Dr.喜作のブログ

2017年11月 の記事一覧

  • 11月30日 夜中に尿道結石で来院した急患が残念ながら死亡してしまいました

    深夜の十二時近くに 電話がかかってきて 飼いネコがトイレに座りっぱなしなので 診て欲しいとのことでした。今年も大分寒くなってきましたので 尿結石によるおしっこ詰まりがボチボチ始まる季節です。初めての患者さんでしたので 診察台で初めてその猫の状態を診たのですが まず驚いたのは がりがりにヤセ細っていて 体重が成猫なのに2キロしかありませんでした。年齢は十歳で それ程高齢ではありませんでしたが 聴診すると心雑音がかなり強く聞こえていましたので おしっこが出ない状態以外にも あっちやこっちにかなり問題を抱えている猫の様でした。
    飼い主さんは 今朝からおしっこをしていないと話していましたが 最後にトイレ掃除をしたのが昨日の夕方 という事でしたから 既に丸一日半位は恐らく一滴も排尿できていない状態の様でした。ご存知の方も多いと思いますが 三日間排尿できなかったら 殆ど全ての動物は死にます。つまりこの猫ちゃんは かなり緊迫した状態にあることを 先ずは飼い主さんに説明しました。数か月前までは 体重が3キロ以上あった という事でしたから 人間でいうと体重60キロ以上あった人が ほんの数か月で40キロになってしまったようなものです。体重がこれだけ急に減少してしまうと 洋服などのサイズも全く合わなくなるはずですし体調的にまともな状態であるはずがありません。この猫も急激に肉量が減少したからでしょうが 皮膚が相当にたるんでいました。
    その上心臓の弁膜症もかなり進行しているようなので 麻酔をかけて 尿道カテーテルを挿入する処置は かなりの危険性が伴う事が予想されます。とは言っても カテーテルを挿管して 排尿させてやらないと もってあと二日足らずの命ですから 危険性が高いのどうのと言ってる場合ではありませんので その辺りの事情まで飼い主さんに説明して 納得して頂きました。全身麻酔をかけての処置なので 承諾書にサインを頂いてから お預かりしました。
    おちんちんを触ってみると かなり小さくて 作業がかなり難しそうでしたので 深夜の事でしたが 奥様に電話して駆けつけてもらい お手伝いいただきました。以前にも何度か書きましたが 奥様の方が私よりも上等の人間に生まれついている事は間違いないみたいで 何をやらせても私よりも物事を上手にこなせるのです。以前も同じように尿道カテーテルを挿管する作業をしている時の事でした。取り敢えず麻酔が安定してかかったので 挿管の作業を始めました。所が尿道に詰まった結石が 凄くかたくて大きいみたいでしたので そのまま力押しでカテーテルを挿管することを諦めました。
    普段は歯石取りに使う超音波のスケーラーの先端に細い管を装着して 細かく振動させた水を尿道に詰まった結石にぶつけて 削岩機の様に石を砕いて 尿道に道を作る手段がありますので そのスケーラーの準備を始めました。本来なら 挿管の作業を始める前に スケーラーの準備もしてから始めるべきなのですが スケーラーが必要となる割合は 二から三割位なのでつい先に準備をしないで作業を始めてしまうのです。
    スケーラーの準備には 二三分で済みますが その間オペ室から離れますので 奥様に猫の状態をみていてもらいます。所が奥様が待っている間に 見よう見まねで尿道カテーテルの挿管を試みてみたようなのですが 私が二十分位も悪戦苦闘して 結局そのまま挿管することを諦めたのに 奥様がトライしたら あっと言う間に膀胱まで挿管できてしまったのです。このような出来事が一度だけなら ビギナーズラックのようなものかとも 考えられますが 同じような出来事が何度も起きてしまったのです。
    私は 生き方そのものも 不器用な人間だと思いますが 勿論指先も人一倍不器用だと自覚しております。そして奥様が 本当に何をやらせても 器用に巧みにこなせる 特異な才能の持ち主であることは これまでの生活の中でも 散々思い知らされてきました。病院の仕事 それもカテーテルの挿管 という一般人とは 全く縁もゆかりもないはずの作業のはずなのに 私はこれでも臨床獣医師を二十年以上も務めているのに 器用な奥様の方が 結果的にはずっと上手にこなせてしまうのです。悲しい事ですが 人間には持って生まれた 才能と言うか器の大きさがあるのは 認めざるを得ません。
    そんな訳で 援軍の奥様が到着してから 作業を始めました。取り敢えずは心臓に問題を抱えた猫ちゃんでしたから 慎重に麻酔をかけて 安定しましたので 挿管処置を開始しました。普通はお尻の下の部分にタオルを折りたたんだものを敷いて 股間をせり出させると そんなに苦労しないでも陰茎の部分を突出させることが出来ます。所がこのネコちゃんは 幾ら包皮を開いて陰茎を突出させようとしても サッパリおちんちんが登場してくれないのです。仕方がないので 包皮の穴に 先の細い鉗子を突っ込んで 開口部を広げてやると どうにか陰茎が頭を覗かせました。
    普通は 左手で御ちんちんをつまんで 右手にカテーテルを持って 尿道に挿管を試みるのですが この子の場合 どんなに包皮を押さえつけても 陰茎の部分がほんの二三ミリしか出てきません。仕方がないので 私が両手を使って包皮からおちんちんを突出させて 奥様にカテーテルを挿管してもらいました。陰茎の先端から二センチ位の所で カチカチに詰まっていましたが 奥様が器用にカテーテルをくるくる回してドリルのように動かすと ほんの数秒でその結石を砕いてしまいました。更に奥でもう一か所 結石が詰まった部分がありましたが 奥様が上手にカテーテルを操って その結石も砕いてしまい何とか膀胱までカテーテルが届きました。
    かなり苦労してカテーテルを挿管しましたので 直ぐにカテーテルの羽根を包皮に縫い付けて カテーテルを留置することにしました。作業全体としては一時間足らずで膀胱を洗浄して終了しましたので 麻酔を切りました。普通は 麻酔を切って三十分ほどで 完全に麻酔状態から醒める筈なのですが この子は一時間たっても 全然起き上がる気配がありません。麻酔をかけている間は 呼吸停止などのトラブルも起きませんでしたが あまりに回復が遅いので 採血して血液検査をしてみました。
    検査結果としては 二日近くも排尿できていませんでしたから 腎機能を表す項目がかなり高いのは 想定内でしたが 肝機能の値も三項目とも凄く高いので 肝機能障害がある事も分りました。クスリと言うのは殆どが 肝臓で分解されて 尿と言う形で排泄されるのです。所がこの子は 心臓 腎臓に加えて 肝臓まで悪いので 体に吸収された麻酔薬がなかなか分解されないために 麻酔状態から覚醒するのに時間がかかっていることが分りました。処置して直ぐに点滴を皮下に投与した時に 腎機能と心臓の状態を改善する薬は一緒に投与しましたが 遅ればせながら肝機能の改善する薬も追加で投与しました。
    とにかく体温が低いので 目の前にストーブを置いて体を温めました。更に呼吸が安定しませんでしたので 部屋に酸素を送り込んで呼吸を楽にする処置を加えました。何とか 立ち上がれる状態に戻るように最善の処置をしたつもりでしたが 預かった時からぐったりしていましたので 状態の改善が見られません。カテーテルからおしっこは順調にでていましたから 取り敢えずは麻酔薬によるダメージから 回復してくれることを期待しましたが 何しろ心臓に加えて 肝腎(かんじん)要の臓器が二つとも凄く悪いので 状態は悪化していってしまいました。
    取り敢えずある程度回復の兆しが見られないうちは 傍を離れられないので 付きっ切りでなんとか状態が改善するように 声をかけて励ましたり 体をさすってみましたが 徐々に心拍数が減少していきました。朝五時頃には 虫の息の瀕死の状態になりましたので 飼い主さんに連絡して 早朝ではありますが来院してもうう事にしました。飼い主さんの顔をみると 不思議に状態が改善する場合があるからです。所が 飼い主さんが到着するまで 持ってくれませんでした。
    飼い主さんには 預かる時点で この処置の危険性と必然性を説明はしてありましたが 正直私としてもまさかこのような結末を迎えることは予想しておりませんでしたので 泣きたい気持ちになりましたが 飼い主さんにこの子の状態や 治療したことを きちんと説明して 理解 納得して頂くという大切な仕事が残っていますので 落ち込んでいるわけにもいきません。気力を振り絞って 最後の辛くて 情けない仕事を頑張りました。こんな結果になってしまうと 治療費を請求するのも辛い作業ですが 自分としては 仕事に落ち度がなかったと自信がありましたので 何とかやり遂げました。飼い主さんも 状況を全て理解して頂けたみたいで 快く支払って お帰りいただきました。結局殆ど一睡もできない一晩でしたが 自分としては精いっぱい頑張ったつもりなので 勿論落ち込みはしますが 今日から気持ちを切り替えて 頑張ろうと思いました。

  • 11月29日 1924年の本日 「第九」の日本での初演が行われました

    第一次世界大戦で 日本は日英同盟を結んでいた事の影響で 参戦して アジアのドイツ支配地域を攻撃しましたので ドイツ人の捕虜が 約五千人ほどもいました。全国の捕虜収容所にに収容されましたが 徳島県の収容所では ドイツ人捕虜から 当然ですがドイツを中心としたヨーロッパの文化の影響を沢山受けたと言われています。全国に幾つもある収容所の中で 徳島県が 特にドイツの文化の影響を深く受けた理由は 、収容所長松江大佐の極めて寛大な捕虜への処遇の方針によるものと言われています。会津藩士の子息であった大佐は、明治維新の戦いの中で、敗軍の惨めさを父から聞かされ、人道主義による捕虜の扱いについて深く期するところがあったと言われています。その為、ドイツ人捕虜は比較的自由な生活を送り、外出も自由に認められていましたし、場合によっては外泊する者もいたようです。ですから ドイツ人たちと住民との親密な交流が可能となりました。
    次に、徳島と言う土地が 四国のお遍路さんを受け入れる一番の札所であったことによると言われています。人々は、各地からやってくる遍路の旅人を泊め、もてなすことに慣れ、これを誇りとしていました。そこへ、異国の元将兵がやって来ても、受け入れることに抵抗感は少なかったのであろうと言われています。人々は、ドイツ人捕虜の事を「ドイツさん」と呼び、多種多様なことを教わり、親しみをもって交流したのだそうです。
     更には、この地が塩田や染料の藍の生産などで、当時の日本ではかなり豊かな地域であったことも関係しているのかもしれません。経済的に豊かであったことが 収容所やドイツ人捕虜の活動を経済的に援助する人たちが結構いたらしいのです。その為に ドイツ人捕虜によってオーケストラが結成され 楽器をかなり苦労しながらも入手して 合唱団まで作り上げて 日本で初めての「第九」の演奏会が開かれたのだそうです。
    今では「第九」の演奏会は 年末の風物詩になっていますが その始まりは ドイツ人捕虜たちの努力と 徳島県民たちの援助によって為し得た 素晴らしい文化交流の開花と言えるのかもしれません。私は一つ目の大学で混声合唱団に所属していましたし その後もいくつかの合唱団に所属しましたので 年末には「第九」のステージに上がったことが 多分十回位あるように思います。
    私はベートーベンと言う作曲家が大好きです。一番好きなクラシック音楽の作品は 交響曲五番「運命」です。六番「田園」七番も大好きですが 「運命」の第四学章 を耳にすると泣きたいほどに感動します。第二次世界大戦で 日本と同盟を結び同じく敗戦国となった ドイツですが そのドイツを代表するオーケストラであるベルリンフィルが 敗戦後初めて開かれた演奏会で メインプログラムに取り上げたのが「運命」でした。ドイツ人にとってもこの交響曲は 特別な所に位置付けられている存在なのだと思っています。同じくベートーベンの作品で「荘厳ミサ」という大曲のなかにあるバイオリンのソロパートは 私がこれまで耳にしたメロディーの中で 一番美しいと思います。私にとっては 「荘厳ミサ」のバイオリンソロは ナーちゃんのような存在なのです。
    そんな風に 私はベートーベンが大好きで 勿論尊敬している作曲家でありますが 「第九」の合唱パートは あまり好きではありません。交響曲と合唱をコラボさせようという発想自体は 並みの天才では思いつかない事のように思いますし 合唱をやっているものとしては ベートーベンの交響曲に参加できるのですから 凄く有難い事です。でも実際に歌ってみると そのメロディーや 合唱としてのハーモニーという点では 人の声を楽器の様にみなしているように感じられて 歌っていてもあまり楽しくありません。
    交響曲全体の出来上がりとしても やはり五番 六番 七番の方が 聴いた後の感動がずっと大きいように思います。まあこの辺りは個人の好みによるものでしょうから 自分の意見を積極的に主張しようとは思いません。今年も年末近くになってきましたので 恐らく一回位は腰を据えて この交響曲を鑑賞すると思いますが また新しい感動が得られることを期待しています。

  • 11月28日 猫の虐待動画を投稿した被告の初公判がありました

    被告の言い分だと家の周囲に猫が糞をしたことが 猫を虐待す行為の切っ掛けになったのだそうです。動物は人間もペットも生きるために食べますから 食べれば必ず便を排泄します。私はナーチャンだけはおしっこもうんこもしないと信じています。同じ事を信じている男性は 日本中に無数にいるはずです。取り敢えず普通に生きていれば 排便するわけですから 野良猫が存在すれば どこかに排便しているはずですから たまたま自宅の近所で排便されただけで 客観的に見たら 日常茶飯事が起こったに過ぎません。
    但し 猫の糞は 犬の糞とは異なり どちらかというと人間のうんちに近いクサくて不愉快な匂いがしますから 凄く腹立たしい気持ちになるのは分らないでもありません。実家でも庭の芝生の上に 猫が糞をするようになった時期がありました。父が野良猫を見かけるといつも輪ゴムを飛ばす ゴム銃を作ってこまめに追い払っていたら いつの間にか寄り付かなくなってしまいました。何も高いお金をかけて駆除業者に頼まなくても 己の工夫と努力で野良猫が寄りつかないための対策は可能なのですから 被告も野良猫をこまめに追い払う努力をすれば 何も虐待する必要はなかったはずです。よく水を入れたペットボトルを並べている人がいますが あの行為には何の猫駆除の効果もないはずですから 景観上もやめた方が賢明だと思います。
    野良猫にかまれたので 余計に恨みが増大した 等と発言していますが 野良猫は人間が近づくと 餌をくれる場合を除いては 一定の距離を取るはずですから 直接コンタクトする可能性は殆どありません。恐らくは 虐待してやろうと 野良猫を捕まえるために罠でも仕掛けて 捕獲した猫を虐待しようとして咬まれたのだと思います。だとしたら自分を虐待若しくは殺害しようとする人間に対して 咬んで引搔いて抵抗するのは 当然の行動だと思いますし 虐待を実行しようとして咬まれて恨みを増大させるなんて 全くの逆切れだと私は思いますが 一般の方はどのように感じるのでしょう。
    まあ人間には 人間関係においても つもりに積もった恨みつらみを 暴力でしか晴らせないような危険人物が 時々存在します。ましてや恨みの対象が野良猫であるのなら 虐待したり殺害することに 抵抗をあまり感じない人間がいても全然不思議だとは思いません。私だって 晴らせない恨みやつらみが積もりに積もってしまったら 暴力的な対応を絶対にしないと断言はできません。ですから自宅に糞をする野良猫に対して 暴力的な反撃に出る行為自体は 決して肯定はしませんが ある程度理解できる範囲の行動の様に思います。
    ただその野良猫の虐待行為を 自分で撮影して ネットに公開する気持ちが全く理解できません。被告の言う所によると 野良猫の駆除のページを覗いていたら 虐待する映像が目に入ってしまい 繰り返し見ているうちに野良猫を虐待する行為に対する罪の意識が消えてなくなってしまったのだそうです。そして自分の虐待行為の映像を繰り返し見ることで 溜飲を下げていたと告白しています。何故自分の虐待行為を他人に見せるために公開したのでしょうか。自分だけの秘密にしていれば 逮捕されて 裁判にかけられて 実名まで報道されていますが そんな情けない 恥ずかしい事態にはなっていなかったように思います。住所から実名まで報道されていますから 家族はもとより 親類縁者にまで迷惑をかけているのです。
    自分の虐待映像を見て 溜飲を下げていたなどと発言するような人間は おそらく弁護士にでも入れ知恵されたのでしょうが 動画を見て不快な気持ちになった人間にお詫びをしたい 等と心にもない発言をしていることが 私からすると余計に腹立たしく感じてしまいます。こんな全く自分のしでかした行為に対して 反省している様子が微塵も感じられない人間が 良くても一年プラスαの懲役 悪くすると執行猶予がついてしまうかもしれないのだそうです。全く反省していないのであれば 懲役生活をたっぷりと送る中で じっくりと反省する必要がありそうですから もう少し長めの懲役刑に処せられて欲しいものだと思います。万が一 執行猶予がついてしまい 実刑を免れたりすることがあれば 動物愛護団体が連日押しかけて 反省を求めるデモンストレーションでも繰り返ししてやればいいのかもしれません。
    あんまりこんなことをしつこく書くと 動物虐待動画を何も感じないで 垂れ流しにしている愚か者や そんな動画を見て喜んでいる馬鹿者どもから 嫌がらせをされるかもしれませんので 本日はこの辺で終りにしておきます。

  • 11月27日 大学生の就活が 不思議に思えます

    現在の大学生の就職活動は 凄く早い時期から 長い期間にわたるのだそうで よく理解が出来ません。普通に四年で卒業する学生の場合 業種や仕事内容を知識として知り 浅くではありますが 実際に体験してみる事を二年生のうちから スタートするみたいなのです。そして現実に企業からの内定を受け取るのが三年生のうちなのだそうです。普通四年生の大学の場合 卒業論文を作成してから 卒業していくことは 現在も私たちと同じような形だと思っています。ひょっとしたら このスタート時点の考えから間違っているのかもしれませんが 今更詳しく確認してみようとも思いません。
    私が就職活動をしたのは 四十年近くも昔の話ですから 現在の状況とはかけ離れていても 当然なのかもしれませんが 現在の大学生は一体何のために大学に通っているのかを考えると 可哀想になってしまいます。昔からよく言われていた事ですが 日本の大学は入学試験をパスして 入ることは大変だが 一旦入学を許されてしまうと 遊びほうけていても形だけは何とか卒業できる みたいに言われていました。大学受験をパスすることに全精力を集中するので 入学してからは思い切りのんびりしてしまうのが 極当たり前のような風潮でした。
    日本では 取り敢えず名のある大学を卒業しさえすれば そこそこの会社に就職が保証されているようなものだからかもしれません。かくいう私も 立命館大学と言う 一流と名乗るのには少し気のひける大学を卒業しました。理工学部化学科に在籍しており 三年生の終わりに 卒業研究室を選択します。研究室によって当然ですが取り組む課題が全く異なります。私は高分子化学研究室と言う所に希望を出して 無事に配属されました。希望者の多い研究室の場合 恐らくは成績順で選考されて 選ばれなければ 第二志望の研究室に回されたものもあったみたいです。
    私が高分子化学研究室を選んだのは 授業の内容が興味深かったのと 先生の人物そのものが魅力的であったからです。それと教授自身が ボーリングが大好きだし とてもお上手でしたので ゼミなどで全員集合すると必ずその流れでボーリングに出かけることが有名でしたので ボーリングが得意なものが 集まったのかもしれません。大学の研究室ですから 普通なら成績の優秀なものがイニシアチブを取りそうなものですが うちの研究室ではボーリングのスコアの良いものが 偉そうに振る舞っていたように思います。勿論私もボーリングの腕には多少自信がありましたが みんな凄く上手くて 調子が悪いと最下位争いをしていました。
    四年生の授業が始まったころに 初めての就職説明会があり 先ずは自分の進みたい業種を絞るように指導されました。理科系ですから 一応は研究職等を希望したかったのですが ある程度しっかりした企業での研究職には 東大、京大の修士位持っていないと 相手にもしてもらえません。私は性格的に 毎日きちんと机に向かっているような仕事は続きそうになかったので 理科系の知識を生かした営業職がいいかもしれないと思いました。そこで製薬会社の営業職 一般的にプロパーと呼ばれる職種が面白そうに思えて その分野について色々と調べてみました。
    製薬会社も大手になると誰でも知っている会社が多いので 何となく寄らば大樹の陰みたいなこともあり 先輩のいる会社に先輩訪問をしてみました。まあ訪ねてきた大学の後輩に 悪い話、しんどい話はしないのかもしれませんが そこそこやりがいを感じられて お給料もそこそこ良さそうな話で かなり気持ちが傾きました。何時の間にか自宅に送り届けられていた会社の資料を読んでみて よさげな会社が見つかり 取り敢えず電話をかけてみました。電話を受けた方の印象もよかったので 一度大阪の支社を訪ねてみました。六月の梅雨の時期だったと思います。会社を訪問して 人事担当の方と話をすると 一週間後ぐらいに東京の本社での面接を受けてみないかと言われました。東京ですから 新幹線に乗りますし一泊しなければなりませんが 勿論交通費から宿泊費まで全部会社が持ってくれるという話でしたので 物は試しと出かけてみました。
    生まれて初めて 面接試験と言うものを体験しましたが かなり緊張してしまい 受け答えがぎこちなかったように思います。まあその日のうちに何とか内定らしい指示を貰いました。一つ目のまあいってみればすべり止めみたいな気持ちで受けた会社から 初の内定をもらいホッとしました。続いては やはり大学の先輩のいた 中外製薬に先輩訪問してみました。すきっとしてかなりカッコいい先輩の姿に憧れてしまい 面接を受けてみたいと意思表示すると その先輩が人事部につなぎを取ってくれて いきなり東京本社へ招かれました。それまで殆ど新幹線に乗った経験がありませんでしたが 就職活動で 費用は会社持ちで二往復もさせていただきました。こちらも無事に内定を頂きましたので 最初の内定を頂いた会社には 電話で御断りを入れました。新幹線の指定席で往復させてもらって そこそこのホテルに宿泊させてもらって 結構美味しい食事までご馳走になりましたから 申し訳ない気持ちも少なからずはありましたが 自分の人生がかかっていますから致し方のない事だと考えました。
    私たちの頃にはまだ存在した 就職協定 という有名無実の取り決めによって 一応正式の会社訪問 人事関係の人間と学生が接触を許されるのは 十月一日からと決まっておりました。そこで 既に内定を出して青田刈りをした学生を囲い込んで 他の会社を訪問できないように何かしら休むことの許されない様な行事を行う会社が一般的でした。所が中外製薬は 解禁日に何の制約もありませんでした。中外製薬は テレビでもよくコマーシャルの流れる 誰でも知っている会社ですから 私としてはお世話になるつもりでおりましたが せっかく正式に会社訪問が許されるその日に なんの就職活動もしないのは 勿体無いような気がしてしまいました。
    中外製薬は日本の製薬メーカーとしては 規模や売り上げ的に十位前後の会社でした。製薬会社は不思議な事に大阪の道修町に本社のある場合が多いのです。最大手の武田や当時ほんの一時的にですが凄く勢いのあった藤沢 そして塩野義等の日本のトップを争う会社の本社がすぐ近所に集中していましたので 別にどこを狙ったわけでもなくうろついてみました。武田は薬剤師でないと採用しないと知っていましたので 藤沢と塩野義の本社を覗いてみて 雰囲気の良さそうだった塩野義を選びました。全く準備などしていませんし いきなりこの日に訪問しても 実はすでに採用枠の内定者が全て決まっているのかもしれませんから かえって全然緊張しないで面接をこなせました。
    全然緊張感が無かったのが良かったのかもしれませんが 最初は一対一で話をして つぎに三人の面接官と話をしました。帰りがけに滋賀にある医療施設で健康診断を受けるように指示されました。どんな指示に どういう意味があるのかわからないままに 取り敢えず大学に戻って 就職課で初めて塩野義のこれまでの採用に関する情報に触れました。その中で 滋賀にある施設で健康診断を受けるように言われることが 実質的な内定と考えていいという事を知りました。全く準備をしないで 期待もしていないので 緊張もしていなかったのが いい様に転がったのかもしれません。正式な私の就職活動は 現実には六月から動き出しましたが 十月一日の一日だけと言えるのかもしれません。
    ほんの数年で退職を決意したのですから 結果的に塩野義に就職できたことが良かったのかどうか分りませんが 現在の自分の人生にあんまり後悔はありませんので 恐らくよかったのではないかと思います。塩野義製薬は 日本でも二番目か三番目位の規模の会社です。製薬会社の割には給料が安いのと その割には仕事がしんどい というのがもっぱらな評判だと 入社してから知りました。只もし中外製薬に就職していたら 塩野義ほど仕事がしんどくなくて 中途半端にサラリーマンを続けてしまい 結局は定年を迎えていたのかもしれませんから よかったと考えるしかないのかもしれません。
    私の就活は 結局三つの会社から内定をもらい 拘束された日数的には全部で一週間にも満たないように思います。私の学生時代 今から四十年ほど前だと こんなもので標準的なのではないでしょうか。所が形ばかりの就職協定が20年位前に無くなってしまってから 全く歯止めが効かなくなってしまったみたいで 現在の学生は 二年生のうちから自分が進みたい業種に関する勉強を始めて 三年生のうちにほぼ内定してしまうのが 大まかには順調な就職先決定のプロセスみたいになっているみたいです。
    三年生なんて まだ自分がその学部内でどのような分野の卒業研究室に配属されるかさえ決まっていない段階のはずです。自分が一番熱心に取り組む研究の方向さえ決まっていない段階で 就職先が決まってしまうというのは 如何にも大学の名前だけで就職先が決まってしまう日本の愚かな姿勢が浮き彫りにされているようで 滑稽にしか思えませんが どうしてこのような事になってしまったのでしょうか。やはり 私たちの時代ですら有名無実化していたと言われる就職協定が ある程度はまともな形に近い就職活動を形作ってくれていたのかもしれません。
    就職氷河期という時代がかなり続いたようにニュースで見ていた時期がありましたが 現在は一応売り手市場なのだそうです。勘違いした馬鹿な学生に 振り回される企業があわれに思わないでもありませんが 氷河期には 採用する側が上から目線で好き勝手に選別していたのでしょうから 時代の流れに従わざるを得ないのかもしれません。学生としても 就活をする時代の風潮に従って 精一杯の事を頑張るのでしょうが 何も就職先だけで自分の一生が決まってしまう訳ではないので 気楽に考えて 自分の能力を上手く活用できるような職場を見つけて欲しいように思います。
    私は会社を辞めてから 受験勉強をやり直して 六年間も大学に通い直して 自分の病院を開院するまでに十年ぐらいはかかっているのです。人生なんて幾つになっても 何度でもやり直しは可能だと思いますから とにかく自分の納得のいく仕事を 目先の収入や 友人など周囲の環境に惑わされることなく じっくりと腰を据えて見つける努力をしていただきたいと考えます。

  • 11月26日 語呂合わせで 毎月「風呂の日」とされているみたいです

    このブログでは 私は何度も書きましたが お風呂があんまり好きではありません。現在も 夜寝る前には入らず 何時も朝起きた時にタイマーでお風呂を沸かしておいて 朝の忙しい時間の割にゆっくりとはいります。髭もカミソリで丁寧に剃ります。サラリーマン時代には 電気髭剃りを使っていました。出勤時の車の中で 髭を剃るのが習慣になっていました。只髭剃りを掃除するときに いつも髭とともに顔の皮膚が相当に削り取られてしまっているように思えて 将来顔のしわの原因になるという話も聞いていましたので いつの間にかお風呂で カミソリで髭を剃る習慣に 変化してしまいました。
    脱衣場で素っ裸になると 取り敢えずはオマタの部分から全身たっぷりとかけ湯をします。朝一番なのでお風呂場が冷え切っていますので かけ湯を撒き散らして 風呂場の空気を温めます。椅子に座って 先ずは頭にお湯を何杯かかけてから シャンプーで頭から洗い始めます。頭髪で十分にシャンプーが泡立ったら 両手いっぱいにすくった泡で おちんちんの周囲を丁寧に洗います。ジジイになってしまいましたが おちんちん周りの汚れと臭いは若い頃とあまり変わりません。風呂に入る前に脱いだパンツの臭さも 恐らく死ぬまで変わらないのかもしれません。丁寧にオマタを洗ってから 頭からお湯を何杯もかぶってシャンプーを洗い流します。
    次に石鹸を両手で泡立てて 顔に塗りたくり 髭剃りで剃ります。普段は髭の生えている方向に 所謂順目に剃ります。その方が皮膚に負担がかからないからです。但し お出かけするときや 大事な人と会うときには 逆目剃りをします。その方が 皮膚に負担がかかりますので 暫くヒリヒリしますが しっかりと髭を顔から除去できます。本当は 仕事で毎日出会うペットの飼い主さんも大切な人なのですが 毎日ヒリヒリするのはちょっと辛いのです。
    髭を剃り終わると その石鹸でついでに顔をゴシゴシ洗います。若い頃から 何時も脂っこい奴 と言われていましたが オマタの汚れと同様に 還暦を迎えたジジイになっても アブラギッシュな体質は 何にも変わっていないようなので 丁寧に顔の脂を洗い流します。続けてナイロンのタオルにボディシャンプーを振りかけて 泡立てて体をささっと洗います。何しろ朝の忙しい時間帯ですから そんなにゆっくりと長湯もしていられません。
    それからゆっくりと湯船につかって温まります。夏場は温まりすぎると 汗がとまらなくて 何のためにお風呂に入ったのかわからなくなりますので 入浴剤をひんやりするものにしていますが 何しろ私は太っていて人一倍汗かきなので 扇風機の前に陣取ります。クーラーのきいた部屋も涼しいのですが ひんやり系の入浴剤のお風呂上りには 強めの風に当たるのが 一番涼しく感じます。但し暑い時期を過ぎたら 普通の入浴剤に変えます。今では 入浴剤の香りも色も肌触りも かなりたくさん種類があるみたいですが 私はやっぱり昔ながらの 緑色のバスクリンが一番落ち着きますし 香りも好きです。子供の頃は 入浴剤と言えば 緑色になるバスクリンしかありませんでしたから 子供の頃の記憶に刷り込まれてしまったのかも 体が一番馴染むような気がします。
    インスタントラーメンでも 今では数えきれない位に沢山の種類がありますが 私は豚骨味のラーメンが一番好きなので インスタントの袋めんでは「うまかっちゃん」が大好きです。ラーメン屋さんで注文するときも とんこつ味があればいつも頼んでしまいます。でもインスタントラーメンで 一番食べ飽きないのは やっぱり子供の頃にいつも食べていた「チキンラーメン」かもしれません。玉子を入れて いい加減に火が通ったものの美味しさは コストパフォーマンスを考慮すると 私にとって最高の御馳走かもしれません。
    何時も朝お風呂に入ると話すと 汚れたまんまの体でお布団に入るなんて信じられない とよく言われてしまいますが 就寝前に風呂に入る人の方が 確かに一般的で 数が多いであろうことは認めますが 逆にそういう生活習慣の人は 寝ているうちに実はかなり汗をかいているのに そのまま服を着て生活を始めるのも 如何なものかと 私は反論したくなります。ですから夜寝る前と朝起きた時の両方でお風呂に入るのが 一番清潔なように思いますが そんな事をしている暇な人は その中に殆どいないでしょう。
    私が夜 お風呂に入らないのには ちゃんと理由があります。夜はどうしても見たいテレビ番組がいろいろとあるので 今なら楽しみにしている番組は大抵録画してみますが 子供の頃に見たい番組があるのに 親からお風呂に入ることを強制されて 嫌な思いを沢山したので 自分で生活のタイミングが決められるようになったら お風呂は寝る前ではなくて 朝起きた時にしようと子供の頃から決めていたので それを実行しています。朝お風呂に入って すっきりサッパリしてから一日をスタートする人の方が少数派であることは認めますが 結構気持ちいいので試してみられることをおすすめします。

  • 11月25日 1920年の本日 戦艦長門が完成しました

    戦艦長門は 完成当時は 世界最大の排水量39000トン 主砲の口径41センチを誇りました。それから当時としては 航行速度が26.5ノットと凄い高速を誇っていたみたいです。当時の乗組員の方の実感としては 戦艦の場合主砲の口径や射程距離を中心とした総合的な武装力が一番の関心事の様に思いますが 軍艦乗りの正直な気持ちとしては 戦場に駆けつける航行速度と言うのが その軍艦に乗る時の一番の関心事なのだそうです。姉妹間の戦艦陸奥とともに当時の世界七大戦艦に選ばれていたみたいです。他はイギリスの二隻とアメリカの三隻でしたから 日本は世界の三大海軍国の一つにあげられていました。まあ現実には かなり遅れを取っている三番目だったみたいです。
    ちなみに当時 世界の三大陸軍国としては ロシア、ドイツと日本だったみたいです。これまたかなり格落ちの三番目みたいでしたが 日本軍は 海軍も陸軍も世界のベストスリーに入っていたので陸海軍のバランスの取れた軍事国家だったのかもしれません。まあ当時の鉄鋼などの生産量を比較するとアメリカは日本の十倍以上でしたから そんな国に対して戦争を仕掛けるなんてあまりに愚かな行為だったように思います。日露戦争に 日本が運よく勝利を勝利をおさめられたのは 大国ロシアが戦争に本腰をいれる前に 手打ちに持って行けたので形の上では 日本が勝利を収めたように言われているのにすぎません。ロシアから見れば バルティック艦隊を壊滅させられたとはいえ 足の指先を一寸だけ火傷した位にしか 感じていませんでしたから ポーツマス条約で日本の勝ち取れた利益は微々たるものでした。アメリカが戦争に本腰を入れるまでは 太平洋戦争でも 日本の旗色が良いように見えましたが アメリカが本気で軍艦を作り出したら 幾ら局地戦で日本がアメリカの軍艦を沈めても ある程度時間が経てば 物量の差の大きさを痛感させられてしまったのは 当然すぎる事のようです。
    話が戦艦長門から離れてしまいましたので 元に戻そうと思います。長門は 太平洋戦争中に大和が完成するまで 連合艦隊の旗艦を務めていました。大和に旗艦を譲ってからも 大切に扱われて あまり戦場に投入されませんでしたから 終戦時には 故障箇所個所は抱えていましたが 何とか無事に浮かんでいられました。只アメリカに没収されてしまい 最後は核実験の目標にされてしまって 沈められてしまうという悲しい結末を迎えてしまいました。
    太平洋戦争中に 長門は温存されたともいえるのかもしれませんが 古いタイプの戦艦でしたから 完成当時は 高速を誇っていましたが 新しく建造された軍艦はさらに高速での航行が可能でしたから 足を引っ張るような形になり出番が減少したと言えるのかもしれません。それからこの戦争が始まってからは 大鑑巨砲主義が廃れてしまって 高速で航行できる航空母艦が 海戦の主力部隊になってきていました。航空母艦を中心として 空母を護衛する小回りのきく駆逐艦の出番が多くなり 図体の大きな戦艦の出番は殆どありませんでした。空母の航空機同士が 互いの船団を攻撃しましたから 船団同士が接近して大砲を直接打ち合うような戦闘が起こらなかったのです。
    残念な結末の迎え方としては 二番艦の陸奥も同様かもしれません。現在になっても原因が解明されていない事故によって 瀬戸内の海で謎の爆沈したと言われています。子供の頃に 父親が戦艦陸奥のプラモデルを買ってきました。私は細かい作業が苦手で 嫌いでしたので 直ぐに組み立てを諦めてしまいました。父親が 私と違って指先が非常に起用でしたので 日曜日のたんびに 組み立てて完成してくれました。結構大きなプラモデルでしたので 当時はこうりだんちの2DKに住んでいましたので かなりかさばりましたが 箪笥の上の見えやすい場所に飾ってありました。その為に私は 一番艦のながとよりも 二番艦の陸奥の方が 愛着があります。
    私が若い頃には 手に入る音楽の音源としては レコードとカセットテープでしたが 現在は時代が変わり うちのステレオでもレコートは再生できないし 勿論カセットテープも聴けません。CDとCDRにアイテムが変化してしまい レコードの登場場面が全然なくなってしまったのは 時代の流れで致し方のない事かもしれません。今どきの若い方にしてみれば レコードの時代があったことは知っていても 実際にレコードを触ったことも見たこともないのかもしれません。病院の三階には 学生時代にせっせと集めた二百枚以上のLPレコードが それなりに思い出がありますので 捨てられずにダンボール箱の中で眠っています。戦場で出番の無くなった戦艦を海軍が大切に保護したのは 無理からぬことの様にも思います。
    戦艦大和と二番艦の武蔵は 有名だし アニメの影響もあって ご存知の方が多いのかもしれませんが 長門と陸奥は やはり過去の遺物のイメージがあるからかもしれませんが マイナーな存在のようです。只当時の海軍首脳陣の頭が固くて 大鑑巨砲主義から脱皮できなかったために 殆ど活躍の場のなかった大和と武蔵を戦艦として建造してしまいました。大和の三番艦として建造された信濃は 空母に建造途中から方向転換されましたが スタートが戦艦でしたから 空母としての能力は 大したことがありませんでしたし 実戦に登場する前にアメリカの潜水艦に撃沈されてしまいました。最初から大和と武蔵を空母として設計していれば 日本の海軍戦力はかなり向上したはずですから もう少し長く海軍の活躍する場面が続いたのかもしれません。まあ歴史を考えるうえで 「たられば」の話は禁句ですし 所詮は焼け石に水であるのは 間違いありませんが 長門が引き続き連合艦隊の旗艦として存在して 後世にまで名前が残っていたのかもしれません。

  • 11月24日 シートベルトを装着していなくても 警告音がしなくなる部品を販売していた業者が逮捕されたそうです

    私は 現在の車は新車 というか正式には新古車を購入しましたので 運転席のシートベルトを装着していないと 警告音が鳴る機能のついた車は初めてです。うっかりシートベルトを装着し忘れて運転することを未然に防いでくれるありがたい機能だと思います。それまでの中古車は 製造年月が結構古いからかもしれませんし 単にグレードが低かったからかもしれませんが 運転時にシートベルトを装着していなくても 別に警告音はならない車ばかりでした。最近の車はシートベルト未装着での警告音が鳴るのは 常識なのかもしれません。私が免許を取り運転し始めた頃は 運転者の殆どがシートベルトを装着せずに運転するのが常識でした。
    それが何時ごろか忘れましたが シートベルトの装着をしていないと 直ぐに警察に捕まって 違反切符を切られるように取り締まりに対する姿勢が変化してからは シートベルトのを装着するのが自分としては当たり前になっていました。所がシートベルトを装着しなくても警告音がしなくなる部品が 結構売れているので その業者が逮捕されてしまったわけですから 世の中の運転者のうちで シートベルトを装着していない人の割合が 増えてきているのでしょうか。
    シートベルトの未装着に対する警察の取り締まり方が 始まってからそこそこの年月が流れましたから 段々緩くなってきているのかもしれません。私は 仕事をやめてからは かなり高額のキャンピングカーを乗り回すつもりですが 仕事を続けているここ当分は 軽自動車の中でも 特に安価なスズキのアルトに乗り続けるつもりです。小さいし 安物の車ですから もし車同士の事故を起こしてしまった時 殆ど車自体が 私の体を守ってくれないでしょうから せめてシートベルトの装着は 自分を守るために必ず実行すると思います。たとえそこそこ車が上等であったとしても シートベルトによって交通事故の時に自分の体を守られるのは 間違いない事だと思います。もう何年も運転時にシートベルトをキチンと装着することが習慣づけられていますから 今更シートベルトの装着に何の嫌悪感もありませんし すでに何年も習慣になっていますから 全然面倒な作業ではありません。
    自分の身をいざと言う時に 少しでも安全に守ってくれるシートベルトの装着を 望まない人の神経が私には 理解できません。シートベルトをキチンと装着していても 別にカッコ悪いとは全然思わないし装着していても 何の違和感も拘束感もありません。身を守ってくれるありがたい代物だと思っていますから どうしてその装着を嫌がる人がいるのか 理解できません。話は変わりますが 町中の運転で 気になるのが 時々見かける右折なり左折なりするときにウィンカーを出さずに曲がる車です。ウィンカーを出す行為が面倒なのでしょうか。それともウィンカーをきちんと出す行為が ダサい 若しくはお洒落ではないとでも考えての行動なのでしょうか。きちんと方向指示器を出さないと 事故を起こして 自分が痛い目にあう 可能性を高めるだけの様に思いますが 私にはシートベルトを装着したがらない人たちと同様に理解しがたい存在です。
    そんな愚かな人間が 交通事故を起こして痛い目を見るのは 自業自得だと思いますから 全然かまわないのですが もしそんないい加減な運転に自分の車が巻き込まれてしまうのは 嫌です。自分が安全運転を心掛けていても 事故に巻き込まれることはあるかもしれませんので きちんとルールを守らない車には なるべく近づかないように心掛けていますが キチンとシートベルトを装着していない馬鹿者が結構増えてきているのだとしたら 運転自体をなるべくしないように心掛けるしかないのかもしれません。仕事で必要なとき以外は 運転しない方が ガソリン代の節約にもなりますので そんな風に考えて生活していこうと思います・

  • 11月23日 本日最後の晩餐を 王将でいただきました

    来月の22日が 自分の病院の日なので 丁度一か月前で 本日最後の晩餐を頂いて 病院での検査前の摂生生活に入るきっかけにします。王将 というお店は 立命館大学に通っていたころから 京都に沢山お店がありましたので 度々利用させてもらいました。餃子十人前食べれば無料 というキャンペーンを時々やっていましたので 何度かチャレンジしてみました。もう四十年位前の事ですから 記憶がかなりあいまいですが 多分五回位チャレンジして 一度だけ体調不良で失敗しましたが 残りの四度は確かそれ程きつくない時間制限内に食べ終えたように思います。今でも 若いアイドル大好き人間ですから 当時は頭の中の殆どをいやらしい事が占めていた年齢です。ニンニクタップリ餃子を60個も一度に食べれば 股間の元気が溢れまくります。
    ただ残念なことに 当時の私は全く女性にもてない状況でしたから そんな溢れかえる性欲は 虚しい事ですが 自分の指で発散するしかありませんでした。同じ年頃の友人たちは 上手に彼女を作って 性欲を発散していましたから 羨ましい事この上ありませんが 相手をしてもらえる女性がいませんでしたから 一人虚しい作業を繰り返しておりました。当時 混声合唱団に所属していましたから そこそこ魅力的な女性は 周囲にいましたが 何とか思いを遂げられたのは 四回生になって 就職先が塩野義製薬に決まったころでした。塩野義に対する就活は 当時の就活ルール通り10月1日からスタートしましたので 内定をもらったのは 10月の半ばでした。一応誰でもその名前を知っている 一流の企業に就職が決まって ある程度自分に自信がついてやっと 彼女と呼べる存在が出来ました。たまりにたまった性欲を発散したくて 恥ずかしながら やりまくってしまいました。
    彼女と頑張った後は 王将に出かけて スタミナ補給に度々利用させていただきました。アルバイトに精を出していましたので 経済的に余裕がありましたので 生協の食堂ではなくて ちょっとしたぜいたくとして王将によく出かけていました。大学時代に頻繁にお世話になった王将の枚方店を 本日最後の晩餐として利用させていただきました。奥様二人で 取り敢えず餃子を三人前頂きました。ニンニクの臭いが当然気になりますが 仕事前にきちんと歯を磨いて フリスクを何粒か 噛めば何とかなるでしょう。
    続いて 酢豚と鶏の唐揚げを白ごはんとともにいただきました。白ごはんとは 当分お別れですから よく噛みしめて 甘みを感じられる位にまでして 大事に呑み込みました。最後の晩餐なので ちょっと贅沢してエビチリまで注文してしまいました。王将は大衆的な中華料理屋さんとして有名です。価格はそれほど高い設定ではありませんが 味はかなり美味しいように思います。所謂高級な中華料理屋さんにも勿論 行ったことはありますが 価格的には王将の何倍もしますが 料理の味的には 大して差がないように思います。私が味音痴だから 違いが分からないわけではないように思いますが コーヒー豆の味の違い 分りませんでしたから 凄く自信があるわけではありません。
    取り敢えずは 最後の晩餐を 凄く美味しく頂きましたので 明日からは炭水化物を 断ちます。十一月の検査では ヘモグロビンA1cの値が 正常値の範囲に入りましたので 先生にお褒めの言葉を頂きました。どうしてもお正月は 美味し物を少なからず頂きますので 年末までに 体重を何とか100キロ丁度まで落としたいと考えております。但し私は 体重を落とすのには 人並み以上に苦労しているつもりですが 気を抜いてある程度好きなものを食べてしまうと それこそあっと言う間に体重増加してしまいますので お正月とはいえ お餅は数えるぐらいしかいただかないように心掛けようと思います。取り敢えずは100キロまで体重が落ちてくれれば 減量をスタートしてから十キロ以上の減量になります。普通の方の場合十キロの減量と言えば 大したものかもしれませんが 私の場合何しろスタート地点が もの凄いデブですから 十キロぐらい減量しても 凄いデブになったに過ぎません。まああとひと月で何とか目標の100キロまで減量して 気持ちよく新年を迎えたいと思います。
    いい歳こいた爺さんの当面の目標が 体重の減少なんて 恥ずかしい事この上ありませんが 現在恥かしい体型をしていますから しょうがありません。元気で長生きする という私の残りの人生の最大の目標に直結する事ですから 頑張ってダイエットしようと思います。世の中猫も杓子もダイエットブームですから 同じように減量を志しておられる方は きっとおられると思いますが 一緒に頑張っていきましょう。

  • 11月22日 何時の間にか紅白歌合戦の出演者が発表されていました

    正直な事を言いますと 大晦日の紅白歌合戦にはここの所ずっと殆ど興味がありませんでした。只 大好きな乃木坂が出演できるのかどうかという事で 三年前から 素人が勝手に出演者を予想して楽しんでいるサイトを覗いては一喜一憂しておりました。三年前 殆どの下馬評で 乃木坂は紅白当選確実と予想されていました。所が年末になってサユリンゴの不倫報道があり その事だけが理由ではないのかもしれませんが 落選してしまい メンバーとともに涙を流しました。
    二年前の年末は 今年こそ歌手としての実績や人気から見て 初出演間違いなしと予想されていて 念願の初出演がかないました。昨年は 乃木坂の連続出演はほぼ間違いないと思っていましたが 欅坂がCDデビューしてわずか八か月で 初出演がなるのかどうかに注目が集まっていましたが 見事に初出演を勝ち取りました。今年は乃木坂も欅坂も 昨年以上に活躍しているのは間違いありませんから 連続出演するのは間違いないと思っておりましたので 何時ごろ出演者が発表されるのかさえ知らないうちに 発表されて それから結構日にちが過ぎている本日 やっと出演者を知りました。
    乃木坂と欅坂は当然かもしれませんが AKBも全盛期は過ぎたようですが 依然としてCDの売り上げは 勿論握手券と言う特典があるからでしょうが 圧倒的ですから 出演するのは当然かもしれませんが昨年 一昨年と昔のヒット曲を歌っていました。その年に誰もが知っているようなヒット曲が無かったからかもしれませんが いかにも全盛期を過ぎた歌手のようで 何となく哀れな気持ちで見ていました。ただ 乃木坂 欅坂ともに アイドルグループとしては頑張っていますから 若者世代では認知度も高いし 歌った曲も知られているのかもしれませんが 私たちの様な老人世代では 認知度もヒット曲もないのが 残念です。
    AKBは昨年話題作りとして 紅白選抜を投票で決めて その順位は出演している最中に発表しました。順位によって踊るポジションが異なってきますから メンバーの緊張感はなかなかのものだったのかもしれませんが そんな小手先の手段で目先を変えないと注目されないようなグループに成り下がったのかと 一応乃木坂の公式ライバルという設定ですから 残念に思ってしまいました。今年はなんとか今年発表した曲を歌わせてもらって欲しいと思います。
    それにしても AKBのCDの売り上げ枚数の凄さには 呆れてしまいます。少し前に21世紀になってからの 歌手別のCD売り上げ枚数のランキングを発表していました。20世紀を含めれば B‘z、ミスチル あゆ辺りがベストスリーみたいですが 2000年以降と時期を限定すると 安室ちゃんでも あゆでも 宇多田でもなくて AKBが断トツ一位なのだそうです。乃木坂が 現在の人気というか観客動員数などでは AKBを上回るのではないか と言われていますが ことCDの売り上げに関しては 全く足元にも及んでいません。
    まあAKBの場合 CDの特典である握手券や選挙の投票券が目当てで購入する人が多いので 実質のファンの数はずっと少ないのかもしれません。写真集の売り上げ冊数は メンバー個人の固定ファンの数とかなり密接にリンクすると思いますが 写真集の売り上げランキングでは 乃木坂のメンバーが上位にずらっと顔を並べていますから 実質的な人気では 乃木坂に分があるのかもしれません。選挙ではぶっちぎりの一位になるサシコの写真集が大して売れていないことからも AKBのCD売り上げ枚数が 人気と直接関連していないように思えます。でも乃木坂のCDにも握手券と言う特典がついているのは 同じですから やはりまだまだAKBの方がずっと格が上なのかもしれません。
    そういえば東京ドーム公演でヒメタンとマリッカが卒業してしまいました。ヒメタンは これまでも体調不良などで 度々活動を休止していましたから 致し方のない事かもしれませんが 人気アイドルと言うのは 例え人数の多いグループであっても プレッシャーが想像以上に大きいのかもしれません。マリッカはまだ若いし 人気もあり コンスタントに選抜にも入っていますから 卒業する理由の見当がつきません。まあ特に好きなメンバーではないけれども 残念に思います。ヒメタンは 私の押しメンベストテンに必ず入っていましたから とっても残念です。妹さんの活躍に期待しましょう。そういえば今年もベビーメタルが紅白に選ばれませんでした。世界的な認知度と実力からすれば 選ばれるべきグループだと思います。そのメンバーの中元すす香さんはヒメタンの妹なのです。
    そういえば今年は やっとリトグリちゃんが選ばれたのが 嬉しいです。でも歌手としての実力やこれまでの活動実績などから考えたら 欅坂が二回目の出演 リトグリが初めて というのはなんか不思議な気がします。紅白に出演する歌手は 例え若手の女性グループであっても 人気や話題性だけではなくて 実力をもう少し大きく考慮してほしいように思います。まああんまり大きな声でこんなことを言うと 乃木坂も欅坂も出演できなくなりそうなので この辺で止めておきます。
    乃木坂も欅坂も年齢の問題がありますから 出番は早めになると思いますので この二組が出演するまでは 今年も紅白歌合戦を楽しもうと思っています。大晦日のテレビ番組と言えば 一時期は大型時代劇が流行したこともありましたし 格闘技のスペシャルマッチが沢山放送された時期もありました。最近は 紅白の裏番組にあまり興味がわかないのが残念です。どっち道お正月には 嫌というほどバラエティー番組が放送されますから 大晦日の夜ぐらいはバラエティー以外のジャンルの番組を見たいものです。まあ今年も大晦日から正月三が日は 稼ぎ時と考えておりますので のんびりテレビなどみている暇がないぐらいの方が 正直有難い気もしますが こんなことを書いては ペットの病気やけがを待ち望んでいるように誤解されそうで心配です。万が一ペットに何かあった時には何時でも対応する準備をしておまちしている という事を御理解いただければ幸いです。

  • 11月21日 一部のコンビニで 成人向け雑誌(18歳未満は買えない)の販売を中止するのだそうです

    コンビニには 老若男女が訪れますから 女性や子供の視線に その類の雑誌が目に入ることを考慮して 既に販売していないお店もあるようですが 来年の一月から ミニストップと言うコンビニでは一切販売しなくなるのだそうです。確かにコンビニは ドライブの途中などで家族連れが立ち寄ったり 中学生たちの溜まり場になっていたりもしますから この手の雑誌は販売していない方が 公衆衛生上望ましいのかもしれません。
    しかしインターネットが殆ど全ての家庭で利用できるように普及してしまっている現在 性に対する興味が一番強い年頃の中高生の特に男子が その手のサイトを親に見つからないように 細心の注意を払いながら 見ているはずです。現在は 無料で簡単に 無修正の性交渉の動画が 極当たり前に見られる世の中になってしまっているのです。そんな凄く刺激の強い動画を見飽きているかもしれない子供たちが 多いはずなのに コンビニのその手の類の雑誌の販売を今更中止することに どれだけの意味があるのか疑問に思ってしまいます。
    私は 勿論自分が中高生であった頃 性的なものに対する興味は 人一倍強かったように思いますし その点が ニキビ面とともに 当時の最大の悩みだったように思います。普通の人間であればそちら方面の実体験は 遅かれ早かれ間違いなく してしまうのですから その分野の情報に蓋をして何とか覆い隠そうとするような 無駄な努力は不要だと思います。性欲が備わっているのは 当然の事ですし 食欲や睡眠欲があるのと同じで 全く恥ずかしい事ではありません。その方面への未知によって猶更煽られてしまう興味や欲求の一番強い中高生が 中途半場で誤った情報によって大きな失敗をしでかす心配もあります。世の中セクハラなんて日常茶飯事だし レイプ事件や不倫スキャンダルなんて 人間社会が滅亡してしまわなければ 無くならないはずですから そのような年代の子供たちが 軽はずみに誤った経験させないためにも もっとオープンにその方面の情報を提供してあげるべきではないかと思います。
    隠そうとすれば より興味がそそられて 知りたくなるのは 人間の本能だと思います。コンビニのエロ本の販売を自粛するよりも インターネットのエロサイトの規制を強めて 例えばかなりの高額の有料情報にでもして 子供には簡単に覗けないようにでもしまわなければ ザルで水をすくう様な 表面的で効果の伴わない形だけの取り決めだと思います。エロ本なんて 中学生の頃には ベッドの下に隠してあるのが当たり前だと思います。昔は エロ本専用の自動販売機なんてものがあちこちにありましたが 現在は全然見かけません。コンビニに夜一人でこっそりとエロ本を買いに来る中高生は けっこういるはずですから 販売を止めてしまうと 困る男の子がかなりいるはずです。
    エロ本やエロサイトは それらをみながら男なら当然マスタベーションをするわけです。性欲をその行為で発散することによって 男ならみんな経験している虚しさに襲われますが 恐らくは性犯罪が未然に防がれているのですから 一概にエロ本 エロサイトは有害だと決めつけられないように思います。まあ 還暦を迎えた私は 記憶力や視力、聴力などの衰えも隠せませんが 性欲の減退も自覚せざるを得ません。こんな性欲の衰えたてしまった男の発言には説得力がかけるのかもしれませんが日本はもっと性的な欲望や表現に対して もっとオープンな気持ちを持つべきだと 私は思います。