Dr.喜作のブログ

2017年1月 の記事一覧

  • 1月27日 確定申告の準備が完了しました

    私は自慢ではありませんが 机に向っての事務仕事が大の苦手です。ほんの数年勤めていた塩野義製薬でも いわゆる病院周りの営業職でしたが 毎月伝票や領収書の提出が 期限ぎりぎりになってしまい 事務の女性からいつも怒られていました。ですから 病院の仕事においても日々の売り上げ明細書をまとめての伝票造りなど 本来はその日のうちに仕上げるべき仕事であるのは 重々承知しているつもりですが結局は一年間完全にほったらかしにしています。
    病院を始めた当時は 勿論自営業など全くの初めてですから 何となくイメージとして 毎日の売り上げや金銭の出入りなどを伝票に書き込んで帳簿をつける必要があるのだろう とは思っていました。父がその頃には既に会社勤めを引退して 暇を持て余していましたし 務めていたころに多少の経理経験があったみたいで その日の仕事終りに少なくともやっておくべき伝票の書き方や帳簿のつけ方を教わりました。父の友人に税理士さんがいましたので その人のアドバイスで 何とか確定申告に必要な最低限の準備は 自分でこなしておりました。
    開業して二三年は 恥ずかしながら始めたばかりの病院の仕事だけで精一杯で 決算から確定申告の作業の全てを父に任せ切っていましたので それほどこの確定申告の作業が大変な仕事であることに気づきませんでした。只毎日言われたように帳簿をつけて 伝票を作っているだけでした。しかし少しずつこの決算して申告書を作る作業の手伝いを始めると その面倒さは 私の想像をはるかに超えていました。基本的には売上収入から 必要な経費を差し引いて利益を出して その利益に見合った税金額を算出するだけなのですが その途中段階で貸借対照表を作るのですがこの左右のバランスが全然取れなくて 悩み苦しむのです。
    ある年に税務署から電話がかかってきて 税理士を一人派遣するから その人の指導に従ってパソコンの確定申告ソフトを導入するように指示をもらいました。取り敢えずお役所の指示に従って 税理士さんに指導を受けました。紹介された申告用のソフトを購入しました。伝票もそれまでの入出金伝票ではなくて 振替伝票を使用するように勧められました。最初は不慣れなもので 戸惑いましたが なんとが頑張って馴染むように努力しました。
    振替伝票には その日のお金の出入りから銀行の預金の出入りまで全て書き込みますので 結構一日分をきちんと作るのは大変ですが この伝票さえ一年分作ってしまえば そのデーターをパソコンのソフトに入力するだけで 決算が終わってしまうのです。人間のやる事ですから 丁寧にやっているつもりでも計算間違いがあったりして残高や合計が一致しなかったりもしましたが さすがはコンピューター全く計算間違いなどしませんから 正確にデーターを入力してしまえば後の面倒な作業はソフトがこなしてくれますから 貸借対照表の左右が合わない等と 悩む必要が全然なくなりました。
    そしてこのソフトがありがたいことは 決算が終わって記録として残すためにすべてのデーターをプリントアウトしますから 本来はきちんと作成しておくべきもののはずですが いちいち自分で帳簿に記帳しなくても済むようになりました。決算した数値から 申告書まで打ち出すことは出来ますが さほど手間暇かかりませんし 最後の仕上げ位は 自分の文字で完成させた方が充実感が味わえますので 何時も手書きで申告書を書き上げます。
    決算と申告のための作業が簡単になったことは 計算間違いや勘違いによるミスが無くなり 非常にありがたい事ではありましたが その為に困ったことが起こりました。毎日きちんと帳簿をつけなくてもよいのであれば 毎日のきちんとした売上金額を算出しなくても済むことになりました。人間は便利な道具を手に入れるとその分ぐうたらになると言われますが 私は元々が極めてぐうたらな人間ですから どんどん仕事をほったらかしにするようになり 一年分の伝票づくりを 正月が明けてから始めるというような悪い習慣があっと言う間に身についてしまいました。今年も七日から準備を始めて本日終わりましたから 正味三週間足らずで無事に相当な余裕を持って完了できました。あと何回するかわかりませんが 決算と申告の準備作業は 結局正月明けからの数週間でやり遂げる形が続くでしょう。
    申告書の提出は メールで済ませる方法や 郵送するやり方もありますが 何時も税務署まで出かけて行って 係りの人に手渡しで提出しています。その方が 病院に残す控えに受領印を押してもらえるので 有難味が増すような気がするのです。今年も二月十五日は初日なので混み合いますから次の週になってから位に提出に出かけようと思っています。何度も書きますが 私はこの仕事をあと数年で辞めようと考えていますから 確定申告もあと数回でしなくなるはずです。今ではほんの二三週間辛い思いをするだけで済んでしまいますから それほど苦痛ではありませんが 仕事を辞めてしまったら 決算と確定申告の準備も懐かしい思い出になるのかもしれません。早くそんな気楽な身分になりたいものです。

  • 1月25日 1900年の本日 石坂洋二郎さんが誕生しました

    もう三十年以上も前に永眠された作家さんですから ご存知の方も徐々に少なくなってきているのかもしれません。私は高校生の頃に一番たくさんの小説を読んだ作家さんかもしれません。その後栗本薫さん 五木寛之さんの作品の方が沢山読んだのかもしれませんが 高校生の頃いわゆる青春時代に読んだ小説は 石坂先生の作品が中心でした。愛書に石坂さんの作品と出会ったのは 丁度その頃にテレビドラマ化されていた「光る海」でした。中高生の頃には ラジオ中心の生活をしていましたから テレビドラマなど殆ど見ていませんでしたが たまたま第一回目の放送を見てしまって はまってしまいました。出演していた役者さんも沖雅也さんや島田陽子さん中野良子さんなどかなり豪華な顔ぶれで とても魅力的な演技が展開されて 最終回まで毎週楽しみに見ていました。
    テレビドラマを見終わったころに たまたま学校帰りに立ち寄った本屋さんで文庫本の「光る海」を見つけました。文庫本としてはかなり分厚くて その分価格もかなりしましたが 凄く面白かったテレビドラマの原作ですから 是非読んでみたくなり 直ぐに購入しました。家につくまで待ちきれずに 電車の中で読み始めてしまいましたが ドラマを見ていたので ある程度ストーリー展開が分っていたのもあり 確か600ページ位あったと思いましたが その日の夜中には最後のページまで目を通しました。原作よりも先に映像化されたテレビドラマを見てしまうと どうしても登場人物の姿が ドラマに出演していた役者さんの顔かたちでしか想像できなくなってしまいますから その事が少し残念に感じました。
    私はそれまで あまり小説を夢中になって読んだ経験がありませんでしたが このことを切っ掛けにして 石坂先生の小説に完全にはまってしまいました。それからは当時部活動をしていませんでしたので 毎週土曜日のお昼 学校帰りに四条畷駅のすぐ前にあった本屋さんに立ち寄って 石坂先生の小説の文庫本を それこそ手当たり次第に購入して その日の夜中までかかりましたが 読破するようになってしまいました。石坂さんの小説は 「光る海」は 大学の卒業式から始まり新社会人が主要な登場人物でしたが その他の作品は高校生が主役の小説が多かったので 丁度自分の年代と重なっていましたから 本当に夢中になってしまいました。
    石坂先生の作品は そのころまでにかなりの数がテレビでドラマ化されたり 映画化されたりしていました。先に原作の小説を読んでから 映像化された作品をみると 演じている役者さんの容姿や声が 自分の想像していたのと異なりますから 最初は若干違和感を感じることもありますが すぐに馴染んでくる場合が多かったです。どうしても馴染めないような作品の場合は そのキャスティングをした監督かプロデューサーに抗議したい気持ちになったこともありました。
    高校生の頃は 特に部活動をしていなかったので 自由になる時間がたっぷりとありましたから 一二年生の頃に 石坂先生の作品は 殆ど読破したと思います。好きな作品は勿論沢山ありますが 一番好きなのは のめり込むきっかけを作ってくれたからかもしれませんが やっぱり「光る海」のような気がします。その他で特に気に入った作品をあげると「暁の合唱」「山の彼方に」「あじさいの詩」「丘は花ざかり」「あいつと私」「陽のあたる坂道」「河のほとりで」「だれの椅子?」などです。「若い人」や「青い山脈」「石中先生行状記」といった有名な作品は 読んでいてもあまり楽しくなかったので それほど魅力は感じませんでした。
    石坂作品は テレビドラマ化されたものも多いですが 映画の全盛期にはかなりの数が映画化されていたようです。現在なら ツタヤなどでレンタルするなり インターネットで検索すれば 簡単に見ることが出来るのかもしれませんが 当時は勿論ビデオすら家庭で再生してみることが出来ない時代でしたから 極たまにテレビで放送されるのを 凄く楽しみにしていました。まあキャスティングに納得がいかなくて がっかりすることも時々ありましたが とにかくテレビで見られることが嬉しかったです。
    私が高校生だった頃は もう四十年以上も前の話ですし 石坂先生の作品に登場する高校生たちは 勿論私の時代よりもさらにさかのぼった時代の高校生でした。現在の高校生は スマホが無ければ生きていけないようですし 私たち年寄りには理解できないような言葉を使うように 変貌してしまっていますから 全く異なる生き方をする存在かもしれませんが 時代の流れですから致し方のない事かもしれません。でも乃木坂や欅坂の高校生メンバーをみても そんなに縁遠い存在には感じないのは 彼女たちが普通の女子高生とはかけ離れた存在だからなのでしょうか。
    久し振りに石坂先生の小説を読みたくなりましたので 時間を作って昔の本を引っ張り出して 読み返してみようかと思います。今年でとうとう還暦を迎えてしまい 正真正銘のお年寄りになってしまう私ですが 高校生の頃の 純粋でみずみずしかったであろうと思いたい感性が少しでも蘇ってくれたら嬉しいです。

  • 1月22日 男性の保育士さんによる女の子の着替えを拒否する馬鹿な親たち

    私は母が専業主婦でしたから 自分が幼稚園にしか通ったことがなくて 保育園に通った経験がありませんので そこに通う子供たちと保育士さんとどのような接触をするのか 具体的な事は全然わかりません。また男性の保育士さんそのものの存在も 実は知りませんでした。以前は凄く少なかったのだそうですが 現在少しずつ増えてきているのだそうです。幼稚園の場合制服を着て登園して あまり着替えをした覚えがありません。学校でいう所の体育の授業 つまり運動をするときにはそれなりの服装に着替えていたのかもしれませんが 恐らく補助など無くても自分で運動をする為の服装に着替えていたであろうと思います。
    現在問題になっている 子供の着替えとは 幼稚園児よりももっと小さい子供さんを対象としているのかもしれませんので 保育士さんの補助が必要な段階の子供についての話かもしれません。場合によってはもっと小さな子供を対象にしたときには おむつの交換のような事を着替えの手伝いと表現されているのかもしれません。おむつの交換を必要とするような年齢の子供について その子の性別と 手伝ってくれる保育士さんの性別がどうして問題視されるのか 私には全く理解できません。
    私の仕事である開業獣医師と言うのも そこそこ大変な仕事ではあると思います。でも客観的に見たら 保育園の保育士さんの方が よほど大変な仕事であるのは間違いない様に思います。勿論不勉強な私が 保育士さんのお仕事の本当の大変さ 辛さなんて殆ど理解できていないとは思いますが 凄く神経を使わなければならないし 忍耐力も相当に必要だし、勿論体力も人並み以上に持ち合わせていなくては務まらないであろうと思います。そのしんどさや拘束時間の長さに比べたら その収入は恐らく大したことはないのだろうと想像します。私の様に自己中で 短気で 我儘な人間には 絶対に勤まらないくらいに大変なお仕事だと思います。
    日本の家庭では昔から 男性が外に出て仕事をして 女性が子供を出産し育てる と言う風に役割分担がなされているのが一般的でした。その流れから 幼稚園の先生や保育所の保育士さんなど 小さな子供の面倒をみる職業は 殆どが女性であったのかもしれません。所が 小さな子供たちの面倒をみる仕事が現実には相当に体力が必要であるわけだし 幼稚園や保育所での仕事においても 男性が受け持った方が適切で仕事が少なからずあったのかもしれません。
    その為に徐々に男性の働き手が 幼稚園や保育園で増えてきているのではないでしょうか。であるのなら 幼稚園や保育所が男性にとっても働く場としてもっと広く認知されるべきではないでしょうか。現実的に男性の働き手を必要としている職場であるから 働いておられる男性の数が増えていると考えるのが妥当であると思います。そのような男性の職員が 子供の着替えの手伝いなり 子供と言うよりも赤ちゃんのおむつの交換を手伝うのであるのなら その事について分けの解からない心配をする親の気持ちが 私には全く理解できません。
    おむつを交換する作業と言うものを 子育ての経験のない私には 凄く難しい仕事に思えますし 恐らくは楽しい仕事ではないのであろうと 想像します。ハッキリ言っておむつを替えてもらう年頃の子供にとって おむつを換えてくれる人が女性であろうと男性であろうと 無関係なのではないでしょうか。勿論恥ずかしいなどと言う感覚はないはずだと思います。おうちではお父さんがおむつを交換することも恐らくは珍しくないのではないでしょうか。保育所を職場として真剣に考えるような方々は 子供が好きであり 子供の面倒をみることに生きがいを感じられるのだろうと思います。体力的にもしんどいし 子供に何かあった時には 厳しく責任を追及されるはずですから 子供と接している間中 神経を張りつめておかなければならないのだろうと想像します。
    勿論私たちの仕事も失敗は許され難いし 特に手術中などは 限界近くまで気持ちを張りつめて 取り組んでいます。しかし私たちの仕事はそれなりにしんどいですが 頑張った分の見返りとしての収入がそこそこあります。所が保育士さんのお給料は 公立か私立かなど条件によって異なるのでしょうが 客観的に見て その仕事のしんどさ 拘束時間の長さ 責任の重さに比べて かなりお安いような話をきいています。恐らく 子供の面倒をみることに本当に生きがいを感じられなければ とても長続きはしないお仕事だと思います。
    保育士さんのお仕事のうち おむつを替えたり 場合によっては水遊びをするときに子供さんが水着に着替えるお手伝いなんかもあるのかもしれませんが そんな事は沢山あるうちのほんの一部分でしかないはずです。それ以外の仕事が山ほどあるはずですから 万が一幼児の体に性的に興味を持つ人間が存在することを否定はしませんが そんなよからぬ欲望を持っている人間がそんなしんどくて責任の重い厳しい職場に潜り込んだとしても とても長続きするはずがない様に思います。
    観点を変えてみると 例えば病気になった時には 子供の場合小児科の医者に診察してもらいます。小児科を選択する先生は 他の科に比べて女性が多いことは認めますが やはり半数以上は男性の先生のはずです。診察を受けるときには 状態によっては裸になる場合もあると思いますが そんな時も 男性の保育士さんを拒否する親たちは 男性の小児科医を拒否するのでしょうか。恐らくお医者さんの場合男性だからと言って診察を拒否する親など存在しないと思います。保育士さんだって 経験が多いか少ないかはあるのでしょうが その道のプロなのですから 男性であることを理由に その人に面倒をみてもらう事を拒否するのは 絶対に間違っていると思います。
    私は塩野義製薬に勤めたことがありますので 大学病院の産婦人科の先生に「女性のその部分を毎日見られて羨ましい」と言ったところ 「正直最初は嬉しかったけれども 毎日診ていると反吐が出そうになってくる」と言う返事が返ってきました。成熟した女性のその部分を毎日診察している先生ですら そんな事ですから ましてや赤ん坊のその部分を見て喜んでいるような不届きな保育士など絶対に存在しないと思います。
    女性と男性では その特性に違いがあることは認めますから 子供たちとの接し方にも微妙な違いがあることは間違いない様に思いますが だからと言って男性の保育士さんを拒否するのは おかしいと思います。男性で頑張っておられる保育士さん そんな偏見に負けないで お仕事を精一杯頑張ってください。心から応援致します。

  • 1月21日 猫風邪のワクチン接種を心掛けて頂きたいです

    今年は 例年以上に自分が寒さを自覚していますから 特にそう感じるのかもしれませんが 猫風邪の患者さんがよく来院されているように思います。人間もそうですが やはり寒さと風邪の関連性は 低くはないのだろうと思います。風邪と言うのは 私も毎冬少なくとも一度はかかってしまいます。幸いなことに インフルエンザほどに強い症状は経験したことがありませんが ある程度発熱して その為に当然かもしれませんが 寒気を強く感じます。奥様に言わせると普段からなのだそうですが 頭がボーっとしてしまいます。のどの炎症により咳が止まらなくて 凄く息苦しい事も珍しくありません。
    そんな状態の時にも 病院を閉めてしまう事はしたくないので 二階を暖かくしておいて 炬燵に入って待機しています。
    患者さんが来られたら すぐに下に降りて 何とかその患者さんの治療を頑張ります。取り敢えずは治療だけして 投薬する薬の準備やお会計は奥様にお任せして すぐに私は暖かい二階へ上がり 体を休めます。勿論状態が悪い時には手術は予定を入れませんが どうしても風邪を一旦ひいてしまうと 治るのに数日はかかりますから それなりに仕事に悪影響が避けられませんので なるべく風邪をひかないように心掛けているつもりなのです。けれどもどうしたって一シーズンに一度ぐらいはかかってしまいます。まあ人間の場合は 風邪で命に関わるのはよほどのお年寄りが風邪をこじらせて肺炎にでもなった場合でしょうが 猫の場合はたかが風邪で命を落としてしまうケースがちょくちょくあります。
    ですから注射一本で済んでしまう風邪予防を是非心掛けて頂きたいのです。猫にとっては皮下注射の一本ぐらい 殆ど感じない位の苦痛しかありません。特にうちの場合ワクチン料金が非常に安く設定してありますので 是非接種してあげて頂きたいです。普通の病院の半分ぐらいの金額ですから 正直申し上げて利益なんて殆どありません。それに金額の問題なんて些細な事かもしれません。命には関わらなくて済むのかもしれませんが 猫が一旦風邪をひいてしまうと 鼻が利かなくなる場合が多いので 食欲が激減してしまい 体力が落ちてしまって かなり辛い思いをするはずです。
    勿論ワクチンを接種しなくても 風邪にはかからずに済む可能性もある程度はありますが もしもかかってしまって治療をする場合 その費用はワクチン接種の十倍は覚悟されておいた方がいいのかもしれません。繰り返しますが お金の問題は重要ではないのかもしれませんが 猫本人がする辛い思いと飼い主さんが味わう心配は 決して小さいものではないはずです。多当飼いされていれば 普段からフードやトイレにかかる費用だけでもバカにならないので どうしてもワクチン接種を省略されてしまうケースが少なくないみたいですが 多頭飼いしていればこそ風邪は伝染病ですから 次々に感染が広まって 大変な事態になってしまう可能性が高いのです。当院では団体割引 三匹以上同時に接種すれば 只でさえ安価な料金がさらに三割引きにさせて頂いております。
    何度もしつこく申し上げてしまいますが 勿論それなりに料金はかかってしまいますけれども 是非予防注射で風邪を未然に防ぐことを考えてあげて頂きたいです。

  • 1月20日 1709年の本日 「生類憐みの令」が廃止されたのだそうです

    徳川五代将軍綱吉が発令した「生類憐みの令」は よく天下の悪法と称されます。1687年に動物の殺生を禁止する法令を制定したのが始まりなのだそうです。「生類憐みの令」は、1本の成文法ではなく、135回も出された複数のお触れを総称する呼び方なのだそうです。何しろ日本史は得意分野ではありませんので ウィキペディアなどを読んでの その場限りの受け売りの知識ですので 表現が伝聞朝になることはお許しください。発令した原因は 綱吉が長寿を望んだのと 世継ぎに恵まれなかったこと の解決法として 前世で動物を殺生したのが原因だから 動物の命を大切にしなさいとアドバイスされたことによるのだそうです。特に綱吉が戌年生まれであったために 犬を大切にすることを強調したのだそうです。
    この法令が百回以上も発令されたのは さすがに人の命よりも犬の命を優先するような 馬鹿げた意味合いの法令でしたから 幾ら将軍様からの通達であっても まともに人々に受け入れられなかったみたいです。よくある逸話としては ほっぺたにとまった蚊を叩き潰したために 厳しい刑罰を受けた と言うのがありますが どうやらこれは事実ではなさそうです。この法令がある程度守られていたのは江戸や京都などの大都市で 役人の目が細かく行き届いた地域だけだったそうです。田舎に行けば このような法令はその存在すら知られていなかったようです。
    ただこの法令で綱吉が保護しようとした対象は 動物だけではなくて 当時凄く頻繁に発生していた捨て子を守ることも含まれていたのだそうです。勿論経済的な理由からでしょうが 捨て子を決断する親が頻発したために 綱吉はわざわざ生まれたばかりの赤ちゃんについて 戸籍のようなものを作り 定期的にチェックして その親たちがきちんと子育てをしていることを確認までしたのだそうです。それから 当時の風習として病人や年寄りなど 弱ってしまった人間を 例えば山中に 若しくは旅先で 置き去りにすることが珍しくなかったのだそうですが そのような行為も禁止していました。
    現在の感覚からしたら 当たり前の事ですが 綱吉の生類憐みの令には 人間 特に弱者を守ろうとする気持ちも強くあったことが窺えますから 単純に悪法と決めつけてしまうのは早計なのかもしれません。それに 普通に考えたら 現代でも動物を愛護するための法律が制定されていますから 勿論その細かな設定には行き過ぎた部分が少なからずあったことは否定しませんが 動物を大切に可愛がりましょう と言う考え方には 私の仕事から考えても 拍手を贈りたい気持ちもあります。
    結局この法令は二十年以上にもわたって発令され続けたのですから ある意味綱吉にとっては ライフワークとして捉えていたのかもしれません。綱吉の遺言では この法令を100年続けるように望んでいます。所が現実には綱吉の死後わずか十日後には ほぼ完全に廃止されてしまったのだそうです。こんな話をきいてしまうと 綱吉は「犬公方」等と 蔑んで表現されていますが 何だか 独りよがりで一生懸命に頑張ったのに あまり正当に評価されていない可哀そうな将軍様 と言う風に思えてしまうのは私だけでしょうか。 

  • 1月19日 預かっている猫がご飯を食べてくれません

    当院では 野良猫の避妊の手術を半額で引き受けています。野良猫をつれてこられる方の気持ちは色々あるみたいです。自分の家の庭や物置辺りに住み着いてしまって 子供が出来ると猶更厄介なので 連れてこられるケースが昨年の暮れに続きました。単純に近所の野良猫が増えないように と言う善意で連れてこられるケースが 勿論一般的です。所が今回は 猫を飼いたい気持ちから 野良猫を保護して 取り敢えずは自分にもあまり猫が慣れ親しんでいないので 避妊の手術をする間預かってもらっているうちに 何とか人に面倒をみられる生活に馴染んでくれることを期待して 連れてこられた方から預かりました。 先日無事に避妊の手術を終えて 抜糸までの期間 即ち十日間預かっている最中なのです。
    野良猫でも すぐに人に慣れてくれて 馴染んでくれる場合も時々はありますが まあ現実には極稀なケースのようです。この猫ちゃんの場合 手術をするために 全身麻酔をかけるのですが 導入麻酔の為の筋肉注射を最初にするのですが ある程度触らせてくれる場合は バスタオルで全身をくるんで保定して お尻に注射します。この子の時にも何とか頭をなぜさせてはくれましたが かごから引っ張り出そうとしたら 暴れ出して興奮状態になってしまいましたので 諦めてバスタオルを何枚も重ねて かごの一番奥に体を押しつけてかごの外から筋肉注射して 導入麻酔をかけざるを得ませんでした。
    仲良くなるのは かなり前途多難が予想されましたが 年齢は二歳ぐらいで 若くて健康体だったみたいで 手術は順調に終了しました。普通の飼い猫の場合は可能ならば 毎日傷の消毒と抗生剤の塗布をお願いしていますが この子の場合は間違いなく傷の消毒は出来なさそうでしたから 手術後に出来るだけ傷口を所得してタップリと抗生剤の軟膏を塗布しました。それから普通の飼い猫の場合は術後三日間は抗生剤を内服してもらい 傷口の可能を予防しますが 野良猫の場合は 術直後は警戒心が強く残っている場合が多いし エリカラーの違和感もあるのでしょうから なかなか食事をとってくれないケースも多いのです。この子もかなり神経質な性格みたいでしたから すぐにはご飯を食べてくれないことが予想されましたので 術後まだ麻酔が覚めていないうちに 皮下点滴で 出来る限り多量に栄養分と水分 更には抗生剤や消炎剤を投与しておきました。
    避妊の手術の場合 お腹に十センチ弱の傷が出来ますから 抜糸までの間傷口を舐めないように エリカラーを装着します。このエリカラーは首周りとの兼ね合いが難しくて ゆるすぎると簡単にすっぽ抜けてしまうし 勿論きつすぎると 首が閉まってしまいますから 大変なことになります。その締め加減がなかなか難しいのですが まだ麻酔からさめきっていない脱力した状態で装着しますから 尚更カラーの締め加減が難しいのです。取り敢えずこれぐらいで苦しくもないし 簡単にすっぽ抜けそうもないぐらいでテーブで固定して 装着しました。所がやはり少し緩かったみたいで 一時間後ぐらいにはエリカラーがすっぽ抜けてしまっていました。まだ完全には麻酔から覚めていないことを期待して バスタオルで保定しようとしましたが 殆ど普通の状態に戻っていたみたいで かなり暴れまわるのを何とか捕まえてバスタオルでくるんで 顔だけタオルから出した状態で 先程よりは二センチ位締めた状態にしてエリカラーを装着し直しました。
    それからは簡単に抜けない状態になったみたいで 一安心でしたが 装着された猫にすれば 手術で麻酔をかけるときにも暴れるのを押さえつけられたし 術後麻酔が覚めた時点でもやっぱり大暴れしたのを力づくで保定されてしまいましたから 病院の人間に対して かなり強い警戒心を持ってしまったようです。連れてこられた方が 確保するために半年位は餌付けをして 徐々に慣れて来てやっとかごに誘い込んで 確保されたのだそうですが その時にもかなり抵抗したのだそうです。
    人間の感覚でいうと 特にこの寒い時期に 人間の世話になれば 暖かい部屋が提供され 餌も十分に与えられる環境ですから 勿論自由で勝手気ままな生活からは縁遠いのかもしれませんが 人に面倒をみてもらう方がずっと楽で安全であり 他の猫たちとの争いもありませんから 安心な生活が保障されますので 人間の世話になることを選択してくれそうに思いますが なかなか人間の思惑通りには 事が進まないのかもしれません。
    この猫ちゃんの場合も 保護して連れてこられた方の希望的観測としては 何とか十日間人間に面倒をみてもらう生活を体験してくれたら 野良猫生活よりも良い事を認識してくれないか と言う事だったのですが 残念ながら 病院では致し方の無い事なのですが 反って人間不信になってしまったのかもしれません。連れてこられた方の話によると キャットフードはドライタイプよりもウェットタイプが好みに合うのだそうなので 市販されている はっきりと言って健康面ではあまりお勧めできないようなフードを買ってきて 更に鰹節をたっぷりとかけて与えてみましたが なかなか見向きもしてくれません。
    本来野良猫と言うのは 慢性的に飢えている状態のはずなので 食べられるときにはたとえ不信感を抱いている人間に与えられたものでも 積極的に食べてくれるはずなのですが この猫は相当な肥満体でした。皮下脂肪も腹腔内脂肪も凄く多くて 手術が凄くやりにくかった位でした。ですから 立場としては野良猫ですが 普段から必要以上に栄養価の高すぎる食事をたっぷりと与えられていたみたいなのです。
    つまり普段からゲップの絶えないような生活をしていたので 自由を奪われたうえにエリカラーまでしっかりと装着されている状態では よほど空腹を感じるまでは ご飯を食べてくれないのかもしれません。大人しいネコならば 食べなければ点滴を入れることも可能かもしれませんが とても皮下点滴をする数分間じっとしてくれるはずはありません。何とか好みにあるフードを探して与えてみるしかなさそうです。預かって三日が過ぎようとしていますが 何とか美味しそうなご飯を置いて 空腹に負けて食べてくれることを期待しながら面倒見るしかなさそうなので 可哀そうですが猫ちゃんの警戒心が薄れてくれるのを期待して待つしかありません。勿論こちらとしては 出来たらなんとか仲良くなって面倒をみたい気持ちですが こちらの気持ちは通じる可能性が低いのは分っておりますけれども 頑張って抜糸まで面倒をみようと思います。

  • 1月18日 今年の冬は 特別に寒く感じてしまいます

    私は自分自身が非常に肥満体であるからなのかもしれませんが 寒さに鈍感なようです。このブログでは何度も書いておりますが 年がら年中裸足にサンダルの生活を 十年以上も続けております。別に何かの罰ゲームではありませんし 自分を鍛えるための苦行でもありません。単純に靴下をはくことが嫌いなのです。靴下をはいた時の 何とも言えぬ違和感が耐えられないので 一年365日 24時間裸足で過ごしたいのです。昨年靴下をはいたのは 狂犬病の集合注射の時に運動靴をはきますから その日は仕方なく靴下をはきます。それから旅行に出かけるときの数日間は かなり長時間高速道路を走りますし かなりの時間歩き回りますので しっかりとした靴を履くために これも致し方なく靴下をはきます。
    それ以外では 私も人間ですから そんな涼しげな恰好を普段はしていますので 一年に一度ぐらいは人並みに風邪をひいてしまいます。その時は大抵発熱しますから 寒気がして耐えられず仕方なしに靴下をはいて過ごすことがあります。一刻も早く風邪を治したいので 不本意ながら靴下をはいて 多少なりとも暖かくして体の回復を促します。今年は昨年の暮れに既に風邪をひいてしまい 数日間靴下をはいて過ごしましたから この冬はもう靴下をはくことはないだろうと考えておりました。
    所が本日起きて二階を歩き回っているうちに 足の裏が冷たくなってしまって 感覚が無くなりました。うちの二階には勿論 床暖房なんて言う洒落た暖房器具はありません。二階のリビングダイニングにベッドを持ち込んで寝室代わりにもしていますが このスペースが何しろ広いのです。30畳以上もありますので 広すぎて一応市販されている分の最大クラスのエアコンは設置してありますが スイッチを入れても部屋全体が温まるまでには かなりの時間と相当な電気代がかかってしまいます。ですからエアコンで部屋全体を暖めることは 殆どありません。私が二階で過ごすときには 炬燵のスイッチは必ず入れておきますので 炬燵に潜り込んで温まるか それともベッドに潜り込んで毛布にくるまって暖を取るしかありません。
    従って 二階の床が温まる事なんて 殆どない状況が長く続いているわけです。本日は休診日ですので ホテルで預かっている犬を散歩に出すのに一階におりましたが そのお仕事が済むと二階でのんびりと朝ごはんを作ろうと思いました。台所で裸足でうろうろしておりますと 足の裏が冷え切ってしまって 殆ど感覚が無くなってしまいました。慌てて炬燵に潜り込みましたが なかなか足の裏の感覚が戻りませんから ショックでした。やはりこれも老化現象の一つかもしれません。足の先まで十分に暖かな血が廻れなくなってしまったのかもしれません。
    うちの奥様は 女性としては珍しくもないのかもしれませんが かなりの冷え症です。冬場は一緒のお布団に入ってきたときに 冷え切ってしまった足先を 私の太ももの間に入れてきて暖を取られます。夏は逆に暑苦しいので 傍にもよってもらえませんが 冬の寒い時期だけは 私の近くにやって来てくださいます。布団も安物で勿論羽根布団なんて上等の代物ではありません。そんななかなか温まらない布団に薄っぺらな毛布なので 自力で熱を放出してようやくお布団の中が温まったころを見計らって 奥様がお布団に入って来られます。そしてすぐに 氷のように冷え切って硬くなってしまった足先を 私の太ももの間に差し込んでこられるのです。私は勿論震え上がりそうな冷たさに 驚きますが 普段は全く役に立たないのだから こんな時ぐらいは辛抱しなさいと言われますので 仕方なしに耐え忍びます。
    とはいえ私の体は勿論無限の熱源であるはずもないので 五分位したらそれまで暖かかった私の太ももが 冷たくなってしまいます。その後お腹やお尻など暖かい部分を探されますが いずれは私の体が冷え切ってしまいますので そうなると殆どくっついてくれなくなりますが さすがにその頃には足先がある程度温まったみたいで すやすやとおやすみになられます。人の体をアンカ代わりにするのなら電気アンカ位安いものですから 自分で買いなさいと申し上げたいのですが どうせ口で争っても言い負かされるのがオチですから我慢します。
    まあ例年だと たとえ一時的に体が冷え切っても 暖かな所にいれば すぐに血の巡りが回復して 寒さも解消して 感覚も戻ってきていましたが 本日は炬燵に足を入れて 何時まで経っても 足先の感覚が戻りません。しょうがないので 靴下をタンスから引っ張り出してはいてみました。するとしばらくしたら 徐々に足先が温まり 普段通りの感覚が戻ってきました。ホッとはしましたが 靴下の助けを借りての事なので 素直には喜べませんでした。兎に角寒い一日を殆ど病院の二階で過ごしましたので ずっと靴下をはきっぱなしでした。さすがに寝るときにはベッドに入る前に靴下を脱ぎましたが一日中靴下をはいて過ごしたことで 別に恥ずかしい事ではないのですが 残念な一日だったと思います。
    靴下をはいて一日過ごしたことは 一般の方から見れば当然すぎる事かもしれませんが 普段靴下が嫌いで履かない生活をしている私としては 寒さに負けた屈辱的な一日でした。しかしポジティブシンキングで 老化現象によって血の循環が低下したからではなくて 本日が特別に寒かったからだ と前向きに考えるようにして 明るく明日からも生きていこうと思います。今年とうとう還暦を迎えてしまいますが ジジイになるっていう事は こういう屈辱に耐えながら生きていくことなのかもしれません。気持ちだけでも 明るく前向きに この言葉が今年の目標になりそうな予感がします。

  • 1月17日 1198年の本日から 後鳥羽上皇が院政を始められたのだそうです

    私は不勉強だし 年をとって昔身に着けた知識がボロボロと消え去っていっておりますので 曖昧な表現しかできませんが皇位と言うのは原則として終身制であったはずです。所がいわゆる成人男子の後継者が存在していない時期には 女帝が つなぎ役として皇位を継承した場合にのみ 成人男子の皇位継承者が出来るまでの期間だけ天皇の座についていて 生前に譲位することが認められていたのだったと思います。
    所が終身制での皇位継承の場合 自分の意図する皇位継承者に譲位できない場合がある為に ある意味その時の天皇陛下の我儘で 生前に譲位すると言う事実が始まったように認識しています。そして天皇を譲位して上皇となられた方が 政治の実権を握っている状態を院政と表現したのだったと思います。その場合今上天皇に実権が伴わないために まあ日本の場合軽んじられることはなかったのだとは思いますが 勿論政治体型として理想的な形ではなかった為に長続きしなかったのだと思います。
    徳川時代に 政治の実権を自分たちで独占してしまうために 徳川家が一方的に 天皇陛下が政治面に口をはさむことを禁じてしまい 大政奉還までの時期には 天皇陛下に政治的実権は消失してしまいました。そして第二次世界大戦で敗れて 連合国から押し付けられた憲法により 天皇陛下は国民の象徴と言う存在になられて やはり政治的な発言は一切慎まれるような存在になってしまいました。私は現在のように天皇陛下御一家も国民であると言う解釈 下手に神格化したり 妙な実権を持たれて政治などに参加されることが望ましいとは思いませんが 現在の憲法はあくまでも戦勝国であった連合国が 日本が二度と戦争を引き起こす厄介な存在にならないために 押し付けた形の法律で だから猶更その改正についてのハードルを凄く高く設定してあるわけですが 国の根幹をなす憲法が あくまで戦勝国から押し付けられた一方的な決め事のままでは よくないと考えますが如何でしょうか。
    戦争放棄なんて 世界に類をみないような こんな表現をすると誤解を受けるかもしれませんが 無茶苦茶な憲法を押しつけられて それをありがたがっている人が少なからずいることが私には凄く不思議に思えます。世界に類のない平和憲法は素晴らしい 等と眠たい事を言っている人がそこそこいるために 竹島や尖閣諸島で 日本の領土が踏みにじられているのに 日本には領土問題は存在しない 等と腰抜け発言が堂々とまかり通るのだと思います。
    そもそも北方領土の問題は 第二次大戦直後から 日本の大問題として存在していることを日本の国民ならすべての人たちが認識していることではないのでしょうか。アベチャンが幾らちぎれるぐらいにロシアの大統領に尻尾を振って 経済協力をしようと ロシアの領土拡大のための暴挙に対して 世界から総スカンを喰らっているのに 日本だけが好意的に解釈して 受け入れる姿勢を示したとしても 北方領土の返還など夢のまた夢 ということが分り切っているのに 日本国民は一体何を期待しているのでしょうか。
    アベチャンがプーチン大統領との会見で遅刻され待たされ時間は エリザベス女王よりもオバマ大統領よりもずっとずっと長かったのです。それだけ日本がロシアから他の国々よりも舐められきっているのです。ロシアから見れば 中国や韓国程度の国々に領土を踏みにじられていても 何の文句も言わず 反発もしないような腰抜けの国ですから どんなにおべっかを使ったところで 通用するはずがないのに なんでこんな簡単なことが分らないのでしょう。
    私だってもちろん 死ぬことは怖いし 戦争は反対ですが 世界の国々 民族同士が 己の利益のために争い 競い合い 鬩ぎ合いを繰り返してきたのが 悲しいけれども人類の歴史なのです。もし日本が真剣に北方領土を取り返したいのなら 先ずは集団的自衛権なんてどうでもいいことを議論する前に 世界の独立国家に最低限認められているはずの個別的自衛権を発動して 中国、韓国を追っ払って そして正々堂々と第二次日露戦争をロシアに対して宣戦布告して 軍事的な実力で 奪い返すべきだと思います。それが出来ないのなら 北方領土の返還を求めるふりなんかやめてしまうべきだし ロシアの暴挙に対して 厳しい姿勢で批判して ペナルティーを科す方向に動くべきだと思いますが如何でしょうか。
    話が天皇陛下の事から凄くずれてしまいましたので 元に戻しますが 現在の法律では 院政を封じるためなのかどうかは知りませんが 天皇陛下の生前譲位は禁じられているのだそうです。院政と言う形態は 日本に独自のものなのだそうです。世界的に見ても 皇位とは終身制が常識であり 生前に譲位すると言う事は ありえない考え方なのだそうです。でも日本では 皇位の継承については かつては当たり前のように生前譲位が行われてきましたし 何も天皇ご一家だけの出来事ではなくて 企業の代替わりや 一般市民の各家庭のでの代替わりにおいても 生前譲位はごく普通に行われています。次世代に形の上では 代替わりしても 実験は先代が握っているケースは 企業や家庭でもよくある話の様ですが。
    特に日本の場合 平均の寿命も延びていますので 今上天皇の年齢がかなり進まれておられますし 皇太子さまが十分な年齢に達しておられる事情もありますから 我々下々のものには計り知れないぐらいの激務であるはずの天皇陛下としてのお勤めを鑑みると ある程度の年齢になられたら 次の世代に皇位とともに その激務であるお勤めを引き継がれるのは 当たり前の流れだと私は考えます。一般国民の家庭なら 例えば代々続く家業の代替わりなど お父さんの腹一つで簡単に決まる事のはずですが 国民の象徴たる天皇家においては いろいろと面倒な決まり事 慣例が多くて スムーズには話が進まないことも 致し方の無い事なのかもしれません。
    私の父は 普通のサラリーマンで 定年退職してからは 再就職することもなしに もう三十年くらい 悠々自適の引退生活をおくっています。十分すぎるくらいの年金を受け取り それなりにやりたい事を楽しみながらの ストレスの全くない生活なので 長生きできているのかもしれません。最近もその生活程度が再審査されて 要介護から要支援に認定が変化したのだそうで 受けられるサービスが減少してしまいましたが 本人の肉体的な状況としては 返って元気になっていると認められたわけですから 喜ぶべきことかもしれません。息子としては 受けられるサービスが減少してしまったことは 心配な面もありますが 本人が元気でご機嫌でいてくれるのなら これ以上嬉しい事はありません。
    私の正直な気持ちとしては 既に90歳を超えておりますので いつ何があるのかわからない状態での一軒家での一人暮らしは 凄く心配です。出来ればそれ相応の施設に入ってくれる方が 本人としても楽であろうし 周囲に人の目が行き届く筈ですから 安心だと本人も感じるはずだと思うのですが 現在もかたくなに実家での一人暮らしを継続しています。まあ最後の最後まで我儘を通す気力があるから 元気で長生きしてくれているのでしょうから 本人の意思を無視して無理やり施設に放り込むわけにもいきません。ただ現実に最期を迎える日が近づいているのは間違いないわけで 一人ぼっちで誰に看取られることもなく死んでいくことになる可能性が高い 現状ですが 本人がそれで納得しているようなので 致し方がございません。
    今上天皇がお元気なうちに退位されることが決まったことは 国民としては喜ぶべきことだと思います。退位されてから それまでの激務から解放されて のんびりとした老後を過ごされるのは 国民として当然の楽しみだと思います。いろいろと手続き上ややこしいことが山積みなのだそうですが 天皇家も国民のうちに含まれる御一家であることを考えたら ご自分の意志で引退する時期ぐらいはお決めになるのが 当然だと考えます。一寸早すぎますが 今上天皇陛下 本当にご苦労様でした。

  • 1月16日 「都民ファースト」について思う事

    東京都の小池知事さんが頻繁に仰っている言葉 「都民ファースト」と言う言葉の意味合いが若干気になります。先日このブログで アメリカのトランプ大統領を 擁護するような意見を述べました。彼のモットーである「アメリカファースト」のパクリではないのか と言う事を感じるからです。私は トランプさんは何十年も続いてきているアメリカの大統領選挙で 正式な手順を踏んで選ばれたのですから もう少し敬意をもって迎えるべきではないかと思ってしまいます。
    当選直後から 反対デモが起こり 就任式の時点でも 反対派と支持派で衝突が起こったりしていました。就任式に集まった報道陣の寂しさに 少なくともマスコが自分たちの期待度の低さを表現しようとしているのではないかと 考えてしまいます。アメリカの政治は民主党と共和党の二大政党でそれなりに拮抗を保ちながら 続いてきています。これまでどちらの政党から多く大統領が選ばれているのか 等不勉強で全然知りませんが その時々にアメリカ国民の選択によって大統領を輩出しているのだろうと思います。私は個人的には トランプさんの風貌もファッションも 喋り方も 考えていることも 正直な気持ち好きではありません。はっきり表現すると 嫌いです。
    正直に言いますと トランプさんは政治の感覚が古すぎると思います。日本とアメリカの関係 貿易摩擦の状況についての 認識も恐らく十年以上ずれているように感じます。彼の選挙活動をしていたころの演説からして 相当な暴君であることが窺われますから 彼の周囲には その考え方に異を唱えるような人間は一人もいないのではないでしょうか。恐らくひとり残らずイエスマンだけをそろえているので 彼の政治感覚が 現在とずれていることを キチンと指摘してくれるブレーンが一人もいないために とんでもないと世間が感じてしまうような発言が連発されていると思います。
    トランプさんの「アメリカファースト」には 人種差別的な意味合いが少なからず感じられますから 尚更世間から反発を買っているのだと思いますが 人種差別に肯定的な考え方の人物を大統領として選んでしまったのは アメリカ国民なのですから 選挙結果が自分の意図した事とは反していようとも その選挙に投票した人には 甘んじてその結果を肯定すべき責任があるのではないでしょうか。当然ですが 投票もしていない人間に 文句を言う資格は爪の先程もないはずです。
    私が懸念するのは 小池さんの言う所の「都民ファースト」にも 首都である東京の都民が 他の国民よりも一段上にあるべきである ような一寸したエリート意識を感じ取ってしまうのです。勿論言い始めた当初は 政治家や役人ではなくて 都民が都によるサービスを受ける最優先すべき存在である と言った意味合いで使われていたはずです。現在の所の小池さん人気は凄いと思います。築地市場を視察した時の小池コールなどには わざとらしい雰囲気を感じましたが 市場の移転問題でも 豊洲に移転を決めた石原さんの責任を追及するところまで行けば立派なものだと思います。数々の問題が続出しているオリンピック問題にしても 結局は森さんが色んな利権に絡んで甘い汁を吸おうとしていることが 様々なトラブルの根源にあると思いますから 石原、森と言う大物政治家の責任追及がきちんと出来れば 小池さんは素晴らしい首長だと思います。
    只人間あまりに人気があるとつい調子に乗って 自分は特別な存在であって 望めば何でも実現できるなとど勘違いしてしまうのではないかと心配になってしまいます。知事選に当選した直後から噂されていましたが 小池新党を立ち上げて 孤立無援な状態から 東京都議会を牛耳ってしまおうなどとは 決して考えて欲しくありません。現在の勢いなら 新党を立ち上げると言い出せば 同調する人間は少なからずいるのでしょうが 小池新党は小池さんが知事を辞めた時にどのような結末を迎えるのか考えたら とても心配です。勿論 現在の小池人気や勢いにあやかろうとして集まった奴らの行く末などどうでもいいのですが その時点で都議会の秩序や勢力バランスが 崩れてしまうのが心配です。
    小池さんが都知事として 思い切った改革を進めていくうえで 都議会にそれなりの勢力を持つことは必要なのかもしれませんが 形の上では在籍していた自民党から離反したわけですから 最大派閥である自民党への対抗手段として自分の政党を立ち上げたい気持ちは分らないでもありませんが 勢いに乗じて小池派の都議会議員も大量に当選してしまったりしたら 石原さんのような暴君になってしまわないかと心配です。自分の息子を余人には代えがたい逸材であるなどと断言するような おごり高ぶった首長に小池さんにはなってほしくありません。「都民ファースト」と言う言葉にしても 初めて使った時の 東京都が提供するサービスを一番に受けるのは 東京都民であるはずだ」と言う意味合いを忘れずにいて欲しいものです。

  • 1月15日 雪が積もっていますのでセンター試験が無事に出来るのか心配してしまいます

    昨日と今日は 大学を受験する高校生にとっては非常に重要なセンター試験の日ですが 天気予報通りに気温が下がり 今朝見たら道路にうっすらと雪が積もっていますし 更に雪が降り続けています。何も大学受験だけでその人の人生が決まってしまうなんて全然思いはしませんが 受験勉強を頑張ってきたその成果を発表する場ですから 全受験生が悔いの残らないように全力を出し切れることをお祈りいたします。かくいう私も センター試験の以前の形式である 共通一次試験は 受験した経験があります。私が現役の高校生の頃には まだ共通一次試験なんて存在していませんでした。国立大学は受験する日にちによって 一期校と二期校に分かれていて 一年に二度国立大学を受験する機会がありました。
    現在の受験制度は 凄く複雑怪奇な位に細かく分類されていて 同じ大学 同じ学部でも前期と後期に分かれていたりして 私の様に全く興味がないものには 殆ど理解できないようなややこしい仕組みになっているようです。受験制度がどんどん変遷していくのは 時代の流れに沿っているのであったなら 致し方の無い事なのかもしれませんが 受験する高校生にしてみれば 新しい仕組みに変化することがどの様に自分に影響するのか 分らなくて 只でさえ不安な入学試験をより心配なものにしてしまいますから 制度の変更は必要最小限度にしておいてほしいと考えます。
    私が二つ目の大学 岐阜大学を受験した年も 共通一次試験に大きな変更がありました。理科と社会で 理科Ⅰと言う科目と 現代社会と言う科目が 始めて受験科目として設定されて 更にその科目が現役の受験生には 必須科目に指定されていました。浪人している受験生は 履修していない科目なので 選択しなくても構わないように設定されていましたが 私は受験科目として初めて採用されたわけですから かなり基本的で易しい問題が出題されることを予想して 勿論私は理科Ⅰや現代社会などと言う科目の授業を受けたことはありませんでしたが 一つ目の大学の同窓生で高校の教師をしているものを頼って 先ずは教科書を手に入れて 自分で勉強しました。初めての科目 と言う事で過去の問題で準備することは出来ませんでしたが 実際に出題された問題は 予想通り基本的でかなり易しい問題でしたので 予定通り殆ど満点を取ることが出来ました。
    私が二度目の大学受験にチャレンジした時 基本的には自宅で 或いは図書館で勉強しました。何とか教科書を入手して それなりの参考書を買い揃えて勉強しましたが 準備の進行が順調であることを確認するためと 私が飛び切りの腰抜け野郎なので 本番で緊張してチョンボをやらかさないために 出来るだけ数多くの模擬試験を受けてみました。全く知らない場所で 一人も知り合いのいない会場での模擬試験でしたから それなりに緊張はしたのでしょうが ほぼ予定通りに 自分の実力を発揮できて 期待通りの点数を獲得できていましたから 岐阜大学農学部獣医学科を第一志望として判定を受けると 十数回の模擬試験の全てでA判定 即ち合格の可能性80パーセントをもらいました。
    そして共通一次試験の当日を迎えて 枚方市は何故か受験会場が京都大学でしたので 立命館に通っていたころに 憧れとかなりのコンプレックスを感じながら 訪れた事のあるキャンパスにやってきました。全く知らない場所で 一人の顔見知りもいませんでしたが 自分としては割と落ち着いて試験に臨んだつもりでした。所が試験の内容が たまたまなのかもしれませんが 例年とかなり変わっていました。先ず数学で例えば正解が五ケタの数字の場合は 普通だと回答するマス目が五つあるので 答えの数字をマークシートで選択して記入します。所が 回答欄のマス目が六つある場合は一マス余るので右端だったか左端だったか覚えていませんが 余ったマス目に星印を選択しなければならないと 回答するときの注意書きに記されていました。しかし過去の問題で 星印を選択するような解答は一度も出題されていませんでした。所がその年の数学の回答には星印を記入する必要のある回答が何か所も存在したのです。
    個々で腰抜け野郎と私は ひょっとしたら自分の回答が間違っているために 星印を選択するような解答になっているのではないかと 疑心暗鬼になってしまって すっかりパニック状態に陥ってしまいました。数学は二百点満点で あわよくば満点 悪くとも180点ぐらいを予定していましたが 帰宅して自己採点してみるとなんと100点そこそこしか得点できていませんでした。更に国語では 現代国語と古典いわゆる古文と漢文の授業比率が変化したので その配点比率が前年までは 現国120点、古典80点だったのが 古典の授業比率が下がったので配点も60点ぐらいに低下するのではないかとかなりの信憑性のある情報筋から 噂されていました。所が 現実には 現国100点 古典100点の配転になっていましたので 国語の問題を見た時の受験生のざわつきはかなりのものでした。私はどちらかと言うと古典の方が得意でありましたので 古典の配転が高い事には 反ってありがたく感じた位で 一切動揺しませんでしたし 自己採点でもほぼ予定通りに得点できました。
    とはいえ数学で予定よりも80点も低い得点に終わりましたので 総得点では予定していた点数よりも凄く低い点数になってしまいました。
    自己採点による自分の点数を正直に申告して 岐阜大学の獣医学科での合格判定をしてもらうと 三つの予備校に申し込みましたが 三つと判定はDで 志望校の変更が必要と診断されてしまいました。これまでの模擬試験では全てA判定 即ち合格の可能性80%だったので 凄くショックを受けましたが 模擬試験では勿論二次試験用のテストもあり そちらも全てA判定でしたから 二次試験さえ普通に得点できれば 挽回は可能であると自分を慰めて 志望校の変更はしませんでした。国立大学の獣医学科の難易度は 東大と北大が 当然レベルはずば抜けて高かったのですが それ以外の大学では似たり寄ったりだったから 二次試験の内容に合わせて受験勉強をしていましたから 慌てて志望校を変更してもほとんどメリットはありませんでした。
    当時国立大学の授業料は年間二十万円程度でしたから 何とか自力でも支払い可能でしたが 私立の獣医学科を卒業するのには その十倍以上のお金が必要と言われていましたから 私立大学に進むつもりは全くありませんでしたので 共通一次試験のつまづきで ピンチに立たされたのは事実ですが ここは腹をくくって 二次試験での挽回を図るしかありませんでした。覚悟を決めて二次試験を受験すると 今度は開き直ってしまったからかもしれませんが 凄く落ち着いて冷静沈着に受験できて 実力を発揮できたように感じました。
    それでも合格発表の時には かなりプレッシャーがありましたが 何とか無事に合格てきて 現在に至っています。年に一度の試験ですから プレッシャーがかかるのは当然ですし その為に色々とつまづいたりもするのでしょうが 試験に失敗したからと言って 生きる道を失われるわけではありません。失敗すれば その失敗を埋め合わせて挽回すればいいだけの事です。人生悪いことがあれば 必ずいいこともありますから 気楽に考えて 今回のセンター試験で運悪くつまづいてしまったとしても 気持ちを上手く切り替えればきっと挽回できるはずですし 落ち込まないで前進してください。私のような 怠け者で 根性なしの人間でも なんとか今年還暦を迎えるまで暮してこれたのですから。

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