Dr.喜作のブログ

2020年12月 の記事一覧

  • 12月31日 大晦日で 今年最後の日です

    この一年 新型コロナ感染症と言う 私から見れば 凄くつまらないことこの上ない病気に 日本だけではなくて 世界中が振り回されて 少なくとも私が生きてきた六十数年では 一番大変な年であったように思います。有難いことに 十一月までは 患者さん数、売上金額ともに殆ど例年と変化がありませんでした。まあ元々暇なことこの上ない病院ですから 患者さんの数も減りようがないのかもしれませんけれども。さすがに十二月の声をきいてから 患者さんの数と当然売上金額も少なくなってしまいましたけれど 無事に何とか持続化給付金を受け取れましたので 十分にしのげそうな状況です。本当に有り難いことだと感謝しております。
    今年は 年末に父が亡くなりました事が 私にとっては最大のニュースかもしれませんが まあ生まれた時から 必ず亡くなることは避けて通れない道ですし 93歳までも長生きしてくれましたから 十分に人生を謳歌しての結末だったと思いますから 年齢的にもこちらの心の準備も十分すぎる位に出来ておりましたので 自分でも驚くぐらいに淡々と父の死を受け止められました。初めて 喪主を務めましての通夜と葬式も何とか無事に行えたように思います。勿論年が明けましてから 四十九日法要や納骨など まだまだこなさねばならない行事はありますが 何とかいろんな人を頼りながらになると思いますが それらの事も何とかこなしていけるだろうと考えております。
    それから日本での大きな出来事としては 病気の流行を原因としては前代未聞の出来事のようですが オリンピックが一年延期になってしまいました。取り敢えずは 一年後に開催することを前提に 諸々の準備などが来年の夏に向かって動いているようです。これまで人生をかけて 精進を積み重ねてきた選手たちの気持ちを考えると 安易にオリンピック中止等とは口走れないのかもしれませんが 日本国内だけをみても これまでで感染確認人数が最大の第三波の真っ最中ですし 年末年始にはどうしたって人の動きがあるのでしょうから 更に確認人数が増えてしまう心配が少なからずあるように思います。たとえ年が明けたとしても 事態が好転する可能性は 現実的にはほとんど期待できないように思います。
    時期的にヨーロッパもアメリカもアジアの国々も 大体似たような感染確認人数の変動が見られているみたいですから 年が明けて 暖かくなれば幾らか減少傾向はみられるのでしょうし ワクチンの効果もある程度は期待できるのでしょうから オリンピックの開催が 完全に不可能だとは言いませんが 無観客で実施するのか 練習やコンディションを維持するための施設をどのように密にならない状態で確保するのか とか選手村に選手 役員などが全員集合するのは難しいのかもしれませんから 宿舎の準備など 難問は山積みだと思います。各国がばらばらの宿舎に入るとなると 競技日程や練習スケジュールなどの通達や管理も相当に手間暇がかかりそうです。現実的には 通常のスタイルで開催するにしても 相当に大変な状況になることが予想されるのに 順調に競技日程がこなせるのかどうか考えると 運営スタッフが 頭を抱えている姿が 容易に目に浮かびます。
    暗い話ばかりで 今年のブログを終わらせたくないので 何とか来年に向けて 明るく楽しい話題はないかと探してみましたが 見つかりません。私は毎年乃木坂の壁掛けカレンダーと 一押しメンバーであるカズミンこと高山一実さんの卓上カレンダーを購入していましたが さすがに飽きてきたので 来年分は趣向を変えてみようと考えました。一番好きな女優さんは 土屋太鳳さんで それに続いて 浜辺美波さん 松本穂香ちゃんなどがお気に入りですが その方々のカレンダーを購入しようとして いろいろと調べてみたのですが 上手く購入できませんでした。奥様に泣きついて 何とかして欲しいとお願い致しましたが 奥様がやってみても スムーズに購入への流れが見つかりませんでした。大好きな女優さんのカレンダーでも入手して眺めたら 幾らかでもいい気分になれるのだと思いますが そのことも上手くいかなかったので 猶更盛り上がれない年末です。
    どんなにボヤいても いつの間にか本日が終わってしまえば 望もうと望まなくても年が明けてしまいます。せめて気持ちだけでも少しでも明るく切り替えて 新年のスタートが切れれば嬉しいです。禍福は糾える縄の如しと言う言葉を信じて つまり悪いことがあれば その分いいこともきっとやってくると信じて 目の前の頑張れること 出来る事を一つずつ 感謝しながらこなしていけば きっと道は開けると思いますので 皆さん頑張って参りましょう。
    文末になりましたが この一年間 頑張って喜ばれたことも極たまにはありましたし 大失態を演じたことも少なからずございました。自分なりには 全て良かれと思って精いっぱい努力したのに 上手く伝わらず ご迷惑をおかけしたり 気分を害されてしまう事も 多々あったと思います。何卒 寛大なお気持ちで お許しくださるのも有難いし 厳しい言葉でお叱り頂くのも 正直嬉しい気持ちです。来年も 今年と同様に 自分なりにできる事を目一杯頑張る所存ですので どうぞよろしくお願い致します。よいお年をお迎えください。

  • 12月30日 B-CASカードの不思議

    テレビやレコーダーのチューナーの部分に赤いプラスチック製みたいなカードがさしこんであることは 御存知の方が多いのかもしれません。私も全く知らなかったわけではありませんが そのカードがどのような目的で刺しこんであるのかや どのような役割を果たしているのかは 全く知りませんでした。年末に父の事でいろいろありましたので 妹の家に度々訪れた時に 妹のご主人から 「テレビの有料放送を只で見る方法がありますけれど」と言われました。
    私は以前 有料のケーブルチャンネルを契約していた時期がありました。プロ野球のほぼ全試合が観戦できるし 子供のころに見たような懐かしいドラマが見られるし アメリカの古き良き時代の西部劇なども視聴できるので 喜んでおりましたが あまりにチャンネル数が多いので 予約録画して レコーダーに溜まっていく番組を見ては消しを繰り返しておりましたが そのために結局リアルタイムで放送されているニュース番組などを見逃してしまう事も度々ありましたし 料金を払っているのだから 興味にある番組は見なければ損だ と言うけち臭い考えから どんどん予約録画してしまうので 溜まった番組を見る事がだんだんおっくうになってしまいました。その為にケーブルテレビとの契約を 自分の意志で打ち切りにしました。
    それ以来 有料チャンネルには 番組のラインアップを見ると 魅力を感じはしますが 手を出さずにおりました。所が 妹のご主人が言う事には ビーキャスカードに書き込んであるプログラムを何らかの機械を使って書き変えてやると 料金を支払わなくても その類の番組が見られるようになりますよ と言う話でした。もう少し具体的な説明がなされたのですが 機械音痴の私にはさっぱり理解できませんでした。本来なら それなりの料金を支払って 視聴する番組を無料で見られるようにすることは 合法的なものなのかと尋ねたら にっこり笑って言葉を濁していましたから 当たり前ですが勿論褒められた行為ではなさそうです。
    只 どこかの電気屋さんで 販売されている機械に何らかの手を加えると 有料チャンネルが無料で見られるビーキャスカードに変身させられるのだそうで その方面に知識のある方々は少なからぬ人たちが その恩恵に被られているのだそうです。早い話が 電車料金や 商品の代金を踏み倒しているようなものですから こんなことをブログに書いてしまうこと自体 後で自分が厄介なことになってしまうのかもしれませんが 相当数の方々が行われていることなのだとしたら 赤信号みんなで渡れば怖くない みたいなものかもしれません。
    妹の所で 有料チャンネルが視聴できるように書き変えてあるビーキャスカードを受け取り テレビの裏にさしこんであったカードとさしかえてリモコンでテレビを視聴してみましたが それまでと同様にサッパリ有料チャンネルの視聴が出来ません。その次に妹の所に出かけた時に その旨を伝えると ひょっとして普段テレビの操作をするのに ブルーレイレコーダーを使ってませんか と尋ねられました。確かにその方が 予約録画などが簡単にできるので 普段使用しているリモコン自体がブルーレイレコーダーのものだと気づきました。
    私は全然知りませんでしたが テレビチューナーがある所 ビーキャスカード有りなのだそうで レコーダーの前面にそのカードがさしこんであるはずなので そちらを書き返してあるカードを挿入してみてくださいと言われましたので 帰宅してから 早速レコーダーのビーキャスカードを書き変え済みのカードとさしかえると 見事に有料チャンネルが見られるようになりました。年末年始の私の楽しみは 高校ラグビーなのですが 昔は一回戦から殆ど全試合 毎日放送で見られましたが 最近はBSの有料チャンネルでしか見られなくなってしまい 地上波で放送されるのは決勝戦位のものになってしまいましたので残念に思っておりましたが 本日行われた試合が観戦できましたので とても有り難かったです。
    私は全然知らない世界の事でしたが 有料チャンネルを無料で見られるような裏技が 結構出回っていて 勿論有料チャンネル側もその対抗策をいろいろと講じているのだと 思いますが 今の所少なからぬ人たちが美味しい思いをしているのかもしれません。世の中 何にでも抜け道 裏技があって不思議はないし その恩恵が何時まで受けられるのか さっぱり見当がつきません。まあ恩恵を被れる間は 有難く受け取っておこうと思います。私の全然知らない世界が いろんなジャンルであるのだという事を知りました。この歳になって 一つかしこくなったのかもしれませんが 世の中ではごく当たり前のことかもしれません。やはり人間関係を広げておくと いろいろといい情報が得られるのかもしれませんから 今後も出来るだけ友人や親せきと仲良くしていこうと思います。

  • 12月29日 本日が当院の仕事納めです

    病院を開業してから三十年近くたちますが 三十日が水曜日だったのは 初めてです。いつもだと三十日の夜まで仕事をするのですが 水曜日なので 例年よりも一日早いのですが 本日で仕事納めにしようと思います。
    ここ数日 父の通夜や告別式がありましたので 病院をお休みしておりましたので 明日も仕事をしてもいいのですが うちの患者さんには 水曜日はお休みという事が知れ渡っているみたいなので 開けていてもどうせ患者さんは来ないだろうと判断しましたが 何となく後ろめたい気持ちになってしまいます。
    まあここ数日お休みがちだったので お薬やフードを貰いに来られる方 何とか年内にワクチンなど済ませるべきことを済ませてから 安心して新年を迎えたい方など いろいろと来院してくださいましたので そこそこ賑わってくれて 本日無事に 今年の仕事のフィナーレを迎えられました。昼間は往診が二件入りましたので結構バタバタしましたし 八時間際になって 時間のかかる患者さんがやってこられましたので 結局病院を閉められたのは九時ごろになってしまいました。
    例年 仕事納めの晩は 奥様と一緒に正月用品のお買い物に出かけます。奥様はギリギリまで仕事を頑張っていただきますので 家の事例えば大掃除や御節料理の準備なども殆ど出来ません。だから何年か前に 御節料理の出来合いのお重を注文したことがありました。ただあの出来合いのお重は 見てくれは立派な海老が飾ってあったりしてよさげに見えますが 作り置きしてあって腐りにくいようになのか かなり味が濃い目に作ってあったり 好みに合わない御節料理もたくさん入っているので 嬉しくないと言われてしまいました。ですから それ以来スーパーで奥様の大好物 例えば伊達巻や栗きんとん 黒豆など種類を限定して その分量をタップリと買う方が 結局安上がりだし奥さまの満足感が大きい という事で品数を絞って買い物をするようにしました。
    私は 勿論お酒を一滴も頂かないので お酒のおつまみ系のものは嫌いではありませんが 手を出さず ミカンを箱買いしたり お菓子の類を何種類か買い込んだりしました。それからゼロカロリーコーラを何本も買い込みましたので 凄く重たくなってしまいました。忘れずに 正月のしめ飾りも買いました。安い物から売り切れてしまうようなので 何時も早いうちに買っておこうと思うのですが 今年はいつもよりも一日早いので 何とか手ごろなお値段のお飾りが買えました。
    年が明けたとしても コロナ禍がなくなってくれる保証はないし 現実的にはいい方向に向かってくれる可能性はないように思います。自粛したにしても人の移動は普段よりも増えるのでしょうから 感染確認人数は恐らく増えるのでしょうし 年明けから暗いニュースが流れそうで心配です。六十年以上生きてきましたが 今年が 私が経験した中でも 一番色んな意味で大変な年であったことは 間違いないように思います。禍福は糾える縄の如しということばがございます。過去にも大変な出来事はいろいろとあったのだと思いますが それに匹敵するぐらいの良いこともきっとあるはずです。悪いことがあった分 良いこともきっとあるだろうと気持ちを明るく持って 前向きに頑張って生きてまいりましょう。こんなブログを読んでくださる 有難い方々 自分の正直な気持ちを今後も書き続けてまいりますので どうぞよろしくお願い致します。
    こんなことを書くと 今年の書きおさめみたいですが あと二日間 時間があれば書き込みますので そちらもよろしく。

  • 12月28日 父の告別式が行われました

    本日九時から 父の告別式が行われました。通夜は親戚筋だけでしたが 本日は雨の中駆けつけて下さったご近所さん方が 数人いらっしゃったので 取り敢えず丁重にお迎えしました。父に繰り返し 葬式などのお知らせをすべきご近所さん 友人などのきちんとしたお名前と住所出来たら電話番号まで リストアップしておくように頼んだのですが 結局は何も教えてくれないまま死んでしまいましたので お隣さんと斜向かいの奥さんは さすがに私も顔とお名前が分かりましたが お越しいただいた男性とひょっとしたら初対面なので 名前も顔も分からず戸惑っていましたら お隣さんの奥様が紹介してくださったので 辛うじてご挨拶が出来ました。男性方もお名前を伺うと耳にした記憶はありましたが ご近所のどのあたりにお住まいなのかさえ分かりませんでしたし どのようなつながりがある方なのかも見当がつきませんでした。お一方は 奥様が名前を憶えていて 油絵サークルでご一緒していた方だとようやく分かりました。
    朝のうちで何とか雨が止んでくれましたので ホッとしているうちにお葬式がはじまりました。ここでもまた 焼香するときの手順や 親戚以外のお越しの方が焼香される間の私の立ち位置などが指示されましたので 緊張しましたが 何とか無難に終えられたように思います。現在は何でもできる省略はしてしまうみたいで 告別式が終わるとすぐに 初七日の法要が始まり そちらもまとめて終了しました。葬儀場にすれば 少しでも早く会場から出て行ってもらいたいからなのだと思いますが こちらとしても葬式の後に 父の施設に残した家具などを運び出す作業も本日中に片づけたかったので 速やかにやるべきことが終えられて助かりました。只本来は 火葬が終わってから行うべき法要を先に済ませるのは如何なものか 等と面倒なことを言い出す人もいないので 現在はこんな手順が定着しているのかもしれません。
    葬式終了後 一緒に燃やしてもらう品々や 飾ってあったお花を棺に入れて火葬場では棺が明けられないとの事でしたので 最後の父とのお別れをして 棺が閉じられました。霊柩車に続いて 私たちの車が連なって 火葬場に向かいました。今は火葬技術も上がっているみたいで 思っていたよりも早めに きれいなお骨になってくれました。部屋で昼食をのんびりと食べ終わったころには 遺体が奇麗にお骨になったと知らせが入りましたので 殆ど待ち時間もなく お骨拾いが出来ました。お骨になってしまった父は 年齢の割に硬くて丈夫な骨で 骨壺に収まりがたくて 苦労しました。本当に最後の最後まで 自己主張が強くて 面倒な父でした。
    無事に火葬場での成すべきことも終わりましたので その場で解散となりましたが 私たち父の荷物撤去組は 取り敢えず妹の家で礼服から普段着に着替えてから 施設に向かいました。前日にじゅんびをしておきましたし 男手が四人もありましたので 思っていたよりもスムーズに運び出しが終わり 引き取ってもらえるテレビやタンスは妹の家に向かい それ以外の荷物は私の車と甥っ子の車に積み込みましたので 実家に向かって移動しました。ここで車から荷物を降ろす作業も割と簡単に終わりましたので 本日やるべきことは 無事に終了しました。
    荷物を運び終わった後 甥っ子と父の事や葬式の事 妹と私の関係などについていろいろと話をしました。これまでこの甥っ子とほとんど話らしい話もしたことがなかったのですが 部屋で立ち話でしたので そんなにじっくりと話し込むつもりもなかったのですが 小一時間思ってもみないようないろいろな方面について 腹を割った話が出来たので 貴重な時間が出来て嬉しかったです。私には 子供がいないので 身内が少ないので 甥っ子たちとは出来るだけ仲良くしたいと考えていましたので 本当にいいきっかけになってくれたら有難いです。
    その後 立ち話をしている間に奥様が ゴミ袋十個分ほどの 衣服類をまとめてくださいましたので 無料で廃棄できる施設に持ち込みました。只時期が時期だけに ゴミを持ち込む人がひっきりなしに訪れるので なかなかその順番が回ってこなくて 少しだけイラっとしましたが まあしょうがないでしょう。無事にゴミを廃棄できましたので 晩御飯時でしたし 体力を使っておなかも空いてきましたので 焼肉屋さんに出かけました。お昼は精進料理でしたので 葬式の日にお肉はどうなんだかと思わないでもありませんでしたが ここ数日 相当に気も使ったし 体力も消耗しましたから 明日はまた仕事が待っているので ガッツリとお肉を食べて元気を回復しました。昨夜もまともに眠れなかったので 今夜はお腹がいっぱいになったら バタンキューでぐっすりと眠れるでしょう。今年も残りわずかですが 頑張って仕事に励みますので どうぞよろしくお願い致します。

  • 12月27日 父の通夜が執り行われました

    私は 正式なお通夜に参加できたことが殆どなくて お坊さんがお経をあげてくれて 御焼香して お説教していただくのは 母の葬式の時以来でした。そもそも自分の所の宗派についても 厳密な所を理解できていませんので 父に正式な宗派などを書き記すように何度も頼んでおりましたが 結局実行されておらず 浄土真宗であることは 何となく分かっていましたが 東本願寺派か西本願寺派かと葬儀屋さんに尋ねられて 返答に困ってしまい 一応東だと答えましたが その後で福岡の親せきと電話で話したときに 実は西派だという事が分かりましたので 一旦決まっていたお寺さんを変更してもらうという 不細工な失敗をしてしまいました。
    本日は午前中 どうしても診察しなければ 安心して歳を越せない患者さん それにトリミングでもどうしても断り切れなかった方がいらっしゃったので 午前中だけ病院を開けました。数人の患者さんとトリミングの犬を午前中で何とか片付けて 朝から父に付き添ってくれている妹と 交代するために葬儀場に向かうはずでしたが 夕方までは誰も葬儀場にいなくなるのは困るので近所に住む叔母を連れて葬儀場に向かいました。申し訳ないけれど 叔母に葬儀場の留守番を任せて 私は奥様と父を預けていた施設に向かいました。
    父が持ち込んだり買い込んだ かなりの荷物を出来るだけ早く撤去しないと 荷物がある限りは日割りで家賃が発生するので 昨日相談して私たち夫婦と妹の旦那さん その息子二人で明日葬式終了後にその施設に駆け付けて一度で荷物を運び出そうという事になりましたので その前に私と奥様で出かけて行って 運び出しやすいように段取りをつけて 往診者に積めるだけ積んで実家に運んでおこうとしました。部屋に入ると コンセントを外したり 固定されている家具を開放したりしてから 部屋で使うトイレとかなりでかい椅子を運び出して 実家に持ち帰りました。更には 明日持ち出した家具を素早く車から降ろして 運び込めるように 一部屋スペースを作るために片づけを頑張りました。
    夕方になったので 葬儀場に戻り また葬儀屋さんと打ち合わせをしたりしているうちに 遺体を奇麗にして旅立ちの衣装に着替えさせてくれる人 一時期映画で話題になりました おくりびとが来られましたので 体を奇麗にして 白い着物に着替えさせてくれて ひげをそり眉毛を整えて 更には死に化粧をしてもらいました。この作業を依頼するだけで 十数万円かかりますので どうしようかと悩みましたが 周囲の人に相談した所 お願いしたほうがいいだろうという事で 依頼することにしました。それまでは普段着を着ていましたから 男ならまあいいのじゃないかとも思いましたが やはり父の見栄えがかなり上がりましたので お願いしてよかったのかなと思います。
    頼んだ小さなお葬式と言う会社の 小さな家族葬というコースを頼みました。一応四十万円コースでお願いしましたが まあお寺さんへのお布施や お通夜や初七日の料理代などは含まれていないのだろうから その倍ぐらいはかかることを覚悟しておりましたが 何じゃかんじゃと加算されて 結局百万円以上も支払わされてしまいましたから 標準的な葬式代と同じくらいに払わされてしまいましたので 正直詐欺にあったような気分でした。葬式なんて ほとんど経験したことがない人が手順や内容を決めますから 言われたままに受け入れていくと いつの間にかぼったくられてしまうのは しょうがないのかもしれません。まあ父の戒名に院の字をつけるべきかつけなくてもいいのかでも悩みましたが 母には院の字がついているのに父がついていないでは かっこがつかないので つける事にしましたから お寺さんへのお布施が プラス十四万円になってしまったりしましたから致し方がないのかもしれません。一応父が 百万円の葬式保険に入ってくれていたので ほぼその保険金で賄えそうなので助かりました。
    夕刻になってお寺さんが来場されましたので ご挨拶に伺い お話しさせていただいた所 とても信頼できる 尊敬できる方でしたので 嬉しかったです。母の葬式の時に来てもらいその後父がお付き合いを続けていた寺のお坊さんは はっきり言って 私は全く尊敬できなくて 大嫌いでしたので別のお寺を紹介してもらうようにしたのですが 良いお坊さんと巡り合えて安心しました。その方に父の人となりなどをよく話しましたのでその内容から戒名を考えて頂くのだそうで なるべくありがたい戒名を頂けたら 猶更うれしいです。
    お通夜が始まる少し前に通夜の流れと私がなすべき行動について簡単に説明がありました。喪主である私が 先頭を切って行動しなければなりませんから しっかりと覚えておかねばならず 少なからず緊張しましたがまあ何とか無事に終わらせることができました。その後テーブルを囲んでお通夜の食事会になりましたが 私はお越しいただいた方々に ごあいさつに回っているうちにお開きになりました。予想していたよりも人数が多かったので 食事が足りないかと心配しましたが 皆さん口をつけた程度だったみたいで 何とか足りたようなので ホッとしました。
    皆さんお引き取り願ってから 私と妹と二人残って 交代で夜伽をしました。一応遺体の側で過ごすものなのだそうで 私は 相当に疲れがたまっておりましたので 居眠りをしないように 俳句をひねっておりました。三時間ずつ二回夜伽をしましたので どちらも五句程完成しました。葬儀場のパンフレットの 申込書の白い部分に書き留めておきました。なかなかいい句が出来たように思いますが 書き留めた紙は ゴミとして捨てられたみたいなので 思い出して自分の俳句ノートに残しておこうと思います。何とか居眠りをしないで 夜伽ができて お葬式の日の朝を迎えられました。

  • 12月26日 父が息を引き取りました

    昨日 父を預けている施設から 本日から完全に意識が無くなりましたので お越しになられるのなら お顔を見ておかれたほうが と言う電話が入りましたので 夕方 出かけてまいりました。三日前に訪問した時も 一応意識はあったにも拘らず会話は難しかったので 意識が無くなってしまってから話しかけても 当たり前ですが一切応答はありませんでした。只頑張って生きている父の姿を目に焼き付けておこうと思っての訪問でしたから 父の顔を目に焼き付けて帰ってまいりました。
    夜中の一時半ごろに息を引き取ったとの連絡が入り 少ししたら医師が死亡診断書を書きますとの連絡が入りました。私は すぐにネットで調べて見当をつけていた葬儀屋さんに連絡を取り 段取りをつけてから 妹や親戚筋に連絡を入れて 病院に駆け付けました。妹夫婦の方が 近所に住んでいるので 先に駆け付けていましたが 一緒に父の部屋に入れてもらって 父の死に顔と対面しました。十数年前に母親を亡くしておりますが 母の死に顔を見た時には 身内の人間が数人その場にいましたが 思わず涙が溢れてきてしまいました。ただ父の場合 ずっと以前から覚悟はできていましたし 数時間前に生きている父を見るのは最後であろうという面会を済ませておりましたので 割と冷静にその死を受け止められました。
    おっつけ葬儀屋さんが 父の遺体を引き取りに来ましたが 夜中に預けるとその晩は父だけを葬儀場に寝かせておくことになります。妹が父を一人にしてはおけないと言い出しました。施設では昼過ぎまで遺体を置いておくことは構わないという事でしたので 結局夜中から本日の朝までは 私が父に付き添い 妹が引き継いで昼まで父の側にいてやり 昼過ぎに私が駆けつけてから 霊柩車にのせて 葬儀場まで移動しました。葬儀場でそこのスタッフとすぐに打ち合わせをしました。母が死んだときは 父がすべてを取り仕切ってくれましたので 自分が喪主として 通夜と葬式の諸々の事を取り決めたり お寺さんの選択決定など なかなかスムーズにはいかない中 何とか少しずつ段取りが整っていきました。親戚筋やご近所さん 友人関係などの何方にまで連絡を差し上げたらいいのか 等デリケートな問題は 父が生きている間にノートを渡して記入しておくように何度も何度も言い渡しました。妹もいざとなった時のためにやはり同様なことを父に申し付けてあったのだそうですが 結局どちらが渡したノートも全く白紙のままでした。
    生きている間 散々偉そうなことを口走っておりましたが 結局重要な物 例えば実印とか銀行通帳 保険の証書 有価証券のありかなども 全く管理できていませんでしたし 私が尋ねても曖昧な返事しかしないので
    親戚筋の関係 家系図を簡単にでもいいから書いてほしいと何度も依頼しましたが 一切その類を書き残した紙きれも一切見つかりません。ご近所さんや友人関係など 私が全く分からないので 連絡を取るべき人の名前と住所と電話番号などの情報を まとめて置いてほしいと それこそ何十回も頼みましたが 分かった 次に来た時に渡してやる の一点張りであり その約束が一度も実行されたことがありませんでした。
    本当に父は生きている間も 周囲に対して不遜な言葉を吐いて 不愉快な思いを散々させてきましたが 死ぬ間際 そして死んでからも迷惑をかけ通してくれました。今夜奥様と 父の弟の奥様と 私の三人で 父の思い出話をしていましたが 結局は悪口大会になってしまいました。私がふとその事に気付いて 一応こういう場合の思い出話は 故人のいい所 良かった所を言い合うものじゃないのかな と言いましたが 奥様がお父さんの事だからしょうがないわよ と言いますと叔母は叔母で頷いて大きな声で笑っていましたから それからも悪口大会が結構続いてしまいました。まあ思い出話をしてもらえることを父には喜んでもらうしかないのかもしれません。
    日程としては お通夜が明日の晩 葬式が明後日の朝から と決まりました。何とか大まかな日程が決まり 連絡すべきところには 一応連絡がついたみたいなので 私と妹が葬儀場の控室に泊まり込むことにして 集まっていただいた親戚筋には 御帰宅願いました。私は妹と仲が良くなくて 年賀状のやり取りだけの付き合いみたいな時期も 相当に長く続いたりしておりましたので 凄く久しぶりに 妹とゆっくり話をしました。まあ仲が良くなくても 父が無くなりました以上 血のつながりのあるのは お互いだけになったようなものなので 今後はこれまでよりは親密に連絡を取り合うことにしました。まあ私が大分へ移住すると 距離的に遠くなってしまいますから 簡単に行き来は難しくなるのかもしれませんが しょうがないでしょう。控室に置いてある布団は 煎餅布団で寝心地がよくありませんでしたが 疲れていたので 床に就くとすぐに眠ってしまいました。

  • 12月25日 1783年の本日 俳人 与謝野蕪村さんがお亡くなりになられたのだそうです

    蕪村さんの命日に関しては 年を開けての一月だという説もあるみたいですが まあ相当に昔の出来事ですから あんまり難しく考えなくてもいいのかもしれません。私は 趣味として 俳句を始めましたが 現在はご指導いただける先輩や師匠が存在しませんので あくまで自称趣味は俳句という事にしておきます。与謝蕪村さんと言えば 松尾芭蕉、小林一茶と並び称される 江戸時代の俳諧の重鎮なのだそうです。
    「春の海 ひねもすのたりのたりかな」と言う一番有名な俳句は 俳句に興味のない方でもご存じだと思います。ひねもすと言うのは 終日 つまり一日中 穏やかにのたりのたりしている 風景を詠んだものなのだそうです。季語は勿論「春の海」で冬の海が荒れ狂うイメージですが 暖かく穏やかな気候の春の海の のんびりとした雰囲気を表現されていて 素晴らしいのだそうです。似たような句なら 私でも詠めそうに思いますが なかなかこれだけシンプルな言葉を選べないのだと思います。
    正直 私は俳句に関してはまだまだよちよち歩きの段階なので 何方かにご指導を仰がねばならないのは間違いありませんが このコロナ禍の時代に 面と向かってご指導いただける先生を探しても 簡単にみるかるはずもないだろうと 秘かに自作の俳句を書き溜めておる所です。テレビのプレバトで 見栄えのしない俳句を夏井先生が簡単に添削するだけで 私にもよくわかるほどに素晴らしい俳句に変身してしまいます。本当に俳句は 僅か十七文字の文学ですが 奥が深い そしてとても難しい だからこそ興味深いとても短い文学の一ジャンルだと思います。
    かつては言う同好会に参加させてもらった時 自作の俳句を五つ提出して 参加者に見てもらって 評価していただくのですが 自分としては自信作 渾身の力作だと思う句が なかなか評価されなくて 自分としては自信がないけれど 数合わせみたいなつもりで提出した句の方が 何方かの心に響いていい評価を頂けることが しばしばありました。俳句を誰のために読むかと言えば あくまでも趣味ですから 人を感動させるためではもちろんありませんし 人にいい評価を貰うためでも 全くありません。結局は 自分が満足するために読んでいるのだと思います。
    ですから 以前先輩に 自分なりによくできたりあまり自信がなかったりするかもしれないけれど 下手な鉄砲数うちゃ当たるみたいな気持ちで 出来るだけたくさん詠んでみたほうがいいよ とアドバイスを受けましたので 今はその時その場で 思いついた十七文字をとにかく書き留めておこうと思います。いずれご指導いただけるような方が見つかったら 見ていただいて評価 ご指導を賜りたいと考えております。
    私が不思議に思うのは 与謝野蕪村さんの経歴を読んでみると いつどこで生まれてどんな育ち方をして どのような先生に師事して教えを受けて どんな形で創作活動をしたのか 等は割と細かく記されていますが 生活をするためには 収入を得なければならないのですが 具体的なお金儲けの形が表現されていません。ある程度名前が売れて来れば スポンサーがついたのかもしれませんが 売れて名前が知られるまでは 近所の人を集めて俳句教室でも開いていたのでしょうか。こんなことは俳句をよくご存じの方なら常識なのかもしれませんが とにかく俳句などと言う文学と疎い生活をしておりました私には 想像がつきません。やっぱり個人的な趣味として 俳句を続けるにしても なるべく早く いろんな面で俳句について ご指導いただける方を見つけねばならないように思います。枚方では もう時期的に難しいのかもしれませんが 大分県へ移住してから あちらのご近所さんから 上手くご指導いただける方が見つかれば嬉しいです。

  • 12月24日 今年はクリスマスイブも自粛モードで 静かな雰囲気になりそうです

    私自身は 還暦をだいぶ通り越しておりますし そもそもキリスト教徒でもありませんから クリスマスにもあんまり興味がございませんし 今更誰からもプレゼントをもらえるわけもありませんから 例年通りの何もない生活を過ごしました。まあ病院を閉めてから 近所のスーパーに買い物に出かけた時に 美味しそうな鳥のもも肉のローストが 半額に値引きされていましたので 購入して 久しぶりに齧り付きました。美味しかったです。昔 病院で引き取って面倒をみていた犬と猫がいた時代には 食べ終わった骨を与えると 少しずつ齧りだして 翌朝には骨の欠片が散らばっているけれど本体は 奇麗に食べてしまっていました。犬が骨好きなのは有名ですが 猫も喜んで骨に齧りつきます。以前にフグ鍋をした時だったと思いますが フグの骨を丼鉢にまとめて入れておきましたら 犬が駆け寄ってきて フグの骨を美味しそうに食べ始めました。魚の骨もやっぱり犬にとってはご馳走みたいで嬉しそうに噛み砕いておりました。
    最近は クリスマスイブを家庭内で静かに過ごす風潮にあるのかもしれませんが 良い傾向だと思います。私はキリスト教徒でもないのに クリスマスイブにお祭り騒ぎをしたり 本当の意味合いを全く理解していないのに十月三十一日になると ハロウィンの仮装行列に参加してバカ騒ぎをする若者を 凄く不愉快に思います。日本人なら もっと日本の伝統的な行事を大切にすべきだと思います。日本人では仏教徒が一番割合的に多いはずですから4月8日の「花まつり(灌仏会)」に もっと盛り上がるべきだと思いますが 日本人で お釈迦様のお誕生日である「花まつり」が何時なのかも殆ど知らない人ばかりだと思います。日本人は 西洋かぶれをしてしまって 何でもカタカナの行事を有難がる傾向が強いように思いますが もっと日本の伝統行事や儀式について 年配の人が若い人たちに知識を授けて 行事への参加を促すべきだと思いますが まあ若いものに嫌われないために積極的にそんな方面のことを頑張る年寄りも いないのでしょうから しょうがないのかもしれません。
    例年だとケーキだけは 奥様のために買い求めておりましたが 昨日が休診日でしたので クリスマスイブイブではありましたが 晩御飯をルイジアナママで頂きました。その時にデザート食べ放題なので たっぷりとケーキを頂きましたので それで許していただけたと思っております。ルイジアナママは そこそこリーズナブルな料金設定だと思いますし 私には十分に美味しく思える料理が出てきます。だから人気のあるお店のはずですが クリスマスイブイブの夜にも拘らず かなりお店が空いていましたので やはり皆さん 外出を自粛されているのかもしれないと思いました。正直な気持ち 私は新型コロナ感染症なんて本当につまらない ありきたりの病気だと認識していますから 必要以上に恐れる気持ちも警戒心も全く持ち合わせておりませんので 自粛をしようと言うつもりが全くありません。お若い方 特に恋人同士にとっては クリスマス前後は とても大切なイベントがあるはずでしょうから 恋愛も頃合い タイミングが大切でしょうし 上手くいくためには こんなしょうもない病気に負けないで頑張って活動して欲しいと思います。
    私は 不謹慎だとお叱りの言葉を方々で頂いているのかもしれませんが マスクを装着しないと出入りさせてもらえない施設以外で マスクを装着したこともないし 近頃あまり繰り返し言われなくなりましたが 手洗い嗽なども全然実行しておりません。口うるさく言われなくなったのは 外出時のマスク装着と同様に 日本人の新しい生活様式として 習慣づけられてしまったので 改めて言われなくなったのかもしれません。私から見れば マスクは自分が咳やクシャミをする場合には 必須アイテムだと思いますが 普通に向かい合って喋っても よほど大声で怒鳴りあうのでなければ 感染したりさせられたりする心配はないと確信しておりますので マスクなど一切装着しないで生活しております。なのに 感染の兆候である発熱すら ここ一年以上全くありません。
    あと数年たったら 間違いなく新型コロナ感染症は 普通の風邪やインフルエンザと同様の病気として認識され 扱われるようになりますから 闇雲にマスクをしたり 一日に何度も何度も消毒液を手のひらに吹き付けたりする行為が なくなっているはずです。一日も早く この病気が誤って第二類感染症に分類されているのが 適切な第五類伝染病に分類し直されれば 自粛生活や医療崩壊のピンチとも 一瞬でサヨナラできますから そうなることを心より祈っております。

  • 12月22日 父の容体が急変しました

    このブログには 何度も書いておりまうが 今年の春に 父が自宅内で倒れて動けなくなり 緊急入院して その後そのまま 有料老人ホームのような施設に入所しました。その後その施設の自室内で 転倒して骨折して 車いす生活になったりしましたが 何しろコロナ禍の時期でしたので 殆ど面会らしい面会も出来ないままにおりました。先月一月間で 体重が十キロ以上減少したとの報告を受けましたので 最期も近いと覚悟しておりましたが 施設の方と話をすると ペースメーカーの点検の時期を何時頃にするかという話をしても 年が明けてからになるか 機械の調子によっては 数か月先になるかもしれない 等と ほんの数日前に話しておりましたので 施設の方は 毎日父の様子を見ているわけだし 預かっている老人たちの最期にも何度も立ち会っておられるはずで その方たちが数か月先の話をするぐらいだから そこそこ余裕のある状態だと思っておりました。
    所が 本日病院を閉めて ホッと一息ついたかつかないかのうちに その施設から連絡が入り 今日か明日にでも最期を迎える可能性が強いとの 連絡が入りましたので 青天の霹靂のような話に 非常に驚くとともに 正直まだ幾らか先に貰うはずの連絡が突然やってきましたので 慌てました。急いで妹や近所の親せきにそのことを伝えてから その施設に駆け付けました。四月に父を入所させましたが その頃にはコロナの警戒レベルがそこそこに上がっておりましたので 送り届けた時も 父がこれから生活する部屋まではついて行けず 玄関で別れました。
    今の時期だからしょうがないのかもしれませんが マスクの着用は当然だと思いますが 一人一人検温されて 透明なプラスチック製のフェイスシールドのようなものを頭からかぶらされましたので 面倒に思いましたけれど 父のほかにもたくさんのご老人がいらっしゃるのですから しょうがないのかもしれません。初めて父が生活する部屋に入ってみると 思っていたよりもゆったりとしたスペースに置かれたベッドに苦しそうに父が横たわっていました。私と奥様 それに妹夫婦が同時に部屋に入りましたが マスクの上にフェイスシールドを 装着しておりましたから ましてや突然にそれも初めて 子供たちの夫婦が顔を見せましたので 誰なのか認識できないみたいでした。仕方がないので シールドとマスクを外しましたら ようやく息子と娘が駆けつけた事に気付いてくれました。
    何とか意識はあるようなので 現在の様子を尋ねるために何度も話しかけましたが 残念ながら会話が成立する所までは 参りませんでした。あまり長いことはなしかけても 父がしんどそうになるだけでしたので 会話をすることを諦めて 部屋の様子を観察しました。読みたいので実家から運んでくれとリクエストを受けて 実家から文庫本の小説を沢山届けましたので それらの本がタンスの引き出しにズラッと並んでいるのが見えました。油絵が描きたいので 絵を描くためのイーゼルや絵の具パレット 筆から絵の具を溶かすための器など どっさりと運び込みましたが あまり絵を描いている様子はみられませんでした。
    部屋は南向きで 大きな窓があり 裏は畑なので 遮るものがなくて 見晴らしと日当たりが良すぎるのかもしれないような感じでした。廊下を挟んで向かいの部屋だと 当然北向きで日当たりもよくないし 駐車場に面していますから 施設に出入りする人の視線が気になりそうで カーテンを開けっぱなしにもしにくそうですから 南向きの部屋には入れて ラッキーだったと思いました。但し日当たりが良すぎて 夏は勿論施設の部屋の中ですから 十分に冷暖房は効くのでしょうが 暑かったのではないかと思います。
    あまり長居をしても 父が体力を消耗することが心配でしたので 部屋から出ました。玄関の所に戻ると 近所に住む孫 つまり妹の息子たち家族が駆けつけてくれましたので 交代で部屋に行き面会をしました。すると小さなひ孫の顔を見た途端に 元気になりまだ幼いひ孫と会話をしたのだそうです。やはり幼子の存在感は 凄いものだと思いました。実の息子と娘が 幾ら話しかけても 大して興味がわかなかったからかもしれませんが 言葉のキャッチボールが成立しなかったのに 可愛らしいひ孫の顔を見た途端に 態度が急変したのだそうで まあしょうがないようにも思いますが 幾らかの腹立ちを感じました。
    現在の父の状態から判断すると 来年まで生きていることは難しそうに思います。誰しも 生まれた時から いずれは死ぬ運命を背負っているのですし 現在93歳のちちが 最期を迎えても致し方のないことだと思います。願わくば 大晦日や三が日に そういうことになると 息子や娘にとっては仕方がないことだで済みますが 周囲の人間にとっては正直迷惑な話になりますから そうはならないでくれる事を望むしかありません。父はこれまでさんざん言いたい放題 やりたい放題の生き方をしてきましたから 周囲には相当にストレスを感じさせてきましたが 逆に本人はストレスを発散してきたからこそ これだけ長生きできたようにも思いますので 最後の最後ぐらいは 死ぬ時期を配慮してもらいたい と言うのが 罰当たりの言葉を吐いていることは自覚しておりますが 本音です。
    私は 糖尿病と不整脈と言う 厄介な病気を患っておりますので そんなに長生きできない事を覚悟しておりますが やはり五日最期を迎えるときには それまでさんざん周囲に迷惑をかけっぱなしの生き方しかできていないはずですから 最後ぐらいは 周囲を気遣って亡くなりたいと 心底願っております。とにかく まだそこそこ先の話だろうと思っておりました 父の最期が急に身近に感じられましたので 正直戸惑っております。死後に待っている通夜や葬式の段取りなども 全く初めてなので 不安がありますが あまり先走って準備をするのも 縁起が悪いことかもしれないと あえて避けておりましたが そういうわけにもいかない時期を迎えてしまったようですので そろそろ心の準備と実質的な下調べを始めようと思っております。 

  • 12月21日 今年は 忘年会もクリスマスパーティーも 出来なくて静かな年末みたいです

    そもそも私自身が お酒が一滴も飲めないので 忘年会に誘われても 嬉しくないし 正直な所 誘ってもらえるお友達も殆どおりません。ですから 個人的には 例年とあまり変化のない年末ですが まあ奥様といつもよりも豪華なランチに何度か出かけて これまた奥様とディナーに二度ぐらい出かけるようにしておりますので 今年も同様のお出かけは企画しようと考えております。十二月になってから 患者さんの数が明らかに減少しておりますので 正直に売り上げも低下しております。まあ今年それまで殆ど例年と変化がありませんでしたから 世の中の風潮を考えると 文句も言えないように思います。新型コロナの患者さんの確認人数も 重症患者さんの数も 明らかに増え続けているみたいですし 医療機関の崩壊も 即ち受け入れ困難の状態になるのも 時間の問題のようです。
    更には イギリスを中心としたヨーロッパで 変異したウィルスが より厄介な病原体に進化して猛威を振るい始めているみたいて その変異したウィルスが 日本にも侵入しそうな気配があります。国としては 今年の初め 感染源である中国人が来日しまくったために 明らかに感染スピードが加速した大失態を演じていますので 今回の変異種の侵入は 何とか水際で食い止めようとするのでしょうが 会食を控えるように国民に求めた張本人がそこそこの人数での会食を繰り返していたし 今後も続ける予定なのだそうですから有効な対策など期待する方が馬鹿なのかもしれません。
    私にとっては 出かけるお店が 静かだし 空いているので 有難い位ですが 年末年始に 今年の売り上げの減少を少しでも取り戻したいと張り切っておられた 飲食店の経営者にとっては 辛いなどと言う簡単な言葉では表現できないぐらいに 苦しんでおられるだろうと 想像できます。日本と言う国では 法的に営業を禁止することは出来ないので 雀の涙程度の援助金を支払われて 営業自粛を求められ続ける 泣きたくても既に涙が枯れてた状態にまで追い込まれている方が多いのではないでしょうか。動物もそうですが ギリギリのところで何とか踏ん張っていられたら 周囲の状況が好転したら 生き返れる可能性がありますが 心停止してしまって死んでしまったら その後どんなに手を尽くしても絶対に生き返れはしないのです。飲食店なども一旦 廃業してしまえば その後状況がどんなに好転してもお店の営業を再開するのは 現実的には難しいと思います。
    十一月の末に感染確認人数が急増した時に 政治家は口をそろえて 短期集中 十二月前半を徹底的に辛抱すれば 年末年始には 状況が好転しそうな期待感だけ匂わせた 発言を繰り返していましたが 十二月半ばになっても サッパリ状況が好転しなかったら 案の定クリスマスそして年末年始まで 外出やお店の営業を自粛してくれと それこそ馬鹿の一つ覚えみたいに ケロッとした顔で 仰るのです。こんな日本国民を馬鹿にした 嘘八百並べるような政治家に任せておいてもいいのでしょうか。
    かといって 具体的に有効な対策はあるのか と問われたら 困ってしまいますが 私はこの状況を劇的に改善するには 現在二類感染症に分類されているこの病気を一刻も早くこの病気の伝染力や症状に相応な第五類感染症 即ちインフルエンザと同格の病気として扱えるようにすることが唯一の特効薬だと思います。分類を適切に変更できれば 現在相当に逼迫している医療現場の負担は 劇的に改善されることは間違いありません。何日か前の朝日新聞で ようやく厚労省がその方向に動こうとしている という記事を読みましたので 分類変更さえできれば 風邪やインフルエンザのために 営業自粛なんて 誰も求めないように 経済の逼迫も一瞬にして解決します。
    現在の所 私が気に入って通っているお店は ガラガラながら頑張って営業を続けておられますが 今のままでは閉店に追い込まれても不思議ではないのかもしれません。本当にこんなつまらないどうでもいい病気のために 人間社会が大迷惑を被り続けるのは もう見ていられません。何度も何度も このブログでは繰り返し書いていますが 日本では毎年 普通の風邪をこじらせた肺炎で数万人 今年は例外的に少ないみたいですがインフルエンザで インフルエンザで数千人が亡くなられているのです。新型コロナ感染症なんて 何にも特別に恐れる必要はない病気だという事に 皆さんが早く気付いていただけたらと 心底願っております。