Dr.喜作のブログ

2018年6月 の記事一覧

  • 6月30日 本日で今年の半分が終わってしまいます

    年齢を重ねれば重ねるほど 年月が過ぎるのを短く感じるものなのだそうですが 還暦を通り越した現在 この半年の短さにも 改めて愕然としてしまいます。この半年 幾つかの大きなイベントがありました。二月には 移住を予定している長野県の伊那谷地方に 信州の冬を体験するために訪れてみました。気温的には マイナス十度の朝を迎えてみて 窓の内側が凍る現象に驚きましたが それほど厳しい寒さは実感できませんでした。もしそこで暮しても 何とか生活していけそうに思いました。
    三月には一つ目の大学の合唱団の泊りがけの同窓会に参加しました。この集まりには 二学年先輩で 現在もドイツで音楽活動をされている先輩が参加されるという事なので 土曜日の夜と日曜日の午前中を休診にしてまで 参加してみました。この先輩こそは以前このブログで書きましたが 橋本環奈ちゃんの叔母さんにあたられる方なのです。この同窓会の二日後にも 環奈ちゃんとあって食事をする予定だと伺いましたので 環奈ちゃんについての裏話など伺いたかったのですが 何しろ久しぶりに日本に帰って来られましたから 話したい人間が一杯いて 私は直接お話しが出来ませんでした。
    四月には 高校時代の還暦同窓会が盛大に開かれました。四百五十人の卒業生のうち 二百人以上が集まりましたから 幹事さんは凄く大変だったと思いますが 凄く充実した 有意義な同窓会だったと思います。担任の先生も四人参加されましたが 四十年以上も経っているのに 未だご健在の方ばかりで嬉しくなってしまいました。私は体重が三十キロ以上も増加してしまい 変わり果てた醜い姿をさらしましたが 男性でもっと剥げている人間がいるかと思っていましたが意外に少なくて 高校生の面影が感じられる人が多かったですが 女性は全く変貌してしまわれている方がかなりいらっしゃって驚きました。
    五月には やはり一つ目の大学の合唱団の卒業生がたまたま枚方に四人もいるので 一昨年私が呼び掛けて食事会を開きましたが その二回目をやっぱり私が企画して開催しました。前回は 私を含めて五人での食事会でしたが 今回は奥様にも参加してもらって 何と十二人集まっての そこそこ盛大な食事会になりました。一回目よりも参加人数を増やしたいとは考えておりましたが まさか倍以上に増加するとは考えておりませんでしたので 幹事としての準備もそれなりに大変でしたが 参加して頂いた方皆さんから 楽しかったとのお言葉を頂きましたので 頑張った甲斐がありました。
    他にも細々とした出来事は 思い返すといろいろありましたが 過ぎ去ってみればほんの一瞬に感じてしまうのは やっぱり年をとったからなのでしょうか。私は 不整脈と言う心臓病に 糖尿病と言うやはり一生縁の切れない病気まで患っていますから あと二十年はどう頑張っても生きられないだろうと覚悟しています。二十年前私が四十代になってしまったころの事を思い返すと 勿論それなりに色んなことが起こっています。凄く嬉しかったことはあんまりありませんが 母が亡くなるという大きな悲しみを経験しました。病院の仕事も 正直売り上げや儲けは 多少減少傾向にあるのかもしれませんが そこそこ楽しくて充実した生活をしながら 老後に向けての目標としている金額の貯蓄は順調に進んでいますから 感謝しなければならないと思います。
    二十年と言えば それなりの長さだと感じますが 二十年後には 自分がこの世の中に存在していないのだろうと考えると ぞっとします。まあ恐らく奥様が傍にいてくれて 今以上に面倒をかけ続けるのだとは思いますが 私が死んでから奥様が安心してのんびりと暮らせるだけの蓄えは出来ていますから そういう意味では安心して死んでいけるように思います。
    この半年に起こった出来事で 一番うれしかったのは 中学時代に憧れの存在だった女の子と ひょんな切っ掛けでメールのやり取りが出来るようになったことかもしれません。その女の子とは 当時から不思議な縁があったのかもしれません。私は枚方市立開成小学校を卒業して 枚方市立第四中学校に進学しました。五月ごろようやくクラスに友達が出来てきた頃に 隣のクラスに凄くかわいい子がいるので 見に行こうというツアーが企画されました。普通はその類のイベントには参加しない私が 何故か興味をそそられて 隣のクラスの教室までのこのこと出かけました。その時に見かけた女の子が 現在私とメールのやり取りをしている女性なのです。その時にその可愛らしい顔と名前はしっかりと頭にインプットされました。勿論あちらは私の存在を知る訳がありません。
    中二になって 家が交野市に引っ越したので 二年の頭から交野中学に転校しました。転校は初めての経験でしたし こちらの中学は男子は坊主頭を強制されていましたので 正直あまりこの中学には好感が持てませんでした。でもすぐに仲の良い友人が出来て楽しく過ごせました。中三になって驚いたのは 中一の時密かに憧れていた女の子が やはり交野中学に別のクラスでしたが転校してきたのです。そして二人とも同じ四条畷高校に 進学して無事に卒業しましたから同じ中学に入学して 同じ中学を卒業し 同じ高校に入学して卒業をしたのは 私たち二人だけと言う 奇妙な御縁があったのです。
    但し一度も同じクラスにはなりませんでしたから こちらはあちらの存在を意識していましたが あちらから見れば私はその他大勢のうちの一人に過ぎなかったはずです。そして二人とも高校の還暦同窓会に参加していました。高校の同窓生にとんでもない秀才 永長直人君がいることをブログに書き込んでいたのですが 彼が今年の春の紫綬褒章を受章しましたので その事もやはりブログに書き込みました。彼女が「永長直人」で検索した所 私のブログがヒットしたみたいで ドクター喜作と言うのは一体誰なのですか?と言う問い合わせのメールを頂いたのが メールのやり取りの始まるきっかけです。
    メールのアドレスから 送り主が じゅんこと言う名前であることが想像されましたし 問い合わせの文面の内容から 私はその女性が密かに憧れていた女の子だと直感的に悟りました。まあ正直な気持ち 彼女にすれば このブログの主は一体どこのどいつだ と言った軽い気持ちでメールを頂いただけですから こちらから返事を出しても あちらからの返事は帰ってこないだろうと思いながら 二人のこれまでの不思議な御縁の事や 自分の近況をダラダラと長ったらしい文面のメールで返信しました。
    かなりの日にちが過ぎてから 私の返信に対するお返事メールが返ってきました。私は喜び勇んで すぐにまた返信メールを送ると 今度はそれほど日にちをおかずに返信メールが返ってきて これまでに結構な回数のやり取りをしています。勿論お互いに還暦を過ぎているのですから 今更実際に会ってどうこうしようなどと言う気持ちは全くないはずですが 中学高校と言う青春真っ最中を同じ学校で過ごした者同士の 何とも言えぬ連帯感が 互いを刺激し合ってこまめなメールのやり取りにつながっているのかもしれません。当面私の一番の楽しみなので 上手くメールのやり取りと言うお付き合いが続いてくれることを期待しております。 

  • 6月29日 本日はビートルズ記念日なのだそうです

    1966年の本日 ビートルズが初来日したことにちなんでいるのだそうです。私が九歳の時の出来事ですから 当時は当然白黒テレビでしたが そのニュースで飛行機からはっぴを着て降りてくる彼らの事を見たことは何となく覚えています。武道館でのコンサートで 女の子がキャーキャー大騒ぎをしていたのもぼんやりと覚えているぐらいです。小学生の頃は テレビしか見ませんから 外国の音楽と接することなど殆どありませんでしたから ビートルズが来日したニュースを見ても 全然ピンと来ていませんでした。
    中学生になってから ラジオその時代は 普通だったと思いますがAM放送を聞くようになり 徐々に外国の歌手や曲と接する機会を持ちましたので ビートルズの存在も その楽曲も身近に感じられるようになりました。但し中一になったのが1970年で ビートルズが解散したのが1971年ですから その存在を実感したとたんに 解散してしまいましたので うちにやっとステレオが購入されてレコードを聞けるような環境が整ったのが中二の時だったと思いますから、私がレコードを買い 自宅で聴き始めた時には既に解散して過去のグループになってしまっていました。
    私が生まれて初めて勝ったレコードは ビートルズの「HELP]でした。ステレオにチューナーもついていましたから ラジオも聴けましたが レコードの再生だけに利用していました。始めて買ったレコードですから 他に聴きたいレコードはありませんでしたから 繰り返し繰り返し それこそレコードがすり減る位に何度も聴いておりました。当時の小遣いが月に二千円で レコードのLP版の価格がほぼ二千円でしたから 月に一枚レコードを買ってしまうと それだけで小遣いが消えてなくなりますが せっせとレコード屋さんに通っては ビートルズのレコードばかり買い漁っておりました。
    別に計画してそうなったわけではありませんが 初期に発売されたレコードから順番に購入していきました。一番好きなアルバムは 「ラバーソウル」で 一番好きな曲は 凄く沢山あるので その日の気分でピックアップする曲が変わりますから 別の日に質問されたら 異なる曲をあげてしまうかもしれませんが 本日の所は「シーラブズユー」にしておきます。春倍された順番に楽曲を聴いていくと 確実に彼らの変化 と言うか進歩が窺えますが 好きな曲をあげる場合は 何故か初期の曲が多いように思います。だからビートルズのレコードばかりを買い集めていた時代が かなり続いたのかもしれません。
    現在も 当時も不器用な人間でしたから 同時に複数の歌手を好きになれなかっただけの事かもしれませんが 初めてビートルズ以外のレコードを買ったのは 高校に入ってからのカーペンターズだったと思います。高校時代は 多少他の歌手にも興味が湧いて カーペンターズ以外に モンキーズやビージーズそして当時大好きだったアイドルの浅田美代子のアルバムを買いました。渡者十代の頃から現在まで ずっとアイドル好きですが 五十年位アイドルを追いかけていて やっぱりナーちゃんが一番可愛いと思います。
    数年前に CDのビートルズ全曲集を 数万円で購入しましたが 一度は全曲聴いてみましたが その後繰り返し聴くのはやっぱり若い頃に好きだった曲の入ったアルバムに偏ってしまいます。荻坂の写真集を買っても みるページは 当然ナーチャンやカズミンの移ったページばかりです。大嫌いな秋元真夏や桜井怜香の移ったページは見たくないので ホッチキスで止めてしまおうかとおもいます。今年の乃木坂カレンダーの七月は 秋元真夏だったので 購入してすぐに破り捨てました。もし来年欅坂カレンダーが発売されたら 欅坂に乗り換えようかと真剣に考えています。
    そんな風に 私のレコードライブラリーの初期はビートルズ一色でしたが 現在のお若い方にとって ビートルズと言うグループはどのような存在なのでしょうか。自分たちが生まれる前に解散してしまったグループですから 感覚的にはクラシックの音楽家 ベートーベンやバッハと似たり寄ったりの存在なのでしょうがか。別に若い人たちの気持ちを頑張って理解したいとは思いませんが 私にとっては 外国の音楽と初めて接した時に 光り輝いていたグループですから その曲の魅力 メロディーの美しさ位は ある程度理解して頂けると嬉しいです。

  • 6月28日 ワールドカップのポーランド戦の戦い方に異議があります

    私は テレビのライブ中継を見ていましたが 終盤の日本がパスを回して 時間を潰して 0-1で敗ける方針を選択したのには 凄く驚きましたし ガッカリしました。サッカー関係者の意見としては 決勝トーナメントに進める 千載一遇のチャンスだったから 当然の選択だという意見が多いのには呆れ返りました。奥さんも当然の作戦だと仰っていましたから 一般のサッカーファンにも同様の意見が多いのだろうと思いますが 果たしてその通りでしょうか?
    結果的にセネガルが敗れてくれたから 日本は辛うじて決勝トーナメントに進めることになりましたが、セネガルとしては当然日本がリードされていることは知りながら戦っていたはずですから 残り少ない試合時間の中で 必死に同点に追いつこうと戦ったでしょう。結果的に追いつけなかったから運よく日本が決勝トーナメントに進めましたが 万が一セネガルが同点に追いついていたとしたら 日本の戦い方は滑稽の極みだったのです。
    残り時間がわずかになった時点で 日本はセネガルが同時に始まった試合でリードされていることを知りましたが 当然セネガルも日本がリードされていることを知りながら戦っていたはずです。その時点で日本にとって最善の結果は 日本が同点に追いついて セネガルも同点に追いついてくれることです。その場合日本はグループ一位でトーナメントに進出できますから 対戦相手はグループ二位の国になります。対戦相手は 優勝候補のベルギーではなくて 勿論強豪国ではありますがイングランドになっていたのです。
    次善の策は 日本が同点に追いついて セネガルが敗れてくれることで あくまで自力でトーナメントへ進出することですが この場合日本はやはりグループ二位となりますから ベルギーとの対戦になります。でも 自分たちのできる限りの力を尽くしての事ですから 致し方ないと考えられるように思います。最低の結果が日本セネガルともにそのまま敗れての 他力本願での進出です。勿論最悪のシナリオは 日本が点を取りに行ってさらに失点を重ねてしまい 得失点差でセネガルがトーナメントに進出してしまう事ですが 日本として精一杯頑張った結果なら 私はむしろすがすがしい気持ちで予選落ちを受けとめられます。
    そもそも戦前の予想としては 日本が三戦全敗だけは免れて欲しい と言うのが日本のサッカーファンとしての正直な気持ちだったのではないでしょう。所が 前回大敗したコロンビアにウッカリ初戦で勝ってしまったがために ひょっとしたらトーナメントに進めるのではないか と舞い上がってしまい セネガルにも運よく引き分けたので 更に期待が膨らみました。最後は 既に敗退が決まっているとはいえ ランキングでは完全に格上のポーランドにも ひょっとしたら引き分けぐらいには持ち込めるのではないか、つまりトーナメント進出を自力で決められるのではないか等と言う妄想を日本のファンに描かせてしまったのかもしれません。
    勿論 ワールドカップに出場する以上は 可能性が薄いとはいえ 日本と言えども優勝を目指すべきだと思います。優勝するためには 決勝トーナメントに進出するのが最低条件ですから トーナメントに進出するために 出来得る限りの努力をするのは当たり前です。但し出場している選手は 全員がプロサッカーの選手なのですから 高い料金を払って観に来てくださっているお客様に 自分たちのベストを尽くしたプレーを観て頂く事は 絶対的な使命だと思います。なのに不必要なパスを回して 時間を潰してしまったのは プロのサッカー選手としてはあるまじきプレーだったように思います。
    何度も書きますが 結果的にセネガルが同点に追いつけなかったので そんな無様なプロとしては許されないはずのプレーが トーナメント進出につながり 結果オーライとなったわけですがワールドカップと言う世界の最高レベルで争われる大会において あんな無様なプレーは 私は大会の権威に泥を塗るような 非常に恥ずかしい行為だったと思います。結果として進出できましたが 海外のメディアからは総スカンを食っていましたが 日本では殆どその事実は報道されていません。もしセネガルが同点に追いついていたなら 日本が無様な醜態をさらしたうえに進出できなかったわけですから 流石に日本人でもあのパスを回して時間を潰したプレーに対してもう少し批判的な方が増えたのかもしれません。
    日本は日本で開かれたワールドカップでの 観客の誠意のあるクリーンな応援をすることで サポーターが高く評価されましたし、これまでに出場した試合でも 正々堂々としたプレーを勝ち星には殆どつながりませんでしたが フェアプレーをするチームとして それなりの評価を受けてきていたように思いますが ポーランド戦の終盤のプレーで一編に馬脚を現してしまったように思えて 残念で仕方がありません。スポーツは勝ち負けを決めるために行いますから 勿論勝ち進むに越したことはありませんが 正々堂々とした全力を尽くしたプレーで 勝つことを目指すべきだと私は思いますが 如何でしょうか。

  • 6月25日 1947年の本日 本宮 ひろ志さんが誕生しました

    私は 現在は小説本から 縁を切ってしまった生活をしていますが 小中高校生の頃には かなりたくさんの本を読み漁りました。最初に夢中になった作家は石坂洋二郎さんで テレビドラマ「光る海」を見たのがきっかけでした。本屋さんでかなり分厚い文庫本を見つけて 読んでみて はまってしまいました。私が子供の頃には 石坂さんの小説がかなり映画化されていましたから 映画を見てその作品の存在を知り 原作を読んでみるパターンが幾つもありましたが 現在文庫本として発売されている小説は殆どよんでいるように思います。ちなみに一番好きな作品は かなり悩みますが「山のかなたに」にしておきます。但し本日の気分では と言う所で ビートルズやユーミンの一番好きな曲を選んでも その日の気分によって変化してしまうのは どうしょうもない事かもしれません。
    ほぼ同時期 つまり高校生の頃に 友人に紹介されてはまったのが 五木寛之さんです。「青春の門」は丁度自分の人生の歩みと重なって かなりの年月をかけて読んでいましたが 一体いつどのような形で完結するのか 時間的にも長すぎて 興味が継続できないうちに 縁が切れてしまいました。現在 既に物語として完結しているのか 未だ継続しているのかさえ知りません。大河小説を書き始めるのはいいけれども 読む側の都合も考えたら ある程度の年月で完結する物語にしてほしいものです。
    その点私がもう一人はまった作家 栗本薫さんは 幾つものシリーズを並行して執筆していましたが かなりストーリーの進行も 発行される文庫本のペースも速かったように思います。とは言え栗本さんの想定していた寿命よりも 現実の寿命が短すぎたために グインサーガと言う作品は 結局未完のまま百五十巻位まではつばいされて終わってしまいました。私が「グインサーガ」に出会ったのは 岐阜大学の一年生の頃ですから もう三十年以上も前の話です。そのときすでに三十巻以上が発売されていました。一冊が二三百ページの 割と薄めな文庫本でしたから 丁度夏休みの時期でしたので 生活費と学費を稼ぐための塾の講師のアルバイトが相当に忙しかったのですが 殆ど一日に一冊のペースで読み進んで 夏休みが終わる事には 発行されている分は全て読んでしまいました。
    そこからは ちょくちょく本屋さんをのぞいて 発売されているのを見つけたら 購入して殆どその日のうちに読み切ってしまい 次の巻が出るのを楽しみに待つ生活でした。私はかなりいろんなシリーズ化されている種類の小説も読みましたが いきなりあとがきから読み始めたのは この小説が恐らく最初で最後だと思います。あとがきというよりも 作者から読者へのメッセージが書き込んであるので 栗本さんの近況報告や プライベートなニュースがちりばめてありましたから おそらく「グインサーガ」の読者は大部分の方があとがきから読み始めていただろうと思います。
    関係のない小説の話がダラダラと長くなってしまいましたが そんな風に私は かなりの小説好き人間ですが 勿論マンガも大好きで沢山読んでいました。私の父は頭が固く古い人間なのでマンガなんか読むと馬鹿になると信じ込んでいて せっせと私に読書を勧めてくれたし 買い与えてくれたので 現実に小説好きになりましたが 子供の頃にマンガが読みたくないわけがありません。でも私はマンガ本を両親から買ってもらったことは一度もないし 小遣いもスズメの涙しかもらっていなかったので 自分で買える訳がありません。所が 同じ団地に住んでいる同じクラスの友人 今でも名前を覚えていますが上野正一君が 少年サンデーからマガジンからチャンピオンまで全て毎週買い与えられていましたので その子と仲良くなり 一月に一回ぐらいその子のうちに遊びに行って興味のあるマンガだけ 一月分まとめて読んでいました。
    マンガ本位自分で買える年齢になってからも 現在まで自分でお金を出してマンガ本を購入した記憶はありませんから このことは親の影響かもしれません。でも小説の作家と同様に 大好きな漫画家さんもいますし 影響を受けた作品もあります。そんな漫画家さんの中で一番好きな方は 多分本宮さんだと思います。中学時代に読んで熱狂したのが「男一匹ガキ大将」です。男なら 中学生か高校生のうちに この作品と 五木寛之さんの「青年は荒野を目指す」だけは読んでおかれることをお奨めしたい作品です。
    他に「俺の空」は 十代の男としては 避けて通れない女性への興味をそそられて 楽しみに読んでいました。この作品と出会ったのは学生時代でしたから やはり毎週プレイボーイと言う雑誌を買いこむ友人の下宿を定期的に訪ねて読んでいました。当時としてはかなり鮮烈な性的な描写がありましたから せっせとオナニーに励んだものでした。オナニーについては 高校生ぐらいの男性なら 毎日のようにしていたと思いますが 当時の誤った迷信として オナニーをやり過ぎると馬鹿になる とか おちんちんが小さくなってしまう と言う恐怖と戦っていましたけれど その迷信を吹き飛ばしてくれたのが五木さんの「青春の門」と言う小説でした。凄く感謝しました。
    お若い方でも「サラリーマン金太郎」と言う作品ならご存知かもしれませんが 正直私はあまり面白いとは思いません。それよりももっと昔の作品「天地を喰らう」「男樹」「硬派銀次郎」等の スケールの大きな作品が好きでした。ちなみに私は自分では漫画本を買いませんでしたが 妹がリボンを定期的に購入していましたので 妹のいないときに断りもなしに読ませてもらっていました。女性漫画の作家さんとして一番好きなのは それほど有名ではないし 漫画喫茶などで探しても殆ど見つかりませんから 残念ながらそれほど人気がないのかもしれませんが 田渕由美子さんと言う方です。その独特の個性 というか主人公の女の子が 丁度ナーチャンの様に大人しくて控えめで優しくて可愛らしい女の子だったので 大好きでした。
    現在は 小説と接する機会も殆どありませんが マンガを読む機会もありません。十年位前に 一時期マンガ喫茶に興味が湧いた時期がありましたが 正直な所コミック版と言うのは 縮小されていますから 絵も文字も小さくなっていますので 読みづらくて楽しめなかったので 漫画本との縁も途切れてしまいました。しかし本日久し振りに本宮さんの事を思い出しましたので 次の水曜日に久しぶりに漫画喫茶に出かけて 「男一匹ガキ大将」や「俺の空」の新しいシリーズを読んでみようかと思います。体は戻れないけれども 気持ち位は十代に戻れるのかもしれません。

  • 6月23日 交通事故に遭ったらしいタヌキが 入院しました

    夜の十一時過ぎに電話がかかってきて 車で走っていたら 道端でもがいているタヌキを見つけたのだけれど 多分交通事故に遭って大ケガをしているので診て欲しいという事でした。野生動物の場合 連れてこられた方に治療の実費だけ支払って頂く事にしているので 正直儲かりはしませんが タヌキとのご対面は久しぶりなので ワクワクしながら来院されるのを待ちました。対面してみると お腹の皮膚が大きく破れていましたが 幸いなことに腹腔内にまでは傷が及んでいないらしいので傷口を奇麗な状態にして 皮膚を縫合する手術をすれば何とか元気になってくれそうでした。
    そのタヌキは 体力を失っているからなのか もともと穏やかな性格なのか分りませんが 取り敢えずは暴れずに診察させてくれましたから これから退院までも面倒がみやすそうです。野生動物ですから 連れてこられた方に 自宅で面倒をみてもらうのは 無理なので 病院で抜糸まで預かることになりそうです。タヌキはこれまでも 交通事故などで大ケガをして 入院した子は何匹もいましたが みんな割とおとなしくて扱い易くて助かりました。野生動物としては 他にカラスを何度も面倒見ましたが カラスは非常に賢い鳥なので 面倒をみているとすぐになついてくれて 結構可愛くて手放したくなくなりましたが 野生動物ですので 自力で生活できるようになれば 速やかに自然に帰してやらなければなりませんから 下手に愛着がわかないように気を付けております。
    取り敢えずはタヌキを預かり 手術の準備をしました。手術としてすべきことは 麻酔を安定してかけてから 皮膚が敗れた部分を縫合できるようにきれいに成形して あとは丁寧に縫い合わせるだけの事です。言葉で表現するといたって簡単なように見えますが 失った皮膚の面積はかなり広いし 本来異なった部分の皮膚同士ををくっつけ合せようとするわけですから かなり丁寧に縫い合わせなければ なりません。麻酔が醒めて ある程度元気になってからは どれだけ活発に動き回るか想像できませんので しっかりと適度に拘束力も必要ですし あまりきつく逢わせてしまうとかえって血流が滞り 再生活動を遅らせてしまいますので 縫合具合の丁度良いさじ加減がかなり難しいのです。
    手術は無事に終わり 順調に覚醒してくれましたから あとは食欲が回復してくれたら 十日後には抜糸して退院してもらう事になりそうです。連れてこられた方には 手術の内容とその後の流れを説明して帰って頂きました。費用としては かなり面倒な縫合をして 十日間預かり傷の処置をしながら 内服薬を投薬しますから これが飼い犬の場合なら 深夜に受け付けたこともありますから 費用としては十万円近い金額を請求するところですが野生動物を 見かけて放っておけなくて善意で連れてこられた方でしたから 一万円頂く事にしました。本来は無料でさせていただくのが 筋合いかもしれませんが 私も動物病院をボランティアで経営しているわけではありませんから 仕事をして損をするわけにはいきませんので ご理解いただきお支払いをお願いしました。世知辛い世の中 善意にもお金がかかってしまうのは致し方のない事だと思いますが 如何でしょう。

  • 6月22日 本日はボウリングの日なのだそうです

    1861年6月22日、長崎の大浦外国人居留地に日本初のボウリング場「インターナショナル・ボウリングサロン」が開設されたことにちなんでいるのだそうです。想像していたよりも 凄く日本のボウリングには歴史があるのかもしれません。私が初めてボウリングをやってみたのは 小学校の三年生の時でした。近所に住む叔父さんに連れて行ってもらって それこそ点数の計算の仕方やボウルにどの指を入れるのかから 教えてもらいました。当時は スコアシートに自分で点数を計算して記入するのが当たり前でした。生まれて初めてのゲームで 百点以上出ましたし 三ゲーム目には百三十ぐらいが出ましたから 私とこの競技はもともと相性が良かったのかもしれません。
    その後ボウリングブームがやってきて ボウリング場についてから 実際に投げられるまで 特に土日だと かなり待たされるのが当たり前の時代がやってきました。中学生の頃に 時々クラスの友達と一緒に出掛けました。平日の昼過ぎでしたから それ程待たずにできました。それまでボウリングと言うのは ゲームと言うか 遊びの一種だと思っていましたが クラスの友人で スポーツの得意な子 運動神経の優れた子が上手であり高得点を出していましたから その時に改めてボウリングと言うのは スポーツであることを認識しました。
    とにかくボウリングは その時代人気がありましたから テレビでもゴールデンタイムに ボウリングの番組が放送されていましたし 強いプロボウラーは 凄く人気がありテレビのコマーシャルなどにも登場していました。ボウリングをテーマにした マンガやドラマも放送されていましたから プロボウラーと言う職業は 一時的には凄く人気のある職業になっていたようです。まあブームと言うのは いずれ終りを迎える訳で 私が高校に上がったころには ボウリングを好きな人は続けていたのかもしれませんが 私はボウリングとはほとんど無縁の生活になりました。
    大学に入って 参加したサークルが混声合唱団でしたが そのうちの仲の良いメンバーにボウリング好きがいましたので 暇な時にちょくちょくボウリングをするようになりました。やるからには 人よりもいい点数が出したいので 教則本のようなものを買いこんで 一寸だけ研究してみました。レーン上には スパッとと言う目印がありますから 自分が投げ始めるときの足の位置を 決めて出来るだけ同じフォームで決めたスパットの上をボウルを通過させてやれば ほぼ同じコースに投げる事が出来ます。あとはそのレーンのコンディションにあわせて微調整してやれば ほぼ投げたいコースに投げられることがわかりました。
    所謂スパットボウリングと言うものを 未熟ながらも目指して取り組めば コンスタントに百五十以上のスコアが出せるようになりましたので 何時も行くボウリング仲間の中では 大きな顔が出来ていました。ボウリングの腕には多少なりとも自信がありましたので 大学の四年生の時の化学科の研究室を選ぶときに 勿論高分子化学と言う学問に興味があったし 授業を受けて 林 あきらと言う教授にも好感を持っていましたし この研究室は 教授を筆頭に皆ボウリング好きで 暇さえあればボウリングに出かけていると言う評判の研究室でしたので 高分子化学研究室に入りました。
    別名ボウリング研究室と言われるぐらいですから 同じ学年の学生も 大学院の先輩たちも そして林教授も ボウリングの腕前はかなりのものでした。教授は 恐らく五十代であったと思いますが 頭髪もかなり薄くなっている風貌でしたが ボウリングの腕前は 十ゲーム投げてアベレージが170前後でした。学生たちも 皆ボウリングがやりたくてこの研究室に集まったような連中でしたから 教授とスコアでは引けを取らないような猛者ばかりでした。
    但し女の子は そんな評判を知らずに純粋に高分子化学を研究したくて やってきているようでしたが 一旦ボウリングとなると みんな同等に扱われます。毎週二回外書購読のゼミがありましたが その後は全員強制参加で ボウリング場に直行しました。この研究室には ボウリングに関して厳しいおきてがありました。一回に少なくとも十ゲームは投げる事。そして初めてその人が二百点アップした時には みんなからお祝いにジュースをおごってもらう。但し一度二百点アップした人が もし百点以下のスコアを出した時には その場にいる全員にジュースをおごらなければならない というものでした。誰かが絶不調になり 百点を割りそうになった時の嫌がらせは かなり露骨なものがあったように思います。
    ボウリングをやりたくて集まっている連中にしてみれば 一度に十ゲーム投げることは 当たり前の事ですが 普通の女の子なら ボウリングの経験はあっても 一度に二三ゲーム投げればいい方だと思います。所が この研究室の教授を筆頭とするメンバーは そんな女の子に対しても 一切情け容赦ありません。最初に投げる順番が決まると レーンが投球できる状態になると 半強制的に投げさせられるのです。十ゲームなんて絶対に投げられないと 女の子たちは言いますが みんなが極当たり前の様に淡々と投球を繰り返す流れにくみこまれてしまうと いつの間にか十ゲーム投げ切ってしまっていて 自分たちでも驚いていました。
    私は そこまでボウリングにのめり込みたくなかったので 毎回 靴を借りて ボウルはボウリング場に置いてあるハウスボウルを使用していました。私以外の男性陣は 教授を筆頭に勿論マイボウル、マイシューズで投げていました。とにかくこの研究室では 成績が優秀な学生よりも ボウリングのアベレージが高いものの方が 優遇されている不思議な部屋でした。私もこの研究室に来るまでは ボウリングに自信があったのですが みんながあまりに好スコアを連発するので ブービー賞争いを演じることが多かったです。でもこの研究室の暖かくて楽しい雰囲気は とても居心地がよかったので それなりに充実した研究が出来たように思います。 
    卒業してから 塩野義製薬に三年弱務めましたが 金澤と富山にいた時期は 私が一番ボウリングにのめり込んでいました。サラリーマンですから土日は休みでしたが 金澤 富山のボウリング場は土日の朝八時から十時までは一ゲーム百円で投げられました。その為ボウリング好きの連中が こぞって大集合していました。私も毎週土日の朝から十ゲーム以上投げていましたから 月に百ゲーム以上は投げていました。つまり年間で言うと千ゲーム以上投げていましたから アベレージも当然上がって 月間アベレージで180を超える月も珍しくありませんでした。
    塩野義を辞めてからは 殆どボウリングとは縁を切りました。現在は 若い方の間で多少はボウリングの人気が出てきているみたいですが 私は恐らく今後もボウリングをすることはないだろうと思います。一度180位のアベレージを出していた私が 現在真剣に投げてもどれだけのスコアが出せるか 自信がありません。不細工なスコアを出して 自分の老化を自覚したくないのが正直な気持ちかも知れませんが 私の周囲でボウリングを頑張っている人間は皆無なので 誘われることなないでしょうし また始める事もないと思います。ボウリングの日にちなんで 私のボウリングとの関係について書いてみました。

  • 6月21日 ひらがなけやき46を応援してしまいます

    AKBグループの公式ライバルとして 乃木坂46が誕生してもうかなりの年月が経ちます。その妹分として欅坂46が結成されてからでも そこそこたちます。ひらがなけやき坂46のが誕生した経緯を御存知の方は そこそこの坂道通と言えるのかもしれません。簡単に説明しておきますと 漢字欅 いわゆる普通にいう所の欅坂46の初期メンバーを選抜するためのオーディションが数年前に開催されました。最終選考の時 一人参加を辞退した女の子がいました。写真集がバカ売れするぐらいにチャーミングで クイズ番組にもちょくちょく顔を出すぐらいに賢いメンバーの 長濱ねるちゃんが 最終選考を受けないまま帰宅してしまったのです。
    オーディションへの参加は 本人の意思によってなされたようですが 長崎の片田舎に住むご両親としては 娘の高校時代の思い出づくりに位なればと 軽い気持ちでオーディションへの参加を認めたのだそうです。所がねるちゃんは 活動を始めて間もなく 写真集が発売されるぐらいに ルックス的にも評価が高いし 頭の回転も速いので 審査員の質問に対する受け答えも ソツなくこなしていたのでしょうから 順調にオーディションを突破していき ご両親の思惑とは大きく外れて 日を改めての最終選考まで残ってしまいました。
    片田舎に住む 平凡な人生を歩んでこられたであろうねるちゃんのご両親から見れば 芸能界なんて魑魅魍魎の徘徊する恐ろしい世界だと思われていたのでしょうから 大事に育てて とっても良い娘に育っていたねるちゃんの芸能界入りなんて とんでもない話と判断されて 急遽上京されて 強引にねるちゃんを長崎へ連れ帰ったのだそうです。普通なら その時点でねるちゃんと欅坂の縁はプツリトきれてしまうのですが 運営スタッフに大きなインパクトを与えていたねるちゃんの 突然の離脱に 運営側が諦めきれなくて 後日ご両親にアプローチしたのです。
    芸能界と言うのは 確かに生き馬の目を抜くと言われる芸能界について 分り易く説明して 何とか理解を求めました。先輩格である乃木坂のコンサートに招待して 先輩メンバーをお預かりした女の子たちを いかに運営スタッフが大切に扱い 丁寧に管理しているかを 事かまかに紹介して 愛娘の欅坂への参加を促しました。AKBグループや坂道グループのメンバーは数百人いると思いますが 運営スタッフがご両親を熱心に勧誘して グループへの参加を求めた例は 恐らく他にはないだろうと思います。そこまでの歩み寄りに 流石にご両親も心を開かれて 娘さんの参加に前向きに考え直されたみたいです。
    そんな特殊な経緯を経て ねるちゃんが正規メンバーとともにグループ活動をいくらか遅れて始めるようになりました。但し ねるちゃんは最終選考をパスしていない立場なので 他のメンバーと全く同じ立場で扱うのは如何なものかという意見が出ましたので とりあえずはねるちゃん一人を最終選考をパスしたメンバーからなる欅坂とは一線を画して ひらがな表記のけやき坂46に所属する と言う事で ねるちゃんの活動がスタートしました。デビュー曲の 「サイレントマジョリティー」では PVには 各所で参加していますが 楽曲を歌う場面には登場していません。表題曲には 参加していませんが カップリング曲で いきなりソロ曲を与えられているのですから やっぱり別格扱いを受けていると言えるのかもしれません。
    二曲目からは 正規メンバーと同様に楽曲の歌唱に参加していました。そして一人だけでは 「ひらがなけやき」としての活動が 成立しないので 急遽「ひらがなけやき坂」のメンバーを募集して オーディションを行い 十名ぷらすアルファをくわえて 長濱ねるを中心にして 「ひらがなけやき」として 活動を始めました。私は当初は 「ひらがなけやき」と言うグループは 「欅坂」つまり漢字欅のアンダーグループと言う位置づけされるのだと思っていました。ある程度落ち着いた時期から 欅坂の選抜メンバーに ひらがなけやきからも入ってきて グループとして一体化していくのだと予想していました。
    所が 運営スタッフとしては どうやらこの二つのグループを 全く独立した別のグループとして扱っていくことを想定しているみたいです。長濱ねるはひらがなけやきが活動を始めて軌道に乗るまでは兼任していましたが 確か昨年位に兼任を解除されて 正式に欅坂46(漢字欅)のメンバーとなりました。それ以降「ひらがなけやき」は独立した立場で 活動を続け なんと二期生まで加入しました。
    「欅って書けない」と言う番組の中で 漢字欅とひらがなけやきで対抗する運動会が企画されましたが 平均年齢の若い「ひらがな」の方が 当然かもしれませんが 簡単に勝利しました。私は現在 坂道の全グループ推しですが 特に好きなのは やっぱりナーちゃんがいる乃木坂ですけれども 但しこのグループには 私の大嫌いな秋元真夏や桜井怜香がいる分 マイナスポイントがあるので トータルして考えると ひらがなけやきが一番気になるグループであるのかもしれません。ひらがなの特に二期生は 辛うじて名前と顔が一致するぐらいの認識しかありませんので その活動をつぶさに見ていくと 気にくわないメンバーが出てくるのかもしれませんが 取り敢えずは今のところ全員素直で可愛いとってもチャーミングな女の子たちばかりなので 一番推してしまいます。
    まあ奥様に言わせると[あなたは無条件に若い女の子が好きなのよ。だから一番平均年齢の低いひらがなけやきに一番魅力を感じているだけなのよ」と断言されてしまいました。今年還暦を突破してしまったジジイである私から見れば 乃木坂もひらがなけやきも 年齢的には五十歩百歩なのかもしれませんが やっぱり本能的に少しでも若い女の子たちを求めてしまうのかもしれません。
    今年の四月から始まったひらがなけやきの冠番組「ひらがな推し」を毎週欠かさず見ているうちに 彼女たちの個性が少しずつですが 分ってきました。残念ながら 関西地方では放送されていませんので月曜日にネットで探してみるのですが 先週の放送で ひらがなけやきの初のアルバムが発売されたので そのヒット祈願でバンジージャンプをメンバー全員で挑戦していました。約四十メートルの高さの箸から飛び降りるのですが 殆どのメンバーが躊躇なく飛び降りていて 高さがどうしても苦手な二人の代わりに 一度とんだメンバーが再度挑戦するという形で あっと言う間に全員クリアしてしまいました。
    その潔さと アルバムを何としてもヒットさせたいという熱意にすごく感動しました。ここまで頑張っているメンバーを応援するためには ひらがなけやきのアルバムを購入するしかないと思い立って近所の平和堂に出かけました。CDショップのアルバム売り場に そのアルバムは並んでいましたが その隣に 私が前々から購入したいと考えていた大原櫻子のアルバムが並んでいて 最後の一枚でした。最初は当然ひらがなのアルバムを買うつもりでしたが 散々迷った挙句に 結局は櫻子ちゃんのアルバムを購入してしまいました。ひらがなけやきのみんな御免なさい。

  • 6月20日 地震によるブロック塀の下敷き事件は 熊本地震でも起こっていたのだそうです。

    熊本地震の時に29歳の男性が社会医療法人の建物のブロック塀の下敷きになり 亡くなられた事故の訴訟による裁判がようやく始まったのだそうです。今回の大阪の地震による事故は 公立の小学校のブロック塀が倒れて その小学校に通う女の子が亡くなってしまった と言うよりショッキングな事故だったために 全国的に知れ渡る事となり アベチャンが心にもない見せ掛けだけのパフォーマンスで 事故の原因追及や今後の防止対策に取り組んでいるような報道がなされています。
    もし熊本地震の時に発生した同様の事故に 対してアベチャンがもっとちゃんとした対策を立てていれば 今回の地震の痛ましい事故は 起こらずに済んでいたのかもしれません。今回の事故がセンセーショナルな話題になってしまった事故だったので わざとらしく対策の陣頭指揮を執っているようなポーズを取っているアベチャンが 前回の地震の時にも 真摯に地震の被害に対する対策に取り組んでいれば よかったのですから 今回の事故の原因の一旦は アベチャンにあると言ってもいいのではないでしょうか。
    今回の事故の場合被害者の女の子が通う小学校が引き起こした事故なのですから 見苦しい責任逃れ等は しないであろうと思いますが、熊本の社会医療法人は 訴えの取り下げを求めるなど 全く反省の欠片さえうかがえない姿勢なのですから 呆れ返ってしまいます。まだ人生の半ばにも到達していない男性が亡くなった責任は 重大ですから 損害賠償の請求額の満額の支払いを命じる判決が出ることを望みます。そして今回の事故の被害者のご両親も 高槻市なり大阪府なりを相手取って さらに大きな賠償請求をされることを期待します。もちろんお金だけで解決する事故の責任ではありませんが ブロック塀の事故が数年前に熊本の地震によって起こっていたことを 世間知らずの私は知りませんでしたが 小学校を運営管理していた自治体には その危険性をあらかじめ察知して きちんとした対策を立て 実行していなかった責任を 我が子を亡くされたご両親にお詫びするために それ相応の金額を支払う形で償うのは 当然のことだと思います。
    アベチャンが最初の頃に連呼していたアベノミクスと言う言葉が 庶民に何の恵みももたらさないことが 知れ渡ってしまった現在 全くその言葉を口にしませんが 今回の事故の事も 世間が忘れてしまうまでのパフォーマンスだとしたら けっきょっくは何の役にも立たない形ばかりの 責任追及と対策ごっごに終わりそうですが マスコミが何時までも取り上げ続けて アベチャンの責任を徹底的につついてやれば 多少は実のある対策が実行されるのかもしれませんから 私がこのブログで文句を言っても 全く何の影響力もありませんが 新聞テレビなどの大マスコミが きちんとした責任追及と言う仕事をしてほしいものです。

  • 6月19日 自宅で犬をシャンプーすることは おすすめしません

    ここの所 トリミングでお預かりしているプードルで もつれの凄くひどい子が続いています。御存知かもしれませんが プードルの類は 毛の質が天然パーマがかかっていて クルクルになるのです。当然定期的にとかしてやらないと 何もしなくてももつれ易い毛質を持って生まれているのです。トリミングでお預かりした犬の作業手順としては 毛がもつれている犬の場合 まずはほぐしても連れをとかす作業をします。もつれたままの状態でシャンプーしても そのもつれた部分がきれいにはならないからです。勿論もつれた部分が濡れてしまうと 更にも連れをとかしにくくなってしまいますから シャンプーをする前にきちんともつれを解消しておかないと トリミングの作業が始められないのです。
    トリミングに関して あまりご存知ない方でも 毛がもつれた状態で 洗っても その部分が十分にきれいに洗えませんし 勿論カラッと乾かす事も出来ません。そのような状態では当然 クシが通りませんから 奇麗に整ったカットできるはずもありません。ですから 毛がもつれた状態で御預かりした犬は まずはもつれをとかす作業が必要になります。なるべく皮膚にダメージを与えないように 要するに痛くないようにとかそうとしますが 結局ある程度は その犬に痛い思いをさせてしまいます。当院は 他のお店よりはかなり料金設定が安いのですが それでも料金を頂いて トリミングを請け負っている以上は 飼い主さんに満足して頂けるような出来上がりに持っていかなければ 継続して依頼を受けられません。
    もつれを防ぐには 定期的にブラシ若しくはクシで 毛をとかすのを励行されることをおすすめします。こまめにブラッシングをすれば 埃や泥などの汚れは 殆どが取り除けます。毛がもつれるのは 濡れて乾くときに プードルの様に縮れている毛質だと 特に絡んでカチカチにもつれてしまうのです。プードルの様に 所謂天然パーマがかかっている子が濡れている状態の場合 上手に毛を絡まないように伸ばしながら 乾かすのは かなり難しいのです。人間や犬をカットする美容師さんは 新人の頃 シャンプー係から仕事を覚えていきます。もし多少ミスしても シャンプーをすることにおいてのミスは 取り返しがつくからです。シャンプーをしたら 次の段階でドライヤーで乾かす作業に取り掛かりますが 犬の美容師さんの場合 最初はプードルは難しいので 新人さんはやらえてもらえません。
    ですから プードルのようなもつれ易い犬種の場合 飼い主さんが自分でシャンプーしても まず十分に汚れを落とせないでしょうし ましてや上手に縺れをほぐしながら 乾かすことは 至難の業だと思われます。可愛いペットを 自分で洗って奇麗にして サッパリとした気分にしてあげたい気持ちは 勿論よく分りますが プードルやビシょンフリーゼ等の毛が縮れやすい犬種は特に 飼い主さんがシャンプーされることは 控えられた方が賢明です。もつれがひどければ ひどいほどそのもつれをほぐすのに 細心の注意を払っても どうしてもその犬が苦痛を味わう事になってしまうからです。
    それ以外の犬種も 頻繁にシャンプーされることはおすすめしません。夏場は人間が毎日お風呂に入るからと言って 毎週もしくはそれ以上の頻度で シャンプーされる飼い主さんがいますが 過度のシャンプーは 皮膚と毛にダメージを与えてしまい 皮膚病を発症してしまう事もよくあります。皮膚病が始まってしまうと どうしてもベットリしたり 臭いが生じてしまい 痒がったりもしますから 尚更頻繁にシャンプーをしてしまい 更に病状を悪化させてしまうケースもすくなくありません。
    犬を乾かすのに使うドライヤーが 人間用の物とは異なることもおすすめしない理由の一つです。人間は 熱さに敏感なので 熱風が当たると反射的にその熱風から逃げ出しますが 犬は熱さに対する感覚が 鈍感なのです。鈍感だからと言って 熱さにより皮膚がダメージを受けないわけではありません。つまり人間は勿論人間用のドライヤーを使用しますが 熱さを感じると自然にその熱風から逃げますから 被害を受けませんが 犬は特にその熱風を浴びても逃げないので 軽い火傷を負ってしまいがちなのです。
    犬用のドライヤーは人間用のものよりもずっと大型のサイズです。大型だからと言って 熱い風が出るのではなくて 割とぬるめの温風を大量に噴出して その風の勢いで 犬の皮膚にダメージを当てないで乾かしていくのです。犬用のドライヤーは サイズが大きいし 価格も十万円以上しますから 飼い主さんに購入することはおすすめしません。やはり「餅は餅屋」と言う言葉があるように 犬のシャンプーは プロのトリマーに任せた方が もちろんお金はかかりますが ちゃんときれいになって 皮膚にダメージもなくて 結果的には可愛らしく仕上がります。犬が汚れてきたな とか 毛が伸びてむさくるしくなったな と感じたら  自宅でなんとかしようとするのではなくて プロのトリマーさんのいる美容院に出されることをお奨めします。

  • 6月18日 地震がありました

    朝の八時少し前でした。私は入院している犬の面倒をみようと準備していた時でした。ぐらっと揺れてほんの数秒でしたが かなりの振動を感じましたが すぐに治まりましたので 必要な点滴と投薬を終わらせてしまいました。診察台にのせていた犬は 地震があったことに気づいていないわけでもないのでしょうが 全然平気そうな様子でした。病院内の様子を調べてみると 薬棚からプラスチック製の薬瓶が一つだけ転がり落ちているだけでした。病院部分の被害は今のところ全くなかったように思います。二階に上がって 生活スペースの様子を窺うと まずは窓ガラスのサッシが十センチほどスライドして窓の左端に隙間が出来ていましたので 窓ガラスのサッシを元に戻しました。食器棚から ガラスの食器が二つ落ちて割れていましたが それ以外は無事でした。丁寧にガラスの破片を拾いましたので もう大丈夫だと思います。安物のガラスのコップでしたから 被害のうちには入らないようなものです。
    阪神大震災の時の方が 揺れ自体が大きかったように思いますし揺れていた時間もずっと長かったように思いますから うち以外でも大した被害は出ていないのだろうと思っていました。所が どうやら震源地は淀川を挟んだお隣の高槻市だったみたいで かなりの実害が出ていたみたいでした。水道やガスがストップしてしまった地域がかなりあったことをニュースで知って驚きました。枚方でも 高槻に近い地域ほど 被害が出ていたみたいでした。本日の夜に来院された飼い主さんは アパートの五階にお住まいなのですが 家の仲がかなりグジャグジャになり 片づけるのに夕方までかかったのだそうです。また他の患者さんの家は うちから車で十分位のわりと近所でしたが 家の壁にひびが入ってしまったのだそうで お隣の家は瓦が崩れ落ちていたのだそうです。
    うちは 生活スペースをたてます時に 家の周りにコンクリートでがっちりとした基礎を築いて 重量鉄骨で囲んでありますので 少々の揺れに対して 殆ど実害がなかったのかもしれませんが 阪神大震災の時よりも 震源地に近かった分 身近な方に被害が及んでいたのを知って 改めて地震が大きかったことを知りました。本日はトリミングの予約が入っていなかったので 奥様は自宅でのんびりとされていたはずですが 取り敢えず連絡を取ろうとして電話をかけてみましたが お昼過ぎまで通じませんでした。メールで互いの無事を確認しましたので 心配はしていませんでしたが 昼過ぎまでまともに電話がつながらないのは 困ったものでしょう。
    高槻の小学生の女の子が学校のブロック塀の下敷きになって 亡くなられたのは 非常に可哀想に思います。地震が二三分早いか遅いかしていたら 被害に遭う事はなかったのかもしれません。集団登校の児童たちが 歩いていた時間帯でなかったことは 不幸中の幸いかもしれませんが 運悪く亡くなられた小学生のご家族の前では こんな表現は絶対に使えません。何か災害があると 避難所として活躍する小学校の塀が倒れて児童が亡くなるなんて 残念でたまりません。
    私たち素人には そのブロック塀が明らかに建築基準に違反しているものだとは 分りませんが 建築士や土木工事関係者が見れば 一目瞭然の違法な建築物であったわけで どうしてこんな悲しい事故が起こるまで 放置されていたのか 不思議でなりません。お役所の事ですから 一応検査をしておけば問題なしと 形ばかりの検査は何の資格も持たないど素人が実施していたみたいですが いかにも形式 体裁さえ整えておけばそれで済んでしまう お役所のグウタラ体質が この女の子を殺したと言ってもいいように思います。ご両親は 高槻市と小学校に莫大な金額の 損害賠償を求められた方がいいように思います。今回の事を 厳重に受け止めて 今後の教訓として 十二分に安全な学校を作ってほしいものです。
    アベチャンが 陣頭に立って この事故の対策をたてようと頑張っていますが 己は己の知り合いの都合ばかりを考えて とんでもない小学校や 大学を作ろうとしていたのですから 殊勝な顔をして今回の事故の対策に 真剣に取り組んでいるようなポーズを取るのは 非常に不愉快なので 止めてほしいです。そして一刻も早く首相と言う役職もやめてほしいものです。
    今思い出しましたが 地震で揺れている最中に 携帯に地震を知らせるメールが送られてきましたが こんなメールが一体何の役に立つのでしょうか。日本の地震対策は とにかく地震を予知することに主眼が置かれています。南海トラフ地震ばかりが さも起こりそうな雰囲気を醸し出していますが 起こるかどうかわからない地震の 被害を予想して大騒ぎすることに一体何の意味があるのでしょうが。そんな起こるかどうかあてにならない地震について考えていても 東日本の震災も 今回の震災も誰一人として警告を発していませんでした。恐らく後付けで 私は予言していた みたいなことを言い出す輩が 必ず現れるのでしょうが そんな大嘘つき野郎の事は全く無視するのが一番だと思います。
    アメリカの地震対策は 日本と根本的にその姿勢が異なります。地震が起こることは 止めようがないし 必然的な事だから 地震が起きて被害が発生した時に そのダメージをいかに最小限にとどめるかに 主眼を置いています。凄く合理的な考え方だと思います。日本の地震対策は 東日本の震災の時 津波を避けるための建物は しっかりと建設されていましたし 水や食料 避難生活に必要と考えられる物資が しっかりと運び込まれていました、所が全て一階に保管されていたので津波にさらわれてしまって 何の役にも立たなかったのだそうです。日本の地震対策も もし本当に地震が起こった時に どのような危険が想定されるのか もっと真剣に考えて 現実に役立つ対策を考えるべきだと思います。
    本日だけでも 枚方が地震の被害を受けたと報道されましたので 友人数名から 大丈夫かというメールを頂戴しました。ご心配をおかけしましたが 私はいつものようにブログを書いて 普通に生活しておりますので どうぞご安心ください。