Dr.喜作のブログ

2016年11月 の記事一覧

  • 11月30日 旅行の最終日です

    いよいよ楽しい旅行の最終日です。残念ながら昨夜も何度か夜中におしっこに通いましたが 目覚めたら七時半を回っていました。やっと休日らしくのんびりと目覚められました。このホテルは各部屋のお風呂でも温泉に入れますので 急いで湯船にお湯をためて のんびりと浸りました。私はそんなに温泉好きではありませんが せっかくのお休みですから ゆっくりと温泉で暖まりました。八時過ぎにレストランに行くと 一番混み合う時間だったみたいでしたが 運よくならばずにテーブルにつけました。まずは和食系の朝食を頂きました。焼き魚に卵焼き 笹かまぼこなどのオカズとお粥さんに薬味をたっぷりとのせて頂きました。
    これだけで普通の朝ごはん分ぐらいはありますから ここで終了してしまえば 私はこんなに太ってはいないのだと思います。お粥さんを食べ終わったころに お姉さんが焼きたてのクロワッサンをバスケットに入れて配りにきました。「焼き立てで熱々ですよ」とまで言われてしまったので つい一つもらってしまいました。パンだけではやはりさびしいので パンに合うオカズを取りに出かけてしまいました。ふっくらしたオムレツやこんがり焼いたソーセージ カリカリのベーコンなどを 本日二回目なのだから少しずつにしておけばよいのに 結構お皿にタップリととってしまいました。
    食べ放題のお店に出かけてしまうと ついつい普段よりも食べる量が増えてしまうのは 致し方の無い事なのかもしれませんが 私は食べ放題のお店が大好きなので ついつい普段外食をするときでも 食べ放題のお店をチョイスしてしまいます。この朝食を頂いた時もお客さんの様子を観察していると やはりスマートな方は 最初にお盆に持った料理で ほぼ食事を終了されています。所が私の様にポッチャリとしている方は 必ず二回目、三回目まで料理を取りに出かけています。スマートな方が二回目に席を立たれた時には 食後のコーヒーを持ち帰られました。私も食後にコーヒーを頂くとホッとできますから コーヒーを取りに出かけますが ついついフルーツのコーナーに立ち寄って メロンやオレンジをお皿に盛って持ち帰ってしまいます。
    やっぱりデブは沢山食べているし 痩せている方は食べる量が少ないのは明らかに違います。そもそも食べ放題のレストランでの滞在時間からして違います。ほっそりとした方は 私たちよりも後から席に着いたのに 先に食事を終えて帰られます。私たちよりも先に食べ始めていて 私たちが帰る時まだ食べていたのは 親子五人が皆丸々とした家族だけでした。食べれば太るし あまり食べなければ痩せるという 極ごく当たり前の真実に 今朝改めて気づいてしまいました。
    部屋に戻り しっかりとウンコをしてから 荷物をまとめてチェックアウトの準備をしました。このホテルに宿泊すると九時十五分から スパーランドに入場できるアーリーエントリーと言う特典があります。ディズニーランドのホテルに泊まっても同様の特典があります。私は何時も二時間位前からゲートの一列目に並んでオープンを待っていますが ホテルに泊まった人たちがずっと後から来たのに先に入園していくのを何時も悔しい気持ちで見つめています。ディズニーランドの場合人気のアトラクションはアッという間に 二三時間待ちになりますから 一般客よりも早く入園できる特典が凄くありがたいのですが スパーランドの場合はどのアトラクションも乗り口に辿り着ければ すぐにアトラクションが楽しめますから 先に入園できてもさほどありがたみを感じません。
    本日もやっぱり一番危ないスチールドラゴンだけは敬遠して 他のジェットコースター系を楽しみました。そうこうしているうちにお昼ごろになりました。「湯あみの島」にステージがあり 一応は名前の知れた歌手が日に二回簡単なショーを行います。これまでは湯原昌幸さん、日野美歌さんでしたから見物しましたが 本日はマヒナスターズと言う名前は知っているけれども 代表曲ですら知らない方々でしたので パスしました。「湯あみの島」と言うのは いわゆるヘルスセンターみたいな施設で 私にはホテルの宿泊特典についている おまけとしかとらえていませんが わざわざこの施設だけを目当てにやって来て数千円の料金を払う人たちも結構いらっしゃるみたいなので もう少しここのお風呂をしっかりと楽しむべきなのかもしれません。
    お天気も徐々に下り坂みたいなので 少し早めに帰りの車に乗り込みました。帰り道は 殆ど高速オンリーですから スムーズに快適にドライブできました。無事に病院に帰り着いてホッとしました。二日間病院を閉めて 結構な散財をしてしまいましたが このような楽しみがあってこそ普段の仕事に頑張れるのだと思います。明日からまた気合を入れて病院の仕事に取り組みますので どうぞよろしくお願い致します。

  • 11月29日 旅行二日目です

    私は 恥ずかしながら糖尿病を患っている関係から おしっこが近くて 夜中にも大抵少なくとも二回は目が覚めてしまいます。その為にせっかくのお休みの日だからと言って 思い切り朝寝坊と言うのが出来ません。昨夜は伊勢海老三昧の大変豪勢な晩御飯を頂きました。残念ながら下戸なので お酒を頂きながらその豪勢な料理を頂きはしませんでしたが お茶とともにゆっくりと 美味しく頂きました。お茶を何杯もお分かりしながらの食事でしたから 水分を沢山接種してしまいましたので 夜中のおしっこも三回我慢できなくなり目が覚めてしまいました。
    三回目におしっこで目が覚めた時が六時少し前でした。まだ夜が明けておらず殆ど真っ暗な状態でしたが 私は夜中に三回もおしっこに起きた と言う事実を認めたくなかったので その時に起床してしまいました。勿論隣の布団で奥様がまだすやすやとお休みになっているので 起き上がって活動を始める訳にはいきません。仕方がないので もう一度お布団にもぐりこみはしましたが テレビをつけて音声を凄く絞ってみることにしました。
    当たり前ですが 関西とは異なる地方色の強い番組でしたから それなりに目新しくて楽しめました。そのまま大人しくテレビを見ていればよかったのかもしれませんが 朝は六時から温泉に入れるとのことでしたので 私は着替えの下着とタオルを持って部屋を出ました。宿泊したのは 料理民宿でしたから ホテルや旅館よりも規模が小さくて 部屋数も少ないはずです。お客さんもそれほどたくさんはいらっしゃらないはずなので 当然六時過ぎに風呂場に行けば 私一人きりでのんびりできることを期待していました。しかし意外にもすでに先客が二人ほどいらっしゃいました。
    「おはようございます」と挨拶だけして大きな湯船に思いっきり手足を延ばして浸かりました。昨日は車の運転を数時間しましたし 水族館の中をうろうろと歩き回りましたから 結構足が疲れているみたいでしたので のんびりと足の裏などをマッサージして寛ぎました。先客の男性二人は 静かに湯につかっておられましたが 五分もしないうちに出ていかれましたので その後は大きなお風呂を独り占めできて 気分良かったです。ガラス戸があるので開けてみると 昨日の貸切風呂と同じぐらいの露天風呂がありましたので そちらにも入りました。ゆったりと入浴しているうちに明るくなってきましたので 十分に温まってから 部屋に戻りました。
    部屋に戻ると 奥様も目覚めておられましたので 持参したコーヒーを入れて のんびりとした休日の朝を雰囲気を楽しみました。七時半を回ると朝食の準備ができたと電話が入りましたので 奥様と食事処に出かけていきました。個室ではなかったので 賑やかなおばちゃんたちの声がよく響いていましたが それほど気にはなりませんでした。昨夜私の大いびきの為に睡眠不足だと奥様に いつものように文句を言われて 謝りましたが楽しい旅行中の事なので それほど奥様のご機嫌も悪くないみたいでホッとしました。朝ごはんは 昨夜の伊勢海老の味噌汁が豪勢でしたが 後は温泉卵や酢の物 漬物に焼き海苔 小さなお鍋で湯豆腐 とよくある旅館の朝ごはんでした。
    チェックアウトしてから 近くにある観光名所の「石神さん」と言う神社にお参りに出かけました。平日の朝一でしたが 駐車場も満杯なら 参道も結構混み合うぐらいの人出で 少し驚きました。詳しい事には興味はありませんが 天照大神を祭った伊勢神宮と親戚筋に当たる結構由緒正しき神社なのだそうです。お賽銭をケチらずにきちんと作法通りお参りしました。それから近所にある岬に車を廻して 散歩がてらその岬を歩き回りました。遊歩道のようになっている海岸縁の道を歩いていると 人の話し声が聞こえてきました。道の前後を確認しましたが 歩いている人影など全く見えません。不思議に思っていると なんと海で漁をしている海女さんたちの話し声でした。よく見ると 数十人の海女さんが次々に潜って漁をしていました。 
    海女さんと言うのは 女性がタライを抱えて海に潜り その旦那さんが船で命綱を握って様子を見ているものだと思っていましたが 実際は私の想像とは異なりました。タイヤを浮き輪代わりにして タイヤの内側に獲物を入れる網がセットされたものを抱えた女性が一人で 作業をしていました。漁のできる時間は決められているみたいで 十時になると海女さんたちが 一斉に海岸にむかって移動し始めました。ドラマ「あまちゃん」みたいな服装で 潜っているのかと思っていましたが 皆さんウェットスーツに足ひれを付けて 水中メガネだけの装備で 素潜りで漁をされている様子でした。
    私たちの目の前の浜辺に上陸してこられた海女さんにちょっとだけ話しかけてみました。今日は獲物としてサザエとナマコに限定されていたみたいで タイヤの内側の網に 結構沢山のサザエが見えました。「大漁ですね」と話しかけると 今日は二日目なので 昨日の方がもっと沢山獲れたのだそうです。「寒くはないですか」と尋ねると 「ウェットスーツを着ているし 慣れているのでそれほど辛くはない」とのことでした。それにしてもざっと見まわしたところ かなりの高齢者が多かったみたいで ドラマと同様に後継者不足には悩んでおられるのかもしれません。
    海女さんが漁をする所を遠くからですが見学できましたし 少しだけ海女さんとおしゃべりが出来ましたから 凄く有意義なお散歩になりました。
    その後車に戻って 長島リゾートに向かいました。高速を使いましたから お昼前にはホテルに到着して 直ぐにスパーランドに入園しました。この遊園地はとにかくジェットコースター系の乗り物が充実しているし 平日の昼間は 殆どならばずにのれるので有難いです。この遊園地の一番恐ろしい絶叫マシーンは スチールドラゴンと言うコースターです。何しろ体を覆う部分が殆どないし 足も踏ん張れないように宙ぶらりんなのだそうです。そして高さ九十メートル以上の高さから落ちるのです。フジキュウハイランドのフジヤマには乗ったことがありますが 高さは七十数メートルですからビルでいうと五階分ぐらい低いし 体を覆う形の乗り物ですから 大して怖くはありませんでした。スチールドラゴンは何しろ絶叫マシーン好きの奥様が躊躇するぐらいの怪物ですから 恐らく一生乗ることはないと思います。
    本日は二番目に怖いと言われているホワイトサイクロンとアクロバット と言う乗り物に乗りました。ホワイトサイクロンは何しろ木製のコースターですから ガタガタと振動が凄く激しいし 音もうるさくてそれなりに 恐ろしい乗り物です。アクロバットは動き出す前に足元が浮き上がってうつぶせの状態で走り出しますから 頭から急降下していくような形で それほど怖くはありませんが かなり非日常的な状態を楽しめます。ホワイトサイクロンは 私と奥様の二人きり、アクロバットはもう一組のカップルと四人だけで乗り込みました。それぞれに相当に長い行列に対応できるスペースが用意されていましたから 混み合う時期の土日は それなりに待ち時間があるみたいでした。
    少し風邪気味だったので 後はのんびりと観覧車にのったり 小さな子供用ののんびりとした乗り物に乗って楽しみました。夕方になりましたので 菜花の里に移動しました。毎年凄く壮大なスケールのイルミネーションが 催されていますので こちらはかなり混み合っていました。始めてここのイルミネーションを見た時には その壮大なスケールに圧倒されて 凄く感動しましたが 今回で確か四回目になりますから 別に今年の企画が手抜きをしているわけではないのでしょうが 少し物足りないように感じました。但し時期的に紅葉が凄くきれいでしたし 上手にライトアップされていましたので 紅葉を堪能できたのが嬉しかったです。お腹もすいてきましたので ホテルに戻りました。
    何時もホテルナガシマに宿泊しています。長島リゾートのホテルとしては 他にホテルオリーブと ホテル花水木があります。花水木は他の二つよりも断然格上のホテルで エントランスや従業員の服装 ロビーのじゅうたんの暑さからして異なります。但し宿泊料も一人一泊で一万円以上も跳ね上がります。ホテルナガシマは 一泊にバイキングの朝夕食がついて一人一万七千円台です。但しそこに二日分の「スパーランド」の乗り放題チケット 「菜花の里」の入園チケット 「湯あみの島」と言うスーパー銭湯の様な施設の入場券までついていますから 結構割安だと思います。でもいつか「ホテル花水木」に泊まってみたいと思っています。
    ホテルナガシマが気に入っている理由は バイキング形式の食事の内容が かなり充実していることです。この旅行を最後にまた節制する生活が始まりますので 旅行中は楽しく 美味しく過ごすことに集中しておなかいっぱいいただきました。夕食後は「湯あみの島」に出かけましたが 二日目で疲れがたまっていましたし 風邪気味だったので よく温まったら早めに部屋に戻りました。ベッドに潜り込んだたら 奥様が部屋に戻る前に大いびきをかいて眠ってしまいました。以上で旅行二日目が御終いです。

  • 11月28日 秋の旅行 初日です

    一応 ホームページの看板や 病院のシャッターの張り紙には 「研修の為 休診致します」と謳ってはおりますが 実は100%遊ぶために旅行に出かけました。毎年二月ごろ 確定申告の準備を年が明けてから直ぐに取りかかります。私は几帳面ではないので 普段から帳簿をつけたり 伝票を記入したり 一切しません。年が明けてから一週間ぐらいが過ぎたころに一年分まとめて 申告に必要な作業を始めます。取り敢えずは 銀行通帳をノートに書き写して銀行勘定帳を作ります。続いて 薬屋さんの納品書の束をノートに 書き写して仕入帳を作ります。続いて毎日の売上伝票を日にちごとにまとめて振替伝票に記入します。一年分の振替伝票に 経費の領収書やレシートを貼り付けて その科目を記入します。更に銀行勘定帳と仕入れ帳から病院で起こったお金の出入りを 記入します。全て記入したらパソコンの申告用のソフトに振替伝票に書き込んだ情報を入力します。
    簡単にサラサラとかきましたが 簡単でスムーズに作業が進むのは 毎日の伝票や経費の領収書を月毎にまとめて 日付順に整理して分類してくれている 奥様のおかげです。薬屋さんの納品書を会社ごとに分類して日付順にファイルしてくれているのも 奥様です。実際の作業をするのは私ですが 毎年狂犬病の書類の数が合わなくなったりとトラブルが発生してしまいますので 事情を説明して 問題を解決してくれるのも 奥様です。私は普段から 仕事の上でもプライベートの面でも 奥様におんぶにだっこ状態ですが 確定申告などと言うややこしい問題を片付けるときにも やはり肝心な所 と言うか難しくて厄介な所は 全て奥様頼みで 何とか切り抜けて来ましたし 今後も同様の状態が続くでしょう。
    確定申告の準備か終わると 少しだけれども余裕が出来ますから 年末年始も稼ぎ時と考えて 目いっぱい仕事をしていますし 正月明けから正味一月間ぐらいは申告の準備に明け暮れますので 二月の上旬に 自分へのご褒美 と言うよりも奥様に感謝の気持ちを表現するために毎年旅行に出かけます。奥様の大好きなディズニーランドが多いのは 奥様が一番喜ばれる場所だからです。
    毎年ではないですが秋になってホッと一息つきたい年には 病院がある程度暇になる秋ごろに旅行に出かけます。魚介類が美味しくなる時期ですから 福井や伊勢志摩など 海の近所に出かけることが多いみたいです。最近は伊勢志摩が 距離的にも程よい位置にありますし 観光スポットとしても楽しい施設がいろいろとありますから ここ最近のお気に入りです。今年は春にも出かけましたが 秋にももう一度伊勢志摩へ出かけることにしました。
    朝の五時半ごろ まだ真っ暗な状態ですが 病院を車で出発しました。私は旅行に出かけるときには 必ずその日の朝食と昼ご飯を弁当にして持参します。朝食としてサンドイッチとコーヒーを準備しました。サンドイッチ位は 道端のコンビニでも売っていますが 自分で作った方が豪華なサンドイッチが出来上がります。手間暇も結構な材料費もかかりますが せっかく旅行に出かけたからには 少しでもリッチな気分に浸りたいので 早めに起きだして準備してしまいます。基本的には行けるところまで一般道を通って 高速に乗るのは伊勢自動車道だけにしました。何しろ朝の五時過ぎですから した道でもすいすいと進みます。高速に乗る頃には やっと明るくなってきましたので サービルエリアに車を停めて のんびりと結構豪華なサンドイッチを頂きました。
    ゆっくりと休憩してから 出発しましたが すいすいと進みすぎてしまったようで最初の目的地である鳥羽水族館の駐車場入り口に八時半ごろには到着してしまいました。水族館が九時からですから その少し前には駐車場が開くと予想していましたが きっちりと九時に駐車場がオープンするみたいです。仕方がないので海っぺりに移動すると 丁度オジサンが釣りを始めるところでしたので 見物していました。しばらくするともう一人オジサンがやって来て 車に乗っている私にメンチを切って通り過ぎて やはり釣りの準備を始めました。周囲の状況を確認すると どうも私が車を停めている場所が 二人目のオジサンのレギュラーポジションだったみたいで うちの車のすぐ隣に軽トラを停めて釣りの準備を始めたみたいです。一人目のオジサンが盛んにこませを巻いて魚を集めているようです。いったいどのような種類の魚が釣れるのか 確認したくて一匹目が釣れるのを待っていましたが そうこうしているうちに九時になりそうでしたので 仕方なく水族館の駐車場入り口に戻りました。
    なんとか一番乗りで一番出入り口に近い所に駐車して水族館へ入りました。春の旅行でもこの水族館へ来ましたが 下調べを全然してこなかったので あまり効率よく見学できませんでした。今回は水族館がかなり広いので効率よく且つショウタイムや食事時間を見逃さないように 綿密にスケジュールを組んでみて回りました。最初のイベントは 九時四十分からのラッコのお食事タイムです。十分位前にその場所に到着しましたが 同様に食事時間を見学する人が集まり始めていました。平日の朝一のイベント事ですが 結構人が集まりましたから驚きました。
    時間になるとラッコが二匹とオジサンが二人登場してお食事タイムが始まりました。まじかに見るとラッコは結構大きくて 暖かそうな毛皮に包まれていて体重は二十キロ近くありそうです。食事は主にイカの切り身みたいでしたが叔父さんから受け取ると水面いあおむけに浮かんで 器用に両手を使ってかじりついていました。食事の時間は結構長いみたいでバケツにかなり大量のイカの切り身が入っていました。途中で見ている方が退屈しかけてきた頃を見計らって 叔父さんが手前のガラスにイカの耳の部分 丁度三角形にカットしてあるものを 手前のガラスにうまく張り付くように投げました。ラッコの方も手慣れた様子で 勢いをつけてガラスをよじ登りイカの耳をゲットして 美味しそうに食べていました。以下のげその部分もガラスに投げつけられて張り付いているのを 同様にラッコが器用によじ登り 食べていました。
    その後は 色んな展示物を見て回りながら ショウタイムや食事タイムを見逃さないように うまく回れました。春に来たときは 初めてでもありましたし 沢山の見どころや催しがあるとは知らずに来てしまったので残念な思いをしながら 帰りましたので 今回の旅行では水族館の見学に十分な時間を組み込みましたから 鳥羽水族館を堪能できたと思います。アシカショウをみながら 持参したお弁当を食べました。奥様の大好きなホタテの炊き込みごはんでおにぎりを作りました。おかずは今回はあえて手抜きで冷凍食品を温めたものを用意してみました。簡単すぎて面白くなかったし 味も平凡でそれほど美味しくは感じませんでした。但し 晩御飯が海岸近くの料理民宿で 一番高いコースを予約していましたから とにかくお昼ご飯はあまりお腹が膨れないように とにかく少なめに作ることを 奥様からきつく言われていましたので手抜きのオカズで量的はちょうどよかったみたいでした。でもやっぱり玉子焼きだけは自分で作らないと お弁当を作った気がしませんでした。
    明るいうちに民宿について 浜辺の散歩をしたかったので早目に水族館を後にして 民宿に向いました。
    予定通りに四時ごろに民宿に到着しましたので 歩いて浜辺に出て 砂浜を散歩しましたが 夕暮れ時の浜辺は結構情緒があって 浜風はかなり吹いていましたが 楽しい散歩が出来ました。散歩から戻ると貸切露天風呂を予約した時間になりましたので 奥様と久し振りに一緒にお風呂に入りました。陶器でできたつぼ型のお風呂ですが 二人で浸かってもゆったりと出来ましたから 予想以上に立派な露天風呂でした。可愛い箱庭もついていましたから 温泉もしっかりと楽しめました。
    さて待望の晩御飯ですが 何しろ伊勢エビの本場ですから 伊勢海老が一人に一匹ずつ 先ずはお刺身、次に塩焼き、具足煮、塩茹でと次々に登場しましたので エビ味噌好きの私は味噌の詰まった頭の部分までしっかりと頂きました。その他にアワビのステーキも一人に一つずつついていましたし 松坂牛のステーキも可愛らしいサイズでしたがついていました。他にも鯛と平目の刺身のかなり大きな舟盛りや サザエのつぼ焼き カレイの唐揚げ サラダに酢の物など食べ切れないほどの料理がテーブルに並びました。最後に海鮮のたっぷりと入った釜飯まで炊き上がりましたが ほとんど食べられませんでした。伊勢海老の刺身の頭でだしを取ったお吸い物だけは何とか飲み干しました。
    奥様は食後 大浴場に入りに行きましたが 私は満腹だし 朝早くから動き回ったので 疲れ果てて眠くなってしまいましたので そのままふかふかの布団で大いびきをかいて眠りました。旅行一日目は終了です。

  • 11月25日 本日は憂国忌です

    私は小学生の頃に友人の誕生日に招かれると その頃に時分が読んで感動した本を プレゼントとして贈っていました。小学生の頃の友人に贈る誕生日プレゼントは プラモデルが主流だったと思います。本を渡すにしても マンガ本が普通でした。正直贈った相手が 手渡した本を読んでくれることはあまり期待していませんでした。ですが自分がもらうとしたら最高にうれしいのが本だったから 嫌われるのを覚悟の上でプレゼントしていました。
    何が言いたいかと言えば 私は子供の頃から 結構な文学少年だったのではないかと言う事です。当時熱中していたのは エジソン、野口英世等の偉人の伝記やマゼラン、クック等の旅行記 「二年間の休暇」「トムソーヤ」等の少年を主人公とした小説なんかが多かったように思います。自分が凄く感動できましたから 友人にも同じような感動を味わってほしかっただけで 別にカッコを付けて誕生日のプレゼントに本を送っていたわけでは決してありません。
    中学 高校の頃には 石坂洋二郎や五木寛之にはまってしまい お二人の小説は大概読みつくしたのではないかと思うぐらいです。「青年は荒野をめざす」や「青春の門」は 丁度主人公の年齢と自分がリンクしていましたから 何度も読み返していました。「にっぽん三銃士」や「鳥の歌」を読んで 自分もいずれは当てのない旅に出ることを夢みていました。高校時代 特に部活動をしていませんでしたから 土曜日のお昼に 本屋さんで文庫本を買って 土曜日の深夜までかかってその一冊を読み切る事を 試験前以外は繰り返していました。本当は文芸部にでも入って 読んだ小説について友人と語り合いたかった気持ちはありましたが 高校の文芸部なんて 文学少女のたまり場みたいなものでしたから 女の子と喋るのが苦手だった私に 入部できるはずもありませんでした。トルストイの「戦争と平和」は何度もチャレンジしましたが 結局は最後まで読み通すことが出来なくて 悔しい思いをしました。登場人物が多いし その名前が似たようなのが多くて 覚えきれなかったのが原因だと思います
    一つ目の大学時代は殆ど本を読んでいませんでした。塩野義製薬に勤めていたころには 一人暮らしを始めて 寂しいのもあったのかもしれませんが いろんな作家の本を乱読していました。男の一人暮らしでしたから 勿論エロ本もたくさん買い込んで 盛んに自分を慰めていました。塩野義を退職してから二つ目の大学に入るまでは 必死に受験勉強をしていましたから 勿論のんびりと本を読む暇もありませんでしたが 岐阜大学に入学してからは やはり普通の学生との年齢的なギャップが大きく感じられて 一人寂しく小説の類を読み漁りました。特に栗本薫さんにはまってしまい 生計を立てるためにバイトに精を出していましたが 暇を見つけては一年で百冊ぐらい読んでいたかもしれません。私が読んだ作品の数が一番多いのは 間違いなく栗本薫さんです。「グインサーガ」が結局完結できなくて ファンも悔しいと思いますが 書き終えられなかったご本人の無念を想像すると 恐ろしいものを感じてしまいます。
    前ふりが長すぎましたので そろそろ本題に入ろうと思います。「憂国忌」とは 三島由紀夫さんの命日の事です。1970年の本日 三島由紀夫さんが割腹自殺を遂げられました。当時中学一年生でしたが 日本が万博で湧いて浮かれていた年でしたから 尚更ショッキングな事件として記憶しています。自殺自体はそれほど珍しい話ではなかったのでしょうが 衆目を集める中見事な割腹自殺でしたから ニュースでその事件を聞いた時には 恥ずかしながら震え上がったのを覚えています。「憂国忌」とは 三島由紀夫さんの追悼集会の名称で 今年も変わらずに開かれているはずです。
    何故長ったらしい前ふりをしていたかというと 私は平均的な日本人よりはたくさん本を読んでいる人間だと自覚しております。しかし三島さんの作品は一度も読んだことがありません。「潮騒」や「金閣寺」位は 本屋さんで手に取ったことはありましたが 購入して読んだことがありません。
    三島さんは ノーベル文学賞の候補に挙がった位の作家さんですし 「Esquire」誌の「世界の百人」に 日本人で初めて選ばれたぐらいに海外からの評価も高かった人物なのです。日本を代表するような作家の作品を一つも読んでいない と言うのは恥ずかしい事のように感じます。同様の事が太宰治さんに関しても言えます。やはり太宰さんの名前を知らに日本人は少ないと思いますが この方の作品も一つも読んでいないのです。「走れメロス」だけは中学校の教科書に掲載されていましたから 知っていますが 自分でチョイスして読んだわけではありません。
    話を戻しますが 三島さんが自殺されてから四十五年以上も過ぎた現在まで 追悼集会が継続していると言う事は その存在感がいまだ健在なのだと思います。自分はそこそこ本を読んできた人間だと思っていましたが 三島作品を読んでいないのでは 偉そうな顔は出来ないと思いますから 読みやすそうな小説を探して 読んでみようと思いました。

  • 11月24日 本日は 「オペラ記念日」なのだそうです

    1894年の本日 日本で初めてオペラが上演されましたので その事にちなんでいるのだそうです。私は 大学時代 混声合唱団に在籍していましたしオーケストラに少しだけ混ぜてもらったこともあります。ピアノは十数年先生について学びましたし それなりに真剣に取り組みましたから 一時はピアノで生計をたてようかと考えたこともありました。ですから一般の方よりも 多少はクラシック音楽に馴染がある方だと思いますが オペラに関しては 全く興味がありませんし 当然オペラについての知識も全くありません。
    オーケストラによる音楽と 歌手の歌声 それに素晴らしいセットで演じられるお芝居やバレエを総合した ひょっとしたらクラシック音楽の極みみたいなジャンルかもしれません。私は合唱団とオーケストラの両方に在籍した経験がありますから ある意味オペラは凄く身近な存在になっていても不思議ではありません。でも私は もともとお芝居やバレエを鑑賞するのがあまり好きではありませんでしたし かなりの長時間にわたる演奏時間にも抵抗を感じてしまって 自分からオペラについての門戸を閉じてしまったのかもしれません。
    交響曲であれば マーラーやブルックナー辺りのかなり長時間にわたる楽曲でもほとんど抵抗がありませんが 本来好きではないお芝居やバレエを長時間鑑賞するのには とても耐えられなさそうです。ましてや歌詞が日本語ではありませんから 基本的にその話の展開をすべて理解しておく必要がありそうですし重要な場面では セリフの内容さえ覚えておかなければならないのだろうと思います。そんな風に 事前にお芝居を細かく理解しておく必要があることに 私は嫌悪感さえ感じるので オペラのステージを鑑賞したことは勿論CDの一枚も買ったことがありません。
    日本で初演されたオペラは グノーの「ファウスト」と言う詩人ゲーテを描いた 三時間以上にもわたる大作です。聴衆の殆どが そのオペラと初めて接したのでしょうから 事前にどのような説明や解説があって 上演されたのか知りませんが さぞかし退屈な三時間だったのではないでしょうか。私は音楽と言うものは クラシック音楽であろうと 乃木坂や欅の歌うアイドルの楽曲であろうと 何にも考えないで聴いてみて 楽しさを感じられるべき文化であるはずだと考えています。
    乃木坂の曲を オペラの作品と並び称すると 非難の声が聞こえてくるのかもしれませんが たかがアイドルグループの作品であろうと ナーちゃんがセンターで歌って踊る「気づいたら片思い」に接すると私は何時でも感動しますし 大好きですから カラオケに出かけた時には必ず自分でも歌います。私はナーちゃんが六十年近く生きてきて 出会った女の子の中で 断トツに魅力的な女の子だと思っていますからその特別な思い入れがあるから「気づいたら片思い」を特にお気に入りにしてるのかもしれませんが この曲に特に思い入れのある方は 少なからずいらっしゃると思います。たかがアイドルの歌う作品だからと言って 頭からバカにしてしまうのは間違っているように感じますが如何でしょうか。
    最近はいよいよ師走になり バタバタしてしまっていますが たまには落ち着いて 腰を据えて交響曲の中で二番目に好きなブルックナーの七番でも聴いてみましょうか。ちなみに一番好きなのはベートーベンの五番「運命」です。この曲は一楽章のモチーフ「ジャジャジャジャーン」があまりにも 有名になりすぎていますが 第四楽章の素晴らしさは特に秀逸だと思います。ウィーンフィルのゆったりとしてるのに凄く堂々とした演奏を耳にするたびに泣いてしまいます。念のために申し上げておきますと 私の中での位置づけは「運命」と「気づいたら片思い」と同等であることを御理解いただけるとすごく嬉しいです

  • 11月23日 本日はせっかくの休診日ですが 祝日「勤労感謝の日」なので 家に籠っていました

    時期的には 丁度紅葉が最盛期でしょうから 紅葉狩りにでも出かけたいところですが 生憎と祝日と重なってしまいましたから 何処に出かけても混み合う事は間違いないでしょうから 風邪気味でもありましたので 大人しく家に籠っていました。そもそも勤労感謝の日とは 一体どんなことを祝う日だというのでしょうか。勤労感謝の日とは、国民の祝日に関する法律によれば、「勤労を尊び、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」ことを趣旨としているのだそうです。
    でもこの説明文を読んでも何の事やらピンとこない方が多いと思います。1948年に制定されたのだそうです。 農業国家である日本は、古くから神々に五穀の収穫を祝う風習がありました。また、その年の収穫物に感謝する大事な行事として飛鳥時代の皇極天皇の時代に始まった新嘗祭(にいなめさい)の日が第二次世界大戦後のGHQの占領政策によって改められたものが「勤労感謝の日」と言う事なのだそうです。この説明で何となく分ったような 雰囲気なのでそんなところで良しとしときましょう。
    新嘗祭は1872年までは旧暦11月の2回目の卯の日に行われていたけれども 1873年に太陽暦が日本の暦として導入されました。そのままでは新嘗祭が翌年1月になって時期外れになってしまうので、新暦11月の2回目の卯の日に行うこととした。それが1873年ではたまたま11月23日だったのだそうです。そして翌年からは11月23日に固定して行われるようになったのだそうです。ですから11月23日という日付自体に深い意味はなく、たまたま日本が太陽暦を導入した年(1873年)の11月の2回目の卯の日が11月23日だっただけのことであるらしいのです。
    日本では ハッピーマンデー法と言う訳のわからん法律が制定されて それなりに元の日付に重要な意味合いを持っていた祝日が ○○月の第○月曜日 に定められて 単に国民の連休を増やすためだけの法律で その祝日の本来の意味合いが薄れてしまっている傾向が強く感じられます。そんな中で勤労感謝の日と言うのは その日付自体に大した意味合いがないにもかかわらず 毎年日付を固定されているのは 何故なのかさっぱり理解できません。
    勤労感謝の日 と言うのはもともとの意味合いが あまり国民にピンと来ていないのに どうして日付を固定されているのかお分かりの博学な方がいらっしゃれば 是非教えて頂きたいです。せっかくの休診日が祝日と重なってしまったために 何処にも出かけられなくて とっても残念な一日でした。個人的な希望としては こんな祝日こそ月曜日に固定してほしいものです。

  • 11月21日 小さな動物が凍えて死んでしまいました

    昨夜からそんなに冷え込んだようには感じていませんでしたが 朝から続けて恐らく凍えて体調を崩した小動物が 来院して命を落とす悲しい出来事がありました。朝一でやってきたのは ジャンガリアンハムスターでした。今朝の早朝にいつもなら活発に動くのに あおむけになって動かない と言う事で来院されました。触ると明らかに冷たくなっていましたので すぐにドライヤーで温めました。体温が少し上がってくると 微かに動き出しましたが 依然としてショック状態で ほとんど意識もありません。
    温めながら 懸命に体をさすっていると 微かに鳴き声が聞こえるようになってきました。呼吸も安定してきました。取り敢えずはショック状態を改善する薬を皮下に注射して様子をみました。徐々に動き回るようになってきましたので 引き続き体をさすりながら温めていくと 何とか目の焦点があってきて 意識も戻ってきました。普段から気の強い子で 顔をなぜようとすると咬みつく癖があるのだそうですが おでこの辺りをさすると 咬もうとする仕草を見せるようになりましたから 取り敢えずは一安心でした。
    何時までもドライヤーにあてておくわけにもいきませんから使い捨ての懐炉を十分に温めて渡して その上に体を寝かせて温めながら家まで帰ってもらう事にしました。飲み薬を準備して 飲ませ方を説明してから渡しました。来院した時には 殆ど呼吸が停止した仮死状態でしたから 何とか自宅までもってくれれば 病院に来てもらった甲斐がありそうに思いました。所が 車に飼い主さんが乗り込んでエンジンをかけるかかけないかのうちに また病院へ駆け込んでこられました。再び呼吸が停止してしまったようです。
    慌ててまたドライヤーで温めながら 人工呼吸をしました。呼吸を呼び戻す薬を注射しましたが 残念ながら今度は息を吹き返してくれませんでした。私としては 考え得るベストの対応をしたつもりでしたが 結果的には死なせてしまいましたから 何とも悲しい一日の始まりでした。そのまま午前中は ワクチンを接種したり 手術後の抜糸をしたりして 割と平和に過ぎていきました。そのまま午前中が終了するのかと思っていましたら 終い間際の十二時近くになって ぐったりとしたウサギが運び込まれました。
    朝見た時には 普段と変わりなかったのだけれども 買い物から戻って様子を見ると 急にぐったりとしていたのだそうです。朝与えたラビットフードはほとんど減っていなかったそうなので 朝から食欲がなかったみたいでしたが 普段から凄く大人しくて気づいてあげられなかったのだそうです。やはり体が冷え切っていて意識が殆どありませんでしたから 温めるながら 体を摩擦してショック状態から戻そうとしましたがなかなか安定して呼吸もしてくれません。
    手術台に乗せて酸素マスクをして 人工呼吸をしましたが なかなか呼吸が戻りません。病院に到着する直前までは何とか呼吸をしていたのだそうなので 呼吸を促進する薬を胸に注射してみました。粘り強く人工呼吸をつづけると 何とか自発呼吸を再発してくれました。とはいえ一定のリズムでろっ骨を圧迫してやらないと すぐにまた呼吸が停止してしまうような 安心できない状態でした。入院をしてもらって病院で面倒をみることを勧めましたが 非常に大人しくて内向的な性格の動物なので 飼い主さん的には連れて帰りたい意向みたいでした。
    致し方がないので 呼吸中枢を刺激して自発呼吸を何とか維持する薬を点滴とともに皮下に流し込みました。今日一日もってくれるかどうか かなり不安ではありましたが お返しする準備として内服薬を調剤しているうちに 再び呼吸が停止してしまいました。再度呼吸を呼び戻そうとしましたが 今回も残念ながらそのまま息を引き取りました。入院してもらっていても 結果は似たり寄ったりだったかもしれませんから 飼い主さんに看取られているうちに息を引き取ったのは 不幸中の幸いだったのかもしれませんが 朝から二匹も続けて小動物の最後に立ち会いましたから 正直な気持ち辛かったです。
    ハムスターがわずか30グラム 兎が900グラムと 人間の赤ちゃんと比べてもずっとずっと小さな生き物たちです。二匹とも意識がなくて呼吸も殆ど停止したショック状態でしたから 何とか一時的にでも意識が戻り 自発呼吸ができるようになりましたので 私の施した治療が全く無駄であったとは 飼い主さんも思っておられなかったとは思いますが 結果的には病院内で息を引き取りましたから 動物の死が日常茶飯事である獣医師としては 深く落ち込んでいる場合ではないはずでしたが 久々にガックリときました。
    小さな動物にとっては 冷え込んだ朝の寒さが 人間よりもずっとずっと大きなストレスになってしまいますから 十二分にも注意を払って面倒をみてあげて欲しいと 改めて思いました。

  • 11月20日 混合ワクチンが入手困難で困っています

    うちの病院はそれほど流行っている病院ではありませんが それでも毎月ある程度の数の混合ワクチン接種を希望する患者さんが来院してくださいます。私たちは診察して 健康状態に問題がなければ ワクチンを接種して その証明書を発行して 飼い主さんに手渡して その料金を頂きます。ワクチン接種は割と短時間で 収入が得られますから 動物病院にとっては大切であり かつとってもありがたいお仕事なのです。勿論 ワクチン接種は 極まれに起こるアレルギー反応と背中合わせの作業ですから そのような望まれない副作用が発現した時には 冷静沈着な対応についての 知識と治療薬の準備が欠かせません。
    先日ワクチンの在庫が残り少なくなってきましたので いつも通りに薬屋さんに注文を入れました。次回の訪問日にはいつものようにワクチンが届く筈でした。所が注文を入れてから 暫くして薬屋さんから電話が入りました。要件は 急に厚生労働省が ワクチンのデーターが不備であるとの横槍を入れてきたので 現在すべてのメーカーの 全ての種類の混合ワクチンの販売にストップがかかったのだそうです。当然うちだけではなくて 全ての動物病院に混合ワクチンの販売が出来なくなっているのだそうです。
    ワクチン接種によって何らかの重篤な副作用が多発したりしたのであるのなら 取り敢えず薬屋さんにお役所が販売ストップをかけるのも致し方の無い事かもしれません。しかしそのような事件は起こっていないのだそうです。もしもそんな事件が起こっていれば 当然薬屋さんからの情報よりも早く 獣医師会からその類の情報が回ってきて しかるべきなのですが そのような動きは全然ありません。とにかく厚労省が 突然分けの分らない事で 強権を発動してきたのです。
    もしワクチン接種に何らかの問題が発生したのであるのなら 実際にワクチンを使用している私たちに直接その処置の理由や 何時ごろ問題が解決しそうなのか 何時ごろからまたワクチンが販売されるようになるのかといった具体的な見通しなどの連絡が入るはずですが はっきりした情報は今のところありません。お役所にしてみれば たまには強権を発動して 自分たちの権力の大きさをアピールしておきたいのかもしれませんが 現実に混合ワクチンの接種を望まれる飼い主さんにとっては 非常に困った事態です。
    動物病院に粗暴接種を希望して来院されたのに ワクチンの在庫切れの為接種できない 等と言う事態は 喫茶店にコーヒーを飲みに出かけたのに コーヒーの在庫が切れている事にも匹敵する由々しき事態だと思います。まあコーヒーぐらいは 辛抱してもらうしかないのかもしれませんが ワクチン接種を希望しているのに キチンとした期日にワクチンを接種できなかったために もしその動物が伝染病にかかってしまい 万が一命にでもかかわるような事件が起こった時には 厚労省は どのような責任の取り方を考えているのでしょうか。
    私のような小さな動物病院のドクターが ブログで愚痴ったって何の解決にも向かわないのは分っていますが ぼやかずにはおられない気持ちを御理解いただけると嬉しいです。一日でも早く ワクチンの購入ができるようになってほしいです。これは全ての動物病院の経営者の望みだと思います。年末年始は ホテルで預かる動物が増えますから どうしてもワクチン接種の機会が増えてしまいます。何とかワクチンの在庫が尽きないことを祈ります。

  • 11月19日 1980年の本日 百恵さん友和さんが結婚されました

    もう36年も昔の話ですし 百恵さんは結婚して以来 一切マスコミに登場していませんから お若い方にしたら生まれる前に結婚された方の事なんか 全くご存知ないのかもしれません。勿論ご主人の三浦友和さんは テレビや映画 お芝居の方面で幅広く活躍されていますから 若い方でもお名前ぐらいはご存知だとは思います。以前は百恵さん待望論が 慢性的に騒がれていました。もしも 百恵さんがCMででも 芸能界に復帰されれば その経済効果は計り知れないものがあると言われていました。
    単体の商品をPRするコマーシャルではなくて トヨタやパナソニックのような日本を代表する企業の企業イメージをアピールするCMになるのであろうと言われていました。そのギャラは五億~十億円と噂されていました。万が一 百恵さんがCMに 登場することが発覚したら おそらくNHKのテレビのニュースでもその情報が流れるだろうと予想されます。勿論全スポーツ新聞がトップ記事で取り上げるでしょうし 百恵さんの紹介や友和さんとのなれ初めから結婚までの情報が 数ページにわたって掲載されるはずです。勿論テレビのワイドショーなどもその話題で持ちきりでしょうから それだけで数億円分のギャラは元が取れるはずです。恐らく何曜日のどの番組のCMで 何時ごろから放送されるかまで 細かく報道されるでしょうから その番組の視聴率もとんでもないことになってしまって 例え十億円のギャラを払っても その企業は十分に潤うはずです。
    CMの撮影なら どんなに丁寧に作っても 拘束されるのは一~二週間の事でしょうから 十日前後働いて十億円稼げるのなら 貧乏人の私でなくても 飛びつく人は多いと思いますが、百恵さんは育った家庭がそれほど恵まれていなかったように記憶しています。だから何よりも友和さんとの家庭を大切にされているのでしょうから お金の問題ではなくて マスコミに再登場されることはありえないのでしょうが それだけ友和さんが愛されている証拠なのかもしれません。男としては あんな美しくて魅力的な女性から それだけ愛されて ある意味幸せの極致かもしれません。
    だけれども このブログのタイトルも 百恵さん友和さん と表現されているように このカップルを表現するときには 必ず奥さんである百恵さんが先に名前が上がってしまいます。三浦友和さんも 凄く男前だし ベテランですからそれなりに演技力も身に着けておられる一流の俳優さんであるにもかかわらず 恐らく現在でも「三浦友和、ああ百恵ちゃんのご主人ね」と表現されてしまうのだと思います。二人が共演していた時代 あまりに百恵さんの存在感が大きすぎて どうしても友和さんはその添え物 のように扱われていた名残なのかもしれません。この扱いはある意味男としては 非常に屈辱的な待遇なのかもしれません。友和さんも若い頃からずっとそのような扱いを受けてきましたから 今更そんな事に不満は感じていないのかもしれませんが やはり男としてはどうしても残念な思いがあるのかもしれません。まあ恵まれない一般庶民から見れば 贅沢すぎる悩みなのかもと思います。私は この上なく奥様を愛しておりますし 奥様がおられないと まともに生きていくことが難しいぐらいのダメ人間であることを 十分に自覚しておりますから 奥様の添え物のような人生であっても 凄く幸せだと思いますから 恐らく友和さんも何の不満も感じておられないだろうと確信いたします。

  • 11月17日 本日が「将棋の日」なのだそうです

    私も男の子でしたから 小学生の頃には 父から将棋のルールを教わり 時々休みの日などに指してもらっていました。日本の将棋は残念ながら 殆ど世界に広まってはいないようですが 相手の駒を取ってしまったら そののちに自分の駒として使えるという 非常に特異なルールがあることによって 非常にゲームに深みが増しているように思います。チェスは世界的に広まっていますが 日本の将棋の方が取った駒を自分の駒として使えるルールによって ゲームの奥行きがあるずっと面白いゲームだと 私は思います。
    小学校の三年生辺りから 学校に将棋盤と駒と持ち込んで 休み時間に指すことが一時ブームになりました。男子のかなりの人数が ルールを覚えていて クラスでチャンピオンを決める大会のようなものを開きました。チャンピオンの印として 誰かが持ち込んだ大きな王将の駒のペンダントのようなものを 首からぶら下げていました。私も勝負事では負けたくないので 将棋の基本的な戦法を解説した本を何冊も買い込んで 懸命に強くなろうと勉強しましたが 結局クラスのチャンピオンになれませんでした。将棋のブームは他のクラスにも広まりましたから 当然他のクラスのチャンピオンと対抗試合をすることになりました。水曜日が授業が午前中だけだったので 昼から各クラスのチャンピオンが集まって 開成小学校の将棋のグランドチャンピオン決定戦が開かれました。
    クラスの将棋チャンピオンは 一か月ごとにタイトルマッチをすることになりました。ですからグランドチャンピオン決定戦も毎月行われていましたが 子供は盛り上がるのが速いけれども 他の遊びに興味が移るのも速くて ほんの数か月で あっと言う間に将棋ブームは去ってしまいました。私はもともとあまりブームにのることが好きではなかったので 逆にブームが過ぎ去ってから じっくりと本当に将棋が好きな友達数人と 小学校を卒業するまで ずっと将棋を楽しみながら続けていました。その頃の努力が報われたのか 中学校に進んでからも 時々クラスの友人と将棋を指しましたが 殆ど負け知らずでした。
    多少天狗になっていた私でしたが ある日転校生がやってきたのですが その子が滅茶苦茶将棋が強くて 何しろ飛車角落としてもらっても 勝てない位でしたから 叩きのめされた気分でした。そこで私が更に一生懸命に将棋の勉強をして強くなる努力をするようなちゃんとした人間だったらよかったのですが 私は叩きのめされたら あっさりと白旗を掲げて 二度と将棋を指さなくなってしまいました。我ながらお恥ずかしい話ですが 事実だからしょうがありません。
    それ以後は 本当に将棋を指した記憶がありませんから 完全に縁を切ってしまいました。そして時は流れて 岐阜大学に通っていたころ囲碁を始めました。きっかけは これまたお恥ずかしい話ですが日曜日のおひるにNHKで放送されていた囲碁講座にアシスタントとして出演していた島田広美さんが非常に可愛らしくて 私の好みだったからです。たまたま見始めたころが 初心者向けの内容の講座でしたから テキストを買って毎週しっかりと予習復習をして勉強しました。
    せっかくルールを覚えて勉強しましたから 誰かと打ちたくなってきました。大学で相手を探していると 囲碁部と言うサークルがあるのを知りました。大学のきちんとしたサークルでしたから 超初心者だし 回り道をしていてかなりの年よりでしたから かなり躊躇しましたが まあ思い切って訪ねてみました。事情を話して入部したい気持ちを伝えると 歓迎してくれて すんなりと受け入れてくれました。男の子は 経験者が多いので 殆どが有段者でしたが 女の子は大学に入ってからルールを覚えた私と同様の初心者が数名いましたから 結構楽しく活動に参加させてもらいました。勿論少しでも強くなりたいので 先輩に積極的にアドバイスを求めたり 薦められた本を熟読して知識を少しでも増やそうと努力しました。
    自分なりには頑張ってみましたが 何しろ三十歳前後の年寄りですから 二十歳前後の若くて柔軟性のある頭脳には敵わなくて やはり初心者だった女の子たちよりも進歩が遅れてしまいましたが 若い女の子に相手をしてもらえるのが嬉しくて 諦めずに頑張って卒業まで活動を続けました。でもその実力は3~4級どまりで 初段には程遠い所でとまっていました。自己紹介の時などに囲碁を打ちます と言えるのは少なくとも初段クラスの実力があっての事だと思います。残念ながら私は自己紹介のプロフィールとして囲碁を打ちますとは書いたことがありません。悔しいです。
    囲碁と将棋どちらも一時期にかなり熱中して取り組んだゲームですから 両方の面白い点は分っているつもりですが どちらの方がより面白いかと問われたら 躊躇なく囲碁と答えると思います。将棋は相手の王将を取ることを目指しますから 目的が分かり易くて単純です。囲碁も相手より一目でも多くの陣地を囲った方が勝ちですから ルールはそれほど複雑ではありません。但し単に陣地を囲いあうだけではなくて 石の生き死にに関わって激しく戦う場合もあります。地道に陣地を稼いて勝つ戦法もあれば 目いっぱい大きく囲って 侵入してきた石を殺して勝利を治めたり 生きられてしまって敗北することもありますから その戦いぶりは千差万別で非常に面白く感じます。
    私が最も面白いと感じるゲームは 麻雀とモノポリーですが 囲碁もそれらに引けを取らない位に面白いです。現在も囲碁のパソコン用ソフトを買って暇があれば楽しんでいます。実際に相手をしてくれる人が現在いませんが いずれは碁敵をみつけて楽しい時間を過ごしたいものです。兎に角私は友達が少ないので 碁敵を見つけるのも難しいのかもしれませんが 碁盤と碁石は 叔父さんからかなり上等のものを 開業祝にもらいましたので 活用したいです。
     

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