Dr.喜作のブログ

2016年9月 の記事一覧

  • 9月30日 1978年の本日 京都市の路面電車が全廃になったそうです

    私が立命館に通っていたころは 京都市内をのんびりと路面電車が走っていました。バスよりも少しだけ料金が安かったので 時間がある時にはたまに乗ってみたりしていました。スピードが出ない割には 結構揺れが激しくて 決して快適な乗り物ではありませんでした。その上時間が凄くかかるのです。路面電車ですから 車道と兼用になっていますから 少しでも線路内に車がはみ出していたら まさか跳ね飛ばして走るわけにもいかず 車が線路内からいなくなるまで のんびりと待つしかないのです。極端な表現をすると近距離なら歩いた方が速かったかもしれません。でも 私は移動手段としては能力が低いけれども 路面電車の独特の風情と言うかほのぼのとした雰囲気が 結構気に入っていました。それが在学中に突然全廃になってしまったので とても残念でした。
    立命館時代は 全く車を運転しませんでしたから 気づきませんでしたが 塩野義に勤めていたころ 勤務地の富山市内には路面電車がそこそこ走っていましたけれども 結構車の走行の邪魔になりましたから だんだん路面電車が好きではなくなってしまいました。その頃たまたまだとは思いますが 車で京都を走行する機会が何度かありました。路面電車は 既に全廃されていましたが きっと京都市内を路面電車がのんびりと走っていたら イラッとしたのかもしれません。
    私が通った二つ目の大学のある岐阜市にも 路面電車は走っていました。私が大阪以外で生活していたところでは かなりの頻度で路面電車が走っていましたから 全国的にもかなりの市町村に存在するのかと思っていましたが 今回たまたま現在運航している路面電車を調べてみたら 北はは北海道から南は鹿児島県まで全国にありましたが その数は二十にも満たないぐらいでした。やはり車社会の現在 車の走行の邪魔になってしまう 路面電車は どんどん減少してきているようです。
    のんびりしていて風情がありますが 移動手段としては 時間がかかりすぎますから 何事もスピードを優先する現代には 受け入れられないのは致し方がないのかもしれません。私もあと少ししたら 仕事を引退します。勿論そんなに経済的にはゆとりはありませんが時間だけはたっぷりとある身分になるはずです。そんな時間の制約がない境遇になってしまったら のんびりと時間をかけて車窓からの風景を眺めるような のんびりとした旅を満喫したくなると思います。
    ひょっとしたら 引退してから 全国の路面電車めぐりの旅に出かけるかもしれません。私の密かな楽しみが無くなってしまわないように 全国の路面電車が次々と廃止されていかないことを期待しています。

  • 9月29日 楽しみにしていた「KEYABINGO」が終わってしまいました

    大部分の方にとっては「KEYABINGO」等と言うテレビ番組の存在すらご存知ないと思います。欅坂46のファンの方なら 勿論知らないはずはありませんが 関西では放送されていませんから 「欅って書けない」と同様に 放送の翌日にはU-チューブにアップされるのを 毎週木曜日の朝を楽しみにしていた欅坂ファンは沢山いると思います。
    そもそもの発端は 「AKBINGO」と言うやはり関西では放送されていない番組を起源とします。AKBグループの公式ライバルとして誕生した乃木坂46が 「AKBINGO]をぱくった番組「NOGIBINGO」と言う番組を 数年前に始めました。清楚でお淑やかさが売りの 乃木坂のメンバーが クリーム砲を浴びたり 真っ白に粉まみれになったりするかなり過激な番組でした。中には「正直ショーギ」の様に AKBINGOの人気企画をそのまんまパクったりした企画もありましたが シリーズを重ねて 現在シーズン7位まで放送回数を重ねてくると 殆ど独自の企画で番組が構成されているようです。イジリー岡田さんと乃木坂のメンバーのコンビネーションも絶妙になってきているように思います。
    今年CDデビューした欅坂46も 「欅って書けない」と言う冠番組がデビュー前から 関東ローカルで放送され始めました。CDデビュー後 やはりパクリ番組である「KEYABINGO]が放送をスタートしました。この「BINNGO」シリーズは 「乃木どこ」や「欅かけ」と違って 基本的にワンクール13回の放送で 一つのシリーズが終了するみたいです。「NOGIBINGO」は 結構好評なのでしょう 順調にシーズンを重ねているみたいですから 「KEYABINGO」も今回で一応シーズン1が終了しましたが いずれシーズン2が始まるはずです。どれぐらいのインターバルがあるのかは よく知りませんが 正直な所「乃木坂工事中」と言う「乃木どこ」の後番組が 最近は全然新鮮味も面白みも感じられませんから 「KEYABINGO]の早急な再開を 強く望みます。
    奥様によく言われるのが[あなたはとにかく若い女の子が好きなのだから、乃木坂の次に欅坂と言うグループが出来たら すぐにそちらに関心が移ってしまうのよ」という事でしたが 確かにCDも 乃木坂は今年「ハルジオンの咲く頃」しか買っていませんが、欅坂は デビューシングルだけではなくて 第二弾もそれぞれ三枚ずつ つまり全部のバージョンを購入しています。乃木坂はグループ全体としてはとても好きですが 個々のメンバーをみると 秋元真夏と桜井玲香の二人が 特に大嫌いなのです。勿論今でも大好きなナーちゃんや カズミンがいますからAKBグループの様に全く興味をなくしてしまう事は ありえませんが もしこの大好きな二人が卒業してしまったら 確実に乃木坂への関心度が殆どなくなってしまうのかもしれません。ただ大嫌いなメンバーが二人もいることによって 現在もグループ全体への思い入れがかなり低くなっていることは事実です。
    その点欅坂は [欅書け」や「BINGO」等でメンバーの素の部分が明らかになるにつれて ますます可愛く思えてきています。現在の所ひらがな欅 つまりアンダーメンバーの事はさすがに殆どわかりませんが 一期生+ネルは みんな大好きですから どうしても乃木坂よりも欅坂の方に関心が移りつつあるのは否定できません。一日も早く秋元と桜井が卒業してくれることで 乃木坂への関心がアップすることを期待しております。
    話のポイントがぼやけてしまいましたが 一日も早く「KEYABINGO2」の放送が始まることを期待する今日この頃の私でした。

  • 9月28日 1993年の本日 米の作況指数が公表されて 平成の米騒動になりました

    その年の米の作況指数が 80と発表されたのです。この数字自体が戦後では最悪の数字でしたが 最終的には74まで低下したのだそうです。平成の米騒動とは 愚かな日本国民がコメ不足になると勘違いして 普段はしないコメの備蓄に走り 現実にスーパーや米屋さんの店頭から米が無くなってしまう と言う現象が起こりました。私の周囲の人間たちも どこかにコメを売っていないかと 鵜の目鷹の目で探し回っていたように覚えています。
    私には そんな愚かな日本国民が 滑稽に思えてなりませんでした。その年は 記録的な冷夏であったために 東北地方では 実際に例年の半分も米が収穫できなかったのだそうです。そんなコメ農家の人たちが 収穫減はそのまま収入の減少に直結しますから大騒ぎをされるのは当然だと思います。しかし一般人がどうしてそんなに大騒ぎをしなければならないのでしょうか。結果的には 例年の四分の三は米が収穫できたのです。それまでも日本はコメの消費量を生産量が上回り 余剰米が 古米 古古米として溜まっていっておりそのことが問題になっていたのです。普段よりも四分の一位生産量が減少したとしても 現実にはコメが不足することなど絶対にありえないはずなのです。
    結局は 愚かな日本国民が自分さえよければ 他人の事等どうでもいい と言う考え方で 普段はしないコメの買いだめに走ったために 現実に流通するコメが不足する現象が起こったのです。同じ日本国民として ほとほと悲しく 恥ずかしくなってしまいました。冷静になって考えれば 収穫量が減少したのですから 多少は足りなくなるのかもしれませんが 日本では米以外の食べ物があふれているのです。小麦粉の輸入量は例年通りでしたから パンは普通に流通していました。朝和食党の人が 一時的にパンによる朝食に変更するだけでも 不足分は補えたのかもしれません。関西人なら 晩御飯を月に一回お好み焼きにすれば それだけでかなりコメの消費量が減るはずですから 米不足の解消につながるでしょう。うどんや蕎麦は乾麺でも生麺でも幾らでも販売されていましたから 週に一回の食事をご飯から麺類に買えれば 殆ど米不足は解消されたはずです。
    なのに 自分さえよければ他人なんかどうなっても構わない人たちが世間に非常に多いために たまに売り出される普段なら見向きもされないような 質の悪い古米 古古米の販売に大勢の人たちが行列を作って バカ高い価格に 文句も言わずに有難がって 群がったのです。当時は 私が一人目の奥さんと暮していた時代でしたが 嫁さんにコメの買いだめ等絶対にしないようにと指示していました。そして毎日普通に米を食べていましたから 当然当家の米が無くなってしまいました。
    米は日本人の主食ですから なければ当然不便にはなりましたが パン食にしたり 麺類を食べたり 粉もん食いわゆるお好み焼きやたこ焼き を食べたりして生活していました。取り立てて不便は感じていませんでしたし たまに米が食べたくなれば 外食をすれば幾らでもコメは食べられます。そんな生活をしていることを 伝え聞いた私と奥さんの両親が それぞれ十キロ入りの米袋をプレゼントしてくれました。やはりどちらの両親も 愚かにも米を買いだめしていたので 私はとても残念に思いました。
    まあわざわざお互いの両親がくれた米を突っ返すのも大人げがないので 米のない時の生活をなるべく続けて 米がどうしても食べたくなった時だけ ご飯を炊くような生活にしました。二人暮らしですから なるべく米を食べないように心懸けた生活をしているうちに その米が無くなる前に 普通に米が販売されるような状態になっていました。もし両親からの米が無くても それほど困った状態にはなっていなかったように思います。そんな事よりも 日本人の本性 結局自分さえよければ 他人はどうなっても構わない と言う愚かで恥ずべき本性が 露わになってしまったことが 私としてはとても残念であり 悲しい思い出となって残っています。
    自分の家さえ米不足にならなければ 他人の事なんてどうでもいい と言う気持ちが無ければ 決して普段はしないコメの買いだめ現象など起こらないはずです。みんながコメを買いだめなければ 販売される米が店頭から消えてしまうような事態には ならないはずです。それより以前に紙不足 トイレットペーパーが無くなってしまう現象が起こりましたが その時も私は不思議でしょうがありませんでした。当時はウオシュレットなんて存在しない時代ですから 大便をした後には お尻を拭く紙が必要でした。しかしトイレットペーパーがなければ ちり紙でもいいし ちり紙さえなければ 新聞紙でも代用できたはずです。結局は普段はしないはずのトイレットペーパーの買いだめ現象の為に スーパーの店頭からやっぱりトイレットペーパーが消えてしまったのです。同じ日本人として 本当に恥ずかしいです。過去の愚かな過ちから 学んでこれからも何か生活に必要な物資が不足しそうな状態なった時に 自分さえ困らなければいいと考えて 買いだめに走る日本人が一人でも少なくなってほしいと 切に望みます。

  • 9月27日 大学時代の先輩を尋ねて関ヶ原に出かけました 

    私の一つ目の大学 立命館大学の時に参加していたサークル 混声合唱団の二学年先輩が 定年を迎えられて 奥様の実家のある関ヶ原に戻って来られました。この先輩には 立命館大学に通っていたころにもさんざんお世話になりました。所属していた合唱団は 各学年十数名ぐらいで四学年合わせても五六十人の こじんまりとした団体でした。所が 私たちの学年から三十人以上が卒団するぐらいに 急速に大所帯のサークルに成長したのです。
    サークルの運営形態としては 三年生が主要な役職を務めて四年生は就職活動や卒業に向けての準備などが忙しいので サークル活動としては 仕事から解放されて楽隠居のような形でした。私たちが一年生として初めてサークル活動に参加した時に チーフマネージャーとして活躍されていたのが この先輩なのです。文科系のサークルですから 体育会系のサークルほど 上下関係も厳しくありませんでしたし 何しろ混声合唱団でしたから クラスにはほとんどいない女の子が 部室には何時も沢山いましたから 見た目には華やかで和やかな雰囲気でした。
    ただ 体育会系ほど厳しくはないにしても それなりに歴然とした学年による上下関係はありましたし 女の子が沢山いるだけに 男女間の細かな人間関係のもつれなど いろいろあったみたいで 長続きしないで辞めていくメンバーも 過去には続出していたみたいでした。その為に入団するメンバーは毎年そこそこいたみたいでしたが 卒団するまで続けるのは十数名になってしまっていたのかもしれません。
    所が 私たちの学年は 悩み事を抱えると 皆この先輩に相談しました。この先輩は普段から優しくて 包容力が凄くあったので 誰もが自然とその先輩に相談したのだと思います。勿論私も 本当なら三年生が務めるはずの役職チーフに二年生から就いてしまいましたから かなりたくさん悩み事を抱え込んでいましたので 頻繁に先輩の下宿を尋ねては相談にのってもらっていました。そんなわけで 結果的に私たちの学年は卒団したメンバーが三十人を超えていましたが こんなにたくさん卒団出来たのは 殆ど全てこの先輩のおかげと言ってもいいように思います。
    教祖様の教えに導かれる信者のような存在が沢山いて まるで石田教と言う新興宗教団体のような感じでした。この先輩の影響力はものすごくて 役職を引退された四年生の時の一年生 つまり私たちの一つ下の学年にも信者が続出して そのために卒団生が三十人を越えました。
    そんな事で 私は個人的にも立命時代にもさんざんお世話になってしまいましたが この先輩との御縁はこの後もまだまだ続くのです。私が塩野義製薬に就職して数年で辞めて 獣医師になるために岐阜大学に進学しましたが 丁度その頃に先輩がサラリーマンでしたが 勤務地が岐阜になって 岐阜市内にお住まいだったのです。何しろ岐阜大学時代は 経済的に独立して親からの支援を受けずに頑張っておりましたので とにかく貧乏学生だったのです。お金がなくてお腹が空くと さすがに借金まではお願いしませんでしたが 空腹であることを私がほのめかすと 先輩が何かしら作ってご馳走してくださいました。立命時代の二年間と岐阜大学時代の六年間 合わせて八年間も先輩にはお世話になってしまいました。先輩は非常に面倒見の良い方でしたが これほど長期にわたってお世話になった後輩は 私だけだと思います。
    その後も先輩が福井県に在住している時には ちょくちょく福井県に遊びに出かけました。芝政ワールドに出かけて遊んで おきにいりの民宿が見つかりましたのでそこに宿泊して 帰りがけに先輩のお宅にお邪魔したりもしていました。先輩が東京に転勤されてからは 福井へ出向かなくなりましたから やはり先輩の影響力は大きかったみたいです。東京にお住いの時は ディズニーランドに出かけた帰りがけに 一緒に食事をしたりしていました。
    こうして振り返ってみると 私は常にこの先輩の追っかけをしているみたいです。そして昨年の末に長年勤めた会社を定年退職されて これまでよりもずっと近い関ヶ原の奥さんの実家に戻って来られました。先輩のご実家は兵庫県の三田ですから 関ヶ原の方がずっと近いので 私にとってはありがたい事かもしれません。戻って来られて 半年以上が過ぎましたから 落ち着かれたころかなと思って メールを差し上げて 一緒にご飯でも食べましょうと誘ってみたら 本日のお昼に時間と作ってくださいました。
    働かなくてもいい身分なので のんびりと過ごされているのかと思っていましたら なんと現在就職活動中なのだそうです。サラリーマン一筋で勤め上げられましたから かなりの額の厚生年金を受け取られるのだとは思いますが 支給が始まるのは65歳からなのだそうで それまでは無収入になってしまうそうです。きちんと仕事について規則正しい生活をしておかないと 健康にも差しさわりがあると考えて 久し振りに履歴書に記入して 就職口を探しているのだそうです。但し 定年退職した年齢で 営業畑を歩いてこられましたから 就職を有利にしてくれる特技がないので かなり苦戦しておられるみたいでした。
    先輩との約束の時間が十一時半でしたので その前に待ち合わせの場所の近所にある歴史民俗資料館を尋ねてみました。関ヶ原と言えば天下分け目の合戦が有名ですが 実はその千年ほど前に壬申の乱と言う大きな内乱があったのです。672年7月24日 – 8月21日に起こった古代日本最大の内乱で合ったのだそうです。天智天皇の太子・大友皇子に対し、皇弟・大海人皇子(後の天武天皇)が地方豪族を味方に付けて反旗をひるがえした為に起こった戦争です。
    今更そんな昔の内乱には興味がないので もっぱらいわゆる関ヶ原の合戦の資料を見て回りました。大きなボードがあって 合戦の進行状況を紹介してくれていましたので 二回もじっくりと見せてもらいました。その他には 武将が身に着けたであろう鎧兜のレプリカが展示してありましたが まあ一軍の大将が直接敵軍と接触することはなかったのかもしれませんが 見た目が立派過ぎて 重そうだしバランスも悪そうですから 実戦向きの兜ではなさそうでした。
    先輩との待ち合わせの時間が迫ってきましたので その場所に移動したのですが 移動中からすごい勢いで雨が降り出しました。日ごろの行いがよくないのかもしれません。お蕎麦を頂きながら 久し振りなので お互いの近況報告などをしました。先輩の奥様も同伴されていましたので 奥様の日常などもうかがっているうちに 結構時間が過ぎたので 先輩の馴染のある喫茶店に移動することにしました。
    この移動の途中で トラブルが一つ発生しました。勿論私は初めての道なので 先輩の車を追尾して移動しました。その喫茶店の駐車場らしき地点で 道路を右折してその駐車場に入るのですがその時事件は起こりました。何と駐車場の入口のほぼ真ん中に 大きな車止めがあったのです。幅が1.5メートルぐらいで 高さが20センチはあったと思います。先輩は車止めがおることは勿論ご存知で その車止めの右側の隙間が ぎりぎり車が一台通過できるほどの幅だったと思います。
    先輩は ぎりぎりの幅しかないことが分っていますから 車止めにぶつからないように 無事に通過されましたが 追尾していた私は よもや駐車場の入口の真ん中にそのような車止めがあるなどとは夢にも思っていません。追尾して走っていると 丁度先輩の車が死角になって その車止めの存在にまるで気づかないままその駐車場に接近してしまいました。こちらは駐車場の入り口の真ん中辺りを通過しようとしましたが 当然その車止めに乗り上げてしまいました。
    その車止めの左側の隙間は車が二台通れる位余裕がありました。先輩がそちらのルートを通過していれば 当然こちらが右折する前にその車止めが目に入りますから ぶつからないようなルートを選択したはずです。先輩は「すまんすまんこっちのルートは車がぎりぎり一台しか通れないことを わしは知っていたんやけど」と仰いましたが 出入り口の真ん中に車止めがある駐車場に 初めて入る車が追尾しているのに 何故安全な左側のルートを通ってくれないのかと 一瞬ムカッとはきました。左側から駐車場に入ってくれれば 当然こんな事故は起こらなかったはずですが そんなのんびりしたおおらかな先輩ですから 文句を言う気にもなりませんでした。
    車は勢いで前輪は車止めを乗り越えて丁度車の真ん中辺りで車輪が浮いてしまい いわゆる亀の子状態になってしまいました。幸いにも近所のおじさんたちが駆け寄ってくれて手伝っていただけたので 何とか難を逃れることが出来ました。私は現在の車は 最初から走行に問題がなければ 傷ついても一切修理しないつもりで 乱暴に運転していますから バンパーが相当に傷ついて ある部品が外れてしまうぐらいの被害を受けましたが 先輩に文句の一つも言いませんでしたが もっと上等の車に乗っていて 大事にされている方なら修理代位請求したかもしれないと思います。
    まあ車の事は置いといて その喫茶店というのが 京都でいういわゆる町屋風のお店でした。そこでコーヒーを頂きながら お互いの知っている団員たちの近況などを語り合いました。私も塩野義に勤めている頃は 夜遅くに会社に戻った時に コッソリと遠方の友人たちに電話をかけて 色んな情報を集めていましたが 最近は合唱団のOBたちの集まりなどにもほとんど顔を出していませんでしたから 友人たちの意外な近況に驚くことが多かったです。結構皆偉くなっていて 若干焦りを感じましたが ひがんでもしょうがないので素直に受け入れました。
    タップリと話をした後 せっかく関ヶ原まで来ているので 出来たら古戦場の一つぐらいは訪れてみたいと思っていましたが その喫茶店を出た時は 雨が止んでいました。
    それで石田光成が布陣した笹尾山に案内してもらいました。先ほどまで土砂降りでしたから 地面はぬかるんでいましたが 見晴らしの良い場所で 関ヶ原の合戦の大まかな位置関係が見て取れましたから 興味深かったです。先輩と別れて 高速を帰っていると又雨が降り出しましたから ラッキーだったと思います。
    先輩を十一月の枚方市 卒団生の集いに お誘いしましたが 結構忙しくなさっているみたいで 色よい返事はもらえませんでした。残念です。車がまた一段とオンボロになってしまいましたが それなりに有意義な一日だったと思います。

  • 9月25日 ナーちゃんとカズミンの写真集を購入しました

    以前から予約していたナーちゃんとカズミンの写真集が入荷したとの電話が 本屋さんからかかってきましたので 喜び勇んで購入してまいりました。私のブログをある程度読んで頂けている方には 詳しい説明は不要だと思いますが 念のために説明しておきますと カズミンと言うのは 乃木坂46のメンバーの高山一実さんの事です。ナーちゃんと言うのは同じく乃木坂の西野七瀬さんのことです。更に付け加えると カズミンが 私の一押し つまり一番お気に入りのメンバーで ナーちゃんが二押し即ち二番目に好きなメンバーです。
    私の中では カズミンの方がランクはナーチャンよりも上なのですが どちらの方が可愛いと思うかと問われたら 残念ながらナーちゃんと即答してしまいます。六十年近く生きてきた私が その間ずっとアイドル好きを続けてきましたが 私がこれまでに見続けてきたアイドルの中で ナーちゃんの可愛らしさは 一番だと思います。ナーちゃんは 顔だちが可愛いだけではなくて 性格がいいのです。真面目だし、かなり不器用だし、一本気で絶対に嘘がつけないように思います。そんなに可愛いのに 控えめで 謙虚で お淑やかで とっても優しいのだと信じています。
    奥様に言わせると ナーちゃんは顔だちもそれほど可愛らしくはない アイドルとしては普通 乃木坂でも平均点、性格にもかなり問題がある とけなしてばかりです。確かにナーちゃんは東京で四年ぐらい暮しているのに 友達が一人もいないのだそうです。私なりにその事実を解釈すると ナーちゃんは人見知りが強いし 真面目で不器用なので 友達がうまく作れないだけで そんなナーちゃんが余計に愛おしく思えてしまいますが、奥様に言わせると そんな長い間友達が出来ないのは 性格によほど大きな問題を抱えているのよ とのことです。私は奥様の人物観察力には 一目置いていますので そんな風に言われると不安になってしまいます。
    とある乃木坂の二期生がインタビューで話していましたが その子にとってもナーちゃんはあこがれの存在だけと 三年ほど同じグループで活動してきたのだけれども 一度も話したことがないのだそうです。話しかけたくて 事あるごとにそばにまでは行くのだけれども 勇気が無くて話しかけられないのだそうです。勿論ナーチャンも同じ乃木坂のメンバーですから 名前と顔は知っているはずです。ナーちゃんの方が先輩ですし ちょくちょく自分の傍に寄ってきている事には気づいているのでしょうから 話しかけてあげればいいように思うのですが ナーちゃんからのアクションは皆無なのだそうです。
    奥様に言わせると そんなナーちゃん には優しさの欠片もないのよ と断定されてしまいますが 確かに 三年間位ともに活動してきているメンバーと 一言もしゃべっていない と言うのは首を傾げたくなってしまいます。ナーちゃんもセンターを何度も務めるなど 乃木坂の顔と言える存在でありますし 握手会では一番レーン 一番奥の一番長い行列がならべるレーンが指定席の一番人気のメンバーですから 周囲にもう少し細かい気遣いが出来るようになると 更に完璧なアイドルに近づけると思います。
    ここまでの文章を振り返っても 殆どナーチャンの事ばかり書いてしまうぐらいに 私はナーちゃんが大好きです。でも私の中で カズミンが一押しメンバーであることは間違いありません。昨年末に 今年のカレンダーを購入するときに 乃木坂全体のカレンダーには 各メンバーが一度ずつ登場していました。人気のあるメンバーはツーショット あまり売れていないメンバーはファイブショットになっていました。ちなみにナーちゃんは勿論 カズミンもツーショットで登場していました。それとは別に卓上用のカレンダーが これは各メンバーごとに発売されていました。ある意味このカレンダーの売り上げ数が 各メンバーの人気のバロメーターになるのかもしれません。売上ランキングは 勿論ファンにとっては興味深いはずですが 公開はされていないように思います。私は勿論こちらは カズミンを指名して購入しました。ナーちゃんはどっち道ほっといても 一番人気が確定しているからです。
    カズミンの容姿は 勿論アイドルとしては 平均点以上だと思います。可愛い女の子の揃っている乃木坂で これまで発売されたシングルCDの全てで 選抜メンバーに入っていますから 上から数えて何番目かの人気メンバーだとは思いますが 正直ナーチャンと比較すると かなり点数が低くなってしまいそうです。
    ナーちゃんは見た目が可愛いけれでも 性格がいいと書きましたが カズミンはもっと性格がいいのです。悩み事を抱えたメンバーがいれば 相談にも積極的に乗ってあげて 的確なアドバイスをしてあげるし メンバー全体の雰囲気が緊張したりして沈んでいると 大きな声で笑える話をして その場を和ませたりします。二期生の面倒見もいいので 慕っている子も少なからずいますから ナーちゃんに不足気味の 周囲への気遣いも十分にできています。メンバーへのアンケートで 裏表のないメンバーとして 一番にカズミンの名前が上がっていましたから テレビで見た通りの カズミンはとってもいい子なのだと思います。
    しかしながら 女の子としてどちらが魅力的かと問われれば やっぱりナーチャンに軍配が上がるみたいです。何故なら 二冊の写真集を ざっと一通り目を通してから その後に開いてみるのは ナーちゃんの写真集ばっかりなのです。カズミンが嘆いていました。私の写真集は 殆ど地元の千葉県だけで撮影したのに ナーちゃんはほぼ同時期に撮影したのだそうですが海外のマルタまで出かけたのだそうです。まあナーチャンも一冊目の写真集は 地元関西と東京で撮影していました。売れ行きが良かったので 二冊目の写真集を出してもらえたのだと思います。カズミンもこの写真集の売り上げがそこそこなら 二冊目の話が持ち上がるのでしょうから 頑張ってPRすることでしょう。
    結論として思う事は ナーちゃんは一緒に出歩いて 買い物をしたり食事をしたりするのには 最高の女の子だと思います。カズミンは奥さんにして 家庭を守っていてもらって 仕事から疲れて帰宅した時に 温かく迎えて欲しい女の子なのだと思います。

    還暦近い爺さんが 何をアイドルについて 熱く語っているのかと ふと冷静になってみると 赤面してしまいますが 私には他に趣味も楽しみもないのですから 大目に見てやってください。

  • 9月24日 本日は清掃の日なのだそうです

    1971年の本日 「廃棄物の処理と清掃に関する法律」が施行されたので 本日を「清掃の日」と呼ぶようになったのだそうです。私は ずぼらな性格ですから 掃除は勿論苦手です。食欲旺盛なので 料理を作ることは趣味と言ってもいいのかもしれませんし 調理するのに使った鍋などの調理器具を洗う事は 殆ど苦痛ではありません。食べ終わったと後の食器を洗って片づけるのも 又次に料理を作るためには 必要な手順なので 皿洗いは全然面倒とは思いません。
    洗濯も好きではありませんが 汗かきだし匂う下着は嫌なので 毎日確実に洗濯物が溜まっていきますし 全自動の洗濯機の場合ボタンを押して 洗剤を入れるだけなので それほど面倒だとは思いません。自分の古ぼけた 黄色いシミの残ったパンツを干していると 若干情けなくもなりますが 自分がシミを付けたパンツですから 諦めて干します。
    私は いわゆる家事の中で 料理と洗濯は それほど苦痛ではないのですが 掃除が苦手です。勿論清潔な 掃除の行き届いた部屋で 生活する方が快適なのは当たり前ですが とっても面倒に感じてしまって 殆ど掃除をしません。勿論病院は 患者さんの目がありますから 最低限の事はしますが 自分の部屋の掃除は 別にしなくたって 誰に迷惑をかける訳でもないので サボってしまいます。
    あまりひどい状態になると 奥様が見かねて 簡単に掃除をしてくれますが 奥様は病院の仕事をフルに手伝ってもらっていますし そんな忙しい中で 自分の生活している家の家事を全部きちんとこなされていますから あまり手伝わせたくありません。ですから自分の為 というよりも奥様が見かねて 掃除をしないで済むように 出来るだけ部屋を汚さないように 心掛けています。掃除機は ありますがイチイチ物置に片づけません。部屋の片隅にいつも立てかけてあります。
    すぐに使える場所に出してありますから 気が付いた時に 掃除機をかける事は それほど苦痛ではありません。使い終わったら 又元の場所に立てかけるので そんなに面倒でもありません。
    何しろリビングが三十畳以上もありますから 広々としていて 少々物を出しておいても 殆ど邪魔には感じないのです。只走り回れるぐらいに広いので 掃除機をかけるだけでも結構時間がかかるので 自分が普段生活しているスペースはそれほど広くありませんから その部分だけに掃除機をかけて終りにしてしまいます。
    あと少しして 南の島に移住した時には また奥様と一緒に暮らすつもりですから それまでの辛抱だと思っています。勿論一緒に暮らすようになっても 自分でできる家事は なるべく手伝うように心がけるつもりです。何にしても 一人で寂しくて 不便な生活から 脱却するためにも 早く仕事を引退したいと考えてしまう私です。

  • 9月23日 尿道にカテーテルが挿管できませんでした

    昨夜の遅い時間に 電話がかかってきて 飼い猫のおしっこが昨日今日と出ていないので診て欲しいとのことでした。このブログにも何度も書いていますが おしっこは三日でない状態だと死に至る場合が多いのです。かなりの緊急事態みたいなので 結構遠くの方でしたが 来院して頂くことにしました。おしっこが出ない猫の場合 大抵は尿道にカテーテルを挿管して おしっこの通り道を確保して 取り敢えずは膀胱に貯まっているおしっこを出してあげます。その後膀胱に温めた生理食塩水をカテーテルから流し込んでは 体外に導出することを繰り返して 膀胱内を洗浄します。
    そしてカテーテルを引き抜いて 自力でおしっこが出そうな状況であれば その場の処置は終了しますが カテーテルなしの状態では すぐにまたおしっこが出にくくなりそうな状況であれば カテーテルを尿道内に何日間か留置することもあります。カテーテルについている羽の部分とおちんちんの包皮を縫い付けるのです。カテーテルを留置している場合は 本人の意思に関わらずおしっこが漏れてしまいますから すのこのあるケージの中に入れておかなければならないのかもしれませんので 本人としても 飼い主さんとしても かなり面倒な状況になってしまいます。
    とは言っても おしっこがまたでなくなるとすぐに命に関わる状況になってしまいますから 致し方ないのかもしれません。私はこの地で開業してから 二十年以上にもなりますから 雄猫がおしっこが詰まってしまって 尿道カテーテルを挿管する処置は 百回以上経験しています。正直申し上げて これまでにも挿管を諦めかけた事は何度もありましたが 結果的には何とか辛うじて挿管を試みたケースでは 全て挿管できていました。
    所が 昨夜は 尿道にカテーテルを挿管できませんでした。この作業は おちんちんをつまんで 尿道口からカテーテルを膀胱まで通すのですが 基本的に太っている猫の場合は おちんちんがお腹に埋まってしまって しっかりとつまみにくくて やりにくいのです。人間のおちんちんにも個人差がありますが 猫のおちんちんにもそれなりに個体差があります。勿論立派なおちんちんの方が作業がしやすいのですが 今夜の猫のおちんちんは 異常に小さかったのです。
    普通の猫の場合 麻酔を弱めにかけてあおむけに寝かせて おちんちんが突出しやすい状況に保定します。その体勢で 普通はおちんちんが一センチ位でてきますから そこをつまんでカテーテルを挿管するのですが 昨夜の猫は ほんの三ミリぐらいしか出てこないのです。私の太い指では そんな小さなおちんちんはしっかりとつまめません。奥様にもチャレンジしてもらいましたが やはり無理でした。仕方がないのでおちんちんの先端部分をピンセットで挟んで保持してみました。その状態でカテーテルを挿入しようと試みましたが おちんちんが普通のサイズの半分以下ですから 恐らく尿道口も凄く小さかったのだと思いますが カテーテルが全く尿道に入っていかないのです。
    これまでも挿管が難しくて 何度も諦めかけましたが いずれも最後の一頑張りでなんとか入ってくれました。所が 恐らく今夜の猫の場合は異常におちんちんが小さすぎましたから物理的にカテーテルの挿管が難しかったのかもしれません。犬の場合は体格差が大きいので カテーテルの太さにも大小幾つかのサイズがありますが 猫の場合は決まった太さのカテーテルしかありません。これまで百匹以上の猫では何とか挿入できましたが 残念ながら無理でした。仕方がないので 飼い主さんに正直に状況を説明して 何もしてあげられないままにお返しすることになってしまいました。尿道をお腹に縫い付ける手術になる可能性が高いので 近所の病院にかかることをおすすめしました。
    私は決して手先が器用な人間ではありません。もっとカテーテルの挿管の経験が豊富であり 上手な獣医師さんなら 違う結果になったのかもしれません。自分の能力の低さを痛感させられたようで 悲しくなりましたが 残念な結果を逃げずに受け止めて これからの診療活動を頑張ることが 今夜の結果的には何にもしてあげられなかった猫ちゃんへのお詫びになるのではないかと考えます。あと数年はこの仕事を続けていくつもりですので 病気やケガで苦しむ動物に 少しでもお役にたてるように 務めていこうと真剣に思いました。

  • 9月22日 焼肉店「いただき」でランチを頂きました

    食べ放題の焼肉屋さんは あちこち巡ってみましたが 一号線沿いにある「いただき」は 夜に二度ほど伺いましたが なかなかの内容で 現在は一番お気に入りのお店かもしれません。焼肉屋さんですから 勿論お肉の種類と内容が一番大事なのかもしれませんが メニューの数は非常に豊富ですし 上手に注文すれば かなり美味しいお肉が食べられるように思います。このお店の素晴らしいのは お肉以外の食べ放題のメニューもかなり充実している事かもしれません。
    サラダもバラエティーに富んでいますし 一品料理も鶏の唐揚げや 酢豚、肉じゃがなど どれも凄く美味しいのです。カレーにラーメン、うどんと言った麺類も美味しいし デザートも凄く充実しています。甘いもの大好きな奥様が ここのデザートは最高と仰りましたから 相当にレベルが高いのだろうと思います。それに店員さんが いずれも若くてかわいらしくて その上結構気が利いているのもかなりポイントが高いように思います。そんな事で夜には何度か来ていましたが その時に日曜祝日はランチ営業もしていることを知りましたので 本日試しにやってきました。
    焼肉は勿論大好きですが ランチですから お肉を食べるつもりはあまりありませんでした。所が一番安いランチでも 1080円で六品から三品を選んで 焼肉が食べられます。勿論一品60グラムずつですから 量的には大したことはありませんが 二人で合わせて360グラムも お皿に盛られていましたから ランチとしては 食べ応え十分です。それ以外に夜と同じメニュー 鶏の唐揚げや酢豚や肉じゃが それにカレーや麺類 充実したデザートが 食べ放題なのです。焼肉は 二人とも同じ種類を頼みました。牛カルビと 牛シャブ、トンテキをチョイスしましたが 十分満足できました。奥様としては ソフトクリームが夜限定だったことに少しだけ不満があったみたいでしたが 普通のアイスクリームは六種類そろっていましたから 十分だと思います。
    ここのランチは 日曜祝日しか営業していませんから 来られる日は限られていますが 非常に割安な価格設定ですし とても美味しくて 満足感が大きかったので 今後もちょくちょくやってこようと思います。祝日の昼ですから 子供のお客も多いし 多少賑やかではありますが 暇なおばさんたちが 何時間もたむろし続けるランチブッフェよりは よっぽどましな雰囲気だったと思います。一般的なブログでのランチ報告の場合 当然お肉の写真などが掲載されるのでしょうが 私のブログはひたすらも字のみです。カラフルで視覚に訴えるブログを期待される方には 申し訳ありませんが お許しください。

  • 9月21日 1933年の本日 宮沢賢治が38歳で亡くなられました

    現在の私よりも二十以上若くして亡くなられたわけであり 没後百年近く経っていますが 宮沢さんの名前は 燦然と輝いているように思います。宮沢さんの職業としては 高校の教師をされていましたが 童話作家として現在にも残る作品を幾つも生み出されていますし、「雨ニモマケズ」の詩の知名度は現在でも相当なものだと思いますから詩人として紹介されるべきなのかもしれません。
    宮沢さんの代表作と言えば やはり「銀河鉄道の夜」かもしれません。でも若い人に尋ねたら「銀河鉄道999」と勘違いする人の方が多いのかもしれません。以前は ドラマ化されたり ミュージカル化されたり アニメ化されたりして そのストーリーに出会う機会も多かったように思いますが 最近ではそんな話もあまり耳にしません。
    私がしっかりと呼んだ記憶があるのは 他に「注文の多い料理店」と[風の又三郎」と言う短編童話ぐらいですから自慢にもなりませんが どの作品も読み終えた時に 一般的な童話の様に分かり易い教訓めいたものは すぐにはピンときませんでした。特に「注文の多い料理店」は おどろおどろした結末でしたが 一般的な解説にかかれているように西洋かぶれに対する風刺 と言うのが適切であるのかどうか 正直よく分りませんでした。童話と言っても 子供向けの話と言うよりも 大人が読んで いろいろと考える機会を貰えるような 奥の深い短編説話だと感じました。
    私たちの年代は「雨ニモマケズ」の詩を 国語の教科書で必ず習ったはずだし かなりインパクトのある文体でしたから 相当に深い印象が残っている方が多いように思います。現在も やはり国語の教科書に登場していて 私たちと同様に高い知名度があるのでしょうか。
    私は一つ目の大学生の時に在籍していた合唱団の定期演奏会のパンフレットのパート紹介の文章を担当しましたので 私の所属するベースのパート紹介を「雨ニモマケズ」の文章をモチーフにして書きました。どれぐらい来て頂いたお客さんに受けたのかよく分りませんが この宮沢さんの詩を御存知ない方は少なかったと思いますから 少なくとも団員の評判は悪くなかったように 自惚れております。次の年の他の合唱団のバート紹介にも登場していましたから アイデアを盗作されたようで腹立たしく思いましたが 不安になって過去のパンフレットを調べてみると 皆思いつくことは似たり寄ったりだったみたいで 過去十年間だけでも 少なくとも三つの合唱団のパート紹介に引用されていました。「雨ニモマケズ」の詩が いかに知名度が高かったのかが 証明されたのかもしれません。
    現在の若い人たちへの宮沢さんの知名度が どの程度のものか 見当がつきませんが ある意味日本の宝のような人物ですから 忘れ去られてしまう事は とても残念な事だと思います。凄く才能のある方であったのは 間違いないと思いますから 僅か38歳で 亡くなられたことはとても残念な事です。私の様に何の才能にも恵まれず その上一生懸命に努力を積み重ねてこなかった人間は 世の中に殆ど何も貢献できないままに 年だけ取ってしまいました。私の惨めな人生を 才能豊かだった宮沢さんの人生と比較すること自体が失礼にあたるのかもしれませんが 情けなくて死にたくなってしまいます。もう後ほんの数年で仕事を引退しようと考えていますが 現在の仕事を死ぬ間際まで続けても状況は変わらないのでしょうから 早目に若い人に席をお譲りして 見苦しく足掻くことはしないでおきましょう。マッカーサーの言葉の様に「老兵は死なず、ただ消えゆくのみ」と言った感じで 引き際位はカッコよく飾りたいものです。

  • 9月19日 私にとっては とっても悲しい言葉の変遷

    私は二つ目の大学 岐阜大学に通っている間 授業料から生活費から全てアルバイトで稼いでおりました。主な収入源が 中学生相手の大きな学習塾で 国語の先生をしておりました。中学生相手ですから英語や数学の方が 準備が簡単だし 生徒も意欲を持って取り組む科目ですから やりがいがあるのかもしれませんが ある意味ちゃんとした大学の理系の大学生なら誰でも務まる科目だと思います。理科や社会は 勿論ある程度の基礎知識はあるつもりですが 歴史の細かい年号や 公民の興味のない分野だと質問されても即答できないかもしれません。理科でも 地学の分野 石の種類や 天文分野の問題は全く興味がないので ウッカリ質問を受けてしまって 必ず正解できる自信がありませんでした。
    その点国語は 割と文法などには子供の頃から興味がありましたから もう一度中学生レベルの日本語文法を徹底的におさらいしておきましたので 心配なのは 漢字の問題で確実に正解できる自信はありませんでした。そこで国語辞典を一冊だけ教室に持参していきました。自信のない漢字を質問された時には 勿論分ってはいるけれども 万が一はねや押さえ等細かい点で間違いがあるといけないので 念のために辞書で確認する ともっともらしく言えば 事なきを得ました。念のために 即答できるような簡単な漢字でも いちいち辞書で確認するという 面倒な伏線を張り巡らしておきましたから 自信が無くて辞書を引いている時でも 疑われることはあまりなかったように思っています。 
    よく国語は何を教えればよいのかわからない と言われますが 私が主として教えたのは 基本的な文法の知識を徹底させたこと そして長い文章の主語と述語を見付ける事でした。中学生のレベルの基礎文法なんてきちんと整理して教え込めば 簡単に覚えきれるものです。そしてかなり長い文章でも その文章の作者が表現したかったことを理解するのには 主語と述語さえ見つければ簡単に読みとることができることを教え込みました。勿論理解できた生徒はそんなに沢山いませんでしたが 分ってくれた子たちは 国語の科目が と言うか文章を読むことが 好きになったと言ってくれました。私の真意を理解してくれた子は 相当に優秀な生徒でしたが 数学の問題も文章題なら 問題の作者が何を問うているのか どんな数学的知識を試そうとしているのか 理解できるようになったので 簡単に正解が導き出せるようになったと言ってくれました。
    そんなわけで 私は日本語の基本的な文法については 普通の方よりも少しだけ思い入れが強いのだと思います。本日テレビで見たニュースによると 「食べられる」と言う言葉を「食べれる」と表現する人の割合が半数以上を占めるようになったのだそうです。言葉というものは 非常に流動的な存在であり 常に新しい形に変化していくものであることは 何となくわかっているつもりです。「食べられる」と言う言葉は 食べると言う動詞と られる と言う可能の意味を表す助動詞から構成されている言葉です。同じ形で同じように変化する助動詞に 受け身を表す場合や 尊敬を表す場合もあります。ですから字面だけを見たら 「食べられる」と言う言葉で 食べることができる と言う意味をあらわしているのか 食べられてしまうという意味で使われているのか曖昧になってしまうから 「食べれる」と言う表現の方がいいのではないか 等とその時解説していた言語学者を名乗る三流大学の教授は偉そうに言っていたが 私はその主張は全く間違っているように思います。その助動詞がどの様な意味合いで使われているのかは 前後の文脈から推定できるからです。
    現在の若者が きちんとした日本語の基礎的な文法を身に着けずにいるから そのような誤った日本語がまかり通るようになってしまったのだと思います。結局はキチンと日本語の文法を教えてこなかった小学校 中学校 高校の国語の教師に責任があるのだと思います。先程の大学教授が 「食べれる」と言う表現に対して肯定的な発言をしたのは ある意味若者に媚を売っているように感じましたし 国語の教師を敵に回さないための発言の様にしか思えません。
    まあこんなことにこだわっているのが 昔気質のジジイである証拠かもしれません。でも私は 最近よく言われている ゆとり世代は学力的に劣っている と言う残念な事実から 目を背けないで生きていきたいのです。勿論 ゆとり世代にも 賢くて頭の回転の速い人は沢山いますが 大半は己の置かれた立場に対する危機感とおバカであることへの自覚が欠けていることが心配なのです。もう結構前から芸能界 特にバラエティの分野で おバカタレントがもてはやされています。
    確かに常識外れた受け答えは笑えますし あんなおバカよりは自分の方が少しはましである とささやかな優越感にも浸れます。しかし同じ日本人として そんな一般常識を持ち合わせていない人間が 一人前扱いされて 表面的にはもてはやされているために 勘違いして偉そうな口をきいているのに 危機感や嫌悪感を感じる私はおかしいのでしょうか。若い人は 当然生きてきた期間が短いのですから 経験に乏しくて 過去の事実を知らないのは 当然かもしれません。しかし本当に賢い人間は 過去の出来事をちゃんと勉強して 知識として身に着けているし 古いことを知らないのが 新しいと言う事だ等と勘違いして生きているのは はっきり言って見苦しいです。
    話が大分横道にそれてしまいましたが 要するにきちんとした文法を身に着けていないために 日本語として誤った使い方をされている言葉が その使用頻度が上がったからと言って 正しい使い方とみなされていくことは やっぱり私は間違っているように思えて 悲しくなってしまいますが 如何なもんでしょうか。