Dr.喜作のブログ

2023年2月 の記事一覧

  • 2月20日 SDGsというものがよく理解できません

    最近 よくこの言葉を耳にしますし 当たり前のように喋っておられる方を 特にテレビなどでよく見かけます。私は 社会常識が欠落している人間だからかもしれませんが この言葉の意味を想像もできなかったので 、ネットで検索してみたので その説明文のコピーを ここに掲載してみます。

    SDGsとは「持続可能な開発目標」。簡単に言うと「世界中にある環境問題・差別・貧困・人権問題といった課題を、世界のみんなで2030年までに解決していこう」という計画・目標のことです。
    ※「持続可能な」という部分は、「人間の活動が自然環境に悪影響を与えず、その活動を維持できることを意味しています。(改善する動きを)長期間に渡って、実施し続けられる」という意味。

    この文章は簡単な言葉を使って 分かり易く説明されているのだそうですが 何度繰り返し読んでも サッパリ意味が理解できません。差別や貧困、人権問題なんて 人類の歴史が始まった時から 全ての人々がではないにしても 何とか解決しようと取り組んできたのに 一向に解決できていない非常に難解な問題だと思います。そんな普遍的な大問題が これまでにも解決に向けて頑張ってこられた人が少なからずいらっしゃったのにもかかわらず 殆ど解決できていないように思いますが どうしてあと数年で解決しよう 何ていう夢物語を声高に大騒ぎしている人が 結構いらっしゃるのか理解不能です。この説明文には続きがあって 子供たちに分かり易く説明をしているのだそうですので その文章もここにそのままコピーします。

    子供向けにもわかりやすく要約すると、このような方針・目標があります。「貧乏で困ってる人を無くす」:発展途上国への支援等が該当します。
    「差別のない社会を作る」:年齢や性別、障害、人種、民族、出自、宗教、経済的地位等で差別をしない社会を実現していく。「環境を大切にする」:地球環境・自然環境に配慮しながら、国や企業が活動できるようにしていく。

    貧乏で困っている人に援助の手を差し伸べる事は 立派な事だと思いますが 一応先進国の端くれであるはずの日本にも 貧困で苦しんでおられる人は少なからずいるはずです。まずは身近な困っている人に援助をした方が 遥か彼方におられて 見たこともあったこともない貧困でお困りの方々を援助するよりも ずっとその成果が分かり易いし 手っ取り早くて 確実だと思いますが 如何でしょうか。発展途上国にも 裕福な人は少なからずいるはずですから 曖昧な目標を立てたって 実行できるはずがないし 効果があったのかどうかの判断はどのようにするつもりなのでしょうか。性別や障害、人種などにおける差別なんて 本当に長い時間をかけて 失くそうと人類は努力してきたはずなのに どうしてそんな遠大なる問題を ほんの数年で解決してしまいましょう 何てお気楽な目標を立てて 声高に主張されるのか さっぱり理解できません。
    私は 人類が取り組むべき大問題に対する意識が低すぎるから SDGsなるものをさっぱり理解できないのでしょうか。「人間の活動が自然環境に悪影響を与えず」という言葉が説明の文章にありますが 現代社会の人間は 電気と縁を切った生活など 考えられませんが 発電するためにどれだけ自然環境に 悪影響を与えているか分からないのですから 根本的にその主張がおかしいように私には思えるのですが 間違っていますか?私は 原子力発電が 二酸化炭素を一切発生しない 一番クリーンな発電方法だと思いますが 使用済みの核燃料の処分などで 自然に大いに迷惑をかけるし 火力発電では 化石燃料を燃やして 大量に二酸化炭素を生成しますから これまた確実に自然に大いに迷惑をかけているのです。人間が普通に生活しているだけで そんな電気を毎日確実に消費しているし 洗濯や炊事で 確実に汚水を少なからず垂れ流しているのですから 大いに自然に悪影響を与えているのです。
    志の高い目標を設定して それに向けて頑張って活動をしていくこと自体は 目標を立てずにふしだらに生活していくよりは まだましだと思いますが もう少し現実的な問題と正面から向き合って 実質的な効果のある活動すべきだと私は思います。

  • 2月19日 卒業式が近づいてきましたが 今年も校歌が歌えないのかもしれません

    ようやくコロナ騒ぎが終息に向かって動き出しているこの時期に 東京都の公立の学校では 教育委員会が 校歌や国歌を歌わないように求めているのだそうです。国の方針に一応形としては従って マスクの着用は求めない姿勢で臨むのだそうですが 歌を歌う行為が 病気の感染を促すという判断からなのでしょうが 与えられた権限で 校歌を歌う事を禁じることは出来ないのでしょうから 歌わない方向に強く指導していくらしいのです。事なかれ主義が ここまで極まっているのかと残念に思います。歌うときだけは マスクを装着して臨もうと 各学校が殆ど無意味であり面倒な準備していたみたいなのですが 教育委員会からの要望に 判断を戸惑っている現場が多いのだそうです。
    国の方針とは 逆向きの意向を声高に叫んでいるわけですが 教育委員会という組織は 何だか偉そうに聞こえますが 要するに教育関係のOBや弁護士、会社の偉いさんなど 一般的に社会常識を持ち合わせているであろうという人が 数人選ばれて 集っているだけの組織だと私は思っております。一応 首長からは独立していて 独自の意見を発信できるのだそうで 今回もまた 事なかれ主義で 学校生活の最後ぐらい卒業する学校の校歌を歌いたいであろう卒業生の気持ちを 無視して 歌うなと主張しているように思います。私は歌う事が好きだったから 通っていた中学校の卒業式で 校歌以外にも卒業生全員で グローリア という壮大な曲を歌いあげて感動したことを記憶しています。今の子供たちは あんまりみんなで歌う事に喜びなんか感じないのでしょうか。恐らく校歌を歌える最後の機会になるであろう 卒業式でさえも 校歌を歌いたいとはあんまり思わないのかもしれませんが 歌いたい子供たちが沢山いてくれたら 嬉しいし 歌うなという教育委員会の主張に 腹立たしい思いを持ってもらえたら嬉しいです。
    卒業式は 当たり前ですが 卒業生のためにある儀式ですから 少しでも良い思い出になるように 皆で校歌を歌って一体感を感じられる体験を出来たらやらせてあげたいなと思います。教育委員会にしたら 卒業式で感染か広まった 等と言われてしまったら 自分たちの責任を追及されるかもしれない位の気持ちで そんな保守的な主張をしているのだと思いますが、一生に一度しかないその学校の卒業式を 良い思い出にしてあげるためには 校歌位思い切り歌わせてあげたいと私は思います。結局はその学校の校長の判断によって決まるのだと思いますが そんなつまらない横やりに影響されて 後で文句を言われないようにと考えて 校歌斉唱を取りやめる学校が 残念ながら皆無ということはないのでしょうが 少ないことを心よりお祈りいたします。
    生徒はみな同じ方向に向かって並んでいるのだから そんな数分歌を歌ったからと言って 感染拡大の危険性が拡大するなんて 皆同じ教室で授業を受けて 生活をしているのですから 今更ながら 阿保らしい保守的な考え方の年寄りどもによって 良い思い出になるはずの校歌斉唱が出来ないなんて事がないことを願っております。

  • 2月18日 トルコで とんでもない地震が起きて 被害が甚大なのだそうです

    お隣のシリアにも被害が及んでいるのだそうで 二国あわせてこの災害での死亡者数が四万人を超えているのだそうです。阪神大震災の時の死亡者数が確か六千人台だったと思いますから その被害の大きさが尋常ではないように思います。その被害の大きさの割には 日本のマスコミの扱いが小さいようで不思議に思います。位置的には ヨーロッパとアジアの境目当たりだったと思います。子供の頃にピアノで弾いたトルコ行進曲が 初めてトルコというの国の名前を耳にした時かもしれません。
    トルコという国は 日本とは あまり馴染みのない国かもしれません。私が知っているのも 首都がアンカラで 国旗が赤地に白く月と星が描かれていたかな と言うぐらいです。そして世界の三大料理に フランス料理、中華料理と並んでトルコ料理が選ばれていることを知識として知っているぐらいで 無論 フランス料理 中華料理は食べたことがありますが トルコ料理と言えば ケバブという料理の名前を辛うじて知っているぐらいで 殆ど食べたことがございません。それ位なじみの薄い国かもしれませんが 多くの子供たちが路頭に迷って 苦しんでいるのだそうですから 正直日本もそんなに余裕がないのかもしれませんが 援助の手を積極的に 差し伸べて頂きたいように思います。
    ウクライナの人々が ロシアの侵略で苦しんでおられるのは かなり詳しく報道されているみたいですが トルコの大震災の被害の状況や 復興に向けてのプランや援助のニュースも もっとたくさん取り上げて頂きたい様に思います。こんな影響力が微塵もないブログの中からですが トルコの被災された方に心よりお見舞いを申し上げるとともに 一日も早い復興をお祈りいたします。

  • 2月16日 新型コロナ感染症が 五月の連休明けに ようやく五類扱いになるのだそうです

    私は この読んでくださる方が ほんの数人しかいない 影響力の全くないブログで 散々こんな普通の風邪と五十歩百歩のしょうもない病気は 一日も早く 五類相当の扱いをすべきだと申し上げて参りました。そうすれば 普通の大多数の病院でも診察してもらえるようになるし 全く無意味な一日の感染確認人数の発表を見て 一喜一憂するような 馬鹿らしい習慣も終わりになるのです。普通のそして大多数の病院がこの病気の診察を始めてくれれば 医療崩壊の心配は一瞬にして消え去るように思います。頑なにこの病気の診察を拒否していた大多数の病院が 診察して治療を始めてくれれば 大げさで無意味な防護服や特別に隔離した入院室が必要なくなりますから 取り敢えずは この病気によしんばかかっても 普通の風邪やインフルエンザと同様に 診療を受けられるようになるはずですので 対応しきれないとか ベッドが足りない等と大騒ぎしていたことが 瞬時に解決しますから 国民にとっては有難いことです。
    そしてここ三年ほど毎日繰り返されていた これまた全く無意味な その日の感染確認人数の発表が無くなるはずです。この何の役にも立たない作業をするために毎日 どれだけ沢山の人間が働かされていたのでしょうか。その分税金を湯水のように無駄遣いしていたのです。そんな無駄な作業が無くなるだけでも 日本国民にとっては 有難いことだと思います。マスクの装着の無意味さは 世界が証明してくれていますが とにかく自分さえよければそれでいい という恥ずかしい習性が身についている日本人が マスクを外して普通の生活に戻るのには それこそ咳やクシャミをしていないのに マスクの装着をすることを禁じるような 法律でも定められないと当分は難しいと思います。
    私は これまでもずっと マスクを装着していないと入れてもらえない 飲食店や病院以外では 一切マスクを装着しておりませんでした。ワクチンも一度も接種しておりません。私が マスクをすることの無意味さと ワクチン接種の効果の不確かさを 証明しているように思います。マスクの本来の機能は 咳やクシャミをしている場合に 周囲に口中の飛沫を飛散させないためだけにあるのです。ですから 私も無論 咳やクシャミを頻発していれば マスクを装着いたしますが 有難いことに たまにはクシャミや咳をする事はありましたが 頻発する状態にはこの三年間 一度もなりませんでしたので マスクを装着して人と接する機会がありませんでしたので 一切マスクを装着する生活を致してまいりませんでした。
    ワクチンの効果についても この病気に対する効果がきちんと確認できていないし その効果がどれくらい持続するのかさえ 検証できていない代物を 体内に投与することに危惧を感じたので 一度もワクチン接種をせずに生活して参りました。そもそもこの病気の変異の速さと 感染する種類のタイプが多い事は 普通の風邪に通じる所だと思います。普通の風邪にワクチンが存在しないので 誰も接種する人がいないのと同様に この病気のワクチンを接種することの無意味さを 理解していたので 敢えて接種しないでここまで参りました。無論今後も一切接種するつもりはございません。
    ここで風邪にワクチンが存在しないのは 大して恐ろしい病気ではないからだなどと勘違いされている方がいらっしゃるかもしれませんから 申し上げておきますが 新型コロナ感染症が流行を始めてから 今日までに この病気で亡くなられた方の数がかなりのものであることは 知っているつもりですが 恐らく同期間で 風邪をこじらせてお亡くなりになられた方の数の方が多いだろうと思います。死亡者数だけで その病気の恐ろしさを測るのは 短絡的かもしれませんけれど 風邪は身近にありすぎる病気なので その恐ろしさが知られていないだけで 本当は凄く恐ろしい病気なのです。但し そのウィルスの変異株の数が殆ど無限にあるので ワクチンを作ろうにも作れないから ワクチンが存在しないのです。いずれ新型コロナも 変異株の数がどんどん増えていくはずですから 沢山の数のワクチンを接種するのは お金がかかるし 体への負担も大きいことから そんな無意味な行動をする人はいなくなるでしょう。
    五類扱いを 何故連休明けにしたのかというと もし五類扱いになって 問題が発生した場合に対応しやすい様にとの 配慮かもしれませんが 私から見たら 全く無意味な心配だと思います。本当に政治家や役人たちは 何か最悪のシナリオばかり描いていて 自分たちに責任が及ばないようにと 無意味な配慮ばかりする人たちだと 呆れ返る気持ちです。兎に角 こんなしょうもない病気に対する無意味な大騒ぎの影響が 早く無くなって欲しいと願うばかりです。

  • 2月15日 日本が 新型コロナ感染症の国別感染確認人数が最多になったのだそうです

    国によって 検査の内容や精度に差があるみたいなので 一概に数字だけを比較しても 意味がないのかもしれませんが 単位人口当たりの感染人数でも 唯一増加傾向があるのだそうです。日本は 未だにマスクをせっせと装着していますが 他の国は 大部分が殆ど装着しない生活に戻っているのだそうです。私はこのブログで散々 普通に市販されているマスクを装着することの感染予防に対する無意味さを主張して参りました。日本でも ようやくマスクの装着を止めていく方向に 舵を切ったみたいですが 自分さえよければそれでいいという国民性の日本人が マスクの装着を止める行動を自主的に速やかに実行することは残念ながら あり得ません。日本人は 元々マスク大好きである国民性があったことは 知っておりますが 世界が無意味だと証明してくれているのですから いい加減マスクを外して 普段通りの生活に戻ることを期待しております。

  • 2月13日 陽炎や ちらちら立ちぬ 庭の草

    まだ感覚的には 冬の真っ最中なのですが 立春を過ぎましたので 暦の上では春になっております。初心者ではありますが 俳句に用いる季語も春のものが登場すべき時期だという事は 理解しております。歳時記で春の季語を眺めておりますと 中学生の頃にふと印象に残った場面 暖かな風の吹く日に 自分の家の狭い庭の雑草が生えているあたりから 陽炎が立ち上っていてほのぼのとした気持になったことを思い出しました。寒さが苦手になったこの頃の私としては 一日も早く 陽炎がほんの少しでもいいから 立ち上るぐらいに暖かっくなって欲しいなと思って こんな句を詠んできました。
    両親が亡くなり 実家を手放してしまいましたので その庭も現存しておりません。広い土地を購入してのんびりしようと考えておりましたが 十年後の自分の現実を冷静になって 考えてみて諦めましたので 将来的には マンション暮らしをした方が 楽しくはないけれど 無難なのではないかという意見を渋々受け入れようかと 考え方が変化しつつあります。ただ便利な生活と 満足感の得られる生活は 一致しないのだなと理解してきております。人生なかなか思い通りにもいかないものだという事は これまでの人生でも散々思い知らされておりますので 苦渋の決断をせざるを得ないように思わないでもありませんが 自分の庭とは無縁な生活が待っているのかと思うと 悲しくなってしまいます。
    二月になってから 割と暖かい日が続いてくれておりましたが ここ数日また寒さがぶり返してきているようで 辛い思いをしております。早く 陽炎が由来ゆらりと立ち昇るような暖かな日が来て欲しいと心底願っております。

  • 2月12日 「あびき」という気象現象の事を新聞で初めて知りました

    本日新聞に目を通していて と言ってもネットニュースを読み流していた時に 初めて目にする言葉「あびき」という言葉にひっかりを感じました。九州の西海岸 特に長崎湾辺りでこの時期に毎年のように発生する気象現象なのだそうです。あびきとは主に長崎湾で発生する副振動のことをいうのだそうです。三十分から四十分ぐらいの周期で海面が上下振動するのだそうです。 過去には大きなふり幅のあびきで係留していた船舶の流失や低地での浸水被害が発生したこともあるのだそうです。 あびきの語源は速い流れのため魚網が流される現象が認められているので「網引き」という感じをあてて この言葉が出来上がったと言われているのだそうです。
    この「あびき」という言葉が全国的にどれぐらい認知されているのか 興味があります。無論長崎にお住まいの方なら 殆どの人が 御存知の言葉なのでしょうが 私は福岡県で生まれましたから 九州には割と近い人間だと思いますが 、本日初めてこの言葉と その意味合いを知りました。単に私が常識的な言葉を知らずに 生活していたのか それともこの言葉が 長崎県からあまり流出していないのか 見当もつきません。この言葉の全国的な認知度について 御存知の方がいらっしゃれば 教えて頂きたいです。
    どうして本日新聞に目を通していて と言ってもネットニュースを読み流していた時に 初めて目にする言葉「あびき」という言葉にひっかりを感じました。九州の西海岸 特に長崎湾辺りでこの時期に毎年のように発生する気象現象なのだそうです。あびきとは主に長崎湾で発生する副振動のことをいうのだそうです。三十分から四十分ぐらいの周期で海面が上下振動するのだそうです。 過去には大きなふり幅のあびきで係留していた船舶の流失や低地での浸水被害が発生したこともあるのだそうです。 あびきの語源は速い流れのため魚網が流される現象が認められているので「網引き」という感じをあてて この言葉が出来上がったと言われているのだそうです。
    この「あびき」という言葉が全国的にどれぐらい認知されているのか 興味があります。無論長崎にお住まいの方なら 殆どの人が 御存知の言葉なのでしょうが 私は福岡県で生まれましたから 九州には割と近い人間だと思いますが 、本日初めてこの言葉と その意味合いを知りました。単に私が常識的な言葉を知らずに 生活していたのか それともこの言葉が 長崎県からあまり流出していないのか 見当もつきません。この言葉の全国的な認知度について 御存知の方がいらっしゃれば 教えて頂きたいです。
    どうして長崎湾に集中して起こる現象なのかも不思議に思います。この湾は 地図で見るとかなり鋭角的な形をしていますが 似たような形の湾はその近所に幾つもあるように思いますが 海底の形状などに何か特異的なことがあるから あびきがこの時期結構頻繁に起こるのでしょうか。その現象の起こる原因については 当然これまでにもいろいろな方面から研究がなされたのだそうですが 未だにその謎は解き明かされていないのだそうです。ただ現実に船が流されたり転覆したり 浸水被害が出ているのだそうですから その原因と有効な対策が 見つけられることを 遠くて全くこの現象とは無縁の大阪からお祈りいたします。

  • 2月11日 本日は建国記念日なのだそうです

    建国記念の日は初代天皇とされる神武天皇が即位された日なのだそうです。紀元前660年の球歴でいう所の1月1日を新暦に換算した所、2月11日にあたるらしいので この日を現在の建国記念の日として 1966年に制定されて、翌年1967年より始まった「建国をしのび、国を愛する心を養う」ために定められた国民の祝日なのだそうです。私が子供の頃には 一般家庭でも 門の所に日の丸を掲げられているおうちが多かったように思いますが 現在ではそんなお宅は殆どお見掛けしません。ニュースなどの報道番組でも この祝日の由来や 因んで行われる行事をテレビや新聞で 良く取り上げられたものですが 最近では国民の関心が薄れてしまった事もあってか あんまり取り上げられていないように思います。ただし殆どニュースとして取り上げられないために 国民の関心が余計に薄れてしまったのではないか とも思いますけれど。
    由緒正しい祝日なので ハッピーマンデー制度という悪習慣の影響は受けていない祝日です。現在の所 成人の日 海の日 敬老の日 スポーツの日(体育の日)の四つの祝日が 制定された本来の意味合いを全く無視して 単に三連休を増やした方が 国民が旅行などに出かけやすくなるから つまり国民のためになるという事で 制定された制度です。いかにも 頭の薄っぺらいその場限りの事しか考えられない おバカな役人が思いついて 決められてしまった悪制度だと私は思います。そんなことをしているから 猶更国民が 祝日を単なる休日としかとらえないために その祝日の意味合いを理解して 因んだ行事や行動をとらなくなってしまったように思います。
    ちなみにプライベートな事ですが この建国記念日は 私の父と母の結婚記念日にあたります。なので 子供の頃はその意味合いを殆ど理解してはいませんでしたが この祝日はいつもよりもご馳走が 食卓に並んでいたように記憶しております。両親が どうしてこの日を結婚式の日として選んだのか その理由は知りません。単に結婚式場の都合だったのかもしれませんし 祝日の方が人が集まり易かったから この日に結婚式を執り行ったのかもしれません。でもわざわざ祝日を選んでくれたおかげで 両親の結婚記念日を未だに覚えておりますから それなりに意義はあったと言えるのかもしれません。
    まあ今年は たまたま土曜日に当たってしまいましたから 一般の方々は 休日を一日損したような気分になっておられるのかもしれませんが 土日祝日ずっと仕事をしております私にとっては ほとんど関心がないことです。毎年 この日 初代天皇陛下であられる 神武天皇が即位された日だという事を思い起こしたりはしておりませんでしたが 今は亡き両親が夫婦生活をスタートした日として 私の中でしっかりと認識され続けていく祝日だと思います。

  • 2月10日 今日はまた一段と寒いようです

    数年前までは 私は寒さに全く無頓着というか 殆ど影響を受けなかったので 真冬でも平気で裸足でサンダル履きで外出しておりました。勿論寒さを感じないわけではありませんが 夏は勿論 真冬でも年がら年中 素足で生活していて 全く不都合がございませんでした。所が ここ数年 糖尿病の初期症状なのかもしれませんが 末梢の血行が悪くなって 足や手の指先が 真っ白になって 冷たくなって感覚がなくなってしまうようになってまいりました。その為に 最近では毎日 靴下を それも幾らか厚手の靴下を着用するようになってしまいました。二階で 料理をするときなど 靴下を履いていても 足の裏全体が寒さを痛感するようになってまいりましたので この歳になってようやくスリッパの有難味を 知るようになりました。
    年をとりたくはないもので ここ数年 そんな風に 寒さを辛く感じるようになってしまいました。ここの所 地球温暖化問題で 夏の気温が どんどん上昇しているのは 数値的にも間違いのないことだと思います。だけれども だとしたら冬の寒さが幾らかでも 和らいできて当たり前のように思いますが 冬の寒さや積雪量的には 私が子供の頃と あんまり変化がない様に感じておりますが 本当の所は如何なものなのでしょうか。北極海の氷の量が減少して ホッキョクグマが生活しづらい環境になっていることが 最近よくニュースになっていますから 地球全体としては 温まっているのかもしれませんが 日本の冬自体は 温暖化の影響とは別世界にいるように思えるのは 私の勘違いなのでしょうか。
    取り敢えずは 今朝起きてから 病院内を歩き回っているうちに 足先が冷え切って ジンジンしてきましたから 一月の一番寒かった時期に 戻ったような気がします。耐えられないので サンダルの先端に 使い捨てカイロを装着して 何とか乗り切りました。こんな日は 下手に外出しないで 炬燵にずっと足を突っ込んで生活するのが 一番だと思い 先日作ったおでんが相当に煮込まれて味が染みて美味しくなっているので 熱々のおでんを頂きながら のんびりと過ごしました。二月には まだまだ寒さが厳しい日が続くと覚悟しておりますので 特に外出する必要性が少ない時期でもありますので ひたすら室内でほっこりと過ごしていこうと思っております。

  • 2月7日 新型コロナ感染症の二類五類問題に ようやくかなり先の話ですが 落ち着くのだそうです

    私はこのブログで 散々繰り返し繰り返し 主張してきましたが ようやく新型コロナ感染症 という全く恐れるにならないしょうもない病気を 二類相当から 五類に当たる病気として扱う事が決まったのだそうです。但し実行されるのは 五月の八日 というゴールデンウィーク明けの 遥かな未来なのだそうです。私は このしょうもない病気の扱いが大げさすぎるので 一日も早く普通の風邪やインフルエンザと同等に扱うべきだとこのブログで何度も何度も主張してきました。まあこんな文字ばかりの 面白みもないし 見栄えもしないブログ何て 読んでくださる方々がほんの数人に過ぎないので 全く影響力を持っていないのが 凄く歯がゆく思っておりますけれども。
    そもそもの間違いの始まりは 厚労省の大バカ役人が この病気が 当初は確かに得体が知れない部分があったことは 事実かもしれませんけれど 大げさに怖がり過ぎて この病気の正体を全く見誤って 二類相当に当たると判断してしまった事だと思います。先見の妙のある方からは 普通の風邪に毛が生えた程度の病気で 恐れるに足らない病気だという 少数の的確な意見もありましたが 兎に角大袈裟に大騒ぎしておいた方が 無難だという安易な判断によって 繰り返しますが このしょうもない病気を 二類相当なんていうとんでもない見当違いの分類をしてしまったのです。
    この病気の分類を 結核やジフテリア SARS 鳥インフルエンザなどと同等に致命的で恐ろしい病気と同等であると格付けしてしまったのです。恐ろしい病気の代名詞になっているコレラや赤痢、チフスですら第三類に分類されていますから、これらの過去に多数の死者をもたらした感染症以上に 恐ろしい病気だという全く見当違いの格付けしてしまったのです。まあ私の記憶にある所では これだけ大騒ぎをした感染症騒動は 初めてですから 役人というのは 兎に角失敗をしでかさないようにしか 選択して決定できないのは古今東西の常識でしょうから 極当たり前の判断だったと言えるのかもしれません。
    流行が始まった段階で 必要以上に恐ろしがるのは 致し方のないことかもしれませんが 流行が始まって既に三年が経過するのですから もっとずっと早い段階で このしょうもない病気の分類間違いを 訂正する機会は あったはずです。テレビに登場しているコメンテーターにも ちゃんとした見識のある方から とっとと分類の間違いを正すべきだという発言が 少数ながらありました。但し テレビ局 というかマスコミ全体がこのしょうもない感染症を大騒ぎしている方が 国民の関心が高まるので 得する人が沢山いるから そちらの方向に話を誘導する明らかな意図をもって 報道していた為に 敢えて こんな単純な そして凄く重要な問題が 頑なに後回しにされてしまって やっと日本での認識も 改める方向に向かおうという話になったのだと思います。
    今現在 馬鹿の一つ覚えの様に マスクを装着して生活しているのは 日本人と 絶対専制君主である習近平が支配する中国人位のものなのだそうです。いずれ日本でも マスクの装着に関して 緩めるような政府からの勧告があるのだとは思います。但し 担当するお役人たちが 何か問題が起こった時に絶対に自分たちの責任を追及されることがないように 国民の自主的な判断のもとでマスクの装着を止めていくように といった表現になると思います。だとしたら 兎に角みんなにならえが大好きな日本国民は何時まで経っても マスクを外しての 当たり前の生活に戻るのには 多分五年十年かかるのだと思います。この世の春だったマスク業界の方の 天国はまだ数年は続くのだと思いますのでご安心ください。
    五類相当の病気として扱われた場合 現在まで未だに行われている 全く無意味な感染確認人数の全国的な集計が 無くなります。緊急事態宣言などの 国民全体に対する嫌がらせのような制約もなくなるのだそうです。確かにこの病気は流行しはじめてから 数万人の方が 亡くなられていますから 恐ろしい病気であることは 否定致しませんが、同等の期間で風邪をこじらせて亡くなられた方の数の方が 多いはずですから いわゆる普通の風邪と 五十歩百歩の病気だと認識すべきだと思います。だとしたら一日も早く 分類の訂正をすべきなのに 何故連休明けからに決められたのかと言えば 何か問題が起こった場合を想定して 連休明けからの方が無難だという判断から 五月八日からになったのだと思います。最後の最後まで 自分たちが決めたことに責任が発生しないように 徹底していて ある意味呆れまくって 感心してしまいます。兎に角 こんな無意味でしょうもない感染症騒ぎが収まってしまう事を心底祈っております。

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