Dr.喜作のブログ

2020年1月 の記事一覧

  • 1月27日 香川県では 県議会で子供のゲーム時間を制限する条例を作ろうとしているのだそうです

    条例とは 地方公共団体が その議会によって定めた自主的な法の事なのだそうですが 子供がテレビゲームやパソコン 携帯電話のゲームに熱中して 親が手を焼いているのは 何も昨日今日始まったことではないように思います。私が子供のころには テレビゲームなどありませんでしたし パソコンや芸タイ電話など影も形も存在していませんでしたから そのたぐいのゲームなどやりたくても出来ませんでした。現在 私もパソコンを利用してのネットゲームは 暇つぶしによく行っております。幾つか気に入ったゲームを 保存してありますので 仕事の合間に 気分転換に遊んでおります。今どきの子供さんが どのようなゲームにはまって熱中しておられるのか さっぱり見当もつきませんが ゲームを作るプロの方たちが創意工夫を凝らして作られているのでしょうから それはきっとすごく面白いのだと思いますし 子供さんが時間を忘れて熱中してしまうのも致し方のないことかもしれません。
    それにしても もし地方公共団体が 条例として 子供さんのゲームをする時間に制限を設けたとしても いったい誰が管理して その条例が実行されているか否かを 判断するというのでしょうか。そしてもしこの条例に 反する行動をとった場合には 何らかの罰則が設けられるのでしょうか。一応立場的に 管理するのは 子供さんの保護者の方々になるのかもしれませんが 子供さんが制限された時間以上にゲームをしてしまった場合 その保護者の方々が 各自治体に報告する義務があるのでしょうか。もし罰則が定められているのだとしたら その罰則を施行するのも保護者の方なのでしょうか。
    どう考えても この条例がきちんとその条例としての働きを実行されるとは考えられません。議会も県民の税金を使って運営されているのでしょうから もう少し県民の役に立つような議論をして 実質的に有効な条例を作るような仕事をしてほしいものだと思ってしまいます。

  • 1月26日  中国で発生した新型ウィルスによる肺炎が 予想以上の速さで 世界に拡散していってます

    中国なんて言う無責任な国に きちんとした防疫体制なんて 全く期待できませんから 案の定というか 予想通りに というか予想以上の速さで 地方の一都市から中国全土が この病気の汚染地域になってしまいました。残念ながら この厄介な伝染病が 日本に持ち込まれてしまったのは 間違いない状況のようですから 少しでもその被害を軽くする方向で 対策を考えるしかないようです。私は いい機会ですから 中国との国交を断絶してしまえばいいと思います。国交がなければ 幾ら腰抜けぞろいの自衛隊でも 日本の領海を侵犯された時には 武力を使って排除する積極的な防衛ができるのではないでしょうか。
    中国とは 相当密接な商品のやり取り 所謂貿易がなされていますが 中国とのやり取りが無くなったら 無くなったで 一時的には 不都合も生じるかもしれませんが 何とかやりくりしているうちに 自ずと打開策は見つかってくるはずですから 日の丸を燃やして 日本領事館に明らかな敵対行為を頻繁に行う野蛮な国なんかとは 一刻も早く国交を断絶してしまうことが 今回の病気に対する対策としても 今後の健全な日本の進む道を考えても 最善の策のように思います。
    まあ現実的には 国交の断絶は無理でしょうが 当面の一番有効な防疫対策としては 中国からの飛行機と船の入国を一切遮断してしまう事しかないと思います。いまや中国全土に この肺炎は 広まっているのは間違いありません。嘘ばっかりついてきた中国が発表している 感染者や死亡者の数は 全く信用しないほうがいいと思います。それから この肺炎は それ程致命的な病気ではないそうなので たとえ運悪く感染してしまっても 正直に症状や経過を病院に出来るだけ速やかに報告して きちんとした治療を受けさえすれば 勿論それなりのダメージは覚悟しなくてはならないのでしょうが パニックになるほどの病気ではないはずです。もし運悪く 感染してしまっても 下手に隠し立てして 治療のスタートが遅れれば遅れるほど 本人の危険度が上がりますし 周囲に感染者を増やすことに間違いなく直結しますから 冷静で的確な対処を心がけていただきたいです。
    勘違いしている人が多いようですが マスクというのは 予防的に使うものではありません。マスクさえしていれば 感染しないと安心している人が多いみたいですが あくまでマスクは今回の肺炎に限らず インフルエンザやごく普通の風邪にかかってしまった時に くしゃみや咳で病原体を撒き散らして 病気を拡散するのを防ぐためのものです。くしゃみや咳をしていないのに マスクをすれば 布越しに呼吸しますから 病原体をマスクの外側の表面に かき集めてしまいます。帰宅した時にマスクを外すときに 病原体が手に触れてしまいますし その手を十分に洗わずに食事をしたりしたら 余計に感染の危険性を高める可能性があります。ですから 予防的にマスクを使用するのは くしゃみや咳をしていて マスクの着用が必要な方のマスクの在庫切れで入手困難 なんていう愚かな事態を招かないように マスクの効果と必要性を考えて行動されることを期待します。とはいえ みんな我が身が可愛いので 自分さえ病気にかからなければいいのかもしれませんから 予防的なマスクの着用は減らないのでしょう。
    現在の所 中国の発生源とされる一都市に係わった人間だけを警戒していますが いずれはそんな発生源とは 全く無縁の感染者が出現することは間違いないはずですから そんな状況になれば なるべく人が集まる所には 出向かないように心掛ける位しか 予防的な対策が無くなるのだと思います。いずれはこのウィルスに対する有効な治療法が確立されるのでしょうが それまでにかなりの数の感染者を覚悟しなければなりませんが どんな恐ろしい伝染病もやがては沈静化しますので 上手くやり過ごすような行動を心がけていくようにしましょう。
    最後にもう一度申し上げますが いい機会ですから 中国との国交を断絶してしまってほしいです。

  • 1月25日 1900年の本日 石坂洋二郎さんが 誕生されました

    私は最近でこそ 殆ど読書をしておりませんが 子供のころから三十歳になるまで位は 相当にたくさんの小説を読みました。冊数が一番多いのは 多分栗本薫さんです。この方は シリーズ物が多いので ひとつのシリーズにはまってしまうと 大変な冊数になってしまいます。例えば「グインサーガ」のシリーズは 結局作者の死亡によって 途中で未完のまま終了してしまいましたが 正伝に外伝まで加えると150冊を超えます。正直な所 私が読み始めた時には 既に三十冊ぐらいまで発売されていました。読み始めたのは 岐阜大学の一年生の夏休みでしたので 殆ど一日一冊ずつ読み進めて 夏休み中に発行されている分は読み終えてしまいました。
    岐阜大学に通っている頃 私は自力で生活費から授業料まで全てアルバイトで稼ぎ出しておりましたので 経済的にはかなり苦しい状況でしたが 薄っぺらい文庫本とはいえ 一冊300円から400円ぐらいしたでしょうから30冊も購入すると 経済的にはかなり苦しかったのですが あまりに面白すぎて 我慢できませんでした。但し最新刊まで読んでしまうと その頃栗本さんは年にこのシリーズを五冊ぐらいのペースで書き下ろされていましたので 発売されるまで辛抱して やっと発売されたら飛びついて購入して読み漁りました。ただしこのシリーズには ファンの間では常識になっていましたが まずは最初にあとがきから読み始めるのが暗黙のルールでした。あとがきに栗本さんの最新情報というか近況が報告されていますから ファンとしては この小説のこの部分を書いたときの栗本さんの暮らしぶりをまずは確認してから 本編を読みだすのです。
    本編よりも必ずあとがきから読み始める小説なんて 後にも先にもこの「グインサーガ」だけの話です。でもこのシリーズのファンは 必ずあとがきから読み始めていたはずです。但し私は この最新刊の発行されるのを待ちわびて 飛びつく というのが辛くて 実は百巻ぐらいの所で 挫折してこのシリーズから距離を置きました。このシリーズは 最初は百巻ぐらいで完結するつもりで書き始めたのだそうですが 途中で完結するのは200巻目ぐらいであろうと 噂されていましたので 完結してからまた 一気に最後まで読み通せばいい と考えておりました。所がまさか このシリーズが完結する前に 作者の栗本薫さんの人生が完結してしまったために 未完のまま終焉を迎えてしまいました。
    取り敢えず栗本さんの作品はグインサーガだけでも百冊は読んでおりますし 「魔界水滸伝」のシリーズは かなりおどろおどろした内容でしたが 何とか20巻読み切りました。そのほかの作品も含めると栗本さんの作品は恐らく150冊以上読んでいると思います。その次に読んだ作品が多いのは 多分五木寛之さんだと思います。この方の作品は いかにも二十歳前後の男が読むべき作品だと思います。「青春の門」はやはり出会った時に かなりの冊数が発行されておりましたので「筑邦編」の二冊を読み終わったら 直ぐに「自立編」を買いに行ってしまいました。さらには「放浪編」「堕落編」まで発売されていましたので これまたグインシリーズのように 既に発売されている所まで 一気に読んでしまいました。
    伊吹信介という青年の波乱万丈の成長の過程を細かく描写されていましたので 完全にはまってしまいました。ただこのシリーズは 五木さんが栗本さんのように 早いペースで 新しい編を書いてくれないので かなりイライラしたのを 覚えています。いまだに完結していないけれど 数年前にまた新しい編が スタートしたらしいので 機会があればぜひ読んでみたいです。五木さんの作品は そんなに長いシリーズ物は この作品だけなので いろんなジャンルの単発的な小説を それこそ手当たり次第に読みました。一番好きな作品は というとどうしても一つに絞り切れないので 二つあげますが「青年は荒野をめざす」と「にっぽん三銃士」です。どちらも男の無邪気なロマンが描かれていて 自分もいつか夢とロマンを求めて 旅立ちたいとずっと考えておりました。
    三番目にたくさん作品を読んだのが 石坂洋二郎さんだと思います。石坂さんの作品との出会いは 高校生の時にテレビドラマとして放送された「光る海」でした。ドラマとしてもすごく面白かったし たまたま初回の放送を見てしまってはまってしまい 一回も欠かさずに見ました。当時は ビデオですらまだ普及していなければ ネットなんて影も形も存在していませんでしたから 放送されたのを見逃すと かなりの期間が立ってからの再放送位しか 見られませんので リアルタイムでテレビにかじりついてみていました。このドラマのストーリー自体が 非常に興味深かったのと このドラマの原作となって小説が 文庫本で発売されているのを知って 本屋さんに行ってみました。そこで 原作者が石坂さんであることを初めて知りましたし 「光る海」という小説の近所に 聞いたことのある小説が 何冊も並んでいました。
    「光る海」は確か600ページ以上もありましたから 文庫本としては かなり分厚い物でしたので それ相応のお値段がしました。高校生の小遣いなんて僅かなものですから 購入するのにそれなりの覚悟がいりましたが 非常に面白かったドラマの原作となった小説を是非読んでみたいという 欲求が強かったので 思い切って購入しました。土曜日の昼過ぎに本屋さんに出かけて 急いで自宅に戻って読み始めました。あまりの面白さに 600ページ以上あった作品を夜中までかかって 読み切りました。ドラマもすごく面白く脚色してあり面白かったのですが 小説の場合 自分でその場面を自由に想像して膨らませられるので より面白かったので 一気にこの大作を読み通してしまいました。映像化された作品を あとからその原作を読んだ経験が初めてでしたので どうしても登場人物が ドラマに出演した役者さんのイメージに 固定されてしまうので そこがちょっと残念でした。
    只石坂さんの作品が非常に面白いことを知ってしまったので 本屋さんに並んでいた石坂さんの作品は 片っ端から読んでいきました。高校時代に限定すれば 石坂さんの作品が一番沢山読んだのかもしれません。さすがにお生まれが1900年という19世紀の最後の年ですから 小説の舞台になっているのが 戦中戦後を時代背景として描かれている場合が多いので その辺りの感覚が 逆に味わったことがなくて新鮮に感じてしまいました。石坂さんの作品は かなりの数が テレビドラマや映画の題材として取り上げられています。映画の主人公としては 当時人気ナンバーワンだったと思われる 石原裕次郎さんが演じておられましたから それなりにヒットが期待されていたのだろうと思います。私が一つ目の大学生だったころに リメイク版が次々に作られましたが その作品では 三浦友和さん辺りが主演されている場合が多かったように思いますから やはりそれなりにヒットすることを前提に作られていたのだと思います。
    私が沢山読んだ作家さんを三人あげましたが 石坂さんの作品が 読み直した回数は 一番多いのかもしれません。一番好きな作品は やはり最初のインパクトが凄く大きいからかもしれませんが 「光る海」です。時代背景も現代に一番近くて 親近感が湧くからかもしれませんが この作品はそれこそ何十回も読み直しました。沢山映像化されていますが 映像化された作品を先に見てしまうと どうしてもその役者さんのイメージが強く残るので なるべく先に原作の小説を読んでから 映像を見ようと心がけておりました。
    石坂さんの作品の代表作と言えるのかもしれない「若い人」で主人公の江波恵子を吉永小百合さんが演じていましたが 吉永さんでは 清純すぎて全くイメージと会わないのですが 先に映画を見てしまったので 小説を読み進めるのが 辛くて苦労した覚えがあります。吉永さんは ご本人の年代を描いた作品の主役を務められることが殆どでしたが あの映画は 明らかなキャスティングミスだと 私は思います。人気のある役者さんさえ持って来れば 取り敢えずはお客さんが入って ヒット作と言われるのでしょうが やはり役柄に会ったキャスティングを心がけてほしいと思います。
    今は 人気のある小説の場合 ネットで簡単に読み返すことができますので 今夜は「光る海」を凄く久しぶりに 読み返してみようかと 思っております。
     

  • 1月23日 久しぶりに 九州にいる従妹と連絡を取りました

    二月の頭に また大分県へ旅行に出かける事になりました。仕事を引退した後の移住先が 大分県の杵築市にあるダイワハウスプロデュースの杵築リゾートの一区画に 本決まりになりました。これまでに 石垣島から始まり 長野県 静岡県などを何度も訪れて 何とか納得のいく物件を見つけようと努力したつもりですが 杵築リゾートの物件に優る所が見つかりませんでした。私の要望は ゆったりとした土地(二~三百坪以上)を購入して 夫婦二人でのんびりした穏やかな生活ができる程度の自分好みの家を建てて 暮らしたい というものです。勿論 手持ちのお金にも限りがありますので あんまり贅沢なことは 考えておりません。
    ほどほどに自然が豊かな田舎であることが 望ましいのですが 本当の田舎町の場合 田舎独特の干渉や 理解しがたい風習があったり 面倒なお付き合いを求められる場合が多いらしいので 出来たらそんな面倒は 避けたいのが本音です。杵築リゾートの場合 四百区画ほどありますが その殆どに 私と同様に仕事を引退して のんびりしたいと考える 同世代の方々が 暮らしておられますから そのような田舎の面倒さの心配は 全くありません。
    この住宅内に 歩いて数分で行けるプライベートビーチがありますし 歩いていやはり数分で行ける 波止場は年中いろんな魚が釣れるのだそうです。まあ私は釣りは殆どやったことがない 完全な初心者ですので 道具をそろえて ご近所さんから師匠を探して 一からご指導いただいての事ですから 初めはなかなか超過も上がらないのでしょうが これまた魚をさばく技術も同時に習得したいのでやはり包丁から買いそろえて 魚をさばく名人に弟子入りして 徐々にそちらの技術の向上も目指していこうと思っております。
    唯一のネックは 大和ハウスプロデュースなので 建築業者の選択の余地がないために 通常の相場よりもかなり高い目の建築費を要求されそうなことです。とはいえ 土地が五百坪以上あるのに 一千万円以下で購入できますから そこらあたりを加味したら それにかなり質の高い家を建ててもらえそうなので 我慢できるのかなと 考えるようになってきました。そんなわけで 私の気持ちの上での 大分への移住が ほぼ決定しましたので いずれ大分県へ移住する予定です と九州の親戚筋への年賀状に かんたんなよこくのつもりで一言書き添えました。
    こちらとしたら いずれは九州方面へお伺いするつもりですよ といったごく簡単な挨拶のつもりだったのですが 従妹たちは 私が思ってもいなかった位に 過敏に反応されました。いつ頃 何のために どこへ移住するのかと 矢継ぎ早に質問が飛んできました。一応メールのやり取りを頻繁に行って こちらの移住したい気持ちや タイミング 具体的な移住先についての説明などは終えましたが やはり直接会って 説明したほうが より分かりやすいかと考えて 今回の旅行で 大分から福岡へ遠征して(高速を飛ばせば二時間弱の距離なので) かなり久しぶりにご対面の段取りをつけました。従妹たちとは 小学生のころには 夏休みのたびに 帰省しておりましたので かなり頻繁に会っておりましたが 互いに大人になってからは それこそお葬式の時ぐらいしか顔を合わせておりませんでした。
    そんな従妹たちとの久しぶりの再会が 今回の旅行のメインイベントではありますがその前後で 杵築市のディープな一面を知るべく活動してみようと考えております。大和ハウスとも 現実的な交渉を進めていこうと思っております。土地だけでも購入しておこうかと思いますし それぐらいの金額ならすぐにでも用意できます。但し土地を購入した場合 条件が付いていて 一年以内に家を建築しなければならないのだそうです。建築費の支払いが どのタイミングなのか聞いてみないとわかりませんが せっかく新築の家を建てるからには 完成したら 直ぐに住み始めたいのですが 私が移住できるタイミングは 父の寿命と関りがありますので 予測が難しいのです。父には 自力で生きていける以上は 一日でも長生きしてくれることを 本人も勿論私も望んでおります。
    ですから 何時から私が仕事を実際に引退して 移住できるのか さっぱり見当がつかないのです。それに自営業であるこの仕事を 自分でおしまいにするタイミングを決めるには 相当な覚悟と勇気が必要なことでしょうから 腰抜け野郎の私に その決断がすんなりできる自信がなさそうにも思います。まあ私は 会社を辞めて もう一度大学に入り直す 一大決心をしましたから その時よりは潔く決断できるだろうと思います。その辺りの微妙な現状を 大和ハウスの人間に理解してもらって 今できる最善のアプローチ がいかなるものなのか教えてもらいたいと考えています。
    わざわざ病院をお休みして でかけるのですから 十分に楽しむときには 楽しんで 移住問題が前進するように向けて 有意義な旅行にできたらと思っております。

  • 1月22日 各地で暖冬のために雪が全然ないとぼやかれています

    私は 全く自慢にも何にもならないことですが 病院を開業して以来この二十年以上 年がら年中 素足にサンダル履きで ごく当たり前に生活しておりました。所が 昨年素足だと 足の指先がかゆくなって 赤くはれる所謂しもやけの状態になってしまいました。そうでなくても 私は糖尿病を患っておりますので 糖尿病の恐ろしい症状として 手足の先端の血行が悪くなって も何にもならないことですが 病院を開業して以来この二十年以上 年がら年中 素足にサンダル履きで ごく当たり前に生活しておりました。
    所謂しもやけの状態になってしまいました。そうでなくても 私は糖尿病を患っておりますので 糖尿病の恐ろしい症状として 手足の先端の血行が悪くなって 感覚が鈍り 足の先の部分などに壊疽を起こす場合がありますが 最近私は少し足を冷やしてしまうと 足の指の間隔が鈍くなってきたように思うのです。奥様に話すと 寒いときには 足の先端の感覚なんて 鈍くなるのは当たり前のことで 今までそうならなかったのが おかしいと言われてしまいました。まあなんにしても 体の一部をあまり冷やしてしまうのは 将来的にも好ましくはないのでしょうから 今年の冬は 毎日靴下を履いて生活しております。別に裸足で生活することに 誇りを持っていたわけではないので 当たり前のことかもしれませんが 冬は靴下を履いて生活していますが なんとなく年老いたことを自覚させられているようで ちょっぴり悔しい気持ちもあります。
    そんなわけで 私は例年になく寒さを感じて かなり久しぶりに ずっと靴下を履いた生活をしておりますので 例年以上に今年の冬が寒いのではないかと思っていましたが 世間では暖冬のためにかなり大騒ぎになっているみたいです。スキー場に雪がなくて お客さんが呼べなくて 苦労なさっているというのは ニュースで見ましたが 新潟県や 長野県の北部のスキー場は 何とか例年よりも積雪量が少ないながらも スキーができる状態なのだそうです。現在は 若い方たちで スキーをする割合が低くなってきているみたいなので 私がスキー場に通っていた時代ほど混みあうことはあまりないのかもしれませんが それでもスキーというスポーツ自体は やってみると非常に楽しいスポーツですから それなりに賑わっていたはずなのに 肝心の雪がなければ スキー場として機能しませんから どうしょうもないでしょう。
    スキー場関連のお仕事をなさっている方にすれば スキーシーズンこそ 働ける時期であり それこそ一年分の収入を集中して 稼いでおられたのでしょうから 大変なんてものでは片づけられない大問題だと思います。農家の方々が 丹精を込めて育て上げられた作物を ほんの一夜の台風で 台無しにされて 泣くに泣けない状態になってテレビの取材に答えておられるのを見るのも かなりつらい光景ですが 自然相手に文句を言っても始まらないのかもしれませんが雪の降らない空を恨めしそうににらみながら インタビューに答えておられた スキー場の旅館の女将さんも お可哀そうでした。
    今年はこの時期に雪に埋もれて 幻想的な景色を楽しめる 岐阜の白川郷でも 例年は 雪を屋根にタップリと積もらせた 非日常的な光景をライトアップされて 更に素晴らしい雰囲気が楽しめるはずなのに 雪が一ミリも積もっていなくて 観光客の方々が ガッカリされていたのも 印象的でした。ただ白川郷は 雪が積もっていなくて ガッカリさせてはしまいましたが まだお客さんがやってきてくれただけでもまだましなのかもしれません。
    鎌倉が名物のお祭りを開催されている町では トラックで雪を運んできて 何とか鎌倉を作っているみたいですが 鎌倉を一つ作野に二も 何トンもの雪が必要なのだそうで 作り上げるのに凄く時間がかかっていて 準備の能率が上がらないとぼやいておられましたが 暖かいから当たり前ですが せっかく急ごしらえで作り上げた鎌倉も 出来上がったばかりなのにどんどん溶けていってしまい 何時までもつのか心配な状態なのだそうです。お祭りとして成立するのかどうか 疑問みたいですね。
    各地が雪を名物としてのイベントを沢山企画されているみたいですが 今年は企画倒れになりそうなイベントが 続出しそうで イベントスタッフの皆さんにお見舞い申し上げます。まあ雪が少ないおかげで 毎年必ず発生しているであろう 雪による被害や事故が 少なくて済んでいるのかもしれませんから いいことも全くないわけではないのかもしれません。但し 地球温暖化の影響で 日本の機構そのものに変化が生じているのは間違いないのだそうです。ここの所 台風と関連している場合が多いみたいですが 百年に一度と言われる規模の雨が 何度も降っています。当然そのような雨に対する対策までは十分に立てていられないので 各地で深刻な被害の爪痕が残っているみたいです。
    私の父の実家が 福岡県の朝倉郡杷木町にあります。何年か前に 台風による大雨で ひどい水害が起こったことが 全国版のニュースでも何度も放送されていました。私の覚えている印象としては もうかなりの昔と感じていましたが 今度の九州旅行の時に 久しぶりに杷木の父の実家を訪れようと思って 最近いとこと連絡を取りました。実家自体は 杷木の中でも高台にあったみたいで 何の被害も受けてはいないと聞いておりましたが 久しぶりに訪れることを告げると これまでの道は 橋が流されてそのままになっているし 川の通る道筋も 変わってしまっているので これまで通りの道は通れないので よく調べてから来るように との事を告げられびっくりしました。
    勿論杷木町としては 懸命に復興に向けて頑張っているのでしょうが 二年以上が過ぎた現在でも 以前にごく普通に通れていた道が 未だに通れない状態が続いているのだそうです。まあう回路が確保されているので 生活には支障がないのだそうですが なかなか以前の通りに復元できていないところが 少なからずあるという話を聞いて 被害者になっていないと 時間の経過とともに忘れ去ってしまいますが 大きなダメージを受けてしまうと 元通りの姿への復興は 難しいという事を知りました。
    昨年の 千葉県南部の台風による被害も どうしても関東地方の事ですから ニュースとしてもあまり扱われませんので その後の復興の状況などが皆目見当がつきませんが まだまだその爪痕は大きく残っているのかもしれません。地球温暖化が それこそ地球規模で確実に進行していることは 間違いないことのように思います。二酸化炭素を減らすために 誰にでもできる事 例えば駐車場に停車しているのに ずっとエンジンをかけっぱなしにしている人が 沢山います。注意した方がいいのかもしれませんが つまらない摩擦を生んでけんかになるのも 好ましくないので つい口をつぐんでしまいます。車は移動手段として 必要欠くべからざるものですから 移動しているときにエンジンをかけているのは 致し方がないのですが 停車しているときにエンジンをかけておく必要はないのですからエンジンを停止するという ごく当たり前の行為位は 自発的に実行していってほしいものです。まあ前向き駐車と書いてある駐車場に 殆どの車が 後ろ向き駐車をするようになってしまった日本では そんな簡単なことも難しいのかもしれません。

  • 1月21日 安楽死について

    昨夜 不愉快な電話が入りました。いきなり安楽死をしてほしいのだが 幾らかかるのか という要件でした。そんな言い方をする飼い主ですから 最初から断ろうと思いながら応対しておりましたら 苦しみだしたのは ついさっきからなのだそうで 年齢がもう十二歳だから いつ死んでも不思議がないので 安楽死をしてほしい という話でした。安楽死については 受け入れて 実施している病院もあれば 絶対に無条件でお断りの病院もあるみたいです。院長先生の考え方次第なのでしょうが 私は 飼い主さんやそのペットの状態を十分に把握したうえで 安楽死しか選択肢がないような状況の場合は 心ならずもその処置を実施するように心掛けております。
    人間もそうですが あまりに大きな苦痛を訴えて のたうち回っているような状態で そんな病状に対して有効な治療法が見つからない場合には やみくもに長生きさせるよりも ペット本人と 飼い主さんの気持ちを思い量って 安楽死という苦渋の決断をする場合があります。具体的なやり方は 呼吸中枢に働きかけて 呼吸を速やかに停止する薬を 静脈注射します。スムーズにその薬を投与できれば 眠るように安らかに 心臓が停止してくれます。苦痛で暴れたりして 静脈注射が スムーズにできない場合は 苦労することもありますが 飼い主さんが上手に協力してくれれば 何とかやり遂げることができております。
    但し 十分な問診や検査をして 回復する見込みが見つからない場合で それまでに飼い主さんがその子の治療に十分手を尽くされてそれでもいい方向に向かう可能性が殆どないと 私が納得した場合にしか 安楽死の要望を受け入れません。電話がかかってきた犬は まだ十二歳ですから 高齢犬の部類ではありますが 人間でいうと現在の私と似たり寄ったりの年齢なのです。もし私が急に体調を崩して苦しんでいたとしても 十分な検査や治療をしないうちに 家族から安楽死の提案が出されたら 断固拒否するでしょう。その辺りの事を 出来るだけ穏やかな口調で説明したつもりでしたが すごい剣幕で ののしられながら 電話を切られました。
    またまたうちの病院の悪口を その類のサイトにデカデカと書き込まれて 更にうちの病院の評判が落ちてしまうのでしょうが 私も納得のいかない処置 特に命に係わる医療行為は 絶対にできないので致し方がなかったかなあ と考えております。まあ私も 病院の売り上げで 生活しておりますし 将来の貯えもその中から捻出しておりますから 少しでも売り上げを多くしたい気持ちはあります。安楽死に用いる薬は 治療薬ではありませんので 一匹分が原価でほんの数十円しかかかりません。それでいて 安楽死の処置料そして時間外対応料を含めますと 数万円は 稼げましたので ただでさえ病院が暇な時期としては 大きな金額ですが 勿論私はお金のためだけに 働いているわけではありませんから こちらとしては丁重にお断りしてよかったと思います。
    電話をかけてきた飼い主に飼われている犬に 今後どのような運命が待っているのか分かりませんが 恐らくちゃんとして病院で きちんとした治療を受けさせてはもらえないのでしょうから 苦しい思いをするだけ 辛い思いが長引くだけなのだとしたら 安楽死してあげたほうが よかったのかもしれませんけれど その飼い主は 自分のペットに対して殆ど愛情を感じていない人みたいでしたから そんな輩とは 関わり合いを持たなくて やっぱりよかったのだお思います。その子の残された人生に 幸多からんことだけをお祈りしております。

  • 1月20日 歯医者さんに出かけてきました

    私は 恥ずかしながら 本当に腰抜け野郎の臆病者です。歯医者さんに出かけるのが 怖くて怖くてたまりません。ですから いつもいつも自分の歯に違和感を感じた時に すぐに歯医者さんに出かければ 悪い所を削って薬を詰めて 削った部分にかぶせものをする 治療に 勿論苦痛は伴うでしょうが 大して時間もかからず 無駄なお金もかからず 結果的には 大して痛い思いもしないで済むことが 分かり切っているのに 出来ないのです。毎回毎回 痛くて我慢できないほど悪くなるまで ほったらかしにしておいて というかほっておいても悪化する一方で自然に快方に向かう事などあり得ないのに 歯医者さんに出かけるのを遅らせてしまいます。
    その為に 大切な歯が ボロボロになってしまっていて とても生きたまま治療することが かなわず 直ぐにその歯の神経を殺すことから治療が始まります。歯は 一本一本が生きているのです。神経を殺すことは その歯の命を抹殺することなのです。生きていれば その歯自身が 再生に向かうこともありますし ダメージを受けたら 痛みや違和感といった 合図を送って私にその歯の異常を知らせてくれます。所が その歯の神経を殺してしまうと 勿論全く痛みは感じなくなりますが 生体反応が 当然無くなりますから あとは朽ち果てて崩壊していく一方なのです。無論歯そのものは残存していますから いい加減に削って その歯の残った部分を土台として 元の歯と同様の形のかぶせものをしますが がれきの上に家を建てたようなものですから いずれは 崩れて消失してしまうのだと思っております。
    そこで 前回歯の治療に 歯医者さんにかかった最後が 昨年の七月でしたので その時に半年後にまた呼び出しをかけてもらって 虫歯や歯石 歯茎の状態などをチェックしてもらうことを 予約しておきました。先日その歯医者さんから電話がかかってきて 呼び出しがかかりまして 本日歯医者さんに出かけてきました。痛くてたまらなくなってから しょうがなくて歯医者さんに出かけるのではありませんから いつもよりは気楽な気分でしたが やはりどんな痛いこと 怖いことが待っているのかと 不安は少なからずありました。
    治療する椅子に座ると 先生ではなくて歯科衛生士のお姉さんが 対応してくれました。まずは 歯と歯茎の状態をチェックされて どうしても歯と歯茎の境目に付着しがちな歯石が そこそこ溜まっているので まずはその歯石の除去から 作業が始まりました。大して痛くはないし 別に歯を削っているのではなくて スケーラーで歯石を振動させて割って除去しているだけなのですから 別にそんなにビビる必要がないことは 分かっておりますが やっぱり結構違和感はありましたし 十分に怖かったです。更には 歯茎が炎症を起こして晴れている部分に薬を塗布したり歯間ブラシで 磨きづらい部分を十分にきれいな状態にして 本日の処置が終わりました。最後の方は 処置は 結構痛みを伴いましたし その分そこそこ出血もしましたが 何とか涙を流さずに辛抱できました。
    現在の所 虫歯の心配は全くないし 歯ブラシの届きにくい部分に どうしても歯石が大目についていたので その部分を意識して しっかりと歯磨きを励行するように指示されて 本日の処置が終了しました。やっぱり半年後に 歯や歯茎の状態をチェックされるとわかっていますと 普段からの歯磨きがいつもよりも丁寧になっていたので 虫歯の心配が全くない状態が維持できたのだと思います。今後もアドバイスされた部分をしっかりと磨いて より歯石がつきにくい状態を維持しようと思います。帰りにまた半年後の予約を入れましたので 今後も歯磨きを頑張ろうと思います。歯の状態が良ければ そのまま長生きにつながると言いますので 今後も定期的には医者さんを訪れて いい状態を保っていこうと思っております。

  • 1月18日 新春句会なるものに参加してまいりました

    この句会は 私が昨秋から参加させていただいております 枚方市の俳句同好会 努(ゆめ)句会の 新年の恒例行事なのだそうですが 枚方 交野にある同門の つまり同じ俳人の方にご指導いただいております四つの句会が合同で行われる 新春の時期に開催される特別な句会です。特別な意味合いは 普段からご指導いただいております 俳人つまりプロの俳句を作っておられる先生が 東京に在住なのだそうですが 年に数回特別な句会にだけ 大阪まで出張いただいて 直接ご指導いただけるのです。
    いつもの句会ですと 参加する人数が十人前後ですが 今回は四句会合同なので 二十人以上と多いので 会場もいつもとは異なり大きな部屋で開かれました。一番の上座の正面に 顧問の先生が座られていましたので 私は年齢的にも若輩者ですし 一番の新参者であり 俳句についても勿論一番の初心者ですので 一番の下座と思われる席に着席しておりました。努句会の幹部の方が会場に入ってこられて 私が呼ばれましたので 前の方に出向きますと 顧問の先生に直接紹介されました。「若手の有望株です」などとくすぐったくなるような紹介をされてしまいました。私も還暦を通り越しましたが この集まりの中では最年少でありますし 数少ない男性会員なので 期待されてはいるのかもしれません。この集まりの男女比は 男性が四割にも満たないのかもしれません。
    やるべき作業は いつもの句会と同じですが 私は十二時まで仕事をしてから 会場に向かいましたので 遅刻して準備段階で 到着しました。いつもの句会のように 提出された俳句が 人数が多いので百以上もありましたが 清記されたものが 各自に配られました。それらから 自分の気に入った俳句五つを選んで 提出しなければなりませんので 慌ててそれらの俳句に目を通そうとしましたが 直ぐに顧問の先生の俳句についての講演が始まりましたので そちらに注目しました。ホワイトボードに 四つの俳句が書かれてあり その俳句についてや 作者 時代背景などが説明されて それらの俳句の解釈の仕方などが説明されましたが 何しろ俳句についての 基礎的な知識が殆どありませんので 十分に理解できたかと問われれば 残念ながらノーと返事をせざるを得ない状況でした。 
    まああまり理解が伴わないのですが 退屈しない程度で先生の講演が終わりましたので 沢山の俳句から 自分のお気に入りの俳句ベストファイブを選ぶ作業が始まりました。選んだ俳句は 後ほどみんなの前で発表されますので 慎重に選びます。私は とにかく俳句についての基礎的な知識が乏しいので 俳句には よく使われる言葉や 慣用的な表現への理解が乏しいので 俳句特有の表現がされていると その内容が理解できませんので 必然的にそのような俳句は 私の選から外れてしまいます。読めない漢字表記の言葉や 聞いたことがなくてその意味合いが見当もつかない言葉を使われている俳句も 同様に外されてしまいます。
    別にどの俳句が気に入ろうと 自分の勝手なのですが やっぱりほかの方がいいと感じられた俳句を 選んでいれば ホッとします。所が 私だけがいいと感じた俳句がいくつもあると やっぱり俳句に対する感性がまだまだ未熟なのかもと 心配になってしまいます。本日の選句でも 五つのうち 二つが 私だけの選句になってしまいました。まあその句の作者にしてみれば たとえ私だけでも 選んだわけですから いやな気分ではないはずですが 後ほど選んだ理由をみんなの前で発表しなければなりませんから 自分だけが選んだりしていると 選んだ理由を述べるときに かなり緊張してしまいます。ほかに選句した三つは 結構ほかの方も選ばれていましたので ホッとしました。
    私は 直近の句会で 二回続けて一つも選ばれない 残念な結果に終わっておりましたので この句会でも一つも選ばれないのではないかと 心配しておりました。先生の俳句も含めて 百以上も並んだ俳句から ベストファイブに入ったと思っていただけなければ 選ばれないのです。但し今回の句会では 有難いことに 二つの俳句を拾っていただけました。
    一つは 先日このブログで披露しました「去年今年 狭間探すれど 継ぎ目なし」です。この句については 先生からも 「なかなか良い句だ」とお褒めの言葉を頂戴しましたので とても嬉しかったです。もう一つは「晩三吉(おくさんきち)晩性もよし 大器なら」という句でした。晩三吉というのは 冬の季語で 正月から春ごろにかけて 収穫される梨の一種で 収穫時期がとても遅いので有名な品種です。晩成もよし大器なら というのは大器晩成という熟語をひっくり返して表現しただけの事でした。お一人の方が気に入ったと 選んでいただけましたが 先生からは 下五の「大器なら」という表現が ありきたりで面白くない と指摘されてしまいました。
    大器晩成 という誰もが知っている四字熟語を もじって表現できたので 簡単に安心してしまったのですが 努句会の先輩から「人もまた」といった表現の方が よかったのではないかと アドバイスいただきましたので 凄く納得しました。やっぱり 俳句においては ありきたりな表現で満足するよりも さらに広がりを求めての 一層の努力を怠ってはいけないのだと 実感しました。俳句は 本当に立った十七音の中で 無限の表現ができる 奥が深くて 本当に面白い 文学だと思います。短く 簡潔に表現するのが 大の苦手の私ではありますが あえて自分の苦手な分野に 挑戦するのが 楽しいので 今後も一層俳句にのめりこんでいきそうです。

  • 1月17日 1995年の本日未明に 阪神淡路大震災が起こりました

    いつの間にか この大きな災害から二十五年が過ぎました。当時は 病院を開業してから間もなかったので 改築する前の病院の二階に一人で寝起きしておりました。未明の事ですから 当然まだぐっすりと寝ておりました。ぐらっと来た時に 瞬時に目を覚まして私がすぐにとった行動は 台所に移動して 食器棚と本棚の間に立ち これらの家具が倒れないように 手で支えておりました。恐ろしい瞬間なので 実際よりも長く感じたのかもしれませんが 十数秒も揺れていたでしょうか。揺れがおさまったので 直ぐにテレビをつけて 地震のニュースを確認しました。直ぐに臨時ニュースが流れて どうも神戸の辺りに震源があって 枚方のこの辺りは 結構揺れましたが 大した被害はなさそうな状況でした。
    私はこれまで経験した地震の中で 一番大きな揺れを感じました。ずっと離れたこの辺りでも 相当な揺れでしたから 震源地の神戸の街は いったいどのような被害を受けたのか 心配になりましたが 落ち着いて考えて 取り敢えずは一階に降りて 病院の様子を確認しました。ほとんど何も異常は見つからず 薬だなから プラスチック製の薬の入れ物が 一つだけ床に転がっておりました。トイレを除くと トイレットペーパーを積んでいる突っ張り棚が傾いていて トイレットペーパーがに二つほど 床に落ちていましたので 元に戻しました。我が家の被害は 薬瓶一つと トイレットペーパーが転がり落ちただけで済んだみたいです。
    只後になって 冷静になり自分のとった行動が適切であったのかと考えれば 大いに反省する必要があるみたいでした。私のこれまでの経験から判断して 地震といってもそんなに立っていられないほどには揺れないだろうといった 甘い見込みがあったのかもしれません。もしこの枚方が震源地に近くて 揺れが段違いに大きかった場合 大きな家具の間に立つなんて 一番してはいけない行動のようです。もし自力で立っていられないぐらいに揺れがひどかったら 自分が倒れて その上に大きな家具がのしかかってきたかもしれないからです。食器棚や 本棚が たとえ倒れて本や食器が放り出されたとしても 我が身の安全を優先して考えて行動すべきだったはずです。それ以来 大きな揺れを実感する地震で出会ったことはありませんが それからはとにかく揺れを感じたら まずは我が身の安全を図る行動をとろうと日頃から自分に言い聞かせております。
    日本のあらゆる地域で 地震や台風などの自然災害によって 多くの方が被害を受けておられます。私は別に少しでも安全な地域で暮らそうなどという意識は全くありませんが 生まれてからこの方 大した被害を受けずに済んでおります。自分のふしだらな生活によって 糖尿病と心臓病を患ってはおりますが 病気に気づいてからは なるべく病気の進行が遅くなるように 少しでも元気で長生きできるように意識して 病院に通い 先生のアドバイスに従って生活しておりますので 病気もまあ年齢を考えれば致し方のない程度かなと 思える位の状態を維持できておるつもりです。
    勿論 いつ突然命に係わる病気が発覚するか分かりませんし 交通事故などで命を落とす可能性は 毎日車を運転しておりますからには 常に覚悟が必要かもしれません。まあこれまでは 幸いにも災害の被害や 病気による災いから 運よく巡り合わずに 生きてこれましたが この幸運がいつまで続くのか 全く保証がありません。まあ一人の人間としては 毎日真っ当に生きて 無事に寿命が尽きる日を迎えられることを祈るばかりです。私のような被害を受けていない人間からすれば あっという間の25年ですが 被災されて 財産や家族を亡くされた方にとっては 辛くて悲しい日々だったと思いますので 心よりご冥福をお祈りいたすとともに 真の復興を目指して頑張っていただきたいと 願います。

  • 1月15日 去年今年(こぞことし) 狭間(さま)探せども 継ぎ目なし

    18日の土曜日に 参加させていただいております 俳句の集まりの新春句会に提出する 一番の自信作です。昨年の九月から 月に一回のペースで開かれます句会に参加させていただいております。初めて参加しましたのは 市役所のホームページを見ていて 俳句の同好会のような集まりからのメンバー募集のお知らせに 電話をかけてみたのがきっかけでした。毎週第二水曜日に 一時から枚方市駅の近所の部屋に集まって句会なるものを開いて 楽しんでいるのだそうです。電話を受けていただいた方から 翌日の一時からの句会に参加するように指示されました。今から急いで五つの俳句を作って 短冊という長細い紙に書いて 提出するように言われました。
    正直俳句については 五七五の十七音で 季節に合った季語を含めて 気持ちや情景を詠みこむもの としか分かっておりませんでしたので ネットで初心者向けの 説明の分かりやすい歳時記を見つけて その時期の夏から秋にかけての季語を見つけて 気持ちを詠みこむ十七音を 慌てて作りました。最初でしたから 訳も分からずに 指定された時間に 指定された場所に出かけて 自作の俳句を提出して 句会なるものが始まりました。最初に皆が提出した俳句の書かれた短冊を配られて 一人が五つずつ 一枚の紙きれに 書き写す作業から始まりました。他人の手によって書き写されることにより 筆跡によって誰が作った俳句か分からなくするための作業なのだそうです。その書き写した紙をコピーしたものを 全員分配られます。そこでその日に提出された すべての俳句を読みます。
    その中で 無論自分の句を除いた俳句から 気に入った もしくは心に響いた俳句を五つ選んで またもう一枚の紙に書いて 提出します。その結果 全員から選ばれた俳句が発表されます。私は 大急ぎで作って 訳も分からないまま提出した五つの俳句のうち 三つもが どなたかの琴線に響いたみたいで 選ばれました。全くの初心者が 短時間であわてて作って 提出しただけなのに そんなに気に入ってもらえて 選んでいただけるなんて 俳句って割と簡単なのかもしれないと 一瞬勘違いをしてしまいました。
    それから数か月 先輩方のアドバイスを受けて 指導書や入門書を買い込んでは 読んでみましたし 先輩から何よりも沢山の俳句を作っていくうちに どんどん上達していくと 助言を頂きましたので 何かといえば 十七音で その場の気持ちを表現するように心掛けて生活してみました。最初が殆どゼロの状態から 始めておりますので 勉強した分 俳句については 少なくとも初歩的な技術や よく使われる季語についての知識などが 幾らかは増えたはずですから 句会で選んでもらえる句の数も増えていくものかと思っておりましたが 俳句という文学は そんな単純で底の浅いものではないので 句会で自分の句が選んでもらえる数がだんだん少なくなってきて 直近の二回の句会では 一つも選んでもらえない悲しい事態に陥ってしまいました。
    勿論 私が俳句作りを始めたのは 句会で参加者に選んでもらうため 等では決してありません。自分の気持ちや感動した情景を たった十七音で 思う存分表現してみたい という事だったはずです。ですから句会で 自分の提出した句が 選んでもらえなくても 別に落ち込む必要がないことは分かっているつもりです。前々回の句会には この句会の顧問の先生 つまりプロの俳人と呼ばれる方の俳句も五つ混ぜられていたのだそうです。プロの俳人の作品ですから 当然技術的には アマチュアの作った俳句に比べて 数段上回っているはずですが 取り立てて先生の俳句に 指名が集中したわけでは 全然ありませんでした。ですから上手な俳句に 参加者が指名をするわけではないのです。勿論拙い句には 指名は 入らないでしょうけれど。
    その理屈は分かっておりますが やっぱり誰からも選んでもらえないと ガッカリしてしまいますし 至って寂しい気持ちになるのです。SNSでみんなが「いいね」ボタンを欲しがるのと同様の気持ちだと思います。人間というのは 幾つになっても どんな生活をしていようと 見栄っ張りな生き物なのだと思います。まあもっともっと 俳句について勉強して 上達すれば 自ずと句会で指名される句が作れるようになるのだと思いますので 今後も俳句の道を 頑張って歩んでいこうと思っております。世の中の 俳句を趣味となさる 同志の皆さん ともに精進していきましょう。