Dr.喜作のブログ

2015年7月 の記事一覧

  • 7月31日 本日はサンテグジュペリが44歳で亡くなりました

    サンテグジュペリと言えば 「星の王子さま」の作者としてあまりにも有名です。若くして(若干26歳の時に)この作品を世に送り出しましたが 作家と言うよりも むしろ飛行機乗りが本業のような生活をしていました。フランスの貴族の名家に生まれて伯爵だったそうですから かなりお偉い方だったのかもしれません。

    フランス空軍では 内地の空港の飛行教官だったそうですが 前線へ転属願を出してまで異動したそうです。しかし戦闘機や爆撃機には乗らず もっぱら偵察機にばかり乗っていたのだそうで そのあたりの気持ちが少々不可思議に思います。第二次大戦で フランスはドイツに占領されてしまいましたから アメリカに亡命して それからももっぱら飛行機乗りの生活をしていたのだそうです。

    1944年の本日 フランス内陸部の偵察に飛び立ち そのまま消息を絶ったのだそうです。最後の最後まで飛行機乗りとしての人生を全うされたわけですから 自分のやりたいことを存分にやっていての事ですから 44歳と随分お若くはありましたが それなりに幸せな人生だったのかもしれません。

    サンテグジュペリは作家として 「星の王子さま」の中にも いくつもの名言がちりばめてありましが、その他にもたくさんの名言、格言を残しています。気に入ったものをいくつか挙げてみましょう。

    「愛は、お互いを見つめ合うことではなく、ともに同じ方向を見つめることである。」

    かなり有名で ある意味使い古されたフレーズかもしれませんが この言葉が彼から出た言葉とは知りませんでした。

    「人間は充実を求めているのであって、幸福を求めているのではない。」

    仕事が忙しくて それなりに充実した一日を過ごせた日は 勿論売り上げがあがり それ自体有り難い事なのだけれど 精一杯働けた満足感の方がずっと大きいように感じてしまいます。

    「生きながらえるためには、服従すべきであり、存在しつづけるためには、戦うべきである。」

    人間として生きていくことは 例え幾つになっても積極的に何かに向かって 頑張っていかなければ 無意味な時間の積み重ねになってしまうと思います。

    「船を造りたいのなら、男どもを森に集めたり、仕事を割り振って命令したりする必要はない。

     代わりに、彼らに広大で無限な海の存在を説けばいい。」

    人間は大きな夢を抱ければ 自然とその方向に頑張る生き物のように思います。

    亡くなられた偉大な先人たちが 自分よりもずっと若い時に人生を終えているので 猶更これからの人生を充実させようと頑張る気持ちになります。

  • 7月30日 1913年の本日 新美南吉さんが生まれました

    新見さんと言えば「ごんぎつね」を思い出すくらいの代表作です。そのあらすじは いたずら好きなきつねのごんは、ある日兵十が病気の母親のために用意したウナギをわざと逃がしてしまいます。ところが、その後母を失って落ち込む兵十を見てごんは反省、償いのために魚や栗を兵十の家に届けはじめます。しかし、そうとは知らない兵十はごんがまたいたずらをしにきたのだと勘違いし、ごんを火縄銃で撃ってしまう。そこではじめてごんが食べ物を運んでくれていたことに気付くというお話です。

    新見さんの作品は 子供に向けたものが多いのでしょうが 大人が読んでも心打たれる作品が多いと思います。この「ごんぎつね」読んでの小学生が書いた感想文が 騒ぎになっているというニュースをみました。小学生の女の子の感想なのだそうですが「やったことの報いは必ず受けるもの」「こそこそした罪滅ぼしは身勝手で自己満足でしかない、(兵十はごんの反省を知らないのだから)撃たれて当たり前 」と言うものです。

    人間の社会でも 誤解を受けた人が 弁明の機会さえ与えられずに 悪者のままその話が結末してしまう事はよくある話だと思います。物語を読んでの感想は各人の自由な発想によることが許されますから 私はこの女の子の感想についてどうのこうの言う気持ちはありません。ただ私はこんな考え方をする女の子は大嫌いです。

    きつねと言うのは 動物の中でもかなり狡猾な種類だと思いますから 現実的にはそんなに簡単にいたずらをやめて いいことをするような心変わりをするとは思いませんが 償おうとした行為が誤解を受けてしまったのは やはり素直に可哀そうだと感じる人間が 私は好きです。私の大好きなナーチャンは 凄く優しくて 泣虫な女の子ですから 初めてこの作品を読んだら きっと泣いてくれると信じています。だからナーチャンが大好きです。

    新見さんの作品で もう一つ心に残っている作品があります。短編ですが「花をうめる」と言う小説です。この作品との出会いは 私が岐阜大学に通っていたころにアルバイトで結構大規模な中学生相手の塾の講師をやっていました。担当した科目は国語です。中学生相手ですから 英語でも数学でも勿論担当できる自信はありましたが 恐らく国語の担当を希望する人が一番少ないであろうと予測して 国語を希望しました。

    大規模な塾でしたから 各科目とも先生の経験者などの専門家を何人か抱えていました。けれど私は先生崩れの講師よりも質の高い授業をできていた自信があります。私はこのブログをお読みの方にはよくお分かりだと思いますが、短気です。気に食わない生徒がいたら 大声で怒鳴りつけます。ただ怖いだけでは 生徒が話をきいてくれないので 大阪から来た 怒らせるとすごく怖いけれど 普段はとてもおもろいオッサンを演じました。

    大きな塾なので 生徒は一クラスに二十人以上もいましたが その中で一番お気に入りの生徒 勿論かわいい女の子を 特に可愛がりました。その女の子に特別に教えるふりをして全員に問題のヒントを出しました。それからやんちゃな男子を二三人選んで 怒られ役にしました。その怒られ役の子を怒鳴りつけるようにして 引っ掛かり易い間違いをしないように 誘導しました。

    その塾の経営者から このまま塾の講師として働くことを勧められました。一瞬 確かにこの職業は自分に向いているのかもしれないと考えたことがありましたが 獣医さんになりたいというもっと大きな夢を実現する事を選びました。岐阜県では新聞社主催の模擬試験の成績が 志望校を決めるための判定材料にしていましたから 年に数回行われるその模擬試験の前に 予想問題を作って売りだしていました。その時期になると本屋さんの店頭にその模擬試験の予想問題集がズラッと並んでいました。その予想問題集の国語の問題は半分以上私が作っていましたから その塾の国語の講師のトップは私だと思っていました。

    話が横道にそれてしまいましたが 確か夏期講習の国語の教材に 「花をうめる」が取り上げられていました。短編小説とはいえその一部分が問題文として 取り上げられていました。夏期講習ですからその講習だけを受けに来ている初めて見る生徒も何百人もいました。私は講師をやりながら スケベな男ですから かわいい子にはどうしても注目してしまいます。

    その目についていた非常に可愛い女の子が ある日の休憩時間に私たち講師の控室にやってきました。その女の子が私の机にやってきて 国語の教材に取り上げられた「花をうめる」の内容に興味が湧いたので 是非全文を読んでみたいのだけれどもなんとかならないか という要望でした。夏期講習は塾の講師にとって稼ぎ時ですから 私は授業を受け持てるだけ受け持っていましたから 時間にあまり余裕がありませんでしたが 凄く可愛い女の子からの要望でしたので あいている時間に図書館を駆けずり回って 何とか「花をうめる」の全文のコピーを手に入れました。私もその時に「花をうめる」と言う作品を初めて読みましたが ロマンティックな女の子が喜びそうなメルヘンの世界が描かれていて 気持ちがホッコリとする内容でした。

    その子の名前と中学名を確認していましたから 提出された自己申告による成績などの資料に目を通しましたが なんとその中学では恐らく首席であろう凄く優秀な生徒でした。恐らくトップ校である岐阜高校に楽々入学して 更に一流の大学に進学していったのだろうと思います。質問に来た時の立ち居振る舞いや言葉遣いで 只者ではない雰囲気は感じていましたが まさかそんな優秀であり かつ非常に可愛らしい女の子とは知りませんでしたから その小説のコピーを渡す時には 若干こちらが緊張してしまいました。その子は顔が可愛らしいだけではなくて 胸のふくらみがかなりりっぱで うっかりするとそこに視線がいってしまいそうだったからです。

    新見南吉さんの作品には 他にも魅力的な作品が幾つもありましたから 久しぶりにそのような作品を読み返してみようと思いました。こんな時にインターネットは非常に便利で有難いのですが 本屋さんにとっては困った世の中になってしまったのかもしれません。

     

  • 7月28日 本日はゴロ合わせ的に毎月ニワトリの日なのだそうです

    子供の頃に 父方の祖母のうちは 福岡県の田舎の農家でしたから牛も飼っていたように思いますが ニワトリが普通に庭を歩き回っていたのが 最初のニワトリの思い出です。私たちが帰省した時には 特別のご馳走として そのニワトリを一羽つぶして お鍋の材料にしてくれました。祖母たちにとっては ニワトリは家畜であり ある意味食べるために買っているわけであり 勿論ペットではありませんから ニワトリを一羽つぶすことは 日常茶飯事のひとつであり 特別な感情を持っていなかったのかもしれませんが 私はこのブログに何度も書きましたが 子供の頃には 塊の肉が一切食べられなかったし、ニワトリを殺す場面をうっかり目撃してしまいましたから その肉を食べることなど 全くできませんでした。

    ニワトリをつぶす時のやり方が残酷で 首にひもをかけて いわゆる絞首刑のような形で その命を奪っていました。死ぬまでに時間がかかるし その分ニワトリの苦しみも長引きますから すごく残酷なやり方に見えました。普通屠畜場で家畜の命を奪う場合 放血(大きな血管を切開して 大量に出血させて 失血死させると同時に その肉体から血抜きをしていたように思います。血抜きをしていない肉は 血生臭くて 食べ辛いと思います。ですから 家庭でニワトリをつぶす時には 一見残酷なようでも 首から頭部を切断してやる方が ニワトリの苦しみも一瞬で済みますし 頸動脈などから大量に出血して 同時に血抜きの作業も済んでしまいますから 合理的なような気がします。

    以前に土佐犬の面倒をみるアルバイトをしたことがあります。土佐犬を飼っているぐらいですから 大きなお屋敷で 夏休みのバカンスの為にに約三週間家を空けるために その土佐犬の面倒をみる人を求めていたので やってみました。大きな庭がありますから 繋がれている場所から庭に出してやれば 自分で好きなように走り回ります。その間に便と尿の始末をして 後は水と餌を用意すれば仕事は御終いです。大きな犬ですから洗面器のように大きな器に ドライフードを並々とすくって入れます。その上にそのバイトの時にしか見たことがありませんが 鶏頭を水煮した缶詰を汁ごとかけます。かなり大きな缶詰で鶏の頭の部分がゴロゴロと沢山入っていました。かなりグロテスクな代物ですが その土佐犬は鶏頭を一つそのまま口に入れて何度か噛み砕いたら さも美味しそうに飲み込んでいました。立命館に通っていたころの ニワトリの思い出では それだけです。

    岐阜大学で私は薬理学研究室に所属していましたが 最初に取り組んだのがひよこの回腸にある薬を投与しての 反応を見るものでした。実験材料であるひよこの回腸を入手するために 実験をする日は毎回一羽のヒヨコの命を奪わなければなりませんでした。やり方は 首の辺りをハサミで一気に切断していました。始めた頃は 多少罪の意識にさいなまれましたが 折角死んでもらって提供してもらった実験材料ですから 大切に扱って ちゃんとした実験結果を得るように心掛け 真剣に実験と取り組んだつもりです。

    そういえば 乃木坂のナーチャンが 太ったハトをみるのが好きだと泣きながら告白した時に全般的に鳥類が好きなのだけれども ひよこだけは気持ち悪くて苦手だと言っていました。ひよこなんて誰が見ても可愛らしく見えるものだと思いますが まだ幼鳥なので体の形態が一般的な鳥の体をなしていない所が気持ち悪いと言っていました。その気持ちは幾らナーチャン大好きの私でも理解できません。

    岐阜大学に通っていたころにやったアルバイトで 養鶏場から成長した鶏を出荷する仕事の手伝いをやったことがありました。早朝五時か六時ごろに集合して 薄暗い鶏舎にはいり まだ寝ぼけているニワトリを捕まえて 出荷用のかごに入れるのです。明るくしてしまうと鳥が目覚めて逃げやすくなりますから わざわざかなり薄暗い場所で 勿論鶏糞も尿もたっぷりと落ちている 相当に刺激的な匂いの中 逃げ惑うニワトリを追いかけますから ほこりや羽が飛び交う中で どうしても中腰の体勢が続く 相当にしんどいバイトでした。

    まあ、早朝の集合と かなりの匂いや埃と羽の飛び交う厳しい環境での労働でしたから 制約される時間の割に実入りがよかったので 度々参加しました。ニワトリとのかなり濃密な接触としては このバイトが最初で最後になると思います。

    その後はスーパーで食材として 鶏肉を購入して 調理して食べる時位しか ニワトリとの接触はありません。子供の頃に苦手だった塊肉に対する恐怖心を失くしてくれたのは 鶏の唐揚げのお陰かもしれませんから その点でニワトリさんに感謝の気持ちをかいて 本日のブログを終わりにしたいと思います。

  • 7月27日 最近のコマーシャルで気に入らなかったこと

    一つ目に気に入らなかったコマーシャルが キャットフードのテレビコマーシャルです。どこのフードメーカーの 何という商品かは よく知りませんが「初めて手から食べてくれた」等と言うフレーズを使ったコマーシャルです。犬にしても猫にしても 特に室内で飼っている場合には人間の手から直接餌を与えるのは 厳禁な行為なのです。手から餌を与えるのが何故いけないのかと言えば 人間の手から餌を食べる習慣がついてしまうと 人間が持っている人間の食べ物まで欲しがるようになってしまうからです。

    人間の食べ物は犬猫の寿命を確実に縮めるので絶対に与えてはいけないものです。ペットフードでは ジャーキーなどのおやつの類は これもペットの寿命を縮めますから 獣医師で進める人は絶対にいません。ペットフードには大まかに分けて ドライフードタイプとウェットフードタイプがあります。ウェットフードとは 以前なら缶詰の事でしたが 現在ではアルミパックに入ったものや レトルトパックに入ったものもありますから 一概に缶詰のフードとは呼べなくなりましたから ウェットフードと言う耳慣れないかもしれない表現を使いました。

    ドライタイプとウェットタイプは 見た目が違うだけの事ですから どちらを与えても構わないと思います。飼っているペットの好みに合わせて上げればいいかと思います。但し大型犬の場合は 何しろ大量に食べるのでしょうから ドライタイプを与えたほうが経済的であり ごみを減らす効果もあるのかもしれません。

    ドライタイプと見た目は似ていますが ドライフードに比べて柔らかなフード いわゆる半生タイプは 絶対に与えてはいけません。半生タイプはその特徴である柔かさを維持するために 大量に糖分を使用しているはずです。凄く口当たりも甘くて美味しいので ペットは喜んで食べるかもしれませんが人間も糖分を取りすぎて ろくなことはありませんが それはペットも同様です。

    ペットが好きなフード、喜んで食べるフードばかりを与え続けていると 最後は半生タイプに行きつくパターンが 多いように思います。半生タイプを主食としてフードを与えるぐらいなら ジャーキーを主食として与えたほうがまだましかもしれません。但しジャーキーの類は人間の食べ物で言えば スナック菓子に相当すると思います。人間もスナック菓子を主食として食べていれば 確実に長生きできないのは明白でしょう。

    話を元に戻しますが 人間の食べ物をペットが食べることは ジャーキーを主食にする事よりも もっとペットの健康にとって悪い事なのです。ですから人間の手から餌を与えることが切っ掛けで 人間の食べているものを欲しがるようになるとしたら それはペットの寿命を縮めてしまう ある意味凄く残酷な行為なのです。

    よく「可愛いペットがあまりに欲しそうな顔をするものだから ついつい自分の食べているものを与えてしまうのだ」等と言い訳をする飼い主さんも少なくありませんが それは自分の食べ物を与えてしまったから 欲しがるようになったのです。一度人間の食べ物の味を覚えてしまうと 自分たちの食べているフードとは段違いに美味しく感じるので 欲しがるようになるのは当然です。飼い主が先に与えてしまったがために 欲しがるようになってしまったのです。

    人間の手から食べ物を受け取った経験のない動物は 人間が食べ物を手にしていてもそれを自分たちの食べ物とは認識していませんから 欲しがることは普通の状況ではありえません。一度でも与えてしまって その凄く美味しさを教えてしまったがために 欲しがっているだけなのです。ペットが欲しがるから仕方なく与えるというのは 本末転倒な表現なのです。

    まあ、人間の食べ物を食べる習慣がついたペットは遅かれはやkれ病気になってくれますから そのほうが病院としては儲かる話なので こんなことを口うるさく言わない獣医師の方が多いのかもしれませんが 私はペットの健康の方が大切だと思うので敢えてしつこくグダグダと書いているのです。ですから「初めて手から食べてくれた」と言うのはそのきっかけを作る行いですから 絶対にペットを健康で長生きさせようと思えば 絶対にしてはならない行動だという事を よく認識してコマーシャルを作ってほしいと思います。

    私が飼い主さんにお勧めするペットフードメーカーは 二つしかありません。「サイエンス」と 「アイムス」の二社だけです。理由は簡単で この二社だけがペットの健康を大切に考えてフードを作っています。飼い主さんがフードを選ぶときの一般的な基準は そのペットが美味しそうに喜んで食べる、と言う点だと思います。

    人間も美味しいもの、好きな食べ物だけを食べて 健康で長生きできればすごく幸せなのですが 現実はそうはいきません。健康を大切に考えて食事を作ると 栄養のバランスの為に 好きではないものでも食べなければならないことはよくあります。味付けも少し塩味が効いているほうが。少し油気が強い方が 美味しく感じます。でも塩気や油気は健康にとってはあまり望ましいものではありません。

    ペットフードについても 全く同じ事情なのです。ペットも人間と同様にいくらか塩気、油気が強い方が美味しく感じるのです。先ほどあげた二社を除くほとんどすべてのメーカーが 健康のことはさておいて ペットが美味しく感じることを目標にフードを作っているように思います。ですから、別に宣伝量を貰っているわけではありませんが 犬猫のフードとしては先ほどの二社をお奨めいたします。

    二つ目に気に入らないコマーシャルは ラジオから聞こえてきたのですが サプリメントだったか栄養ドリンクのコマーシャルだったかさえ覚えていませんが その商品に含まれている ある栄養素の量を10000ミリグラムと表現していました。10000と言う数字から受ける印象としては凄く沢山のように感じますが 私たちがもっと日常的に使っている重さの単位である普通のグラムで表現すると 10gという事です。

    例えば 長さを表現するのに10000ミリメートルと表現するよりも10メートルと表現した方が はるかに実際の長さとして理解しやすいはずです。こんな細かい表現にイチイチ目くじらを立てていると また奥様に怒られますので 本日はこの辺りで終わりにしますが 他にもいろいろと気に入らない表現を使ったコマーシャルがありますので それはまた別の機会に書きたいと思います。

  • 7月26日 一番安全なはずの我が家にいたのに飛行機が落ちてきて死亡した方がおられます

    亡くなられた方の日ごろの行いが良かったのか悪かったのかは 知りません。何が起こるかわからない昨今 道を歩いていても異常者に襲われるかもしれません。刃物を振り回されて命に係わることもあるのかもしれません。きちんと歩道を歩いていても車が突っ込んできて跳ね飛ばされるかもしれません。

    もし大けがをさせられたり運悪く命を落としてしまっても 加害者の精神に異常が認められれば 何の罪にも問われなくて 被害者が一方的に損害の被り損になってしまうケースも珍しくはありません。私にはたとえ加害者が病気であろうと しでかしたことに対する責任はきっちりと追及されるべきだと思いますが 病気であることが証明されれば 何の罪にも問われない現在の法律には納得できかねます。

    外出した時には どのような分けの分らない災難と出くわすか分りませんが 一応きちんと戸締りをした我が家にいれば 火事でも出さない限りは絶対に安全のはずでした。所がその我が家に飛行機が落ちてきて死亡してしまった非常に運の悪い方がおられるみたいです。人は自分なりにその後の人生を思い浮かべながら生きていると思います。私もあと数年病院の仕事を頑張ってからは のんびりと南の島で優雅な老後を過ごすつもりです。

    亡くなられた方に どのような人生設計があったのかも勿論分りませんが 人間はみなその人なりに夢を持って生きていたはずです。亡くなられた方は何にも悪いことをしていないのに 突然その人生を強制終了させられたのです。それも突然飛行機が落ちてくるなんて 想像を絶するような理由ですから ご本人はどのようにして自分が死んだのかさえ 皆目見当がついてはいなかったと思います。

    人はみな自分の生き方とともに死に方も想像していると思います。ある程度の年齢になれば 体のそこここに病気を抱えているのかもしれませんが 徐々に体力が尽きて 老衰で亡くなるのが 一番楽であり 幸せな死に方だと思います。私は奥様にこれまでも恐らくこれからも散々ご迷惑をかけてきましたから 死に際ぐらいはあっさりと出来るだけ奥様にご面倒をかけたくありません。

    もし 何か起こっても(私の場合は脳梗塞の可能性が高いと思いますが)一応病院へは運んでもらっても 延命的な治療や処置は一切してほしくありません。もし治療されて 障害が残ったまま生きながらえても 奥様にさらに負担をかけるだけだからです。私は日ごろ奥様から 「しつこい」と耳にタコができるほど言われています。死ぬ時ぐらいは これまでの罪滅ぼし、というか最後の奥様孝行としてあっさりと逝きたいと願っています。かなり難しいことかもしれませんが 自分の納得のいく死に方が出来れば それだけでも幸せな人生だったと言えるのではないでしょうか。

  • 7月25日 苛められていた中学生の通っていた中学校が 苛めの存在を認めました

    この種の事件は 自殺などの取り返しのつかない事件が起こって初めて 学校側が生徒間の苛めについて意識するような印象を受けてしまいます。大きな事件が起こってから 慌ててアンケートを取ったり 生徒と面談をして調査を始めているようでこのような問題に対しての対応のスタートが遅すぎるとしかしか 思えません。多くの場合 学校側としては 苛めの存在を否定することから 対応が始まるように感じていましたが 今回の中学校は 自殺した生徒が日常的にいじめられており そのことが自殺の原因の一つであったことを認めていましたから先生たちの気持ちが良心的なのではないかと思います。苛めなど無かったといけシャアシャアと開き直る学校よりも 好感のもてる対応の始まりだと思います。

    このような事件が起こった時によく追及されるのが学校側の責任です。学校という一つの小さな社会の中で起こったことですから その社会を管理、運営している先生という立場の人に 全く責任がないとは言えないように思います。でも私は自殺をしてしまった子供とその両親にも それなりの責任があるのではないかと思ってしまいます。

    私はいじめられた経験がありません。まあ、割と無神経なたちで 人を傷つけるような発言をズバズバとしてしまったこともありましたから ひょっとしたらクラスのメンバーから村八分の刑にあっていたことがあったのかもしれません。でもそんな状況でも 私は話したい友達とは ある程度強引にでも話す機会を作り そのなんとか話せる友達の輪を力づくでも広げて 私を無視する状況を 無意識に打破してきていたのかもしれません。

    まあ私の性格からすると 苛められる側よりも 苛める側に立っていたケースの方が多いのかもしれません。私に言わせれば 苛められる人には 当然苛められる原因があるのです。子供の頃は残酷で正直ですから 外見の欠点から 苛めが始まる場合も多いのかもしれません。でも私は はっきり言って顔だちは整っていないし 短足だし、太っているし 見た目はかなり大きなマイナスポイントを抱えています。でも私は自分の外見的な欠点を 笑いに転換してしまって 苛められる要素から上手に外していたように思います。

    外見の欠点を そのままにしておくと子供はしつこくその点をつついてきますから そこで皆に嫌われるような対応(例えば先生にチクルとか)をしてしまうと そのことが引き金となって どうしてもいじめの対象になっていたように思います。私が小学校の高学年の時にクラスの女の子で 髪がグジャグジャにもつれていて 恐らく蓄膿症か何かの病気もちの子だったのかもしれませんが 常に鼻水を垂らしている女の子がいました。その子がずるずると鼻水をすする音が 半端なく気持ち悪かったです。

    女の子ですから 親が髪位とかしてあげればいいのだし 鼻の病気なら病院できちんと治療すべきだし せめていつでも鼻水をかめるように ハンカチなりちり紙なりをたっぷりと持たせてあげれば それほど周囲の人間に気持ち悪い思いをさせずに済んだし 親がきちんと子供の面倒をみてあげていれば その女の子は苛めの対象にならなかったと思います。

    苛めといっても その女の子に対して何かをするのではありませんが 少なくとも男子はその子の半径三メートル以内には近づきませんでした。この子の問題は結構大げさになって 私たちの母親まで学校に集められて対応策を相談していたみたいでした。私たちの親はそれぞれの子供からその言い分を聞いて参加していましたが 私の母親はその集まりから帰ってから やはりその女の子の親がもう少しその女の子の状況をきちんと理解して 対応してあげるべきだという結論に達したのだそうでした。

    今回自殺してしまった生徒も 自殺するほどに大きな悩みを抱えていれば 一緒に暮らしている両親が気づいてあげるべきだと思います。中学生ぐらいになると ある程度自我が確立されているのでしょうから 百歩譲ってその悩み事を同居している両親が見抜けない場合があるのかもしれません。でもその子供と親の間にしっかりとした信頼関係が築かれていれば 自殺する前の段階で 子供が親に悩みを打ち上げていたのではないでしょうか。

    下手に学校の先生に相談すると そのチクッタ事実が 苛めの炎に油を注いでしまう可能性もありますが 両親に相談して両親から学校に話を持ち込めば 多少はしこりが残るのでしょうがいじめが現実的に解消されていく可能性は結構高いように思います。子供が親を信頼していれば 恐らく自分の究極の選択をするかしないかの悩み事はきっと相談すると思います。親子のごく当たり前の信頼関係が 築けていない親に 学校の責任を追及するような発言はしてほしくありません。

    死者に鞭打つようなことは言いたくありませんが 学校にいる間は ある意味先生に守られ、両親にも守られているのです。実際に社会に出てからは 学校のいじめよりもずっと辛いことと直面するはずです。高々学校のいじめなんて利害関係が発生していませんから その程度のストレスで自殺を選択するような柔な精神力だったら 実際に社会の荒波にもまれたら とても生きてはいけないでしょう。遅かれ早かれ自殺する人間がたまたま中学生だったから 注目され問題視されているにすぎないように思います。二十歳過ぎた若者が自殺しても 新聞にさえ取り上げられない程度の日常茶飯事です。

    世間の荒波にも耐えうるぐらいに精神力を鍛え上げておくことも やはり親の義務だと思います。耐えきれなかったら取り敢えず親を頼るぐらいの信頼関係を作っておけば 精神的に追い込まれても自殺なんて最低の結末のつけ方を選択することはきっとないと思います。

    偉そうに言っている私だって 自殺を考えたことがないわけではありません。誰でも生きていくことが辛くなってしまう事なんてあるに決まっています。でも家族の気持ちを考えたら とても自殺なんてできませんでした。自殺をしてしまった子供は その事実によって親がどれだけショックを受けて 悲しい思いをするのかなんて考えてはいないのでしょう。親と子にお互いを大切に思う強い気持ちさえあれば たぶん自殺という選択肢はおのずと外されると思います。

    話の筋があいまいになってしまいましたが 結局私が言いたかったことは 自殺といじめの因果関係を認めた学校の対応は十分に評価できることと、自殺をしてしまった子供とその親にも かなり大きな割合の責任があるのではないでしょうか という事です。

  • 7月24日 1927年の本日 芥川さんが自殺しました

    自殺をされた作家として有名なのは 太宰治さんや三島由紀夫さんあたりだと思います。私は芥川龍之介さんまで自殺されていたとは恥ずかしながら知りませんでした。それもわずか36歳の時にです。もうこの歳になると(当年とって58歳です)ブログの題材として取り上げさせていただく方が自分よりも若くして亡くなられている事実に 頻繁に出くわしますから 今回もあまりショックを受けませんでした。

    太宰さん、三島さんの作品をそれほど読んではいませんが お二人の相当に凄まじい生き方と作品から想像して 己の人生の結末のつけ方として 自殺を選択されたとしても それほど不思議には思いません。私は芥川さんの作品も殆どよんでいなくて 日本人なら誰でも知っている「羅生門」「芋粥」「杜子春」「蜘蛛の糸」位しか知りません。

    芥川さんは子供の頃から優秀で 東大の文学部で意外にも英文科を卒業されています。作家としてはそこそこのペースで作品を発表しておられたみたいだし、子供も三人もできていましたから それなりに幸せな家庭を築いておられたのだと思っていました。三島さんたちと違って 作家としては穏やかで恵まれた環境におられた方のようなイメージで 何故その最後が自殺でなければならなかったのか 不思議に思えます。まあ、私の様にのんべんだらりんとした だらしのない生き方をされてはおられなかったのでしょうから 人生について真剣に考察すればするほど つまり作家という自分の作品とギリギリのところで向かい合っておられる作家という職業の方なら猶更 自殺という選択肢の割合が高いのかもしれません

    まあ人の気持ち、考え方などは他人の想像の範囲を超えている場合が多いので 芥川さんとしても そのような結末のつけ方を選択せざるを得ないような人生だったのでしょう。ただそのように若くしてお亡くなりになられたけれど 現在まで「芥川賞」という文学賞が受け継がれていることからすると その存在の偉大さを図り知ることが出来そうです。

    つい先日芥川賞を受賞された又吉直樹さんは 芸人であったという話題性から その受賞作品の売り上げが凄くて 一般的に芥川賞受賞作品は いわゆる純文学の範疇にありますから それほど売れなくて あまり儲からないのが相場なのだそうですが 相当な額の収入が見込まれるそうで 羨ましい限りです。何にしても死後100年近く経ってまでも その文学賞が大変注目されるほどの功績を残された方が 私の人生の半分近い年齢で 亡くなられた日が本日である というお話でした。

  • 7月23日 現在の就職活動について

    とある友人の息子さんが就職活動をしていて ある企業から内定をもらっていたのだそうです。所がその企業が急激に業績が悪化したために 内定を取り消されたことで 大変憤慨していました。私にはちょっと理解しがたいことなのですが その子はまだ大学の三年生なのです。

    そもそも就職活動でもらう内定 という言葉にはどのような意味合いがあるのでしょうか。内定とはあくまで決定に至っていない段階ですから 取り消されることがあっても当然のように思っていましたが 一般的に就活でいうところの内定とは ほぼ決定と二アリーイコールなのだそうです。

    その息子さんもその企業がほぼ第一志望だったので 内定をもらった段階で 就活を終了してしまったのだそうです。私の感覚では正式に採用されて 現在進行形で働いている社員でも 突然解雇を言い渡されるかもしれないぐらいに 景気は好転していないと思います。まだ採用の内定をもらっただけの段階で 業績の悪化が明らかになったのは 客観的に見ればむしろラッキーなことではないのでしょうか。その会社に入社して 社員として働き始めてしまってから 突然解雇されるよりも よほど受けた傷は小さいように思います。

    私の頃と就活の時期も 事務的な手続きや 会社からの対応法等も全然異なっているみたいです。ですから 今から就活をやり直すことがどれだけ後れを取ってしまったことなのか 見当もつきません。でも今からでも就活すれば 少なくとも新卒者として入社できるはずですから やはり後れを取ったのだとしても この時期から就活を再開できるのは 一旦入社してしまって 中途採用の枠で就職先を探すよりも断然有利だと思います。

    私が立命館大学でやった就活は そもそもスタートが四年生の春でした。その時期に就活説明会が開かれましたので 参加して 就活のやり方を初めて知りました。それまで就職課など行ったことがありませんでした。就職課で求人票を見て 自分と同じ専攻の先輩がどの様な企業にどれだけ就職しているのか 調べてみました。私の専攻は 理工学部化学科高分子学研究室でした。

    食品や製薬などの業種から 取り敢えず聞いたことのある会社名を頼りに 資料をかき集めて 先輩に具体的な仕事の内容や待遇面などを教えてもらい 面接を受けるのかどうか判断していきました。夏休み前に 製薬業界に絞り込んで いくつかの面接を受けてみました。結局お盆前に四社の面接を受けて三社から内定をもらいました。落ちた一社は持田製薬で 会社の不手際だと思うのですが面接が始まるのがかなり遅れてしまったのです。

    私は「持田製薬ではこんなに時間にルーズなことがまかり通っているのですか?」と大きな声で質問してしまいましたから 喧嘩を売ったみたいな恰好で 落とされても仕方がなかったと納得しています。お盆前に何とか中外製薬という 製薬業界では中堅どころの内定をもらい一安心しました。

    私たちの頃の正式な就職活動は十月一日スタートで 内定を出す試験は十一月一日スタートと決まっていました。ですから普通の企業の場合 内定を出した学生がほかの企業への活動に動けないように十月一日は健康診断なり会社見学なりの行事を設けて その学生を拘束してしまうのが普通でした。所が中外製薬からは何の拘束もうけなかったので 十月一日に物は試しと  製薬会社の大手の一つ塩野義製薬の説明会に飛び込みで参加してみました。勿論塩野義でも採用枠のかなりの割合は既に内定を出しているのでしょうが 一応建前として十月一日以降にやってきた学生も採用するはずだと思っていたからです。

    割とすんなりと二次面接にまで その日のうちに進みました。帰りがけに日にちを指定されて健康診断を受けるようにと指示されました。私は塩野義について殆ど予備知識がなかったので 大学の就職課の資料を確認に行くと 塩野義の場合は健康診断を受けるようにと指示をもらえたら 実質的に内定が確定的であることを知り 喜びました。別に中外製薬も大概の人が知っている大企業でしたから 別に不満があったわけではありませんが 塩野義の場合 ある意味正規のルートを通って(就活の正式解禁日十月一日に初めて訪れて) 予備知識や準備もないままに 面接を受けて 合格を勝ち取れたのですから 自分の実力を評価されたように思えたので 塩野義に就職することにしました。

    後で調べたら 塩野義は確かに資本金や従業員数でみると武田に次ぐ大手ではありますが 給料は安いし その割に仕事がきついとの評判だったので 中外に行った方がよかったかもと 少しだけ思いました。でも塩野義に進んだおかげで いろんな人との出会いがありもう一度獣医師を目指す決意が出来たのですから 結果的には良かったのだと思います。

    二つ目の大学岐阜大学の場合は 就職活動と呼べるほどの動きはしていません。卒業したら 取り敢えず地元の大阪に帰るつもりだったので 大阪で研修できる病院を選び 電話で連絡を取り 訪ねて行って一日見学させてもらって よろしくと頭を下げただけでした。

    私の就活などはどうでもよい話ですが 友人の息子さんはいくらか後れを取ったのは間違いないのかもしれませんが 塩野義のように会社は採用枠に後から見つかった有望な人材の為に必ず余裕を持っているはずですから 実力さえあれば 今からでも頑張れば希望に近い会社にきっと就職できると思いますから 内定取り消しをラッキーな知らせと考えるポジティブシンキングで乗り越えて欲しいと思います。

  • 7月22日 体罰によって処分を受けた教師の数が増え続けているそうです

    数年前に大阪の高校で教師の体罰によって 生徒が自殺した事件が起きてから 体罰に関する教育現場での調査が厳密に実施されたことによって その隠れた実態が だいぶ表に現れてきて 処分される先生の数が急増しているみたいです。ですから体罰が急増したわけではなくて これまでは過去の慣習から大目に見られていた体罰が 表面化しただけの事のようです。

    体罰とは 父母や教員などが、子供や生徒などの管理責任の下にあると考えられる相手に対し、教育的な名目を持って、肉体的な苦痛を与える罰を加えること と定義されています。私が小学生の頃には 勿論体罰は存在していました。悪さをすれば 当然叱りつけられます。悪さの程度が極端な場合は その子供が先生にビンタされる事もたまにありました。

    私自身は こズルくて計算高い可愛げのないガキでしたから 表だってはそんな悪さには参加しませんでしたから 体罰を受けた覚えはありません。当時は 子供の親も体罰を受けねばならないほどに自分の子供がひどい悪さをしでかしてしまった という事実を理解していましたから 先生にお詫びをするのが普通で 学校に文句を言うことなど考えられませんでした。

    そもそも学校というのは 児童なり生徒が 先生の授業を受けて知識を受け取り 生きていくうえで必要な知恵を授けてもらうための場であると思います。ですから児童なり生徒は 少なくとも最低限度でいいので 先生を敬う気持ちを持つことがまずは必要だと思います。そんな風に子供をしつけるのは 親の義務だと思います。

    私が一つ目の大学を卒業するころには 「デモシカ教師」という言葉がありました。就きたい職業が見つからないので教師にデモなるか、とか 教師位シカ仕事が見つからないような輩を「デモシカ教師」と世間では呼びました。そのような気持ちでなった先生なんか なかなか尊敬できないのかもしれません。

    確かに近頃ニュースなどで垣間見る先生の実態は 事なかれ主義のサラリーマン的な先生や セクハラ、パワハラ、モラハラのオンパレードの非常識な人間もかなりいるみたいなので 一概に先生に尊敬の気持ちを持つことは不適切である場合もあるのかもしれません。しかし親にしたら少なくとも自分の子供を その学校を信頼して託すのであるのなら 学校に対して感謝や敬う気持ちは 持っておくべきだし 子供にも同様のしつけをすることはやっぱり親がやるべき仕事だと思います。

    私も子供の頃 私語の多いガキでよく授業中に先生から怒られました。授業など全く聞いていないで自分の世界に入っている友達もいたように思います。でも授業中は一応教室内の自分の席に着く という子どもとして最低限度のルールはみんな守っていました。新聞で読んだだけの情報ですが 現在では授業中に教室を飛び出して遊んでいる子供がそれほど珍しくもないのだそうです。学校という集団生活をする場での 最低限度のルールさえ守れない子供は やはりそんな基本的なことを教えていない親に責任があるように思います。

    自分の子供の頃と比較してどうのこうの申し上げるのは いかにも年寄り染みていてあまり好きではありませんが 私の子供の頃には重大な過失(例えば忘れ物)があったりすると 教室の後ろや場合によっては廊下に立たされていたものです。立たされた経験は私もあります。所が 現在では子供を立たせること自体が体罰に該当して 立たせた先生が処分を受けるのだそうです。

    現在のこしゃまくれたガキどもは 先生がうっかりにでも体罰に該当した行為をさせようとして 挑発的な言葉や仕草をするのだそうです。そのような場合は 先生に正当防衛が適用されて そんなクソガキを ぼこぼこにしても責任を問われないようなルールを作るべきだと思います。

    一時期給食費を払わない親が問題視されましたが 私は給食費を払わない親の子供には 給食の時間「私の親は給食費を払っていません」というプラカードでも持たせて 学校の正門の前に並ばせたらどうかと思います。立たせたら体罰になるというのなら 教室から椅子を運ばせて 座らせれば問題ないのではないと思いますが如何でしょう。

    話が横道にそれてしまいましたが 処分を受ける先生が沢山いる教育の現場は確かに大変な問題だと思いますが、教師を問題視する前に 最低限度のしつけなり教育をしていない親の責任をもっと追及するべきではないのでしょうか。

     

  • 7月21日 乃木坂主演ドラマ「初森ベマーズ」について

    待ちに待っておりました 乃木坂の主演するドラマ「初森ベマーズ」の第二回放送を見ました。既に公園の土地をマンション建設のために買い上げてあるのに ソフトボールの勝敗によって公園として残すか残さないか決めようなんて ストーリー展開に無理がありますが まあその辺りは目をつむりましょう。

    それにしても主役を務めるナーちゃんの演技力の低さには 残念ながら大変にショックを受けました。私にとってナーちゃんは 六十年近く生きてきて 最高にチャーミングな女の子だと思います。顔だちも可愛らしいしスタイルもそこそこ、そして性格が控えめで優しくて最上の女の子だと思っています。そのナーチャンが 主役ですから 出番も一番多くてセリフも凄く多いのは とっても嬉しいのですが その演技力があまりに下手糞すぎて まるで幼稚園の子供のお芝居みたいに感じてしまいます。

    ナーちゃんも勿論自分の演技力の拙さは 十分に自覚しているのだとは思いますが 何しろ握手会でも不動の一番人気の為 不動の一番レーンを担当しています。秋元さんは もともとナーチャンが大のお気に入りですから ソロ曲を二曲も書いていますが このドラマでも当然主役に抜擢したのだと思います。

    ナーちゃんはこれまでもドラマにチョイ役では出演経験があるみたいでしたが その演技力は未知数だったのだと思います。それにしてもナーちゃんの演技力の無さは際立っているように思います。セリフがすべて棒読みで全然気持ちが伝わってきません。セレブのお嬢様役のマイヤンや 常におちゃらけた食いしん坊役のカズミンが不自然に見えるのは役柄のせいであって致し方がないのかもかもしれませんが 若月や生駒、マイマイ、ミサミサなどの演技はとても自然で違和感を感じないのに ナーチャンだけが浮いて見えるのは私だけでしょうか。

    秋元さんもさすがにナーちゃんのあまりに不自然な演技には耐えられないでしょうから いずれ他のメンバーに重点を置いたストーリー展開になってくると思います。そこまで続いてくれればいいけれど その前に打ち切りになってしまう事が心配です。ナーちゃんの大好きなファンとしては 沢山のシーンに出てきて沢山セリフがあることは嬉しいのですが そのためにドラマ全体の質が低下して 視聴率にも悪影響して 早期打ち切りにでもなることが 心配なのでもう少し演技力のあるメンバーを中心にしたストーリーになってくれることを望みます。

    まあ基本的には 乃木坂の大好きな人しか見ていないと思いますが テレビで乃木坂のメンバーの顔と声に接することが出来れば それだけで十分にうれしいことなので ストーリーや演技力なんかどうでもいいので出来るだけ長続きしてくれることを期待します。それにしてもナーチャンはソロで歌っていても それほどガッカリしませんから 将来的には女優の道はあきらめて 歌手としての活動を頑張ってほしいと思います。頑張れナーチャン。