Dr.喜作のブログ

2019年6月 の記事一覧

  • 6月30日 本日で今年の前半が終わってしまいます

    振り返ってみると 本当に時に過ぎ去るのが 速すぎて 呆然としてしまいます。年が明けました とこのブログに書いたのが ほんの先週の事の様に感じてしまいます。恐らく 私が死を迎える瞬間は まだだいぶ先の事の様に思いたいのですが ほんの一瞬でその時を迎えてしまうのだと想像しております。

    まあ人間の人生なんて 基本的には皆平等だと思っていますし 運がいい事と悪いことは 確かにありますが 人生をずっと均して考えたら ほぼトントンになっているのではないでしょうか。誰だって 若い頃は 楽しいし 健康で元気も有り余っていますが 誰でも平等に そして確実に年をとるのです。我々のような年寄りになると 若さを羨む気持ちがあるのは 否定できませんが 自分たちにだって 確実に若くてぴちぴちしていた時代はありましたし 現在はつらつとした若者たちだって あと数十年したら 自分たちと似たり寄ったりの年寄りになるのです。まあそんな時まで 生きてはいられないでしょうけれど。

    年齢についてぼやいてばかりいるのでは 尚更お若い方に嫌われてしまいますので 今年前半の反省材料を上げてみることにします。有難い事に仕事は 割と順調みたいです。勿論売り上げが いい調子だからいい仕事が出来ているとは言えないのかもしれませんが 今年の貯蓄目標額には 達しておりますので 一安心です。勿論だから今年の仕事がゴールを迎えたわけではありませんので 明日以降もさらに頑張っていく覚悟ではおります。

    私が 昨年 そして今年と一番の目標として掲げていた体重減少が 全然うまく進んでおりません。昨年の初めに100キロあった体重を 年末には何とか90キロまで落としました。今年も同様に10キロぐらいは落とすつもりでおりました。本来なら85キロぐらいまで落ちていなければならないはずなのに 実は現在の体重が 恥ずかしながら90キロなのです。つまりこの半年で全く体重が落ちていないのです。

    減量を始めた時の体重が 本当に恥ずかしいのですが お相撲さん並みの110キロ越えでしたから これでも20キロぐらいは 落ちているのですが まだあと少なくとも20キロは 落としたいと考えていますから ほんの中間点に過ぎないのに 何故かこの半年 全く体重が減少しませんでした。まあ理由は明らかに 自分を甘やかしている私自身にありますが どうしたものかこの半年辛抱と言うものが 全然出来ませんでした。

    私の現在の 最大の目標は 元気で長生きする事です。その為には 何とかあと20キロの体重減少が 必要不可欠だと考えておりますので 今年後半は 何とか心を入れ替えて 年末に80キロになっているのは 無理だと分っていますが 少しでもその値に近づけるように 頑張っていこうと思います。

    現在の所 怪我や 体調不良などは 全くなくて 仕事でも後悔するような大きなミスは なくてすんでいるだけでも 大いに感謝すべきだと思っておりますので たんとか仕事と健康が順調に続いていきますよう 精進していこうと思いますので このブログを読んでくださっている本当に有難い皆様 どうぞよろしくお願い致します。

  • 6月29日 1966年の本日 ビートルズが来日したので 記念日なのだそうです

    ビートルズが活動していた期間は 解釈の違いなどにより諸説あるみたいですが 1962年から1970年の八年間と言うのが一般的なのだそうです。解散した1970年と言えば 私が中一の時 十三歳ですから 今から五十年近くも昔です。お若い方から見れば ベートーベンと同じくらい古典的なグループになってしまっているのでしょうか。

    中学生になると 一応学生服を着て学校に通いますし クラブ活動も始めます。私はテニス部でしたが 一年生ですから ラケットなんてほとんど持たせてもらえなくて もっぱらランニングや 腕力強化のトレーニングばかりさせられていた記憶しかありません。そして夕食後 自分の机に向かって 一~二時間位勉強をしているふりをしておりました。その時のお供が ラジオで 洋楽を聴き始めた時期でした。所がビートルズはその年に解散してしまっていますから 私は その活動をリアルタイムでは 全然知らないのです。

    勿論解散してからもビートルズの曲は人気があったからでしょう 頻繁にラジオから聴こえてきて 私は特にその割と初期の曲が気に入って 既に解散しているグループであることは分ってはいましたが 大好きになりました。うちはちゃんとしたステレオを購入したのが 多分中三の時だったと思いますが 初めて自分の小遣いで買ったレコードが ビートルズの「ヘルプ」でした。

    このアルバムは 同名映画のサントラ盤だったと思いますが ビートルズの名曲の中でもとくに有名な「イエスタデイ」が大好きだったので 購入しました。当時の小遣いが 月に2000円で とうじのLPレコードが 大体一枚2000円でしたから アルバムを一枚買ってしまうと その月に使える小遣いが無くなってしまいますから 非常に大きな買い物でしたが どうしても大好きなビートルズを何時でも聴きたくて かなり我慢の生活を強いられながらも せっせと購入しておりました。

    初期は持っているレコードの枚数が少ないので 同じレコードを繰り返し繰り返し それこの擦り切れるぐらいに聞いていたように思います。但しステレオがおいてある部屋が テレビがおいてある居間でしたから 家族が皆集まる部屋でしたので 皆が寝静まる十一時過ぎから 一人でヘッドホンでかなりも音量で 聴いていたように思います。

    中三の時と言えば 高校入試を控えた受験生なので 勉強も頑張らねばならない時期でしたから 集中してレコードを聴いて ビートルズの音楽を楽しんで 高まった集中力で効率よく受験勉強をこなしていたのだろうと思います。高校時代になると カーペンターズやモンキーズ と言ったアメリカのグループに浮気をした時期もありましたが 最後にはやっぱりビートルズに戻って来ていたように思います。私はインスタントラーメンで サッポロ一番やうまかっちゃんに心奪われる時期もありますが 最期はやっぱりチキンラーメンに戻ってしまったようなものかもしれません。

    そんな訳で ビートルズと言うグループは 私の青春時代に何時も聴いていた歌声と言えるのかもしれませんが そんな私ですら 解散してからファンになったという 昔のバンドです。そしてその私が 現在62歳です。現在のお若いお方にとっては 昔々に活動していたグループとしてしか 認識されないのは 致し方のない事かもしれません。とはいえ 私が生まれるずっとずっと以前に亡くなってしまっているベートーベンやブルックナーのシンフォニーに 今でも感動いたしますから 昔のグループの演奏 = 古くて聞く価値のない音楽 と言う短絡的な考え方は おやめになった方が賢明だと思います。

    ビートルズの活動は 僅か八年間ですが グループとしても 各メンバーとしても 大きく成長していることが その音楽性にもよく表れていると思います。ただ私が好きな曲は 活動の前半に発表されたものが多いです。そして曲調的には 結構ハードなロックもあれば 静かなバラードも素晴らしいので バラエティーに富んでいて ビートルズの魅力に深みを加えているように思います。今夜は 久し振りにビートルズが聴きたくなったので 全アルバムCD集から何枚か聴いてみようと思います。

     

  • 6月27日 吉本の芸人さんたちが 反社会的勢力のパーティーに参加して 処分されたそうです

    吉本興業と言う会社が 芸人のギャラの取り分を 極端に少なくしている と言うのは関西人なら誰でも知っている常識ですから 事実であるのは間違いないのでしょう。人間だれだって 一円でも多く稼ぎたいという欲望があるのは 当たり前のことだと思います。関西のお笑い界を牛耳っているのが吉本興業であるのもまた間違いのない事だと思います。吉本興業に所属しているから 取り分が凄く少ないとはいえ 仕事を確保してもらえるし 活躍してテレビに出演して 知名度や人気が上がれば 少しずつでも取り分が増えていくのかもしれません。

    しかし他のプロダクションに所属している芸人と 受け取っているギャラを比較すると あまりにも自分の取り分の少なさに 驚いてやる気をなくす人も少なくないみたいです。だからと言って 吉本に育ててもらい売り出してもらった恩があるのは紛れもない事実です。昔 太平サブローシローというコンビが 独立を図って 行動に出て とんでもない目にあわされたことは 芸人さんの間では未だ記憶に新しいのかもしれません。サブローシローと言う漫才師は 実力も人気もかなりありましたので 独立しても何とかやっていけるだろうと 吉本に反旗を翻したのですが 吉本側が関西の芸人の活躍できるすべての場所から このコンビを徹底的に締め出しましたから 直ぐにシッポを撒いて吉本に舞い戻りました。

    そんな事があったのだから 幾らかでも芸人の取り分を増やしてやろうなどと考えるような やさしい吉本興業ではなかったみたいで ひょっとしたらこの事件をきっかけに 尚更芸人に対する締め付けが厳しくなってしまったのかもしれません。会社を通さない仕事 これを闇営業と呼ばれるのだそうですが 直接ギャラを受け取る仕事を芸人さんたちが増やしたがるのは 致し方のない事かもしれません。

    反社会的勢力と付き合いがあった カラテカの入江と言う人物が 全て悪いのかと言うと 単純にはそうとも言い切れないのではないでしょうか。入江さんの幅広い人脈は 有名で 合コンやパーティーをセッティングすることも ある意味仕事のうちだったみたいですから 経済的に苦しんでいる若手芸人を救済するために 闇営業を企画することも度々あって たまたまその一つが 反社会的勢力の為の企画であっただけの様に思えます。

    現在 吉本のタレントのトップを走っているのは さんまだと思いますが さんまも入江君には世話になっているから もし声をかけられたら 自分もそのような企画に 参加していたかもしれない と発言しています。さんまは 若手芸人から 経済的に苦しいので もう少しギャラを上げるように 吉本の上層部と交渉してほしいと しょっちゅう相談されて 社長に掛け合ったりもしていますから もう少し芸人の取り分が増えていれば 闇営業に参加しなくても 済んだはずだし残念だ とコメントしています、

    兎に角解決策としては 吉本が他のプロダクション並みとはいかないまでも 芸人のギャラを底上げしてやることしかないように思います。芸人さんにも 家族がいれば それなりの生活費がかかりますから 人並みの生活が出来るぐらいの収入が保証されていれば 闇営業に手を出す可能性はなくなりはしないでしょうがかなり低くなると思いますので そちらの方向に 解決策を探してあげて欲しいと思います。

    関西では クラスで一番人望と人気があるのは 一番賢い奴ではなくて 一番おもろい奴なのです。そして一番おもろい奴の延長線上に芸人があるのでしょうから もっと芸人になることに夢があるようなニュースが増えて欲しいものです。山里が 蒼井さんと言う美人女優さんと結婚したことで 芸人になることを夢見る若い人が増えたのかもしれませんから 関西のお笑い芸人がもっと元気の出る出来事を期待したいです。

     

  • 6月26日 天橋立を初めて訪問しました (後半)

    回転橋の回転する所を見学してから 遊覧船乗り場に行きました。遊覧船で橋立の一番先端の部分から 付け根の部分まで運んでもらえます。私は船に乗ることが大好きなので 喜んで遊覧船に乗り込みました。予想よりも船のスピードが速くて あっと言う間に目的地についてしまいました。まずは元伊勢籠神社にお参りしました。あまり有名ではありませんが 伊勢神宮の御本家の神社なのだそうで 神殿のつくりや屋根の形に 伊勢神宮の雰囲気がありました。それほど大きな神社ではありませんので 訪れて説明されるまで その存在すら知りませんでしたが もう少し上手にPRすれば知名度も上がるのに なんて余計なお世話な事を考えてしまいました。但し十時を回りましたから そろそろ観光バスが到着して 団体さんたちが ぞろぞろ歩き始めましたので そそくさと退散しました。

    次に友人が案内してくれたのは 真名井神社 と言う知る人ぞ知るパワースポットとして有名な神社でした。元伊勢神社の脇の道から奥に入って 坂道を延々と登り続けましたので 汗びっしょりになりました。真名井の水 と言う有難いお水が湧いてましたので のどを潤しました。この神社では これからまだまだパワフルに生きていけるようにお願いしました。帰り道は下り坂でしたので 楽でしたが この神社を訪れる人が殆どいないのには 少し驚きました。本当に知る人ぞ知るポイントなのだと思いました。

    船着き場に戻ると 丁度帰りの船が出発する所でしたので 乗り組み またあっと言う間に出発地点に運んでくれました。今では海辺の遊覧船ではどこでもやっているのかもしれませんが カモメにデッキから えびせんを与えるのが名物みたいで 観光客が結構盛り上がっていました。五木ひろしの「契り」と言う歌が 結構気に入っていて 時々カラオケで歌うのですが その中の歌詞に「人の心は カモメの様に真っ白だろうか」と言うのがありますから このトリは真っ白なのかと思っておりましたが 実際に間近で見ると かなり灰色の部分が大きくて とても真っ白ではありませんので あの歌は一体なんだったのかと考えてしまいます。

    ちょうどお昼ごろになっていましたので お昼ご飯を食べに出かけました。私がリクエストした 今がちょうど旬の名物トリ貝を食べさせてくれるお店に連れて行ってくれました。トリ貝の場合 食べる部分は 普通のすしネタになっている部分 いわゆる二枚貝の隙間からはみ出している足と言われる部分がメインです。他にキモの部分も食しますが ホタテガイの場合は貝柱の部分が主役になりますがトリ貝は 小さすぎて食べないのだそうです。

    お店で 調理する前の生きたトリ貝を見せて頂きましたが 友人も初めて見たと言っていましたから かなり貴重な経験だったのでしょう。普通のブログだと 当然写真を掲載されるのでしょうが 私のブログは ひたすら文字だけが並んでいるのが売りですから 掲載しません。トリ貝は 原則として火を通してからしか食べられないのだそうで すしネタのトリ貝は 短時間茹でてあるのだそうです。本日は 小さな七輪が登場して 足の部分を表裏さっと炙って 味ポンのようなたれで頂きました。食感もよくて美味しかったですが ほんの一口サイズですから あっと言う間に食べ終わってしまいました。貴重なものだからでしょうが 一人一個分しか出てきませんので 正直物足りなかったです。

    その後 凄く立派なサイズの岩ガキが出てきました。こちらは 勿論生のまんまでレモンを絞って頂きましたが 海水の塩味がちょうどよくて とても美味しかったです。但しこれも一人一個しか出てきませんでした。友人にトリ貝も岩ガキも三つ四つ位食べないと 食った気がしないと贅沢な事を言うと スーパーでは 同じくらいのサイズのトリ貝や岩ガキが 一個千円位で販売されているのだそうで 一人で三つ四つ注文していたら 料金が倍ぐらいに跳ね上がってしまうのだそうでした。まあ昼食は 友人を朝から呼び出して半日つきあわせたお礼に 私が御馳走しましたので 高くついても文句は言いませんでしたが いい歳になっているのですから 美味しいものを少しだけ頂いて有難がるのが年齢相応な食欲なのでしょう。

    友人は 昼から実家の農作業を手伝うので お昼ご飯まで付き合ってくれました。それで 昼から奥様と二人で 橋立近辺を観光することにしました。とは言っても 結構朝早くに出発しているし 午前中もかなり歩き回って 体力を消耗しているので 小高い山の上にある遊園地天橋立ビューランドに登って 有名な股くぐりを体験してみることにしました。

    ビューランドに登るのには 下の駐車場に車を停めて リフトかケーブルカーを利用するのですが その辺りに向かう途中で海岸線を横切っている鉄道を渡るために踏切に差し掛かりました。それまで全然列車が通過しているのを見かけていませんでしたので 運が悪かったのかもしれませんが たまたま踏切が下りてきて 遮断されてしまいました。まあすぐに通過してくれるだろうと思って待っていたら 列車が踏切を通過するときに急ブレーキをかけて 停車してしまいました。

    何かトラブルでも発生したのかもしれませんが 踏切で待っている人に いちいち説明なんかしてくれません。十分近く待たされていると 列車が後退しはじめて戻っていってしまいました。列車がいなくなったので踏切が上がってようやく通過できました。その後駐車場に車を停めて リフトでビューランドに登りました。股くぐりのポイントが指定されていましたので 屈んで股から天橋立をみると 丁度タイミングよく一番の青空になりましたので 美しい天橋立を拝むことが出来ました。ただその体勢が デブの私には 結構きつかったので そんなにゆっくりとは楽しめませんでしたが まあしょうがないでしょう。

    山頂の遊園地の様子を見て回りましたが 小さな子供用の機関車や観覧車などが 幾つもありましたから 小さな子供さんなら十分に楽しめそうな遊園地でした。そこそこうろついていたら かなり疲れてきたので リフトで下ってから帰途につきました。帰りも約一時間半ほどで 病院に帰り着きましたから 本当に天橋立は近いなと思いました。帰ってから 友人にメールで踏切で結構待たされたことを報告すると この辺りは結構鹿などの野生動物が列車と接触事故を起こして 止まってしまう事は よくある話なのだそうで ある意味自然が豊かで 羨ましいような話だと思いました。

    私も還暦過ぎていい年になっていますので かなりくたびれましたが 二十年ぶりぐらいに 懐かしい友人とゆっくり話せたし いい景色も沢山楽しめたし トリ貝や岩ガキと言ったご馳走も頂けましたので とっても楽しくて 有意義な一日でした。明日からまた仕事を頑張ろうという気持ちになりました。

     

  • 6月26日 天橋立に 初めて出かけました(前半)

    天橋立と言えば 日本三景の一つにあげられ 松島 宮島とならんで 日本を代表する景勝地であり 勝つ京都府ですから 割と近いのに これまで訪れたことがありませんでした。この地を訪れた理由は 先日行われた 一つ目の大学の合唱団の集まり 枚方お食事会に 参加を表明してくれていた友人が 結局どうしても外せない用事のために ドタキャンになってしまいました。私はどうしても彼と 恐らく二十年ぶりぐらいに再会してゆっくりと話したかったのですが 叶いませんでしたので その後メールで連絡を取り合っていましたら 七月から再就職が決まり忙しくなる と言う事でしたので その前に訪問して ゆっくりと話せる機会を設けてみました。

    彼は 法学部の同回生でした。勤勉な学生で 真面目に授業を受けて 成績もかなり優秀だったみたいで 卒業後京都府庁に就職して 見事に定年まで勤め上げて 今春退職して 実家の農業を手伝っていたのだそうです。公務員をきちんと勤め上げるぐらいですから かなりの堅物で いい意味で融通がきかないし それだけに信頼できる友人でした。大学を卒業したばかりの頃には 奈良に住んでいる親友と 三人が特に仲良しでしたので 結構頻繁に集まっては旧交を温めておりました。

    所が 私が会社を辞めて 二度目の大学に通い始めた頃から お互いに忙しくなってしまい 徐々に疎遠になってしまっていました。年賀状のやり取りだけは続けておりましたが 彼の務める地域が 最初は京都市内だったのが 徐々に彼の希望もあったのかもしれませんが 彼の故郷のある日本海側に移っていってしまい 物理的に遠方になってしまったことで 長い事会えていない状況でした。

    そこで思い切って車で訪ねて行ってみることにしたのです。ルート検索してみたら 意外にも勿論高速道路を利用しての話ですが 一時間半ほどで着いてしまうのです。朝七時に 病院をスタートしようとしました。所がここで 一つ不測の事態が発生してしまいました。ETCカードの期限が切れていたのに 気付かずにいたのです。恐らく期限が切れる前に 新しいカードが届いていたはずですが ありそうな場所を探しましたが 見つかりませんでした。

    約束の時間に遅れたくなかったので 高速道路のゲートは 仕方がないので一般車のレーンを通過することで 対処せざるを得ません。いちいちカードを受け取って 高速道路を管理している会社が変わるたびに 料金を支払うなど 非常に面倒な作業をしなければならなくなりましたが 致し方ございません。もう長い事ETCカードを利用する便利さが 当たり前になっていましたので 凄く面倒でしたが 全て私の不注意から来るミスなので 大人しく従いました。

    出だしでつまづいてしまいましたが まあその後は順調に天橋立を目指して走りました。途中で休憩したりできるエリアが 凄く少なかったので 一つ目のサービスエリアに立ち寄って 今朝早起きして作った サンドイッチの朝食を取りました。旅行の最初の食事は 何時も私の手作り弁当であるのが 恒例行事ですが 何時も量的に作り過ぎてしまい 奥様からお小言を頂くのですが 本日もやっぱり怒られてしまいました。

    私はお弁当を作り出すと それがサンドイッチであろうと お握り弁当であろうと その時にその場にある材料で もう一品作れる もう一品美味しいものが出来る と思いついてしまうと 作らずにはいられないし 作ってしまったものは どうしても弁当箱に詰め込みたくなってしまいますので 同じ過ちを繰り返し続けているのです。私も還暦をかなりすぎておりますから 美味しいものを少しだけ頂いて 満足する方向に成長すべきなのは 分っていますが 出来ません。

    何とか約束の時間に 待ち合わせの場所に到着できて ホッとすると 二十年前と殆ど変化のない体型と笑顔で 友人が出迎えてくれました。側によってよく顔を確認すると やはり年齢相応にしわだらけの顔になっていましたが 髪はまだ殆ど白髪がないし 全然薄くもなっていませんでした。大学時代とウエストサイズが同じなのだそうで 相変わらずスリムなままで 人生一度も太ったり 痩せようと努力したことがないのだそうで 羨ましい限りです。

    午前九時に 待望の再会を果たして 道の駅に私の車を置いて 彼の車で案内してもらいました。まずは天橋立の近くで車を停めて 知恩寺にお参りしました。知恵の神様に 今更ながら 少しでも賢くなります様に と言うよりもこれ以上ボケが進みませんようにと お願いしました。有名な回転橋を渡って いよいよ天橋立に上陸しました。平日のまだ朝早めの時間ですから 殆ど観光客もいません。まだ海開きをしていませんから 当然海水浴の人出も全然ありませんので 人通りも殆どなくて凄く静かでした。

    案内してくれた友人も 平日のこの時間に訪れるのは初めてらしくて こんなに人通りが少なくて静かな天橋立は 経験がないと言っていました。私は生まれて初めての浜の橋立です。今後又訪れるかもしれませんが 天橋立とは 人通りが少なくて 静かでとても落ち着ける 魅力的な観光地として 記憶されるでしょう。橋立は 私が想像していたよりも 横幅がありました。想像では 狭い所だと左右の海岸線が迫ってきている場所があるのかと思っていましたが かなりゆったりとした幅を保ちながら 延々と約四キロ続いているのだそうです。

    最初の予定では テクテクと橋立を渡り切ろうと思っていましたが 結構単調な景色が 延々と続いているだけのようなので 早目に踏破することを諦めて 回転橋に戻ることにしました。どうせなら回転橋が回転している所が見てみたかったからです。この回転橋は 昔は水路を通う貨物船を通過させるために 橋の真ん中の部分が回転して 船を通過させていたのだそうです。今では観光船が通過するために 回転しているのだそうです。現在では 電力によって回転しているみたいですが 昔は人力で ハンドルを回して橋桁を回転させていたのだそうです。

    私のブログは相変わらずダラダラと長ったらしいので まだこの旅のほんの最初の部分までしか 書けておりませんが 一旦この辺りで(前半)を終りにします。

  • 6月23日 1907年の本日 夏目漱石のデビュー作「虞美人草」の新聞連載が始まりました

    夏目漱石の作品としては 小学生の時に「坊ちゃん」「吾輩は猫である」中学生の時に「心」等を読んでいましたが 高校生の頃に漱石のデビュー作を読んでみたいと考えて 本屋さんで取り寄せてもらって購入して この「虞美人草」と言う小説を読んだ記憶があります。もう四十年以上も前の事ですし 正直 男女の縺れた恋愛関係がテーマの作品でしたから 漱石がこの作品で何を主張したかったのかなど 全然理解できませんでした。明るく楽しい場面が殆どなかったので 頑張って最後まで読み通しはしましたが その後この本を手にすることはありませんでした。

    同じ時期に 私は石坂洋二郎さんの小説を沢山読みましたが こちらは若い男女の恋愛をモチーフにしていることでは共通していたのかもしれませんが 明るくて爽やかで とても楽しい描写が多かったので 石坂さんの作品は その後も何度も繰り返し読みなおしましたし テレビドラマや映画で何度も映像化されましたので そちらの作品も繰り返し見ましたので ずっと鮮明にストーリーも登場するキャラクターも覚えています。

    私は 自分がどうせもてない男ですから 男女間のドロドロとした縺れた展開のドラマは好きではありません。好きになったら 一途にその思いを貫いて 相手にその気持ちが通じて受け入れてもらえれば お付き合いするし 通じなければ潔く諦めるような恋愛をしたいと考えておりますので 男女間の駆け引きや 状況を見極めて上手に対応を変化させたりするような類の恋愛は嫌いだし そんな状況を描かれた小説や映像は見たくもありません。

    ただ夏目漱石が デビュー作を 新聞小説 と言う形 つまりどんどん書き下ろしていく形態で発表していることが 凄いとは思います。勿論作品として発表するのですから その物語のきちんとした結末まで 頭の中で出来上がっていたのでしょうが 書き下ろして発表してしまったものは 後から訂正したり手直ししたりできないのです。書いている最中に 新しいもっと面白くなりそうな構想や展開を思いついても キャラクターの性格や設定を 変更したり微調整したりすることが 難しいはずです。この小説の場合 主要な登場人物は 七八人しかいませんし結末は決定しているわけですから 途中から大きな変更などはありえないのでしょうが やはり頭の中にある構想を 実際に文章化していく過程で 微妙な変化が起こるのは 致し方がない事のように思います。

    それまでに何度も色んな形で作品を発表していたのなら 経験値で上手い事 その辺りの変化に対応できるのかもしれませんが デビュー作ですから 書き進めるうちに 最初の構想に変化が生じなかったのか それとも変化が生じてこのストーリーに落ち着いたのかは 分りませんが 不自然さを全然感じられないのは 流石漱石先生だと思います。

    私はこのブログで ある人物をけなそうと思って 書き始めたのですが いろいろな情報を入手しながら書き進めているうちに 分末では褒め称えている なんていうことが しょっちゅうありますから 私がこのブログで偉そうに発表している意見が いかに薄っぺらいものかお分かり頂けると思います。情けないしお恥ずかしいので 本日はこの辺りでお終いに致します。

     

  • 6月22日 本日は 阿部 寛さんの55歳のお誕生日です

    私は 自分の見てくれがひどい事を自覚しておりますので 男前の芸能人にあこがれが強い事はこのブログで何度も書いておりますが その代表格は 木村拓哉さん 福山雅治さん そして阿部さんなどです。阿部さんは 元々がモデルさんで 映画「ハイカラさんが通る」で 伊集院忍 と言う天下の男前の役柄で 役者としてデビューしました。私は その時から あまりのカッコよさに 大好きになったのを 覚えています。あんまり男性の事を大好き 等と書いていると そっちの気があるのかと 勘違いされそうですが 私はナーちゃんが大大大好きです。但しあんまり好き過ぎて 万が一なーちゃんと同じ布団に入ったとしても 指一本触れずに朝を迎えてしまうと思います。

    いきなりかなり注目されている映画で 準主役と言うポジションで 華々しくデビューを果たしましたから 一挙に知名度は上がりましたが 役者としての演技力などの実力が 全く伴っていなかったので その後はしばらく不遇の時代が続いたのだそうです。本来役者を目指していたわけではなくて この映画の主演の南野陽子さんが大好きだったから 出てみたいと思ってオーディションを受けたのだそうですから 当然と言えば当然かもしれません。

    仕事のオファーが全くなかったわけではないけれど あまりに端正な男前だから ありきたりな男前の役柄でしかキャスティングされなかったのだそうです。それと身長が190センチ近くもあるので 女優さんとツーショットの場面で撮影し辛かったのもあって 女優さんから共演を敬遠されていたのかもしれないのだそうです。普通 高身長 と言うのは女性に好まれますが 高すぎるのはやっぱり問題があるみたいです。

    その後NHKの大河ドラマで 重要な役柄を何本も続けて演じたあたりから 時代劇での需要がふえて 徐々に演技力なども身につけて 役者としての実力も向上させていったように思います。私が彼の出演するドラマで 一番気に入っているのは「結婚できない男」と言う作品です。現在契約している アマゾンのプライムビデオで 何度も何度も繰り返し 視聴しております。このドラマで阿部さんは 勿論主役なのですが 肩書は個人の設計事務所を経営する建築士 とカッコいいのですが その生き方は ある意味自分に正直なのだけれども 特に人付き合いが不器用で 当然ながら女性に対してもデリカシーの欠片もない対応ばかりなので 彼女すらできない 当然結婚が出来ない男になってしまう と言うドラマです。

    このドラマが 気に入っているポイントは 凄く男前の阿部さんの仕草が カッコ悪くて ユーモラスで 何とも独り者の男の悲哀が滲み出ていて 親近感を覚えられるところです。私も全く女性にもてなかったので 当然料理を作ってもらえる女の子もいなかったのだけれども 人一倍食いしん坊だったから 何時の間にか料理が趣味になり そこそこ上手になってしまいました。阿部さんが演じるこの役柄の男性も 潔癖症気味で 絶対自分の部屋に他人を入れないし 料理にも相当なこだわりがあって 食べたいものを食べたい様に調理して 自己満足に浸りながら ゆっくりと味わう と言う他人から見れば寂しい事この上ない生活に 自分なりの誇りを持って生きている所が 何とも魅力的でした。

    このドラマで阿部さんは ただの男前の約以外のキャラクターも出来る十分な演技力が備わったことを 証明したのではないでしょうか。まあコミカルな役柄は 「トリック」からすでに演じておられましたが このドラマは いかにもカッコいい阿部さんに コミカルな役柄を無理やりあてはめたような 何処となく違和感がありましたが「結婚できない男」では 普段の阿部さんも こんな風じゃないの と思わせてくれるような自然な演技で 素晴らしいと思います。

    私は 阿部さんに凄く憧れておりましたし 時代劇とかでは 凄く貫禄のある重厚な役柄を演じておられましたから 自分よりも年上じゃないかと 勘違いしておりましたが 実際は七歳も年下なのに 驚いております。と言うよりも 自分がもっと年相応に 落ち着きと貫禄を身につけるべきなのだと 反省しえております。

  • 6月21日 本日は夏至なのだそうです

    夏至 と言っても 我が家では 特に食べていた料理もありませんでしたし 冬至のように柚子をお風呂に入れたりする習慣も 夏至では聞きませんので 特に印象に残っている習慣はありません。まあ暑くてよく汗をかく時期でしたから ひんやりと涼しくなる入浴剤でも 多い目に入れたりしていたのかもしれません。ネットで検索すると 大阪近郊 では、タコを食べる習慣があるのだそうです。タコの足のように、稲の根が地面に広がりつくように、と願ってのことなのだそうですが うちはサラリーマンの家庭でしたから 夏至にタコを食べた記憶も全くございません。

    知識として残っているのは 一年で一番昼間の長い日だという事ぐらいです。子供の頃には 兎に角外で遊びたがるガキでしたから 日が長い分 沢山遊べる嬉しい日だと思っておりました。この時期は 例年だと梅雨入りしていますから 雨降りの日も少なくありませんが 梅雨の晴れ間だと 私はこの季節補虫網を持って 野山を駆けずり回っておりました。まだセミは鳴いていませんから 主に蝶を追いかけていたように思います。

    私は 昆虫採集は大好きでしたが ただ虫かごで餌を与えながら 死ぬまで面倒をみてやるだけでした。今考えれば 昆虫の命なんて本当に短いのですから その姿をしっかりと観察したら 放してやって その短い人生を全うさせてやるべきだと思いますが 子供でしたから そこまで頭が回りませんので 残酷な扱いをしてしまったように思います。中には 几帳面に標本にして その姿を保存している友人もいましたが 標本にするには 生きているうちに処理をしなければなりませんから とてもそんな勇気がありませんでした。正直に言うと そんな面倒な事は やりたくありませんでした。私にとっては 昆虫採集と言うのは あくまで自然界にいる昆虫たちを 補虫網によって 捕まえる と言う作業で完結していたのかもしれません。

    とにかく子供の頃は 暇さえあれば 虫取りに夢中になっているだけで 他には何にも考えていない単純なガキでした。母親からは 一応そんなに遊んでばかりいないで 少しは勉強しなさい と言われていましたが 小学生の頃には 私は宿題以外の勉強をした記憶がありません。まあ成績は殆どの科目が 五段階評価の4で 得意な理科と算数は5を貰うぐらいでした。さすがに中学生になってからは 一応一時間以上 自分の机に向ってはおりましたが ラジオの深夜放送ばかり聞いて過ごしていたようなものでした。

    子供の頃にもう少し勉強に取り組んでいたら 幾らかは賢くなっていたのかもしれませんが 小学生の頃は 兎に角外で遊べるときには 出来る限り近所の友達たちと 遊んでばかりいました。今どきの子供は 塾や習い事に忙しい毎日を送っている なんていう情報がありますが 本当なのでしょうか。私も子供の頃 父が音楽好きだったからだと思いますが 週に一回マリンバとピアノを習いに行っておりました。これらは 結構長続きしましたから 私自身が好きになって 頑張っていたのだと思いますし 練習も毎日時間を決めて 必ず自主的にやっておりました。

    現在では もう長い事マリンバもピアノも 触れた事さえありませんが 小学生の頃に自分なりに頑張ったと言えるのは この二つの楽器の習い事だけの様に思えますから 始めることをすすめてくれた父に感謝しようと思います。ピアノは ほんの一瞬ですが 生活をたてる道具にしようかと考えたことがありましたから もし獣医さんになれていなかったら 現在ピアノの先生のなれの果て と言う人生だったかもしれません。

    今の子供は お勉強だけではなくて 水泳やサッカーなどのスポーツや ピアノなどの楽器まで幅広く習い事をしている子が多いと聞きますが そんなに手を広げてしまったら 絶対に毎日練習が出来ないし 結局は何一つ身に付かないまま終わってしまうのでしょうから もしその子が勉強が好きなら 徹底的に勉強に打ち込ませればいいし スポーツや音楽の分野に興味があるのなら その分野を極めてやろうぐらいの意気込みで取り組ませる方が いいのではないかと思いますが、自分で子供を育てた事のない 欠陥人間の意見なんて 説得力がありませんよね。

  • 6月20日 大学の医学部が 訴訟を起こされています

    東京医大や順天堂大学医学部が 入学試験において女性に不利な判定をしたことを理由に 元受験生の女性たちから 訴訟を起こされたのだそうです。女性だからと言う理由だけで不利な判定を それもその人の一生を左右しかねない凄く大きな分岐点で 不利益を被ったかもしれないのですから 凄く怒っておられる気持ちが分らない事はございません。ただ私は恩恵を被った方の 男性の立場ですから もうすんでしまったことで今更訴訟なんか 起こして何某かの金銭を受け取っても どれだけ気持ちが癒されるものなのか と考えてしまいます。

    私が高校生の頃から 理系の選択科目を受けるクラスに入る女の子 いわゆるリケ女の方々は 凄く優秀だった記憶がありますから 本気で医学部にチャレンジされたら かなりの数の女医さんが誕生するだろうと思っておりました。そんな賢い女性の方々が 集団訴訟を起こすまでにご立腹であり 許せないのは 大学側の不正な入試があったことを認めているのに その謝罪の仕方や 責任の所在を明らかにして きちんと責任を追及すべきところが 十分になされていないからなのかもしれません。

    男女の働く環境は 平等にするべく法改正などがなされていますが 現実的には どれだけ平等な方向に向かっているのでしょうか。昔は 日本に限った事ではないのでしょうが 男性中心の社会でありました。しかし文明が進むにしたがって 女性の地位が向上してきて 例えば選挙権なども 男女平等になりましたし、政治の世界でも 小池さんを始め女性の知事さんが各地にいらっしゃいます。大阪でも太田さんと言う女性の知事さんが 活躍された時代もありました。議員さんでも女性の割合が少しずつ増えているみたいですが 世界の国々の中では 女性の進出がかなり遅れているみたいです。

    私は会社組織で働いた経験が 三年足らずですし それも四十年近くも前の事ですから 現在の民間企業において 女性がどれだけ活躍されているのか 見当もつきません。とはいえ男女雇用機会均等法も 何度が改正されているみたいですから 確実に女性の頑張りが認められて 評価されているのではないのでしょうか。但し男性と女性では 性が異なり人間として果たすべき役割に違いがありますから 女性には 妊娠そして出産や子育てなど 男性にはない仕事上のハンディキャップを背負っているのは 間違いない事のようにも思います。その点で 不利益を被る可能性は 否定できないと思います。

    私は女性が精神的に 男性に劣っているとは全く考えませんが 体力的には どうしたって差があることは認めるべきだと思います。ですから 肉体を酷使するような仕事においての 女性の進出は どうしても遅れているのではないでしょうか。医者と言う職業は 割と頭ばかりを使う楽そうな仕事に見えるかもしれませんが 長時間の外科手術の場合 手術時間が 五時間 十時間を超えるケースもありますから 体力勝負の一面も間違いなくあるように思います。そんな長時間の手術が 頻繁に行われるとは 考えにくいですが そのような大変な手術の場合 どうしても女性の場合は 体力面で心配される可能性は 否定できないように思います。

    だからと言って 医者と言う職業が 男性に向いている なんて短絡的な考え方は 明らかに間違っているとは思いますが 入学試験でどちらかと言うと男子の合格数が多いのに越したことはない 等と考えてしまう方 勿論そんなのは極一部の男性に限られるのでしょうが そのように考えてしまう方が 医学部の上層部に何人かいらっしゃったりすると 男子に有利な判定をする行為が 当たり前に認められてしまっていたので 幾つもの名門と言われてきた大学で こんなとんでもない愚かな行為がまかり通っていたのだと思います。今年の順天堂大学の入学試験では 勿論男女平等の条件で判定されたところ 合格者のうち半数以上を女性が占めたのだそうです。昨年までの合格者の男女比率は 知りませんが明らかに間違った操作によって かなりの数の女性受験者が不合格になっていたことは 間違いなさそうです。

    実は女性進出は 獣医学科でも起こってきていました。私が卒業した岐阜大学農学部獣医学科は 定員が三十名でした。私の一つ上の学年までは女性がほぼ十人くらいで かなり長い年月 約三分の一が女性だったのだそうです。所が 私たちの学年では 女の子が五人しかいませんでした。私たちの学年から 二次試験の科目として 英語が削減されたのだそうで 女子学生は 英語が得意な場合が多いので 女子の数が減ったのだろうと言われておりました。

    所が 私が卒業する六年生になった時の一年生は 半数以上を女子が占めていました。これは女子向けの漫画雑誌「花と夢」に「動物のお医者さん」と言うものが連載された影響ではないか と言われていました。獣医学科 と言う特殊な学科が その漫画によって 特に女子に注目されて 志願者が増えたのだろうと言われていました。ただし 大学の教授たちは そんなに女子が多いと 獣医さんも結構体力勝負の研究室がありますから 頭を抱えて嘆いておられたように記憶しています。現在の男女比率がどの様になっているのか 全くわかりませんが 漫画の影響はもうないでしょうから 元のような比率に戻っているのでしょうか。勿論獣医学科で 女性に不利な判定が行われていた可能性が 皆無とは申しませんが 大丈夫であったろうと信じたいです。

    話を元に戻しますが 訴訟を起こした女性たちは 大学からの誠意を金銭に換算して要求されているみたいですが もしその年の判定を男女平等にしたら 貴女は合格点に達していたから 入学を認めます と今になって言われても困ってしまわれるだけの事でしょうから 悔しい気持ち 憤懣やるかたないお怒りの気持ちは 理解できそうに思いますが 幾ばくかの金銭を受け取ったとしても 本当に気持ちが癒されるとは思いませんので 正直この訴訟を起こしたというニュースを知って あまりいい気持ちにはなりませんでした。

    残念ながら 現在の日本には 男女の不平等や 家柄出自による差別 不平等なんて極当たり前に存在しています。お金持ちは よほど下手をうたない限りは お金持ちであり続けるのです。勿論貧しい家に生まれても 成功して豊かな人生を送られる方が少なからずいらっしゃるのは間違いありませんが そんな方がお金持ちの家に生まれていたら もっとずっと大きな成功を収めて歴史に名を残すようになっておられたかもしれません。

    世の中 運不運に人生を左右される方もいるかもしれませんし 不平等や不公平な運命なんて 掃いて捨てるほどあると思いますから 入試と言う大きな転換期で 本来平等であるべき判定で 不平等の為に不合格にされたとしても もし今年受験していたら 合格出来ていたのかもしれませんから 客観的に見たら 受験した年が悪かったねの一言で片づけられてしまう出来事なのかもしれません。

    世の中から 男女や家柄による 不平等 不公平が無くなってくれることを期待は致しますが 現実には難しいと思います。本当に人間が平等な社会など残念ながら夢物語なのかもしれませんが 現在お若い方の明るい将来の為には 出来るだけそちらの方向に変化していって欲しいと願います。

  • 6月19日 身柄確保に出かけて逃走された事件がとても不思議に思えます

    傷害事件を起こしていて実刑の判決が下った男が 在宅していたこと自体が まず不思議に思えます。それも再三の出頭命令を無視しているのですから その時点ですでに逃亡犯と同様の存在の様に 認識してしまいます。そんないつ行方を眩ませるか分らないような 危険人物の身柄を確保に出かけるのに 派遣された警察官と検察官の人選にも大間違いがありそうです。警察官でも 強行係辺りのの暴れたり 逃走を図ったとしてもすぐに強制的に身柄を確保できる経験と能力のある部署の人間が それも十分な人数で出向くべきだと思います。検察官なんて やってる仕事は 一般人から見れば 恐ろしげにも聞えますが 所詮事務官ですから 相手が暴れた時には 全く戦力にはならないのは 当たり前すぎる事だと思います。

    検察庁のお偉いさんが 出てきて お詫び会見をしていたみたいですから 身柄確保に出かけるメンバーの人選は 検察主導で行われたのかもしれませんが 身柄を確保する所までは 警察の仕事分野のはずですから 当然警察側が その派遣するメンバーの 確実に身柄を確保するための人選をすべきだったのではないでしょうか。まあ常識的に考えたら たかが傷害事件で実刑が確定しただけの出来事なら こんなに全国的な注目を集めるほどの事はない 平凡な出来事だったはずですし 万が一逃走を図っても 犯人が逃げだすわけがない と安易に決めつけて 強制的に身柄を確保する可能性を微塵も心配しなかったために 簡単に逃走されてしまったのではないでしょうか。

    これまで こんな安易な考え方で 問題が起こってこなかったから こんなだらしなくて 情けない状況に陥ったのだと思います。まあ関西人にとっては 対岸の火事みたいなもので 自分がとばっちりを受ける心配がなさそうなので 気楽な事を書いておりますが 犯人が刃物を持って それも傷害事件を起こしたような輩が 近所をうろついている可能性があるとしたら とても外出なんて考えたくはないと思いますから こんな不始末をしでかした 検察と警察の方々の責任は 凄く重いように思えます。

    それから もう一つ凄く不思議に思えるのが 逃走してしまった犯人の行動です。あっさりお縄を頂戴して 素直に刑に服していれば 自分の名前も顔も 世間中に指名手配犯として報道されて 知れ渡ることもなかったはずです。逃走中に かくまってくれる友人には 恵まれていたみたいですから 人間としては勿論問題が沢山抱えていそうですが 普通につき合えば そこそこ好い奴なのかもしれません。

    ただ実名や顔そして現住所や本籍地までもが はっきりと警察に知られていて どんなに巧妙に逃げ回ってみた所で 何時かはそんなに遠くない将来 必ず捕まる なんていう極当たり前の結末が どうして予測できなかったのでしょうか。頼って来られた友人たちも 勿論ニュースなどで その友人が現在逃走中であることは 知っていたはずですから かくまったりすることで自分も罪を犯してしまう事になるのに どうしてそんな輩を庇い立てしたのでしょうか。自分まで泥をかぶることが分っていてさえ 庇わずにはいられない位に この逃走犯はとってもいい人だったのかどうか そんないい人が傷害事件を起こすはずがないでしょうから 凄く不思議に感じてしまいます。

    まあ数日間の逃走劇で 一生分のスリルは 味わえたのかもしれませんが もしうまく逃走できたとしても これからの数十年の人生ずっと 表舞台は歩けないのだし、戸籍も住民票もない暮らしですから 病気になっても怪我をしても まともに病院にはかかれないし 国民としての当然の権利である 例えば選挙権もなければ 生活保護を受けることも出来ないのです。わずかの期間 キチンと刑に服すれば 大手を振って世間を歩けるわけだし その後の人生 多少は肩身の狭い思いもするだろうけれど ごく普通の人生が 待っていたはずです。なのに逃走してしまい 公務執行妨害と言う罪がどれくらいに量刑されるのか 見当がつきませんが この数日の逃走劇は 本人にしてみれば 凄く高くついてしまったと感じるでしょう。名前も顔も 凄く悪い奴として 全国区になってしまいましたから 出所してからも 凄くつらい人生が待っているのは 間違いないでしょう。

    まあ私も 塩野義製薬 と言う一流の会社を思い切って辞めて 獣医さんになりたいと言う 夢にチャレンジして たまたま上手く行ったから 何とか無難に生きてこれておりますが もし入試に失敗でもしていたら ただの人生の落伍者になっていたのかもしれません。勿論 自分なりには それなりの覚悟と勝算があってのチャレンジでしたが 周囲の人からは かなり無謀な挑戦に見えていたようです。人間だれでも一度や二度は 人生をかけた勝負に出ることがあるのかもしれませんが この逃走犯のしでかした チャレンジは あまりに報われるものが全くないし 無謀過ぎたように思います。

    まあ私の人生も もうすぐ引退に差し掛かった 崖っぷちに立っているようなものですから 偉そうに人の人生にケチをつけている余裕などあるはずもありません。もう私の人生も晩年に差し掛かっていますが 少なくとも警察のお世話になるような 失敗だけはしでかさないように 心掛けて生きていこうと考えております。