Dr.喜作のブログ

2022年3月 の記事一覧

  • 3月30日 気が付けば 桜が満開かのように咲いています

  • 3月28日 久しぶりに ネクタイを締めて 梅田に出かけました

    昼からとある目的で ある人物とお目にかかるために 凄く久しぶりに 目躯体を閉めて ちゃんとした格好で 梅田に出かけました。病院から津田駅まで これまで歩いて十五分ぐらいで 到着していました。それなりに急ぎ足だったのかもしれません。現在左足を負傷していますので ゆっくりしか歩けませんが それでも二十五分もあれば 到着できると思っておりましたが 何と三十分もかかってしまいました。足のケガによる遅れもあるのかもしれませんが 老齢による運動能力の低下が影響しているみたいで 悲しくなりました。
    一本電車に乗り遅れましたが かなり余裕をもってスタートしましたので 待ち合わせの時間には 十分に余裕をもって到着できました。その方との面談は 滞りなく終了しましたが 帰り道で 考え事をし過ぎてしまって 環状線で京橋で降りなければならないのに 一駅乗り越してしまいました。慌てて逆向きの電車に乗り 元に戻りましたが そんなに時間をロスしないで済みました。何とか夕方の診察時間に浜にあるように戻れましたので ホッとしました。久しぶりにネクタイを締めたのにも緊張しましたが 海苔なれない電車に乗って 慣れない人ごみの中を歩き回りましたので 相当にくたびれました。今夜はぐっすりと眠れそうです。明日からも仕事を頑張りましょう。

  • 3月25日 そろそろ桜が開花する時期なのでしょうか

    うちの近所の 名前も知らない木に花が咲き始めました。少しずつなのでしょうが 確実に暖かになってきているみたいです。すぐにまたきっと暑い日々がやってくるのでしょう。日本人は 何故か桜が大好きみたいで ほんの短い期間だけれど お花見を楽しむのかもしれません。但し 最近ウクライナの事もありましたし 地震騒ぎもありましたから コロナ禍の話題があんまり表立っては取り上げられていないみたいですが 今年のお花見も 昨年と同様に歩きながらで 桜の下に敷き物を敷いて 皆が集まって お酒を飲みながら 美味しいものを頂く 昔ながらのお花見は難しいのだと思います。桜の下に集まってワイワイやるお花見も 日本の大切な文化の一つだと思いますから 早く普通にお花見ができる状況になってもらいたいです。
    もうすぐ三月が終わって 新しい年度が始まりますから 学生さんや サラリーマンの方は 卒業したり 次の学校へ進学したり または就職して 出会ったり転勤して 立場や住居が大きく変わられる方もいらっしゃると思います。環境が大きく変化することは 不安もあるかもしれませんが 生活や人間関係も一変しますから 楽しみなことがあるのかもしれません。私たち人生の晩年を迎えた人間には 単に三月が四月になるだけの事なのですが 何の変化も訪れてくれない事が かえって寂しく感じられます。私の場合は 何とか一年以内に 仕事をリタイヤして 熊本へ移住しようと考えていますから 大きな変化が確実に待っています。勿論不安もありますが 楽しみでもあります。移住の予定が いろいろと都合があって 数か月遅れてしまいそうなので 残念ですが 仕事のできる残り僅かの時間を 大切に考えて 自分のできる事を生一杯頑張ろうと思っておりますので どうぞよろしくお願い致します。

  • 3月22日 安楽死を求められて 悩んでしまいました

    安楽死については 人間社会において 世界的にみて 認められている国もあれば 認められていない国もあります。日本では 認められていません。次元が異なる話かもしれませんが 極刑として死刑を認められている国と認められていない国があります。日本では一応認められていますが なかなかすんなり失効されていないのが現状かもしれません。安楽死も 死刑も 人間が意図的に 人間を死に至らしめる行為です。認められるべきなのか 認められるべきではないのか 正直のところ 私にはよく分かりません。
    動物病院では 極たまにですが 飼い主さんから その方のペットの安楽死を求められることがあります。癌などの凄く大きな苦痛を伴う疾患の末期に 痛みに苦しんでいる我が子同様のペットの苦しむ姿を これ以上見ていられないからと 仰ります。本日 安楽死を求めてこられた飼い主さんも 十四歳のトイプードルで 乳腺腫瘍の末期で 何か所からも排膿が始まっている 見た目的にもかなり悲惨な状態の子でした。年齢的にも かなりの高齢であり 食欲が衰退して一週間が経過して 他の病院に点滴に毎日通っておられたのだそうです。
    飼い主さんとしても 出来る限りの手を尽くしたけれど これ以上生きさせても苦痛が長引くだけだと判断して 安楽死を決意されたのだそうです。但し かかりつけの病院では 安楽死を拒否されたのだそうで 当院にやってこられたのだそうです。私は 積極的に 安楽死という究極的な処置を 行っているわけではありません。当院にかかりつけで来院されていて それまでの経過を私も飼い主さんも互いに十分に理解できている場合に 飼い主さんから安楽死を求められた場合で 私としても安楽死を選択せざるを得ないと判断できる場合には その処置を採用する場合があります。
    本日の場合 いきなり安楽死の処置だけを求めて来院されたので どうしたものかと困ってしまいました。取り敢えず 安楽死をせざるを得ないと判断するために その子の現状を出来る限り正確に把握するために 十分な検査を実施したいと申し上げた所 安楽死してもらうために来院しているのに どうしてこれまでにも散々実施された検査を繰り返されなければならないのか と尋ねられました。当院としても 安楽死しか選択肢がないことを判断するために検査が必要だと 丁寧に説明させていただきましたが ご理解いただけなかったので 安楽死という処置を実施しないで お帰り頂きました。
    死なせる患者に検査は不要だと主張する飼い主さんの言い分も 分からないでもありませんが かかりつけの病院で実施してもらえない処置だけを当院に求められても 対応できないのは 致し方がないと判断させていただきましたが 客観的にみたらどう対応したほうが良かったのでしょうか。私は この仕事を三十年以上継続してきておりますが 未だにどうするべきなのか分からない事案が幾つかあります。日本で安楽死が認められていない ことも果たして正しいのか 間違っているのか 分かりません。世の中には 分からない事が幾つもあるようです。本日来院した子が 苦痛で辛そうだったことは間違いありません。四の五の言わずに 楽にしてあげたほうが 簡単な処置で そこそこの売り上げにもなりましたから 受けたほうが良かったのかどうか 今も分かりません。多分いくら考えても 正解は見つからないように思います。正解が見つからないままに 仕事を終えるのだと思います。世の中訳の分からないことはいろいろありますよね。

  • 3月21日 「コロッケでご飯が食べられるか」論争について思う事

    世界的には ロシアのウクライナ侵攻が終わりが見えなくて 凄く大変な時期だし 日本でもコロナ禍が一向に収まる方向へ向かっていない 大変な時期なのに こんなどうでもいい内容で 意見を衝突させて楽しんでいてもいいのだろうか と思わないでもありませんが まあたまには何にも考えずに楽しく意見を交換する場があってもいいのかもしれません。取り敢えず 私はコロッケというのは 子供の頃から大好きな晩御飯のおかずでした。揚げたての 熱々のコロッケに とんかつソースをタップリとかけて 口の中に放り込むと 慌てて白ご飯が後を追いかけました。ソースまみれの千切りキャベツも 時々口に放り込みます。
    私にとって コロッケは とんかつやエビフライ 魚のフライなどと同じように たっぷりとソースをかけて ご飯のおかずとしていただいてきました。大人になってからは お肉屋さんで揚げたてのコロッケを購入して そのまま頂くことがありますから そんな場合はご飯の出番はありません。おやつ感覚で頂くコロッケもすごく美味しいのは認めます。只本音を言うと たっぷりとソースをかけて 白ご飯 千切りキャベツとともに頂きたいです。テレビのワイドショーで この話題が取り上げられていた時には 出演者の一人が 鶏の唐揚げでご飯を食べられない と言い出して驚きました。唐揚げ弁当は お弁当屋さんでは間違いなくトップを争う人気メニューだと思います。
    お酒を頂くときには 唐揚げはおつまみとしての役割を十分に果たす存在だと思いますが 私のようにお酒を全く飲まない人間に言わせると 唐揚げを食べたら やっぱり白ご飯を一緒に食べたくなってしまいます。私は焼き肉を食べるときには 白ご飯を食べません。私が行くのは当然焼肉食べ放題のお店ばかりですから 白ご飯を食べてしまうと お肉があんまり食べられなくなってしまうと考えるからかもしれません。ご飯は食べないけれど 栄養のバランスを考えて チシャの葉を山のように注文して 全てのお肉をチシャに巻いていただきます。脂っこいお肉やこってり味のたれが付いたお肉も 葉に巻いて食べれば あっさりといくらでも頂けてしまいます。だから私は 焼肉はご飯のおかずには ならない派かもしれません。
    その時話題に上がっていたのは カレーはご飯にかけて食べられるけれど クリームシチューやビーフシチューでは ご飯が食べられない人が 結構いるのに驚きました。我が家では 子供の頃 クリームシチューやビーフシチューが晩御飯のおかずとして 当たり前に出されていました。クリームシチューもビーフシチューも 味が濃いので 後から白ご飯を追いかけるのが 極当たり前に感じていました。シチューでご飯が食べられない と主張する人は パンの方が絶対にあうと言っていました。確かに学校の給食の時には 私たちの時代には 給食はパンオンリーでしたから カレーやシチューをおかずに 当然のようにパンを食べていましたから パンが食べられないとは申しません。でも日本人なら やっぱり白ごはんが食べたくなるのではないですか と声を大にして申し上げたいです。
    人によって 食の好みは千差万別で お好み焼きをおかずにご飯が食べられる大阪人が信じられないと 関東人ばかりではなくて 京都や神戸の人まで声高に発言します。私の家では 晩御飯にお好み焼きの日がありましたが 子供でしたから お好み焼きを食べてしまうと それだけでお腹がいっぱいになってしまうので 晩御飯がお好み焼きの時に 白ご飯を食べた記憶はありません。でも大人になってから 食堂などで お好み焼き定食があれば 平気で注文します。お好み焼きのソースの濃い味を食べた後には 白ご飯を口に放り込んで 美味しく頂けてしまいます。どうして大阪のこの食文化を 全否定されなければならないのか 理解できません。それから これはあんまり大きな声では言いたくないのだけれど 焼きそば定食は大好きです。まさに炭水化物プラス炭水化物ですから 肥満の素であるのは 分かりきっていますが 何故か焼きそばを食べると 私は白ご飯が食べたくなってしまうのです。焼きそば定食は お好み焼き定食と同様に 大阪以外では認められない文化なのかもしれませんが 好きな人がいるのだから メニューにもなっているはずなので あんまり白い目で見るのはやめにしてください。
    その時は 話題に上がっていませんでしたが ハンバーグで白ご飯を食べられない方が 結構いらっしゃるのでしょうか。ハンバーグ弁当も 唐揚げ弁当に並ぶお弁当屋さんの人気メニューだと思いますが ハンバーグと言えば ハンバーガーですから やはりパンとの相性の良さを 主張される方が少なからずいらっしゃるのかもしれません。確かに 洋食屋さんに出かけると ご飯にしますか パンにしますか と問われることがあります。パンを選んだ方がお洒落なような気はしますが やはり私は殆ど百パーセントご飯を選んでしまいます。ホテルの朝食で 和朝食と洋朝食を選ぶ場合も やっぱり白ご飯に味噌汁と卵焼きの和朝食を選びます。日本人なんだから当然だと思いますが このブログをお読みの方々は 如何ですか。私は恐らく死ぬまで 愚直に和のテイストを求め続けるのだと思います。変だと思われる方は どうぞお笑いください。

  • 3月20日 甲子園で春の選抜大会が始まったようです

    私は以前は 野球に非常に興味を持っておりました。プロ野球に始まり 高校野球も相当熱心に観戦しておりました。野球に興味を持ったのは 小学校四年生の時でしたから 当時の男の子としては 遅かったかもしれません。私は野球の複雑なルールがよく分からなかったので 興味が持てませんでした。只学校でソフトボールを体育の授業でやり 何とかルールを理解しました。ルールが分かってみると 野球はソフトボール以上に面白いスポーツだと分かりました。春から秋まで 毎日のように試合が行われるプロ野球に自然に興味が湧いてきました。
    最初はセリーグとパリーグの区別もつきませんでしたが クラスにいる二十数人の男子のうち 約十人が巨人ファン そしてやはり約十人が阪神ファンで 数や応援ぶりでもいい勝負をしていたように思います。但しその当時は巨人が九連覇の真っ最中でしたから 圧倒的に強かったです。私は子供の頃から 圧倒的に強い物 例えば自民党とか 巨人軍のような存在に 無条件に反発する気持ちが強かったので 巨人ファンにはなりませんでした。ならすんなりと阪神ファンになればいいのでしょうが 同じクラスに大嫌いな奴がいまして そいつが熱狂的な阪神ファンだったので 阪神ファンにもなりたくありませんでした。
    プロ野球に興味をしっかりと持ち始めた時期に 中日がたまたまナゴヤ球場で巨人に三連勝しました。高木 一枝 江藤 千原 葛城 木俣と並ぶ強力打線に魅了されて すぐに中日ファンとなりました。別に愛知県名古屋に何の縁もゆかりもありませんでしたが クラスでただ一人の中日ファンになりました。ガキの頃から ひねくれていたのだと思います。ただそれから 五十年ぐらい 中日一筋に応援を続けてきました。落合監督を解任するまでは 本当にドラゴンズだけをひたすら応援してきました。在任していた八年間 ずっと優勝争いをして 優勝四回 日本シリーズに五回出場して ドラゴンズを五十年以上ぶりに日本一にまで導いてくれた落合さんを 給料が高すぎるという くだらない理由で 解任した中日球団が 一遍で嫌いになりました。それ以来 中日ファンをやめて プロ野球ファンもやめてしまいました。
    同時に野球自体への興味も失われてしまったみたいで それまで楽しみにしていた春夏の高校野球に対する 興味も失せてしまいました。それまでは 地方の予選大会の情報まで集めて 自分で勝手に優勝候補をあげて 自分の予想が当たるか否かを 一人でひそかに楽しんでおりました。なのに プロ野球に対する興味を無くした時 ほぼ同時に高校野球にも関心がなくなってしまったのです。別に他のスポーツに関心が移ったわけではなくて それまで野球以外で関心の高かった ラグビーやアメリカンフットボールへの関心も 薄れてしまったような感じです。
    年齢が関係しているのかもしれませんが 五十代半ばから スポーツ全般に関する興味が希薄になってしまいました。まあその頃 乃木坂46に夢中になっていたからかもしれませんが さすがに乃木坂も一期生が殆ど卒業してしまい 四期生 五期生は何時まで経っても顔と名前が一致しないし みんな同じ顔に見えてしまうし でさすがに現在は 殆ど興味が湧いてきません。やはり物事には 流行り廃れがあるのだと思います。現在の私の興味は プレバトが切っ掛けで始めるといううお恥ずかしい話ですが 結構俳句に夢中になっています。ただ自分だけで 俳句を詠んでいても 独りよがりの自己満足に終わってしまいますから 何とか積極的に活動している句会に参加するか お師匠さんになっていただける方を見つけねばと思っておりますが コロナ禍のこの時期では なかなか見つからなくて 適切な指導が仰げなくて 足踏み状態が続いています。
    話を元に戻しますと 春の選抜大会が始まったみたいですが 予備知識が全くないので 有力な高校や有望な選手の情報が全くないので テレビで放送されていても 見る気になりません。今週中には プロ野球も開幕するのだそうですが こちらもワクワク致しません。やはり プロ野球の球団を応援すれば 幾らか盛り上がるのかもしれません。来年には熊本での生活が始まりますから ソフトバンクでも応援してみようかと思いますが どこまで本気で応援できるか自信がありません。でも 引退して暇になったら 何か夢中になって応援できるものが必要だと思いますので できたらソフトバンクファンになれるよう 努力してみようと思います。プロ野球に興味が復活したら また高校野球にも関心が出てくるのかもしれません。野球というのは スポーツの中で一番ルールが複雑で 一番面白いスポーツだと思いますから 是非若いころのように熱心に一つの球団を応援してみたいと考えます。

  • 3月10日 移住先に新築する家のメーカーを決めました

    以前大分県の杵築に家を建てるつもりでした。こちらの物件は 建築条件として ダイワハウスに建築を依頼することが決まっておりましたので 選択する楽しみはありませんが 逆にダイワハウスという日本でも一番信頼できるメーカーの一つに限定されていましたので 安心しておりました。所が 今度購入する予定の熊本県阿蘇市の土地は 同じようにダイワハウスが開発して管理している物件ですが ハウスメーカーを自由に選べるのです。有難い話のようですが 逆に日本に沢山あるハウスメーカーから 自分で選んで決めなければなりませんから 面倒と言えば面倒な葉内なのかもしれません。
    以前に住宅展示場を何度も回って 幾つものハウスメーカーを見て回りましたが その時点で 一条工務店というメーカーが 坪単価は高いけれど 品質のいい家を建ててくれそうなので 取り敢えずは第一候補として考えておりました。一条さんに連絡した所 熊本へ下見に出かけるタイミングに合わせて 現地に熊本での担当者を派遣してくれるという スピーディーで熱意のある対応をしてくれましたので 猶更評価が高まりました。順調であれば そのまま一条さんにすんなり決まりそうな流れでしたが 何と熊本での実際に家を建ててくれる大工さんの手配が混みあっていて 着工が年明けになると言い出されてしまいました。
    私としては 出来たら今年の夏ぐらいには 家を完成させて 引っ越したいと考えていました。まあ現実的に現在やっと土地を購入する段階で それから設計して家の条件 例えば外壁をどんなものにするか とか屋根の形や色をどのようにするかなど 決めていかねばなりませんし 間取りはある程度腹案がありますので すんなり決まるでしょうが 床材や壁紙の色や質を選んだり 台所のコンロや流しの配置など細かいけれど重要なことwも決めねばなりません。更には コンセントの数や位置なども考えねばならないみたいですから 実際に家を建て始めるまでの段階でかなりの仕事がありそうです。
    なので 現実的には すんなりと進んでも今年の末に完成するか否かみたいな 流れになりそうです。そこで次なる候補として考えていた 住友林業に連絡を取り話を進めていきました。前回の杵築の物件が 契約を結んだあとで 調査してみたら 販売できないと言われましたので 今度の熊本の物件も大丈夫なのか不安に思っていましたが ダイワハウスからは 土地の購入の段階になっても 何も事前の土地への調査について言い出されませんでした。住友林業の担当者からは 購入を決意する前に その土地の地盤などについての念入りな調査が必要だと言ってくれました。そのことで住林の方が 信頼できそうだと判断して こちらに建築を依頼することに決めました。
    どうにか 購入する土地が決まり 建築を依頼する会社も決まりましたので 何とか今年中には終の棲家が完成してくれそうです。結局今年いっぱいは 仕事を継続しなければならないみたいですが 残り少ない時間ですから 頑張って杭の内容にやり遂げようと考えますので どうぞよろしくお願い致します。

  • 3月7日 カメの直腸脱の患者さんが 深夜にお越しになりました

    直腸脱というのは 排泄や排卵が切っ掛けになる場合もありますが 肛門から直腸が反転して 脱出してしまった状態を言います。この現象は 犬や猫でも起こりますし ウサギやハムスターなどの小動物でもたまに見られます。爬虫類では トカゲで二三度経験しておりましたが 正直な所 カメの直腸脱は 初めての経験でした。それも 脱出している腸の分量がすごく大きいので 診察台で病状を確認した時には 果たしてうまく元の状態に戻せるのか 不安になりました。勿論飼い主さんに 上手く戻せる自信がありません 等と言えるはずもありませんから 早速逸脱してしまった直腸を肛門内に戻す作業に取り掛かりました。
    まずは飛び出している直腸にヒビテン液を吹きかけて消毒しました。ついで 潤滑剤を表面にたっぷりと塗って 肛門内に少しずつ戻す作業にかかりました。何しろかなり大きく脱出してしまっていますから 凄く苦労しました。汗びっしょりかいて 奮闘した結果 何とか肛門内にはみ出してきていた直腸をすべて肛門内に 戻すことが出来ました。但し 油断するとすぐにでもまたはみ出してきそうな状態でしたので 縫合すべきか 医療用の接着剤で肛門を閉じておくか 悩みましたが これまでの経験上 接着剤で肛門を閉じておいた方が 翌日ぐらいには 直腸も落ち着いてくれるだろうし 接着剤の保定力もちょうど消えるはずなので 体にかかる負担を考えて 接着剤で肛門を閉じる事にしました。
    只 カメの場合 生活の場が基本的に水中なので 心配はありますが まあ明日まで少なくとも十二時間ぐらい肛門が閉じていてくれれば 直腸が落ち着いてくれることを期待して お帰り頂きました。正直亀の直腸脱は初めての経験ですので どのように回復していってくれるか 今後の経過に不安がないではありませんが 何とか今回の処置で無事に収まってもらえたら 嬉しいです。初めてだから 出来ないと諦めてしまうと 経験値が上がりませんので カメの直腸脱という初めての病状に思い切ってチャレンジしてみました。いい具合に落ち着いてもらえることを 心から祈っております。  

  • 3月5日 ウクライナ問題で コロナ禍への注目度が下がっているので 岸田さんはホッとしているのではないでしょうか。

    ロシアの というかプーチンの独自の理論を展開しての 暴走には 呆れ返るばかりですが 私は今武力による侵攻が起こっているので 世界的な批判が起こっているウクライナ問題は 数年前にクリミア半島におけるクリミア自治国が ロシア計住民多いからでしょうが 国民投票で ロシアへの併合を望みました。プーチンさんが喜んで受け入れたので 武力的なぶつかり合いはなかったけれど ウクライナの一部が極当たり前のようにロシアへ迎合されてしまいました。その時に もっと世界が注目して ウクライナという国の主権を重視して ロシアの横暴を非難すべきだったのではないかと 思ってしまいます。プーチンさんの頭の中で ウクライナ全土がロシアの領土だと認識されてしまった瞬間だったように思われます。
    現在 毎日のようにウクライナの非戦闘員である一般国民が ロシアの一方的な攻撃によって 少なからず命を落としています。悲惨で残酷極まりない映像が 毎日のように報道されていますから ロシアへの非難は増すばかりです。ただ不思議なのは 湾岸戦争の時のように どうして国連軍やNATO によるウクライナ救援軍が組織されないのでしょうか。何故経済制裁ばかりに拘り ロシア軍を駆逐する対策を取らないのでしょうか。ロシアが国連安保理の常任理事国だからなのでしょうか。アメリカの大統領が ボケたお年寄りだから 積極的な政策が出来ないからなのでしょうか。この悲惨な戦いが どのような形で決着がつくのか 見当もつきませんが 一般国民が被害を受けているのですから 一日も早く治まってくれることを心底願います。
    ロシアの領土拡大欲が 世界を敵に回してでも 満たしたい欲望だという事が よく分かりましたから 日本はいい加減で北方領土問題など 放棄すべきではないでしょうか。日本のこれまでのロシアへの姿勢は 懸命にロシアへ尻尾を振って 恭順の姿勢をアピールしていれば 何時かはきっとロシアが機嫌を直してくれて北方領土を返してくれるかもしれない という儚すぎる夢ばかりを追いかけていました。ロシアは世界で一番広い 領土を持っているのだから 北方領土なんて小さな島々はいつか返してくれるに違いない という大きな勘違いに基づいての 対応ばかりでした。
    第二次世界大戦の終戦のどさくさに紛れて ロシアに掻っ攫われた北方領土ですが 戦後数十年が経過して 現在その島々では 既に二世帯にわたってロシア人だけが生活しているのです。客観的にみたら 北方領土は どうしたってロシアの領土なのです。昔日本の勢いが良かった時代には 北方四島ばかりではなくて 樺太の領有まで目指していた日本ですが 時代は変わってしまったのです。いい加減 北方領土問題に対して 百パーセント無駄な努力をするよりも そのエネルギーをもっと日本に実質的に役立つ方向へ向けるべきだと私は思います。
    似たような理由で 竹島を日本の領土だと主張するのも 止めにした方が賢明だと思います。日本は 竹島は日本の領土だと主張していますが 現実に竹島に上陸しようとすれば 韓国を経由して 韓国の許可がないと上陸できないのだそうです。世界の国々が この状況を見たら ほぼすべての国々が 竹島は韓国の領土だと判断するでしょう。本気で 竹島を日本の領土と主張するのなら 自衛隊が韓国軍と戦争を起こして 軍事的に竹島を取り返すしかないように思います。それが出来ないのなら すんなりと竹島を韓国に譲り渡すしか 無いように思いますが 如何でしょう。このブログで何度も書いておりますが 北方領土を本気で取り返したいのなら 第二次日露戦争を起こすしかないのです。出来ないのなら 北方四島は ロシアの領土と認めるべきでしょう。
    ウクライナ問題について 書こうと思っていましたが 領土問題ばかり書いてしまいました。ウクライナの数千万人の国民が せめて安心できる土地への非難が スムーズに進むことを 心より願っております。それからウクライナ問題にかまけて 岸田さんが コロナ対策を十分に行っているのかどうだか 疑問に思います。まん延防止の処置を 無意味に延長していますが 根本的な解決に向かうには 新型コロナ感染症に対する認識を 一日も早く改める事しかないように思います。イギリスやフランスが 普通の風邪 インフルエンザと同等の病気として扱う政策をとっているみたいです。私は日本も早く見習うべきだと思いますし、このコロナ禍の終焉は そこにしかあり得ないと考えます。
    愚かな日本国民は 兎に角厳しい処置を政府が出すことばかりを歓迎しますから 支持率を気にする岸田さんが そんな画期的な決断ができるはずないことは 分かっています。でも今後ずっと続く自民党の一党独裁政治でも暮らしやすい日本になっていってほしいと願います。ウクライナ問題と同様に コロナ禍の終息も まだまだ当分先の話になりそうで 残念です。

  • 3月4日 我が故郷 見渡すかぎり 山笑う

    久しぶりに 一句詠んでみました。現在の私は 落ち込んでしまって 心が荒み切っていますので 俳句を詠むほどの余裕がありませんでした。でも何とか最悪の事態から脱出できそうな目途が立ってきましたので しばらくぶりに俳句作りに取り組んでみました。特に自信作が出来たわけではありませんが ブログで俳句を久しく発表していませんので 別に読んでくださる方が 楽しみにしていてくださるなどとは 微塵も思いませんがせっかく作った句をご賞味いただきたくて 発表いたします。
    私にとっての生まれ故郷は 福岡県なのですが 幼稚園から大阪で通いましたので 殆ど記憶にありません。大阪に来て すぐに2DKの狭い団地に移り住みましたが 今思えばとても狭かったです。子供ですから それ程不自由は感じませんでしたが プライベートなんて全くありませんでした。中一の時に 交野市の一戸建てに引っ越しました。待望の自分の部屋も与えられましたので この辺りからの記憶がはっきりくっきり鮮明に残っています。私にとっての故郷と言えば 人生で最も多感な中高生時代を過ごしましたから 気持ちの上では この交野の地と言えるのかもしれません。
    枚方市の団地から引っ越した直後は 交野市はどこに行っても田んぼが見える とんでもない田舎に引っ越してきてしまったように感じておりました。引っ越した直後の住所は 北河内郡交野町という何ともローカルな響きがありました。数か月後 何とか人口が三万人を超えたので 交野市に変更されましたので正直な気持ち ホッとしました。住めば都で 徐々に友人が出来てきたので そこそこ楽しく中学時代を過ごしました。勿論女の子には 全くもてない寂しい暮らしでしたが 私の時代には 中高生活で彼女が出来るのは 見た目のカッコいい選ばれた人だけの 特権のように考えて 自分を慰めておりました。恥ずかしながら 自分の満たされない欲求も せっせと自ら慰めておりました。
    交野市からは 恐らくどこにいても交野山が見えたように思います。頂上にご神体と言われる巨石がありました。交野山に連なる山々の変化で 季節の移り変わりを感じられたような気がします。「山笑う」という季語は 山が色めき始めて 少しずつ春を感じられるようになってきた頃を表しているようです。落ち込んで ボロボロになった私の気持ちが少しでも明るく楽しい方向に向かってほしくて こんな句を作ったのだと思います。人生には いい時もあれば 悪い時もあるように思います。現在最低最悪なのですが これ以上落ちようがないので 上向くしかないと思いたいです。私の人生にも ほんの少しでも光がさして 明るい方向に踏み出せることを祈る気持ちを込めました。このつまんないブログを読んでくださる有難い方々の人生も いい方向に向かわれることを心よりお祈りいたします。

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