Dr.喜作のブログ

2017年2月 の記事一覧

  • 2月28日 「坂道AKB]選抜について思う事

    AKBグループと 坂道グループが ともに秋元さんのプロデュースしていて 建前としてはライバル関係にあるわけですが どんどん交流していくのは 乃木坂、欅坂ファンの私としては 喜ばしく感じます。しかし選抜されたメンバーを見てみると 総勢二百名を超えるAKBグループから 僅か六人、三期生を含めても五十名足らずの乃木坂、ひらがな欅を加えても三十余名の欅坂から六人ずつの選抜されたことは 一体どんな権限を持った人たちが どのような選考基準で 何を意図して選出したのか サッパリその目指すところが理解できません。バランスから考えれば NMBから紅白選抜で一位に入ったさや姉が入っていないので NMBからは不選出になってしまい SKEからジュリナ、HKTから宮脇の両エースが選ばれているのに なんでかなと不自然さを感じます。
    まあどぶすのサシコや 秋元真夏が選ばれていないことは 当然すぎる事かもしれませんが 純粋の顔の可愛らしさ 若しくは美しさだけが選考基準なのだとしたら 最近は殆ど興味がないので 顔と名前が一致しないメンバーが殆どのAKBグループですが マユユとユキリンが洩れていることは どうしてなのでしょう。さすがのマユユも最近少しだけおばちゃんの気配が感じられるからなのでしょうか。確か HKTには 宮脇咲良クラスの子が 少なくとも後二三人はいたように思いますから 若手を重視したのだとしたら 選ばれないのは納得がいきかねます。乃木坂については マイマイ、ナナミンが抜けてしまいましたが 少なくとも現在のルックスベストスリー マイヤン、イクチャン、ナーチャンの三人が一人も選ばれていないことは その理由が見当もつきません。欅坂についても 守屋茜、小林結依辺りが私の好みとしては 入ってきてほしかったです。
    ひょっとしたら 平手ちゃんのセンターありきで この選抜を企画したのだとしたら マユユ、ユキリン、乃木坂のトップスリーが選ばれなかった理由はなんとなく見当がつきます。平手ちゃんを売り出したい事だけが目的なら そのバックに大先輩を選出できなかったのかもしれません。まあ何にしても この選抜は今回限りの単発的な企画物で 注目を集めるためだけの打ち上げ花火だとは思いますが このような選抜を発表するときには そのメンバーを選抜した意図や基準を 選抜した人たちが 何だったら自分たちの身分を明かしたうえで もう少し明確に説明して頂きたいと思います。マイヤンやイクチャンは 性格が強靭ですから 選ばれなくても全然平気だと思いますが 大好きなナーちゃんは 非常にナイーブな性格ですから 「どうして私が選ばれなかったのかしら」なんてチラッとでも考えるかもしれませんので ナーちゃんをほんの少しでも悩ませた可能性があるだけで 今回の「坂道AKB]選抜 と言うくだらない企画は 許せません。
    それから今回のこの選抜のセンターを欅の最年少メンバーである平手が 務めた理由はいったいどういう所にあるのでしょう。私は欅坂のアイドルグループとしての 成長のスピードが速すぎるのが非常に心配です。デビュー曲がいきなり 過去の女性歌手の デビュー曲の売り上げ枚数を更新してしまったことや デビュー八か月で紅白にも出場しましたし グループ結成から一年以内に 冠番組が二本も始まりましたし やはり一年以内に主演ドラマが放送されました。
    乃木坂の成長の速さも驚くべきだとは思いますが 乃木坂が四~五年かかってとおった道を 欅坂は殆ど一年で駆け抜けてしまいました。その不動のセンター平手ちゃんはまだ中学三年生なのです。まだ十五歳の女の子が 今回もセンターの大役を任されて 潰れてしまわないか と本当に心配してしまいます。まあ本人としては大きな試練を乗り越えるたび どんどん大きく成長していくのかもしれませんし 平手ちゃんには その全てを受け止められるだけのキャパシティーがあると 秋元さんが判断しての事でしょうから 杞憂に終わってくれればいいのですが 何しろ私は 彼女のお父さんよりもずっと年上のはずですから 何だか孫の成長を見守る爺さんのような心境なのかもしれません。
    秋元さんとしては 残念ながら勢いに陰りの見え始めたAKBグループと上り坂絶好調の坂道グループをコラボすることによって 全体を盛り上げていこうという意図があるのかもしれませんが 私はAKBグループは 正直な所 本当に人気と実力を誇った初期メンバーがほとんど全員卒業してしまって かつての勢いがないのは明白ですから 一時代を築いて後世までに名を残すであろうアイドルグループとして 見苦しくない終焉を迎えて欲しいと思います。
    現在はエンジン全開の乃木坂だって 二期生 三期生には 今トップをはっているマイヤン、イクチャン、ナーチャンに代わる人材が存在しませんから この三人が卒業したら 程なく落ちぶれるのは 明白だと思います。芸能界に流行り廃れがあるのは 当然です。私が小学生の頃には 無数に存在して 全盛期を誇ったグループサウンズが 現在では全く存在しない様に いずれは数十人の女の子のアイドルグループも一世を風靡しましたが消滅するはずです。
    まあ私としては ナーちゃんが乃木坂を卒業しても 一生応援を続けるつもりですが これまでの私の言動を見てこられた奥様が あと五年後には間違いなくナーちゃんを忘れてしまって 又二十歳前後の女の子に気持ちを持って行かれている と断言されますから 恐らくそんな事になっているのかもしれません。そういえば 昨年まではナーちゃんが無条件に世界で一番可愛い女の子だと断言できましたが 今年になってからは 欅の小林由依ちゃんも同じ位に可愛いと思っています。結依ちゃんが逆転するのは時間の問題かもしれません。
    正直グループ全体に対する気持ちも 欅に比重が移っているのかもしれません。理由は明らかで 乃木坂には大好きなナーチャンもカズミンもいるけれど 同時に大嫌いなことこの上ない 秋元真夏と桜井れいか がいるのに対して 欅はひらがな欅も含めて 全メンバーが好きだからです。「乃木坂工事中」と言う番組は 正直煮詰まってしまって 新鮮味に欠けるせいか あまり見ていて楽しくありません。「欅って書けない」の方が メンバーのリアクションが新鮮で 見ていて正直ワクワクします。乃木坂はマイマイとナナミンが卒業して確実に戦力ダウンしていますし あと数年のうちには マイヤン、イクチャン、ナーちゃんも卒業してしまいますから そんな事になってしまったら 恐らく乃木坂工事中と言う番組は 毎回録画のリストから外れているであろうと思います。
    色々と勝手な事をダラダラと書き並べましたが 私の一番興味のあるナーちゃんと小林由依ちゃんが絡んでいないので 今回の分けの解からん選抜は 本音はどうでもいいことでした。  

  • 2月27日 本日から献血週間なのだそうです

    私は どちらかと言うと血圧が高いので 献血できる機会があれば 私の様なものの血液でも世の中のお役にたてるのかもしれないし 血液を抜いてもらった分血圧も下がるのでしょうから 積極的に献血をしています。ほとんどの場合 全血を四百ml抜いてもらいます。私はとにかく腰抜けのビビり野郎なので 体に張りが刺さっている時間が少しでも短い方がいいので 短時間で済む全血献血を選択しています。献血した日は なるべく運動などしないように とか直後におしっこをするときには ふらつくことがあるので男でも座って排尿するように 等と言われているみたいですが 私はそんなこと全く信用していませんでしたので 昼に献血して 一時間後からプールで泳いだことがあります。
    水泳は全身運動ですから 普段でも泳いだ後はかなり疲れてしまいますが 献血直後に泳ぐと その疲労感が 普段よりもずっと強く感じました。泳いていると何となく意識が薄れるのを感じたので 泳ぐことには危険を察知して 水中歩行ばかりを繰り返していました。水中にいた時はちょっとしんどいかな 位でしたが 水から上がって全体重を普通の重力で感じた時には思わずしゃがみこんでしまいました。いい年をした大人で 献血直後に泳ぐような愚かな行為をする人は 殆どいないとは思いますが 献血後に運動は控えた方が賢明だと 身を持って痛感しましたので 注意してください。
    献血をすると 一般的な血液検査の結果を郵送してくれますから 無料で健康診断してもらえるので お得かもしれません。私は心臓を患っていますから 定期的に通院して 検査を受けていますが、+αの検査として 参考にしています。いつもは枚方市駅に常設されている献血ルームで献血しますが たまに平和堂などに献血カーが停まっているのを見て 受付してもらいますが 四百ml献血すると三か月の間隔があかないと 次の献血が出来ない規則なので 間隔が足りなくて 献血を断られることがあります。せっかく善意で受付しているのだし 少なくとも前回献血をしたときからそこそこ日にちが過ぎているので 固い事等言わないで 献血させてくれればいいのに と思いますが 赤十字も親方日の丸なのでしょうから融通が利かないのは しようがないことかもしれません。
    私が高校生の頃に読んだ五木寛之の小説「青春の門」の確か自立編だったと思いますが 主人公の信介が貧乏学生でしたから 金を稼ぐための一手段として 製薬会社に売血する場面が描かれていました。私は若い頃から 血の気が多くて 血圧が高めでしたから 大人になったら自分の血液でお小遣いが稼げるのなら 血圧が下がって健康にもいいので 是非やってみたいと思っていました。しかし製薬会社が血液を買い取る制度は1950年代から60年代までで終了してしまいました。楽にお金が稼げるので 売血だけで生活する人たちが出現してしまい その為に薄くて輸血に使えないような不良血液が続出したからかもしれません。
    そんな困った状況になったので それ以降は 無料で献血してもらう制度に変更されたのだそうです。勿論無料で血液を提供してもらう訳ですから 献血してもらう側としては 手を変え品を変えて 献血者にサービスしています。岐阜の献血センターでは ハンバーガーセットのクーポン券がもらえました。どこの献血センターでも ジュースの類は飲み放題だし テーブルに置かれたかごにはキャンディーやクッキーなどは食べ放題です。マンガや雑誌なども豊富においてあり 待合室は冷暖房完備ですから 寒い時期や暑い時期には 喫茶店に行けばお金がかかりますから 無料の休憩所代わりに何度も利用していました。
    私は血圧高めですが うちの奥様は血圧が低いので 献血したくてもさせてもらえません。現在慢性的に手術などで輸血に使う血液は不足している と聞いています。血圧の低い方 貧血傾向のある方は 体質的に無理なのだとは思いますが 私の様に慢性的に血圧高めの方は 機会があれば 献血するように心掛けましょう。何時自分が交通事故などに遭って その手術のために輸血が必要になるか 分りませんから 「情けは人の為ならず」 と言う言葉があるように いざと言うときに自分の身を守ることにもつながるのかもしれませんので 時間と体力に余裕がある時は 献血を心掛けましょう。

  • 2月 26日 プレミアムフライデーについて思う事

    こんな下らない制度がいつ 誰が決めたのかさえ そして何時から実際に始まるのかまで全然知りませんでした。月末の金曜日は 午後三時に終業しましょう と言うのだそうです。給料日明の金曜日早めに終業することによって 少しでも消費を拡大しようというのが狙いなのだそうですが 何とも浅はかな考え方だと思います。そもそもアベノミクスが実質的に効果を上げて 一般庶民の収入が実感できるぐらいに増えていたら こんなあほらしい制度は話さえ持ちあがらなかったのではないでしょうか。
    会社員の経験が殆どありませんし 三年ほど塩野義に勤めていましたが いわゆる外回りなので 就業時間などあってないようなものでした。要するに営業成績が 前年同期程度に売り上げをあげてさえいれば普段どんなにのんびりとぐうたらしているように見えても 誰からも文句を言われません。逆に 朝早くから夜遅くまで必死に駆けずり回っても 成績が悪ければ どやしつけられます。営業と言う職種であれば どんな業種でも似たり寄ったりの構図だったのではないでしょうか。
    何時も机に向かっている内勤の事務仕事なら 三時に仕事を終われと言われれば 取り敢えずはその日は普段よりも数時間早く帰れるのでしょうが この制度を思いついた馬鹿な人間どもは 仕事と言うものの本質を全く理解していないのではないでしょうか。プレミアムフライデーなる制度が始まることで 月末の金曜日仕事が三時間カットされるわけですが 会社全体の仕事の分量も三時間分カットされるのでしょうか。そんな事はありえないはずですから 只でさえ忙しいはずの月末の一日 勤務時間は無意味に減らされるわけで 結局その分を別の日に頑張らなければならなくなるはずです。実際に仕事をする側に立って考えれば 全く有難味のない迷惑至極な制度だろうと思います。
    テレビのニュースで ある会社では三時になると 部屋の照明が落ちてしまって 早く帰るように放送が流れていました。その会社では 普段から何時もの時間の仕事終りにも こんな芝居じみたことが行われているのでしょうか。そもそもこの制度が実行されている会社が 大げさにテレビなどのニュースに取り上げられていましたが この制度を実施している会社 そして会社員が働いている人全体のどれだけに当たるのでしょうか。詳しい事は分りませんが 中小企業やうちみたいな家族でやっている自営業には 全く無縁のもののはずですから 働いている人全体からみれば ほんの数パーセントが 影響されるだけのはずです。
    実際に三時に帰宅しているサラリーマンにインタビューしていましたが あまり早い時間に帰宅しても家族に煙たがられるだけなので 喫茶店辺りで本でも読んで 時間を潰すと答えた男性がいましたが こんな方が大多数なのではないでしょうか。同僚とボーリングに出かけて その後そのまま飲み会に流れる と嬉しそうに答えていた人もいますが そんな行き当たりばったりの企画に繰り返し興味を示す人がどれだけいるのでしょう。
    会社によっては 始業時間を一時間早めて 十二時には仕事終り としている所もあるそうです。お昼に仕事を終われば そのまま週末に旅行に出かけたりするのには 便利かもしれませんが 子供さんがいれば 学校はいつも通りに終わるのでしょうから あまり有効ではないのかもしれません。それに毎月旅行に出かける人など殆どいないのではないでしょうか。
    大分昔に 土曜日学校が休みになった時 最初は土曜日は親と子供が触れ合う機会を作りましょう と言った雰囲気がありましたので 親が何とか子供と有意義に時間を過ごすために張り切っていた時期があったようにも思いますが 現在では土曜日も日曜日と全く同じ単なる休日になってしまっています。プレミアムフライデーが制度として根付くのか 二千円札みたいに いつの間にか消えてしまうのかは知りませんし 興味もありませんが 多少早く帰宅してもらう事で 国民の消費を増やそうなんて言う 薄っぺらな制度は さっさと消えてなくなってしまえばいいと私は思います。

  • 2月24日 国有地がただ同然で払い下げられた問題について

    大阪府豊中市の国有地が 私立の学校に 相場の十分の一位の価格で売り払われたために アベチャンが国会で質問されています。今の所アベチャンはユーモアを交えて受け答えするぐらいですから 余裕のあるポーズをとっています。しかし国会で追及されると その小学校の紹介ホームページから アベチャンの奥さんが名誉校長に崇め奉られているのだそうですが そのあいさつ文が急に削除されたりして 結構どたばたな対応のようにも感じられます。そもそも事の起こりは 国有地がどの様な理由によって民間の団体に売却されることになったのか から明らかにして頂きたいと思います。売却しなければならない理由として 一般国民が納得できるようなものがあったのでしょうか。
    私は不勉強なので 国有地の払い下げと言う出来事がどれくらいの頻度で起こっているのかさえ全然知りません。こんなことは日常茶飯事なのでしょうか。私が病院の土地を購入するときには 先ず法務局に出かけて その土地がきれいな状態 つまり分けの解からない抵当権など設定されていない土地であることをまず確認することから始まりました。具体的な手続きは 土地の購入など勿論初めての素人に 不備なく出来る訳がないので それなりの料金を支払って司法書士さんにお願いしました。
    今回売却された土地の場合 その地下に汚染されたゴミが埋まっているので そのゴミを除去するのにかかるであろう費用を差し引いて売却したと言う事なのですが こんな話が世間ではたして 通用するのでしょうか。仮にも国有地を売却するのであり その土地が問題を抱えているのなら どうして国側がその問題を解決してしまって 通常の適正な価格で販売しなかったのでしょうか。私たちが普通に土地を購入する場合 その土地に抵当権でも設定されていたら 当然その持ち主に設定を解除してもらって 問題のない奇麗な土地にしてもらってから購入するのが常識です。
    今回の土地の売却について どんな役所が絡んでいるのかさえ私はよく知りませんが 地中を汚染するごみが大量に埋まっている土地をそのまんま それも子供たちが通う小学校の用地として売却するなんて とても信じられない出来事だと思います。汚染されている豊洲に市場を建設しようとした発想も信じがたい滅茶苦茶な話ですが 大量に汚染されたゴミが埋まっている土地から 例え奇麗に除去したとしても そんな土地に建てた小学校に子供を通わせようと考える親がいるなんて 信じがたい事です。
    原発事故の被害を受けて 他の地方に避難してきた子供たちが 放射能に汚染されている等と 全くいわれのない言いがかりをつけられて 苛めを受ける世の中です。子供は何か理由があると 面白おかしく囃し立てて 最初は苛めるつもりもないのに いつの間にかいじめの対象になってしまっているなどと言う事は ある程度致し方の無い事かもしれません。原発事故による被災地に住んでいたというだけで そこから来た子供が放射能に汚染されている なんて全くの事実無根の言いがかりを 無知な子どもたちが勘違いするのは ありがちな事かもしれません。でもそんなアホンダラの子供にも 一応大人の親がついているのですから 被災して避難してきて 苦労している子供たちに 優しい気持ちで接するように指導するのが真っ当な人間だと思います。
    被災地のがれきの処分でさえ 処分場が汚染されてしまう 等と全くの事実無根な言いがかりをつけて 反対運動を起こす馬鹿な大人どもが多い日本ですから 場合によっては被災地から非難してきた子供には 近づかないように入知恵をした愚かな親たちが少なからず いたとしても全然不思議ではありません。よく被災地などで被害を受けた方々が きちんとルールを守って避難所の生活を送っていることを 世界のニュースで驚かれながら 報道されていましたが 被害を受けていない地域の人間は 被災者たちを非常に冷たくあしらっているのが 同じ日本人としてとても悲しかったのとその事実 日本人の冷たさと愚かさまできちんと報道してほしかったです。今回問題になっている汚染された土地に建てられた学校に 子供を通わせようとする親がいるとしたら 一体どんな輩なのか それこそ親の顔が見てみたい気持ちになります。
    私は今回のただ同然での払下げ事件にアベチャンがどの程度 関わっているのか知りませんが 一時期は「アベチャン小学校」と言う名前で寄付金を募っていたのだそうですから それなりに尋常ではないぐらいのつながりがあったことは間違いないと思います。「アベチャン小学校」と言うネーミングに アベチャン自身が もし本当に腹立ちを覚えたのであれば 奥さんを名誉校長の椅子に座らせておく事等ありえないでしょう。アベチャン自身が 国有地の投げ売り事件に関与していたら 政治家を辞めると発言していますから 是非アベチャンの関与を証明してほしいと思います。
    もしアベチャンがそんなにこの事件に深く関与していなかったとしても 深く関係のある役所が存在するのは間違いの無い事だと思います。そもそもそんな汚染された土地を小学校要地として売り払うこと自体が凄く問題だと思います。常識的に考えれば 今回のような曖昧で疑わしい事件にならないように 汚染物質の除去を国側が責任を持ってやり遂げてから 適正な価格で販売すれば 買い取った学校側にとっても 凄く痛いのか殆ど痛くないのか知らないけれど腹を探られて こんだけつるし上げられなくて済んだはずです。
    アベチャンがこの事件に深く関与していて 政治家を辞めてくれるのが一番うれしい結末ですが 少なくとも関係した役所の責任だけは厳しく追及してほしいと思います。只国会での与党と野党のやり取りをみていると 次の選挙をにらんでお互いに点数を稼ごうとしているだけのように感じてしまい凄く心配です。石原さんに市場の豊洲への移転の責任を全て押し付けようとしている都知事や都議会の動きにも 自分たちの点数稼ぎのために頑張っているように感じられますが 重要なのは 大切な国民の財産であるはずの国有地を民間企業にただ同然で売却した責任のありかを しっかりと明らかにして それなりにきっちりとその償いをさせる事だと思います。
    ある議員さんが国会で発言していましたが もし推定されている分の汚染物質の除去作業をきっちりとしたのなら ダンプが延べ一万代弱が運び出すのに必要なのだそうですが 実際に汚染物質を運び出したダンプの数は 請け負った業者が答えているのですから かなり正確な数字だと思いますが 千台にも満たない可能性があるのだそうです。そんなに少ない理由は 汚染物質を外部へ運び出してしまうと その処理に高額の費用が掛かるので 掘り出した汚染物質を敷地内に放置してあるのだそうです。
    大体ダンプ数千台で汚染物質を穿り返したのなら その部分に大きな穴が開いているはずですから その穴を埋め立てる大量の土砂を運び込まなければならないはずです。運び出したのとほぼ同等のダンプが運び込むはずですが 土砂を運び込んだ形跡は全然ないのだそうです。その小学校は後一月と少しで開校するのだそうですが 一体この小学校にどんな春がやってくるのか とても楽しみにしたいと思います。

  • 2月23日 困った飼い主が来院しました

    午前中に食欲と元気のない柴犬が来院しました。柴犬と言う犬種は 獣医師が一番警戒して診察に当たる種類です。生まれて数か月の子犬の場合は他の犬種と似たり寄ったりぐらいに 好奇心があり可愛らしいのですが 生後一年を過ぎていると 耳触りの良い表現を使えば 非常に警戒心の強い 普通に表現すると 非常に怖がり過ぎて 普通に診察しようとしただけで 暴れたり噛もうとしたりして大騒ぎになる子が多い種類のように思います。
    そんな警戒心の強すぎる子が 食欲元気ないのですから 普段以上に神経質になっていることは こちらとしては容易に想像がつきますので 最初から慎重に扱おうと考えていました。何しろ初診で 初めてその犬と相対するので 犬の性格はどの様であるのか尋ねました。「怖がりですか 非常に警戒心が強くありませんか」と質問すると 飼い主は「大人しくて 凄く賢い子です」と答えました。その言葉をうのみにするほどこちらも馬鹿ではありません。「知らない人が触ろうとしたりしたら 嫌がって暴れたりしませんか」と聞くと「すごくいい子なので 少なくとも私には絶対咬みません」と返答が帰ってきました。つまり飼い主以外の人間は噛むことを飼い主が教えてくれました。
    飼い主と話ばかりしていても 診察が始まりませんから 取り敢えずは診察台の上にあげてもらおうとしました。「とりあえず抱っこして診察台の上にあげてもらえませんか」とお願いすると「この子は抱っこされるのが凄く嫌いなので 抱っこできません」と予想通りの答えが返ってきました。「飼い主さんは絶対に咬みつかないのなら、あわてなくてもいいので 慎重に診察台にあげてください」とお願いすると「この子が嫌がることをすると咬みますからできません」といきなり最初の言葉が嘘であることが分りました。大人しくて賢い子なら抱っこぐらいさせてくれるはずですし 飼い主さんを絶対に咬まないのなら そんなに怖がる必要はないはずです。
    「これまで連れて行っていた動物病院では 診察台にあげるのは どのようにしていましたか」と質問すると「病院の先生が上手に台の上にあげてくれていた」と答えましたので 「どんな状態で診察台の上にあげたのですか」と訊ねると 「最初に口輪をはめてからあげてもらっていました」と答えました。どっち道そんな事だろうとは予想していましたが 分っているのなら 何故最初に「触ろうとしたら咬みますから口輪をはめてください」と言えないのでしょうか。
    私が肘まである皮手袋をはめて 首筋を捕まえて 顔を固定してから 奥様に口輪をはめてもらいました。その時に飼い主は 嫌そうな顔をして 全く手伝おうともしません。「あんまりきつく口輪をはめたら 苦しそうだから もっと緩めてください」と飼い主が言い出すので 「口輪は鼻と口を覆っていませんから 苦しくありません。緩めると前足をかけて口輪を外してしまいます。もし一旦外してしまったら 口輪をもう一度装着するのは非常に難しくなってしまいますが 飼い主さんにできますか」と訊ねたら 「そのままでいい」と返事をしました。
    取り敢えずは 体重を測り 目や耳 口や歯、耳の状態をチャックしました。年齢は八歳なので かなり歯石がついているし 目の白内障も少し始まっていました。次に聴診すると 食べ物はドッグフードを与えても全然食べないので いつも自分たちのものを与えているそうなので 予想通り心雑音がかなり大きく聞き取れました。その時点でも喉が詰まったような咳をしていましたから この咳は心臓が悪い事から始まっていることを説明しましたが 二三日前から風邪をひいていて咳をしているだけだと主張して譲りません。次に血圧を測定してみると 収縮期血圧は三回 測っての平均値が188 拡張期が136でしたから 正常値が人間と同じであることからして 凄い高血圧であることを知らせましたが 「この子はデリケートなので 緊張しているし口輪をきつくはめられているから 血圧が高くなっているだけだ」と自論を展開して譲りません。
    若い頃の私なら 私の診断を全く信用しないのなら うちでは診察も治療もできないから帰ってくれ と大声でどなり散らしていましたが そのような態度をとっても 気分はスッとするかもしれませんが 一銭のお金にもならないし 病院の評判を落とすだけですから 今年還暦を迎える私はグッとこらえました。体温も40度近くに上がっていましたので 取り敢えずは採血をして血液検査をすることにして 飼い主の了解をもらいました。後ろ足から採血するので 飼い主に顔を押さえてもらおうとしたら 可愛そうでそんな事は出来ないと言いながら 診察室の外に出てしまいました。只でさえ 体調が悪くて不安でしょうが無いはずの自分の飼い犬が これから採血されるのに その犬を診察室にほったらかしにして 自分だけ待合室に逃げ出すなんて これまでの似たような飼い主との経験から一応想定内の反応でしたので かなりむかつきましたが 平然と対応しました。
    どっち道まるっきり信頼などしていない飼い主がいなくなって 犬の方はかえって諦めがついたようで 大人しく保定されてくれましたから 簡単に採血して 血液検査しました。検査結果を飼い主に説明して 治療方針を話してから 点滴をして薬を側管から投入して 飲み薬の説明をしてから手渡して お帰りいただきましたが 私の態度は相当につっけんどんであったことは言うまでもありません。何か飼い主に尋ねても 不愉快な返事が返ってくることは目に見えていましたから 取り敢えずこちらから必要と思われることを 全てサラサラと話して 診療を終わりました。
    こちらのそんな冷ややかな態度に 飼い主は文句を言いたげでしたが 私が相当に不愉快そうな顔をしていたので その雰囲気を察してか黙って帰っていきました。
    私としては 出来る限り誠意のある態度で 診療したつもりですし 食欲元気のなかった犬は明日には 少しでも食欲が回復して 元気も戻ってくれるように と精一杯の事をしたと思っています。しかし 飼い主にこの犬が根本的には 心臓弁膜症がかなり進行しているので 直ぐに食べ物を中心に生活習慣を改めないと 長生きできないことを 一生懸命に伝えようとしましたが 全く聞く耳を持ってもらえなかったことと それを根に持って凄く冷ややかな態度で対応してしまったことを反省しなければならないと思います。
    私は きれいごとのように聞こえるかもしれませんが 病気やケガで苦しんでいる動物のお役にたちたくて 仕事をしているのです。たとえその飼い主が 自分の説明や発言を信用しなかったとしても それは自分に説得力がなかったことに原因があることを自覚しなければなりません。飼い主がもっと聞く耳を持ってくれるような 話の組み立て方などに問題が無かったのかと 考え直しましたが 今の所思い当たるような事は見つかっていません。只確かなことは 私の冷ややかな態度に対して 腹立たしく感じた飼い主が当然うちの病院を貶めるような発言を繰り返すであろうと言う事です。インターネットが普及してしまった現在は ツウィッターやフェイスブック、インスタグラムなどで 個人が感じたことがあっと言う間に拡散してしまいます。
    別に私は好い評判をとりたくて仕事をしているわけではありません。現在の生活と老後の蓄えに足る分を稼ぐために仕事をしているのです。それなりに真面目に 一生懸命に取り組んでいるつもりですが こんな不愉快な思いをして 悪い評判をたてられるのは 正直凄く不愉快だし辛いです。なんなら本日を限りに仕事を放り出しても それなりに優雅でのんびりした老後は過ごせますけれども あと数年は頑張った方が よりリッチに過ごせるはずですので もうちょっとだけ頑張ろうと思います。
    仕事なんて どんなに誠実に 正直に 一生懸命に頑張っていても 納得のいかない事 全く筋の通らない話 他人には理解してもらえない悩み事などを 少なからず抱えるものだと思います。まあ仕事のおかげで 生計をたてられるわけだし 将来の夢に近づけたりもしますから 「ならぬ堪忍するが堪忍」の気持ちで もう少しだけ頑張ろうと思います。

  • 2月21日 石原慎太郎さんが 百条委員会に引っ張り出されるかもしれません

    私は正直 小池さんがここまで本気で石原さんの責任を追及する気でいたことに 凄く驚いています。最初の段階では 参考人として招致するはずの話でした。まあ参考人招致と言うのは 警察に事件関係者が 任意同行を求められるようなものではないかと思います。勿論任意ですから 本人が同行したくなければ拒否できるし 同行しても質問されてた時に あからさまな嘘をつくことはやばいのでしょうが 知らぬ存ぜぬでけむに巻いてしまっても それほど厳しく責任は追及されないのだろうと思っております。
    所が百条委員会に引っ張り出されるのは 逮捕状を提示されて 強制連行されて 強面の刑事さんがズラッと並んだ部屋で 電球が顔にくっつけられたり いきなりパイプいすを蹴っ飛ばされて スっ転がされたりするようなものではないのでしょうか。前都知事である舛添さんが 何とかオリンピックが終わるまでは知事の椅子にしがみつきたいようなそぶりを見せていましたが 百条委員会に引っ張り出される気配を感じた瞬間に辞意を表明した位に 恐ろしい状況が待ち受けているのだと思います。
    私は 小池さんが百条委員会の設置までちらつかせて その準備を着々と進めているのは はっきり言って勇み足ではないかと思います。石原さんが個人的に嫌いな政治家なので 弁護する気持ちはさらさらありませんが 石原さんはが自分で記者会見を開く と言っているのですから 取り敢えずはその機会を与えて石原さんがどこまで喋ってもいい気分なのかも見当がつきませんが 取り敢えずは自分の裁量に任せて 喋りたいだけ喋ってもらってから 比較的締め付けの緩い 参考人招致をした方が結局は石原さんが知っている事実をより多く聴き出せそうなのではないかと思います。
    私は石原さんは 普段結構強気で偉そうな物言いをするけれども 本性は私と似たり寄ったりの腰抜け野郎だと想像しています。だから最初からあまり厳しい場所に引っ張り出してしまうと ビビってしまって腰抜け野郎なりに腹をくくってしまい 知らぬ存ぜぬを決め込んでしまって 結局は真実に近づけないことになりそうなのが心配なのです。元々 豊洲への移転話が始まったのは 青島さんの時代にさかのぼった出来事なのだそうですから 石原さんは都知事としてゴーサインを出してしまった責任は間違いなくあるとは思いますが 全ての責任を石原さんに押し付けて かかった費用を支払わせようなどと言うのは 根本的に間違っていると思います。 
    とにかく一番大事なことは 今回の問題で被害をこうむった東京都と 市場で働く皆さんのために だれがどのように動いて 誰がどれくらい得をして 現在に至ってしまったのかを白日の下にさらけ出すことだと思いますから 慎重に事を運んでほしいと考えます。何となく現在の雰囲気は 石原さん一人に責任を負わせて 責任を負わせた功績を都知事や都議会議員が争っているように見えます。もう一度冷静になって 真実をあぶりだすためにはどうすればいいのか よく判断してから 行動して頂きたいです。

  • 2月20日 本日はチェルニーのお誕生日です

    1791年の本日 ウィーンでカール チェルニーという ある意味とても個性的な生き方をした作曲家が生まれました。チェルニーと言う名前をきいても ピアノを習った事の無い方にはピンとこないのかもしれません。私は小学校の三年生の時にピアノの練習を始めました。初めて先生の所に出かけた時に 私は幼稚園の頃から マリンバと言う楽器を習っておりましたので 簡単な楽譜は文字を読むように理解できましたので その場でバイエルと言うピアノの一番初心者が取り組む教則本は 初見で弾けてしまいました。
    私には二つ年下の妹がおりまして 妹の方が一年ぐらい早くからピアノのレッスンを受けていましたが 初日でバイエルを卒業した私は 直ぐに妹のレベルに追い付き 更には追い越しました。ハノンと言う運指の為の練習曲集がありまして これはいわば指のウォーミングアっプのための曲集で 凄くバラエティーに富み ボリュームがあり 基本的な運指練習の全集のような練習曲集でしたから 毎日のピアノの練習を辞めるまでの十数年間 ずっと練習の始めに取り組みました。曲集の最初のページに この曲集には ピアノにおける基本的な指の動かし方の全てが含まれているので 全曲をインテンポ(設定された速さ)で弾きとおせばほんの二時間足らずなので 練習を始めるときには 必ず全曲を弾いてみるように と書かれていました。
    私は別にプロのピアニストを目指してはいませんでしたし 一日にピアノに向える時間も限られていましたから いつも練習始めに 何曲がピックアップして指慣らしに弾いていました。ブルグミューラーやバッハのインベンション等の比較的優しい曲集の練習を始めましたが 割とあっさりと卒業してから いよいよチェルニーの三十番と言う練習曲集に取り組ました。この練習曲集は一曲一曲がボリュームもあり 身に着けるべきテクニックもふんだんにあるかなり手ごたえ 弾きごたえのある練習曲集でした。結局このチェルニーの三十番を卒業するのに二年以上かかりました。やっと最後の練習曲を満足に弾けるようになりましたから チェルニーとお別れできると内心喜んでいました。
    チェルニーの練習曲は ピアノを弾きこなしていくための必要なテクニックが しっかりと盛り込まれてはいますが その為にどうしても単調で 弾いていても楽しくないのです。やっと三十番を卒業して喜んでいると 次に先生から渡されたのが チェルニーの四十番と言う練習曲集でした。三十番は三十曲の練習曲から構成されているように 四十番は勿論四十曲の練習曲から成り立っていました。当然ですが三十番よりも四十番の方がレベルが高くて 相当に難しい練習曲ばかりでした。
    先生に文句を言ったって始まりませんから 又地道に一曲目から取り組んで この曲集を卒業するのにほぼ四年間かかりましたので 中三の夏休みにやっと卒業できました。そうしたらまたまた先生から渡されたのが チェルニーの五十番と言う練習曲集でした。時期的には いわゆる高校受験の直前でしたし 丁度四十番を卒業して一区切りついたので 一旦ピアノの練習はお休みしようと考えていましたが 先生が許してくれませんでした。
    私は香里団地の2DK のせまい家に住んでいたのが 中一の夏休みに やっと一戸建ての広い家に引っ越せました。その為団地のすぐ裏の塔に先生のお住まいがありましたから徒歩二分で先生の所までつけたのに 交野市に引っ越して 自転車を飛ばしても十五分以上もかかるので 三十分のレッスンを受けるのと往復で一時間以上もかかりましたから 受験生としてはかなり重い負担に感じてはいましたが そのレベルまで達するとピアノを弾くことに それなりの楽しさを感じられるようになりましたので 頑張って通い続けました。
    それにしてもチェルニーと言う作曲家は その性格がかなりサディスティックにできているように思います。普通 練習曲集のレベルが上がれば 一曲をそれなりに弾きこなすのも大変になりますから 曲数が減少するのが 普通の感覚だと思います。なのに 練習曲のレベルがぐっと高くなるのに その曲集の曲数がどんどん増えていくなんて 私は今考えてもチェルニーの練習曲集の曲数に対する感覚は 間違っていると思います。五十番を渡された時に先生にひょっとして六十番まであるのか尋ねたら あると言われてひっくり返りました。但し六十番はプロのピアニスト用の特殊なテクニックのための練習曲集だから 趣味でピアノを弾いている人には対象外だと 聞いて一寸だけ安心しました。
    それにしても五十番の練習曲は更に高レベルのテクニックが要求されるので 一曲を仕上げて先生からOKがもらえるのに二か月以上もかかりましたので 結局中学を卒業するまでに三曲しか先生の次に進んでもOKを頂けませんでした。ちなみにその先生がチェルニーの五十番を指導するのは かなり久し振りの事だと言われました。そのレベルに達するまで練習を続ける教え子はあまりいないのだそうです。ちなみに妹はその頃 既に音大のピアノ科を受験する事を決意していましたので 父がそれなりに苦労したのだとは思いますが なんとかつてを求めて 音大の教授から個人レッスンを受けておりました。但しその時点でも 私の方が妹よりも練習のレベルは高かったように自負しています。
    けれどもとっても残念な事に私は勿論 現在と同様に腰抜け野郎でしたから 発表会などのここと言う場面には ミスを連発してしまいます。普段の練習で十回に一回だけミスするような所を 悉く本番でミスしていました。逆に妹は普段の練習で十回に一度だけうまく弾けるような部分をほとんどノーミスで 当たり前の顔をして弾いていました。奥様と言い 妹と言い 私の周囲にいる女性は皆心臓にもじゃもじゃと毛が生えているようです。
    高校に上がってからもピアノのレッスンは続けるつもりでしたが 高校の初めての定期テスト つまり一学期の中間テストを受けてみて ショックを受けてしまい ピアノの練習を諦めました。通った高校が四条畷高校で 私たちの受験した年から 学区改正が行われて この高校が学区のトップ校になっていました。つまり普通の中学校なら クラスで一番か二番の出来る生徒ばかりが集まっていました。私は生まれて初めて平均点以下の成績を取ってしまって 相当にガックリと来てしまったのです。勿論普通の高校ですから 部活動を頑張っている生徒も沢山いました。私も趣味としてはかなりのレベルまで頑張ったピアノをやめてしまわなかった方が 反って気分転換になって勉強もはかどったのでしょうが 何の部活動もしないで いわゆる帰宅部で寂しい 思い出の少ない高校生活を送りました。
    ピアノは 立命館に通うようになってから 同じ化学科の友人に 私よりもズットズットレベルの高いピアノを弾く子がいましたので その子の影響で合唱団の活動を頑張りながら 懸命に練習した時期がありました。塩野義に勤めていたころも 経済的にはかなり余裕がありましたので ピアノを自分で購入して かなり入れ込んで練習をしたこともあります。但しアパート住まいでしたから 近所から苦情が入ることもありましたが。
    そんな事でピアノと言うのは私の人生において 一番長く続けた音楽活動だと思いますが チェルニーの思い出と言えば 毎日単調であり 凄く難しい練習曲を繰り返し弾いていたことしかありません。チェルニーのイメージとしては コンサートピアニストではなくて いわゆる練習曲ばかりを作曲していた ピアノ教師と言う感じでしたが 今回ネットで検索してみると 当時の流行歌に当たるようなオペラの有名なメロディーをアレンジして人前で披露したりして いわゆる芸能人としてかなり人気を博していたそうなので 驚きました。同時期に活躍したシューマン辺りに「チャライ奴だ」と 酷評されたりもしたのだそうですが 意外にも交響曲や協奏曲も作曲しているし 弦楽四重奏曲などは かなりすぐれた作品として評価されているのだそうです。チェルニーが作曲した作品のうちで 練習曲の占める割合はそれほど高くないことを知って驚いています。
    私がピアノを習い始めたころから もう五十年ぐらいが過ぎていますが 今でもやっぱりチェルニーの練習曲集は 必須う課題として活躍しているのでしょうか。それとも全然私たちが習い始めたころとは異なる 指導カリキュラムが確立されているのでしょうか。どなたかピアノの指導者でこのブログを読んでおられる方がいらっしゃれば 是非メールでその辺りの事を教えてください。お願い致します。

  • 2月18日 納豆により脳卒中のリスクが軽減するのだそうです

    納豆に含まれるある酵素が 血管が固くなりにくい働きがあるのだそうです。私は 還暦を前にして恥ずかしいのですが 不整脈と言う心臓病を患っています。不整脈があると 心臓において血液の流れに不自然な動きがが発生するために 血栓ができやすくなってしまうのだそうです。血栓が心臓に走る冠動脈などで詰まってしまう事を心筋梗塞と言います。私の場合心配されているのが 脳の血管に詰まってしまう脳梗塞です。
    脳卒中と言うのは 脳の血管の病気の総称で 大きく二つに分かれます。血栓が出来て血管が詰まってしまうのが脳梗塞、血管が破れて脳内に出血してしまうのを脳出血と言います。私の場合は脳内血管が血栓によって詰まってしまう脳梗塞で恐らく死亡するだろうと 優秀な循環器内科の先生に言われてしまいましたので ほぼ間違いないと思っております。その為に血栓ができにくくする薬 つまり血液をできるだけサラサラにして 血管に詰まってしまう事を未然に防ぐ薬 薬剤名は ワーファリンと言う薬をもう何年間も飲み続けております。
    ワーファリン自体は小さな錠剤ですから のみ続けることは全然苦痛ではありませんが ワーファリンの薬としての作用機序が ビタミンKによる血液凝固を拮抗して 血液を固まりにくい状態に保っているのです。所が一般の食べ物に ビタミンKを凄く沢山含んでいる食品があります。その代表的なものが 納豆と青汁なのです。青汁は 殆ど飲んだことがありませんし 罰ゲームに登場するぐらいですから きっとそれほど美味しくはないのだろうと思っていますから 自分から積極的に飲みたいと思ったことはありませんし 一生飲まなくても全然平気な食品です。
    所が 納豆は私の大好物なのです。現在はどうかわかりませんが 少し前までは関西人は殆ど納豆と言う食品を毛嫌いしてしまって 食べなかったと思います。私は福岡県生まれで 両親も福岡で生まれて育っていますから 納豆はそんなにしょっちゅうではありませんでしたが 時々朝ごはんの時に 白ごはんにかけて美味しそうに食べていました。子供なりに好奇心がありましたから 両親が美味しそうに食べているのを見て 時々自分のご飯にも少しだけかけて食べてみました。しかし 納豆独特の苦みと臭いに阻まれて なかなか美味しいとは感じられませんでした。小学生時代には何度もチャレンジしてみましたが どうしても食べられませんでした。
    所が中学に上がったころから 味覚が変化したのかどうかは知りませんが やっと納豆を美味しく感じるようになりました。一旦おいしいと感じられるようになると 癖の強い食べ物だけに凄くはまってしまいました。私は朝はどちらかと言うとパンよりもご飯を好みましたので 高校や大学に通っていたころには 殆ど毎朝のように納豆をご飯に山盛りかけて 食べていました。納豆自体はそれほど高価な食材でもないし 器に移して 薬味を振りかけてよくかき混ぜて 玉子と醤油を加えるだけですから 調理と言うほどの手間もかかりませんので 私のリクエストに母が答えてくれて ほぼ毎朝納豆を準備してくれていました。
    社会人になってからは 納豆を食べる頻度は下がりましたが 恐らく月に五回以上は食べていました。給料日前の懐がさびしい時には 納豆の三パック一組で売られているものを買ってきて 丼蜂にまとめて入れて 薬味にネギやもみ海苔 辛子、ゴマなどを盛大に入れて 玉子も黄身だけ二つぐらい放り込んで 盛大に混ぜ合わせたものを カレー皿にご飯を山盛りにしたところに 全部かけてしまって晩御飯にしていました。非常に安上がりだけれども 大好物なので凄く美味しくて お腹も満たされるので 〆ににインスタントの味噌汁を飲み干せば 大満足な夕食になりました。
    そんな私が ワーファリンを飲みだしてからは 禁止されていますから もう何年も納豆を全然食べていません。
    ワーファリンは 納豆に大量に含まれているビタミンKによる血液凝固を妨げる作用があるので ビタミンKの豊富な納豆を食べると 血液がドロドロになってしまい血栓ができやすくなるために 食べることを禁じられているのです。血液をサラサラにして血栓ができにくくする作用のある薬としては ビタミンKの血液凝固作用を抑えるのではなくて 全く別の働きにより血栓ができにくくする薬が 数年前に開発されたのだそうです。ワーファリンから そちらの薬に切り替えれば 同様に血液をサラサラにして血栓ができにくくしてくれるし 納豆を食べても全然かまわないのだけれども どうしますか と主治医の先生に尋ねられたことがあります。
    納豆が食べられることは とても嬉しいのですが 開発されたばかり 販売され始めたばかりの薬ですから 当然薬の価格が ワーファリンよりもかなり高くつくという説明を受けましたので いずれは切り替えるかもしれませんが 今のところはワーファリンを続けて 納豆を辛抱しますと 答えました。所が 本日 新聞の記事で納豆を食べている人の方が 血管が柔らかくなるので 脳卒中 即ち脳梗塞と脳出血の リスクが下がると言う事を知りました。
    現在の所 わが母校である岐阜大学の研究発表によるもので 一般的には認められた説ではありませんが これからいろんな施設で研究されて 納豆による脳卒中の抑止効果が広く認知される様になれば 現在でもワーファリンにかわる新薬がそこそこ薬価を下げているはずなので 切り替える決心がつくと思います。大好きな納豆を食べて 長生きにつながるのであれば 凄く有難い事なので この発表が真実であることを 大いに期待したいと思います。

  • 2月17日 1978年の本日「嫌煙権確立をめざす人々の会」が結成されたのだそうです

    ですから本日を「嫌煙運動の日」と呼ぶのだそうです。喫煙と嫌煙との対立と言うのは なかなかデリケートな問題で簡単に結論付けられないように思います。まず一番難しいのは 喫煙する人の気持ちや身体的な状況を 嫌煙を主張する人たちには 根本的には 理解できないと思います。私もたばこを吸ってみたいと思ったことはありますが 現実には一度も吸ったことがありません。私が通った高校は 庶民の通う公立高校でしたが そこそこの進学校であったために トイレに吸い殻が落ちていた と言う事実が結構センセーショナルなニュースになる位の 割と真面目な生徒の通う高校でした。
    大学に入学したら 先輩たちが当たり前にたばこを吸っていて その姿が正直カッコいいと思いました。試しに分けてもらって 吸ってみたことがありますが 初めての事ですから 当然むせてせき込みました。これだけ体が慣れていなければ 拒絶反応を起こすのであれば 当然体にとって そして健康にとって有害なものなのであろうと感じました。友人たちも当然最初はむせてせき込んでいましたが カッコつけたい気持ちが勝ったようで 繰り返し吸っているうちに 徐々に煙草の刺激にも慣れて 喫煙の楽しさを覚えて ごく普通に喫煙者になっていきました。
    私は若い頃から 自分がカッコを付けても似合わない外見であることを自覚していました。みっともない外見で カッコを付けてみても 余計に滑稽にしか見えないのであろうことを知っていました。だから たばこを吸ってカッコを付けることに 歯止めがかかり それ以後は一度もたばこを咥えた事すらありません。ですから喫煙することが どれだけ身体的に快楽を伴うのか 全然わかりませんし 今更知りたくもありません。
    このテーマでブログを書くので 嫌煙運動について 喫煙肯定派の人や否定派の人が様々な意見を述べているのを 正直あまり興味は沸きませんが 覗いてみました。どちらの意見もお互い相容れない立場から いずれも手前勝手な発言をしているように感じました。私は喫煙の経験がありませんから 喫煙家の方々の気持ちがさっぱり理解できません。喫煙家の人も 喫煙しない と言うよりも喫煙と言う行為を忌み嫌っている人たちの気持ちは恐らく決して理解できないであろうと思います。
    出来るだけ 公平な立場から この問題を考えようとしても 所詮私はどちらかと言うと嫌煙家の側に立った意見しか述べられないのだと思います。只喫煙家の方々の主張にも尤もだと感じる意見はいくつかありました。例えば 喫煙は肺がんの原因となるから健康上問題があるとよく言われますが 喫煙者全体のうちの肺がん患者の数は 極微々たるもののように感じます。逆に喫煙しない人たちでの肺がん患者の比率については なかなか正確なデーターがなさそうに思います。ですから 喫煙家が肺がんになり易い可能性は否定しませんが だからと言って喫煙が健康に悪いという考え方には あまり説得力は感じられません。
    それから副流煙の方が たばこを吸っている人間が吸い込んでいる煙よりも フィルターを通していない分 健康に悪い とよく言われますが この考え方にも素直には納得できません。副流煙とフィルターを通した煙の有害成分の比率を比べてみたら 副流煙の方が高かったのだそうです。ある意味当然の結果と言えるでしょう。たばこに付いているフィルターは有害成分をこしとるためのものですから フィルターを通った煙の方がフィルターを通過していない煙よりも 有害物質が少ないのは当たり前なのです。
    喫煙者は フィルターを通過した煙の大部分を吸い込んでいます。所が副流煙の場合 喫煙者の傍にいる人間が吸い込むのは そのごく一部に過ぎないのはまた当たり前ですから 副流煙を吸い込むことによる健康被害も ごく一部分だけと考えるべきなのかもしれません。勿論タバコを吸っていない人間にしてみれば たばこを吸うのは喫煙家の勝手だけれども たまたまそのそばにいただけでごく僅かではあっても健康被害を受けるのが耐えられない と言う考え方も凄く筋が通っているように思います。
    昔の獣医師会の話し合いは 狭い部屋にオッサンがギュウぎゅう詰めで たばこは吸いたい放題でした。たばこを吸わない私としては 狭い会議室が煙でもうもうとして 目が痛いくらいでした。当時は嫌煙運動なんて欠片も存在しなかった時代でしたから 私は不愉快には感じましたが とても文句を言える状況ではありませんでした。たばこを吸う人と吸わない人だと 圧倒的に吸う人が多かったからかもしれません。それがいつの間にか 世の中の禁煙ブームが反映されたのか 会議中は禁煙と言う風に習慣が変わりました。休憩時間になると 慌てて喫煙所に駆け込みたばこを吸う人たちを見て 私は正直みっともないなあと思っておりました。
    以前はレストランなどでも 大っぴらに喫煙できていたのが いつの間にか分煙と言う風に変化していき現在は全面禁煙が極普通のような風潮になっているみたいです。喫煙家の方からすると随分と窮屈な風潮になってしまったと感じておられるのかもしれませんが たばこを吸わない人間からすると 何故楽しく食事をしているのに 煙たい思いをしなければならないのかと 腹立たしかったのが ようやく安心して食事が楽しめるようになってきたと考えてしまうのです。
    喫煙家の方は恐らく全く気付いておられないと思いますが ホテルの部屋やカラオケルームで そこそこの時間 喫煙された後に入室すると それなりに換気扇位は廻してくれているのかもしれませんが 凄くタバコのにおいが不快感を誘うのです。それもその部屋にある程度の時間いたら 洋服や髪の毛に その臭いにおいが染みついてしまいますから その部屋を離れてからもずっと不快感が持続するのです。お風呂にでも入って洗い流さないと 勿論服も全部着替えないと その不愉快さと縁が切れないものなのです。
    私は鈍感なので 言われたら確かにたばこ臭いなあと気づく程度ですが 奥様が結構デリケートなので 今日はあそこのカラオケ屋さんに行こう と提案しても あそこはたばこ臭いから行くのは嫌だと反対されることもしばしばあります。喫煙家の人たちは 気づいていないのでしょうが そんな風に直接コンタクトのない人間にまで 凄く迷惑をかけていることを 自覚すべきだと思います。
    結局は 私はたばこを全くすいませんので どうしても嫌煙家の立場からの発言になってしまっているのかもしれませんが 少なくとも嫌煙家の方から 喫煙家の方たちに実質的な迷惑、被害をかけていることは 殆どない様に思いますから 喫煙家の方々が 加害者としての自覚を持って行動すべきだと思います。

  • 2月16日 若い世代の消費意欲が過去20年で最低だったそうです

    新聞をたまにじっくりとみると 将来的に残念な記事ばかりが目についてしまいます。39歳以下の世帯主の家計の消費意欲が2016年は過去20年のうちで最低だったと二月十五日の経済財政諮問会議
    で報告されたのだそうです。議長は アベチャンなのですが どんな顔をしてその報告を受けたのでしょう。そもそもアベノミクスとかいう代物は アベチャンを信じてついていけば 景気が自然と上向き ひいては一般国民の収入も増えて 生活が楽になるはずだったのではないでしょうか。その為に一般国民 あえて言うと一般庶民がせっせと自民党に投票してしまったがために アベチャンが絶対多数とも言われるぐらいの多数の議員さんを抱えて 総理の椅子に踏ん反り返っているのです。
    アベノミクスが実際に行ったことは 思い切って金融緩和することによって 強引に円安に誘導していき 基本的に輸出産業に頼っているわが国の 極一部の企業が非常に潤って 見た目の景気が多少良くなっただけだと思います。企業がこれまで非常に苦しい時代を何とか乗り切ってきましたが その為に多少その企業が潤っても 会社内に貯めこむばかりで 社員の給料には ほとんど反映されていません。全てがアベノミクスによるものかどうかは知りませんが 国民のいろんな形で支払う税金や料金が少しずつですが確実に高くなっています。年金を含めて国民が受け取る金額や少しずつ減少していることも間違いないと思います。
    見た目の就職状況は 労働者の総数が増えていますから 改善しているように数字的には表現されていますが 現実には正規社員数が減少して 非正規社員の数が凄く上昇しているのだそうです。私はサラリーマンの経験がほんの数年しかありませんし 非正規社員の方々の不安定感がどれくらい大きいのかさっぱり見当がつきませんが アベチャンは働く人口が増えたことをさも自慢そうに話しますが 非正規社員の数ばかりが増えているから 将来が不安で消費意欲がどんどん低下していっている と言う事に直接つながるのではないでしょうか。賃金にしたって 景気のいい会社の数字を並べ立てて 景気のいい数字を挙げ連ねていますが 実質賃金は下降の一途をたどっているというデーターをよく目にします。
    大体 円安に強引に誘導したことで 輸入商品の価格が上がりましたから 庶民の生活を給料は上がらないのに出費が増加して 苦しくしていることは明確だと思います。本来なら 今度のトランプさんとの会談で こっぴどく金融緩和をたたかれると予想していたのに 意外にもトランプさんから好意的に迎えられたのが 私にはとても不思議です。トランプさんは北朝鮮に対しても 不思議なくらいに好意的な言動が目につきます。当然北朝鮮としても 喜んでアメリカに尻尾を振る準備をしているように見えます。トランプさんが本心からアベチャンを認めているはずがないので 何時本性を現すのか 反って心配になってしまいます。
    私は もう残りの人生が後わずかですから 今更日本全体の景気がどの様に変化しようと 一般国民の生活が楽になろうと苦しくなろうと 殆ど関係がありません。でも日本と言う国にずっとお世話になってきましたし 同胞を大切に思う気持ちは勿論あります。みんなが心から笑えて 安心して暮らしていける国になってほしいと心から願っています。