Dr.喜作のブログ

2019年1月 の記事一覧

  • 1月30日 明石市長の暴言について思う事

    この市長さんの暴言のニュースは 市長の無茶苦茶で理不尽な暴言であり 職員に対するパワハラとしてだけの一方的な見方で 問題提議されているように思えますが 私は違った感じ方をしております。私が 全てとは言いませんが 大部分の公務員が給料泥棒だと思っていることは しょっちゅうこのブログに書いております。昨日のこのブログでも 児童相談所の職員の怠慢によって 僅か十歳の女の子の尊い命が失われたことについてぼやきました。

    残念ながら この世の中には 頭のおかしい人間が少なからずいるみたいで 信じられないような凶悪な犯罪が頻繁に起こっています。何よりも大切な存在であるはずの実の娘を虐待して殺してしまう父親が存在することは 簡単には信じがたい事ですが まあ現実に存在してしまったのですからどうしょうもありません。その被害者となった娘さんを私の感覚で ごく普通に仕事をしてていれば救ってあげられたはずの役所の職員の怠慢の方が もっと信じたくない出来事であり許されない大問題だと思います。まあ役人のやる事なんて一事が万事だと思いますから 日本全国 何処の役人も五十歩百歩なのかもしれません。

    明石市長が怒り狂っているのは 結局市役所の職員の度を越した怠慢が引き金になっているみたいに思います。細かいこれまでの経緯や事情は知りませんが 要する事故の頻発する危険な交差点の交通事情を改善するために 道路の拡張をしようとしているのだが 一軒だけ立ち退きを拒否しているので 事態がこの七年間 殆どすすんでいないことに起因しているみたいです。市役所としては 代替地を用意しているのか 相場に見合うような立ち退き料を支払おうとしているのか 具体的な事は不勉強の為分りませんが 市役所の職員の発言で 「具体的な金額を提示していない」と言うのがありましたから 明石市としての基本的な対応方針としては 相場にかなり色を付けた立ち退き料で立ち退いてもらおうと考えているのだと思います。

    役所の人間なんて 二三年周期でコロコロ部署を変わるのが一般的みたいなので 暴言を吐かれた職員が 何時頃からこの立ち退き問題に関わっているのか知りませんが 市長さんが怒り狂う所から察すると そこそこの期間は関わっていたのではないでしょうか。人間関係において 暴力は絶対に許されないのが常識です。その人たちの人間関係がどの様な背景で どんな事情があったとしても 手を出したら 出してしまった方が一方的に不味い立場に立たされるのは致し方のない事です。

    この市長さんの場合 暴力には訴えていないみたいですが 立場の違いを背景にして 圧倒的な言葉の暴力を思い切りふるってしまいました。現在はスマホを携帯しているのは常識かもしれません。スマホがあれば 相手に気づかれないようにその場の状況を録画したり録音したりすることなど 凄く簡単な作業です。その市長さんがたった一度だけ 突然に言葉の暴力をふるったのなら 録画も録音もされなかったのかもしれませんが そのような状況が何度も繰り返されたので 結果的には録音されてしまったのでしょう。

    市役所職員と言うのは 公務員試験を受けて合格して役所に就職した 根っからの役人ですが 市長さんと言うのは選挙で当選した立派な政治家です。当然政治力を求められるはずなのに 役所の職員を自分の手足として存分に働いてもらわなければならないのに 問題が何時までも解決しない腹立たしさを 市役所の職員に向けてしまうというのは 政治家として 一番求められるはずの政治力に欠けていたとしか言いようがない様には思います。今どき 自分の部下に対して暴言を吐いて 大失敗した「このハゲー」オバサンの事をもう忘れてしまったのでしょうか。

    なかなか立ち退かない市民に対して 共通の難敵として ぼろくそに貶したてても 職員からその発言を公にされることはなかったはずです。その市民を共通の悪者として考えて 自分たちは同じ方向を向いた味方同士だよ と言ったスタンスで 職員にきつくはっぱをかけておけばこんな大騒ぎには絶対にならなかったはずだと思いますから やはりこの市長さんの政治力には問題があったようですから 辞任する方向に追い込まれても致し方がない様に思います。

    ただ私は ウッカリ立場を悪用しての言葉の暴力を振るってしまった市長さんをかばい立てするつもりは全然ありませんが そこまで市長さんを怒り狂わせてしまった 市役所職員の怠慢ぶりももっと問題視すべきだと思います。立ち退かない市民に どのような事情やどんな都合があるのか 全く知りませんので あまり無責任な事はかけませんが ごねたら立ち退きに支払われるお金の額が増えることを期待しているのなら 考え方が甘いでしょう。もし立ち退き要請にすんなりと応じた ある意味市の為に貢献した市民よりも 散々ごねて迷惑をかけた市民の方が 得をしたのでは すんなり立ち退いた市民が黙ってはいないはずだからです。

    確か昨年の何時だったか 何処だったかも忘れてしまいましたが 確か駅を新設するのに どうしても立ち退かない市民に対して 市側が下した対応策が その市民の自宅撤去の強制執行だったという一悶着がありました。その時も マスコミの報道姿勢としては 立ち退かされる市民が一方的に被害者として扱っていたように感じて腹立たしく思いました。私はあえて強制執行と言う厳しい判断を下したことに拍手を贈りたい気持ちでした。明石市でもどうしても立ち退かない市民に対して 市役所側が一致団結してそのような対応に向えば 勿論賛否両論あるでしょうが 市長さんがこんなに一方的に悪者扱いされて 辞任に追い込まれるようなことはなかったのではないでしょうか。

    市長さんが辞任に追い込まれたのなら 喧嘩両成敗で 仕事を一生懸命にしなかった と言うかサボりまくっていた職員も同様に懲戒解雇されてしかるべきだと思いますが こんな極端な意見に 同意して頂ける方は殆どいらっしゃらないと思います。でも一人でも二人でも私の意見に賛成して頂ける方がいたら とても嬉しいです。

  • 1月28日 実の父親の虐待で亡くなった女の子が可哀想です

    この事件で 勿論一番悪いのは 虐待して我が子を殺害した父親であるのは 間違いなさそうです。私は 恥ずかしながら 子育ての経験がありませんので 子供を育て上げていくことの 難しさも苦労も知りません。でも一般的な感覚としては 我が子と言うのは無条件に可愛がってしまうのではないでしょうか。勿論その可愛がり方によって 子供が問題を起こしているケースも非常に多いので 躾と言うのは 凄くデリケートでなかなか上手くいかない作業なのであろうとは思いますが 経験のないものが どうのこうの申し上げても説得力がありませんね。

    この我が子を殺害した父親は 自分の娘に対して どのような理由で虐待を繰り返し エスカレートしていってしまったのでしょうか。これが息子の場合は 父親と同姓でありますから どうしても反発しあうケースもありそうに思います。私自身も 父親との関係が良好かと尋ねられたら 答えに困ってしまうのが正直な現状です。とは言えまだ十歳と 親に頼るしか生きていけない年齢ですから 子供の反発と言っても たかが知れているのではないかと思ってしまいます。

    まあ父親については 一応これまで一般人として生きてきたのでしょうから 頭がおかしかったのかもしれませんし 他に理由があったのかどうかなど詳しい事は分りません。私が腹立たしいのは 親の虐待なんて 日常茶飯事のような現代において 一度は子供を保護する立場の役所が 介入して 子供が保護された経緯がありながら 自宅に返した後のフォローが 全くできていなかったことと結果的に娘さんが死んでしまった事です。

    何日か前のブログで 厚労省の役人の怠慢についてぼやきましたが 今回も関係する役所の人間が 何故その子供を保護してあげられなかったのかが 全く理解できません。厚労省の仕事の手抜き作業は 恒例行事と言うか 悪しき慣習のようなものだと思います。厚労省も大きな役所でしょうから 順繰りに大多数の人間がその部署の手抜き作業に関わり合いを持ち 明らかに大幅に本来きちんとやるべき仕事の手を抜いていることを 気付いていたはずです。役人と言うのは 仕事をしたら損だと考えているとしか思えません。厚労省の手抜きによって 不正確な調査結果が報告されていたために かなりの数の国民が被害を受けたのだそうですが 厚労省の対応としては たまたま現在関連する部署の人間を何人か処分して あとは御免なさいで済ませてしまおうとしています。

    今回の子供がなくなってしまった事件についても 恐らく怠慢極まりない対応をしたことは認めざるを得ないのでしょうし 処分される人間が何人か出るのでしょうが 結局は御免なさいで済ませてしまうはずです。結果的に 将来のある子どもが一人殺されてしまったのに 自分たちの怠慢を御免なさいの一言で済ませようという役人の 仕事に対する無責任さが 理解できません。

    何度も書きますが 私にはすべての役人が 頑張って仕事をしたら損する という気持ちで仕事をしているとしか考えられません。まあ頑張っても評価されないし 下手に目立つと出る杭は打たれてしまうのでしょうから 積極的に仕事をしたくでもできないのかもしれませんが ほんの少しでもいいから自分がまかされている仕事に対しての責任と誇りを感じながら仕事してほしいものです。残念ながら 日本で生きていく以上は 役人たちと完全に縁を切った生活は出来そうもありませんから。

  • 1月27日 凄く寒いのに 近所の釣り堀がえらく賑わっていました

    そこの釣り堀が朝何時から開いているのかも知りませんが 本日八時前後に そのそばを車で通過したら 釣竿を持ったオジサンたちが ズラッと並んで嬉しそうに釣りをなさっておられました。私はせっかちな性格なので あまり釣りは性に合わないように思います。これまでの釣り経験と言えば 小学生の頃に リールさえついていない釣竿で 近所の池の鮒を釣った経験がある位です。それからサラリーマン時代に 塩野義製薬に勤めておりましたので 担当する先生で塩野義の薬をどっさりと浸かって頂いておりましたのですが その先生がが釣り好きだったために 朝早くや深夜の送迎と釣りをお付き合いするためにほんの暫くだけ 海釣りを経験した位です。勿論釣れれば楽しかったですが 仕事としてお付き合いしておりましたので 正直けっこう苦痛でした。

    ですから 近所の釣り堀に凄く寒い時期の朝早くから 集まる釣り好きの方の気持ちが よく分りません。但し今後 仕事を引退してからの趣味としては そこそこ魅力を感じないでもありません。引退してからは とにかく時間がたっぷりある訳で 釣りはかなり楽しそうな娯楽と言うか時間つぶしになってくれそうな気がするからです。移住先が海の近くになるのか 内陸部になるのか 未だ明らかになってはいませんが 最近移住先候補として急浮上してきているのが 大分県の別府湾に面している住宅地です。すぐ近所に 初心者でも結構楽しめそうな釣り場があるみたいなので 余計に魅力を感じているのかもしれません。

    魚を釣り上げるという作業は じっと我慢が必要なので 気の長い方に向いていると思われがちですが 上手く釣れないときには 場所を変えるとか 餌や釣り糸、釣り針の種類をいろいろ変えたりと細々工夫を重ねることが 結果的には釣果を上げることにつながるらしいので 気の短い人の方が向いているかもしれない作業なのだと 何かの本に書いてありました。初心者なので 本当の所はどちらのタイプが向いているのか分りません。

    私はこれまで釣堀で釣りをしたことがありませんが 釣り堀とは自然の池を利用している場合もあるのかもしれませんが 人工的に水を貯めるプールのような施設に水を張り 魚を放流してある場所の事だと思います。そのような 人工的な環境で 釣りをしても楽しいのかどうか 私には疑問です。魚釣りという行為は 本来人間と魚の命をかけた勝負だと思います。ですからあくまで自然環境の中でたくましく生きているお魚さんたちとの 勝負に男のロマンがあるように思います。

    勿論自然が相手の勝負ですから 頑張っても 当たりさえない日もあれば 予想外に大漁の時があるかもしれません。勿論一種のスポーツのようなものですから センスに恵まれていないと いい釣果は期待できないのかもしれません。出来るだけ良い竿等の道具を揃えて いい師匠を見つけて 上手にご指導いただいて 天候や過去の釣果などの情報を集めて 挑戦しても 全く釣れない事があるのかもしれませんが 自然を相手にする趣味なのですから 本来その覚悟をしたうえで始めるべき趣味だと思います。

    その点釣堀の場合 ある程度の数の魚が釣れるような環境が用意されているわけですから ある意味釣れて当たり前かもしれませんし 客商売ですから お客さんが楽しんでまた来てくれるようでなければ 経営が成り立たないのでしょうから そこそこの釣果は確実に上がるように出来ているのではないでしょうか。そのような環境が用意されている場所で 釣りをしても何が楽しいのか私には繰り返し申し上げますが 理解できません。この辺りは大阪ではかなり辺鄙な田舎町ですが 自然環境に存在する釣りのできる場所が 殆どないのかもしれません。結構魚釣り禁止の看板が立っている池を見かけますから 合法的にそしてそこそこの釣果が見込める自然環境がないけれど どうしても魚釣りをしたい人たちが釣り堀に集まって来られるのでしょうか。

    食いしん坊な私にすれば 釣った魚を美味しく頂けるのも釣りの魅力の一つかもしれません。釣り上げれば そのお魚さんの生命を奪ってしまうのですから 責任を持って美味しく頂くことまでが 魚釣りをする人の義務だと思います。私は料理してもらえる女性がなかなか現れてくれませんでしたので 必然的に自分で料理をする必要がありましたし 何よりも食いしん坊だったからでしょうが 料理は趣味の一つかもしれません。一般的な家庭料理は大体レパートリーに入っておりますが 残念なことに魚をさばく技術は全く持ち合わせておりません。

    ですから 魚釣りを始めるよりも前に まずは魚をさばく技術をマスターするための師匠を見つけなければならないのかもしれませんが まあ魚釣りのお上手な方が見つかれば その方から魚の扱いについても指導を受けられるのかもしれませんから まずは魚釣りのお上手な方と友達になるのが 魚釣りを始めるためには必要な事なのかもしれません。

    私は奥様と巡り合ってから 暫くしてゴルフを趣味とする時期がしばらくありました。塩野義に勤めていた僅かの間に接待ゴルフの経験はありましたが ちゃんと指導を受けたことが無かったので数か月先生についてレッスンに通いました。奥様はクラブの握るのが全く初めての状態からスタートされましたが 同じようにレッスンを受けていて 奥様の方が上達が凄く早かったです。勿論私の方が腕力はありますから 飛距離は大きいのですが ゴルフはコースを回って その打数で勝負をつける訳で 殆ど奥様に勝てませんでした。腰抜け野郎の私は 実際にコースを回る時には とんでもないOBを連発してしまいますが 奥様は飛距離こそ大したことはありませんが 方向性が正確そのもので 緊張してミスすることが皆無なので 結局スコアとしては私を上回っていました。

    老後勿論釣りを始めるときは 奥様にもつき合っていただくつもりですが 恐らく釣果も魚のさばき方でも 奥様に敵わないことになってしまうと思います。でも取り敢えず屋外に出かけて 自然を相手にするわけだし それ程お金のかかる趣味ではないと思いますから ぜひチャレンジしてみようと考えておりますが 直ぐにこの趣味でもまた 奥様に頭の上がらない状態になるでしょう。でも頑張ってみるつもりでおります。

  • 1月26日 今年は例年以上に寒く感じてしまいます

    今年の冬の長期予報としては 暖冬だと言われていたように思います。勿論かなりの長期予報ですから 大雑把な見込みでありますから 外れたとしても文句は言えないのかもしれません。でも冬に暖かいと何故か得したような気持になりますから つい楽観的な気持ちで冬を迎えてしまいましたが 私個人としては 凄く寒さを実感しておりますので そこそこ腹立たしく思ってしまいます。

    実は私は あまりお行儀のいい話ではないのですが 年がら年中 裸足でサンダル履きで ここ二十年以上生活しておりました。所が昨年の冬に 右の足の人差し指が 冷え切ってしまい感覚が殆どなくなってしまいました。マッサージでもしてやれば直ぐに感覚は戻っていましたが その状態がしばらく続くと かなりの疼痛を伴うようになってしまいました。致し方のない事なので 靴下を履いて生活するようになりました。足の冷たさからくる痛みに耐えきれなかったからです。

    今年の冬は暖冬という予報をうっかり鵜呑みしてしまい 今年は靴下のお世話にはならないで暮せると 期待していましたが 大間違いでした。昨年は右足の人差し指だけが 寒さで感覚が無くなりましたが 今年はなんと両足の人差し指の感覚を消失しました。放っておけば 又疼痛が発生することが予想されましたので 自発的に靴下を履く生活に入りました。普通の人にすれば 冬に靴下を履く生活は 極当たり前かもしれません。でも靴下嫌いの私としては かなり不愉快な生活が当分続きそうなので 気が重くてしょうがないのです。

    心配なのは 私が糖尿病を患っております身の上だからです。糖尿病の自覚症状として 末梢血管の循環が低下するために 手足の先端の感覚が低下して 疼痛を伴う場合があるのです。この状態が悪化してしまうと 糖尿病の末期には足の切断が珍しくありません。ですから裸足で冬に生活が出来なくなってしまったのは ひょっとして糖尿病の自覚症状が始まったのではないかと 心配しているのです。昨日 かかりつけの先生に その辺りの事を相談してみましたが 先生曰く「真冬に素足にサンダルで生活していれば 指が冷たくなって感覚が無くなり 痛みが発生しても 極当たり前の生体反応でしょう。これまで素足で生活できていたのが不思議であり 靴下を履く生活をしているのは 極当たり前の事です。」と言う事でした。

    取り敢えずは糖尿病の初期症状が 私に始まったのでは ないと判断してよさそうなのでホッとしました。何にしても 昨日の検査で 胆嚢にポリープが見つかったという大きな心配事を抱えていますから せいぜい暖かくして 足の先の心配ごととは縁を切った生活を心掛けようと思います。

  • 1月25日 本日病院の定期検診に行ってまいりました

    昨年の大みそかに体重計に乗った時は90キロジャストでした。一年間の目標であった減量が 一年間で十キログラム 達成されたことを 満足はしていませんが 喜んでおりました。所がお正月は 私にとって稼ぎ時 頑張りどころであるのは間違いありませんが 年に一度のお正月なので お餅が大好物の私は 気持ちを緩めて食べたいものを食べたいだけ許す数日間としたのです。ここから書くことが 普通の方には信じられない事かもしれませんが 私の中ではしょっちゅう起こっている現象なのですけれど 五日間食べたいだけ食べてしまってから 恐る恐る体重計に乗ったら 何と99キロにまで増加してしまっていたのです。

    私の減量が遅々として進まないのは 毎回毎回病院で先生に体重を報告するときに 嘘はつきたくないので その前の一月間 かなり厳しい食事制限をするのです。勿論体重は あくまで目安の数値で 先生が糖尿病の指針として注目されているのは ヘモグロビンA1cの値ですが 体重を何とか絞ると ヘモグロビンA1cの値もそこそこ正常値若しくは正常値に近い値になるのです。糖尿病の指針としては 一般的な検査項目であるところの 血糖値を気にされる方が多いのかもしれませんが 血糖値と言うのは その場限りの数値ですから 検査の前丸一日何も食べなかったら それなりに低めの値が出ます。しかるにヘモグロビンA1cは検査の前約一月の血糖値の変遷が反映されるので 実質的に糖尿病の進行との関わり合いが分る項目なのです。

    私は99キロまで増えてしまった体重と 正面から向き合い その日から毎日体重計に乗って 何とか減らす努力をしましたが 本日の体重は残念ながら93キロまでしか落とす事が出来ませんでした。僅か三週間で6キロ落としたのですから それなりに頑張ったつもりですが 前回の検診の時に90キロジャストと報告しておりましたので 結果的には3キロ増加していることを報告せざるを得ませんでした。当然血糖値の指針となる ヘモグロビンA1cの値も高くなっていて 先生から怒られることを覚悟して診察を受けました。

    勿論 先生に怒られるから 減量しているわけではありません。血糖値の値が高ければ それだけ糖尿病が進行してしまう訳ですから 不摂生による値の増加は 全て自分に跳ね返ってくるわけですので 検査結果が悪くても自業自得なのですが 取り敢えず先生をがっかりさせたくない お叱りの言葉 落胆の表現を頂きたくない気持ちで 減量を頑張っているのも正直な気持ちです。得に体重が増加してしまったことを報告しましたので お叱りの言葉を頂くものと覚悟しておりましたが 検査結果は意外にも久しぶりに正常値に入っていて 逆に先生から お褒めの言葉を頂いてしまいました。

    例え不摂生がたたって 悪い結果が出ていても全て自分に跳ね返る結果ですから 先生に怒られようと褒められようと関係ないのですが 意外にもいい値が得られて 凄くホッとしました。但し診察結果として 恐ろしい一言も頂いてしまいました。本日は 血液検査だけではなくて 腹部の超音波検査を受けたのですが 何と胆嚢にポリープが見つかってしまいました。ポリープとは所謂お出来みたいなものですから まだ将来的に心配な腫瘍なのか ほっといても心配ないオデキの類なのか分りません。

    勿論まだほんの初期の段階なので 半年後にもう一度検査をして 変化が無ければ心配ないし 大きくなって悪さをしそうであれば 摘出手術が必要になるのかもしれません。手術と言っても大したことはないはずですが やはりこの歳になって 心臓を患っておりますので 心配は少なからずあります。今更ジタバタしてもしょうがないので 半年後の検査結果を待ちたいと思います。但しその検査結果をきくときは 一人では耐えられないので 多分奥様に同席して頂く事になると思います。

    そんな訳で 今回の診察は嬉しい事と悲しい事があり複雑な心境です。まあ取り敢えずは リバウンドによる体重の急激な増加に気をつけての生活を心掛けようと思います。このブログもいつまで書きつづけられるのか 自信がありませんが 書けるうちは書き続ける覚悟ですので どうぞよろしくお付き合いください。

  • 1月24日 厚労省の手抜き仕事に対する対応のいい加減さが腹立たしいです。

    別に厚労省に限ったことではなくて 公務員と言うもの全般的に 仕事に対する無責任さは昔から感じていましたが 今回発覚した勤労統計データについての不正も 又厚労省がやらかしてくれた とある意味慣れっこになってしまって それ程世間が驚いて大騒ぎしない事の方が 深刻な問題のように感じてしまいます。印象に残っている厚労省の不正と言えば 身障者の雇用に関する水増し不正問題です。身障者の社会参加を推進しようとする 誰もが賛成しているはずの誰もが納得して守ろうとするはずの規則を自分たちで決めておいて いけシャーシャーと自分たちが守っていなかったばかりか 自分たちが順守できていないルールでは 民間に対する指導に説得力がないので 嘘の報告をしていたのです。

    身障者としてきちんと認定されていない人 極端な場合目が悪くてメガネを使用している人まで 身障者として カウントしていたのですから チャンチャラおかしくて開いた口がふさがりません。自分たちが決めたルールを自分たちで守っていないのに 民間の企業に守ることを求める指導すべき立場にいるなんて 一体どんな気持ちで仕事をしていてどんな顔で職場にいたのでしょうか。

    私は六十年以上生きてきましたが 一度も公務員になろうと思ったことがありません。何となくその身分を公の後ろ盾で保障されていて 民間人に対してどことなく偉そうな姿勢で応対する姿が 子供の頃から大嫌いだったからかもしれません。一般的に 警察官に対しては 一目置かれている方が多いのかもしれません。私は患者と言うよりもその飼い主との意見の食い違いで 警察が登場する場面を何度か経験しました。私は自分の主張の方が筋が通っていると確信すれば 堂々と渡り合います。動物病院なんて 所詮サービス業であるわけだし 言い方は良くないけれど所謂客商売ですから お客様は神様です という気持ちで対応していたら もっと患者さんが多くて儲かっている病院になっていなように思います。

    でも私は 飼い主のペットの扱いに あきらかに非があり 強く改善を求めるべきだと判断した場合には 飼い主を叱り飛ばすことも度々ありました。売り言葉に買い言葉で 罵り合って 飼い主が警察を呼んだことも何度もあります。一般的な人の感覚で言うと 警察が登場すれば 私の姿勢がある程度弱腰になることを期待しての行動かもしれませんが 私が一番嫌いな公務員は 警察官なので そんな奴らがのこのこ出動してきたら こちらのテンションはさらにヒートアップしてしまいます、

    そもそも警察の立場としては 民事不介入という大原則がありますから そこに暴力などの刑事罰が発生するような出来事が無ければ なんら口をはさめるような立場ではないのです。なのに もっともらしい顔をして仲裁に入り あろうことが下らない例え話でも出して私を説得しようとしたりするのです。そんな時私は第一声として「民事不介入の原則を忘れているのか 馬鹿やろう」と怒鳴りつける所から 私の警察に対する対応が始まります。

    110番されて こんなところに駆けつけることを命じられるような警察官ですから 普段何処で働いているそんな役職の警官かも全く知りませんが そもそも顔を出して発言すべきではない所に 呼ばれたからと言ってのこのこ出動するような警官は 一番下っ端の無能な公務員に過ぎないのです。私の目から見れば 立派な制服を着ているけれど市役所のテキパキと仕事をこなせない無能な職員と同じにしか見えないのですから 当然私は上から目線で対応しますので すごすごと引っ込むのが関の山なのです。

    話が大分横道にそれてしまいましたが私はとにかく 親方日の丸で のうのうと偉そうに仕事をしている公務員が大嫌いなのだという話です。まあ東京の厚労省で仕事をしている輩ですから そこそこ難しい試験に合格したうえで 職に就いているものが多いのでしょうから 試験で点数を取る技術には長けているのかもしれませんが 公務員の仕事の本来の目的であるところの 民間人の活動がスムーズに進むことをフォローするという気持ちが 恐らく微塵も持っていないのではないでしょうか。

    まあ公務員を志した時の 国若しくは都道府県や市町村かもしれませんが 自治体のために働きたい 一般市民のお役に立ちたい と言う清らかで誠実な志が 実際に働き始めたら 瞬時に消えてしまうのも致し方のない事かもしれません。公務員なんて 個人的に仕事を頑張ったって 全く評価されないどころか 出る杭は打たれるわけだし 兎に角目立つような失敗さえしでかさなければ 年功序列の昔ながらの原則が生きていて そこそこ順調に出世していくわけで 下手に頑張ったり目だったりしないようなくれぐれも失敗しないような 勤務姿勢になってしまうのは必然的な事かもしれません。

    役人的な発想としては 取り敢えず数値的な結果だけ 辻褄を合わせておけば とがめられず 咎められなければ 仕事を見事に達成した という考え方なのでしょうから 明らかに意図的な虚偽の報告をすることに 何のためらいも後ろめたさもなかったのでしょう。身障者が社会参加できる機械を少しでも増やそう というこのルールをだれが言い出して どのような経緯で制度化されたのか 等無知な私は全く知りませんが その発想は拍手したくなる位に素晴らしいルールだと思います。

    この素晴らしいルールを民間企業がどれだけ達成しているのかも 不勉強で全然わかりませんが その辺りの事を指導する役所の名称は 恐らく厚労省だと思いますが 指導する立場の人間がそのルールを守っていないどころか 虚偽の報告をしていたのでは 一般の企業が守ろうとするはずがないのは 明らかです。私が厚労省に勤めていたなら 直ぐに恥ずかしくて 情けなくて退職していたと思います。

    今回発覚した勤労統計データーの虚偽の報告にしても 先輩から後輩に脈々と受け継がれてきた 長年の厚労省の伝統行事なのでしょうから 現在そのデーターに関わっている役人をそこそこ処分しただけで 禊が終わったと勘違いしている役人どもが 腹立たしくてたまりません。その辺りに 親方日の丸で どんな大失敗をしでかそうと なくなってしまえば 国民が困ることになるだけでしょ と言った思い上がりが ビンビン感じられます。

    もし民間の調査会社で こんな大々的な手抜き仕事 それも長年にわたって継続されていたものであり 国民が実質的に被害をこうむっている 大失態が発覚してしまったなら 普通は跡形もなく空中分解して 潰れてしまうはずです。でも厚労省の役人 それも上の方の方々は いかにもお役人的な対応 関連した人間をそこそこの数切り捨てればそれで済む話でしょ と言った未だに踏ん反り返っている姿が 見えてしまい 怒り狂っているのは 私だけなのでしょうか。

    まあお役人の体質は 大昔からこんなものなのでしょうから たまたま今気付いたことに対して 文句を言ったって どうしょうもない ましてやこんな影響力の皆無なブログに訴えても 致し方ないことだとは自覚しております。世の中そんなものだと 受け入れて 諦めて 老後をのんびり暮らす事だけを目指して あまりカリカリせずに生きて行った方が 自分の人生にとって プラスになるのではないかと 考えながら穏やかに生きていこうと思う 今日この頃でした。

     

  • 1月23日 減量が上手く進みません

    今年も かなり恥ずかしいのですが 一年間の目標として掲げたのは 減量です。昨年の元旦が100㎏あった体重が 年末には何とか90㎏まで落としました。今年の年末には何とか80㎏にまで減量したいと考えております。勿論若い女性のように スタイルをよくするためではありません。勿論スマートになれば 多少なりとも見てくれが改善されるのかもしれませんが 今更女性にもてたいとはあまり考えませんので あくまで健康の為 元気で長生きすることを目指しての目標です。

    私は昨年一年間も 病院で診察を受けるときに 先生に体重を報告しなければなりませんので 何とか前回の診察時よりも少ない体重を報告したくて 勿論体重が減少していれば 糖尿病の指針になるヘモグロビンA1cの数値が低くなります。減量を頑張れば 自然に糖尿病の進行を食い止めてくれるはずです。その為に毎回病院に出かける直前は それこそ食べるもの 飲むものもを極限まで辛抱してしまいますので 病院に通ってからしばらくは どうしてもその反動で ある程度食べたいだけ食べてしまいます。

    当然の結果として リバウンドして短期間でかなり体重が増加してしまいます。その為に次回の診察までに減量しなければならない体重が凄く大きくなってしまうのです。毎回毎回同様にリバウンドしていますから 何とか回避しようと思うのですが 診察前の厳しい減量を頑張りすぎるので どうしてもその反動が出てしまうのです。愚かな行動の繰り返しですが 私と言う人間が本当に愚かな人間だから致し方のない事なのだと思います。

    つまり今回も大幅なリバウンドが起こってしまいました。普段食べたいものを辛抱しているので お正月にはどうしても食べたいものを食べてしまいます。いい歳こいてお恥ずかしいのですが 正月に付き物もお餅が大好物で 今年も三が日で沢山食べてしまいました。五日に久しぶりに体重計にのると 普通の方には信じられないかもしれませんが98㎏まで体重が増加してしまいました。

    そこから慌てて減量を再開しましたが なかなか体重が落ちてくれません。今回の診察予定日は25日なので二日後なのですが 現在93Kまでしか落ちておりません。前回の診察時に先生に報告した体重が90㎏丁度でしたから あと二日でどんなに頑張っても 前回よりも多い体重を報告せざるを得ないようです。まあ前回の診察時に 先生にはお正月に食べ過ぎて相当に体重が増加してしまうでしょうから 次回の診察時には増加した体重を報告する事になるだろうと 予告しておきましたので そんなに先生から怒られないとは思いますが 減量は自分の為にしている事なので 自業自得 因果応報なのは分っています。大いに反省して 今回こそリバウンドしないように心掛けて生活していこうと思います。

  • 1月22日 大学入試センター試験が大した混乱もなく終了したのだそうです

    とは言っても 今年もまた不正行為が数件見つかっているのだそうです。公共交通機関の遅延によって 受験生が遅刻してしまい 受験時間をずらしたり 日を改めて受験する不幸な生徒たちが そこそこの数いたのだそうです。この類のトラブルは 毎年の恒例行事のようなもので わざわざニュースで取り上げられることも少なくなっているのかもしれません。

    全国で現在確認されているだけで 四人が不正行為を行ったのだそうで 本人たちも不正を認めているそうです。そのうち二人は スマホの検索機能や電卓機能を悪用したのだそうです。他の二人は 回答時間終了後に 答案用紙に書き込みをしてしまったものが一人と 問題文を読見やすくするために 定規を使用した受験生がいたのだそうです。回答時間が終了してから 書き込める事なんてほんのわずかのはずで実質的に点数が増加する可能性なんて殆どないのに そんなつまらない不正行為をしたために 長い事準備してきた受験勉強を無駄にするなんて 凄く馬鹿げた事のように思えます。文章を読むのに 定規を当てた方が読みやすいのかもしれませんが 定規をどうしても使用したい場合は 事前に申し出て その定規に問題がない事を 確認してもらえば 了解されるのだそうです。普段から定規を添えなくても 文章が読めるように習慣づけておけばいいことだし どうしても必要であるのなら 事前にきちんとした手続きを踏めばよかったことですから 愚かな不正だと笑える出来事ですが 本人にしてみれば泣くに泣けない出来事かもしれません。

    現実の世の中に出てからは 結構不正や不公平な出来事がまかり通っているように思います。一国の首相が夫婦ともども 自分の知り合いに多大な便宜を図る不正を行いながら その権力が凄く大きいので 周囲の人間が忖度しまくって 一向にその不正は暴かれないで 本人はいけシャーシャーと偉そうな顔を続けているのですから 受験生が行った些細な不正を 大袈裟に取り上げるのは 如何なものかと思ってしまいます。

    携帯電話を机の上に置くことを禁じてしまえば スマホの不正使用は簡単になくなるのでしょうが 試験を実施する教室に時計が無い場合が殆どだと思います。私は 共通一次試験 とその名称さえ異なっていた時代ですが 京都大学で受験しましたが 当時から教室に時計はありませんでした。まあ当時は腕時計が高校生の必須うアイテムだったので みんな各自の腕時計を机の上に置いて 時間を確認していました。当時から 腕時計に計算機能が装備されている機種などがあり 悪用する輩がいたことはニュースに取り上げられていましたが 単純な計算機能など大学入試レベルの問題では 大した影響はなかったであろうと思います。

    所が現代は 携帯電話こそが必須うアイテムで 腕時計をしている人が受験生で どれぐらいいるのか分りませんが携帯電話を時計代わりにしている人が多いのではないでしょうか。私はここ数十年 携帯電話を時計代わりに利用していましたので 腕時計を使用したことがありません。試験を受けるのに時計は無くてはならない道具ですから 机の上に携帯電話を置いておく事を認めざるを得ないのが 現状だと思います。現実的な対応策としては 監督官が不正使用していないか 頻繁に細かくチェックして回るしかないように思いますが 如何でしょうか。定規をうっかり使用してしまった受験生は 普段の模擬試験などで使用しても大目に見てもらっていたのかもしれませんが 本番の試験ではきちんとルールに従わざるを得ませんから 細かい規則を確認しておかなかったことで かなりの長期間の努力を無駄にしてしまったのですから 自業自得と言ってしまえばその通りですが やはり可哀想に思ってしまいます。

    今年も公共交通機関が遅延してしまい 普通に受験できなかった生徒が 少なからずいたことは お気の毒だとおもいますが。但し私は 絶対に遅刻が許されないような日は 例え公共交通機関が 正常に動かなくてもタクシーに乗るなどの方法で 対応できるぐらいに早い時間から動き出しますので 恐らく遅刻はしないと思います。まああまり早い時間に受験会場についても 寒さで体調的にはマイナスかも知れませんから あまり早く動き出す事 最善の方法ではないのかもしれませんけれど。

    私も二つ目の大学を受験するときに センター試験を経験しましたが 極軽い前哨戦で 本番は各大学で受ける二次試験だと思っておりましたから さして緊張もしませんでしたが 受験生なら一区切りがついて取り敢えずホッとしていると思います。大学によって二次試験との比率はまちまちでしょうが 勝負は二次試験でつく場合が多いと思いますので 気を抜いて体調を崩したり 緊張感を緩めてしまうと もう一度コンディションをピークに持っていくのは 結構大変なので ホッとしすぎないように注意してほしいものです。

     

     

     

  • 1月21日 私は飛行機が苦手です

    いい年して恥ずかしいのですが 私は飛行機に乗るのが苦手です。私は毎日車の運転をしていますが 自動車事故に遭う確率の方が 飛行機事故に遭遇する確率よりもずっと高い事は知っていますから 別に事故が怖いというわけではありません。飛行機の羽は 下の面が平らで上の面が膨らんでいますから 大きな速度で前進すれば 揚力と言う上向きの力が物理的に発生することは 理解しているつもりです。その揚力によって飛行機と言う大きくて凄く重たいものが浮かび上がることも納得しているつもりです。なのになぜか飛行機に乗っていると 校門の辺りが何となくこそばゆくて 落ち着かない気持ちになるので 飛行機は苦手なのです。

    昨年 高校の時の同窓会に出席したのを切っ掛けに 中学時代から密かに憧れていた女の子と メル友になりました。同窓会で話題になった旧友の永長直人君の事を ブログに書いたところ その女性がネットで検索していて たまたま私のブログがヒットしたみたいで メールを頂いたのが始まりでした。彼女は 青山学院大学という いかにもお洒落であり 最近では駅伝で名を馳せている大学の出身なのだそうです。現在は 私が全く興味がないのでその雰囲気さえわかりそうにもない ディーラーのようなお仕事で かなりの大金を毎日動かしておられるような かなり特殊なお仕事をされているみたいです。

    お住まいはメルアドから察すると白金にお住まいみたいですから 所謂シロガネーゼと呼ばれているセレブマダムなのかもしれません。まあご本人に確認したわけではありませんし 一般的なシロガネーゼは 専業主婦の有閑マダムの事をさすみたいなので バリバリ仕事をされているみたいですから 厳密にはシロガネーゼにはあたらないのかもしれません。ちなみにお金持ちが住む白金という地名はしろかねと読んで濁らないのが正しいのだそうです。まあ関西に住んでいる一般庶民には 全く無縁の世界の話なので 全然ピンときませんけれども。

    こちらにしてみれば 凄く美しい女性 同窓会の時のお姿を写真で確認しましたが 勿論同い年の女性ですから それなりに年齢を重ねておられますが 素晴らしくチャーミングな女性であることは 全くお変わりがありませんので そんな女性とメールのやり取りをするだけでも 緊張するのに その生活ぶりが 我々とは全くかけ離れた話ばかり聞こえてくるので めげそうになりますが 何とか気合を入れてメールのやり取りを続けさせて頂いております。

    昨年の後半から お互いの近況を報告し合うようになりましたが その半年のうちでも彼女は二回もかなり贅沢な外国旅行に出かけておられます。他に優雅な国内旅行もされているみたいです。私は昨年の後半は 静岡へ出かけた貧乏旅行位しか 報告することがないので 病院で起こったトピカルな話題を提供するのがいい所でしたから かなり惨めな気持ちになってしまっております。彼女の話によると 飛行機で利用する座席も ビジネスクラスのような 内容が伝わってきます。

    私は飛行機を全然利用しないので 全く知りませんが ビジネスクラスの料金は 一般庶民が利用するエコノミークラスの二~三倍なのだそうです。ちなみに凄いお金持ちが利用されると風の噂に聞いたことのあるファーストクラスだと十倍以上もかかるのだそうです。エコノミークラスだと 座席がフルフラットになる場合が多いので 殆どベッドに寝ているのと同じような状態になれるのだそうです。ファーストクラスになると 殆ど個室のような状態になれるのだそうですが 一体どんな雰囲気なのか想像もつきかねます。

    勿論どのクラスでも同じ飛行機に乗っているわけですから 到着するまでの時間は同じはずですが 高い料金を払うクラスのお客様は 受付してくれるカウンターが別にあるので 一切待ち時間がないのだそうです。飛行機が飛び立つまでの待ち時間も その方たち専用の凄くゴージャスなラウンジが用意されていて 飛び切りの飲み物や食事が無料で用意されているので 退屈している暇など無いのだそうです。

    機内でのサービスも 面倒をみてくれるCAさんの数が違うので それこそ至れり尽くせりの待遇を受けられるのだそうです。食事などもエコノミーが庶民的な定食だとすると ビジネスクラスは ちゃんとした料亭の懐石料理 ファーストクラスになると一流フレンチレストランの フルコースのような食事が出てくるのだそうです。目的地に到着してからも 勿論上のクラスのお客様から 降り始めるし 荷物などの引き渡しも一切お待たせしないし 航空会社によってはハイヤーを用意していて 現地での目的地まで送ってくれるのだそうです。

    一般庶民は 飛行機を降りるのにも 時間がかかるし その後の手続きや 荷物が手元に届くまでの時間も結構かかるみたいですから やはり料金相応に受ける待遇に違いが大きいみたいです。私は嫌いだけれども これまでに何度か飛行機を利用したことがありますが 勿論エコノミークラスにしか乗ったことがありません。そんな飛行機が苦手で貧乏人の私が ビジネスクラスで頻繁に旅行されるような セレブな方とメールのやり取りをさせて頂けるだけでもすごく幸運だと感じております。

    先日彼女から頂いたメールによりますと 私から見れば彼女も相当なセレブリティだと思いますが 彼女の友人は更にお金持ちだったみたいな話で 落ち込んでしまいました。飛行機に乗るとマイルなるものがもらえるらしいという話は聞いたことがあります。彼女も私からすれば 凄く頻繁に飛行機を利用しているのでヘビーユーザーだと思っておりましたが 彼女の友人は 更に彼女よりも格上の利用者だったという話なのです。

    彼女の友人は 普段からファーストクラスばかり利用する方だったみたいで 彼女が急用で飛行機のチケットを慌てて取ろうとしたが 取れなかったことがあったのだそうです。その事をその友人に相談した所 その友人が交渉すると簡単にチケットが手配されたのだそうです。マイルを貯める人の事をマイラーと言うのだそうですが 彼女が言う事には その友人は彼女よりも格上のマイラーであったために プレミアマイラーの特権で 入手困難なチケットが手配されたのだそうです。

    どうせ苦手な飛行機ですから 今後もなるべく利用しないで生きていこうと思っておりますが あんまりこんなことばかりを書いていると どんどん自分がみじめになるだけなので 本日のブログはこの辺りで終りにします。

     

  • 1月20日 1947年の本日から 学校給食が始まったのだそうです

    私が生まれる十年前から始まったのだそうですが 中途半端な時期からのスタートが不思議に思います。給食が始まるというのは 学校としてはかなり大きな出来事のはずですから 何故その年の授業が始まる日から始まらなかったのでしょうか。若しくは何もこんな中途半端な時期からではなくて 四月の学年が改まる時に 新学期のスタートと同時に始めればよかったのではないでしょうか。不思議に思う事に 学校の創立記念日と言うのも 結構中途半端な時期に設定されています。学校が始まるのなんて 何処の学校でも四月からであるのが 自然なように思いますが 結構六月辺りが多い様に思います。

    調べてみたら 学校の創立記念日と言うのは 何もその学校に生徒が通い始めて 授業がスタートした日を記念しているのではないのだそうです。適当な日を指定して 創立記念日とその時に学校を運営している人たちが 勝手に定めるのだそうで その日に大した意味合いはない場合が多いのだそうです。だから現在の所 祝日のない六月に定められる場合が多いのだそうです。八月に定めたとしても 夏休み中だから その学校に通う生徒にしてみれば 有難みを全く感じないでしょう。

    学校給食が一月の途中と言う中途半端な時期からスタートしたのは 間違いない事実でしょうが学校に通う生徒にとっても 途惑う事が少なくなかったのではないでしょうか。学校で食堂があってカレーや定食を提供したり パンやおにぎりなどの軽食を販売していたとは 時代的に考えにくいので 恐らく給食が始まる前日までは ほとんどの生徒が弁当を持参していたのでしょう。弁当であれば 自分の苦手な食べ物は入っていないでしょうし 多少は自分の希望に沿った弁当が 用意されていたのかもしれませんが 給食になるとメニューは決められているし 量も皆平等に割り当てられるのでしょうから 食べ切れない者や物足りないものもいたと思われます。

    毎朝弁当を作っておられたであろうお母さんにしてみれば 忙しい朝の時間帯に 弁当作りから解放されたのですからきっとかなり喜ばれたのではないでしょうか。給食になれば 給食を教室まで運んで クラス全員に平等に振り分け配膳しなければなりませんから その分生徒にしてみれが 面倒な仕事が増えたわけだし 自分の嫌いなメニューでも 文句を言えないのですから 不満は結構あったのかもしれません。

    私はこのブログには何度も書きましたが 子供の頃 塊肉が食べられなかったので 給食に塊肉が出る頻度は高くはなかったのでしょうが その時はかなり苦労をしました。給食は 嫌いなメニューや食材があっても 残すことは許されなかったから 取り敢えず苦手な塊肉を口に放り込み 何度か噛み砕いたら お茶とともに流し込むようにして強引に呑み込むのですが 吐きそうになるのを堪えながらの かなり辛い作業でした。

    塊肉が苦手だったのは 母の手料理に全く出てこなかったからです。子供が大好きなカレーも ひき肉を使用していましたから 友人の家でカレーを御馳走になった時に シチュー用の塊肉が入っていたのには 驚きましたし 途惑いました。今から考えると 母は自分の体質的に苦手なもの 例えばサバや牡蠣などが食べられなかったので 一切食卓に上がることはありませんでした。自分にアレルギーがあって食べられないとしても 子供の食育という観点からすれば 自分は食べなくても 子供の食卓にはあげるべきだったのではないでしょうか。

    塊肉についても 自分が苦手だったからかもしれませんが 父親に出す料理には 食材として普通に使っていたみたいでしたから 私や妹の食卓にも小さなころから出てきていれば それほど苦手になって苦労することはなかったように思います。高校生ぐらいになって やっと塊肉の美味しさに目覚めましたから 小さなころから食べなれていればよかったのにと残念な思いをしましたので その点では母を恨んだりもしました。牡蠣やサバも大学生になって その美味しさを知り それまで食べていなかったことに 後悔しました。

    そんな訳で 給食については 苦手な塊肉に悪戦苦闘した思い出が強いので あまりいい思い出がありません。コッペパンと言う代物も 給食のときぐらいしかお目にかかりませんでしたので 今も苦手な存在です。中学校に上がり 弁当持参になった時には 本当にホッとしました。子供の頃に食べた給食を懐かしそうに語る方がおられますが 私はあまり思い出したくもありません。

    この年齢になって 恥ずかしいのですが 未だに苦手なものをあげると 肉類では レバーや心臓などのホルモン系は苦手なものが多いです。ミノやテッチャン タンなどは焼肉として好きな食材ですが レバーは絶対に食べられません。臭いも味も食感も全てが大嫌いです。野菜では セロリやニラなどの臭いのきついものが苦手です。嫌われる野菜として代表的な 人参やピーマンは全然平気です。私の嫌いな食材の組み合わせであるニラレバ炒めがお好きな方は結構いらっしゃるようですが 私から見れば地獄のような組み合わせです。

    今更嫌いなものを克服しようとは思いませんが 健康の為であれば苦手な物にもチャレンジする必要がありそうな気もします。最近貧血気味なのでメリットも多そうに思いますがやっぱりニラレバ炒めを食べることは 精神的なストレスが凄く大きいので やっぱり無理だと思います。私は完全な下戸なので お酒が飲めませんが お酒の美味しさ位は知りたいし 酔っぱらっていい気分にもなってみたいのですが 無理して飲んでも 気分が悪くなり吐きそうになるだけなので 諦めております。この歳になって 新しくスポーツを始めることも 寿命を縮めてしまいそうなので やはりのんびりと穏やかに暮らすことを考えた方が賢明なのであろうと思います。