Dr.喜作のブログ

2018年4月 の記事一覧

  • 4月30日 1945年の本日 ヒトラーがベルリンで自殺しました。

    56歳で 前日結婚したばかりの花嫁とともに服毒したのだそうです。世界史上まれにみる 典型的な独裁者であり ユダヤ人を大量に虐殺したことに関しては 大罪人であることは間違いないように思いますが 最後の最後まで 自分の理想を追求したその姿勢には 幾らか憧れてしまう気持ちがないでもありません。誰だって自分の人生に大きな目標や理想を持つことは当然だと思いますが 大多数の人は あっと言う間にそんな夢や理想と現実の隔たりの大きさに気づいて諦めてしまうのに ヒトラーは その方向性とやり方に大いに問題がありましたが 目標に向かって突っ走る事が出来たのですから 自殺と言う結末はともかく 幸せな人生だったのではないでしょうか。
    ヒトラー やナチスドイツを無条件に忌み嫌う日本人が多いのかもしれませんが それは第二次世界大戦に日本やドイツが破れて 戦勝国であるアメリカにとって都合の良いような政策や教育による影響が大きいのではないでしょうか。歴史を語るうえで たられば は厳禁と言われますが もし日本が戦勝国になっていれば ドイツは三国同盟を結んでともに戦った盟友でしたから ヒトラーは 大変な英雄として扱われていたかもしれないのです。戦争は勝った者たちの理屈が正義なのです。
    大分前にみたニュースですが 欅坂46が あるステージに立った時の衣装が ナチスドイツをイメージさせるものだったのだそうで 偉くバッシングを受けていました。もう一度書きますが ドイツ軍は第二次世界大戦のとき 日本の友軍 味方だったのです。その制服をイメージさせる衣装を着て登場することが どうしてバッシングの対象になるのでしょうか。勿論欅坂の女の子たちは 用意された衣装を身に付けて 歌っただけなのですから 直接はバッシングを受けたわけではありませんが かつての日本のみかたの軍服に似た衣装を着たことを 責める人たちの感覚が私には 全く理解できません。
    関ヶ原の戦いで 徳川家康が率いる東軍が勝利を収めましたから 徳川方に都合のいい歴史ばかりが残っていて 敗れた西軍の大名たちは 須らく悪者扱いされた歴史ばかりが現存しているのです。戦後日本は 日米安保条約を結んだおかげで アメリカの庇護のもとで 再出発を図りましたから アメリカは日本を守ってくれる味方だという感覚がある方が多いのかもしれませんが 第二次世界大戦中は 鬼畜米英と言われていた国なのです。そんなアメリカに押し付けられた日本国憲法によって 戦争の永久放棄なんて言うとんでもない命題を課せられてしまったがために 戦後幾ら時間がたっても 自国を守る軍隊すら正式な形で持てないでいる現状が続いているのです。
    私は何も日本に徴兵制度が復活することを望んでいるわけではありませんし 戦争に賛成する意見を述べているのでもありません。ただ日本は自分たちの為のきちんとした形の軍隊を所有していないために 中国や韓国に日本の大切な領土を好き放題に踏みにじられているのに領土問題は存在しない 等と 頓珍漢な眠たい発言を繰り返す 腰抜け野郎国家に成り下がってしまっている と言う事を言いたいのです。このブログでは何度も書きましたが ロシアと言う領土欲の凄く強い国に幾ら経済協力などで尻尾を振ったって 千年待っていても北方領土は変換されません。本気で返還を望むのなら 第二次日露戦争を始めて勝利を収めるしかありません。一旦戦争を始めるのなら 北方四島の返還なんて小さなものを目指すのではなくて 樺太島位はついでにかっぱらうぐらいの気概でいなければ 絶対に勝利は期待できないでしょう。
    話が横道にそれてしまいましたが ヒトラーが自殺したのが56歳の時 私よりもずっと年下なのです。善悪は別として 後世に残る大きな出来事をしでかしたのですから 私の平凡で世の中に何の爪痕も残せないようなくだらない人生よりは ずっと充実していたのではないでしょうか。話は変わりますが 本日は 源義経が藤原氏の攻撃を受けて 僅か31歳で自殺した日でもあるのです。勿論義経は 源氏の統領の息子と言う超一流の血筋がありましたし 天才的な軍略を授かっていましたから 悲劇の武将として 後世に名を残すような仕事をしていても 羨むこと自体がおこがましいのかもしれませんが 私の年齢のほぼ半分しか生きていないのに 日本人なら義経の名を知らない人はいないほどの事をやり遂げているのですから 本当にわが身があわれに思えてきます。
    更に本日は 足利尊氏が1358年の本日 54歳で病没しています。この人物も日本人なら知らない人はいないと思います。勿論尊氏も名門足利氏の嫡男として生まれて 北条氏が驕り高ぶっていたから 天下が転がり込んできたような雰囲気もありましたが 十五代続く室町幕府を開いたのですから 凄く大きな仕事を成し遂げました。何だか私よりもずっと若くして亡くなられた方たちが 後世にまで残る大きな仕事をしでかしているのに 我が身を振り返ると 情けなくて泣きたくなってしまいますが 名も無き一庶民としては 致し方のない事だと思います。

  • 4月28日 ゴールデンウィークがスタートしました

    うちの病院としては ずっとあいていて通常通りと言うよりも通常以上に患者さんが多いので 毎日忙しくさせていただいて とてもありがたい事です。最近では ゴールデンウィークに夏日つまり最高気温が25度を超すのが当たり前になっていますから ここの所の暖かいというよりも暑い日が続いている事には 全然驚きません。まあ日本では 春真っ盛りの一番出かけやすい気候ですから 観光地はどこも凄く混雑しているみたいです。
    私は自分の病院を開業してから 二十年以上ゴールデンウィークはずっと仕事をしていましたから 別に人並みに遊びに行けない事を 残念だとか思ったことはありません。テレビのニュースで見るとどこの観光地も 凄い行列ができているし 高速道路も渋滞だらけですから こんな時は自宅でゴロゴロしているのが一番得策のように思いますが どうなんでしょうか。まあ私は自営業ですから 自分が休みたいときに 自由に休みを取れますので 人ごみのないすこし落ち着いた時期に 静かにのんびりしたいとは考えますが 人ごみの中を出かけたいとは全く思いません。
    ゴールデンウィークを感じさせてくれることと言えば 有難い事にホテルでの預かりが増える事かもしれません。基本的にサラリーマンの方たちは カレンダー通りにしか休みがないのでしょうから出かけられる日が限られてくるのでしょうから 集中してしまうのは致し方のない事かもしれませんが せっかくのお休みに 混雑している所へ 混み合っている道を通って出かけて 疲れて帰ってくるのですから 本当に御苦労な事ですが ご家族 特にお子さんがいらっしゃったら 出かけざるを得ないのかもしれませんから気楽な立場の私からすると 頭が下がります。
    いずれ仕事を引退してからは ちょっとリッチなキャンピングカーを購入するつもりですから あえて大渋滞の中に飛び込んでみたりするかもしれません。毎日が日曜日になるのですから 時間的な制約はありませんから うんともすんとも動かない渋滞の中で 逆に思い切りのんびりとしてみたいような気持もあります。ゴールデンウィーク中しか 開催されていないような催し物もあるみたいなので 持ち運びできる椅子でも持って 行列の中に並んでみるのも かえって面白いのかもしれません。
    今年は ゴールデンウィークの真ん中に平日が挟まっていますので 前半と後半に分かれてしまっているみたいですが ホテルもくっきりと前半組と後半組に分かれています。バブルの頃なら みんな合間の平日は有給休暇を取って リッチに海外に出かけたりしていたのかもしれませんが 景気の回復が中途半端なので 二泊か三泊の旅行で済ませておられるようです。さすがにみんなアベノミクスの効果で 庶民の生活が潤うなんて期待している人はいないと思いますが もう少し景気が回復して 多少は物価が上昇してもいいので みんなが元気になる世の中になってほしいものです。

  • 4月27日 スプレーが突然詰まってしまって 使えなくなってしまいました

    病院の犬舎で 掃除に使用していましたヒビテンと言う消毒液を入れて使っていたスプレーが 本日突然詰まってしまって 全く使えなくなってしまいました。何日か前から 少しずつ出にくくなってきていたのなら ある程度覚悟はできていたのかもしれませんが 昨日までは 機嫌よくスプレーとして働いていてくれましたが 今朝から急にうんともすんとも言う事を聞いてくれなくなってしまいましたので 驚いたのと同時に 犬舎の掃除がスムーズにできなくて困ってしまいました。
    そのスプレーは ひょっとしたら病院を始めた時から使っていたものかもしれませんから 二十年以上も機嫌よくスプレーとして働いていてくれたのかもしれません。そのスプレーは噴出口を回転すると噴霧できる範囲が変えられる優れものでしたので 便利に使わせて頂いておりましたが 今更このスプレーを修理して使う訳にはいかないでしょうから 長い事ご苦労様でしたと お礼の言葉をかけてから 百円均一ででも 新しいスプレーを購入しなければならないでしょう。本日は 入院している犬が一匹とホテルで預かっている犬が二匹いますが なんと二匹が犬舎の中でおしっことウンコをしてくれていましたから 掃除が大変でしたが しょうが無いので診察室のヒビテンを入れたスプレーを持ってきて代用としました。まあ者には 寿命がありますから いずれは使えなくなるのも致し方のない事ですが 突然最期を迎えてくれると 長年愛用していただけに 寂しい気持ちになります。
    人間が最期を迎えるときの例えとして ぴんぴんころりと言うのがあります。病気に苦しむことなく、元気に長生きし、最後は寝付かずにコロリと死ぬことなのだそうですが 自分の死に方も出来たら 奥様に迷惑をかけないように そんな風でありたいと思っています。最近自分の経験を振り返ると 電化製品 例えば冷蔵庫やテレビなどが突然壊れてしまいました。どちらもなくてはならない生活必需品なので 直ぐに買い替えました。子供の頃には 電化製品は 壊れると大抵修理してもらって又使っていましたが 最近では 好感する部品代が かなり高いし 修理してもらう出張費などを加算すると 新品と買い替えた方がいい場合が多いようです。新しい製品の方が 当然ですが 機能も優れていますし 省エネ設計になっていてランニングコスト的にも安上がりだったりしますから 勿体無い思いもありますが 買い替えざるを得ないのだそうです。
    犬舎のスプレーも無くてはならない道具ですから 本日の所は奥様が取っておいてくれた洗剤か何かのスプレーで代用しますが 時間があき次第近所の百円均一に走ります。存在感が希薄であっても なくては困りますから。私も世の中で 大した存在ではありませんが 多少は世の中のお役にたつ存在でありたいと願っております。

  • 4月26日 1887年の本日 明治天皇が初めて 歌舞伎を観覧されたのだそうです 

    私は 歌舞伎と言う日本を代表する古典芸能に全く興味もありませんし 一応クラシック音楽とは縁がありそうな経歴ですが クラシック音楽の集大成と言えるかもしれないオペラにも全く関心がありません。私は 鑑賞する前の段階で 最低限度そのストーリーや人物関係を知識としてインプットしておかなければならない所に 何だか反発を感じてしまうのです。
    歌舞伎と同じように ストーリーから落ちまでよく知っている 落語は大好きです。落語は 初めて聞くお題の噺でも 日本語さえ理解できれば 十分に楽しめるからです。昔は芝居と言えば歌舞伎の事だったようですが 落語でも芝居狂い と言うか歌舞伎大好きな人物がよく登場しますが 映画やテレビ、ラジオのなかった時代には 日本人の娯楽の代表が歌舞伎だったのかもしれませんから 現在でもお好きな人は 入場料がかなりお高いみたいですけれど 頻繁に通っておられるのだそうです。
    私はこの歳になって 未だ歌舞伎やオペラと縁のない生活をしてきましたから 恐らく一生縁のない生活で終わるのだと思いますが、天皇陛下を始めとする皇室関係の方々は 日本を代表する娯楽である歌舞伎とは 子供の頃から御縁があるのかと思っておりましたが 初めて鑑賞されて その事実がわざわざ記録されていることに 正直凄く驚いてしまいました。私は 信仰心が全くありませんが 毎年初詣には出かけてその年いいことがあるようにお願いしますし おみくじで大吉をひければ 思わずニコニコしてしまいます。天皇家に対する気持ちは 日本で一番由緒正しくて 日本国民の象徴としてのお務めを 代々継続して果たしてこられたのですから 勿論最大限の敬意を感じております。
    私は共産党と言う政党が 昔から一番主張にぶれがなくて一貫性があるので 凄く信頼できる政党の様に思っています。但し 共産党の方から見れば 天皇を筆頭にする皇室の方々に対する敬意を全く持っていないと言うよりも 反感すら持っている所には 凄く反発してしまいます。やはり日本人の感覚では 天皇陛下の御一族に対して 少なからぬ敬意を持つのは 自然の感覚だと思います。地方の特産品でも 一番上等のものは 今でも天皇陛下に献上されているみたいで 思い切って贅沢をするときに 天皇陛下に献上するのと同じランクの品を頂くことがあります。天皇陛下のご一家は いつもいつも最高級ランクの品を 食されているわけで 羨ましい事この上ありません。
    以前 皇室の方々の懐事情を解説するテレビ番組がありました。あまり生産的な生活をなさっているわけではありませんが そのスケジュールは結構詰まっているみたいで 何もしない休日と言うのは殆どないみたいでした。国民の象徴として 常に注目されているわけですから 迂闊で軽はずみな行動は全くできませんから 一般人からすると かなり窮屈な生活であろうと思います。
    昔野球の福本選手が  立小便が出来なくなるからという理由で 国民栄誉賞を辞退されましたが 私もその気持ちは凄くよく分ります。私が国民栄誉賞をもらう事はありえませんが もしそんな大層な賞を頂いてしまったら だらしない恰好で街を歩いたり 勿論風俗のお店になんか 絶対に出入りできなくなりそうだからです。皇室の方々は 望むと望まないに関わらず 生まれた時から死ぬまで 品格のある生活を求められるのですから 本当にご苦労様な事だと思います。ですから 私は皇室の方々に 感謝の気持ちと 尊敬する気持ちが 湧いてくるのかもしれません。
    そんな天皇陛下が お幾つの時かわかりませんが 初めて歌舞伎を鑑賞された と言うのは 普段から楽しい事があまりなさそうな生活をされているわけですから 何だかお可哀想な気持ちになってしまいました。もし初めて見て 歌舞伎を気に入られたのなら それからは頻繁に鑑賞されていればいいのに なんて思いますが 余計なお世話ですね。

  • 4月25日 1719年の本日 「ロビンソンクルーソー」が出版されました

    作家ダニエルデフォーは 17~18世紀に イギリスで活躍した作家さんだそうですが この作品は凄く有名であり その続編まで書かれたみたいですが それ以外の作品は あまり存じ上げておりません。私はこの物語や 「十五少年漂流記」(二年間の休暇)が大好きで 子供の頃繰り返し繰り返し読みました。その他に[宝島」や 「ドリトル先生」も話の始まりが 航海に出る場面からでしたから 私も将来は船乗りになって 大海原に旅立つことを夢見ていたころもありました。
    事実高校を卒業して大学を受験するときに 一瞬 商船大学に進んで 航海士になろうかと考えたことがありました。勿論獣医師になることを夢見て 獣医学科を受験しましたが 失敗して その時はあっさりと夢を諦めてしまいました。その時にもう少ししつこくその夢を追いかけていたら 十年近くも人生を回り道することもなかったのかもしれません。とにかく 子供の頃には 何時か船に乗って旅をしていて 無人島に流れ着いて 自給自足の生活をすることを ずっと夢見ていたことは 間違いないし この物語がそのきっかけになったことも確実です。
    高校生になってから一番影響を受けたのは 五木寛之の「青年は荒野を目指す」とか「青春の門」でしたが いずれも故郷から旅立って成長していく男性の姿が描かれていますから 私もいずれは親元を巣立って 放浪の旅に出る事に憧れておりました。少なくとも 大学生になったら親元を離れて生活すのることを目指しておりましたが 結局落ち着いたのが 自宅から通える大学でしたから 独り立ちする願望は叶いませんでした。
    一人暮らしを初めて経験したのは 塩野義製薬に就職して 勤務地が金澤に決まった時でした。塩野義製薬は 福利厚生の充実した有難い会社でしたから 住む所から車まで至れり尽くせりの環境を用意してくれました。寮はありませんでしたが 独身者は 同じアパートに固まって住んでいましたから それ程孤独感を味わなくて済みました。只仕事は凄く厳しかったし 更には初めての北陸地方の生活は 雪に埋もれて かなりしんどかったです。まあこの厳しさのおかげで サラリーマン生活に見切りをつけて 獣医師の道を再度チャレンジする決意が出来ましたから 塩野義での厳しい一人暮らしも悪くはなかったように記憶しています。
    話が大分ずれてきましたから 「ロビンソンクルーソー」に戻ります。この物語は 何度読み返したかわからない位に繰り返し読みました。子供の頃の私は 情けないぐらいの腰抜け野郎でしたから 夜にトイレに行くことさえ 怖くてしょうがありませんでした。トイレと言っても2DKの団地に住んでいましたから 寝ている所から ほんの数メートルしか離れていないのに 怖くて怖くてたまりませんでしたから 一人ではとても安心して寝つけなかっただろうと思います。
    そんな腰抜け野郎が 無人島でたった一人で流れ着いても たくましく生きていくことなんて 不可能なことは子供なりに分っていましたが それでもいずれは私も無人島に流れ着いて一人で力強く生きてみたいという 強いあこがれがあったからこそ この物語を何度も繰り返し読みなおしたのだと思います。私の子供の頃の一番の愛読書としては「シートン動物記」がありますが この漂流記も劣らない位の私の愛読書でした。
    現在も 最愛の奥様はいますが 事情があってすぐ近所ですが 別居生活をしておりますので 一人暮らしの身です。一人目の奥さんとは 勿論普通に新婚生活を始めましたが 開業したばかりで余裕がなかったために 二人の生活は長続きしませんでした。その後奥様と巡り合って 一緒に暮らし始めましたが やはり事情があって 別居の道を選択しました。仕事を引退したら 奥様と一緒に暮らすつもりですが 私は料理が趣味だし 掃除も洗濯も最低限の事は自分でできるので 独り暮らしの気楽さが 寂しさよりも勝ってしまっているのかもしれません。結局私は無人島で暮しているわけではありませんが ロビンソンクルーソーよりも 長い期間一人暮らしをしているみたいです。
    まあ我儘放題の協調性に欠ける私ですから 長年一人暮らしをせざるをえなかったのかもしれません。人生の最後ぐらいは 奥様と二人で ゆったりとのんびりと暮して行けたら それだけで 幸せな人生だったと感じられるであろうと 思います。長年の一人暮らしにピリオドを打ちたいから 少しでも早く仕事を引退したがっているのかもしれません。ロビンソンクルーソーも 最後は無事救出されて ハッピーエンドに終わっていますから 私の人生も同様の終わり方が出来たら 有難いです。

  • 4月23日 セクハラ パワハラについて思う事

    国会でも 世の中でも セクハラ パワハラについて 色んなニュースが流れているようです。そもそもこれらの言葉は 私が子供の頃には 存在していませんでした。ひょっとしたら存在していたのかもしれませんが 全く世間では認知されていなかったと思います。只言葉自体は存在していなくても その類の行動は 大昔から巷にあふれていたはずです。それから不倫騒動も コンスタントに明るみに出ていますが 人間の性欲が倫理観を上回ってしまう事は 日常茶飯事なのだと思います。現在の私は 奥様一筋ですが 以前に道を踏み外したことが ないでもありません。何しろ女性に全くモテない人生をずっと歩き続けていましたから 女性からアプローチを受けた経験が全然なくて 舞い上がってしまったことがありました。
    ただセクハラ、パワハラ と言う言葉があまりに注目されてしまい 何かあれば セクハラだ とかパワハラだ と騒がれ過ぎているのではないかと思います。上司が部下に厳しく指導するのは ひょっとしたら自分の仕事の実績を上げようとしている利己的な考え方に基づいているのかもしれませんし その部下を成長させようとして 厳しめの愛のむちを振るっているのかもしれません。上司が部下に対して 上から物を言うのは 立場上当然のことのように思えますし 自分の点数を上げるために 部下に厳しく当たるのは 結局は会社の利益につながる事かもしれませんから あながち悪い事の様には 思えません。動機が純粋に 部下の成長を促そうとする気持ちから 厳しく接したのかも知れなくても 現在の風潮だとパワハラ扱いを受けてしまうのかもしれません。
    これは別に恥ずかしい事だとは思わないので このブログにも書きましたが 私の行動がセクハラ扱いを受けてしまいました。ここ数年近所の中学校の職業体験に協力していました。うちの場合スペースの関係で 三人だけ中学生を二日間預かって 動物病院の仕事を見学してもらっていました。実際の実習の前に 中学生たちが 下見を兼ねた顔見世をして 挨拶にやってくるのですが その時に自分で書いた 自己紹介文を私に提出します。
    私はその紹介文を見ながら 実習の本番の時までに少しでもうちの病院に馴染んでもらおうと 世間話を交えながら 実習への心構えや 準備しておくべきことを話します。例年は 和やかな雰囲気の中で 話は終わるのですが 昨年は自己紹介文の事を プロフィール と言う自分勝手な表現をする子がいたので 注意しました。何度か注意しましたが 繰り返しプロフィールと言う表現を改めない子がいたので 少し厳しく注意しました。私としては ユーモアを含めた表現のつもりで「アイドルのプロフィールには 体のスリーサイズとか書いてあるけれど この紹介文には 君らのスリーサイズがかいてあるのか」と厳しめの口調で問いただしました。
    今どきの子は 面と向かって注意された経験が殆どないのかもしれませんが 不服そうな顔をしてその子は黙りこみました。私もそれ以上話を続けても 不愉快なだけなので その辺で挨拶を打ち切り 中学生たちを返しました。所が翌日に中学校の教頭から電話が入り 話があるので 至急会って話がしたい と言う事でした。こんなことは例年ない展開なので どうした事かと思いながら時間を指定して 来院してもらいました。
    教頭は やってくるなり自己紹介文の返還を求めました。私が預かっていた紹介文を教頭に手渡しました。そこで言い出したのが 昨日のあいさつに来た中学生が 私からセクハラを受けたので 職業体験は 取りやめにします ということでした。私には何のことか意味が分からず 一体私のどのような行動がセクハラに該当するのか尋ねました。私は勿論中学生たちと カウンター越しに話しましたから 一メートル以上はなれていたわけで 指一本触れていないし 上半身しか見ていませんから 別にいやらしい視線を送ったとも思えません。
    教頭が言う事には 私が中学生に対してスリーサイズを尋ねた と言うのです。恐らくは プロフィールの件で 厳しく注意した生徒が 私に対する腹いせで 事実を捻じ曲げて 親に報告したのだろうと思います。まあ親が子供の言う事を鵜呑みにしてしまうなんて 致し方がないとは思いますが 教育者が子供の言う事だけを 頭から信じ込んで 物事を判断するなんて あまりに馬鹿げているように思いますが これを読んで頂ける方々は どのように思われますが。
    常識で判断したって 実習の下見に来た中学生に対して スリーサイズを尋ねたりするはずがない事がなぜわからないのでしょうか。その中学生がそのような発言をしたのには それなりに動機があるはずですが 何故その辺りをきちんと確認しないのでしょうか。もしもこんなことで 注意されたことを全く反省しないで 腹いせの行動をとり その自分の言い分が簡単に通ってしまう事を経験してしまうと その子が 世の中をなめてしまいそうで 心配です。
    何故教育者たるものがそんな簡単な事に気づかないのでしょうか。客観的に判断して 私が中学生の女の子のスリーサイズを尋ねて どのような得があるのでしょうか。あまりに馬鹿げた話なのに 自分の教え子の言い分を鵜呑みにしてしまうのでは 盲目的で客観視できない親たちと同じではありませんか。少なくとも過去数年にわたって 私はその中学の職業体験に 無償で協力してきた実績があるのに その教徒は自分の言いたい事だけ言うと さっさと帰っていきました。これまで世話になったことに対する 感謝の言葉すらありませんでした。わたしとしては 全く身に覚えのない言いがかりをつけられて セクハラ親父扱いを受けたのですから 何だったら名誉棄損で訴えてやろうかとも考えましたが もし私の言い分が認められたとしても 相手が公立の中学校では 私が得することは一切ないので辞めておきました。
    この事実を客観的に分析すると 私が自分の感覚として 自己紹介文をプロフィール等と 勝手に自分の言いなれた表現を使われたことに対して 注意したことが ひょっとしたら パワハラにあたるのでしょうか。スリーサイズと言う言葉を使用しただけで 中学生の女の子にスリーサイズを尋ねたなどと事実と反する報告をされてしまいましたが その報告を鵜呑みにされて 一応中学の教員と言う常識があるべき大人たちに 中学生に対してセクハラを働いたと決めつけられたのです。
    私から言わせて頂くと 決して中学生に体のスリーサイズを尋ねてはいませんから そのようなあらぬ疑いをかけられたこと自体で 私がセクハラを受けたように思いますが 如何なものでしょうか。セクハラが行われるのは 大抵密室でと言う場合が多いのでしょうから その場の会話を録音でもしていない限値は 発言した しないと水掛け論に終わってしまい 結局は疑いを受けた方が損をするような傾向にあると思います。だからと言って 少人数で話をするときには 何時でもボイスレコーダーのスイッチを押すのも 何だか悲しい事です。
    セクハラ パワハラ と言うのは なかなか客観的に判断するのが難しいデリケートな問題を多々抱えていると思いますから 安易にそんなハラスメントがあった等と判断すべきではないように 私は思います。 

  • 4月22日 ホテルで豪華な朝食を食べてから 日常に戻りました

    昨日高校の還暦同窓会に参加して そのまま会場のあったホテルグランヴィアに宿泊しました。大阪に住んでいますから 大阪のホテルに宿泊したのは 一人目の奥さんと結婚式を挙げた夜 新婚旅行に出かける余裕がなかったので ニューオータニのスイートルームに宿泊することで 勘弁してもらいましたが それ以来の事です。朝食はブッフェスタイルで 朝七時からでしたので 少し前にレストランにつきましたが 既にたくさんのお客さんが来ていて 食べ始めている人も結構いらっしゃいました。私たちもすぐに席に案内されて 美味しそうな料理の並んだ列に お盆にお皿をのせて並びました。取り敢えず一回目は 和食で攻めてみました。
    味噌汁を受け取り 白ごはんを茶碗によそって ほうれんそうのお浸しや切り干し大根 ひじきの煮物等 昨夜が肉中心の食事だったので なるべく野菜を中心にチョイスしました。出汁巻き卵や明太子なども 久し振りに白ごはんを頂きますので とってしまいました。大根やニンジンなどの煮物も美味しそうでしたので小鉢に取ってみました。飲み物は 野菜ジュースと飲むヨーグルトを選びました。取り敢えずは座って 奥さんが戻るのを待ってから 食べ始めました。奥様は目の前で焼いてくれるオムレツを注文していたので 少し時間がかかりました。食べ始めると やはりちゃんとしたホテルの料理ですから 食べ放題とは言え お出汁のきいたおいしい味付けがなされていましたので とても美味しく頂けました。
    二回目は 洋食メニューの列に並びました。スクランブルエッグやカリカリベーコンを皿に盛り 更にボウルにタップリと生野菜をとり シーザードレッシングをかけたサラダにしました。やはり野菜をなるべくたくさんとるように心掛けます。朝から何とステーキまで焼いていましたが 薬や肉はたっぷりと頂きましたので 今朝は止めておきました。洋食のおかずを取りましたから パンを取れば普通なのですが 私はお粥をチョイスして 薬味をたっぷりと振り掛けました。二回目に取った料理も美味しく頂きました。九時から病院で診察時間が始まりますから のんびりとはしていられませんので デザートのフルーツをサクサクと頂いて チェックアウトして病院に向かってスタートしました。
    平日だと車が混雑し始める時間ですが 日曜日でしたので 割と空いていましたから 予定通りに九時少し前に病院に到着して 仕事を始めました。手術の予約は入れていませんが トリミングの予約は断りきれずに入れてありましたので 奥様はいきなり仕事が始まりましたが ミスなく無難にこなされていました。奥様は 疲れていて コンディションの悪い時でも 緊張感を切らさず 本当にそつなく仕事をこなしていかれますから やっぱり能力が高いのだと思います。私はちょっと体調がすぐれないと ミスを連発してしまいますから 本当に情けないです。
    昨日 同窓会で懐かしくて 楽しい時間を過ごしましたが それなりに緊張もしていたみたいで かなり疲れが溜まっているみたいです。昼からゆっくりと休んで 体力を回復させるように 務めます。明日は手術の予約も入っていますから 気合を入れ直して 仕事に取り組もうと思います。

  • 4月21日 高校の同窓会に参加しました 

    私は 大阪府立四条畷高校の卒業生です。還暦と言うのは 一つの人生の大きな区切りですので 色んな形で 同窓会が開かれるようですが 本日野村君と言う私の麻雀友達が 発起人として 凄く頑張ってくれましたので凄く盛大な同窓会が開かれて 大成功のうちに幕を閉じました。私は 高校生の頃から 自分の外見に強いコンプレックスを持っていましたので 性格はかなり暗くて 友達が全然いないわけではないけれども かなり少ない方だと思います。こんな私が参加しても 話し相手に事欠いて 寂しい思いをするのではないかと かなり不安な気持ちもありましたが 高校時代の友達と再会できる最後の機会かもしれないと思い 勇気を持って参加してみました。
    参加者は 同窓生が四百五十人いるうち 何と二百人以上が集まりました。私のクラスの参加者は 残念ながら 十五人ほどで かなり少なくて 寂しかったです。円卓に座席指定されていましたので 私は自分が指定された席に座り 両隣を見ると 何とクラスでも一二を争う可愛らしい女の子たちに挟まれていて 凄くラッキーなポジションでした。勿論 私自身が ジジイになってしまっていますから やってきた女性たちも それなりにお年を召した女性になっておられましたが 若い頃に可愛らしかった女の子達ですから それなりに風格のあるとても魅力的な女性になっておられました。彼女たちと再会できただけでも この同窓会に参加してよかったなと 思いました。
    公立高校ですから 勿論男女共学で クラスの約半数が女の子です。でも私は 高校生の頃 人一倍自意識が強いし とにかく自分の外見に対するコンプレックスが強かったので 一日教室で普通に授業を受けて帰る時に 女の子と一言も口をきかなかった なんていう事がざらにありました。勿論彼女なんてできるはずもなくて 寂しい高校生活でした。まあ友人の大部分が 彼女のいない独り者でしたから そんなに落ち込んではおりませんでしたが。
    そんな事を 左隣の女性に話してみると その子は見た目が可愛らしいし 性格もおっとりとして優しそうな印象でしたから かなり男子から人気があったはずなのに 自分も女の子の友達から 根暗と言われていて 結構寂しい思いをしていたんだよ と言われて驚きました。その子の周りには 何時でも女の子は勿論 男の子も何人かいたりして 凄く楽しそうにしていたように思っていたからです。そして現在の私は 醜く太ってしまっていますから 女性の目から見てかなりポイントが低いのは致し方がないけれども 高校時代の私は 自分が思っているほどに女性からの評価が低くないらしかった と言われて 大変驚いてしまいました。
    逆隣りの女性との高校時代の唯一の思い出が 最後の体育の授業で 普段は女子と男子は別々の先生がいて 全く異なる授業を受けるのですが 最後の最後だけ 先生たちにしてみれば特別サービスのつもりだったのかもしれませんが ダンスの授業 と言う事で 男女が一緒に体育の授業を受けました。多分背の順に並んで 順番に男女のペアを組んでいったのだと思いますが 私は偶然に右隣の女性とペアになりました。どんなダンスを踊ったのかなんて全く覚えていませんが 当時そのペアになった女の子がうちのクラスで一番可愛いのではないかと思っていた私としては 凄く嬉しかったのを覚えています。
    何しろそんな可愛らしい女の子とずっと手をつないでいられたのですから。とはいえ 凄く嬉しかった私はよく覚えていますが 相手の女の子にしてみれば 只のちょっと変わった内容の体育の授業 という認識しかなかったのでしょうから 勿論記憶の片隅にも残っていないだろうと覚悟していましたが その事を尋ねてみると 案の定全く記憶には残っておられなかったみたいでした。覚悟はしていましたが せっかくのいい思い出でしたから わざわざ尋ねてみることはなかったのかもしれません。
    宴もたけなわになってくると みんな仲の良かった友達を探してうろうろと歩き始めました。私も 誰か知り合いがいないかと歩いていると 同じ中学出身の女の子を見かけました。その子は 親同士も知り合いで 結構親しくしていましたから パッと見てその子だと分りました。と言うかその子は 勿論おばさんにはなっていましたが 高校生の頃のイメージと殆ど変っていないように思えたからです。久しぶりに話しかけてみると 中身はもっと変わっていなかったので 嬉しくなってしまいました。
    何人か懐かしい顔ぶれと話をして 互いの近況を報告し合いました。みんなそれなりに立派な人生を歩んで それなりの確固たるポジションを築いているみたいで 感心してしまいました。まあ同窓会に堂々と顔を出せるのは それなりに自分の歩んできた道に自信が無ければ 参加しにくいのかもしれませんし もともとかなり優秀な人たちばかりですから 自信を持って自分の人生を語れるのだと思います。
    私のこのブログで 永長直人君 と言うとんでもない秀才がいることは 何度も書いておりますが 彼は高校で行われる模擬試験でやはり信じられないような高得点を記録していました。同窓会に出席された数学の先生が思い出話として語られたのですが 五教科各二百点満点で 相当に優秀な生徒でも数学では百二三十点取れればいい方だと考えて問題を作っていたのだが 永長君だけは 何時も満点を取っていたのだそうです。全体の平均点が八十~九十点ぐらいでしたから 恥ずかしながら 私は百店の大台に乗ったことが一度もありませんでした。
    数学の先生としては いつもいつも満点を獲得されるので 何とか満点が取れないような難問を作ってみるのだが 彼はやはり楽々と満点を取っていたのだそうです。そこで先生も意地になって 高校生の数学のレベルを大幅に上回って 数学科の大学生が 二三年生ぐらいになって習うような内容の 超難問を出題した所 やっと永長君が満点を取れなかったのだそうで その時に先生たちが ガッツポーズを取った と言った話で皆が大笑いをしました。
    彼は現在 東大の教授として活躍されているみたいですが 残念ながら本日は 参加してくれていませんでした。何しろ彼は 小学生の時に将来の目標としてノーベル賞を受賞することだと書いていましたから 東大の教授になる事等 ほんの通過点にしか過ぎないのでしょう。学者や政治家の世界では60歳なんてまだ駆け出しみたいなものかもしれませんから 焦っても仕方がないのかもしれませんが いずれは彼がノーベル賞を受賞してくれることを 同窓生は皆待ち望んでいるように思います。
    本日は土曜日ですが 午後の診察はお休みして 二次会にも参加しました。その後同窓会の開かれたホテルグランヴィアに奥様と二人で 宿泊しました。晩御飯は あまり食べた事のないスペイン料理を食べさせてくれるお店に出かけて 頂きました。凄く美味しくて久し振りにお腹いっぱい食べてから ホテルの部屋に入りましたが ここでちょっとびっくりしたことがありました。
    私が予約したので 勿論かなり安いプランを申し込んだはずでしたが 案内されたのが最上階の27階の部屋でした。そこは特別なフロアで 部屋のカギを持っていないと 客室に続く廊下に入れないのです。そして特別なラウンジがあって そこではジュースやコーヒーが飲み放題なのです。時間限定でアルコールまでサービスされるのだそうですが 部屋に入った時間には アルコールは 片づけられていました。そのラウンジには ゆったりとしたソファーが並んでいて 優雅なBGMが流れていました。新聞や雑誌も沢山おいてありますから ゆっくりと寛げます。かなり安い料金で朝食付きのプランを申し込んだのに 最上階の特別のフロアに宿泊させてもらえて ラッキーでした。
    本日は 同窓会も楽しくて懐かしくて とても充実した時間が過ごせましたが 最後まで楽しく優雅に過ごせましたから 同窓会に参加して本当に良かったと思います。幹事の人たちに 本当にご苦労様と 申し上げたいと思います。野村君本当に頑張ってくれて ありがとうございました。

  • 4月16日 やっと野菜の価格が下がってくれて とても嬉しいです

    私は糖尿病を患っていますし 今年の目標に掲げたのが 体重減少ですから なるべく野菜を中心に食生活を考えています。男の一人暮らしですから 料理が趣味とは言え 夜仕事が終わってから 一人で手の込んだ料理は面倒で 出来ません。殆どが サラダの類や レタスに何か味のあるもの 例えば ソーセージを焼いたものや スクランブルエッグ等をレタスでくるんで頂いたり 近所のスーパーで買ってきたミンチかつ等を山盛りの千切りキャベツと一緒に食べる など生でそのまま食しております。
    その為に 常にキャベツやサニーレタス キュウリの類は 冷蔵庫できらさないように心掛けているのですが これまでの数か月は 本当にその類の野菜の価格が凄く高い状態が延々と続きました。日本は資本主義 自由経済ですから 市場の価格は その品物が少なければ高騰するし だぶつけば安くなるはずです。近所のスーパーだけでなくて 普段価格が安いので評判のスーパーへわざわざ出かけて行っても 大して変わり映えのしない高い値段しかついていませんでした。これだけ野菜の価格が高止まりしているのは やはり野菜の収穫量が 例年に比べて 大幅に減少しているからとしか考えられません。
    このブログでは何度も何度も書きましたが 私は器の小さな けちん坊の人間なので 例年よりもかなりお高い価格のついている野菜を購入するのには 少なからず抵抗がありましたが 生きていくためには食べなければなりませんから シブシブ買い込んでおりました。二月ごろに ほんの一時安値がついた時期がありましたが いつの間にか高値で安定してしまっておりました。
    所が ここ数日は やっとふだん私が買う野菜 詰まりキャベツやレタス キュウリの類の価格が一斉に下がり始めました。一旦下がり始めると 今度は安売り合戦みたいに 一月前の高値が嘘のように嬉しい安値が並んでくれています。私は まあ野菜が高いと言っても 殆ど肉や魚などの元々値の張る食材を購入していませんから それ程家計に響いていたわけではないのかもしれません。しかし根が貧乏人の私は 安い時 と言うか普通の価格の時よりも かなりお高い値段がついていると 悲しくて 悔しいのです。
    以前は 凄く語ぶりのキャベツが一個400円位で 堂々と販売されていましたが 現在は 倍ほどの大きさの立派なキャベツが200円で売られていますから 嬉しくなってしまいます。沢山千切りにして スーパーで買ってきた出来合いのトンカツとともにお腹いっぱい食べました。サニーレタスも 小振りの物が 200円以上で売られていましたが現在は 凄く大ぶりのものが 三株まとめて100円で売られているのを見て 狂喜してしまいました。
    業務スーパーで 一キロが四五百円のウィンナーソーセージを フライパンでこんがりと焼いて みずみずしいレタスで くるんで食べたら やっぱりお腹いっぱいになれました。還暦を迎えて 正直性欲の衰えは 自覚したくなくても痛感させられますが 食欲の方だけは 相変わらず旺盛なようです。それほど贅沢な料理でなくても そこそこに美味しいものを お腹一杯に食べると 幸せになれる 私は本当に安上がりな人間だと思います。
    キュウリも一本が50円以上するのが当たり前でしたが ここの所まとめ売りされているものだと一本が25円位にまで下がっていますから 大入り袋を喜び勇んで買い込んでしまいました。但し野菜は 新鮮なうちに美味しく頂かないと せっかく含まれているビタミンなどの栄養素も損なわれますし 最悪腐らせて捨ててしまうようなことになれば 安く買えて喜んでいる場合ではありません。
    私は子供の頃に 塊肉が呑み込めなくて 肉全般が嫌いでした。その代りなのかどうか知りませんが 野菜を食べることは全然苦になりませんでした。今では 肉の美味しさは分るようになり しゃぶしゃぶや焼肉は 大好物ですが 肉を食べるときにはそれ以上に野菜をたくさん食べるように心掛けています。しゃぶしゃぶの場合 白菜や春菊 えのきだけ等ポン酢に付けると凄く美味しいので 山盛り食べて幸せな気分になります。焼肉を食べに行っても サンチュの葉を五人前以上は必ず食べます。
    野菜が高騰していたと言っても 一月の購入額で言うと 間違いなく一万円も高くはついていません。私ももうすぐ還暦を突破してしまう身なのですから もう少し広いゆったりとした気持ちを持って 色んな物事に接する必要があるように改めて思っております。

  • 4月15日 1983年の本日 東京ディズニーランドがオープンしました

    これまでにも何度も書きましたが ディズニーランドに初めて出かけたのは ディズニー好きの奥様に誘われて 三十代半ばだったと思いますが 正直なところあまり気乗りしないで 訪れてみました。要するに規模の大きな遊園地 としか思っていませんでした。一般的には 夢の国なんて陳腐な表現が使われていますが 私はこの世の中に 夢の国なんて存在するとは思ってもみませんでした。所が 一度ディズニーランドに足を踏み入れると 現実の世の中とは隔絶された 本当に楽しい夢の国だったのです。楽しい事この上ありませんでした。
    たった一度で ディズニーランドにすっかりはまってしまって 当時は 例年確定申告の作業が終わる二月と 秋に旅行に出かけていましが 何度か続けてディズニーランドに出かけてしまいました。ホテルも東急やヒルトン等を 安いプランがある場合を狙って宿泊していましたが いつの間にかホテルオークラが一番のお気に入りになって オークラにばかり宿泊するようになってしまいました。私はけつの穴の小さな男ですから 病院を月曜日から金曜日までお休みして四泊五日で 出かけるのが普通でしたが 日曜日に夜の仕事が終わると 夜食であり 余ったら朝食にもなる弁当を作って さっと風呂に入ってから まだ日曜日のうちに出発していました。病院を閉めてお休みすることは致し方のない事ですが その時間を目いっぱいに遊ぶことにつぎ込んでしまう 本当に余裕のない 器の小さな人間です。
    その時間に出発すると 高速道路をひた走りして 朝の四時ごろにはオークラの駐車場に到着します。車の中で二時間ほど仮眠を取り 弁当の残り物で腹ごしらえをして 六時ごろのモノレールにのって ディズニーランドの入園ゲートに並びに出かけます。その時間にゲートにつくと 殆ど一番乗りできるポジションでゲートの前に陣取ることができます。二時間以上待ちますので 組み立て式の椅子とスポーツ新聞を用意していきますから それほど疲れないし 退屈もしません。
    開園に間に合うようにやってくる奥様と合流して 開園と同時に 二人でお目当てのアトラクションへ駆け出します。奥様は一番人気のアトラクションのファストパスの行列に並びます。私は二番人気のアトラクションのスタンバイの行列に並びます。入園するのは 殆ど一番乗りですが みんなその辺りに並んでいる人たちの目的は同じなので 若くて元気な連中にあっと言う間に次々と追い越されてしまいます。悔しいのですが 年をとってあまり無理して 体調を崩してしまうのが馬鹿らしいので 無理なく頑張れる範囲で 一生懸命に走ります。
    でも長い事開園を待ち 一番乗りしたおかげで 午前中のうちに 一番人気と二番人気のアトラクションを 余裕を持って楽しめます。兎に角人気のあるアトラクションは あっと言う間に二~三時間待ちになってしまいますから 午前中にとにかく楽しみたいアトラクションを楽しんでからは 他のアトラクションのファストパスを 取りながら 入場できる時間に応じて 移動する予定を立てて 出来るだけ一日を有効に活用できるよう心がけます。兎に角ディズニーランドは 人気が高すぎて 待ち時間が膨大なのが 唯一の欠点だと思います。
    ジェットコースター系のアトラクションなら ナガシマスパーガーデンの方が よっぽど充実しているように思いますが こちらは平日にしか出かけたことがありませんが 殆どならぶことはありません。運悪く人の流れが そのアトラクションに集中した時以外は 並んでも十分位のものです。こんなに充実したアトラクションが沢山あるのに どうしてナガシマスパーランドは こんなにお客さんが少ないのか 凄く不思議に思います。やはり三重県の長島 という地理的な要素が原因なのでしょうか。
    私はディズニーランドに一歩足を踏み入れると 現実社会から完全に切り離された 気分を味わえるのが 一番気に入っている理由の様に思います。私が凄く嫌いなテーマパークであるUSJは 何処を歩いていても パークの周囲の道路や建物が 目に入ってしまいますから 現実社会との隔絶感が全くなくて 全然夢中になって遊びに集中できないのが 嫌いな理由です。勿論 アトラクションの内容が とにかく世の中の流行物なら何でも飛びついて 取り入れてしまおうとする 人気さえ出れば お客さんさえかき集められれば と言う下品なポリシーも 大嫌いです。
    ここの所 年に二階の旅行は行っていますが もう長い事ディズニーランドには出かけていません。別にディズニーランドが嫌いになったわけではありませんが 入園料金をどんどん高くしていることや 入園している時間のほぼ三分の二位が 待ち時間であることなど 不満に思う事も少なからずはありますが とにかく園内にいれば 只テクテクと歩き回っているだけでも 辛くて嫌な事ばかりの 現実社会とは切り離された気分を味わえますから とっても幸せな気分になれる事への評価は変わっていません。
    ただ 仕事を引退してのんびりすることが かなり現実的な話になっていますから 引退してから年間パスを購入して 思いっきりのんびりと入り浸ってやろうと考えておりますので 自然と足が遠のいているのかもしれません。現在の所は 引退してからの移住先を選ぶのが 最重要事項ですので 旅行はもっぱら移住先候補の地を何度も訪れることに費やされております。移住した土地に 終の棲家をたてて そこに骨をうずめる覚悟でおりますので 真剣に移住先を探しています。
    勿論移住先としての条件が そろった町が見つかったとしても その町にこちらの事情とうまくマッチする物件が見つかるかどうかは ある程度お嫁さんさがしみたいに 運と言うか 縁みたいな物が無いと難しいのかもしれません。焦らずに ジックリと腰を据えて 移住先を探して 上手く見つかったとしても 今度は現在の病院を売りに出して 上手く買い手が見つからなければ すんなりと仕事を引退できないのかもしれません。
    そんな訳で 現実に仕事を引退して 終の棲家に移住してから 大好きなディズニーランドを 堪能しようと密かに考えております。その頃には もう少しディズニーランドの人気が落ちて お客さんの数が減少してくれていたら 嬉しいのですが まあそんな事はありえないように思います。本当にあの膨大な待ち時間さえなければ ディズニーランドは本当の夢の国だと私は思っています。