Dr.喜作のブログ

2015年6月 の記事一覧

  • 6月30日 本日で今年の前半が終わりです

    ラジオやテレビでも 本日で今年の前半が終了しますが あっと言う間でした、という感想のオンパレードでした。確かにこの半年 頑張ったこともあったし 怠けたこともありましたから それなりに色々あって 楽しいことも悲しいことも悔しいこともあって いろんな気持ちになった半年でした。五月いっぱいは枚方市の獣医師会の代表として働きました。狂犬病集合注射で久しぶりに副作用症例が報告されて 最後の最後まで面倒な仕事に追われました。本当に私は不幸な星のもとに生まれたのかもしれませんが 普段の行いの悪さにたたられただけなのかもしれないとも 思います。

    まあ、、ものは考えようで 今年もまだ半年残っているのですから これから頑張れば充実した一年にできる可能性はまだまだ残されているのかもしれません。最近起きた私の明るいニュースとしては 奥様と二人で混声合唱団に入団したことかもしれません。入団した主な目的は ご近所で友達を増やすことです。私だけだと オッサンの知り合いが増えるだけですが 奥様も一緒に始めましたから ご婦人の知り合いも増えそうです。はっきり言って 一般人の合唱団ですから 殆どがオッサンとおばちゃんの集まりです。若い方はほとんど皆無です。まあそれは分ったうえで 合唱団に参加することを決めたのですから 別にお姉ちゃんがいなくてがっかりしたりはしていません。そもそもお姉ちゃんが目当ての行動なら 奥様を誘ったりはしていません。

    合唱団の活動としては 最近大きな演奏会を終えたばかりの時期なので 次にステージに立つ予定としては 秋の枚方市主催の合唱祭位のものなのだそうです。まあ友達を作りたくて参加したわけですから 当分は練習ものんびりした雰囲気でしょうから ゆっくりと久し振りの合唱を楽しもうと思っています。

    合唱団と言えば 私の一つ目の大学時代に参加していた合唱団のメンバーが なんと枚方市に四人もいることを昨年の末に知りました。年が明けたら 集まって飯でも一緒に食べましょうと年末に話していましたが そのままになっています。誰かが積極的に動かないと 事が進まないと思いますので ここは私が頑張って 私の仲良しの京都と奈良の友人も誘って お食事会を企画 実行するのを 今年の後半の目標に掲げておこうと思います。

    それから 父親の米寿のお祝いを秋に開催する予定なので そちらも 長男として頑張って 企画して実行しようと思っています。まあ集まるのは父親と私と奥様、妹夫婦、甥っ子が二人 一人は結婚しているのでその奥さんと子供 位のメンバーになると思います。場所は父親からのリクエストで 有馬温泉に入りたいという事なので 昼間に現地集合して たっぷりと温泉を楽しみます。そのまま有馬温泉に宿泊してもいいけれど せっかくだから六甲山にあるホテルに宿泊しようと考えています。車で有馬温泉から十五分位でほぼ山頂近くまで登れますから 夜景を楽しみながら一泊しようと思います。翌日は六甲山の名所を午前中に少し回って 六甲牧場でバーベキューでもお昼ご飯に食べて 解散しようと予定しています。初めてだと少し不安なので夏ごろに奥様と二人で 下見旅行に行こうと思っています。

    以上大学時代の友人とのお食事会と 父の米寿のお祝い の二つは最低でもなんとか実行できれば この半年はそこそこ充実していたと思えるでしょうから 頑張ってみます。

  • 6月29日 本日は泉重千代さんのお誕生日とされています

    泉さんは 以前ギネスブックにも掲載されていた 一時的には世界最長老の人物です。当初は1865年の本日がお誕生日とされていたからです。所が 後になってその信憑性が薄れてきて 実は最年長ではなかったのではないか という疑惑が起こり 残念ながらギネスブックの記録からも 削除されてしまったという経緯があるのです。別に世界の最年長が日本人であってもなくても どうでもよいことだけれども その記録が捏造されたものであったのなら残念であり 恥ずかしいことのような気がします。

    年齢の詐称というのは芸能人などでは珍しいことでもありませんが 泉さんの場合は その高齢さが評判になったのですから その年齢の詐称は 芸能人の場合よりも罪が重いのではないでしょうか。年齢の詐称がばれるのは芸能人の場合たいてい学校の同級生辺りが すっぱ抜いてばれてしまう事が多いように思います。赤の他人の年齢なんて 普通はさほど気にも留めていませんが 不思議と自分と同い年の人は印象に残るものです。

    私は1957年生まれで誕生日が過ぎましたから58歳です。私と同い年の芸能人としては 大竹しのぶさんと原田美枝子さんがいます。現在の原田さんのプロフィールを見ると1958年生まれとなっていて 何時の間にか一歳年下になっています。原田さんも私に近い年齢ですから 今更年齢でさばを読んでもほとんど無意味なような気がしますが 私の記憶違いでなければ かなり昔から年齢詐称されているのかもしれません。私は原田さんは若い頃から大好きな女優さんです。「青春の殺人者」と「大地の子守歌」は 今見ても感動できる名作に出演されている 本物の女優さんだと思っています。ですから 年齢詐称は私の勘違いであればよいのですが 若い頃のプロフィールを読んで 同い年と私はインプットしてしまいましたから ひょっとしたらひょっとするのかもしれません。

    話を泉さんに戻しますと 泉さんが注目を集めるようになったのは100歳を過ぎてからの事でしょうから その年齢になるとさすがに同い年の方は殆ど生きていなくて 誰にも指摘されないので いつの間にか年齢だけが独り歩きをして 年齢詐称になってしまったのかもしれません。もし本当に詐称していたのなら残念なことですが 日本で1865年生まれと公認されていたのに どうしてイギリスの民間団体の調査で 泉さんの年齢が詐称であると断定されたのか 不思議に思います。戸籍の管理がきちんとなされていない国ならともかく 日本はそのあたりの管理についてはかなり信用できる国ではないのかと認識していますから ギネスブックが一方的に泉さんを年齢詐称として記録を削除されたのが はっきり言って非常に不愉快に感じます。

    話を自分の事に戻したいと考えます。私もあと二年で還暦を迎える年齢になってしまいました。還暦になってしまったら奥様からジジイ呼ばわりされても 胸を張って言い返せなくなりそうで心配です。大学のサラリーマンの先輩がそろそろ会社を定年退職される という話を聞いて少なからずショックを受けましたが 私もあと数年頑張って 十分な蓄えつまり奥様と優雅な老後をおくれるに足る十分な金額の貯金が出来ましたら 南の島へ移住して のんびりとリッチに暮らしたいと思っています。勿論元気であればできるだけ長生きしたいとは考えていますが 五体満足でなくなり 奥様に負担ばかりをかけるような状態になってしまったら 未練たらしく延命するよりも 自分の人生にさっさとけりをつけれるものならつけたいと考えています。

    現在の日本の法律では 自分で自分の人生にけりをつけることは認められてはいないのかもしれませんが せめて病気にかかるならあっさりと死ねる病気になりたいと願っています。最後にすごく暗い話になって申し訳ありません。でも私は五体満足で働いている現在でも さんざん奥様に面倒をかけていますから 五体不満足になったら今以上に奥様に面倒をかけたくないというのは 私の切実な願いであることを 理解して頂きたいと思います。

  • 6月27日 合唱団の練習に再び参加しました

    先週と先々週の二週にわたって二つの合唱団の練習を見学しましたが 二つ目に見学した合唱団の方がより高いレベルの合唱を目指そうという気持ちを強く感じましたのでそちらに奥様と二人で入団することにしました。名称は 枚方混声合唱団「ハーモニー」というのだそうです。主に樟葉西小学校の音楽室で土曜日の二時から四時まで練習しています。勿論土曜日の昼からは 手術の予約が入るかもしれませんし、トリミングのはずせない予約が入るかもしれません。でも時間が空いている日にはできるだけ一生懸命に練習に通おうと思っています。

    何十年ぶりかで 凄く久し振りに合唱を始めた理由は 別に特に合唱をやりたくなったからではありません。現在の私は奥様もそうかもしれませんが 枚方市内に友達と呼べる方が凄く少ないと感じましたので 友達を作りたくで 何かの団体に参加しようと思って 合唱ならある程度自信もありますし 奥様も合唱の経験こそありませんが カラオケでは正直私よりも上手に歌っておられるように思いましたから 強引にお誘いして夫婦で始めることにしました。

    勿論仕事優先ではありますが 時間の許す限り一生懸命に活動に参加して いい友人を一人でも多く作れれば嬉しいです。現在取り組んでいる曲は邦人曲ばかり三曲です。どれも五分位の演奏時間で ページ数にすれば5~7ページ位の短めの曲です。合唱をやりなれている時期なら 気合を入れて符読みすれば十分位で ある程度は歌えるようになっていたと思います。所が先週の練習で 新しく楽譜をもらって 凄く久し振りに譜面を見たら 以前は反射的に階名が浮かんできていたのに よく考えてからでないと浮かんできません。その時には何とか頭に入れたつもりのメロディーが 五分も過ぎると全く頭に残っていなくて 殆ど初見のように全然歌えなくなってしまっているのに 記憶力の低下を痛感して 凄くショックを受けてしまいました。

    この一週間の間 暇な時間に何度か譜面を見て辛うじて音取りできていたつもりでしたが 実際に本日の練習に参加してみると 殆ど思い通りには歌えなくて またまた大きなショックを受けてしまいました。まあ数十年ぶりに再開したのだから ボチボチ勘を取り戻せればいいとは思いますが これまでにあまり符読み、音取りの段階で躓いた経験がありませんでしたから 情けないことこの上ありません。

    でも数十人の人たちと 気持ちを合わせて歌を歌うことは とても楽しかったです。現在病院には楽器が何一つありません。小さなキーボードでも購入して 音取りの正確さとスピードをアップしようと思いました。しっかりと自主練習をして 納得のいくように歌えなければ せっかくの練習が十分に楽しめません。これまで手が空いてもボーっとして過ごしていた時間に 楽譜を見てうまく歌えるように練習をすることで 多少生活にも張り合いが出来たように感じますから これからも時間の許す限り頑張って練習に参加しようと思いました。

  • 6月26日 西内まりやという女性を本日初めて知りました

    私はスケベなオッサンですからきれいな女性は大好きです。西内まりやさんという 大変美しくて スタイルも良くて おまけにピアノも弾けるシンガーソングライターで 歌もそこそこうまい女性がいることを全然知りませんでした。ネットで今年の紅白初出場を目指す歌手として紹介されていて 初めてその存在を知りました。私はこのブログで散々書き散らしていますが 乃木坂46の大ファンです。

    カズミンとナーちゃんとマイマイが特に大好きです。私は乃木坂というグループが好き過ぎて 芸能界の他の分野に殆ど目が行っていないのかもしれません。ちなみに奥様に「西内まりや」という芸能人の事を知っているかと尋ねたら 当たり前じゃない という返事が返ってきました。そのプロフィールを見ると 昨年のレコード大賞の最優秀新人賞を獲得されているのだそうですから 歌手としてもそれなりに期待されているようです。

    女の子がなりたい顔のナンバーワンにも輝いているのだそうです。乃木坂のマイヤンも同様に女の子がなりたい顔ナンバーワンに輝いたことがありますが 正直なところ私はマイヤンが嫌いなので さしてそのナンバーワンに価値を感じませんが それでも顔だちが客観的に見ても相当に魅力的であることは間違いなさそうです。私は目のつりあがった女の子は絶対に好きになりませんから 西内まりやさんの事も 非常にチャーミングであることは認めますが 好きになることはないと思います。

    本業はどうやらモデルさんみたいなのですが 七月から始まるドラマでは主演もされるそうなので 女優さんとしても大いに期待されていて それなりの演技力もあるみたいです。外見が非常に美しくてスタイルも抜群で 歌も上手くて 演技力もそこそこあるなんて 恵まれすぎていて正直性格が良い女の子とは思えません。所が 彼女は福岡出身で 福岡のキャナルシティ博多 というホテルのステージでの凱旋コンサートの様子を見ると 久し振りに地元に戻って 博多弁交じりで喋っている様子からは 性格も控えめで自分をわきまえている とっても内面的にもチャーミングな女の子に思えてしまいます。

    そして何よりもインパクトが強かったのが 彼女にとって三名目のシングルで 自分で作詞作曲をした曲「ありがとう forever」という作品の素晴らしさです。既に放送されたドラマの主題歌として使われていたのだそうですが そのドラマを全然見ていませんでしたので 初めてその曲のPVを見てその曲を耳にしたときには かなりの衝撃を受けました。

    私が今年聴いた楽曲で一番評価の高かった曲は乃木坂の表題曲ではなくてカップリング曲ですが「あの日僕は咄嗟に嘘をついた」でしたが 西内さんの「ありがとう・・・」はそれを抜いて断トツで一位の座についてしまいました。もし西内さんが紅白に選ばれたために 乃木坂が落選したとしても 私は納得してしまいそうな位に 歌詞の内容もメロディーも素晴らしい曲だと思いました。

    「ありがとう・・・」は奥様もあまりご存じないみたいなので密かに練習しておいて カラオケに出かけた時に突然ばっちりと歌って 驚かしてやろうと思っています。この曲は恐らく私がずっと歌い続けていく定番曲の仲間入りをすると思います。正直申し上げて 西内さんという女の子が世間でどれくらい認知されているのか 見当もつきませんが 私は本当に昨日までは一度も名前さえ聞いた事の無い人でした。今頃何をぼけたことをと 思われているのかもしれませんが 遅くとも本日この非常に魅力的な女の子の存在を認知できたことで 私にとってすごく嬉しい日になりました。

  • 6月25日  本日は本宮ひろ志さんの誕生日だそうです

    本宮さんの作品で一番心に残っているのは「男一匹ガキ大将」です。私はこの漫画とジャンルは小説ですから異なりますが 五木寛之さんの「青年は荒野をめざす」という作品は男性にとって 中学、高校時代の必読書だと思っています。「男一匹ガキ大将」で一番好きな件は 全国のガキ大将をかき集めてきた場面です。男なら起つべき場面では毅然として起つ、という事を教えてくれているように思い 読んだ時に血が燃えたぎりました。「青年は荒野をめざす」はジャズのトランぺッターが 高校を卒業してすぐtに 自分の生きる目的を求めて世界をさまよう内容ですが 私はこの年になっても 外国旅行すらした事の無い 甲斐性なしなので 猶更その主人公に憧れてしまいます。

    次に本宮さんの作品でインパクトがあったのは「俺の空」です。一平が初体験をする場面で 自分も疑似初体験を済ませた男性は我々の世代には少なくないと思います。大人になってからの「刑事編」よりも 嫁さん探しで放浪する旅を描いた最初のシリーズが好きでした。ラスベガスでブラックジャックをする場面では最後には一平が勝つことは分っていましたが 相当にドキドキして楽しかったです。

    現在進行形で本宮さんのファンの方には「サラリーマン金太郎」が代表作なのかもしれませんが 私は全然読んだことがないので 何にもコメントがございません。

    他に印象に残っている本宮さんの作品と言えば 三国志をモチーフにした[天地を喰らう」と田中角栄さんをモチーフにした[大いなる完」があります。私は三国志が大好きなので 大いに期待しましたが 他の作品でも似た傾向があるように思いますが 話の結末が不自然で尻すぼみに感じて とても残念でした。各漫画がしのぎを削る少年漫画雑誌ですから アンケートで人気の急降下でもあったのかもしれませんが 少なくとも私にとっては大変面白く感じていましたから 納得がいきかねます。

    それから田中角栄さんは私が一番好きな政治家小沢一郎の 大親分に当たる方で 勿論好きな政治家の一人ですから この作品も大いに期待していましたが 実在する政治家が実名で登場してしまうと どうしても話が生臭くなりますから あくまで架空のお話としてストーリーを展開してほしかったです。政治を題材にした固いストーリーの割には読みやすくて 素晴らしい出来の漫画だったと思います。

    最近は活字離れがひどくて 以前にもこのブログで反省しましたが ここ十年以上マンガも全然読んでいないように思います。新しい情報を仕入れる一つのアイテムとして マンガも大きな役割を果たしていると思いますから 久し振りにマンガ本を手にしてみようかとも思います。但しコミック本は縮小版になっていますから 絵も字も小さくて 正直な所読み辛いのが マンガ離れの原因の一つかもしれませんから 読書用に眼鏡を作ろうかとも考えています。恐らく手術の時にも役立つでしょうから。本当に年は取りたくないものですね。

  • 6月23日 本日は毎月「ふみの日」なのだそうです

    メールが広く普及している現在 さらに[ライン]等という私には理解不能な伝達様式まで一般化しています。私ね携帯電話はいわゆるガラケイという代物ですから ラインは勿論できません。というよりもメールさえ契約していないので できません。パソコン通信的なメールは 獣医師会の連絡などで頻繁に利用していますが これもこの六月でやっと枚方市の代表から降りられましたから その使用頻度は殆どなくなるのかもしれません。

    そんな状況ですから 昔のように便せんや葉書に文章をしたためて 切手を貼ってポストに投函しての 手紙のやり取りをしている方が 以前に比べればかなり少なくなっているのではないかと思います。私はラジオが好きで 車の中とが ラジオの聴ける環境にいるときには 殆どラジオを聞いて過ごしています。ちなみにお風呂にも防滴ラジオをおいて 入浴中もラジオを欠かさず聞いています。ラジオの世界では 音楽をリクエストしたり クイズやコーナーに参加するのに 現在でも葉書が中心になって頑張っているのだと思います。ただラジオ番組でも リスナーからの反応を求める手段として ファックスやメールならその場で受信できますから それらの比重が想像している以上に高くなってきているのかもしれません。

    考えてみると 私は便せんに文章を書いて郵送で手紙を送った経験は これまでの人生で本当に数えるぐらいしかないように思います。手紙をやり取りするような友人が皆無だったからかもしれません。私が小学生の頃には ペンパル というか文通友達を持っている友人が何人かいました。子供の読む雑誌に文通相手を求める人が投書するコーナーがありました。

    相手の住所や募集している文章の内容から 友達になれそうだと判断したら 掲載されているその子の住所に手紙を送って 文通友達関係が始まっていたみたいでした。私の中の良い友人にも 一人は北海道 もう一人は長崎県に文通友達がいる子がいました。時々もらった手紙を見せてもらったこともあります。

    小学生の頃ですから 勿論同性で同い年の顔も知らない友達と手紙をやり取りしているのは 当時文章を書くことが苦手だった私には とても面倒そうにも見えましたが でもすごく楽しそうで 正直少し羨ましかったです。私も雑誌のペンパル募集コーナーを見て 何度か手紙を書いてみようとチャレンジしてみましたが 相手に気に入ってもらえそうな文面が書けなくて 泣く泣く諦めたことがあります。

    今では こうやって文章だけをダラダラ書き綴ったブログを 毎日のように更新していますが これは一つ目の大学で入った合唱団で二年間も団の機関誌の発行責任者を務めた時に 少しでも機関誌を充実させようと必死に自分で企画を立て 自分で記事に起こした作業のおかげだと思います。

    私が最後に書いた手紙は103歳まで頑張って長生きしてくれた父方の祖母が 101歳の時に風邪をひいて死にかけた時がちょうど四月で 病院の仕事が忙しくて見舞いにも行けなかった時期に 書いたお見舞いの手紙です。面と向かっては恥ずかしくて言えないような言葉ですが 手紙の文面として登場させるのは それほど照れくさくありませんでした。従妹から後になって聞いたのですが ばあちゃんは何度も何度もその手紙を読み直してくれていたのだそうです。

    私は文字が下手糞なので ワープロで打とうかとも思いましたが やはり手書きの方が気持ちが伝わると思って 一生懸命に書きました。ばあちゃんには私のその一生懸命さが嬉しかったのかもしれません。手書きの手紙には やはりメールなどでは伝わらない気持ちを伝えることができるのかもしれません。

    もう私が死ぬまでに 手紙を書く機会なんてないのかもしれません。もしあるとしたら 父に感謝とこれまでしてきた親不孝のお詫びを綴った手紙かもしれませんが あいにく父親はすぐ近所に住んでいて 割としょっちゅう顔を合わせているので そんな手紙は照れくさくて結局かけないのかもしれません。

    そうでなければ 自分が死ぬ直前に 奥様に対して感謝の気持ちを綴る手紙を書くのかもしれません これも照れくさいので自分が死んだ後になって奥様に読んでもらえるような準備をするのかもしれません。自分が死ぬ時の事なんか ずっとずっと先の事だと思っていますから そんな先になって 奥様に手紙を書こうと思っていた気持ちさえ忘れてしまうのかもしれません。結局どのような結末になるのかは 奥様だけが分ってくれればそれでよいと思います。

  • 6月22日 22日は毎月夫婦の日です

    今日は夫婦について 考えてみたいと思います。夫婦とはもともとあかの他人同士が 何かの縁で巡り合って お互いに惹かれあって、 その後の人生を共にしたい気持ちになった時に 結ばれる契約関係であるように思います。私はこのブログでも何度も書いていますが 一度結婚に失敗をしています。

    私は普通に大学を卒業して 一流企業と言われる会社に就職できて サラリーマンを数年経験してから 獣医師になりたい夢を捨てきれずにもう一度大学に入り直しました。30歳を過ぎての卒業、国家試験はかなり苦労しましたが 何とか無事に動物病院の先生になれました。自分の病院を開業する準備と同時進行のような形で 婚活をしました。

    開業してからしばらくして一人目の奥さんと結婚しました。勿論その奥様と一生ともに人生を歩んでいくつもりで結婚しました。その女性は 私が一生一緒にいたいと感じるぐらいに それなりにチャーミングな女性だったと思います。大学を出てからずっと幼稚園の先生を務めておられた方でしたから 頭の回転も悪くないし テキパキと病院の仕事もサポートしてくださっていたのだと思います。

    所が 私の心の中に 普通の人よりも約十年も回り道してしまったことに 無意識にかなりの焦りを感じていたのだと思います。病院の仕事は 開業したばかりですから 順調にいくこともありましたが 毎日のように失敗して 後悔しての繰り返しでした。長年病院を経験してきた現在なら 仕事で失敗と後悔を繰り返すのは 当然すぎる事なのだと受け止められますが 焦りまくっているなかでの 失敗と後悔の繰り返しは 相当に大きなストレスになってしまいました。

    そのストレスは自分の至らなさから生まれているものであることを 当時は理解できずに そのむしゃくしゃした気持ちを奥さんにぶつけてしまいました。本当に器の小さな男で恥かしくてたまりません。結局ストレスのはけ口として 奥様を選べば 自分が楽になるのでそんな生活を繰り返してしまいました。

    そんな奥さんにとってつらいだけの生活がしばらく続いて 当然の結果として 離婚することになってしまいました。原因は100パーセント私にあると思っています。奥さんの大切な人生のある部分を 私なんかとかかわってしまったために 無駄にさせてしまったことに 申し訳ない気持ちしかありません。一人の生活に戻った時に すぐに自分の弱さ、狡さを痛感しましたが これから彼女の人生が充実されることを祈るしかないと 大いに反省しました。

    それからしばらくは 自分に対するペナルティでもないのですが 一人きりで病院の仕事を頑張りました。勿論病院の仕事をサポートしてもらえる人を雇いましたが やはり自分の病院の仕事ですから 他人ではなくて自分の家族に手伝ってもらいたくなりました。

    そこで再び奥様探しを始めました。その時に偶然巡り会えたのが 現在の奥様です。私の人生も色々あって波乱万丈であるのかもしれませんが 奥様は奥様で色々あって やむを得ない事情から未婚の母となって 苦労されている女性でした。奥様に初めてであったのは 土曜日のお昼に病院に尋ねて来てもらった時です。

    松田聖子じゃないけれど 初めて出会った時に この人とずっと一緒にいたいと感じました。その気持ちは今も変わらずにいます。幸いなことに 奥様も私とずっと一緒にいたいと思ってくださり めでたく一緒に暮らすことになりました。所が奥様には 連れ子がいたのです。私の器の小ささは 多少改善されていたのかと思いましたが 残念ながら人間の性分なんて 一度の失敗位で改まるような 生易しいものではありませんでした。

    結局は 奥様の連れ子の存在を 快く私が受け入れることが出来ませんでした。残念ながら一緒に暮らすことは難しいけれど でもお互いの一緒に生きていきたいという気持ちが 凄く強かったので 凄く不自然な形ではありますが 病院の近所にアパートを借りてもらって 寝る場所は別だけれども それ以外の生活は一緒に過ごすという現在の形に落ち着きました・

    一人前の男としては 奥様ときちんと結婚して 子供の存在も受け入れて 一緒に暮らすのが当然だと思います。でも子供にだって子供なりの感情がありますし、その気持ちまで十分に考え抜いたうえで 奥様が現在の形が最善ではないか と判断されましたから、客観的にはおかしくても 私たちの主観的には 一番望ましい形なのではないかと思っています。

    勿論私の財産 と言ってもたかが知れていますが は全て奥様に受け取ってもらうように 正式な遺言書を書いて 奥様に渡してあります。私がいつ死んでも 奥様が一生余裕のある生活が出来るぐらいの金額にはなっていると思います。病院で一人で寝るときに さびしい思いをすることは 正直申し上げて 時々あります。でも 老後のんびりと優雅に暮らせるだけの蓄えが出来て 現在の仕事をリタイアした暁には 南の島で二人で楽しく充実した老後を過ごそうと固く約束しています。その約束が実現するまであと数年頑張って現在の病院のお仕事に邁進しようと考えておりますので どうぞよろしくお願い致します。

  • 6月21日 本日は夏至なのだそうです

    夏に至る という文字からすると 暦の上では 本日からが夏という季節なのかもしれません。ですがまだ六月ですし、季節としては 梅雨の真っ最中という感じで 夏ですと言われても あまりピンとはきません。夏至という言葉を聞いて思い出すことは 一年で昼間の時間が一番長い日 という事ぐらいかもしれません。

    何故太陽に照らされる時間が一番長い日が 一番暑い日とリンクしていないのか少し不思議ですが 二十四節気を定めた人に文句を言っても 無意味な気がします。日本人の感覚で 一番夏を実感するのはやはり八月だと思います。子供や学生は夏休みだし 大人もこの時期にとるまとまったお休みを夏休みと表現しているようです。

    気象用語で  [夏日」「真夏日」そして最近できたのが「猛暑日」というのがあります。それらの定義は

    「夏日」=その日の最高気温が25度以上の日

    「真夏日」=その日の最高気温が30度以上の日

    「猛暑日」=その日の最高気温が35度以上の日

    「酷暑日」=この表現はマスコミ用語で 猛暑日と同じ意味につかわれていますが 気象用語ではありません

    ということになっているようです。一応インターネットでいくつかの情報源から調べて確認しましたから間違いないと思います。

    私が子供の頃に夏休みの宿題として 毎日の天気や室温を記録して提出するものがありました。朝の決まった時間に 室内の寒暖計で 室温を測り記録していたように思います。夏休みの宿題ですから 7月から8月にかけての時期のはずですが 殆ど20度+アルファだったと思います。

    私が子供の頃 ですからもう五十年近くも昔は 最高気温が25度以上の日は それほど多くはありませんでしたから その日を「夏日」と表現するのは適切だったように思います。所が最近は地球温暖化の影響なのか 日本が亜熱帯化してしまったのか 早ければ五月のうちから 気温的には「夏日」になってしまい 仕方なしに「真夏日」「猛暑日」等の表現が追加されてしまいました。

    当時は 勿論冷房器具といえば扇風機が主役で クーラー、エアコンの類は一般の家庭には全く存在しませんでした。でも扇風機だけで 何とか凌げる程度の暑さだったのかもしれません。現在はエアコンがなければ過ごせなくて 小学校の各教室にまで配備されているみたいです。地球の温暖化が進んでいるのは夏の暑さから判断すれば 納得できるのですが 冬の寒さに関しては子供の頃とほとんど違いを感じません。本当に地球の温暖化が進んでいるのか どうか疑問に思ってしまわないでもありません。

    これらの気象用語について 調べた時に 全く間違った情報を実しやかに表現しているホームページを見かけましたから 要注意だと思います。よく動物の病気についても 素人や 場合によっては獣医師が 全く間違った説明をしていることが残念ながらしばしばあるようです。電話で問い合わせを受けた時などに 私がその方がインターネットで仕入れた情報と異なる説明をすると やぶ医者扱いをされて困ってしまう事が時々あります。

    インターネットと言っても万能ではありませんから 間違った情報が少なからずあることを よく認識して頂きたいと思います。勿論私の説明が絶対に正しい 等とおごり高ぶった気持ちは持っていません。私の説明が正しくない場合や その方の質問にそぐわなくて不適当な表現をしている場合もあるのかもしれません。でも私は飼い主さんから質問を受ければ 私の持っている知識や経験から 出来るだけ正しい答えを導き出そうと精いっぱい努力しているつもりですし、分らない場合は正直に分りません、知りません、経験がありません とお答えしているつもりです。

    繰り返しますが インターネットは凄く簡単にあらゆる分野の情報を入手できる大変分離な道具ですあることは間違いありませんが 無責任でいい加減なもしくは間違った知識に基づいて 表現されている場合も少なからずあることを よく認識してから利用されることをお勧めします。

     

  • 6月20日 合唱団の練習見学に出かけました

    私は立命館大学に通っていた四年間と卒業して塩野義製薬に勤めていた数年間 合唱団に所属していました。音楽はマリンバ(木琴の下に金属製のパイプのついている楽器)を八年間と ピアノを十数年間習っていましたから 楽譜は読めますし 声にも多少自信がありましたので 立命館大学に入学してしばらくして サークル活動として混声合唱団に所属しました。正直な所 より本格的な男声合唱団にお焦がれる気持ちもあったのですが やはりまだ十代の男ですから 女の子目当てで 混声合唱団を選んでしまいました、

    でも四年間の大学生活は 勿論学業も何とか卒業できるぐらいには頑張りましたが 殆ど合唱団の活動がメインだったように思います。現在も付き合いの続いている友人は何人もいます。岐阜大学でも友人は勿論できましたが やはり十年近い年齢差があるので 現在まで付き合いが残っている友人は僅かです。

    そんなことで合唱団に所属すれば 必然的に仕事関係以外にも 友達ができるのではないかと期待して 数十年ぶりに 合唱団に入ってみようと思いついたのです。私一人で参加しても良いのだけれど 兎に角私は奥様が大好きだし 奥様と一緒でなければ楽しくないので 一生懸命にお願いして 練習見学に奥様にも付き合ってもらいました。

    枚方市で活動している混声合唱団で 練習時間の都合がつき易そうで ホームページがあってある程度その団の規模や活動状況が把握できたのが二団体ありましたので 実は先週も土曜日に一つの合唱団の練習見学に出かけていました。その合唱団の練習は正直申し上げて 生温く感じました。

    それで本日見学する合唱団の練習にも正直言ってあまり期待はしていませんでした。所が 予想していたよりもレベルの高い練習をされていたように思います。指揮者の先生の指示も 分かり易くて 歌っているメンバーもその指示に沿って歌おうという気持ちが感じられました。

    帰り道で奥様と相談しましたが 本日見学した合唱団の方がやりがいがありそうに感じられましたので そのように申し上げますと 「あなたが気に入ったのならこちらの合唱団に入りましょうか」というお言葉を頂戴しました。最初は奥様は合唱にあまり乗り気ではなさそうでしたが 見学した時に相手をしてくださった方が良い方だったみたいで 奥様もやる気を持って下さったようなので 二人でこの合唱団に入団して頑張っていこうと思います。

    ただ正直な所 本日の練習でも自分の老いを痛感させられました。私は楽器を長年練習していたので 初見の楽譜でもある程度対応できる自信があったのですが 数十年ぶりに見る楽譜がすんなり頭に入ってきません。以前なら一度頭に叩き込んだメロディーは自然に覚えてしまっていましたが 年を取って物忘れもひどくなったみたいで ほんの五六分の曲を頭から練習していき 最後にもう一度頭から歌いだすときには 最初の部分は殆ど初めて楽譜を見るような状態に戻ってしまっているのです。

    数十年ぶりにボーリングをしたときにも 全く自分の体がイメージ通りにコントロールできませんでしたが 合唱の練習でも同様のショックを受けてしまいました。多分練習していけば徐々に勘が戻ってくるのだろうと思いますが 本当に自分が年老いてきていることを実感させられて 少なからずショックを受けている私でした。

  • 6月18日 チラシ配りをしていて出会ったおじいさん

    病院のPR活動の一環として 暇な時間に病院のチラシを配って歩いています。勿論PRだけが目的ではなくて 糖尿病対策として運動量を少しでも増やして 血糖値を下げようという狙いもあります。なるべくは涼しい夜とか早朝に配るようにしていますが 季節が梅雨なので 昼間でも配れそうな天気の時には 配りに出かけます。本日は京田辺の今まで配ったことのない地域に配りに出かけました。

    初めてですから 効率よく配れるようにインターネットの地図サービスで 配る予定の地域のi図をプリントアウトして持って行きました。かなりややこしい町並みで地図を見ながら配っていても 自分がどこにいるのか自信が無くなってしまいます。なんとか太陽の向きから方角を考慮したりして 辛うじて自分のいる場所の見当をつけていましたが ある時についに自分の現在地点がどこなのかさっぱり分からなくなってしまいました。昼間の二時過ぎで 一番暑くてそれでなくても頭がボーっとしそうな時間帯でした。

    私は困ってしまって 丁度日陰になっているある家の花壇のふちに 腰かけて途方に暮れていました。丁度新聞配達をしているおじいさんが通りがかりました。新聞配達をしているぐらいだから この辺りの地理には詳しいだろうと期待して 話しかけました。現在迷子になっているのだけど 現在地は持参した地図のどこなのかを尋ねました。かなりよぼよぼしていましたが まだぼけていなさそうなので尋ねたのですが まるで見当違いの場所を指さしました。分らないのなら正直に分らないと答えてくれればよかったのですが まるっきり見当違いな返答であることは 私にも分りましたから これは尋ねる相手を間違えたと思って 話を切り上げました。

    所が その話の切り上げ方が おじいさんにはお気に召さなかったようで 突然怒り出しました。私はこんなよぼよぼのおじいさんと喧嘩をするのも体力の無駄だと思って 簡単にあしらおうとしました。その態度が余計におじいさんのお気に召さなかったみたいで 「俺を馬鹿にするのか」とか[喧嘩を売っているのか」とか喚きながら掴み掛ってきました。

    こちらは何度も書きますが そんなよぼよぼのおじいさんを馬鹿にするつもりも 喧嘩を売るつもりもさらさらないので そのように返答をすると なんと唾を吐きかけてきました。幸い上手くよけられましたが さすがに私も掴まれていたのを突き放しました。するとまたまた突然 握りこぶしで殴り掛かってきたのです。

    はっきり言って そんなよぼよぼのおじいさんに殴られても 痛くも痒くもありませんでした。ただメガネが飛ばされそうになりましたので 慌ててメガネだけは守りました。五六発殴られたところで おじいさんの胸を突き放して おじいさんと距離を取りました。私は大声で助けを求めました。「私はこのおじいさんから暴力を振るわれています。助けてください。」とかなりの大声で叫びましたが残念ながら誰も助けには来てくれませんでした。

    私もジジイの仲間入りをしている年齢ですが さすがにそのよぼよぼ爺さんよりは体力で圧倒的に勝っていると思います。もし第三者が私の殴られている所を目撃していれば 反撃したと思います。私の人生でグーで殴られたのは 奥様以外ではこの爺さんが初めてです。奥様に殴られるのは 私が殴られるようなことをしたことを私も納得していますから 甘んじて殴られますが こんな通りがかりの爺さんに 訳の分らん言いがかりをつけられて 殴られたのですから 十年前の私なら 何も考えずに反撃していたかもしれません。

    でも本当に残念なことに 目撃者が誰もいないので 二人きりの現場ですから こちらが反撃して警察沙汰にでもなった時に どちらが先に手を出したのか なんて自分に都合の良い話を相手はするでしょうから 五分五分の喧嘩として扱われてしまいそうです。私も年を取って穏やかな人間になったものだと思いながら 殴られ損で その場を収めようとしました。爺さんは捨て台詞を残してバイクで去っていきました。これからは道を尋ねるときには 相手をよく見てからにしようと思いました。