Dr.喜作のブログ

2019年5月 の記事一覧

  • 5月31日 日大アメフト部の危険タックルの試合から 一年以上が過ぎてしまいました

    もうすっかり世の中から忘れ去られてしまっておりますが 日大アメフト部の危険タックルが行われた試合が 昨年の五月六日ですから 本日で五月も終わってしまいますけれど 結局日大の一番の親分からは 一言の弁明も謝罪もないままに 時が過ぎて 過去の出来事として 風化していってしまうのでしょう。まあ日大の親分さんは これまでにも何度も大変な問題を起こしてきているみたいですが 何時も知らぬ存ぜぬを 貫き通しているうちに 人々が忘れ去ってくれて 何にもなかったことにしてきたみたいですから 今回のこの重大事件も 日大の親分さんにしてみれば いつもの出来事の一つにしか過ぎないのかもしれません。

    私が腹立たしいのは 大学スポーツと言うのが それ程純粋なだけのものではないのかもしれないとは思っておりますが 懸命に練習に励んできた選手たちの活躍の場が 一方的に監督やコーチの責任で 奪われてしまったことです。日大アメフト部と言えば 日本でも有数のエリート選手の集団ですから 特に四年生は 公式戦で活躍することで 就職先の決まるのでしょうし 明るい未来が待っていたはずの選手も少なからずいたろうと思いますが そんな優秀な選手たちの将来を踏みにじられたことが とても可愛そうに思います。勿論学生スポーツの本来のあり方としては 如何なものかと言うご意見もあるでしょうが スポーツで活躍することで 将来的な活躍の場と職場を同時に手に入れることに賭けていた選手を それほど責めたくはありません。その為にとんでもない忍耐と努力を積み重ねていたろうと思うからです。

    当面の処置としては 監督とコーチが 除名処分と言う 厳しい処置を成された と報道されていますが 監督は 監督と言うポジションは失いましたが 日大幹部と言う立場には 何ら変化がないと言われているみたいです。そして一番の元凶である 日大のトップ 親分さんが 一度も公の場にさえ現れずに テレビなどの報道でも その実名や実像さえ 一切明らかにされてはいません。なんで一番の責任者が キチンとし対応をしないで 済まされてしまうのでしょうか。

    まるで森友学園等の問題について キチンとした釈明も謝罪もしない アベチャンと一緒じゃないですか。人間ある程度強大な権力を持ってしまうと 何をしても許されてしまうのが 日本と言う国では当たり前なのでしょうか。悲しくなってしまって これ以上書く気になりませんので 本日は終わりに致します。

  • 5月30日 1955年の本日 十八代目中村勘三郎さんが 誕生されました

    私がこのブログのネタ元としている「今日は何の日カレンダー」では 中村勘九郎さんと表現されていました。私も 勘三郎さんを襲名されたことは 知ってはおりますが やっぱり勘九郎さん の時代が長かったし そのイメージは 勘九郎さんと言うお名前とともに くっきりと印象付けられておりますので 本日のブログでも勘九郎さんとお呼びしようと思います。

    私は正直 歌舞伎と言うお芝居に全く興味がありません。従って歌舞伎役者さんについても 殆ど存じあげておりません。所が 勘九郎さんは 子供の頃 確か小学校六年生の時だったと思いますが その年のNHKの大河ドラマ「天と地と」で子ども時代の謙信をまだ中学生であったろう勘九郎さんが 非常に名演されましたので その時から 勘九郎さんのお名前とお顔をはっきりとクッキリと覚えてしまいました。はっきり言って 大人の謙信役であった 石坂浩二さんも一流の役者さんかもしれませんが 勘九郎さんの後を受け継ぐのには 子供ながら物足りなさを感じておりました。それ位勘九郎さんの演技が 光り輝いていたように思いました。

    歌舞伎の名門 中村家に生まれて その後順調に役者として 成長されていかれたようです。歌舞伎役者の概念を打ち破られるような ご活躍のニュースを拝見する度に 歌舞伎には全く興味ない私ですが 密かな大ファンなので 拍手を惜しみませんでした。勘九郎さんの言葉で印象的なのは 「一旦昔からの方を 学んでキチンと身につけてから それを破るのが正しい型破りなのだ」と言うものです。私はそもそもの歌舞伎について全く知識がないので 勘九郎さんの歌舞伎役者らしくないご活躍が どの程度の型破りなのかも 正直よく分っておりませんが いい意味での革命児であったのは 間違いないお方だと思っております。

    そんな歌舞伎界にとって いい意味でも 革新的な意味でも 今後の活躍を切望されていた 稀代の名役者さんが 57歳と言うあまりにも早い時期に 食道癌でお亡くなりになられて もう六年半ほどになります。歌舞伎について 全く予備知識がございませんので ピンぼけな発言かも知れませんが これからが円熟味の増した役者としての完成形に近づいて行かれる年齢だったのではないでしょうか。

    私は 歌舞伎と言う高尚なお芝居とは 全く無縁な貧乏な家に育ちましたので 還暦を過ぎて未だ 歌舞伎と言うお芝居を鑑賞した事がございません。私は 結構クラシック音楽には 関わり合いが深い方だと思っておりますが オペラには 全く興味がございません。歌舞伎にしてもオペラにしても 予めそのストーリーや 登場人物について ある程度の知識が無ければ 楽しめないお芝居だと理解しております。私は 予習をしてからでないと楽しめない 芸術に対して 決してそれを否定する気持ちはございませんが 受け入れたくもありません。その為に この歳になるまで 歌舞伎もオペラも一度も縁のない生活をしてまいりました。

    還暦を過ぎて 今更 新しい分野にチャレンジしたいとは 思いませんので 今後もこの二つのお芝居にアプローチすることはないと思いますけれど 勘九郎さんに対するあこがれは とても強いので 結構現代劇などともかかわりを持っておられたみたいですので そちら方面の映像を楽しんでみようかと考えております。

    それにしても 落語界では 私が思う所の一番面白かった落語家さんである 桂枝雀さん 桂吉朝さんが あまりにも早くお亡くなりになられてしまいましたが 勘九郎さんも 私よりもお若い年齢で お亡くなりになられて お子さんや お孫さんが役者として活躍されることは 確信しておられたでしょうが まだまだ自分が直接 指導して育て上げたいと 考えておられたでしょうし 勿論ご自分自身がまだまだ役者としての伸び代を感じておられたでしょうから 何とも無念な最期であったろうと 想像致します。お誕生日に申し上げるのも 頓珍漢かもしれませんが 心よりご冥福をお祈りいたします。

     

  • 5月26日 田んぼに水が張られました

    五月ももう残りわずかになって 田んぼに水が張られて 田植えが間近に迫ってきたようです。と言う事は うっとおしい梅雨入りが迫ってきているという事かもしれません。雨降りの天気が お好きな方は あまりいらっしゃらないとは思いますが 日本の食糧の根幹をなす米作りが順調に行くためには 例年通りこの時期にタップリと雨が降ってくれなければ困りますので 集中的に降って 災害にならない範囲で 雨降りを歓迎しようと思います。

    梅雨はうっとおしいですが その分梅雨が明けた時にホッとできますから 何事もポジティブに考えるようにしましょう。但し梅雨の時期になると 男性は水虫の脅威に悩まされる時期でもあります。テレビの水虫の薬のコマーシャルも そろそろ始まり秋口まで続きます。正直な所 私も以前は水虫にかなり悩まされておりました。足の指の爪まで水虫にかかって 黄色く変色して 分厚く変形して ひどい目にあっていた時期もありました。

    病院にある抗真菌薬を内服し 根気よく治療を続けましたので 完治するまでには 半年以上もかかりましたが 現在は何とか水虫と縁を切った生活に戻れました。大学時代に アルバイトで 旅館の従業員を一夏務めましたが その時から水虫の症状を自覚しましたので その旅館で 館内はいつもはだしにスリッパ履きの生活でしたから 恐らくその時に 感染したのだと思います。塩野義製薬に勤めていた数年は ずっと革靴を履いての生活でしたので 特に梅雨から夏場にかけては ひどい目にあっておりました。

    現在は 裸足にサンダル履きで 足の裏を出来るだけ乾燥した状態にしておりますので この時期になっても 症状を全く自覚しませんので 完全にこの病気とは縁を切れたのだと思います。この厄介な病気でお悩みの方は はっきり言って外用薬は 直接的で一時的な効果は 実感できますが 爪水虫にまで感染が広がっている方の場合 長期にわたる抗真菌剤の投与を継続しなければ 殆ど完治しませんので 病院の皮膚科を受診して 内服薬による治療を試みられることをおすすめします。結構薬代はかかりますし 数か月にわたる根気のいる治療が必要だと思いますが 上手くいけば一生この病気と縁が切れますので 頑張ってみることをおすすめします。

    水虫は 殆どが男性の病気みたいですが やっぱり女性は お風呂で足の裏 指と指の間まで キチンと洗っておられるから 感染することが殆どないのかもしれません。特にこの時期 男性の足の裏が臭くないわけはないし 女性で足が匂う方は殆どいらっしゃいません。もしもナーちゃんの足がクサかったら 流石に百年の恋も冷めてしまいそうですが ナーちゃんはおしっこもうんこもしない存在ですから 足の裏がクサかったりするわけがありません。

    もうだいぶ昔になりますが 夏の日照時間が かなり短かったために 米の収穫量が 例年に比べてかなり少なかった年がありました。1993年の「平成の米騒動」と言われた年です。お国の発表したコメの作況指数が74で 「著しい不良」等と 国民の不安を煽るような表現をしてしまいました。落ち着いて考えれば 例年の74パーセントは米があるのです。それまでどちらかと言えば 日本の米は余り気味の状況でしたから 古米を消費してしまういい機会が出来たと喜べばよかったのです。

    所が 愚かなことこの上ない日本人は 日本に食べられる米が殆どないかのように勘違いしてしまい 一斉に普段は絶対にやらないコメの買い溜めに走りました。そんな愚かな行為に走った愚かな人たちが あまりに多かったために 現実に米屋さんやスーパーで流通しているコメが 一切なくなってしまいました。普段はコメの販売など行わない 電器屋さんまでが コメを仕入れてきて 客集めの為にせっせと販売していました。

    現在の日本では 確かに米が主食の一番手であることは 認めざるを得ませんが 例え一月位 コメを一粒も食べない生活をしても 殆ど不自由はないのです。おコメは確かにスーパーから姿を消しましたが 現在第二の主食とも言える パンはいつものように販売されていました。麺類を見れば うどんやお蕎麦 ラーメンにパスタなどは 幾らでも普段の値段で手に入るのです。大阪人なら 大好きな粉もの お好み焼きやたこ焼きでお腹を膨らしても それ程不満を感じないで 生活できるはずなのです。なのに愚かな日本人は 何故か米粒が無ければ生きていけないと 勘違いしてしまって 普段は見向きもされていなかった 古米や質の悪い米が 臨時発売されるという情報を耳にすると 長い行列を作って 目の玉が飛び出るぐらいの高い値段で有難がって 購入していました。

    私は 妻に一切愚かなコメの買い溜めをしないように くぎを刺しましたので 当然いつか米が我が家から無くなる日を迎えましたが 別にパンや麺類 粉ものを普通に食べて生活しておりました。所が 私と当時の奥さんの両親が やっぱり愚かな日本人だったみたいで 我が家に米粒が一粒もないと知ると 十キロずつ米を送ってきました。無論私は 大して困っていないので いらないと意思表示しましたが 両家の親たちは やっぱり愚かで情けない日本人気質だったみたいで 買い溜めしていた米を送りつけてきました。送り返して 何もいらぬ摩擦を起こす必要はないと思い 受け取りましたので その日からまた 普通に炊飯器で米を炊く生活に戻りました。

    結局その二十キロの米が無くなる前に 翌年の米の収穫が始まりましたので その後は普通に米が販売されていましたので 殆ど米騒動の影響は実感できませんでした。ただ私はこの米騒動をみて 日本人の愚かさを痛感して 日本の未来は明るくないなと思いました。その後に起こった「狂牛病問題」等でも 本当に日本人ほど愚かな国民は いないのではないかと 恥ずかしくなりました。確かに国産牛に 狂牛病を発症した牛がいたことは 厳然たる事実ですが 骨格筋 いわゆる普通のお肉屋さんや スーパーのお肉コーナーで売られている国産牛肉を食べても 百パーセント実害はないのです。

    日本政府がそのポイントだけ きちんとPRしておけば 何の問題も起こらなかったのに 愚かな政府が 国産牛から狂牛病が発症した と言う恐ろしげな事実だけを報道したために 国産牛を食べるのは危険だ 等と言う全く間違った情報が国民に浸透してしまったのです。その為に普段は 輸入牛肉なんて見向きもしなかった奥様達が 国産牛を一切買わないで せっせと輸入牛肉をお買い求めになったのです。こんな愚かな行動の為に 国産牛を生産される農家の方々を どんなにか苦しめたか分りません。

    日本人は 昔お国の為に死ぬことを 一番の名誉と考えて お国の為に生きてきましたが 始めて戦争に負けて 世界の類を見ない とんでもなくピンぼけな平和憲法を押しつけられたら 何を勘違いしたのか 後生大事にお守りして 我が身を守ることが一番大切だと心変わりしました。その後は もっと平和的な方法 即ち経済力によって 日本の勢力を拡大しようと考えて エコノミックアニマルとある意味世界から恐れられ またある意味で嘲笑われながら 経済大国にのし上がりました。

    しかしあまりに頑張りすぎたことを反省しすぎてしまって 今度はゆとりを持とうとして これまで全力疾走していたのを ゆっくりのんびりと と言う方向に転身しました。しかし今度は あんまりのんびりしすぎたので 世界との競争に置いて行かれて あっと言う間に二流国 三流国に落ちぶれてしまい 慌ててねじを巻こうとしていますが 一旦ゆるんだタガを締め直すのは 困難極まりなくて 焦ってジタバタしているのが 日本の現状だと思います。

    まあ私の人生は あと十数年ですから 今更日本の国がどうなっていこうと 大して影響はない様に思いますが あんまり落ちぶれてしまう日本はみたくありません。早くアベチャンに代る日本をいい方向に導いてくれるリーダーが現れて 少しでもいい国になっていって欲しいものだと思います。

     

  • 5月25日 1955年の本日 「広辞苑」の初版が 発行されたのだそうです

    昔我が家にあった一番分厚い本が 広辞苑でした。大抵の家に一冊は この類の分厚い辞典が所蔵されていたのではないでしょうか。私は もっと小さくて簡単に引ける 国語辞典を 子供の頃から割とよく 利用して 知らなかったり 意味の分からない言葉の意味を調べるのが好きでした。意味の分からなかった言葉の意味を覚えると 自分がそれだけ分でも 賢くなったような気がしていたからです。

    それから昔はどのお宅にも 普段は殆ど飾ってあるだけの たいそうな百科事典と言う代物が 居間の棚に並んでいたように思います。百科事典の場合 説明文に図や写真などで 視覚的にも分り易くて 辞書よりもさらに詳しく説明されていましたが あまりに長ったらしいので 一つの言葉や物の意味を理解するのに 時間がかかり過ぎるような気がして あまり利用していませんでした。私以外の家族が 百科事典を開いて 調べ物をしているのを 見た覚えはありませんから やっぱり百科事典と言うのは 居間の雰囲気を高めるための 飾り物に過ぎなかったのではないでしょうか。今では 百科事典を今の書棚に並べているおたくは 皆無なのだと思います。

    広辞苑と言う分厚い辞書は 数年に一度改定されるはずですが 次々に新しい言葉が生まれてきて またあっと言う間に使われなくなり死語となってしまう言葉も多い現代の言葉の流行り廃れについていくのは 正直しんどいのかもしれません。「現代用語の基礎知識」と言うやっぱり分厚い辞書は 毎年発行されているみたいですから 最近使われるようになった言葉で 皆が当たり前の顔をして使っている言葉の意味や使い方を いまさら人に尋ねにくい場合などに 重宝されているのかもしれません。価格的にも 広辞苑よりだいぶ安いみたいなので 毎年ではなくても数年おきに購入して利用されている方は結構いらっしゃるのかもしれません。

    但し 現在のお若い方からすれば 分らない言葉に出くわしても いちいちそんな重たい辞書を引っ張り出さなくても 携帯電話やパソコンで ネット検索すれば 簡単なその言葉の意味や使い方は 分りますから 辞書を引く作業とは無縁なのかもしれません。辞書を引くと 私は時間に余裕がある時は 引いた言葉の前後に載っている言葉もついでに憶えようとしていました。その方が 自分の知識量が大きくなって得するような気がしていたからです。

    ネットで検索する方が 簡単にできますが やっぱり多少は苦労を伴う作業の方が 自分の身に付いたような気がしますが これは不便な時代を生きてきた人間の 負け惜しみなのでしょうか。昔は 例えば売上金を帳簿に記入する場合 紙の帳簿にペン書きで記入して その合計金額を電卓で計算していました。現在では 伝票から数字をパソコンで打ち込みさえすれば 何時の間にか間違いのない合計金額が算出されるようになりました。今更紙の帳簿にペン書きする作業は馬鹿らしくてとても出来ません。お若い人にしてみれば パソコンのキーボードやスマホの画面をたたくだけで 簡単に未知の言葉の意味と使い方が 分るのに重たい辞書を引っ張り出してきて ページをめくって 細かい説明文を覗き込むような作業は 絶対にできないのは仕方がないでしょう。

    そんな世の中でも 広辞苑が存在し続けているのは やはりあんな分厚い辞書を 使いこなしている方が 少なからずいらっしゃるのだと思いますがいずれは広辞苑と言う名称さえも 死語になってしまう時代が来るのかもしれないと思うと チョッピリ寂しくなってしまいます。広辞苑記念日が 何時までも残っていって欲しいと思うこと自体が 年寄りになってしまったことの証なのでしょうか。

  • 5月24日 NHKの朝ドラ「なつぞら」が面白いです

    丁度百作目の記念すべき放送なので 過去に主役をはった女優陣を何人も脇役として登場させているし かなり男前の若手俳優さんを 贅沢に並べているので NHKとしてはかなり力を入れて 話題性を高め 視聴率的にも期待していいるのだと思いますが 残念ながら 視聴率的には もう一つ伸び悩んでいるのだそうです。但し 私の個人的な感想としては とっても興味深く 楽しませてもらっております。

    まずは 主役の広瀬すずちゃんが やっぱり無条件に可愛らしいです。役柄が とっても素直な女の子で 夢に向かって 真っ直ぐに突き進んでいますから とても好感が持てますし 応援したくなります。まあ草刈正雄さんは 開拓者の爺ちゃんにしては カッコよすぎるし 松嶋菜々子さんが 牧場主の奥さんにしては 日焼けもしていなければ お肌がいかにも一流の女優さんのように 美しすぎるのに 疑問が湧いてこないでもありませんが まあいいでしょう。すずちゃんが十分に田舎の高校生らしい雰囲気を出していると思いますから。

    いよいよ東京に出てきて アニメ作りに関わってきますから これからどんな展開になってくるのか とってもワクワクさせてくれています。ここの所 そしてこれからもしばらくは 有名な女優さんが主役をはる朝ドラの作品が続いていくみたいです。昔は ほとんど無名の女優さんが 主役に抜擢されて 一躍有名女優さんの仲間入りをするシンデレラストーリーが 楽しみでもありました。実績のある女優さんを主役に配すると 安定感はありますが やっぱり新鮮味に欠けるように思います。

    いよいよ 私が数ある朝ドラの中で 一番好きな作品「ちりとてちん」の主役であった 貫地谷しほりさんが 登場するみたいです。貫地谷さんの作品は やはりこのドラマに登場している比嘉 愛未さんの作品の後に放送されました。比嘉さんは 女優さんの中でもかなりお美しい部類に入ると思いますが 貫地谷さんは 個性的でありそれなりに魅力的だとは思いますが あんまり美人だとは思えませんので 「ちりとてちん」が始まった時には 正直ガッカリしてしまいました。やっぱり朝一番にみるドラマの主役は 美人であるに限ると思っていたからです。

    所が「ちりとてちん」と言うドラマを見ているうちに そのストーリーの素晴らしさや 出演者の名演技に感動の連続で 今では一番好きな作品になっております。その主役の貫地谷さんも 土屋太鳳ちゃんに次いで 好きな女優さんです。多分かなり気がきつくて 最初はすずちゃんを苛める役柄から 始まると思いますが すずちゃんが頑張って いずれは仲良くなっていくような展開になると予想しております。

    朝一番にみるドラマで その日が気分的に 楽しくスタートできるかどうか 左右されてしまいますので すずちゃんには勿論色んな災難が降り懸ってくるのでしょうが 見事に跳ね返して 夢を叶えていって欲しいです。私は あと二年ほど 何とか無難に仕事をこなして 無事に引退生活をスタートする事ぐらいしか 望みがありませんから 自分の人生に楽しみが少ない分 すずちゃんを応援することで 元気を御裾分けしてもらって 頑張っていこうと考えております。

  • 5月23日 本日私は62歳になりました

    この歳になると 流石に全然嬉しくもありませんし 誰もお祝いしてくれません。奥様からも 「嬉しくもない誕生日だから プレゼントはおめでとうの言葉だけにしておくわ」と簡単に済まされてしまいました。還暦を迎えた時には かなりショックで 落ち込みましたが 通り過ぎてしまうと また淡々と年を重ねていくだけの事の様で きっとあっと言う間に70歳を迎えてしまうのだろうと 考えております。

    いずれ 自分で決断して仕事を終りにして 引退生活を始めると思いますが 何しろ私は 筋金入りの根性なしの腰抜け野郎でありますから 結構ぐずぐずしてしまうのかもしれません。どっち道長生きできる人生ではないと自覚しておりますから 私に残された時間は それほど多くはないと思っておりますから 冷静になって 決めようと思っております。

    今年の目標貯蓄額は 殆ど達成しましたので あと少しだけ貯蓄額を増やしたら 決心できると思います。あと正味二年ほど頑張れば 目標額に到達しますので 本日からカウントダウンを始めてみようかと考えております。一応目標の期日としては 再来年の本日には 病院を閉めて 仕事を終りにしようと 頑張ってみようと思います。まあ私の場合 病院を売りに出して 買い手がつくまでは 仕事を辞めるに辞められないのかもしれません。

    現実的に この仕事から完全に足を洗うには 他力本願的な要素が強いので 自分の意思だけでは日時を決定できないのかもしれませんが 再来年の誕生日からは 引退後の生活に重きを置いた人生をスタートしようと決心しました。私は三年ほど前から 三年先ぐらいには 仕事を引退したいと申しておりました。ただ引退後の移住先の見当がついておりませんでしたので この二年ほどは移住先探しに翻弄されておりましたが 最近やっと大分県に有力な移住先を絞ることが出来ましたので かなり具体的な引退後のプランが定まってきました。

    移住先が定まってきましたので 当面必要とされる資金の額も目途が立ちました。その資金の準備にかかる期間もほぼ予測できましたので 二年後の誕生日には 実質的な引退生活をスタートさせようと考えております。勿論予定ですから 決定ではありませんが 出来るだけプラン通りに進みたいと考えて この二年間本腰を入れて 仕事を頑張ろうと思いますので 皆さんどうぞよろしくお願い致します。

  • 5月21日 往診車を車検に出しました

    現在の往診車は五年前に カミタケモータースから 新車のスズキアルトを購入しました。今回が二回目の車検になります。それまでは 往診車として 三菱のトッポと言う車が気に入って ずっと中古車を乗り継いでおりました。デザインも可愛い車だし 背が高くて 天井も高いので 軽自動車ですが 運転しやすかったし 荷台が広いので 大型犬用のケージが余裕で積めたから この車を乗り継いでおりました。

    可愛らしい外見で 特に女性に人気があったように思いますが もうかなりの昔に生産が終了してしまっておりました。当然新車は存在しませんから 中古車を探して購入を続けておりました。中古車ですから 走行距離や状態のいいものは 結構人気のある車種でしたから そこそこの価格がついておりましたが 新車のようにお店を選んで買うことは出来ませんでしたので 値引き交渉も十分にできないままに 殆ど言い値で購入しておりました。

    しかし中古車市場をいくら探しても 生産しなくなって十年以上過ぎますと まともな状態で 少なくとも数年満足に走れそうな車を見つけるのが 困難になり仕方なく スズキのワゴンRの中古車を購入しました。こちらもトッポと似たような形態で 使い勝手がよさそうだったからです。所がこの車は たまたま運が悪かったためかもしれませんが 燃費は極端に悪いし しょっちゅうトラブルが発生して その修理に酷くお金がかかりました。

    そこで中古車の購入に懲りてしまって 軽自動車の新車を購入することを検討していたら カミタケモータースに行き当たりました。ここは 購入金額で 他の車屋さんよりもかなり頑張ったくれましたし 保険の手続きや車検の時のサービスも 凄く充実しているみたいでした。エンジンオイルは何度でも無料で好感してくれるサービスもついていました。そこで スズキのアルト と言う軽自動車の中でも一番コンパクトで 価格もお安い車種の新車を 病院が出来て初めて購入したのが 五年前の事です。

    私が不器用なので 車の表面に あちらこちらこすり傷を作っておりますが まあそれなりに大事に乗っておりますので 二回目の車検で それ程費用はかさまないだろうと思っておりましたが 実際にチェックしてもらうと タイヤがかなりすり減っているけれど 今回はローテーションすることで 何とかなりそうだけれども ブレーキパッドが 本来の三分の一位にすり減っているので 交換が必要だと言われました。

    他にもオートマチック変速機のオイル交換が すぐでなくてもいいけれど必要だろうと言われました。病院の手持ちの金額を全部財布に入れて 出かけたのですが 税金や手続き費用などの基本料金にプラス幾つかの部品を交換してもらうと 手持ちの金額をオーバーしてしまいましたので オートマチックのオイル交換だけは 外してもらってなんとが八万円位で車検を終える事が出来ました。車と言うのは ある意味命を預ける道具ですから ケチらないでメンテナンスしていこうと思っておりますので 次回のエンジンオイル交換の時にオートマチックオイルの交換に一万円以上かかりそうですが やってもらおうと考えております。

    とりあえず 他の部分には問題が無くなったのだそうですから これから二年間 無事に走ってくれることを期待しようと思います。

  • 5月19日 ペットの飼い主さんについて思う事

    私が獣医学科を卒業して 研修に出かけて お世話になった病院で 院長先生から最初に言われた言葉は 「ペットの健康は 飼い主の義務ではない」と言う事を念頭に置いて仕事をしてください と言う事でした。私たち獣医師は どうしてもペットの立場に立って物事を考えがちです。犬や猫の場合は特に 出来る予防行為は してあげるのが当たり前だと 考えてしまいそうになります。けれども ペットはあくまでも飼い主さんの私有財産でありますから どのような飼い方をしようと それがあからさまな動物の虐待行為などでなければ 文句など言える立場ではない と言う事です。

    私ももうすぐ 62歳になりますから 大分人間的に 勿論体型的にも丸くなっているように思いますが それでもあまりにペットに対する愛情に欠ける飼い主さんを見かけると ブチ切れて 凄く冷たい対応をしてしまう事が あります。極たまにとはいえ そんな対応をしてしまうと ネットで対応の悪さや悪口が 簡単に広まってしまう社会ですから 病院の評判が ますます悪くなってしまう事は 分かり切っているつもりですが 最低限度の愛情が感じられない対応をする飼い主に対しては こちらの不愉快に感じている気持を あからさまにしてしまいます。

    ここ数年で一番不愉快に感じた飼い主は ペットを生き物として扱わない輩です。ハムスターを幼稚園に通っている子供に おもちゃ代わりに与えていますが 子供が親の影響で ハムスターを生き物としていつくしむ気持ちを全く持ち合わせていないのです。恐らく上半身を下手糞なつかまえ方をして咬まれてしまった経験があるのでしょうが シッポを摘まんでしか 捕まえられないのです。ハムスターにしてみれば ただでさえ急所であるシッポばかりを強く掴まれるので その子供を嫌って余計に敵意を持って対応しているようでした。

    ハムスターで噛み癖のある子の場合は 私は 素早く首筋を捕まえて 手のひら全体で体を保定します。その子供にも そのように保定する様に何度も教えましたがきく耳を持たず シッポばかりを掴もうとするので 私が強めにその子を注意すると その親が 一切手を出そうともせずに 余計な口だけ出してきました。「うちの子に対して偉そうなことを言うな。ハムスターは子供におもちゃ代わりに与えたものだから どんな扱い方をしようと 子供の勝手だ」と。

    私は その瞬間に諦めて ハムスターはひどい扱いを受けて 小さからぬ外傷がありましたから 直ぐに治療をする必要がありましたが この親子ではまともに自宅で治療するはずがありませんから 「この子の治療は私の手に余りますからお引き取り下さい。」と 丁寧な口調で話せました。若い頃なら「馬鹿野郎」と怒鳴りつけていたのは間違いありませんから 私も多少は成長したのかもしれません。

    以前に似たような飼い主のペットを 我慢して治療したことがありますが 治療費がそのペットの購入費を上回ったのだそうです。私は ペットの価格相場がどの様なものなのか よく知りませんし ペットの価格を考慮して 治療費を考えたことなど一度もございません。その飼い主にすれば 購入費用よりも高くつくのなら 新しくその種類のペットを購入すればそれですむと 考えていたらしくて 購入費以上の治療費の支払いを拒否されてしまいました。私がまだ40歳になったばかりの頃でしたので その飼い主を 怒鳴りつけて病院から追い払いました。今考えたら そのペットの購入費用分だけでも ニッコリ笑顔で受け取っておいた方が よかったのにと思わないでもありません。

    こんな飼い主は 論外かもしれませんが 動物を飼い始めるという事は その動物の命を預かり キチンとした環境で面倒をみてあげる覚悟位は持ってほしいです。その動物によって 望ましい環境や食習慣など 異なりますから 飼い始める前に最低限度の勉強をして頂きたいとおもいます。今はネットで何でも簡単に 初歩的な知識は学べます。但しネットに乗っている情報には かなりの確率で大間違いが 実しやかに謳われていますから 注意が必要であり 鵜呑みにするのは おすすめしませんが。

    ですから 飼い主さんが間違っている情報を 鵜呑みにしている場合 訂正しようとするのですが こんなちっぽけな動物病院の獣医師の言葉では 残念ながら 信用してもらえなくて ネットに流れている ど素人の無責任で明らかに謝った情報を信用されてしまって せっかく私が懸命にアドバイスしても 聴いてもらえないこともしばしばあります。私は子供の頃からの夢をかなえて 二つの大学を卒業して 十年間も大学に通って この職業についたのですが 一般の偏りも早めに仕事を終りにしたいと考えている原因は 恐らくここ等辺りにあるように思います。

    仕事をするのは 社会人としては 当たり前の事です。何とか生活をさせてもらえている日本と言う国への恩返しの意味もありますし 根本的に生活していくためにかかるお金を稼ぎ出す手段でもあります。でも私は 今後二十年ぐらい生きるとして その期間ぐらいの生活をしていく蓄えは出来ております。只人よりもいくらか優雅な老後を過ごしたいので あと数年その蓄えを増やそうと考えて もう少しだけ仕事を続けようと考えている所です。

    仕事をしていれば 辛いことや不愉快な事を経験するのは 当たり前の事でしょうから 一刻も早く仕事をやめてしまいたい と言う気持ちを何とかなだめてすかして もう少し頑張ろうとおもいます。勿論仕事をしていて それなりの充実感や満足感を得られることも少なからずありますから。

     

     

     

     

  • 5月17日 新年号「令和」になって半月が過ぎましたが 殆ど実感しません

    私が生まれて初めて経験する 天皇陛下の生前退位による 年号の変化で その前後には かなりの盛り上がりがありましたが 私は本日まで 令和と言う文字を一度も書いておりません。パソコンに打ち出すのも 実質初めてかもしれません。銀行に出かけても ATMで入金するだけだし 市役所などにも全然用事がないので 諸々の書類への記入も全然しておりません。うちの病院で発行する書類に類も 基本的に西暦の下二ケタで 記入する様に心掛けておりますので 令和と言う文字を記入することはありません。

    手術や入院で 動物を預かる場合の承諾書には これまで年号として 平成が印刷されておりますが 二重線を入れて やはり西暦の下二ケタを記入しております。当分は このやり方で問題ないだろうと考えておりますので やはり令和 と言う新年号を記入することがありませんので 年号が改まったという事をすっかりと忘れてしまっている生活を送っております。

    ひょっとしたら 来年の年賀状を準備するときまで この新元号とは 縁のない生活かもしれません。昭和から平成に元号が変わった時には 生まれて初めての経験でしたし 直後から 平成フィーバーのような雰囲気を感じていたような気がしますが 令和の時代になっても 殆どなんの実質的な変化も感じておりませんので 本当に時代が変わったのか全くピンときません。昭和から平成への継承の切っ掛けが 昭和天皇の御崩御であったことが やはりかなり大きなインパクトがあったからかもしれません。

    今回は平成天皇が まだお元気なうちに退位されましたので どちらかと言うと ほんわかしたおめでたい雰囲気に包まれているからかもしれません。私も平成天皇にあやかって 少しでも早く まだまだ元気なうちに仕事を引退して チョッピリ優雅な老後を始めたいと考えております。具体的な引退後の行き先が大分県にほぼ絞られてきましたので 具体的なプランをきちんと立てて 粛々と実行していこうと考えております。仕事に見切りをつける時期を決断するのが 一番難しい作業かもしれませんが ずっと以前から考えてきたことですから 躊躇せずに決断できるだろうと思っております。ただ私は 筋金入りのチキン野郎ですから 結局は奥様に引導を渡してもらわねば ならなくなりそうで不安です。最後ぐらいは カッコよく決めたいです。

  • 5月16日 まだ五月半ばなのに 猛暑日になってしまいました

    これから十月位まで 暑くてエアコンのスイッチを 冷房にしたままになりそうです。一年の半分が 暑いのですから 日本の気候は 私が子供の頃には 温帯気候と言われて 春夏秋冬と言う四季が 割とバランスよく存在してくれました。地球全体の問題として 温暖化が確実に進行しているみたいなので 日本の平均の気温が上昇していっているのは 致し方のない事かもしれません。日本の気候自体が 既に亜熱帯に近づいているのかもしれません。昔は 沖縄の海岸でしか見られなかった カラフルな熱帯魚が 九州や本州の海岸でも よく見られるようになってから そこそこの年月が経つのだそうです。その割に冬の寒さが厳しいままのように思えるのが 納得のいきかねる所ですが まあ自然相手に文句を言ってもしょうがないのでしょうか。

    だとしたら 子供たちの夏休みの期間をもう少し長くした方がいいのではないでしょうか。まあ現在は 普通の教室にエアコンが設置されているのが 当たり前みたいですから 結構な暑さの中でも 授業が受けられるのかもしれません。ただクーラーのよく効いた部屋にばかりいる子が増えたから 体育の授業で 暑い運動場にいたら あっと言う間に熱中症で倒れる子供が多いような気がして 情けなく感じてしまいます。

    高校野球を頑張っている子供たちは 猛暑の中で 炎天下に 延々と続く 練習に耐えながら頑張っていますから やはり普段の鍛練と心構えが 一般の子供たちに欠けているのではないかと思ってしまいます。エアコンのよく効いた涼しい環境でばかり 過ごしているから ひ弱すぎて 結局はスポーツでも勉強でも 頑張れない いわゆる落ちこぼれが増えているのではないでしょうか。

    別に劣悪な環境で 子供を育てましょう と言っているわけではありません。現在の子供たちの気持ちは全然見当がつきませんが 私が子供の頃は 暑い盛りの昼過ぎに 補虫網と虫かごを持って 山の中を駆けずり回りたかったし 人数が集まれば ドッジボールでもソフトボールでも喜んで 楽しんだように思います。中学校に上がってからは テニス部やバレー部に所属していましたから 炎天下のグラウンドで 水を一滴も飲ませてもらえない中で しごかれてばかりの夏休みでした。現在の子供たちは 炎天下で遊びたいとか 思わないのでしょうか

    現在は 練習中に どれぐらいの頻度なのか知りませんが 水は飲みたい放題なのでしょうから 気温的には私たちの頃よりも 高いのかもしれませんが 練習中に水が飲めるのですから 随分楽ちんな練習だと思います。練習が終わってから 空からののどを潤す水が 何とも甘くて美味しかったのが 強烈な思い出として残っています。そんな過酷な練習をしても 熱中症で倒れるようなひ弱な野郎は 殆どいませんでしたから やっぱり現在の子供が 環境的に恵まれすぎているからなのか  ひ弱すぎるのだと思います。

    毎年 熱中症で亡くなられる方が 少なからずいらっしゃるのですから 十分夏さ対策の必要性は認めますが ある程度暑さに自分の体を順応させるような方向の 努力も必要なのではないでしょうか。私は心臓を患っていて 血圧も高めですから 我慢できそうな暑さの時には 出来るだけ冷房に頼らないで 過ごして少なからず汗をかいて過ごすように 心掛けております。

    今年も炎天下の真昼間に テクテク歩きながら チラシ配りを頑張ろうと予定しております。私も今年誕生日が過ぎましたから 62歳になってしまいました。年寄りの冷や水と笑われないように注意しながら 今年も暑さと戦って過ごそうと考えております。直ぐに冷房のスイッチを入れるのは 楽ちんだし 快適であるのは間違いありませんが 幾らかでも辛抱して 暑さを受けとめる心構えを持って 生活されることが 地球温暖化に対してのささやかな 抵抗になるのかもしれないと思って チャレンジしてみられることを期待しております。