Dr.喜作のブログ

2018年8月 の記事一覧

  • 8月30日 1970年の本日 植村直己さんが世界五大陸最高峰の単独登頂に成功されたのだそうです

    データーによると8月26日に登頂成功となっているものもありますが まあ細かい事はいいでしょう。植村直己氏は、アメリカ合衆国のマッキンリー山の単独登頂に成功し、五大陸最高峰とhは 当時はモン ブラン(ヨーロッパ)キリマンジャロ(アフリカ)、アコンカグア(南アメリカ)、エベレスト(アジア)、マッキンリー(北アメリカ)の五山を指していたのだそうです。現在では ヨーロッパの最高峰としては ロシアのエルブスル山を入れる場合が多いのだそうですが この山のある地域は 人種や文化的に見ると アジア圏に属する部分が多いので 現在でもモンブランこそヨーロッパの最高峰だと主張する人も少なくないのだそうです。ちなみに植村さんは その後エルブルス山にも 登頂されているのだそうです。
    人には それぞれ色んな趣味があります。山に登るのが好きな人もあれば 暇さえあれば釣りに出かける釣りバカも結構いるみたいです。私には 何故汗水たらして 山を登りたくなる人が結構いらっしゃるのか 理解できません。子供の頃に 家族で比良山辺りに ハイキングの延長として上ったことはあります。たっぷりと森林浴が出来て 一歩一歩頂上を目指して歩いている時には もう二度と山登りなどしたくない気持ちになりましたが 山頂に到着して周囲を見下ろした時の爽快感と 途中でリフトも利用しましたが 殆んど自分の足で登った達成感が 非常に心地よかったので 山登りと言うほどの山ではないけれども 自分の足で頂上を目指すのも悪くないなとは思いました。まあその後 本当に私が気に入っていたのなら 山へ又上ったのでしょうが 繰り返していない所をみると やっぱりそのしんどさが答えたのだと思います。
    釣りは 小学生の頃に 近所の池でフナやもろこを釣った経験はありますし 釣竿を垂れている時には それなりのワクワク感があるので 相当おもしろいと思いました。ただ私は基本的に気が短い性質なので のんびりと座っていることが辛くなりそうで それ以上の本格的な釣りとは縁のない生活をしていました。大学時代やサラリーマン時代に 友人から釣りに誘われたことが何度かありますが いざ釣りを始めるとなると 着る物や道具などを揃えるのに 結構なお金と手間暇がかかりますから 面倒になって始めませんでした。別にお金がもったいないわけではないし そんなに忙しくしていたわけではないので 結局は釣り自体にそれほど魅力を感じていなかったのかもしれません。
    私が夢中になったものを年代別にあげると 小学生から高校生までは ずっとピアノを先生について習っていました。正直最初の頃は 男でピアノを習っていることが何となく恥ずかしくて 学校の友達には内緒にしていました。しかし段々上達して 自分がレコードで聴いたことのある曲 好きな曲にチャレンジできるようなレベルに達すると 楽しくて夢中で練習していました。妹は音大に進み ピアノの先生になりましたが 私は男だったからなのか ピアノを仕事にしようとは考えませんでした。
    一つ目の大学に入ると サークル活動として混声合唱団に所属しましたので 合唱にどっぷりとはまりました。三四年生になると 何故かボーリングにはまってしまいました。卒業研究室も 高分子化学研究室でしたが 別名ボーリング卒研と呼ばれるほど ボーリング熱の高い研究室を選びましたので 研究も勿論頑張りましたが それ以上にボーリングに打ち込む日々でした。サラリーマン時代には 年間千ゲーム以上投げて アベレージが180を超えていました。自分がプレッシャーにすごく弱い腰抜け野郎であることを自覚していましたから ボーリングを職業にしようとは考えませんでしたが ボーリング場でボーリング仲間も出来たので 楽しく夢中になっていました。
    現在の楽しみは 年に二回ほど 奥様と二人で旅行に出かける事が一番かもしれません。以前はディズニーランドに夢中になっていた時期もありましたが その後 伊勢志摩や淡路島などに興味が移り 現在は 移住先の第一候補である長野県に繰り返し訪れている状況です。今年も秋になって 仕事が一段落したらまた長野県に出かけてみようと考えています。移住先候補地は 中央アルプスと南アルプスの谷間の地域ですから 話を元に戻して 山登りを始めてみるのも悪くないのかもしれません。まあ年寄りのすることですから ハイキングに毛の生えた位のものでしょうが 季節の山菜でも採取して 食卓を賑やかにできたら 一石二鳥かもしれません。植村さんのような 冒険野郎にはなりたいとも思いませんが 移住を切っ掛けにして 健康のために山歩きを出来たらいいのかもしれません。

  • 8月29日 本日は 語呂合わせでしょうが 焼肉の日なのだそうです

    私は このブログに何度も何度も書いていますが 子供の頃塊のお肉が 大嫌いでした。嫌いと言うか 呑み込めないので 生理的に受け付けないというのが正直な所でした。私がこんな風になってしまったのは ひょっとしたら母親の作ってくれる料理に問題があったのかもしれません。塊の肉の入っている子供の好きな料理と言えば カレーライスが代表的なのかもしれません。所が我が家のカレーに入っているのは ミンチ肉だったのです。我が家のメニューに 焼肉は存在しなかったし 外食に出かけたこともありません。
    友人の家で晩御飯を御馳走になった時に カレーが出てきたことがあります。勿論カレーは子供の大好物ですから 私も喜びましたが いざ食べてみると でっかい塊肉が幾つも入っていたので 驚きました。よそのお宅でご馳走になっているのですから 残すのは失礼にあたると子供ながらも何とか飲み込もうと頑張りましたが 無理でした。恥ずかしいし 情けないのですが 生理的に受け付けないので何ともなりませんでした。
    やはり普段家で出される料理に 塊肉が登場していなかったために 私がミンチ肉しか食べられない情けない状態になってしまったのだと思います。その為に給食でもたまに塊肉が出てきたときに 凄く苦労しました。当時は 自分の食器に盛られた食べ物は 残すことが許されませんでした。どうしても食べられないと 先生が先割れスプーンにすくって 半強制的に口の中に放り込まれるのです。私はそんな惨めな状態になりたくなかったので 塊肉をある程度噛み砕いたら お茶と一緒に流し込むように飲み込んでいました。友達が 昨日の晩ビフテキだった 等と嬉しそうに話しているのを 不思議な気持ちで聞いていました。子供の好物として 鶏の唐揚げが大人気だという評判に 信じられませんでした。
    そんなに苦手だった塊肉が 中学生になったころに 急に食べられるようになりました。食べられるようになったら 逆に大好物へと急変しました。一旦食べられるようになってからは 母親にリクエストして 積極的に塊肉の料理を作ってもらいました。母は 父の為の料理には 普通に塊肉を使っていましたが 子供のための料理はミンチ肉を使うものだと勘違いしていたみたいでした。我が家では 焼肉と言う料理が存在していませんでしたので 大学時代に始めて友人と焼肉屋さんで 焼肉を食べた時には 感動したとともに こんな美味い物をこれまで食べてこなかったことを悔しく思いました。
    還暦を過ぎた現在も 焼肉はやっぱり大好物ですので 自分の病院に出かけた直後に 暫くの間食べたいものを食べられる時期に 喜び勇んで焼肉屋さんに出かけます。以前は一品ずつ注文していましたが 最近は焼肉屋さん自体がお会計が面倒だからかもしれませんが 食べ放題のコースが幾つも設定されています。焼肉ばかりではなく サイドメニューやご飯物 デザートまで含めて食べ放題ですから お支払いの心配なく食べられますので 大抵食べ放題のコースを選んでしまいます。コースとしては 価格が安いと 選べないお肉の種類などがあるので なるべく一番高いコースを選択します。還暦を過ぎると 普通の大人よりもいくらか安い価格が設定されていたりします。なんだかいかにも年寄り扱いされているみたいで 不愉快に感じていましたが 還暦を過ぎてしまうと 流石に抵抗したい気持ちが薄れてきて 安上がりになるのが嬉しく感じてしまいますが 自分が年寄りであることを認めているようで悲しくなってしまいます。
    次の病院で検査を受けるのが 一月先なのでまだあと一月は 我慢の生活ですが 糖尿病と心臓病を患っている身としては 元気で長生きするために辛抱が肝心です。病院に出かけたら ほんのひと時摂生生活から解放されますので その時期になったら 思いっきり焼肉を食べようと思います。焼肉としては カルビやロースと言った脂っこい部位のお肉でも 美味しく感じるのですが すき焼きの場合は あまり上等の 所謂さしが沢山入った脂っこいお肉は 胃がもたれてしまうので 赤身のサッパリとしたお肉の方がありがたく感じてしまうので 年をとったことが痛感して悲しくなります。
    但し テレビで報道されているのを見たのですが 何時までも元気なお年寄りは 結構お肉好きが多いらしいです。朝からステーキや焼肉を喜んで食べている方が多いのだそうです。食生活まで 老け込んでしまうのは 長生きには望ましくないらしいので 焼肉をいつまでも美味しく楽しめるように頑張って生きていこうと思います。

  • 8月28日 1974年の本日 神奈川県でピアノ騒音殺人事件が起きました

    私が高校生の頃に この事件は起きました。当時は狭いけれど庭のある一軒家に引っ越していましたが 数年前まで四人家族で2DKの団地に住んでいました。私はこのブログに何度も書きましたが小学生の頃に ピアノとマリンバと言う楽器を習っていました。練習は毎朝 七時から 私がピアノの練習を三十分間やり 七時半から私がマリンバの練習 妹がピアノの練習を八時までしてから 小学校に出かけていました。小学生が鳴らす楽器の音ですから ボリュームは大したことが無かったのでしょうが 初心者の基本練習ですから 心地よいメロディーなど皆無だったと思います。何しろ毎朝七時から八時までピアノとマリンバを弾いていたのですから 相当なご近所迷惑をかけていたのは間違いありません。別に楽器の練習は 昼間でもできましたが 会社勤めをしている父親が練習を見届けたかったからかもしれませんが 毎朝その時間帯に私たちの練習は行われていました。
    ご近所にお住いの方々が 寛大で優しい人たちばかりだったからでしょうが 特に文句を言われることもなかったみたいです。母親が相当に気を使って 盆暮れに付け届けをしていたような気がします。母の細かい配慮があったから トラブルは起こらずに済んだのかもしれません。しかしこの事件が起こって その状況が報道された時には 我が家だって ご近所から報復を受けていたかもしれないと思って 肝を冷やしたのを覚えています。
    後になって 調査されると ピアノの音の犯人の部屋で聞える音量は 普通の人なら 我慢できる範囲であったのだそうですから 逆恨みだったのかもしれません。ただ 被害者の家では 日曜大工が趣味だったみたいで ピアノの練習が始まる前から 犯人はかなり日曜大工の騒音にも 苦情を言いに行ったりしていたのだそうですから 感情的に被害者宅に対して相当な反発を感じていたのでしょう。それにしても 犯人が卑劣だと思うのは そもそも日曜大工を行っていたのは 被害者御一家の 旦那さんだと思います。犯人は 旦那さんが出勤してしまい 不在であることが分っていて 刃物を持って被害者宅に押し入り十歳にも満たない女の子二人を刺殺したのです。ゴミ捨てから戻った奥さんもついでのように 刺殺したのだそうです。
    そもそも犯人が騒音だと思った日曜大工の音を出していた 旦那さんが不在の時をねらい 女子供だけを刺し殺すなど 勿論人殺し自体が許されるはずのない行為ですが 尚更卑劣な恥ずべき犯罪だと思います。たとえ逆恨みであっても そもそも反発を感じた旦那さんにその憎悪を向けずに か弱い女子供だけ刺し殺した行為は 厳罰に処されるべきだと思います。事件が起きてからもう三十年以上が過ぎていますが 死刑判決が下されてるにも拘らず 未だ死刑が執行されていないのだそうです。犯人は相当な高齢のはずですから 早く執行しないと老衰で死亡したら 無期懲役の判決が下されたのと同じ事になってしまいます。
    世界的に見ても 死刑を執行している国は多くないのかもしれませんが 少なくとも死刑判決が下されるのですから 刑が確定したら 速やかに執行されることが被害者の家族の気持ちを考えたら必要だと思います。現在の風潮としては 死刑と言う極刑は廃止する国が増えている傾向にあるように思いますが 正当な裁判でその判決を下された場合 出来るだけ速やかに執行するのが 正しい手順だと私は思います。別に死刑と言う判決があることが 凶悪犯罪に対して抑止効果があるとは思いませんが 日本では法律的に認められている判決なのですから 法務大臣の個人的な考え方によって 死刑を執行するのがどんどん先延ばしにされることは 私は正しくないように思いますが 如何でしょうか。 

  • 8月27日 漫画家のさくらももこさんがわずか53歳で亡くなられました

    さくらさんと言えば 勿論[ちびまる子ちゃん」ですが 日曜日の六時からの放送が始まったころ 私は岐阜で大学生をしておりました。テレビは小さくてオンボロなもの 確かサークルの先輩から譲り受けたものがありましたので 見るとはなしにみていたのだと思います。子供向けのアニメーションだと思っておりましたので 勿論最初は偶然につけっぱなしのテレビで放送されているのを眺めていましたが そこに描かれている時代背景が 昭和の色がかなり濃いので 今どきの子供さんたちに受け入れられるのかどうかと不思議に思っていましたが 日曜日の六時から 「さざえさん」という伝説的な子供向けアニメの直前に放送されるのですから 当然最初から大ヒットするものと予測されて放送が始まったのかもしれません。
    私も昔から 日曜日の夕方には 何となく「サザエさん」を見ていましたが そのほのぼのとした内容は 時代劇の「水戸黄門」と同じで 家族で見ていて安心できること間違いなしの番組ですから 長年高視聴率を誇っていたのだと思います。その「サザエさん」を見るためにあわせたチャンネルで 直前の放送ですから 積極的に見るつもりもなくて「ちびまる子ちゃん」を見ていたつもりが 何時しかその独特の昭和の香りに強く引きつけられてしまって 毎週楽しみに見るようになってしまいました。
    漫画の内容も 非常に魅力的でしたが エンディングで流れる「踊るポンポコリン」がまた強烈なインパクトがありました。私はちょうどそのころ 獣医さんになるために岐阜で大学生活を送っておりましたが 二度目の大学生なので 同級生とは約十年ほど年齢が異なりました。当然ですが ジェネレーションギャップを 常に感じさせられておりました。ですから 私の中で「ちびまる子ちゃん」が大ブームであることなど クラスの友達に話していませんでした。昭和の香りが強いアニメなんか 普通の大学生が理解できるとは思えなかったからです。所がクラスの友人たちとカラオケに出かけたら 誰かが「踊るポンポコリン」を歌いだして 全員がノリノリで大合唱になりました。私もうれしくなって 大声で参加しました。
    そして「ちびまる子ちゃん」が大好きな事を話すと みんなも同様に大好きで 毎週欠かさずにみているという話を聞いて凄くうれしくなってしまいました。このアニメの魅力は 普段年齢の違いを痛感させられる同級生たちと 一体感を持てることにとても感激しました。入学式で 初めて顔を合わせた時から 感じていましたし約十年の年齢の違いによる違和感を 当然覚悟はしていましたが かなり寂しい思いをすることが多かったので このアニメによって 本当に始めて同級生たちに親近感を抱けました。そういう意味で このアニメは非常に有り難い存在でした。
    私は二十歳前後まで 二つ年下の妹と一緒に生活しておりましたので 少女漫画は結構読んでいました。ちびまる子ちゃんが連載されていた「りぼん」も妹が定期的に購入していましたので 殆ど毎号しっかりと読んでいました。少女漫画家で一番好きなのは 田渕由美子さんですが かなりマイナーな存在みたいで 名前をあげても知っている人は殆どいません。でもそのストーリーは ほのぼのとした心温まる でもとっても切ない気持ちになるラブストーリーでした。
    さくらももこさんと言う漫画家は 「ちびまる子ちゃん」と言うアニメを見るまで全然知りませんでしたが 静岡県の清水市{当時)の出身であることや まる子ちゃんの周囲に起こる出来事は 基本的に実体験に基づいている事等 その人となりも何となく伝わってきましたから このアニメがより身近に感じられるようになりました。さくらさんは 私よりも八歳年下ですから 丁度二度目の大学の同級生とほとんど同じ年ですから 彼らが共感できるのは ある意味当然かもしれません。
    さくらさんの 他の作品とは接する機会が無かったので 全然知りませんが さくらさんが亡くなられても 同じ時間帯にアニメ番組の放送は継続されていくみたいです。「さざえさん」も同様に作者が亡くなられてからもずっと放送が続いているように 三十分の放送で 二本のドラマを構成するだけの素材は まだ十分にあるのだそうです。最近は 日曜日の夕方は 何時も仕事をしている時間帯なので 全く見ていませんでしたが 久し振りに放送を録画してみてみようと思います。さくらさんが亡くなられたことを切っ掛けに 生前に出版されてエッセイなどがまたバカ売れしているのだそうですから 当分はさくらさんの事を忘れる人はあまりいないのかもしれません。
    [ちびまる子ちゃん」を久し振りに見ますが サザエさんのカツオたちと同じように何時までたっても同じ小学生でいてくれるのでしょうから リアリティには欠けますが 逆に安心して楽しめると思います。久しぶりにこのアニメを見たら 岐阜大学に通っていたころの 凄くお金が無くて経済的には苦しかったけれど 勿論大学生活でしたからそれなりに楽しかった頃の気分に戻れるのかもしれません。岐阜大学時代の友人とは 年賀状のやり取りをしているだけの付き合いが残っている友人が ほんの数名しかいませんが 久し振りにメールでも送って 旧交を温めてみようかと思います。

  • 8月26日 1966年の本日 百円紙幣が廃止されたのだそうです。

    今のお若い方は 当然見たことも聞いたこともないのかもしれませんが 昔は百円札や五百円札 と言う紙幣が ごく普通に使用されていたのです。この歳に私は九歳になっていました。当時は百円の使い勝手が 当然かもしれませんが 現代とは全く違っていたように思います。分り易い例を挙げると ハガキが七円で封書が十五円で届きました。子供が買い食いをするアイスクリームは 小さいのだと五円 豪華なのだと十円でした。勿論それよりも高い価格設定のアイスクリームも販売されていましたが 一般庶民であった私は とても手が出せませんでした。私の母方の実家は 和菓子を製造するかなり広い工場まである 立派なお菓子屋さんでした。観光バスの休憩所になっていて 数十人のお客さんがやってきて 飲み食いするスペースまでありましたから お菓子屋さんとは言え そこそこのお金持ちだったのかもしれませんが そこに住んでいる私の従兄弟は 毎朝のように 百円もする それこそケーキのようなアイスクリームを食べていましたから 羨ましかったのを覚えています。
    そんな訳で 百円の価値が現代よりもずっと大きかったので お札が存在してもいい位の貨幣価値があったように思いますが 廃止されてしまいました。勿論廃止されても すぐに消滅したわけではありません。ごく普通に 使用していた方が多かったとおみますが 私は子供でしたけれど 昔のお金にプレミアがついて かなりの高値で取引されていることを 子供ながら知っていましたので 奇麗な百円札が手に入ると 貯め込んでおりました。現在の百円札の取引価格をみると 新札ですら三百円前後なのだそうです。廃止されてから五十年以上が過ぎても 僅か三倍ぐらいの値段しかついていませんので 正直ガッカリしてしまいました。それも私が集めていた百円札は 折り目のついていない凄くきれいな状態でしたが 厳密にいうと銀行からもらったばかりの新札ではないのですから 更にその価値は低くなってしまうのだと思います、
    子供にとっては かなり使い勝手のある百円札を せっせと数十枚も集めていました。自分の机の一番下の引き出しの一番奥に 大切に保管しておきましたが 何時の間にか その存在を忘れ果ててしまっていて 何処にあるのかさっぱりわかりません。恐らくは親が掃除のときにでも発見して まさか使い込んだりはしないのでしょうが 私の知らないうちに私の銀行口座にでも振り込んでくれていたのだろうと信じたいです。まあもし今手元にあっても 五十年以上が経過して僅か三倍にしかならないのなら 例え百枚あったとしても 本物の新札ではありませんから 三万円にも満たない価値しかないのなら それ程ありがたくもありません。子供の浅知恵で 姑息な手段で小銭を稼ごうとしたことが 情けなくもあり 恥ずかしい気持ちです。
    お札の色は 赤茶けたレンガ色のようだったと思います。板垣退助が印刷されていましたが 立派なお髭が印象的でした。今はなき五百円札も 確か岩倉具視が印刷されていたように記憶していますが 五はyく円札は 別に集めていませんでしたので 本当に何時の間にか消滅してしまいました。出来たら記念品的な意味合いで 一枚ぐらいは手元に残しておいてもよかったかなと思いますが 五百円札の新札は なんと五倍の二千五百円もするそうなので とても購入してみようとは思いません。
    時代の変化とともに 物事が変遷していくのは 当然かもしれませんが 若い方たちが全然ご存知ないものを懐かしく感じるのは 自分が歳よりになったものだと実感させられてしまいます。そういえば どこかの愚かな政治家の思い付きで発行された 二千円札なんてものも存在しましたが 売り上げを計算するときに邪魔っ気だったので 病院の支払いで受け取った時には 自分の買い物で使ってしまいました。正直面倒な存在でしたが 現在でも発行されて使用されているのでしょうか。正直病院で当分の間 受け取ったことが全然ありませんから 現実的には流通していないのだと思います。思いつきでつまらない紙幣を発行してほしくありません。

  • 8月25日 1958年の本日 日清食品がチキンラーメンを発売したので ラーメン記念日と言うのだそうです

    世界で初めての インスタントラーメンなのだそうです。一応うたい文句としては 丼に麺を入れて たっぷりと熱湯をかけて 蓋をしてから二分待つと言われていますが 私は他のラーメンのようにお鍋でグツグツした方が 生卵に程よく火が入るので いつもそうして作っています。私は子供の頃からデブでしたが このチキンラーメンの麺を冷ご飯の上にのせて食べる炭水化物の塊のような食べ物が この世の中で一番おいしく感じていましたから 私が肥満児になった原因の一端は チキンラーメンにあると言っても過言ではありません。
    その後幾つもの会社から インスタントラーメンは 目新しい商品が次々に発売されました。インスタントラーメンは 取り敢えず価格が安い事が大きな魅力なのに そこそこ強気に高めの価格設定された商品もありましたが 結局は売れなかったみたいで 姿を消しています。現在は五袋入りで販売されるのが主流みたいですが 名の通った会社の主力商品が大体三百円位で売られています。聞いたことのないメーカーの知られていない商品の場合その半額ぐらいで販売されていますが 以前にうっかり手を出して失敗した経験がありますので もともと安い商品なので よく知っている商品を購入した方が賢明だと思います。
    私の人生で一番の貧乏暮らしをしたのは 親の援助を受けずに 岐阜大学に通っていた六年間だと思います。獣医学科の授業料は国立大学ですから 月に二万円ほどでしたが アルバイトで授業料や教科書代 下宿代から食費まで賄っておりましたので かなりの貧乏暮らしでした。下宿も最初は風呂なしの六畳一間から始まり 徐々に条件のいい部屋にうつりましたが 当然その分家賃は高騰しました。四年生までは それでもかなりの時間アルバイトできましたが 五六年生になると 卒論を書くための実験などが忙しくなり アルバイトできる時間が減少しましたから 当然収入が減り 経済的にかなり苦しい生活になりました。
    削り易いのは 食費なので 本当に貧しい食事をしておりました。生協でもともと安売りしているインスタントラーメンが 年度末の在庫一斉セールみたいなのが毎年決まった時期にありましたから それこそ何箱もまとめて買いこみました。何とか野菜だけはたっぷりと入れて 栄養のバランスを取りたかったので スーパーの見切り品のキャベツや白菜 モヤシ等を買いこんで ごま油でしっかりと炒めてラーメンにどっさりとのせて食べていました。米だけは自宅からコンスタントに送られてきていましたので 甘んじて受け入れて食べていました。
    白ごはんを炊飯器で炊いて 野菜炒めをどっさりとのせたインスタントラーメンをオカズに白飯を食べれば 結構な満足感が得られました。大学の実習で 解剖などがあると 特に牛や豚の場合は 観察の終わった部分のお肉を貰って帰って食べていました。消毒液の臭いがなかなか抜けないので 美味しくはありませんでしたが 塩コショーをきかせて しっかりと炒めたものをのせたら 当時の私にはインスタントラーメンが ご馳走になりました。
    麺と具材だけをその時の食事で食べてしまうと そのお汁は取っておいて 次の食事の時にご飯を加えて雑炊にしました。思い切って卵を加えて 刻みネギなどをふりかけたら そんな雑炊が 凄く美味しく感じられましたし お腹も一杯になりましたので インスタントラーメンは 本当に有難い食品でした。現在は多少贅沢な食事をしているのかもしれませんが 同じレシピで作ったラーメンや雑炊は 恐らく同じように美味しく感じると思います。
    インスタントラーメンは 安価で簡単に調理できて 栄養のバランスがいいとは言えませんが それなりに美味しくて 本当に有難い食品でした。還暦を過ぎた現在も 病院で検査を受けた直後には 時々袋物のインスタントラーメンを食べます。具材に多少上等の焼き豚などをのせてしまいますが やはりそれなりに美味しくて 十分に満足感が得られますから 助かっています。私が生まれた次の年に発売されて以来 ずっと売れ続けているのは やっぱり簡単で安くて と言うのもありますが 一番の売れる原因は 美味しいからだと思います。勿論 上等のラーメン屋さんで食べるラーメンも美味しいですが 深夜に小腹がすいた時に その食欲を満たしてくれるインスタントラーメンの有難味からは 恐らく一生縁が切れないだろうと思います。
    袋物のインスタントラーメンの進化形として カップめんがあります。便利なので 旅行に出かけた時など車中やホテルで食べることはありますが やはり私はたっぷりと野菜をのせて頂きたいので 普段食べることはありません。物足りない具材が添えてあるだけで かなりコストパフォーマンスが悪くなっているように思うからかもしれません。せっかく自分の為に作る食事ですから 野菜をたっぷりとのせて栄養バランスを補い 好物の焼き豚などをたっぷりとのせて 本当に美味しくて満足 納得のいく一品に仕上げてから 頂きたいからだと思います。
    今年で発売されてからちょうど六十年になりますが これからもどんどんおいしいインスタントラーメンが発売され続けることを期待しております。最後になりましたが 私のお気に入りのインスタントラーメン ベストスリーをあげておきます。三位が「うまかっちゃん」のオリジナルです。単純に豚骨ラーメンが好きだからかもしれませんが とんこつ味の他の商品よりも頭一つ抜けて美味しいと思います。第二位が「サッポロ一番」の味噌味です。野菜をたっぷりと入れて食べるのには 一番おいしいスープが決めてかも知れません。塩味も大好きですが やはり味噌味の方が評価は高いです。
    お気に入りインスタントラーメンの第一位は やっぱり「チキンラーメン」です。シンプルに生ごと刻みネギなどを加えたものが 一番白ごはんと合うように思うからです。悲しいかな糖尿病を患っておりますので 血糖値が気になりますから 二か月に一度ぐらいしか食べられませんが 食べる機会が限定されているから猶更美味しく感じるのかもしれません。でもチキンラーメンが一番だと感じておられる方は かなり多いと思いますが 如何でしょうか。

  • 8月24日 煙草による社会的損失が 一年間に 二兆円を超えるのだそうです

    社会的損失とは煙草の喫煙によって発生して日本が被った損失のトータル金額なのだそうです。厚労省の研究班が たばこの喫煙と因果関係が深いとされる癌や脳卒中 認知症、ぜんそくなどにかかる医療費や それらの病気によって発生した介護費用に加えて 家屋や山林の火事による損失などを合算すると それくらいの金額になるのだそうです。癌や 脳卒中、認知症 ぜんそくと喫煙の因果関係を どれほどのものと考えるかによって 被害の金額は大きく異なってくるように思いますから 頭からこの金額を信用するのは如何なものかと思います。
    私は煙草を喫煙したことが一度もありません。別に品行方正ぶっているわけではないつもりですが たばこを吸い始めるきっかけがなかったのかもしれません。私は高校がそこそこの進学校でしたから お坊ちゃん学校ではありませんでしたが 学校内でたばこを吸う生徒は皆無だったはずです。当時は先生方が 高校内では 職員室が喫煙可能だったか覚えていませんが ひょっとしたら喫煙所辺りで喫煙していたかもしれませんが 興味が無かったので その辺の事情は全然分かりません。
    中学の同級生が 他の高校に通いながら 喫煙している話を聞いたことはありますから 当時は高校生の喫煙は別に珍しい話ではなかったのだろうと思います。大学に入ると 流石に周囲の先輩方 特に男性は殆どが喫煙していたように思います。大学に電車通学していた時に 帰り道の夕方 京阪電車の三条駅で 新発売の煙草のサンプルと百円ライターを無理やりのように受け取らされた事がありました。そのままゴミ箱に捨ててしまおうかとも思いましたが 煙草に全く興味がなかったわけではありませんので 試しに火をつけて吸ってみようとした経験があります。
    見よう見まねで煙草を口にくわえて ライターの炎を煙草の先端に近づけましたが 上手く着火しませんでした。あとで友人に話したら 煙草を吸ってやらないと 着火しないことを知りました。結局かなり長いことかかって 辛うじて煙草の先端が燃え始めましたが 一息吸ってみたら 当然ゲホゲホと咳き込んでしまいました。こんな体が拒否するものを 吸い込む行為は体に四くん隊事だと判断して それ以降は たばこを咥えた事すら一度もありません。
    高校時代の同級生たちも 大学生になると 周囲からの影響かもしれませんが 次々に喫煙を始めたようです。当時は 男子の大学生でたばこを吸わない人の方が かなりの少数派だったと思います。私もサークルの先輩などが 喫煙している姿が何とも言えずカッコよく見えましたから 吸ってみたいなあと言う気持ちが無かったわけではありませんが 体があれだけ拒絶するものを何も無理してまで馴染ませて喫煙することはないだろうと考えて 手を出さなかっただけの事の様です。
    私は 酒も全然体が受け付けてくれないので 恥ずかしながら 正真正銘の下戸ですが お酒はやはり人生の大きな楽しみだと思いますので 煙草と違って何度も飲めるようになろうと努力をしたつもりですが 残念ながら体が受け付けてくれるようにはなってくれませんでした。塩野義製薬に営業職で勤めていた時代には 医者を飲みに誘って受けてもらえれば そのドクターと親しくなれたと 評価されましたので 繰り返しの身に出かけましたが 乾杯程度しかつきあいできませんでしたし 正直仕事の一環とはいえ辛かったです。これは持って生まれた体質の様ですから その体質とうまくつきあって生きていくしかないと諦めました。繰り返しますが 喫煙も飲酒も健康の事を考えてとか 無駄なお金がかかるから と言ったしみったれた理由で 馴染まなかったのでなく 特にお酒は飲めるようになりたかったのですが 体が受け入れなかったのですから 致し方ありません。
    まあ年をとってくると 健康上の理由から 喫煙や飲酒にドクターストップがかかって 苦労されている方ももいらっしゃいますが 私にはその心配はなさそうです。まあ糖尿病を患っていますので 血糖値には一生悩まされますが 今更どうしょうもありません。元気で長生きしたいので 血糖値が上がりにくいような食習慣と仲良くしていくしかありません。
    私の人生は 煙草とお酒の楽しみを知らないままに終わってしまうのでしょうから 他人から見れば可哀想な人生かもしれませんが お酒が苦手な分 甘いものが大好きなので そんなに寂しくはありません。でも糖尿病のために甘いものとは仲良く出来ませんから 結局は勿体無くて 残念な人生かもしれません。でもまあ子供の頃からやりたかった仕事に就けて 最愛の奥様と巡り合えたのですから 十分に幸せな人生だと思いますし 感謝しながら人生の終末を迎えたいと考えております。

  • 8月23日 1976年の本日 東京で安楽死国際会議が開かれたそうです

    安楽死と言う問題は 人間の医療の場でも 動物病院でも年に何度か直面せざるを得ない出来事かもしれません。人間の場合も 安楽死をご本人が 若しくはご家族が望まれる場合が少なからずあるのかもしれませんが日本では法的には認められていません。積極的な意味での安楽死ではなくても 延命のための治療を予め一切拒否する選択をする人は結構いらっしゃるみたいです。動物病院でも 飼い主さんが安楽死をのぞまれるケースは たまにあります。病院によっては 安楽死を全面的に拒否している場合もあります。基本的に病院とは 病気やけがを治すための施設ですから 安楽死はその趣旨に反するものである と言う事で 飼い主さんが希望されても 断固拒否してしまう場合も結構あるみたいです。ある意味正論かもしれません。
    人間の医療において 安楽死を法的に認めているのは ほんの一部の国だけです。日本では勿論認められていません。安楽死とは 自殺幇助であるのかもしれませんから 法的に認められていないのも致し方のないことなのかもしれませんが うちの病院では私が その必要性を認めた場合には 受け入れて実施する場合もあります。獣医師の治療の教科書的な本も最後のページに 安楽死を実施する場合の 薬剤の種類や投薬量が掲載されていますから 病院で行う治療行為の最終段階として 認められているのかもしれません。
    私も病院を始めたばかりの頃は 張り切り過ぎる気持ちが強かったからかもしれませんが 安楽死はお断りしていた時期もありましたが 現在は もう少し柔軟に対応するために あくまで私が必要であると判断した場合に限りますが 安楽死と言う処置を実施することがあります。ペットの安楽死の場合 勿論患者さん本人の気持ちは反映されておりません。あくまで飼い主さんの気持ち次第で 安楽死を希望された場合に その希望を受けるか受けないかの判断を迫られます。
    私が 飼い主さんの安楽死を望まれた場合に 受けるか断るかは当然患者さんの現在の状態や これまでの治療経過によって判断します。これまでに飼い主さんが 当院以外の病院でも 十分に治療を頑張って続けてこられて 現在そのペットの状態が大きな苦痛を伴っているのであれば 少しでもその苦しみを早く終わらせてあげるために 安楽死と言う 究極的な処置を選択する場合もあるように思います。その判断に 本人の気持ちは反映されませんが 臨床獣医師として 客観的に判断して 安楽死と言う処置を行うか否かを決めます。
    実際に行う処置は 体重に応じて決まった分量の薬剤を静脈注射します。その薬剤の作用によって 徐々に呼吸中枢が麻痺していきますので 本人は殆ど苦しみを感じることなくそれこそ眠るように息を引き取ります。但し この処置は 実施するこちらとしても 相当な精神的苦痛を伴いますので それ相応の費用を請求させて頂いております。まあ飼い主さんも納得してその費用を支払われますから 積雪な料金なのかもしれませんが 本音としては 二度とやりたくない処置です。
    安楽死とは 肉体的な苦痛を伴わない死に方かもしれませんが もし将来日本でも法改正が行われて 認められるような事になるのかもしれません。私は根性なしの臆病者ですから 将来癌などの末期になってしまって 非常に大きな苦痛が避けられない状態になったら 安楽死を考えるかもしれません。でもやっぱり臆病者ですから 自分で自分の命の幕引きをするような行為は 恐ろしくて実行できないであろうと思います。現在望むことは いわゆる ぴんぴんコロリ と言う元気な状態から あっさりと死に至る結末を迎えられることだけです。これまでも 現在も そして死ぬ寸前までも 私は奥様に面倒や手間暇をさんざんかけておりますから せめて死ぬ間際位は ご迷惑を最小限にできる死に方をしたいと 真剣に考えております。 

  • 8月20日 この世の中は 悪事がはびこりすぎているように思います。

    身障者の雇用問題について 私も一応従業員が私と奥様の二人しかいない超零細企業とはいえ 病院の経営者の端くれですから 一応知っておくべきことだあるようには思います。そして 全く知らないわけではないけれども うちの病院には関係のない事と勝手に判断してしまって あえて細かい数字についてなど知らないふりをしておりました。障害者雇用促進法は1976年に改正されて、従業員の一定割合以上の障害者を雇用することを義務化されていたみたいです。
    義務化されたのは 民間の企業だけではなくて 国や地方自治体には より高い雇用率が設定されていたみたいです。この法律に直接関与する省庁がどこなのかさえ 不勉強な私は自信を持って答えられませんが、国民に法律をきちんと守ることを指導する立場の公務員さんたちの集まりですから よりハードルを高く設定するのは 当然のことのように思います。色んな省庁が 対象外の職員を身障者であるかのように算入して、雇用率を達成していたかのように、虚偽の数字を発表していたのだそうです。
    水増しの疑いは国の中央の省庁にとどまらないのだそうです。地方自治体も次々と水増しを認めるとんでもない事態になってきているようです。障害者の法定雇用率は今年の4月から、国と地方自治体は2.3%から2.5%に、民間企業は2.0%から2.2%に引き上げられたのだそうですが 守られていなかった割合を引き上げたのですから いかにもお役所仕事 机上の空論で 笑い話にもなりません。
    障害者雇用促進法と言う法律のの条文を少しだけ見てみましたが その目的と言うか趣旨は 正しいことであるのは間違いない様に思いますが 現実的にはきちんと実行するのはかなり難しいように感じました。障害者の定義さえわかっていない私が 障害者の方について語るのは おかしいのかもしれませんが お役所や民間企業は 一定の割合で障害者を雇わなければならないのだそうです。障害を持っておられる方だって 働いて 稼いで自立して生きていく権利があるのは当然だと思います。でも障害のある方は 生涯がある分健常者よりも 仕事の達成率が低くなるのは致し方のないことでしょう。
    しかし障害者雇用促進法では 障害者を採用するときに健常者と同じ条件で 同じ待遇で雇う事を義務付けているみたいなのです。お役所でも 民間の会社でも 新規採用された時には 新入社員はみんな同じスタートラインに立っているのかもしれませんが その後の働きぶりによって 昇進に差がつき 当然給料にも差がついてきます。障害者が健常者よりも 仕事が出来ない分 立場や待遇に差がついてしまうのは 当然のように思いますが 如何でしょうか。
    私は幸運にも健常者ですから 身障者の気持ちが理解できにくいのかもしれませんが 私の母親は 若い時にリュウマチ関節炎を患い 長い事一級の身体障害者でしたので その辛さや 家族の負担の大きさなどは ある程度理解しているつもりです。母親が重い身障者であったために 父親は母の介護に相当負担の大きな生活をしてきたのを 私は傍で長年見てきました。なりたくて身障者になる人はいないし 私だって明日交通事故にでも遭って 重い身障者になるかもしれません。生きるために働かねばならないのなら 出来るだけ条件の良い所で働きたいと考えるはずですが 健常者に比べて出来る仕事が限られるでしょうから 収入も待遇も低くて当然だと考えるように思います。
    この法律の趣旨は正しい事のように思いますが あまりに現実からかけ離れていることを目指しているから 本来手本となり 指導しなければならないはずのお役所が 虚偽の報告を繰り返すような事態になってしまったのだと思います。「水増し」と言う表現が使われてしまうと 設定された数字の八割方位は達成しているが ほんの少し足りない部分を誤魔化していたかのように印象付けられてしまいますが 現実には達成率が五割にも達していないのに 報告上は 障害者雇用を達成しているかのような報告をしているのですから 「水増し」と言う表現は実態を正確に表現できていませんから 使って欲しくありません。
    お役所がきちんと目標となる数字を達成していないのに あたかも達成している蚊のような嘘っぱちの報告をしておいて 民間の企業も当然目標値に達する身障者を雇いなさい と指導したかったのでしょうが これだけ広い範囲のお役所で嘘がばれてしまっては 全く説得力がありません。民間の企業がこれまで どれだけ水増し報告していたのか知りませんが 今後まともに身障者を雇用する企業がどれだけあるのか 甚だ疑問に思います。今後の身障者の方の働き口について 本当に心配な事件が起こってしまいました。
    嫌なニュースを見てしまったとガッカリしていたら 今度は体操の世界でも パワハラがはびこっているという話です。相撲やレスリング アメフト、ボクシングなどスポーツの世界では ある程度体育会系の縦社会がしっかりと 存在していることは 致し方のない事のように思いますが 権力を握った人間の横暴さが あまりにも目に余る状況なのには 悲しくなってしまいます。スポーツと言うのは きちんとしたルールに乗っ取って正々堂々と争われるはずのものであるべきなのに 権力が一曲に集中してしまうと 人間と言う存在は その力を悪用する事しか出来ないのでしょうか。
    自民党の総裁選挙が間近に迫ってきていますが アベチャンに権力が集中しているし アベチャンに逆らう動きをほんの少しでもすると 極端に冷遇されてしまうので 国会議員は皆アベチャンに尻尾を振ってしまうようで 悲しいです。何度も書きますが 私は政治家の中で一番嫌いなのはアベチャンです。お父さんは 逆にすごく好きだったので 残念で仕方がありません。逆に一番好きな政治家は お金の面で信用を失ってしまいましたが その主張が一番わかり易かった 小沢一郎です。
    アベチャンは たまたま自分が総裁になった直後の総選挙で大勝利をおさめました。実態は民主党が予想通りに ズッコケてしまっただけなのに その功績を独り占めした格好で たまたま言い出した「アベノミクス」と言う政策に 国民みんなが幸せになれると上手くだまくらかして 全妙のタイミングで 解散して総選挙を繰り返して 更に議席数を伸ばして 大きな権力を手にしてしまい やりたい放題の悪行三昧です。まあアベチャンがこれだけ悪行の限りを尽くしても 自民党に対抗できるだけの政党が存在しないのですから 政権交代が起こるはずもないのが 悲しい日本の現状だと思います。
    昔長年にわたって放送されていて 凄く人気のあった時代劇に「水戸黄門」と言うのがありました。勧善懲悪の単純極まりないストーリーの繰り返して 家族団らんで見ていて 一番安心できる番組だったから人気があったのかもしれませんが あの番組を客観的に考えた時 黄門さんが訪れる所には 必ず悪代官のような奴がはびこって悪さをしているのですから 日本中が悪の巣窟だったという話なのです。つまり昔も今も 悪い奴らが そこかしこではびこっているのですから 黄門さまに描かれていた世界は 現代の日本の縮図を見せてくれていたのかもしれません。
    勿論私も 清廉潔白な人間ではありえません。表もあれば 裏の顔もあります。昔中国の孟子が唱えた性善説と荀子が唱えた性悪説と言うのがありました。その解釈は 要するに「人は生まれつきは善だが、成長すると悪行を学ぶ」というのが性善説、 「人は生まれつきは悪だが、成長すると善行を学ぶ」というのが性悪説なのだそうです。この説について「人は生まれつき善い行いをする生き物である」とか[人は本来悪い行いをする生き物だ」などと誤解されているみたいですが どちらの見解でも結局「人は善行も悪行も行いうるいきものである」と言う事を意味していて 単純に人を信じるにたる存在なのか 疑ってかかるべき存在なのかどうかとは関係のない話みたいです。でも世の中 こんなに悪い奴らがはびこっている日本では 人間は疑ってかかるべき存在であるのかもしれないと思えてしまいます。

  • 8月19日 語呂合わせで 俳句の日なのだそうです

    俳句を読む人 俳人として松尾芭蕉や小林一茶が 有名ですが 江戸時代には 俳句と言う言葉はなくて 俳諧と言う連歌の最初の句が 独立性を持って一人歩きを始めたものが 俳句と言う形式の由来なのだそうです。俳句という言葉は、明治20年代に俳人であり歌人でもあった正岡子規が「俳諧の発句」という言葉を縮めて造った造語なのだそうです。俳句とは 五七五と言う僅か十七文字に 季語を含めて表現する非常に短い文学の形式なのだそうです。
    私は このダラダラと長ったらしいブログを書くことからもお分かりだと思いますが 私の身の回りに起こったことや その日にちなんだ話題を取り上げて 自分が勝手に思ったことや知っていることを のんべんだらりと書きなぐっております。俳句はこのブログとは ある意味対極に位置する文学だと思います。六十年以上も生きてきましたから これまでに俳句を幾つか詠んだことはありますが とても人にお見せできるようなレベルの代物ではありません。
    テレビの番組で「プレバト」と言うのがあって 芸能人が色んなジャンルで その才能を競い合い その道の達人に評価されて点数をつけられる内容で 人気があり視聴率の好調のようです。私はお正月などに放送されるスペシャル番組位しか見ませんが その中で俳句と言うジャンルがあり 特に注目されているようです。夏井先生と言うおばちゃんが登場して 出演者が苦しみながらひねり出した十七文字を ぶった切っておられますが 私の様な俳句に全く興味もなければ 才能の欠片も持ち合わせていない人間がみていて 確かにそのおばちゃんが手直しした作品の方が 数段素晴らしい出来栄えであることは伝わりますから その先生が達人ぶりには 文句のつけようがないのだと思われます。
    ただその番組を見ていると 分り易ければいいのかと言うとそうでもないみたいだし あまりこねくり回し過ぎても 高評化されていない様に思われます。与えられた題材にそのまま飛びついても いけないみたいだし 自分の世界に入り込みすぎて 題材との距離が大きすぎても なかなか褒めてもらえないようです。私には 俳句と言う繊細な感覚を要求されるデリケートな表現が必要な文学作品へのアプローチは 無謀であり 結局は無駄な努力に終わりそうなので 最初から諦めてしまう方が 賢明なのかもしれません。
    最後に現在の心境を読み込んだ一句をひねり出してみたいのですが 取り敢えずは夏の季語にどのようなものがあるのかから 調べる必要がありそうです。

         暑中見舞い 出す人いなくて 寂しいな

    もし夏井先生にみてもらったら こんなものは俳句でも何でもありません と評価されることは重々承知のうえで あえて恥をさらしてみました。お粗末様でした。

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