面白おかしく私の所属していたベースのパート紹介をするのですが 「雨ニモマケズ」のボリュームがパート紹介文にマッチしていたので この詩を下敷きにして 紹介文を作りました。他の三パートを批判したり揶揄したりしながら ベースパートを称賛するなかなかの文章が出来上がり かなり自己満足に浸っていました。所がそのことを先輩に話したら まあ考えることはみんな同じみたいで この詩を下敷きにした紹介文は今までに何度も見かけたことがあると言われてがっかりしたのを覚えています。まあそれ位この「雨ニモマケズ」という詩が皆に知れわたっていたということかもしれません。

    悲しく感じるのは賢治が生きていたころに発表された作品はごく一部だけであり 全く無名な詩人、作家のまま亡くなってしまったことです。私は物書きではないので作家の本音の気持ちは想像もつきませんが 詩や小説を発表してそれが評価されて たくさん売れて 収入が増えたり名声を得たりするために作品を生み出している作家は殆どいないと思います。ただ自分の中でこみあげてくるものを作家なら文章で 音楽家なら楽譜という形で作品を生み出しているのだと想像します。しかし賢治が作家としてあまりにも無名であったために 賢治自身もまさか死んで百年近く経っても少なくとも日本人にはその名前といくつかの作品が知れ渡っているなどとは 全く想像もつかない事実だろうと思います。

    賢治が亡くなってから生前に同人誌などでともに活動した草野心平によって数々の作品が発表されたために やっと賢治の作品が日の目を見て 脚光を浴びて評価されることになりました。とうの心平の作品よりも 賢治の作品の方がはるかに有名になってしまったのは 皮肉な話かもしれませんが。まあ何にしても 私よりも二十歳も若い年齢で亡くなられた方が 後年にまで残る仕事をされたことは 称賛に値することだと思いますし、それに比べて自分の人生は 後世に残せるものが何一つなくて 情けなくて泣きたくなってしまいます。

    私の人生があとどれくらい残っているのか見当もつきませんが 後世にまで残らなくても良いので せめてその場その場で出会った人たちを喜ばせるような行動をしていこうとかんがえておりますので どうぞ皆様よろしくお願い致します。

  • 9月20日 1952年の本日 五十嵐淳子さんが生まれました

    五十嵐さんは私が芸能人で一番最初に好きになった方でした。当時は芸名が五十嵐じゅんさんだったと思います。小学三年生の頃に初めてテレビを見ていて好きになりました。但し当時は恥ずかしくて誰にも言いませんでした。しかしじゅんちゃんがテレビの画面に映ると 私が機嫌がよくなるので 母親にはすぐにばれてしまいました。母にそのことを指摘された時 私は恐らく真っ赤な顔をして否定しましたが 真っ赤な顔をしているだけで白状しているようなものだったのかもしれません。

    私は現在乃木坂が大好きですが 乃木坂というグループは清純さがセールスポイントですが 当時の五十嵐さんも まさに清純そのものだったように記憶しています。肩書としては一応女優であり 歌手活動もしていたみたいです。但し歌手としては 大ファンだった私が もうなるべく人前では歌わせてほしくないぐらいに下手糞だったと思います。

    演技力は 勿論大したことはなかったのでしょうが まだ見ていられる位の演技をしていたように覚えております。当時はちょっと可愛らしくて人気がでたら 何でもかんでもレコードを発売して歌手に仕立てていたように思います。ただ残念だったのは まだまだ若くてこれからどのように成長していくのかを楽しみにしていたころ 突然中村雅俊と 出来ちゃった結婚をしてしまいました。私はじゅんちゃんに大変ガッカリしましたが 当時はどうすれば子供ができるのかも知りませんでしたから リアルな幻滅はせずに済んでいたように思います。

    かなりの期間は子育てに専念されていたみたいですが だいぶ経ってから女優として復帰されましたら 清純そのものだった若かりしころとは違って 大人の女の雰囲気でしたが またそれはそれで非常に魅力的になっておられました。何しろ私よりも五歳も年上の方ですから 今ではおばあさんと呼ばれても仕方がない年齢ですが ごくたまに近況が報告されます時に拝見すると 今でも全然立つものが起つくらいにお美しいです。

    五十嵐さんの若かりし頃のイメージは 清純そのものの現在のナーチャンと匹敵するぐらいでした。ということはナーチャンが還暦を迎えてもやっぱり感動的な位チャーミングな女性でいてくれることを意味すると思います。ナーちゃんがこれから年を重ねていって どれほど魅力的な女性に成長していってくれるのかを 本当に楽しみにして これからの人生を生きていこうと思っている今日この頃でした。

  • 9月19日 本日は井田由美さん(日テレアナウンサー)のお誕生日です

    以前にも何度か書きましたが 井田由美さんは 四条畷高校で一年生の時に同級生でした。同級生ですから当然同い年の58歳のはずですし 当たり前ですが相当なおばさんになっているはずです写真や動画を拝見すると 現在でも十分に魅力的な方でした。高校時代は輝くばかり美しかったように覚えています。確か枚方一中の出身で 同じ中学出身で同じブラスバンドに所属していた後藤さん、大穂さんと三人で一緒に通学されていましたが この三人が三人ともに素晴らしい美少女だったので この三人の乗る車両は混み合うとまで言われていたように思います。

    ウィキペディアが存在する事でも凄いし、今日は何の日カレンダーにその日が誕生日の人として名前が掲載されている知り合いは 恐らく井田さんだけなのかもしれません。井田さんとは一年の時同じ二組で二学期に同じクラスの役員書記を務めました。こんなことは井田さん自身は勿論覚えていらっしゃらないと思いますが こちらはクラスでも一番の美少女であり成績も凄く優秀な方でしたから 特によく覚えているわけです。

    それから私が出席番号が15番で井田さんが25番でした。先生によっては日付などから数字を選び出席簿を見て出席番号によって授業で指名する方が結構おられましたが 例えば五日の日なら 先ず5番のものが指名されて 次に私が指名されます。私が正解をこたえられなかったら25番の井田さんが指名されて いつも正解をこたえていたのをよく覚えていますが 今思い返しても悔しくて恥ずかしい記憶です。ちなみに出席番号5番の人は 顔も名前も思い浮かびません。間違いなく井田さんも私の事は全く覚えておられないはずだと思います。

    井田さんはとにかく美しくて ウィキペディアによると物心ついたころには東京で暮らしていて 中学、高校の頃だけ大坂に在住だったみたいです。だから言葉が大阪弁ではなくて 自然な標準語だったのだと思います。国語の授業で百人一首のカルタ取りをクラスでやったことがありました。私などの様に無教養極まりない人間は 百人一首を経験したのは 後にも先にもその時だけでしたが 井田さんは凄く経験が豊富みたいで クラスでぶっちぎりの一番の成績でした。井田さんにはテストの成績でも負けていましたが 百人一首のような身に着けておけばカッコいい教養という点でも 私は全く足元にも及びませんでした。

    その違いが当然現在の立場にも反映されているみたいで 井田由美さんといえば 一時期は日テレの看板女性アナウンサーとして 「今日の出来事」や「報道プロジェクト」のメインキャスターを長年にわたって務められ現在も日テレで最年長であり最長のキャリアを誇るアナウンサーであり専門部長としての役職も果たされている有名人であるのに対して 私は片田舎の動物病院のあまり評判のよくない獣医さんですから まさに天と地ぐらいに差がついてしまいました。

    まあやっかんでもひがんでも 致し方がないので 気持ちを切り替えて 私は私の人生を精一杯頑張って生きていこうと思います。このブログを読んで頂いている方々 これからもどうぞよろしくお願い致します。