Dr.喜作のブログ

2018年2月 の記事一覧

  • 2月27日 1862年の本日 新撰組の前身「壬生浪士組」が結成されました

    新撰組と言う組織は 京都に存在しましたが 地元の京都人には あまり評判がよくなかったのかもしれませんけれど 現在は特に 女性を中心に人気が高いみたいです。そもそも表記にも 諸説あるみたいで「せん」と言う漢字として「選」を用いるか「撰」を用いるかというものがあるみたいです。隊士自身の書いた手紙でも 両方が使用されていたみたいなので 正式な決まりごとは勿論あったはずですが 細かい事に拘らなかったのかもしれません。現在の所は「選」と表記される場合が多くなってきているのだそうです。
    日本人には 桜の花が咲いたとたんに散るから その儚さに哀れを感じるからなのか 非常に人気があります。新撰組も 崩れ去る寸前の江戸幕府を懸命に支えた それも出身が浪士(農民や町民まで含む)であり 同様の目的で組織された見回り組(出身は旗本、御家人)のような正式に認められた組織ではなくて 会津藩の預かりというある意味危なっかしい立ち位置であったことが 余計に人気のある組織として認知されているのかもしれません。
    まあ新選組と言う組織は そこそこ昔からそれなりに人気があったみたいで 映画やテレビドラマで 何度も描かれているようです。ただその幹部クラス 近藤や土方 芹沢などは いずれも中年の貫録のある役者さんが演じておられました。ですから私は 近藤 土方が無くなったのは 四十代半ばぐらいかと 思っておりました。所が 近藤も土方も 無くなった年齢が 時期も場所も全然異なりますが33歳の時です。池田屋事件で 大いに名前をあげましたが その時にはまだ二十代だったのです。池田屋事件については 明治維新の時期を遅らせた と言う説と逆に早めたという説があるようですが 尊王攘夷派の急先鋒を壊滅させられたわけですが 彼らの立てていた計画は 実現が相当に難しかったように考えられますので 私は客観的に見て明治維新の動きを加速して 結局のところは早めたのではないかと思っています。
    NHKの大河ドラマで 近藤をSMAPの香取君 土方を山本君が演じましたが 何となくそれまでドラマで描かれていたものに比べて 若くて頼りなさげにみえてしまいました。それまでに描かれていたイメージとは かけ離れているみたいでしたが 年齢的には ご本人たちに近くて 逆の意味でリアリティがあったのかもしれません。脚本が 大好きな三谷幸喜さんでしたから あの年の大河ドラマは一回も欠かさずにみました。堺さんの演じた山南さんは 特にカッコよかったとおもいます。私の一番大好きな 長倉新八をグッサンが好演していたのも印象的でした。若くて強くて カッコいい沖田に 女性の人気が集まるのは 致し方のない事かもしれません。若くして胸を患ってしまい 早い時期に亡くなりましたから 一層女性のファンが多いのでしょうが 新撰組の辛い末路を見なくて済んだのは ある意味幸せだったのかもしれません。
    会津藩と言う 京都からは位置的にも遠い藩が 貧乏くじを引いたようなもので 討幕派の恨みを一身に背負ったのには 新撰組の面倒をみていたこともあったのかもしれませんから 後の戊辰戦争における会津藩の悲劇を考えると どう頑張ったって幕府は倒されていたのでしょうから 新撰組と言う組織自体が 時代に逆行する仇花であったのかもしれません。只江戸時代の末期に 無邪気に大名になることを夢みていた 近藤さんの純粋さ と言うか本物の武士に対する強いあこがれの気持ちが 何となく可愛らしく感じられてしまいます。
    私の様な 運動神経はないし 根性もない人間には 新選組と言う組織は もしその時代に生きていたとしても 縁もゆかりも無かったろうとは思いますが 手の届かない所になっている葡萄の実は 酸っぱいに違いない と言うやっかみと 諦めの気持ちで見つめる存在だったのかもしれません。たぶん 己には 君子危うきに近寄らず なのだと言い聞かせて 自分を慰めながら。

  • 2月26日 「勝手踏切」の存在を御存知ですか?

    電車が近づくと 警告音が鳴り遮断機が下りるのが 普通の正しい踏切です。段差も少なくて 歩行者が渡り易い構造になっているようです。勝手踏切と言うのは 近所の住民たちが 勝手に線路内を横切っている場所の事を言うのだそうです。私はこの言葉自体が初めて耳にしましたが 全国に何と二万か所近くも存在するのだそうです。そして最近 この勝手踏切での事故が増加してきているのだそうです。JRにしろ私鉄にしろ 線路内に勝手に人が侵入する行為は 鉄道営業法違反行為になりますから 鉄道会社の判断で そんな近所の住民の身勝手な行動が出来ないように フェンスで囲ってしまえば 直ぐにでも解決しそうに思いますが 実はそんなに単純な事情ではないのだそうです。
    勿論 鉄道に関する「技術基準省令」と言う決まりごとの39条で勝手踏切の存在は否定されています。所が決まり事には当然の様に 抜け道があっては例外が認められているのです。「交差する道路の交通量が少ない場合又は地形上等の理由によりやむを得ない場合は、この限りでない」と言う一文が 書き加えられているので 鉄道会社が危険だと判断しても 一方的にその勝手踏切を侵入できないように封鎖してしまう事が出来ないのだそうです。
    例えば 昔から近所の住人たちが 通路として便利に利用していた小道が 鉄道が敷かれることによって 通れなくなったとしたら 利用していた人たちに少なからぬ不便が生じる場合などに 認められていることが多いのだそうです。勿論勝手踏切を渡る人たちは 自己責任で渡っているのですから 渡っていて事故に遭っても 文句を言える筋合いではないはずですが 人身事故が起きてしまえば 鉄道会社にも少なからぬ被害が及ぶことは間違いありません。
    例え 列車と人間の接触と言う事故が起こらなかったとしても 走行中の電車が危険を察知して 急ブレーキをかけることによって 乗車しているお客さんたちに場合によってはけがをする人がいるかもしれませんし その影響でダイヤが乱れることによって 他の電車の到着時間まで遅れたりしたら 相当数のお客さんに迷惑がかかることになってしまいます。健常人なら 体力的にも問題なく渡り切れるのかもしれませんが 子供やお年寄りの場合 渡り切れるという判断に誤りがあったり 体力的に無理があって事故につながるケースも少なくないのかもしれません。
    正規の踏切を利用すると 数百メートルも回り道になってしまうケースもあるのでしょうし お年寄りの方が その回り道の負担を大きく感じてしまうので 利用する機会が多くなってしまうのかもしれません。通学路に勝手踏切がある場合 正規の踏切を利用すると数分間でも余計にかかってしまうケースでは 朝の数分間は貴重ですし毎朝の事でしょうから 学生が利用することも多いのかもしれません。若くて身軽な世代なら 体の自由もきくでしょうし 列車との距離によって 渡れるか否かの判断力も 間違いが少ないのでしょうが 危険性がたかまるのは どうしても子供とお年寄りでしょう。子供の場合 体は身軽かもしれませんが 列車との距離感の判断に間違いが生じる可能性が高くなりそうですし お年寄りの場合勿論体は素早く反応しないでしょうし 耳や目が遠くなっていたら 渡れるか否かの判断の精度がどうしても低くなりそうです。
    勝手踏切を利用するかしないかは 結局は自分で決めるしかありませんから もし事故に遭遇してしまっても 自己責任であり鉄道会社に責任を一切問わない と言った内容の一筆入れてから 利用するようなルールでも追加したら如何でしょう。そんな一筆入れるぐらいならと 利用者が減少すれば 凄く簡単で有効な対応策の様に思いますが その存在すら知らなかった私がその場で考えたような解決策が有効な訳はありませんよね。

  • 2月25日 何時の間にか オリンピックが終わってしまうようです

    今回の冬季オリンピックは 期間中に自分の旅行がありましたし 旅行前は天候が荒れていて 無事にノーマルタイヤで走行できるものなのか 凄く不安で チェーンの買い出しに行ったり 装着と取り外しの練習をしたり道路情報をこまめにチェックしたりで 忙しくてゆっくりと観戦する暇がないうちに 終わってしまうようでざんねんです。私が印象に残っている事と言えば 前回はまだ子供だった高梨沙羅ちゃんが 美しい女性に成長していましたし カーリング娘は相変わらず とても知的な美人ぞろいで魅力的でした。スピードスケートで活躍した選手たちも それぞれに可愛らしかったようで スケベなオッサンとしては もっと腰を据えて観戦したかったように思います。
    メダルの獲得数が 過去最多と言って喜んでいますが これだけ競技数が増えたのですから 当然のように思い そんなに手放しで喜んでもいられないと思いますが 取り敢えずはメダリストの方たちには ご苦労様と拍手を贈りたいと思います。昔は ノルディック複合なんて一つしかなかった競技が団体も含めるとかなりの数に増えています。ジャンプだって男子の70メートル級と90メートル級しかなかった時代を知っていますが 現在は団体や女子の競技まであります。アルペン競技だって 昔は滑降、大回転、回転の三つしかなかったのがいつの間にか増殖しているようですし 競技名すらほとんど知らないアクロバティックで キテレツな種目が沢山行われているのには 驚きました。そもそもスノーボードの競技なんかが出来始めたのもつい最近の事の様に感じていましたが 今ではかなりの種目数になっています。スピードスケートのショートトラックと言う競技も 勿論昔は存在しませんでしたが オリンピックに取り入れられたころは 韓国のお家芸みたいな種目で 金メダルをざくざくと獲得していたのが 不愉快でしたが 最近ではようやく世界に広まったみたいで 韓国勢の一人勝ちではなくなったことに 一寸ホッとしています。
    オリンピックに国ぐるみでドーピングをして 国としての参加が認められず個人的に参加していたロシア人がまたドーピングでメダルをはく奪されたのには 驚かされます。前回自国で開催して 本番の競技場で練習し放題というアドバンテージがあるうえに 応援も集中する有利な状況の中で 更に国ぐるみでドーピングするような オリンピックの基本精神と全く反する国なのですから オリンピックからは 少なくとも数十年ぐらいは追放しておくべき国だと思いますが ドーピングに全く関わりのない選手たちを救済しようとして あえて個人参加を認めたのだと思います。
    現在のドーピング検査は かなり厳しい基準があり うっかり風邪薬などを飲んでも 陽性反応が出ることもあるみたいです。オリンピックに出る選手なら 風邪薬の選択にも細心の注意が必要なのだと思いますが ロシアの選手なら絶対にドーピング検査に引っ掛からないように配慮して参加すべきなのに 案の定陽性判定が出た選手がいたのですから 今後ロシアの選手は 個人のレベルでも参加を認めるべきではないように思いますが 如何でしょうか。
    健常人の大会が終わってから 直ぐにパラリンピックが開かれているはずですが そちらについての報道は殆どありません。日常生活に大きなハンディキャップを背負っておられる方々が 懸命に頑張られる姿も それなりにすごく感動的だと思いますので 日本のマスコミも 視聴率はそれほど上がらないのかもしれませんが もう少し障害を持った方々への暖かい思いやりを持って番組作りを してほしいと私は強く思います。障害を持った方たちが暮らしやすい国こそが 本当に豊かな国だと思います。日本はかつてGNP(国民総生産)で世界のトップを争っていました。現在ではGDP(国内総生産)を比較する傾向があるみたいですが まあ経済的な言葉の違いはどうでもいいでしょう。私は 日本と言う国が 如何にたくさん稼ぐかを競うのではなくて 如何に暮らしやすい国であるのか という面でもっともっと充実した国になってほしいと 心から願っております。

  • 2月24日 何時まで経っても 野菜の高騰が止まりません

    私は 恥ずかしながら糖尿病を患っていますので 普段から血糖値が高くて困っています。大体二か月に一回位病院に通って 血液検査を受けています。糖尿病の恐ろしいのは その末期は凄く悲惨な状態になるのに その初期段階では全く自覚症状がない事です。血糖値は食事などによって直ぐに上がったり下がったりしますから 検査する前の一月位の血糖値の平均値的な意味合いを持つヘモグロビンA1cの値が 糖尿病の度合いを測る指針とされています。以前は食べたいものを平気で食べていたころには その数値が10近い値でした。正常値がおよそ5.1~6.0位の項目です。
    以前は 検査の一月前位から 炭水化物を取らないように意識して努力しても6.0~6.5位の値でした。まあこれ位なら 正常値は超えていますが ある程度努力していることは 先生にも認めてもらえていました。昨年担当の先生が変わってから 診察の度に体重を質問されるようになりました。体重を意識して 毎日体重計に乗るようになると やはり日々の食べ物に常に気を付けるようになりましたので ヘモグロビンA1cの値も自然と下がってくれてここ三回は常に5.0+αの正常値に落ち着いてくれていますので先生に褒められてしまいました。
    炭水化物を出来るだけ食べない様な食生活を心掛けると どうしても野菜中心の食事になります。私は根っからの食いしん坊なので 量的な制限は継続できないので お野菜を中心に 血糖値を上げにくい食材をたっぷりと食べるように意識しております。所がこのところの野菜の価格の高値安定には 困ってしまっています。私は根がけちん坊なので どうしても野菜の価格も一番安かった頃を基準にして考えがちなのですが キャベツやキュウリ、レタス、トマトなどのサラダの主役となるはずの野菜が どれもこれも皆私の感覚で言うと安い時の 二倍ぐらいの高値が ここ数か月続いているのです。
    ニュースで野菜の価格について 注意していると もう少ししたら野菜の価格が下がるという予測が何度も発表されていますが 全く下がる兆候すら見られません。アベノミクスで庶民の生活が楽になる、給料は上がるし物価は下がる等と 大ウソをつかれて 信じて選挙の度に自民党に馬鹿みたいに投票して アベチャンに絶対多数の議席数を与えてしまって 踏ん反り返るのを応援してしまった愚かな日本国民の様な情けない気分がずっと続いています。
    日本は 資本主義経済ですから 野菜が沢山収穫されれば 当然価格は安くなるはずです。逆に収穫高が少なくなると 高値になるのは当然の事です。野菜の収穫は 自然相手のものですから 天候や気温によって 大きく左右されるのは当然ですが ここの所の高値安定がずっと続くのは 何か意図的な操作がなされているのではないかと 勘ぐってしまいます。まあ経済的にゆとりのある方なら それ程差し迫った気分には ならないのかもしれませんが 私は根が貧乏人なので 小さなキャベツが 何時まで経っても400円で堂々と売られているのには 我慢がなりません。
    只健康のために野菜中心の食生活を継続したいので 涙を呑んで納得のいかない高値の野菜を購入しています。野菜の高騰継続には アベチャンは直接関与していないのだろうと思いますが とにかく日本の経済が何時まで経っても 回復の兆しが見えないのは 結局はアベチャンの責任だと思いますから 早く首相の椅子から降りて欲しいものだと 強く思います。

  • 2月23日 いよいよ旅行の最終日です

    例によって 早めに起きて温泉に浸かりに 出かけました。まだ六時過ぎなのに 結構な数のお客さんがいたのには 少し驚きました。ここは幾つもの露天風呂があるのがセールスポイントですが 外は寒そうで風邪をひきそうなので 室内のお風呂だけにしておきました。ゆったりと温泉に 浸かってしっかりと温まってから部屋に戻りました。朝食もブッフェ形式なので 昨夜と同じレストランに向いました。朝は自由席なので 気に入った席について隣を見たら 何と昨夜も隣にいたご夫婦でしたので お互いに思わず顔を見合わせて 笑ってしまいました。
    まずは 洋食系のメニューの並んだコーナーへ向かいました。奇麗に出来上がったオムレツに最初に手を出しました。崩すのが申し訳ないような気もしましたが 思い切って真ん中の部分からスプーンですくいました。ベーコンエッグも取ってしまいましたので 玉子はこれでうちきりにしようと思います。子供みたいで恥ずかしいのですが 玉子は好物なのでつい取り過ぎてしまいます。レタスやキャベツ、ブロッコリーなどの野菜もなるべく食べるように心掛けます。ポテトサラダや春雨サラダも一緒に盛り合わせて サラダだけでも結構なボリュームになってしまいました。やはり私の様な食いしん坊は ブッフェ形式の食事だと 食べ過ぎてしまいます。
    洋食系と言っても パンは全然とりませんが 奥様は無類のパン好きなので 色んな種類のパンをとってきて 美味しそうに召し上がっています。さて 私はここで食事を終了すればいいのに どうしても和食系のコーナーに引きつけられて また立ち上がってしまいました。まずはお粥さんをおわんに半分ほど入れて 薬味の海苔や佃煮を少しずつ振り掛けました。焼き魚や煮物も少しずつ皿に盛りました。玉子は打ち止めにするつもりでしたが 玉子焼きと温泉卵まで取ってしまいました。罪悪感はありましたが 我慢できませんでした。和食も美味しく頂きました。丁度その頃に隣のご夫婦は帰って行かれましたが 私はそれから食後のコーヒーとフルーツをのんびりと頂きました。どう考えても 食べ過ぎておりますが これも旅行の楽しみですからと 自分を甘やかしてしまいます。
    部屋に戻って荷物をまとめて お会計をするために一階のフロントに向いました。荷物を車に積んでから 丁度開園時間のスパーランドに向いました。また取り敢えず観覧車に乗りました。高い所が苦手な私は 好きなアトラクションではありませんが 朝一なら富士山まで見えないかと期待しましたが 霞んでしまって ずっと手前の山でさえ見えませんでした。無難なアトラクションを幾つかこなした後 今回のメインアトラクション 「嵐」に向いました。行列は出来ていましたが やはり待ち時間十分位で順番が回ってきました。このアトラクションはクルクル回転して かなり恐ろしげですが 実際に体験してみると 下から見ているよりは 体が回転していることは分りますが 思っていたほどには怖くありませんでした。
    その後もいくつかの絶叫系のアトラクションに乗りました。円盤の周りにいすがズラッと並んでいて そこに腰かけて その円盤が大きくスイングする「ジャイアントフリスビー」と言うアトラクションがあり 奥様は大好きなのですが 以前にフジQで 同様の物にのって 気を失いかけましたので 強硬に反対しました。ナガシマから本日帰阪するわけで まだ何時間も高速道路を運転しなければなりませんから 体調を崩したくなかったのです。とにかく安全運転で 大阪まで帰り着くことが一番大事です。
    お昼過ぎに 見切りをつけて出発することにしました。今回の旅行は 移住先の下見が メインの目的でしたが 思っていた以上に収穫があったように思います。辰野町と箕輪町はある程度雰囲気が分ってきましたので 次回からはそろそろ 具体的に地域による特色の違いを確認して 不動産物件探しも始めてみようかと思います。まだ実際に移住するのは 数年先の予定なので あまり先走って物件を探しても 如何なものかと思いますので ジックリと腰を据えて 終の棲家の場所を探していこうと思います。
    とにかくお天気に恵まれましたので 道路状況も不安なく走れましたし 最後のスパーランドでも 割と暖かくてのんびりと楽しめました。何とか無事に病院に帰り着いてホッとしました。旅行でたっぷりと楽しい思いをしましたから 明日から仕事を頑張ろうと思っていましたら 何と夜遅くに電話がかかってきて ネコのおしっこ詰まりのようです。仕方がないので 奥様に電話をかけて 手伝ってもらい苦労しましたが 何とかカテーテルを挿入できました。膀胱内を洗浄しましたが 直ぐにまた尿道が詰まりそうなので 数日間カテーテルを留置するためにおちんちんの包皮に縫い付けて 処置が終わりました。旅行から戻って その夜からいきなりしんどかったけれども 旅行にかかった費用は稼げたので 有難い事でした。

  • 2月22日 旅行四日目です

    本日もいいお天気で 日の出の時間には目が覚めました。年寄りは朝が早い と言いますが 本当にその通りだと思います。宿舎のすぐ前に池がありますが その水面が大部分は凍り付いています。興味が湧いたので 朝ごはん前に散歩に出かけてみました。目の前で見ると けっこう分厚く凍り付いているみたいで 石を投げてみるとカーンといい音がしました。水面のある部分は 凍っていないみたいで かなりの数の水鳥が浮かんでいました。水温は勿論0度前後でしょうに 別に寒そうなそぶりもなく 悠然と浮かんでいます。まあこの鳥たちはいずれもっと寒い地方に帰っていくのでしょうから こちらの寒さなんか 全然平気なのでしょう。
    朝ごはんのメニューも 極平凡なものでしたが 結構美味しく頂けました。直ぐに高速に乗って 一路ナガシマスパーランドへ向かいました。別に急ぐ旅でもないので 途中のサービスエリアに立ち寄って 如何にも信州らしいお土産を買いました。最近は ご近所づきあいもサボっていますので 数日後に再会する友人の為に お土産を買いました。あとは奥様が御自分の為に幾つか購入されたみたいですが レジで小分けするための袋を 結構な数くれたみたいですから 買い過ぎじゃないかとは思いましたが うっかり口に出すと えらい目にあいますので 黙っておりました。
    ホテルナガシマは 結構お気に入りで 定宿にしています。一泊二日二食付で 二万円ほどかかりますが 二日分のスパーランドの乗り放題券とナバナの里の入場券 併設されているスーパー銭湯のような施設のフリーパスまで付いていますから 決して高いとは思いません。食事は 夕食も朝食もブッフェ形式ですが 料理の内容が かなり充実しているので その事もこのホテルが気に入っている理由の一つです。チェックインすると直ぐに 荷物を預けて スパーランドに入場しました。ここは アトラクションが凄く充実している割には 凄くお客さんの数が少ないので 殆ど待ち時間がないのが 嬉しいのです。
    ディズニーランドも 非常に楽しい夢の国ですが 漉いているはずの時期でも 何しろ待ち時間が長すぎます。入園している時間のうち 間違いなく半分以上は行列の待ち時間です。いずれ引退してから 年間パスを購入して 時間に制約が無くなってから のんびりと出かけるのにはいいのかもしれませんが まだ働いていて時間の制限がある生活では 何となくもったいないように感じて 暫く足が遠のいているのかもしれません。その点このスパーランドは 一番人気の新しく出来たアトラクション「嵐」ですら十分位の待ち時間ですから それ以外は殆ど待ち時間がありません。行けばすぐに乗れるこの遊園地に慣れてしまうと 他の遊園地の待ち時間には我慢しづらくなるのかもしれません。
    取り敢えずは 様子見にいつも観覧車から乗り始めます。まずは全体の雰囲気をつかんでから どのアトラクションからのろうかと考えます。凄く残念なのは 一番のお気に入りの木製コースター「ホワイトサイクロン」が終了してしまったことです。こちらは木製ですので かなり大きな振動がしてガタガタと振動音もうるさいぐらいなのですが 程よい怖さで 楽しめるのです。一般的に絶叫マシーンとは 女性が喜び 男性が怖気づく代物だと思います。奥様は 普段から相当に肝っ玉が据わっている方だと思いますが 絶叫マシーンも全然平気です。ただその奥様が 積極的に乗ろうとしないのが 「スチールドラゴン」と「鉄骨番長」です。「スチールドラゴン」とは 宙返りや横回転などのない普通のジェットコースターですが 何しろ最初の落下する地点の高さが80メートル以上と恐らく日本一だと思います。
    フジQハイランドの「フジヤマ」ですら 60メートル+αですから 断然こちらの方が高くて怖そうです。フジQに出かけた時に 「フジヤマ」には奥様が乗ろうと仰いましたので 逆らえなくてご一緒しましたが こちらの「スチールドラゴン」は 奥様が積極的に乗ろうとなさらないので 今のところは乗らずに済んでおります。それから「鉄骨番長」と言うのは 普通のベンチのような椅子に腰かけて チェーンを一応かけるみたいですが 殆ど体を拘束していない状態で回転しながら 数十メートルの高さまで釣り上げられるのです。このアトラクションは 下から見上げているだけで 金玉が縮み上がりますから 絶対にチャレンジしたくありません。奥様も積極的に乗ろうとなさらないので 助かっていますが もしチャレンジなさろうとしたら 私は間違いなく地上から応援することを選ぶと思います。
    「嵐」はメインイベントなので 後回しにして それ程プレッシャーがかからないアトラクションから 乗り始めました。奥様はバイキングがお気に入りなのですが 正直私は苦手です。大きな船の形の乗り物に座って ただ前後に大きく揺られるだけなのですが 真下や近所をみていると かなり恐ろしいのです。それも同じ動きを何度も何度も繰り返すので 恐ろしさがずっと継続するのです。以前に友達と一緒にこの類のアトラクションに乗った時に 遠くの一点を見つめていると それほど怖くない事を教えてもらいましたので 何時もその作戦で恐怖を回避しております。今回も同じ作戦で乗り切ろうと思っておりましたが いつもと反対側にのってみようと提案されましたので うっかりと受け入れてしまいました。座ってみて慌てたのが 何時も見つめる建物が 反対側に座ると見えないのです。急いで遠くにあるそこそこの高さの建物を探しました。先ほど乗った観覧車がありましたので そのてっぺんの辺りを見つめることにしましたから それ程恐ろしい思いをしなくて済みました。
    幾つかアトラクションに乗っていると 夕方になってきましたので 取り敢えずホテルの部屋に入って 一服しました。部屋の向きがいつもは海側でしたが 本日は逆側でしたので 眺めはあまり良くありませんでしたが 部屋の向きの指定はできないので しょうがありません。一休みしてから ナバナの里に車で向いました。暗くなると 凄く壮大なイルミネーションが点灯されるからです。一番奥の場所では イルミネーションで アニメーションの様に動画が点灯されるのですが 初めてみた時には凄く驚いて 感動しました。毎年テーマが変わるようで 今年はクマモンを主役に 熊本の四季を描かれていたみたいです。
    毎年テーマは変わっているようですが 残念ながら徐々に見飽きてきたみたいで 感動が最初みた時に比べて 薄れているような気がします。イルミネーション以外に 基本的には植物園なので 梅林を見に行きましたが まだ殆どつぼみが膨らみかけているだけでした。和歌山辺りでは 既に梅が満開と言うニュースをみましたが こちらではまだ梅見には早すぎたようです。LED電球で飾られた 回廊が百メートルぐらい続く所があり 初めての方は凄く感動して立ち止まって写メを撮影しているのですが 通りの真ん中に突っ立っているので歩くのにかなり邪魔になるみたいですけれど そういう人の方が多い様なので 文句を言っても勝ち目はなさそうです。
    今年は イルミネーション見物を早目に切り上げて ホテルに戻りました。お昼に菓子パンを齧っただけなので お腹が空いてきたからです。ホテルナガシマの夕食は ブッフェ形式のものしかありませんが その内容が かなり豪華で このホテルを気に入っている理由の一つです。デザートのフルーツに 勿論上臈ではなさそうですが マスクメロンのカットしたものが並んでいるのが 嬉しいのです。ズワイガニの茹でた足が 山盛りになっているコーナーがあります。私も奥様も 勿論ズワイガニは好物ですが どうもこういうレストランでは カニには一切手を出しません。隣に座ったご夫婦は 逆に他の料理には 殆ど手を出さないでカニばかりにむしゃぶりついておられました。せっかく色んな珍しくてかなり美味しい料理が並んでいるのに カニばかりを食べるのは 私は勿体無いように思います。
    この旅行の期間 結構体を動かしてはいますが 食べたいだけ食べていますので 当然体重が大幅に増加していそうで心配な気持ちがよぎりますので 思いっきりは食べられないのがちょっと心残りですが 減量は今年の最大の目標ですから 常に辛抱する気持ちを忘れないようにするつもりです。三月になるとすぐに大学時代の友人と再会する機会があります。その友人たちに 次に会うときには 目に見えるぐらいに減量しておくと 宣言しましたので 旅行後にまた厳しく体を絞らなければならないようです。四日目もまた 楽しくて充実した一日でした。ぐっすり眠って 明日に備えようと思います。

  • 2月21日 旅行三日目です

    本日の 駒ケ根市と言うのは これまで通過点であって 初めて訪れる場所でした。箕輪町からは結構南下するのですが 逆に標高が高い地域なので かえって寒さや路面の状態が心配でしたけれども 午前中に町中を色々と自力で回ってみましたが 全然問題ありませんでした。一応市と名乗っているので 人口が辰野町 箕輪町よりもずっと多いのかと思っていましたが 三万人+α でほぼ同等の都市でした。私としては 住み易ければ 別に市であろうと町であろうと 気にしません。
    相手をしてくれる職員さんが 午前中は別件の用事があるそうなので 午後一時に役所でお会いする約束になっていました。例によって早起きな私ですから 箕輪町を八時ごろには出発して 九時ごろには駒ケ根市に到着していました。市内の生活するうえで見ておくべきポイントとなりそうな場所を 予め紹介してもらっていましたので 市内の地図を見ながら回ってみることにしました。まずは今晩宿泊する予定の国民宿舎 スズラン荘が結構山沿いにあって 路面状態が心配でしたので 出かけてみました。辰野町 箕輪町は 体験宿泊所がありましたので 無料で宿泊できましたが 駒ケ根市はそのような施設を所有していないので こちらの宿泊施設を利用して 移住のための訪問である場合は 一人一泊5000円の補助金を出してくれるのだそうです。ですから五千円を超えた金額は 自腹での支払いです。部屋に風呂はないし トイレもウォシュレットではないし 布団も自分でひかばければなりません。料理もそこそこ品数はありましたが 決して豪華な食事ではありませんでした。まあ一泊二食付で9000円位でしたから 文句は言えませんが どうせお金を出して宿泊するのなら もう少しいいホテルに泊まりたかったような気がします。
    取り敢えず宿泊場所を確認して 道路の状況が問題ない事を確認しました。更に奥に進むと 有名な駒ケ岳の千畳敷カールへの ケーブル乗り場があります。冬場はその手前から シャトルバスに乗り換えるのだそうですが 千畳敷カールは 一度は訪れてみたい 素晴らしい観光地です。特に夏は まるでスイスを思わせるような景色が広がりますから 伊那谷地方へ移住したら 直ぐに出かけてくると思います。駒ケ根市に興味を持ったのも 子の千畳敷カールがあるからです。駒ケ岳の麓にあるので駒ケ根市と言うのだそうですが 残念ながら駒ケ岳の山頂は市内にはないのだそうです。
    その後文化センターの図書館や博物館、中央病院、ショッピングセンターなどを回っているうちにお昼になりました。駒ケ根市はソースかつ丼が有名なのだそうで お店がたくさん載ったマップももらっていましたので ソースカツどんも食べられるお蕎麦屋さんに出かけてお昼ご飯を頂きました。私は ソースかつ丼と言えば 福井県を思い出しますが 駒ケ根市もソースかつ丼で町おこしの活動を結構頑張っているみたいです。ソースかつ丼専門店も 結構紹介されていましたが この旅行中 一度も信州そばを食べていなかったので 蕎麦とかつ丼の両方が頂けそうなお店をチョイスしてみました。
    ソースかつ丼は 衣のパン粉が細かいとんかつを甘い目のソースにくぐらせて 千切りのキャベツと一緒にご飯の上に乗っけてあるかつ丼です。お店によっては 卵とじにしてある場合もあるのだそうですが チョイスしたお店はソースのたっぷりとかかったトンカツが乗っかているタイプの丼でした。まあ普通に考えて 上手にカツがあげてあり 美味しいソースに絡めてありますから 普通に美味しかったです。予想通りの味で 特に美味しいとは思いませんでしたが 別にガッカリもしませんでした。まあ私は同じお金を出すのなら すき家の牛丼が味噌汁玉子付きで二回食べられますから そちらを選ぶかもしれません。香川県でうどん屋さん巡りをした時も感じましたが 「名物に美味い物なし」と言う言葉がありますが 期待が高すぎると ガッカリしてしまうのかもしれません。
    約束の時間に市役所の 指定された窓口を訪ねると 担当者の女性が待っていてくださいました。初対面ですので 簡単に挨拶をしてから 駒ケ根市について大まかな説明を受けました。しばらく話をしていると 移住の先輩の方がやって来られたので その方から 駒ケ根市の魅力や逆に困ったこと 生活してみて意外に思ったことなどを伺いました。その方は息子さんが駒ケ根市に移住したので 同居する形で この町へやって来られたのだそうです。住んでおられる場所は キチンと区画された住宅地でした。私はこのタイプの住宅には あまり興味がありませんが 色んな地方から集まってきた人たちが住んでおられるので 田舎の農村の様な干渉や厄介な風習がないのは 案外暮し易くていいのかもしれません。
    先輩の話を聞き終わってから 職員の方の車に乗って 移住すると事を想定しての場所を色々と案内してもらいました。辰野町 箕輪町では まだ不動産の物件を見学には出かけていませんでしたので 駒ケ根市で 初めてその類の物件を見てみましたが まだ初めてみる街なので あまり移住先として 実感がわいていないので 正直それほど興味が湧きませんでした。ぶっちゃけた所 千畳敷カールに引かれて この町にもアプローチしてみましたが 辰野町 箕輪町ほどには魅力を感じませんでした。やはり対応していただく方の魅力が その街の魅力に直結しているのかもしれません。
    その後宿泊するスズラン荘に早めに入って のんびりしました。旅行も三日目で 結構疲れが溜まってきています。移住先の下見は これで終了です。明日朝一で出発して ナガシマリゾートへ出かけます。おきにいりのホテルナガシマへ向かい スパーランドで思いっきり遊ぼうと思っています。せっかくの旅行ですから 楽しまなくては です。

  • 2月20日 旅行二日目です

    朝六時に 音楽が流れたので目が覚めましたが まだ暗いうちから有線放送が始まるのが 何とも田舎的で楽しいです。カーテンを開けると 窓が結露していましたが 網戸のない部分の結露は凍り付いていましたから やはり寒さの度合いが大阪とは異なるようです。布団を出ると震えあがりそうになるので 直ぐに暖房を入れましたが 気密性が高い部屋みたいで直ぐにホカホカに温まりました。出発の準備をしてから 台所に行きました。前回は朝食の時も管理人さんが顔を出されたので お話しながら一緒に頂きましたが 今朝はまだ寝ておられたみたいなので 自分たちだけで 朝ごはんを作り頂きました。
    本日は箕輪町に移動して 午前中花を栽培する農家さんを見学させてもらう予定です。約束の時間に間に合うように出発するときに ようやく管理人さんが顔を出されたので 挨拶を済ませると箕輪町に向って出発しました。朝なので 路面の状態が少し心配でしたが 全く問題ありませんでした。隣町なので 直ぐに待ち合わせの場所である町役場へ到着しました。小さな町の場合 独立した税務署がないみたいで 昨日の辰野町も本日の箕輪町も役場の一角が納税相談所になっているみたいでした。ここも二回目なので 勝手がわかっていましたので 休憩室に入り込んで 缶コーヒーを飲みながら のんびりしました。ここに設置してあるストーブはペレットストーブと言って 木を砕いて固めた燃料を使うのだそうです。暖房力はかなりのもので 臭いなども気にならないし 燃料代も一冬で5~6万円位と 結構経済的です。
    本体の価格は数十万円とそこそこしますが 薪ストーブよりはまだお安いように思います。それに薪ストーブの場合燃料となる薪自体は 場合によっては近所の知り合いからタダでもらえたりする場合も多いのだそうですが 薪割がかなりの重労働なのだそうですし 薪を割る音がご近所迷惑だったりする場合もあるのだそうです。それに薪を乾燥させるために置いておく保管場所も作らならければならないし 一日にそこそこの薪を消費するので 自力でストーブにいちいちくべなければならない面倒さもあります。ペレットストーブの場合 紙袋に入ったペレットを補給口から流し込めばいいので 全然楽なのだそうです。
    勿論燃料が燃えた後の灰の処理は必要ですが 薪に比べて楽そうだし 発生する煤の量が少ないので 煙突掃除などが少なくて済むメリットがあるのだそうです。私は移住する家を新築しようと考えておりますので 最初からメインの暖房をこのストーブにしてみようかと考えております。薪割なんか 最初の頃は結構面白そうにも思いますが 一冬に必要な量の薪割をする労力を考えると 気が重くなるので 薪ストーブは 止めておこうかと考えています。兎に角寒い地域なので 暖房をどのようにするかは重要なポイントですから しっかりと勉強して 経済性も大事ですが 労力や衛生面 メンテナンスにかかる労力と費用等も考慮して慎重に決めようと思います。
    さて花を栽培している農家さんに 農業体験をさせてもらいに伺いました。昨年の秋なら リンゴの収穫時期だったので 収穫をお手伝いさせてもらってお土産にリンゴがもらえる筈でしたが 花の栽培、刈取り、出荷などですから 殆ど説明してもらって 見学しているだけで終わってしまいました。そのお宅は ご両親と息子さんの三人家族に 近所のパートのおばちゃんたちで働いておられました。主に息子さんからお話を伺いましたが 想像以上に大変なお仕事の様でした。
    栽培するおおまかな品種はほぼ決まっているようでしたが 花の色や大きさなど 同じ種類でも特徴が異なるみたいで 毎年その年はどの花を栽培するのか慎重に決定して 他の産地との兼ね合いで 出荷する時期を考えないと収入が大分違ってくるのだそうです。当然ですが 品薄の時期に出荷すれば 高値がつくし だぶついている時期に出荷しても買いたたかれるのだそうで 栽培を始める時期や出荷するタイミングを決めるのは なかなか難しそうで のんびりと花を愛でていればいいのかと思っていましたが 全然違うようです。
    寒い冬は 勿論暖房をしなければならないし 暑い夏には 逆に冷房してやらなければならず そのような設備にもかなりお金がかかるのだそうですし 当然ランニングコストも相当な金額になるのだそうで なかなか儲けを出すのには苦労が多いみたいです。花の栽培には 当然ビニールハウスが必要なのだそうですが 一棟当たりの価格が 動物病院一軒分に匹敵するぐらいだと聞いて驚きました。一家族が生活していくためには 一人が一棟位は必要なのだそうで 三人家族なら ビニールハウスの金額だけで一億円を越してしまいますから 並みの覚悟では始める事も出来ないお仕事です。
    正直私は 花の類には 一切興味がありませんが 花を栽培する農家さんの御苦労を知ることが出来て 凄くいい勉強をさせていただきました。跡取り息子さんは 何と四十代になるのに未だ独り者なのだそうですが お嫁さんにも当然家業のお手伝いをしてもらわねばならない事がネックになって 女性とお付き合いしてもなかなか結婚まで進めなかったのだそうです。ご本人は 大学を出て サラリーマンをされていた時期もあったそうで 正直花農家を継ぐよりも 気楽だし安定しているし 結婚もしやすかったのでしょうが ご両親が頑張っておられる姿を子供の頃から見ておられたので 一人息子として後を継ごうとしんどい決意をされたみたいです。私の様な怠け者には とても務まりそうにない険しい事の多そうな人生だと思いました。
    昼から 移住の先輩 と言うか三十代から脱サラしてこちらの地域で 農業を始められた方を紹介して頂き お話を伺いました。ご夫婦で ハーブや野菜を栽培して 販売しておられる方でした。農業と言う仕事は 基本的に農閑期と言うのはあるのでしょうが 農繁期にはお休みが無いみたいで やはり毎日かなりお忙しくされているみたいでした、勿論 ご主人は農業が好きで 脱サラして始められましたし 奥様もご主人が農業されているのを分かったうえで結婚されたのですから 毎日農作業に従事することは苦にならなかったのかもしれませんが お二人のお話しだと 毎日忙しくされている割には 経済的にゆとりがおありではなさそうな話だったので 農業と言うのは自然が相手の楽しそうなお仕事であることは 伝わってきましたが やはり怠け者の私には 出来そうにもないお仕事だと思いました。
    夜は 外食してみようかと思い お勧めのレストランを紹介して頂きましたが 結局はショッピングセンターで食材を購入して 自炊しました。宿泊施設は 調理器具も食器も一揃い用意してありますので 自分たちで作った方が 楽しくて美味しいと思ったからです。旅行に出た時ぐらい 贅沢をすればいいのに ついつい倹約してしまうのは 私が貧乏性だからなのでしょうか。
    そんな訳で二日目も 箕輪町の魅力を満喫できましたし いろいろ勉強になりましたので 有意義な一日でした。結構緊張していたので かなり疲れたみたいで 食後直ぐにオリンピックも見ないで 寝てしまいました。

  • 2月19日 信州への旅行をスタートしました

    私は 毎年この一番寒い時期に 確定申告のしんどい作業を終えた自分へのご褒美として 旅行に出かけます。一番寒いので 人気のある観光地なら 一番空いている時期かもしれないと期待していましたが ディズニーランドなんかは 年がら年中混み合っているみたいで 勿論ゴールデンウィークや夏休みよりは空いているのでしょうが 連日何時間も行列に並ばされました。私は奥様と知り合うまでは ディズニーランドの存在は勿論知っていましたが 単なる遊園地としか認識していませんでした。
    奥様がディズニーランドが大好きでしたので 強引に誘われて 仕方なしに出かけてみましたが 初めて経験するディズニーランドは 私の予想をはるかに超えるぐらいに 凄く楽しくて まさに夢の国でしたので せっせとディズニーランドに 通い続けた時期がありました。それから引退してからの移住先として 南の島を想定していましたので沖縄本島や石垣島へ何度か出かけたこともあります。あくまで移住先として考えていましたので 観光地にも出かけましたが 一日は不動産屋さんに物件案内をしてもらう予定も忘れずに立てていました。
    南の島はリゾート地として とても魅力的でしたが 何しろ日本の一番南の端っこの 離れ小島です。私の引退後の夢としては一つには 南の島で思いっきりのんびりしたい事がありましたが もう一つには ある程度豪華なキャンピングカーに乗って 全国を津々浦々旅してまわりたい と言うものがありました。リゾート地と言うのは たまに訪れるから楽しいのでしょうが 年がら年中そこで暮らしていたら 直ぐに飽きてしまうのではないかと 幾らか不安な気持ちがありました。
    旧友と再会した時に 日本中を旅してまわりたいのなら 日本の中心に位置する場所へ移住する方がいいのではないかと 意見されましたので もっともな事だと移住先を大きく方向変換したのが 昨年の事でした。位置的に本州の真ん中辺りにある 静岡県と長野県辺りに 絞って考えてみることにしました。兎に角 突然の方向変換でしたので 静岡県も長野県も殆ど予備知識がありませんでした。取り敢えず私は富士山が大好きなので 富士山がよく見える富士山の近所にある 富士宮市と富士市に問い合わせのメールを送ってみました。同時に長野県では 高速道路に近くて雪の少なそうな伊那谷地方にある町へ移住を希望しているのだけれで と言った内容でメールを送ってみました。
    そうすると 富士市や富士宮市は 人口十万人以上の そこそこ大きな自治体だからなのか 富士山のよく見える地にあって 移住先としても人気のある土地だからなのかもしれませんが 移住してくるのなら 特にお断りはしませんよ、と言った私にしてみれば かなり冷たい対応を受けたように感じました。それに対して 伊那谷の町からは 辰野町や箕輪町 駒ケ根市辺りから 歓迎しますよ と言った気持の伝わってくる暖かいお返事を頂きました。(あくまでも 個人の感想です)
    どうせ移住するのなら 私の様な人間でも 歓迎してくれる街へ移住したいと思いましたので 取り敢えず静岡県は移住先候補地から外しました。昨年の秋に取り敢えず メールに対する反応のはやかった辰野町と箕輪町へ 出かけてみました。奥様のお母様が急病で手術することになりましたので 日程の半ばで急に帰阪することになりましたので 十分な下見とはなりませんでしたが 歩くナビゲーターである奥様は 町の概観をほぼ把握されたみたいです。方向音痴の極みである私は 全然分っていませんが 奥様がどこら辺に何があるのか ほぼ理解されているみたいなので 案内人がいなくて自分たちだけで移動することがありましたが 全然不安は感じておりませんでした。
    今回の旅行に関しての不安は とにかく雪道に対するものだけでした。先週は 例年になく寒いこの冬でも 特に道路状況が思わしくなかったみたいでした。スタート時間を何時にするのか 最後の最後まで悩みました。せっかくの下見旅行ですから 出来たら目的地に朝一番で到着して 丸一日有効に活用したいのですが 焦ってスタートして 路面状態の悪い時間帯に走って 事故でも起こしたら元も子もない様に思ったからです。前日の夕方まで 中央道あたりの雪道情報を 散々調べて 結局当日の朝 六時半ごろ 幾らか明るくなってから スタートして辰野町役場へ昼ごろに到着する見込みでスタートすることにしました。
    何時もの旅行なら 初日の朝ご飯と昼ご飯は 私が弁当を作るのですが 今回は余裕がなかったので 朝ごはんは近所のスーパーでサンドイッチなどを購入して 水筒にコーヒーだけ用意しました。昼ごはんとしては ポテトサラダとナポリタンスパゲティをタッパーに詰めたものを用意しました。予定の時間になりましたので 病院をスタートして 奥様を迎えに行きました。所が奥様を車に乗せたとたんに 私が朝病院のカウンターの所にあるストーブを消したかどうか不安になってしまいました。
    朝準備を整えて 一階に下りてきて パソコンで最後の道路情報を調べるためにいすに座りました。寒いのですぐにストーブのスイッチを入れたのは間違いがありませんが 消したのかどうかよく覚えていないのです。小さな電気ストーブですから もしつけっぱなしであったとしても 火事になる危険性は殆どありませんが 電気代が無駄になりそうです。旅行の間中 ずっとストーブを消したかどうだか気になるのは 不愉快なので いきなりのつまづきでしたが 一度病院に戻って確認しました。奥様が病院内に戻ってくれて ストーブが消してあることや 念のために二階に上がって ガスの元栓などを閉めてくれて戻ってくるのを ひやひやしながら待ちました。
    問題なかったので 直ぐにスタートしました。前回は 名神高速から 直接中央高速に乗りましたが 今回は岐阜県辺りが結構路面状態が悪そうだったので 新名神から湾岸道路を通って中央高速に乗るルートを選びました。徐々に明るくなってきました。道路のわきの山には雪が白く積もっていましたが 路面の状態は全く普段と変わりなくて 快調に走れました。いよいよ中央道にのりましたが たまに融雪剤を撒いた白い跡が見受けられましたが ノーマルタイヤでも全く不安なく走れましたので ホッとしました。
    予定していたよりも早目に十一時ごろに辰野町役場に到着しました。案内係の方には 余裕を持って十二時ごろに役場に到着するとメールしていましたので 午後から案内してもらう予定の交流会館の場所を調べてあったので 出かけてみることにしました。そこは 近所のおばちゃんたちが集まって サークル活動をしたりする場所みたいで 丁度数人のおばちゃんたちが 刺繍のような作業に勤しんでおられました。興味が全くないので よく分りませんが ここでは集まって料理を作ったり 踊りのけいこなどもしているのだそうです。勿論 おばちゃんだけではなくて じっちゃんたちが集って囲碁や将棋を楽しんだりもするのだそうです。
    昼になり 前回も案内してくれた担当の女性と合流しました。移住の先輩をご紹介いただいて お話を伺いました。その方は 結構な僻地に住んでおられるようで 田舎の色合いがかなり濃い場所なのだそうです。私も出来たら ある程度は田舎臭の感じられる地域へ移り住みたいと考えていますが 田舎になればなるほど独特の風習と言うか 干渉のようなものが心配です。よく聞く話として 田舎だとご近所さんから 色んな例えば農作物等の頂き物が多いのだそうです。但し 人間関係ですから 須らくギブ&テイクの関係みたいで 頂き物をしたら 相応のお返しをすることが必要なのだそうです。お返しをしないと 礼儀知らずのケチンボだという評判がたつのだそうですから 要注意です。
    その方は神奈川県に持ち家があり 月に数日は そちらに帰って空気を入れ替えたり 庭木の手入れをしておられるのだそうですが 月に数日は不在の日があるので どうもその男性には 愛人がいて愛人宅を訪問するために数日家を不在にするらしい と言う根も葉もないうわさが 実しやかに流れているのだそうです。面倒なのでほったらかしにしているのだそうですが 田舎ではそんな根も葉もないうわさが流れる事ぐらいは 覚悟してから 生活を始める方がいいのかもしれません。
    そんな田舎の風習が 嫌なら 移住者たちが集まっている住宅地もあるのだそうですが 出来合いの住宅地では わざわざ長野県まで移住する意味合いが 薄れてしまいそうな気がしますけれども 煩わしい田舎の慣習やしがらみとは 無縁の生活が出来そうです。現実に移住を決行するのは 数年先の話なので もう少し自分の要求や 覚悟を固めてから 具体的な移住する地域を選んでいこうと思います。その夜は 前回も泊めていただいた宿泊体験所にお邪魔しました。勿論無料ですし 管理人さんが常駐しているので 安心です。
    外食してもいいのですが 管理人さんとご飯を食べながら地元のいろんな話が聞けて 前回も楽しかったので 今回は肉じゃがをタッパーに入れて用意していきましたし 昼ごはんのサラダやスバゲティーを晩御飯のおかずに再利用しましたので ご飯だけ炊いて晩御飯を頂きました。その晩は 疲れていたみたいで ご飯を食べて風呂に入ったら 直ぐに眠ってしまいました。慣れないベッドに普段とは感触の異なるまくらでしたが 直ぐにぐっすりと眠って いつもの大いびきで奥様に迷惑をかけたのだそうです。

  • 2月17日 旅行が目前に迫ってきましたが 天候が凄く心配です

    目的地である 長野県の辰野町や箕輪町の天気予報をみると 来週はお天気に恵まれそうですし 気温も彼の地としてはそれほど低い温度が予想されていません。でも雪道情報などをみると 中央高速に入ってから先で 瑞浪や恵那といった地域から 駒ケ岳SA辺りに ちょくちょく規制がかかっているのです。速度規制なら 普通の高速道路は100キロまでが相場ですが 80キロ若しくは50キロぐらいまで 速度規制がなされているのは これまでにも運転経験がありますから それ程不安はありませんが ただの規制中という表示には 一体どのような規制がかかっているのか 見当がつかず 余計に不安になります。
    来年は寒くなったら ケチケチしないでスタッドレスタイヤを購入して 履きかえようと考えていますが 今年は何とかチェーンで乗り切ろうと決意しましたので その着脱が 昔に比べてすごく簡単になったのだそうですが 全く不慣れなうえに 人一倍不器用な私は 相当に苦労しそうです。兎に角チェーンを使用して走ったことがないので チェーン装着中の走り辛さも予想がつきませんし、時速50キロ以下で走らなければならないのだそうですから 時間も余分に相当かかりそうです。何しろ未経験なので チェーンの着脱のタイミングも読みづらいので猶更心配です。
    中央道の恵那の辺りには 10キロ近いかなりの長さのトンネルがあります。トンネルの中は 勿論雪が積もっていない路面状態ですから もしトンネルに入る前に チェーンを装着している場合は トンネルに入る前にチェーンを外さなければ チェーンが傷んでしまい 下手するとちぎれてしまう可能性まであるのだそうです。チェーンの着脱は 購入してから自宅で 二三回練習しましたが 普通の状態でも十分以上かかります。ましてや雪が降っているような屋外での着脱となれば 寒さも段違いでしょうし 地べたはずぶ濡れであることが予想されますから もっとやり辛くて 更に時間もかかりそうなので 不安です。トンネルに入る前にチェーンを外したら 当然トンネルを出た所で チェーンを再び装着しなければならないのでしょうから 無駄な労力と時間が 勿体無いのですが とにかく安全運転が第一なので 必要に応じて 取り組むつもりです。
    昨年の秋に出かけた時には 自宅から 辰野町役場まで 約四時間で到着しましたが 今回は一体どれくらいの時間かかるのか 見当がつかないので スタートのタイミングを決めるのにも一苦労しています。前回は 浅野四時半ごろにスタートしましたので 役場の駐車場には 予想通り八時半ごろに到着できましたので その日丸一日辰野町を知るために有効に活用できましたが その時間帯は 一番気温も下がるし 路面も凍結していることが予想されます。車の走る量も少ないのでしょうから 猶更走りにくい 危険な路面状態かもしれません。さんざん考えて 浅野六時半ごろにスタートして 町役場へお昼ごろに到着する予定で 余裕をもってスタートすることにしました。これまでの旅行で スタート時間を決めるのに苦労した覚えがありません。
    少し前までは 南の島への移住を夢見ていましたから その暑さにボケの進行が早まるのではないかと 心配していましたが 移住先を変更したために まさか寒さや雪に悩まされることになるとは 思ってもおりませんでした。特に今年の寒さは 例年以上であることが繰り返し報道されていますし 裸足で生活していた私が 連日靴下のお世話になっていますから 今年は特に寒さへの警戒が必要そうです。でもまあ ものは考えようで 今年の厳しい寒さを経験するために わざわざこの時期に 彼の地を訪れるのですから その寒さの厳しさや 大変さをしっかりと経験できれば 寒さに対する心配事が結果的には減ってくれるのではないでしょうか。
    とにかく 確定申告の準備が終わって 自分へのご褒美として この時期に毎年旅行しておりますので くれぐれも安全運転には注意して 無事に楽しくて いい思い出になるような旅行にできるよう頑張って参ります。旅行から 無事に戻って参りましたら またこのブログで逐一ご報告いたしますので 楽しみにしていてください。それでは 冬の信州への旅行に行ってまいります。