Dr.喜作のブログ

2020年6月 の記事一覧

  • 6月30日 本日で今年も半分が終了してしまいます

    いつもながら 区切りの日に思う事は 今年半分が終わってしまったのに 何にも自分の目標が達成できていない事への後ろめたさだけです。この半年は コロナ騒ぎで明け暮れていて その病気の正体としては 本当につまらない風邪モドキの 大して恐れるに足らない疾病であると少なくとも私は信じておりますが 凄く沢山の方たちが 現在も非常に苦しんでおられますし 自殺された方が ひょっとしたら病気で亡くなられた方を上回っているのではないかと思ってしまい 非常に残念無念な半年でした。
    そんな悲惨な状況の半年でしたが 非常に有り難いことに 病院の仕事には 殆ど影響がなくて 例年通りの忙しさで 例年通りの売り上げが上がっておりました。まあ元々 そんなに流行っている病院でもありませんけれど。 人間の病院も新型コロナ感染症と直接かかわって その対応に大変な苦労をされたところもあれば 診療科目的にコロナ騒ぎとは直接関連のない病院ですら 病院全体が危ない場所であるような風評被害があったのかもしれませんが そこそこ売り上げがダウンしたのだそうです。ただ普段から 余りに儲けまくっておられる業種ですから 幾らか利益が減少しても 飲食業やカラオケ屋さんなどに比べると まあ良いのではないかと思ってしまいます。
    それにしても アベチャンの無責任さと 無能さをつくづく痛感させられた半年だったようにも思います。あれだけ自分と自分のお友達の利益しか考えていない政治家なのに そしてその悪事に対する責任逃れのために姑息なあざとい動きを散々しておいて しかもその狡猾さを殆どの国民が知ったにも拘らず 仕事や学校のお休みや 外出の自粛などの要請に きちんと従った 日本国民は ある意味本当にお目出度い人たちだなあと 呆れ返ってしまいます。とりあえずは 極端に外出を自粛したので 見た目には 感染症の確認される数が 減少して見えて アベチャンのとった政策が上手くいっているように見えないでもありません。但し根本的な解決策を何一つとして実施できていないのですから 臭いものにきっちりと蓋をしたので 取り敢えず臭いにおいがある程度おさまっただけのことで これから徐々に蓋を取り除いていけば ほぼ間違いなくまた臭いにおいが 蒸し返してくるのは必定だと思います。
    それに 国が半強制的に仕事を休ませる以上は その間の金銭的な補償をこれまた国がするのは 幼稚園の子供でも理解できるはずの 当たり前すぎる事なのに 仕事が普通にしたくてたまらないのに まともにできなくて 苦しんでおあられる人たちへの有効な政策を何一つ実行していません。この半年の政治家としての無能ぶりだけでも 総理を罷免する理由としては あまりあるように思いますが アベチャンは相も変わらず踏ん反り返っています。アベノマスクの無駄な五百億円で 凄く沢山の苦しんでおられる人たちを援助してあげられたのに と真剣に考えてしまい 悔しくて涙が止まりません。
    国民一人当たり十万円給付するのも 枚方市民である私には いつまで経ってもお金が振り込まれてきません。父は交野市民なので 六月末に振り込まれることを知らせる通知が届きました。こんな通知が果たして必要なのでしょうか。交野市の人口が約七万六千人位だと思いますが まあ一世帯に一通送ったのかもしれませんが 約三万通の送料と紙代 印刷代 封筒に入れる事務作業代などを合わせると 数百万円の無駄遣いではないかと思います。そんな通知出さなくても 自分の通帳を記帳すれば 振り込まれた期日と金額(十万円に決まっておりますが)誰にでも確認できるのです。数百万円あれば 本当に困っている方の援助にあてると そこそこの人数の方たちが ホッと一息付けたのかもしれません。本当に公務員というやつらは 自分たちが稼いだ金ではない税金をじゃぶじゃぶと湯水のように平気で無駄遣いしています。
    御免なさい 半年過ぎても 私の今年の目標である 体重を減らすというある意味自分を律することさえできれば 誰にでも実現できる目標なのに 全然達成できていないことを大いに反省しようと思って書き出しましたが 政治家と役人の無能さに対する いつもの愚痴ばかりをこぼしてしまいました。私も 偉そうなことは全く言えない 愚かな無責任極まりない人間であることを ここでもう一度よくわきまえて 真摯に自分の目標と対峙しようと思います。残されたあと半年 頑張ります。

  • 6月28日 昼カラオケ なるものが 感染症のクラスターになるのでしょうか

    そもそも昼カラオケとは あまりこれまで耳慣れない言葉のようにも思いますが スナックや喫茶店などで、昼間に軽食や飲み物とカラオケがセットで提供される形のサービスの名称なのだそうです。わたしは 酒を飲まないのでスナックには出入りしないし 最近は喫茶店にも殆ど出入りしておりませんので 大阪の私の近所にも このような形態のサービスをしているお店があるのかどうかも知りませんし 興味もございません。カラオケルームが現在のように普及するまでは カラオケと言えば スナックなどの飲み屋さんで ワンフロアーに 小さなステージがあって マイクが一本あって お店のお客さん全体の前で 順番に皆に聞かせる形で 歌うのが主流でした。全く知らないお客さんの 初めて聞くようなジャンルの曲にも お愛想で拍手をして 歌いだしてもらって やっぱりお愛想で 歌い終わったら笑顔で拍手するのが お約束のようなものでした。
    ですからそのお店に一二時間いたとしても 自分が歌えるのは多くても二三曲であとは お愛想笑いでのお付き合いという 退屈極まりない形態でした。今でも このような昔ながらの形でのサービスをしているお店が 北海道には 結構あるのかと 驚いております。私も カラオケは大好きで コロナ騒ぎで カラオケ屋さんがどこもかしこも休業してしまうまでは 月に少なくとも一度や二度は 奥様と田舎のオンボロなカラオケルームに通っておりました。二人で行きますと 二から三時間の間に 相手が歌っている間に次に自分が歌う曲を入力するのが 暗黙の了解のルールですから 一人十五曲から二十曲ぐらいは歌って 思い切りストレスを発散しておりました。
    歌うという行為は 思い入れを込めて 普通に会話するよりも 気合を入れて 大きな声で発生しますから お持っている以上に飛沫が その近所に飛び交う行為なのかもしれません。スナックや喫茶店で 座っているその場で マイクが回ってきて歌うのなら 隣近所の人たちに もし病気にかかっている人が存在したら うつしたりうつされたりするのは 起こりがちな状況なのかもしれません。まあ緊急事態宣言が発令されている期間は 当然皆さんが普通の外出でさえ 控えておられたのでしょうし こんな形態のサービスを提供するお店自体が 営業を自粛しておられたのでしょうから 久しぶりにそんなサービスを受けられる機会があるのならと 張り切ってお店にお客さんたちが集合されたのも 致し方のないことかもしれません。
    勿論お店としては 出来る限りの感染症対策を実施しておられたのでしょうが そこはお客さんたちの意識の問題で 感染症の伝染を抑え込むことが出来なかったのかもしれません。なんでもクラスターの舞台となったお店の名前が 一部公表されたのだそうですが クラスターとなってはいないお店までが 感染者発生 等とデマをネットで流されて 風評被害を受けておられるお店もあるのだそうです。長いこと自粛して休業していたお店をようやく再開して 十分に感染症対策を実施していて 現実に感染者など発生していないお店が 単なるデマ そこに悪意があっての事なのかなかったことなのかはさっぱり見当もつきませんが じっと我慢して営業を自粛していて ようやく慎重に再会したばかりなのに 詰まらない誤った情報のために ピンチになっておられるお店のことを考えると 本当にお可哀そうです。一旦 発生してしまうと 風評被害というのを 払拭するのには 大変な手間暇と 時間がかかるのだと思いますが 同じ個人商店の経営者としては 何とかこんなくだらないことから始まったピンチを 上手く乗り切っていただきたいと 心から応援致します。

  • 6月27日 ネスカフェゴールドブレンドはやっぱり美味しいです

    1967年に 発売を始めたのだそうですが とうじのCMのキャッチコピー「違いの分かる男の ゴールドブレンド」というのが 凄く印象的でした。それまで発売されていた 所謂粉末のインスタントコーヒーとはフリーズドライ製法によって 顆粒タイプなので 見た目も違うし ラベルもキャップも 金色で豪華な雰囲気を醸し出していました。実際に お湯を注いだ時にたつ香りが それまでの粉末のものとは全然違って 凄く香ばしくて 同じインスタントなのに 夢のように美味しくなったのを子供ながらも 割とはっきりと覚えています。
    発売されてから 五十年以上が経ちます。価格がどのように変遷したのか 全く覚えていませんが 現在 よく行く近所のスーパーで 二本で千円ちょっとと安売りをしているときだけ買うようにしています。普段だと一本七百円近くするので けちん坊の私には 手が出せない贅沢な商品なのです。別に一本当たり二百円近く 高くついても 120グラム一瓶で 数十杯はコーヒーを楽しませてもらいますから 一杯当たりほんの数円高くつくだけだと分かってはおりますが 恥ずかしながら 本当に根が貧乏人なので 手が出せない贅沢品だと思ってしまいます。
    とはいえ 暑い時期には 毎朝奥様と二人分 アイスコーヒーを作りますので 割とすぐにコーヒーは無くなってしまいます。そんなときには 他のメーカーの 価格が大分安い商品を購入してしまいます。殆ど半額位で 買えてしまいますので 時々手を出してしまいます。AGFやUCCなど 一応名の通ったメーカーだし 見た目は同じ顆粒タイプなのに 何故かゴールドプレンドに比べて 美味しくないのです。湯を注いで立つ香りは コーヒーの香りなのですが 香ばしいというよりもどことなく焦げ臭いように感じてしまうのです。
    恐らく私と同様に感じておられる方が 沢山いらっしゃるから ゴールドブレンドは 価格が類似品の倍ぐらいもするのに ずっと販売され続けているのだと思います。やっぱり誰もが美味しいと感じるから 価格は高くても 買う人が少なからずいるので ずっとスーパーで販売され続けているのでしょう。同じスーパーへ買い物に出かける人たちですから 皆一円でも安く買い物したい気持ちは お持ちなのだと思いますが それでも美味しいものには つい手が出てしまうのだと思います。私は根っからのけちん坊なので これからも二本まとめての安売りしているときしか 買わないと思いますし どうしてもインスタントコーヒーが切れてしまった時には またほかのメーカーの安い商品を購入して きっと後悔し続けるのだと思います。
    昨日 安売りをしていたゴールドブレンドで作った アイスコーヒーは やっぱりほかのメーカーのものよりも ずっと美味しく感じました。私も 老い先それほど長くはないのでしょうから 幾らか高くついても 美味しいと感じるものを飲んだり食べたりするべきだと思いますが ついつい安売りしているときしか 手が出ない自分を情けなく思ってしまいます。別に他のメーカーの安いコーヒーでも飲めないことはないからかもしれません。でも一杯当たりほんの二三円の違いですから やはり美味しいと感じるゴールドブレンドを今後購入するように心掛けようと思います。

  • 6月26日 病院の二階のエアコンの冷房のスイッチをオンにしてしまいました

    まだ六月なので せめて七月になるまでは 何とか扇風機だけで 辛抱しようと思っておりましたが ベッドに寝転がっているだけなのに 汗をじっとりとかいてしまって シーツがジトっとしましたので 仕方なくクーラーの使用を始めてしまいました。病院の二階は 所謂LDKなのですが そこにベッドを持ち込んでおりますので 寝室も兼ねております。この二階の部屋が とにかく広いのです。二階にはこの部屋と風呂場とトイレ 階段の部分を差し引いて勘定したら どう考えても三十畳以上の広さがあるのです。住み始めたころには それこそ天井も高いので キャッチボールが出来そうだし 駆けっこだってできそうにひろくかんじて 嬉しくなっておりましたが 一月もしたら その広さに慣れてしまって 特に広い部屋だとは思わなくなってしまいました。
    そんなに広い部屋なので この部屋で十分に働いてくれるエアコンを 探すのにも一苦労しましたが 大きな電気屋さんで 取り寄せてもらって ようやく設置してもらいました。室内機は 普通のエアコンに比べて さほど違いを感じませんが 室外機は 凄い大きさなので 驚きました。何しろ八畳用のエアコンの四倍のパワーが必要なのですから 当然かもしれません。このエアコンを使用するとなると 相当な電気代が発生するのは 当然かもしれませんが 根がけちん坊な私は なるべくこの大きなエアコンのスイッチをオンにしないように心掛けております。
    冬の寒い時期には なるべく炬燵に潜り込んで 暖を取り部屋全体の暖房は よほど体調が悪くて寒気がする時ぐらいしか辛抱します。冬場は それでも寒ければ 布団に潜り込んで 毛布に包まれれば 何とか耐え忍べます。所が夏の暑さは 何とか扇風機で 凌げるうちは 凌ぎますし 一人で生活しておりますので 暑ければ来ている服を脱いで更には 暑さをかわそうと試みます。しかし 暑さに耐えるのには 直ぐに限界を迎えてしまって 本日のように耐えがたい日は エアコンで冷房を入れずにはおれません。あまり頑張っても 熱中症などになってしまっては 心臓病を患っている年寄りですから 命に関わるかもしれません。下手に無理をして突っ張るよりも 涼しい環境を整えて 元気に夏を乗り切ったほうが 結局は良いように思います。
    但し 人間は 快適な環境には 直ぐに馴染んでしまいますので 本日エアコンをいったん使い始めてしまうと 恐らく明日以降も 直ぐにエアコンのスイッチをオンにしてしまいそうに思います。まあ病気持ちの年寄りなのですから 文明の利器の恩恵には 十分に預かった方が 長生きにつながるとは思いますが なんとなく自分が夏という季節に 敗北してしまったようで 悔しいのです。自分を甘やかしているようで どことなく 後ろめたい気持ちになってしまいます。
    まあ 素直に夏の暑さに負けたことを認めて 受け入れて生活していこうと思います。今年も暑くてつらい夏が始まってしまった事実を受け入れて 涼しく 快適に過ごしていくしかないのは 分かっていますが やっぱりチョットだけ悔しい気持ちです。

  • 6月25日 久しぶりに法務局へ出かけました

    法務局というお役所は 市役所などと違って 普段あまり用事がない 一般の方にとってはなじみの薄いお役所かもしれません。法務局の主なお仕事は 不動産登記という聞きなれない言葉が当てはまるのだそうです。土地や建物の所在・面積のほか,所有者の住所・氏名や権利関係などを登記簿に記録し,これを公開することによって,権利関係などの状況が誰でも分かるようにして,取引の安全と円滑を図る役割を果たしておられるのだそうです。まあ日常生活とは あまり関わり合いがありませんが 私が初めて法務局を訪れたのは 現在開業している病院の土地と建物を 購入するときに その土地と建物が奇麗な状態 つまりどこか知らないところに担保設定デモされていないか 念のために確認しに来た時 一度だけです。
    本日 凄く久しぶりに 法務局を訪れたのは 先日のこのブログにも書きましたが お恥ずかしい話ですが 父の認知症が 私たち家族が気づかないうちに 相当に進行してしまっていて 最近十年間ぐらいの間に 株式の投資に大失敗をしてしまったみたいで 数千万円の損害を被ったことが 最近実家に山積みされている書類や父の手帳やメモによって 明らかになってきました。さらには 株式の損失を何とか一気に取り返そうと欲をかいて 二度も同じ詐欺グループにカモにされて やはり数千万円のお金を騙し取られてしまっていました。一度目は 詐欺に引っ掛けられたと気づいて 慌てて裁判沙汰にしたようです。一応詐欺グループの非が認められて 被害に対する返還命令が出されたみたいですが 詐欺グループから お金が取り返せるわけがありません。二度目は 詐欺にあったことに気づいても 何もせずに諦めてしまったみたいです。
    まあ父がため込んだお金を どんなことにつぎ込もうと 私たちがとやかく言う筋合いではないのかもしれませんが 凄く勿体ない話です。これが 父の趣味の油絵の 巧妙な贋作でも売りつけられたのだったり 若いお姉ちゃんに その気にさせられて 金を貢がされたのだとしたら 一瞬でも父自身が 良い思いをしたのかもしれませんから 苦しいけれど 何とか笑い話と考えようと思えるのかもしれません。でも父は そもそもバブルがはじけた時に 相当な金額を株式投資で失っているのです。同じ過ちを繰り返すなんて 本当に愚かなお金の失い方だと思います。
    父が株で大損をした という情報をどこかから入手したかのような タイミングで 詐欺グループが近づいてきました。ある会社の株をある程度まとめて購入して 転売すれば 数千万円儲かる なんていう普通に考えたら あり得ない話を 巧妙に持ち掛けて 人一倍けちん坊な父をその気にさせたのですから さすがにプロの詐欺グループです。そんなうまい話が 世の中に転がっているわけがないのに 何故かすっかりその気にさせられてしまったのです。それも一度ならずに度も続けて。詐欺の被害にあった金額が やはり数千万円にも及びますから お金の出所が心配になってしまいました。ひょっとしたら 実家の土地と建物を担保に借金でもしていないか という疑惑が湧いてきましたので 本日実家の土地の謄本を貰って 現在どこにも担保設定がされていないことを確認して ホッとしました。
    父の遺産は 実質私と妹で とうぶんするはずですが この十年で五千万円以上も失われたことは 正直ショックですが まあ父としても 何とか財産を増やそうとして 頑張ってみた結果がすべて裏目に出てしまったのでしょうから 致し方がありません。それにしてもこの十年は 父にとって余分の人生だったのかもしれません。現在も認知症がひどく進行した中で 相変わらず我儘放題に行動して 周囲に迷惑と心配をかけているので 最後ぐらい皆に褒められて 惜しまれるような花道を飾って欲しいものです。

  • 6月24日 父の認知症の進行度合いが かなり心配です

    昨夜 仕事が終わってホッとしていたら 骨折して入院している父から電話がかかってきました。25日の木曜日退院するので その準備をしてほしい との事でした。普通は 退院のめどが立ったら 退院の準備や迎えの段取りがありますし 治療費と入院費の準備もしなければなりませんから 家族に病院から連絡が入るはずなのに 何の連絡もないので どうしたものかと思って 取り敢えずは父を預けている施設に 本日朝一番で 電話をしてその辺りの状況を 確認しましたら 何と木曜日の退院というのは 父の勝手な妄想によるものだと分かり 愕然としました。
    認知症が ある程度進行してくると 喋る口調などにも それらしい普通ではない 気配が漂うのが一般的だと思いますが 私の父の場合 自分の意見を発言するときには 常に自信たっぷりで はっきりと断言するので うっかり家族である私が 信用してしまうのです。数日前にも 実家にあるはずの重要なもの 例えば実印と印鑑証明のカードや 銀行の通帳 保険の証券などを 私が預かって 管理するために 父を実家に連れて行きました。それまでは その類の重要なもののありかは 実家に帰れば 直ぐに思い出す と自信たっぷりに断言しておりましたが 実際に実家に連れ帰って それらの書類を探しましたが 殆ど見つかりませんでした。父は自分ではしっかりしているつもりなのかもしれませんが 現実には 殆どなんの管理能力もなくなっているのです。
    困ったことには 父自身が 自分が相当にボケてしまっている という事を全く自覚していないので 何でも自分でやりたがるのですが そんなボケてしまった父では やることなすこと 的外れのポイント外れ 時期遅れで 結局は私が尻拭いをしなければなりません。実の父親のすることですから まあ致し方のないことだと思って 黙って後始末をしておりますが そんなことが続くと 父は自分が物事をきちんと処理する能力がすでに失われていることを なかなか自覚してくれないのが 正直腹立たしいし 困っている所です。
    私は このブログで何度も書いておりますが 糖尿病と不整脈という心臓病 という二つの厄介な不治の病を抱えておりますので 平均寿命の80歳まで とても生きられないと思っております。父は93歳まで 何とか頑張って生きておりますので それはそれで立派なことだとは思いますが あまり周囲に迷惑をかけるだけの存在として 長生きするのは 如何なものかと思ってしまいます。実の父の事ですから 早く寿命を迎えてほしいなどとは さすがに思いませんが若いころから 言いたい放題 やりたい放題の人生を送ってきましたから ストレスなど一切感じないで 生活していたから ここまで長生きできたのかもしれませんが せめて人生の散り際位は 人から惜しまれるような形で最期を迎えてほしいと考えます。
    私は 最近物忘れや うっかりした行動が 増えてきていることを自覚しておりますし 奥様からの呼称も「ボケ爺さん」が定着しておりますから 父親がこの年齢で ボケていること自体は 仕方がないことだし 恥ずかしいことだとも思いませんが 相も変わらず言いたい放題 やりたい放題の人生を貫こうとしているようで 困ってしまいます。父の知り合いや友人たちは他人様ですから 相応に距離を取って 付き合ってくれているのかもしれませんが はっきり言って 親戚関係の評判は 最悪であることが 息子の私にさえ伝わってきております。勿論 私だって人に褒められるような生き方は 全くできておりませんが 一応最低限度の礼儀と節度はわきまえて行動しているつもりです。父も亡くなった時に 幾らかでもいい所があったと 思い出せるように 今後の行動を幾らかなりとも改めてくれることを期待しますが まあ難しいのだと思います。

  • 6月23日 1960年の本日から 三年間「ララミー牧場」という西部劇の名作が 放送されました。

    正直申し上げて 私が小学校に上がる前の話ですから リアルタイムに放送されたのは 殆ど知りません。木曜日の夜八時から放送されていたのだそうですが 私は恥ずかしながら 小学校低学年の時は 八時に寝ておりましたので 幼稚園に通う子供が 西部劇に興味を持つはずもありませんから、初めての放送の時には 全然視聴できていないと思います。但し主演したジェス・ハーパー役のロバート・フラーは風貌もカッコいいけれど 凄い早撃ちだったし 何よりもその投げ縄のカッコよさに 凄く憧れたのを覚えていますから おそらく夕方にでも再放送されたのを見たのだと思います。当時 アメリカのテレビドラマと言えば 私はとにかく西部劇が印象に残っています。
    他に印象に残っている西部劇といえば 「ローハイド」や「ライフルマン」も微かにですが 覚えています。「ローハイド」の場合は その印象的な主題曲が 凄くカッコよかったので 歌詞を何とか調べて 口ずさんでいたのを覚えています。「ララミー牧場」は 当たり前ですが 牧場を舞台にして その日常に起こる様々なトラブルや嬉しい出来事が 題材にされていましたが、「ローハイド」は約三千頭の牛をテキサスからミズーリまで移動させる道中に起こる出来事やトラブルを題材にして描かれていましたから 何時も違う光景の中で話が展開していきますので よりスリリングで面白く感じていたように覚えています。
    当時は 勿論白黒放送でしたが 再放送されたのを見ると 結構カラー放送になっていましたから アメリカでは 日本よりもずっと早くから カラーテレビが普及していたのかもしれず やっぱり文化の程度に 当時は大きな差があったのかもしれません。その後 日本の技術が 電化製品でも 世界のトップ水準にたったことがあるのが 現在の廃れてしまった日本の状況から見ると 不思議に思えなくもありません。日本人が 第二次世界大戦で 初めて敗戦国となり 何とかその惨めな状態から 立ち直ろうと必死に頑張っていた時期があったという事だと思います。その後日本人は エコノミックアニマル 等と呼ばれて 頑張りすぎていることを 世界中から指摘されてしまったので 勘違いして ゆとり教育なんていうとんでもない方向に 舵を切ってしまったがために 現在の日本の体たらくが始まってしまったのだと思います。
    現在 コロナ騒ぎで 世界中が 混乱していて 低迷状態ですから 何とか日本は上手く対応して かつてのような勢いのある国情に戻ってもらえたら 嬉しいのですが アベチャンが総理の椅子に座り続けているのでは 全くそんな期待は出来ませんね。 

  • 6月22日 沖縄旅行に出かけられた間預かっていたワンちゃんを 元気にお返しできました。

    本当なら ゴールデンウィーク明けに 旅行に出かけられるはずのご予定でしたが コロナ騒ぎのための外出自粛のために 飛行機も飛ばなくなってしまい 旅行を延期されていました。いろんな会社が 仕事を自粛している期間 かなりの割合の方が 自宅待機になりましたが こちらの飼い主さんは お子さんがいらっしゃらなかったので 当たり前かもしれませんが 学校が休みなので 子供さんのいらっしゃる人は 優先的にお休みする形になり 普段の二~三割しか人数的には 出勤しないのに 仕事の量は いつもとほとんど変わらないので 毎日凄くしんどい思いをされたのだそうです。そのうえ 貧乏くじを引いて ほとんど毎日出勤させられて いつもよりもしんどい思いをさせられたのに もらうお給料は ずっとお休みを貰って子供の面倒を見ていた人たちと 殆ど差がないのだそうです。
    ようやく 仕事の厳しい自粛が徐々に解かれて 普段通りの仕事のスタイルに戻り 子供たちも学校に通い始めた時期なので 頑張った自分へのご褒美として 一週間ほど 沖縄旅行を再び企画されたのだそうです。直前になって 予定されていた飛行機が飛ばないなどというアクシデントにも見舞われましたが 何とか少しだけ日にちをずらして ようやく旅行に出かけられることになったので 大事に飼っておられるワンちゃんを一週間ほどお預かりすることになったのです。柴犬のかなり神経質な子なので 以前通っていた病院の場合は 敷居を跨がせるだけで かなり苦労されたのだそうですが 何故かうちの病院と そして私との相性が良かったみたいで 病院にも喜んではいるし 一月に一回ぐらいシャンプーをするときには かなり嫌がりますが それも洗って乾かしてが終わると 直ぐにまた私に馴染んでくれますので 飼い主さんとしても安心して預けていただけるのだそうです。
    梅雨入りしている時期でしたが 運よく沖縄では 最後の日以外は 快晴が続いて 凄く充実した時間を過ごされたみたいです。奥さんは 日焼けに気を付けておられたのでしょうがご主人の方は顔が真っ赤になるぐらい日焼けしておられましたから 泳いだりもなさったみたいです。この前見たテレビで 放送されていましたが 沖縄の人は 南国にお住まいですし 海も身近にありますから 子供のころから 海水浴は嫌というほどやってきたので 大人になると殆ど海で泳がないのかと思っていましたが 沖縄の小学校などには プールという設備が全くないので 水泳の授業もなくて 沖縄の人は殆どが泳げないのだそうです。泳げないから 必然的に海には 入らず砂浜で テントを張って お酒を飲んで大騒ぎするのだそうです。そういえば 沖縄のお風呂には湯船が殆どありませんから シャワーを浴びる文化しかないみたいで お湯にしろ海にしろ 水に浸る習慣が殆どないのかもしれません。
    そんなわけで 一週間ほどお預かりしたワンちゃんは 最後の日にシャンプーをしたときだけはかなり抵抗してくれましたが それ以外は ご機嫌で快眠快食快便でご機嫌の状態でお帰り頂けました。時々家に帰ってから 緊張が解けたせいか 病院では元気にしていたのに どっと気疲れしたのを開放するために 大人しくなってしまう子もいますが この子の場合はそんな心配もないでしょう。私も 九月位になったら コロナ騒ぎもある程度おさまってくれているのでしょうから また大分県の移住先へ 出かけてみようと考えております。いつ頃コロナ騒ぎの第二波がやってくるのか見当がつきませんが このまますんなりと収束してくれることは あり得ないと思いますけれども 九月にはゆっくりと旅行ができるようになっていて欲しいと願っております。

  • 6月21日 本日は 夏至 即ち昼間が一番長い日という事です

    正反対の日 つまり冬至には ゆず湯に入ったり かぼちゃを食べたり といった全国的に共通する習慣があるようなのですが 夏至の日に全国的に定着しているような風習というのは あまりないのだそうです。大阪では 夏至から半夏生まで タコを食べる習慣があるのだそうですが 別にスーパーでも土用の鰻の日みたいに 大々的にタコを売り出してはいなかったように思います。私自身 普段からタコは酢の物に入っているのを頂くぐらいで お寿司屋さんでもあまり注文しませんから タコを食べるとしたら それこそタコ焼きに入っている小さなかけらを食するぐらいのものかもしれませんから 夏至にタコを食べた記憶は殆どございません。
    京都では 夏至の日 というよりも6月30日 夏越祓(なごしのはらえ)をするみそぎの日に 半年間の身の汚れを祓い、来たる半年の清浄を祈念し、京都ではこの日のための和菓子の「水無月」を食べる習慣があります。伝統が未だに重んじられる京都ですから 現在でも その日には 白いウイロウに小豆をのせて 三角形に切ったお菓子を食べておられる京都人は きっと多いのでしょう。私は生まれたのは 福岡県ですが 幼稚園から高校まで大阪で過ごしましたから 本質的には大阪人なのだと思います。普通にしゃべっていても それ程関西弁が出ない とよく言われますし 阪神ファンになろうと努力しましたが どうしてもタイガースを応援する気にはなれませんでしたので 模範的な大阪人とは言えないのかもしれませんが 本人としては 大阪人のつもりです。
    なので 基本的に京都は すぐ隣に位置していますし 一つ目の大学が立命館ですから 四年間京都に通いましたので 幾らかは京都に馴染みもありますが 根本的には 京都という土地柄も 京都人のやることなすこと嫌いです。大阪人と京都人は 本当に水と油のように 絶対に分かり合えない 近づけない 互いに近づきたくもない位の犬猿の仲だと思います。ですから 文化や習慣も 相当にかけ離れています。恐らく大阪人に 京都人にとっては恐らく常識であろう「水無月」というお菓子について尋ねても 殆どの人が「知らんわ」と答えると思います。
    大阪人なら誰でも 当たり前のように お好み焼きをおかずにご飯を食べますが 京都人は というよりも全国的に お好み焼きと同時にご飯は食べないようです。甘く炊いた御揚げさんをのせたウドンを大阪ではキツネウドンと言います。同じ御揚げさんをソバにのせたらタヌキ(ソバ)と言います。関東では「タヌキソバ」という呼称が一般的なのかもしれませんが 大阪人は あえてソバとは付けずに 「タヌキ頂戴」と 食堂で注文する場合が多いように思います。所が京都のきつねうどんは 御揚げさんが刻んであるので やはり大阪とは別物です。京都には「タヌキウドン」なる食べ物が存在します。餡かけ仕立てになっているので 何時までも熱々で冷めにくいので 人を化かすからなのだそうですが 大阪には そもそも「タヌキウドン」なる食べ物が存在しません。
    元旦に食べるお雑煮は 甘い白みそ仕立てを 大阪も京都も食しているのが 不思議に思えるぐらいです。ちなみに 私は両親が福岡出身なので 澄まし汁のお雑煮しか食べたことがございません。かくなるごとく 大阪と京都は 距離的には 非常に近いお隣さん同士なのですが 文化や習慣は かけ離れているみたいであり 互いを親の仇のごとく忌み嫌いあっている関係と言えるのかもしれません。吉本の芸人でも 大阪人と京都人の組み合わせのコンピは これまでも存在しなかったし 恐らくこれからも存在しないであろうと言われています。ちなみに 京都人は「関西の出身ですか」と質問されると 必ず「京都出身です」と答えるのだそうで そんな京都人が 私はどうしても好きになれません。
    「水無月」というお菓子から 大阪人と京都人の確執問題 という風に話がいつものように 横道にそれてしまいましたが 昨日までは 昼間が少しずつ長くなっていたのだそうですが 明日からは少しずつ短くなっていくのだそうですが まだ梅雨の最中だし 季節としては蒸し暑いですが 夏という季節を殆ど実感しておりませんがこれから徐々に冬に向かって変化していく というのは不思議に思えます。結局 夏至らしい風習が何だったのか よくわからなかったので ごく当たり前に普通の一日を過ごしてしまいました。

  • 6月20日 飼い主さんのご家族の不協和音に驚きました

    昨夜 時間外に電話がかかってきて 犬が玉ねぎを食べてしまったので 直ぐに診てほしいとの要件でしたので 直ちに来院してもらいました。飼い主さんの話だと たまたま実家に犬を連れて帰っていて 玉ねぎのたっぷりと入ったハンバーグを テーブルの上に置いていたところ まさか犬がそのテーブルの上に上がれるとは思っていなかったのだが 犬が何とかテーブルの上に飛び乗って ハンバーグを丸々二個も食べてしまったのだそうです。予想よりも早く来院されたので 話を聞きながら 取り敢えずは 催吐剤を口に流し込みました。暴れてかなり嫌がりましたが 飼い主さんが上手に 犬をコントロールしてくださったので それほど苦労せずに催吐剤を必要量飲ませる事が出来ました。
    一二分もするとすぐに 胃の中に残っていた ハンバーグを吐き出してくれました。のうぼんに受け止めて 吐き出したハンバーグの量から見当をつけると吐き出したのが ほぼ一個分ぐらいなのだそうでした。三回ほどに分けて嘔吐しましたが その後はすぐに落ち着いてしまったので 胃の中に残っていたものは それ位しかなさそうです。体重が2.5キロぐらいの犬ですから 正味一個分のハンバーグに含まれた玉ねぎが 腸に流れ込んで 吸収されてしまうのでしょうが 普通の大人の体重に換算すると ハンバーグ二十個分位に相当しますから かなりのダメージを受ける事が 想像されます。
    ネギ中毒 という病気の名前は 有名ですから ご存じの方も多いと思いますが ネギや玉ねぎ、ニラなどに含まれる成分(有機チオ硫酸化合物)によって赤血球が破壊され、貧血が起こってしまうことを言います。少量であれば問題ありませんが 大量に食べてしまうと 貧血により元気消失や 脈及び呼吸が促迫したり 可視粘膜の蒼白 詰まり舌の色や歯茎の色が白くなったりします。場合によっては 嘔吐や下痢などの症状がみられる場合もあり 重症化するとけいれんや呼吸困難の状態になり 命に関わる場合もあります。
    この子の場合 かなりの量のハンバーグを吐き出してくれましたが 一個分ぐらいは消化吸収されてしまうことが 予想されましたので 取り敢えずは 有害成分の作用を弱める薬や造血機能のある 骨髄や脾臓を刺激して 貧血による症状を和らげる薬を 皮下点滴と共に投与しました。同様の効果が期待できる内服薬を飲みやすいシロップにして渡して 四五日は内服させてもらうようにしました。明日以降安静にしておいてもらえれば そんなに大ごとにならずに すみそうに思います。
    治療とお会計が終わり お帰りになるときになって 来院するときは 実家のご両親が 車で送ってきてくれたのだそうですが 車での道中に ハンバーグを食べたのは この子の口が届くところに置いておいた人が悪いのか この子の普段からのしつけがなっていないからなのか と責任の所在を口論して 喧嘩になり ご両親が 怒ってしまって 息子さんである飼い主さんと玉ねぎを食べてしまったワンちゃんを降ろしてそのまま帰宅してしまったのだそうです。まあ私の所もそうですが 父親と息子の仲があまりよろしくない家庭は多いと思いますけれど 車には 良きクッション役であるはずのお母さんも 乗車されていたはずですから お母さんが治療が終わるまで 車を停めて待っていようと言い出されてもいいのではないかと思ってしまいます。
    まあお母さんとしては ハンバーグをテーブルの上に置いたのはご自分でしょうから 責任を感じて 口出ししにくかったのかもしれませんし 今どき珍しいのかもしれませんが お父さんが絶対的権力者として君臨しておられるご家庭なのかもしれませんので これ以上の口出しは 控えますが 息子さん一人を置いて帰るのならまだしも 下手したら命に関わるかもしれないペットを連れているのですから 帰り道も同乗させてあげていただいてもいいのではないかと思ってしまいました。
    結局 タクシーを呼んでお帰りになりましたが 実家に戻ってからの気まずい雰囲気を想像してしまうと 出来たらお父さんがならぬ堪忍するが堪忍で 息子さんとペットの治療が終わるのを待っていてあげてほしかったように思います。息子さんと話していて かなり頭の切れる方みたいで 理路整然と経過や症状を説明される様子から窺って かなり理詰めで 物事を考えて 的確に判断されるようでしたから ひょっとしたら 普段はいないワンちゃんが たまたま存在したのだからしょうがないようにも思えますが このワンちゃんの口が届くところに 美味しそうなハンバーグを置いてしまったお母さんに対して ある意味的確に ひょっとしたら残酷な表現で お母さんの責任を追及してしまったがために お父さんが余計に腹をたてられたのかもしれません。
    よそのお宅について 余計な邪推は止めておきましょう。但し 今回の事件において ワンちゃんは あくまでも被害者の立場であると思いますから 今後息子さんのご実家でいづらい雰囲気にはなってほしくないのと 同様の失敗を繰り返さないようにだけは 気を付けてあげていただきたいと思ってしまいます。私も 最近また父親と頻繁に顔を合わせる機会が増えましたので 口喧嘩をする頻度も高くなっております。93歳にもなって 半分ボケた父と むきになって口論する私は 非常に大人げない人間だと思いますが やっぱり親子というのは 死んで縁が切れてしまうまで その相性というか 関係性は変わらないのかもしれないように思います。