Dr.喜作のブログ

2017年12月 の記事一覧

  • 12月31日 大晦日ですから 簡単にこの一年を振り返ってみましょう

    一月は正月が明けると 例年通り 確定申告の作業を始めました。根がグウタラな私は 本来毎日やるべき仕事 その日の売上伝票を束ねて 合計金額を算出して 振替伝票に記入したり 経費が発生したらその領収書なりレシートなりを伝票に貼り付けて その科目などを記入したり 銀行にお金を預けたら それも記入したりするべきなのですが 私はそういうこまめな作業が 経営者であるのに苦手なので 一年間ほったらかしにしておいて 年が明けたら 一斉にその作業に取り掛かるのです。勿論この作業がスムーズにスタートを切れるのは 奥様が 売上伝票や領収書、レシートの類を月別に日付順に 整理して保管しておいてくださるからです。
    振替伝票が一年分完成したら そのデーターをパソコンの会計ソフトにひたすら入力します。兎に角データーを入力してしまえば 後は仕上げの操作を奥様にお任せしておけば 確定申告は終了してしまいます。プリントアウトした書類を税務署に提出して 保管用の書類にハンコをもらって ファイルにとじ込めば 確定申告の作業は完成します。確定申告の作業は普段からやっておけばそんなに大変な作業ではないのでしょうが ここ二十年近く 毎年年明けの約一月で片づけてしまうのが習慣になっていますので それなりに大変です。頑張った自分へのご褒美として 二月に毎年旅行に出かけます。以前はディズニーランド一辺倒の時期がありましたし 伊勢志摩が気に入ってしまって 何度が通ったこともありました。
    今年はお城好きの奥様が 改修の終わった姫路城をみてみたいと仰ったので 西に向かう事にしました。朝早くに出発して 姫路城の開門時刻には到着して 一番乗りで壮大で美しい姫路城を見学しました。兎に角お城は広いし天守閣は高いので沢山歩いて 何段も階段を上ってやっと天守閣のてっぺんに辿り着きました。てっぺんからの眺めは 雄大でしたし こんな立派な建物を凄く昔に建築した技術に感動しました。姫路城を見学するとさらに西に進んで 瀬戸大橋を渡って 生まれて初めて四国に上陸しました。香川県と言えば うどん県と自称するぐらいですから 美味しそうなうどん屋さんをネットで検索しておいて 巡ってみました。それなりに美味しかったけれども 大阪のおうどんも美味しいので それほど感動はしませんでした。
    高松城で 堀を泳いでいる立派な真鯛に餌をやってから 渦潮を見学に行きました。時期と時間帯としては 大きな渦潮が見られるはずでしたが 船ですぐ近所から眺めましたけれども 期待が大きすぎたのか ここももう一つ感動しませんでした。淡路島に上陸し一泊して 最後は北野ホテルに宿泊しました。有名な高級ホテルでしたから 部屋は凄く豪華で驚きました。翌朝頂いた 評判の世界一の朝食は さすがに素晴らしくて かなり感動しました。また食べたいです。神戸の観光船にのったりして 無事に病院に帰り着きました。
    四月五月は 例年通り病院が忙しくて 売り上げも順調に伸びましたので ホッとしました。六月ぐらいから とても暑くなりましたが デブにとっては辛い季節でした。何とか秋になって涼しく 過ごし易くなりました。秋の旅行は 淡路島が一度春に訪れて 凄く気に入ったので 淡路島を中心にプランを組もうかと考えていましたが 引退後の移住先を 長野県か 静岡県から探しているうちに 移住担当の方と何度もメールのやり取りをしましたので 暖かく迎えてくれそうな 長野県の辰野町と箕輪町を下見がてら 訪ねてみることにしました。どちらも移住の下見などで訪れた時に 無料で宿泊させてもらえる施設がありましたので そちらを利用させていただきました。
    初日 やはり早朝に出発して 辰野町役場が始業する九時には 駐車場に到着しました。それからタップリと一日半辰野町を案内してもらったり 移住の先輩から直接話を聞いたりしました。長野県は 夏でもほとんどクーラーが必要ないぐらいに涼しいのだそうですが 九月の気温は大阪とほとんど差がないように感じました。但し冬は 結構大きな池が凍りつくのだそうですから 大阪とは段違いの寒さのようです。来年の二月の一番寒い時期に タイヤチェーンを用意して もう一度訪ねてみて その寒さを実感してみようと思いました。雪はそれほど降らないので 寒さを辛抱すれば それ程生活に支障はないようです。二日目の午後から箕輪町に移動して こちらの町も案内してもらいました。三日目はリンゴ収穫と言う農業体験も予定されていて楽しみだったのですが 奥様のお母様が急に具合が悪くなって 緊急入院して その日のうちにも手術が必要な状況になりましたので 急遽大阪に帰りました。その後お母様の容体は落ち着かれて 無事退院されましたので ホッとしました。
    それから 秋には一つ目の大学時代の合唱団の かなり大規模な同窓会が開かれました。皆で集まって 在学中にお世話になった先生たちがお亡くなりになられたので久し振りに合唱曲を練習して ご供養がわりに演奏しようといった趣旨での集まりでしたので 私は歌う曲をそれなりにしっかりと練習して 参加しましたが 演奏している最中に体調が悪化してしまい 結局救急車で病院に運ばれるといった 大失態を演じてしまい 大恥をかいてしまいましたので あまり楽しめませんでしたが 懐かしい友人の顔が見られて とても楽しかったです。
    そこで体調を崩したのは 私がデブだからとは限りませんが みんなから 元気で長生きしたかったら もう少し減量するように 厳重注意を受けてしまい 久し振りに体重計に乗って 減量を開始しました。先週病院に出かけた時には なんとか101キロまで落ちていましたが クリスマス 忘年会などで食べてしまいましたので また104キロまで体重が増えてしまっています。年賀状には 100キロまで頑張って減量しました と書いてしまいましたが 嘘をついたことになってしまいますので 今年はお正月に好物のお餅を食べないようにして 何とかは約100キロに少しでも早くなるように努力しようと思います。
    こうやって振り返ると いろいろとあった一年ですが 何とか元気に年末を迎えられましたし 仕事も順調で 奥様もお元気でご機嫌が麗しいので とても良い一年であったように思います。来年もまた 今年と同様に 平穏無事に過ごせていい一年だったと振り返られるように 頑張って生きていこうと思います。今年一年 この文字を羅列しただけのダラダラと長ったらしい ブログを読んでくださった皆様 本当にありがとうございました。どうぞいいお年をお迎えください。

  • 12月30日 乃木坂がレコード大賞を受賞しました

    子供の頃には 非常に注目していましたが 最近は あまり興味が持てなかったイベントです。 AKBが過去に受賞していますし 現在の勢いからすると乃木坂の方が完全に上回っているようなので 乃木坂の受賞は当然と言えるのかもしれません。私は時代遅れの人間なので 新しい楽曲が発表されたら 昔はレコード 現在はCDと言う形のあるソフトを購入する方法しか 分りませんが お若い人たちはその曲の情報を有料なのでしょうが ダウンロードしてしまい データーとして入手して 再生して楽しむという方法が かなり定着しているみたいです。
    そんな時代に AKBや坂道が たくさんCDを売り上げているのは一重におまけとしてついている握手券や選挙券にあると思います。今年の曲別CD売り上げをみても 一位から四位までAKBの曲 五位から七位までが乃木坂の曲 八位と九位が欅坂の曲 十位にやっと嵐が顔を出しているのだそうです。今年最大の売り上げを記録したのがAKBの「願い事の持ち腐れ」なのだそうですが この曲には総選挙の選挙券がついていたので 二百万枚以上の大ヒット曲となったみたいです。その割には 総選挙の得票数が伸びていないようにも思いますが まあグループ数が増えて 選挙に参加する人数が 膨大になっていますから 一人あたりの獲得票数がそれほど増えて見えないのかもしれません。
    CDの売り上げ数からみると まだまだ乃木坂は AKBに全然及んでいませんが コンサートの集客数などでは 逆転していると言われていますから 勢いは乃木坂の方が上回っているのかもしれません。但しAKBのCDがよく売れている理由としては 選抜メンバーが SKEやNMB、HKTなどの各グループの 人気メンバーをかき集めて 選抜メンバーを構成しているので 全グループのファンが購入しているからかもしれません。その分ほかのグループの曲の売り上げに影響していることは あるように思います。
    レコード大賞を受賞する曲と言えば 私が子供の頃にはそれこそお年寄りから子供まで 曲名やサビのメロディーを知っているぐらいの 認知度はあったように思います。ですからその年の日本で一番ヒットした そして愛され よく口ずさまれた 楽曲が受賞していたように思いますが 乃木坂の「インフルエンサー」と言う曲を 若者なら勿論誰でも知っているでしょうし サビのメロディーぐらいは歌えるかもしれないと思いますが 中年以上の御年配の方々や 小さな子供が知っているかと言えば かなり疑問だと思います。
    勿論私が子供の頃と現在では四五十年経過しているわけですから 芸能界の音楽事情も激変しているのでしょうし 勿論私が子供の頃には パソコンやインターネットなんて影も形もなかったし 楽曲のデーターをダウンロードするような形でソフトを入手する手段なんて 誰にも想像がつかなかったと思います。昔は一家に一台のテレビしかないのが当たり前で 家族みんなで同じ番組を見ていたのが 現在では パソコンや携帯電話でテレビ放送を視聴することも 極当たり前になっている時代ですから 親子が同じ番組をみる状況なんて一寸考えられないのかもしれません。ですから違う世代と共通のヒット曲なんてもはや存在しえないのかもしれません。
    まあ乃木坂も結成されて 既に六年が経ちましたから そろそろレコード大賞を受賞してもいい時期だったのかもしれませんし、来年には主要メンバーの卒業が噂されていたりもしますから 最初で最後のチャンスをうまいことものにできて良かったと喜ぶべきなのだと 乃木坂の大ファンである私は 素直に受け取りたいです。必要以上に乃木坂に対して敵対心を持ちすぎている どブスのサシコが 悔しがっていることを 想像するだけでも凄く痛快な気持ちです。
    現実的には AKBは 初期から活躍していたマユユが 卒業することで 完全に衰退期に入ると思いますし 乃木坂も一応頂点を極めたわけで これからは下り坂しか待っていないように思います。所詮アイドルグループですから ブームが去ってしまえば 衰退していって 何時かは消え去るのみだと思います。まあナーチャンだけは 乃木坂が消滅しても 例えオバサンになってしまっても 応援し続けるつもりでおります。あまり先読みをして暗くなってしまうよりも 今宵は取り敢えず 乃木坂のレコ大受賞を無邪気に喜んで新年を迎えようと思います。バンザーイ、バンザーイ、バンザーイ。

  • 12月29日 1675年の本日イギリスにコーヒー禁止令が出されました

    そもそもコーヒーと言う飲み物の発祥の地はアフリカのコロンビアなのだそうです。そこから徐々に中東に広がり 1600年代にヨーロッパにも伝わり 1640年ごろにイギリスにも伝わったのだそうです。当時のイギリスのコーヒーハウスと言うのは 知識階級などが集まって 情報交換をする場であったりして 結構重要な役割を果たしていたのだそうです。但し当時のコーヒーハウスは女人禁制だったのだそうです。その為に女性を中心にコーヒーに対する反対運動を高まり とうとう国からコーヒー禁止令が 出されるにいたってしまいました。
    現在のイメージとしてはイギリスと言えば紅茶のイメージがありますが コーヒー文化の方が 時代的には 先に花開きかけたのですが 何故がコーヒーハウスは女人禁制と言うしきたりがあったために 禁止令が出てから 仕方なくかもしれませんが 紅茶文化が定着してのだそうです。現在のイギリスは 紅茶が無ければ 一日が始まらないような生活様式になっているのだそうです。私の大学の研究室の教授が イギリス留学が長かったみたいで かなりイギリスの生活文化が染みついているみたいでした。朝まず大学の研究室に顔を出すと 必ずお茶を飲みながらのゆったりとしてお喋りにつき合わされます。もしその場でコーヒーでも飲もうものなら そんな野蛮な飲み物は 止めてくださいと とぴしゃりと注意されてしまいました。
    誰にとっても朝のひと時は貴重なのに 授業の始まる前の十五分間ぐらい 教授との紅茶を飲みながらのお喋りにつき合わされるのは かなり苦痛でしたが その教授の研究室で卒業研究をしたかったので致し方なく お付き合いしておりました。まあおかげで授業に遅刻することは全然ありませんでしたから 本当は有難かったのかもしれません。只先生が紅茶好きでコーヒー嫌いなのはご自由なのですが 嗜好品の好みを 学生に押し付けるのは もし現在ならパワハラと言われていたのかもしれません。私は昼食後に のんびりとした気分になりたいときにはコーヒーを飲みたくなっていましたが その研究室にいる間は コーヒーブレイクできませんでした。まあその分結構上等の香り高い紅茶を御馳走になっていましたから 文句は言えませんでした。
    私も一時期は サイホンを購入して ミルで自分でコーヒー豆を挽いて 何とかコーヒー通になろうと頑張ってみた時期がありましたが どんなに頑張っても 豆の種類の違いを区別することが出来なくて コーヒー通になることを諦めました。その次に では紅茶の茶葉の産地の違いを感じ取れないかと チャレンジしてみましたが 勿論香りの違いは何となく分りますが どの香りがどの産地の茶葉かを判別することはやはり出来ませんでした。悲しい事ですが私は 味音痴に生まれついてしまったのでしょう。なのに現在の楽しみが 食べる事と乃木坂しかないというのは 凄く残念な人生かもしれません。
    さすがに現在までイギリスでコーヒー禁止令が 生きているとは思えませんが 後発のはずの紅茶文化が根強いために 今でもコーヒーの人気は寂しい限りなのかもしれません。それにしてもコーヒーハウスが女人禁制になる位に 女性の地位が高くなかった時代に 女性たちから沸き起こったはずのコーヒー禁止令が 成立したのは ちょっと不思議な気がします。十七世紀に 男女平等とは言えないまでも 女性が巻き起こした運動が禁止令を成立させてしまったのですから ヨーロッパのレディーファーストの歴史には感服いたします。日本の様に アメリカファーストの猿真似をして 都民ファースト等と言う愚かな真似事が 一時的にでもまかり通ってしまったのですから 日本人の国民性の底の浅さ加減には 凄く悲しい気持ちになってしまいます。
    イギリスの紅茶一辺倒文化が 実は女性たちが成立させたコーヒー禁止令から来ていたことは全然知りませんでしたので 本日ちょっと調べてみて いい勉強になりました。

  • 12月28日 1986年の本日 宇都宮駅で初の駅弁が販売されたのだそうです

    私は 凄く太っていますので 食いしん坊です。花より団子で お花見に出かけても 美味しいお弁当が無ければ全く盛り上がりません。そのくせ全くの下戸なので お酒が全然欲しくないのは不思議な気がします。そんな訳で 旅行に出かけるときにも 移動する乗り物の中で食べるお弁当は 必須うアイテムでした。私の家には 父が免許を持っていなかったので 自家用車が無くて 旅行に出かけるのは 何時も電車でした。ですから旅行の楽しみの一番最初は 駅弁を食べる事でした。
    私は一時的に時刻表マニアでしたから 毎月交通公社が発行する大判の時刻表を 定期購読していました。時刻表と言うのは 何年かに一度 大きく改訂されますが そのとき以外は大きな変化はありません。一時的に走る臨時列車の情報が 新しく書き加えられる位のもので 時刻表の中身としては 毎月殆ど変化がありませんが 巻頭の特集として その時期のとある地方の鉄道に関係する行事などが紹介されていたり その時期限定のお弁当や駅の売店の商品が紹介されていたり 新型の車両の情報が掲載されていたりしますので そんな記事を読むのが楽しくて 購入していました。
    臨時列車は 例えば夏場海水浴場へ向かう路線で 増発されることが多いのですが 行ったこともない海水浴場でも 七月と八月限定で 臨時特急が増発されていたりするのを見つけると 凄く楽しい気分になれるものなのです。大阪からスキー場へ向かう特急バスの時刻表も 当然ですが 夏と冬では 全然便数が異なる事を確認しては 納得したりして そのバスで途中に立ち寄る休憩所などを調べて あたかもそのバスに乗り込んでスキー場へ出かけることを 妄想しては 楽しんだものです。
    現在はどこに行くのも 軽のオンボロ往診車で出かけるようになってしまいましたが これは荷物を持ち運ぶ手間が省けて楽ちんなのと 歩くナビゲーターである奥様が何時も助手席に座ってくださっているので 全く初めての土地でも 全然道に迷って苦労することが無くなったからかもしれません。でもそれまでは 旅行と言えば電車を利用する、電車を長距離利用するときには いつも必ず駅弁を食べることが凄く楽しみでした。
    現在は ある操作をすると駅弁の容器自体が温まり ホカホカのお弁当を食べられるようになっているものもあるみたいですが 私が食べていたのは 何時も冷め切っていて 弁当箱の素材の木の香りがほのかにするお弁当でした。母は パン好きだったからかもしれませんが よくサンドイッチなどを 朝ごはん代わりに食べていました。私はもともと朝食も絶対に和食派でしたから 朝の時間帯でも しっかりとお米のご飯が詰まったお弁当を食べていました。サンドイッチなんて値段の割には 腹持ちが悪いし コーヒーも結構いい値段でしたから 納得がいきませんでした。私は子供の頃からやっぱり貧乏性だったのかもしれません。
    始めて売られたお弁当は 握り飯にタクアンが添えられたもので 五銭だったそうです。当時の五銭が現在の幾らぐらいに相当するのか知りませんが 周囲の人がお腹を空かせているかもしれない状況で 握りめりを食べるのは 注目されるでしょうから 多少は緊張するかもしれないけれども そこそこ優越感も味わえたのではないでしょうか。駅弁を出発する駅で 購入してしまう人がいますが 私は賛成できません。
    駅弁には 結構地方色が反映されています。その地方独自の素材や 調理法が楽しめるのかもしれません。ですから私は 駅弁は 走っている電車の中でお姉さんがカートを押して来る車内販売や 昔は電車の窓が開きましたので 駅のホームから 窓越しに駅弁売りのオジサンから 買うのが好きでした。場合によってはホームの駅弁売りのオジサンからしか買えないような レアな駅弁もありました。昔は 結構駅で五分から十分位停車する場合もありましたから そんな時には電車を降りて 駅の売店までお弁当を買い出しに出かけることもありました。もし電車が走りだしてしまったらどうしよう と言う一寸したスリルが味わえるので お弁当の買い出しも結構楽しかったです。
    駅弁の三種の神器と言われているおかずを御存知でしょうか。所謂幕の内弁当には 必ず入っている弁当のおかずとしては 当たり前で珍しくもないものですが 玉子焼きと焼き魚、かまぼこなのだそうです。私は何時まで経っても ガキだからかもしれませんが やはりお弁当には絶対に卵焼きが入っていないと気に入りません。焼き魚は 鮭でもいいしサバでもとても美味しく感じます。只上手に調理しておかないと 弁当全体が生臭くなりますので こんがりと良く焼いてある方が好みに合います。蒲鉾は 正直あまり好きではないので 殆ど食べませんが 別に嫌いではないので入っていれば食べます。私の母は 蒲鉾が結構好きだったみたいで 母の作る弁当には 必ずかまぼこを甘がらくたいた 茶色いかまぼこが入っていました。
    私がこれまでに一番よく食べた駅弁は 富山の鱒ずしかもしれません。塩野義に勤めていた時に二年弱富山に赴任していましたので チョクチョク頂きました。鱒ずしは富山では 普通にスーパーで売られていましたので オヤツや夜食代わりにつまんだりもしていたように思います。それから大阪に帰省するときには 結構日持ちするので 富山土産として よく買って帰ったのも覚えています。丸い器にびっしりと酢飯を敷き詰めて 鱒で全面を覆い尽くされていますが その他に付け合せやおかずは一切入っていませんから 見た目の華やかさには欠けますし 味の変化も期待できません。当時は 日本の駅弁の売り上げは 鱒ずしが一位だったと聞いていますが 電車の中で 所謂駅弁として食べられていた割合はそれほど高くないのかもしれません。同じ押し寿司でいうと 駅弁以外の用途で食べられる場合の方が多いと思いますが 奈良県の柿の葉寿司の方が 鮭にサバ、鯛、エビと種類が幾つかありますし 一口サイズごとに柿の葉にくるまれているので 食べやすくて好きかもしれません。
    地方の名物が入っているのが嬉しいと 最初に書きましたが 例えば松坂の牛肉弁当屋 浜松のウナギ弁当は 高級すぎて あまり好感が持てません。やはり駅弁と言うものは 庶民が電車の中で楽しくおしゃべりしながら 気楽に食べられるべきものだと思いますから 出来たら価格は千円ぐらいまでに押さえて欲しいと思います。高級なその地方の素材を頂くのなら やっぱりその地に降り立って ちゃんとしたお店で味わうべきだと考えます。
    本日もたかが駅弁について ダラダラとかき殴ってしまいましたが この辺りで終りに致します。悪しからず。

  • 12月27日 高校ラグビー大会が始まりました

    私が子供の頃には 年末の夕方の4チャンネル 毎日放送では 主催していたからでしょうが 殆ど毎日一回戦から テレビ放送されていました。勿論一回戦 二回戦あたりは 試合数が多いので 注目されるカードをチョイスして放送されていたのでしょうが 10チャンネル 読売放送では同じ時間帯に高校サッカーを放送していましたから 何時もどちらをみようか迷いながらも サッカーを観戦する場合が多かったように思います。サッカーは非常にシンプルなルールですし ボール一つあればどこでも試合が出来ますから 小学生は冬場に体育の授業でもやりましたからなじみの深いスポーツでした。取り敢えずは手を使わずにボールを蹴っ飛ばして相手のゴールに放り込めばいいのですから 単純明快で 実際にやっても 観戦しても楽しめるスポーツだからです。その為に世界で一番盛んなスポーツと言えるのかもしれません。
    その点ラグビーは 初めて耳にすると思わず首をひねりたくなう 不可解なルールがあります。ボールを前進させて 相手陣にタッチすることつまりトライを目指す競技なのに ボールを前向きにパスすることが禁じられているのです。それにボールを受け取りそこなったり 密集からボールが出てこない状態になったら しばしばゲームが審判によりストップさせられてしまいます。その度にスクラムを組んだりボールをキックしてゲームが再開されますが 試合時間中 かなりの時間ゲームがストップしている光景が繰り返されるので そのような試合の流れを 見慣れてしまうまでは なんだかすごく中断が多くて 違和感を感じてしまうスポーツなのです。アメリカンフットボールの方が もっとワンプレーが短いので 試合が中断している時間の割合が大きいかもしれません。
    第一ボールが丸くないのですから 馴染のない人から見ると摩訶不思議なスポーツに見えてしまいます。ボールが丸くないために 転がった時に不規則にバウンドして ラッキーであったりアンラッキーであったりして 極端な場合その運不運が試合の結果を左右してしまうことまであるのです。厳正なルールに基づいて試合をしているのに 運不運で結果が左右されるようなボールを使用すること自体 如何なものかと思わないではないですが やはりラグビーという基本的にボールを抱いて走って前進する事が基調となっているスポーツの場合 ボールが楕円球であることは必要なのだと思います。
    中学の体育の授業で初めてラグビーを体験しました。それまではラグビーと言えば 何となく泥まみれになってやるスポーツであり 密集の中に潜ってしまったら 蹴っ飛ばされたりしてひどい目に合うに違いないと思っていました。所が実際にやってみると 勿論雨の降った後のぬかるんだグラウンドでやれば 泥だらけになりますが それはサッカーも似たり寄ったりですし ボールを持って密集の中に入ってしまっても ルール通りにすぐにボールを手放せば 誰かが意図的に蹴っ飛ばそうとしなければ 密集の中で横たわっていても それほどひどい目には合いませんでした。もし意図的に相手の選手に対してそんな行為をすれば 当然逆の立場になった時に ひどい目にあわされますから そんな愚かなプレーをする者は 普通存在しないはずです。勿論審判に見つかれば 危険行為として重大なペナルティが課されます。
    そしてラグビーを実際にやってみると サッカーと違い手でボールが触れるので ずっと楽しいし 相手とも直接コンタクトしますが 反則行為さえしなければ 相手を倒そうと引きずろうと構わないので 凄く楽しくて面白いスポーツであることを知りました。やってみて楽しいスポーツなので 観戦していても凄く楽しい事が分りました。サッカーなんて一時間以上試合をして 極端な場合スコアレスドローなんてこともあり 盛り上がりに欠ける試合もあるように感じますが ラグビーで得点の入らない試合なんて 現実的には考えられませんから みていて絶対に盛り上がってしまいます。
    そんな訳で 中学生になって ラグビーを体験してからは プレーしても 観戦しても サッカーよりもラグビーの方が大好きになりました。私の通った四条畷高校は 学区でトップの進学校で トイレにたばこの吸い殻が落ちていただけで 大騒ぎになるような ある意味お坊ちゃん高校でしたが 昔ラグビーの全国大会で優勝したことがある伝統を受け継いているのか知りませんが ラグビーだけは盛んです。冬場の体育の授業はラグビーはみんな楽しみにしていますし 毎年クラス対抗トーナメントが行われて 大いに盛り上がります。上級生になると 四月にクラス替えがありますから そのクラスのメンバーが確定すると いきなりポジションを考えたりする気の早い連中までいました。そして冬場の昼休みに クラス対抗で 男子はラグビー女子は確かバスケットボールの大会が開かれました。
    毎年三年生で優勝したクラスは 先生たちのチームと対決して 死闘を繰り広げました。注目度は高くて 昼休みに対戦するのですが 観客が ズラッと並んで取り囲みましたから 必然的に生徒も先生も必死になって戦いました。先生たちは いい年をしたオッサンぞろいですが 毎年の恒例行事ですから ポジションもある程度固定されていて かなり強く 通算の勝率は六割近かったように思います。三年生の時 うちのクラスがトーナメントで優勝しましたので 先生たちとの試合を楽しみにしておりましたが なぜか私たちが三年生になった年から 先生との試合が企画されなくなってしまいました。注目度も高くて 活躍すると 暫くはヒーロー扱いを受けますので 凄くガッカリしたのを覚えています。なぜ突然先生と生徒の試合が無くなってしまったのか その理由のきちんとした説明がありませんでしたので 私は今でも納得がいきません。ちなみに私のポジションはフォワードの右ロックでした。何しろ注目の一千でしたから試合でチョンボすると 暫くは パシリ扱いを受けていたみたいです。
    そんな訳でラグビーはみるのもやるのも大好きになりましたので その後大学ラグビーや社会人チャンピオンと学生チャンピオンが毎年一月十五日の成人の日に対戦する日本選手権などはかなり熱狂して観戦しました。それから高校ラグビーは 枚方にある啓光学園と東海大仰星高校が 十年間で六回も日本一になりましたので その時期には やはりかなり熱くなってみていました。
    現在私は スポーツ全般に対する興味が薄れてきています。プロ野球熱もすっかり冷めてしまいましたし ラグビーも大学や社会人の大会には殆ど興味が湧きません。アメリカンフットボールも知らないうちに甲子園ボウルが終わっていました。そんな中で高校ラグビーだけが正月を挟んで盛り上がりますので 唯一注目しています。大阪からは相変わらず三校が出場していますが 何とシードされていない高校があるのには 驚きました。ここの所の優勝は 大阪勢と東福岡が交代にチャンピオンになっているみたいです。ここの所東福岡の方がいい成績を収めていますし 今年の戦績からえらばれるAシードにも大阪勢は入っていません。ラグビーは 割と番狂わせが少ないスポーツだと思いますが 何とか大阪勢に頑張ってもらって 下馬評を覆して 最後まで楽しみに観戦できることを祈っております。 

  • 12月26日 大掃除についての思いで

    私は 中学一年の時に 現在の実家である 交野市の松塚の一軒家に引っ越しました。それまでは枚方の香里団地の2DKに住んでいました。団地にいた頃は 狭かったのもあるでしょうし まだ小学生だったからかもしれませんが 家の大掃除を手伝った記憶はありません。一軒家の間取りは 5LDKとこれまでの倍以上に大きな家に引っ越しましたので 殆ど使っていない部屋もありましたが 大掃除が量的に大変になりましたし 私がちょうど中学校に上がりましたので 掃除の戦闘力として考えられたからでしょうが 年末の数日は 勿論中学校は冬休みなので 朝から掃除に駆り出されてしまいました。
    二階に三部屋あるうちの一部屋が私の部屋として与えられましたので 取り敢えずはその部屋の掃除を命じられました。勿論普段の掃除は 母親がやってくれていましたが 机の奥の誇りが溜まっている部分や ベランダに出る吐き出し窓のさんの部分など 住み始めてまだ半年なのに 思っていた以上に埃が溜まり汚れていましたので 頑張って掃除をしました。それからベランダにも 結構枯葉などが飛んできたりして汚れていたので 奇麗に掃除をしました。外回りの掃除は 吹きさらしの風の中でやりますから とても寒くて 直ぐに手がかじかみましたが やはり新しい家なので掃除をするとすぐにきれいになりましたから やりがいを感じて 頑張れたのだと思います。
    二階が何とか終わりましたが 一階の方がはるかに広いので更に膨大な量の掃除が待っていました。私は子供なので寒さに強いだろうという 暖かな配慮がなされたみたいです。確かに子供は 寒い今の時期でも 凧揚げやコマ回しなどの遊びに夢中で 平気で屋外を走り回っていました。只楽しい遊びに夢中になっている時と もくもくと掃除をしている時では やはり寒さの感じ方が違います。寒くて風邪をひきそうだと 父に訴えると 風邪をひかないように沢山着込んでガンバレ と暖かな言葉をかけてもらいました。
    取り敢えず外回り担当としては 網戸を外して 洗いました。アパートの場合は 小さなものがほんの数枚でしたが 一軒家になると 特に一階は吐き出し窓が多いので 網戸も一枚が相当に大きいし枚数もかなりたくさんありました。台所回りなどは 小さいけれども外から侵入できないように柵に覆われていましたから 取り外すのにも 苦労しましたし 取り付けるのにはもっと苦労しました。兎に角二階のものも合わせると 全部絵二十枚近い網戸を家の外枠に立てかけて まとめて洗いました。一枚一枚洗剤のついたスポンジでゴシゴシすると くすんでいた網戸が 元の鮮やかな青色になりましたので これまた嬉しくなって 寒さに凍えながらですが 頑張ってしまいました。
    網戸を外しているうちに 窓ガラスの掃除もやりました。屋外側ですから かなり雨風によって汚れていますので 先ずはバケツのお湯に洗剤を入れて 雑巾を固く絞り 大まかなほこりなどの汚れを落とします。次にガラス掃除用の洗剤をスプレーして 乾いた布でふき取りました。何しろ窓の数が多いので 時間がかかりますし 寒い中の作業ですから 凄く疲れれました。大掃除がこんなに大変な事に気づいて なんでこんな広い家に引っ越したのかと 恨めしく思ったこともありました。
    そんな訳で 中学生 高校生の頃は 毎年年末は大掃除に駆り出されて かなりしんどい思いをした覚えがあります。大学生になると 家で大掃除の手伝いをさせられても一銭にもなりませんが アルバイトをすればそれなりのお金が入ってくるので アルバイトを理由に大掃除の手伝いを断りました。但し父親から そんなに頑張って稼いでいるのなら 小遣いはそんなにいらないだろうから と小遣いの減額 と言うまたまた優しい言葉をかけられてしまいました。
    現在は病院の二階に一人で暮しています。自炊しますから使った食器や鍋を洗ったり 掃除機をかけたり 洗濯機を廻したりと 最低限度の掃除は しますがトイレ掃除やシーツの交換などの面倒な掃除は 奥様にお願いしてしまいます。奥様は近所にアパートを借りての別居生活ですから 自分の家の家事をすべてこなされたうえで 病院の仕事に加えて トリミングの仕事もほとんどおまかせしていますから 私としては自分でできることはなるべく自分でやろうと思ってはいるのですが シーツの交換なんか別にしなくても 生活できないわけではないのでついついほったらかしにしてしまいます。でも交換してもらったばかりのシーツの気持ちよさは 格別なので交換してもらえると凄く嬉しいです。
    そんな訳で病院の二階の生活スペースの大掃除を 毎年やろうとは思っているのですが いつもより丁寧に掃除機をかけるとか 風呂掃除のときに 周囲の壁までよく洗い流す 位しかできていません。レンジ周りの汚れや 換気扇の掃除など面倒な事は 全く手付かずですが何時の間にかきれいになっていますから 奥様が暇を見つけてはしてくださっているのだと思います。気づいた時には 言葉でお礼を述べますが 気づかずにいたことも沢山あると思います。本当に奥様には 感謝する事ばかりで お礼の言葉もございません。私にできることは 一生側にいて ああだこうだと偉そうに文句を言って面倒をかけることしがないのかもしれませんが とにかくできる限り大切にしていこうと思っております。

  • 12月25日 うっかり宝くじを買い忘れてしまいました

    今年の年末ジャンボ宝くじは 一等前後賞合わせて十億円のジャンボと 一等賞金が七千万円のミニ 一等賞金が七百万円のプチ と一等賞金によって三段階に分かれていたらしいのです。奥様とどれを買おうか と相談していた時に 二人とも七百万円のプチを買いたい と言う気持ちでいることが分りました。二人とも一番賞金額が小さいけれども 当然当たりくじの数は一番多いので 何となく一等を身近に感じられるプチを選択したわけですが 客観的に見たら どうせ夢を買うのならジャンポを買うべきではないかとも考えていました。
    プチの方が一等の数が多い分当たり易いのではないかと 安易に考えてしまいますが 一枚三百円のくじ券が二万倍以上になって戻ってくる確率なんて 限りなくゼロに近い数字です。ジャンボの一等が当たる確率はそれよりももっとずっと低い数字になることは間違いありませんが そんなもの殆どゼロに近いのですから五十歩百歩だと思います。宝くじなんてどうせ夢を買って 当たったらどうしようこうしようと妄想を膨らませて楽しむための投資なのですから どうせなら大きな夢を買う方がより楽しいように思います。でも 恐らく買い忘れていなかったら 私も奥様もやっぱりプチを購入していたように思います。
    七百万円あれば 奥様と二人で三年ぐらいはのんびりと過ごせると思います。十億円が当たったら 当然現在の暮らしとは 未来が一変してしまうでしょうから あまり現実的に 具体的な使い道が正直思いつかないのです。私にすれば現在の所の夢は 奥様と優雅な老後を一日でも早くスタートする事です。七百万円当たれば 恐らく引退する時期が一年位早まると思います。これぐらいの金額の方が 現実的で 嬉しさをダイレクトに感じられるのです。ですから いずれ数字が発表されるのかどうか知りませんが ジャンボとミニとプチのどのくじが一番人気があったのか発表してほしいと思います。予想としては中途半端なミニが一番不人気なのではないでしょうか。
    今回の当選賞金を三段階にした企画は とても素晴らしいと思います。まあ面白いと思い 興味をそそられていた割には 自分が買い忘れているのですから 相変わらずの間抜けぶりですが 沢山の人が夢へのチケットを手に入れられてワクワクされているのだと思います。昔年末ジャンボ宝くじを購入しようと群衆が売り場に殺到したために お亡くなりになられた方が いらっしゃったのだそうです。せっかく庶民が少しの間でも夢を見る機会を手に入れる催し事ですから たとえ外れたって 笑い飛ばせる 楽しい企画なのですので 今後そんな悲惨な事故が二度と起こらないことをお祈りいたします。
    やはり自分が買い忘れてしまっているので 盛り上がっておりませんが 書く気持ちが失せてきましたので この辺で御終いにします。

  • 12月24日 クリスマスイブですが 普段と変わらない日曜日です

    日本人ほど信仰心の薄い国民は世界でも珍しいのではないでしょうか。現代では自宅に神棚や仏壇がある家は凄く少ないように思います。クリスマスとは キリストが生まれた日のお祝いをする日です。日本の宗教団体に質問したところの回答によると 日本神道を信じる者が 実に国民の九割以上 仏教を信じる者が七割以上 キリスト教の信者が一パーセント位となるのだそうです。所が国民にアンケートを取ると 無宗教と答える人が半数以上 仏教徒が三~四割、キリスト教信者が 二~三パーセントになるのだそうです。
    こんな不可解な数字が出てしまうのには 勿論理由があります。神社の場合 初詣に来ただけの人ですら信者の数に入れてしまい報告するから 非常に数が多く報告されてしまうのだそうです。寺院の場合 その一族に檀家が存在すれば その一族全てを信徒としてカウントしてしまい報告するので 非常に実数よりも多い数字が出てくるのだそうです。逆にキリスト教の場合 定期的に教会のミサ等の行事に参加していても 洗礼と言う儀式を済まさなければ 信徒として正式には認められないし一定の期間連絡がつかなければ信者から除外して考えるのだそうで キリスト教に関わりを持っていても 信者としてはカウントされていない人も少なからずいるようなのです。
    まあ何にしても 国民の半数以上が 宗教とは何のかかわり合いも持っていないと意識しているのに そしてキリスト教に定期的に関わりを持つ人ですら 日本人のごくごく一部であるのにも関わらず 日本人はどうしてクリスマスを 凄く意味のある重大なイベント事として 取り扱うのでしょうか。不思議でしょうがありません。日本ではまだ信者の多い仏教の教祖様所謂お釈迦様のお誕生日をお祝いする行事もあることはあります。毎年四月八日で 花祭りと言われています。日本人の中では仏教徒が一番多くて キリスト教信者の十倍以上が存在するはずなのに どうしてキリストの誕生には 一大イベントとして扱われているのに お釈迦様のお誕生日を認知している日本人が 一体どれだけいるのか疑問です。
    まあかくいう私も 奥様にクリスマスのプレゼントとして いくつか贈り物をしましたし 本日はケーキ屋さんで奥様の好物のケーキを購入して 手渡そうとは考えておりますので あまり大きな声で批判は出来ませんけれども。クリスマスは子供にとっても大人にとってもプレゼントをもらえる いい機会だから もてはやされるのでしょうか。でもクリスマスはキリストさんのお誕生日なのであって その信者でもなくて 普段の生活に縁もゆかりもない日本人がプレゼントをやり取りするのか 納得がいきません。そもそも誕生日は25日なのに なんでその前日をイブと言って 重要な意味があるかのように振る舞っていることも釈然としません。
    普段は見向きもしないキリスト教の教祖様のお誕生日を 何故日本人がかくもにぎにぎしくお祝いするのでしょう。そしてそのほぼ一週間後には 新年を迎えたら ネコも杓子も初詣に神社に出かけて日本の神様に その年の幸福をお願いするのですから 冷静に考えてみると 日本人は頭がおかしいのではないかと思えてしまいます。まあ信仰心が殆どないから 逆にそんな無節操な行動をとっても 全然違和感が湧かないのかもしれません。世界的に見れば 三大宗教と言われている キリスト教、仏教、イスラム教を 信仰する人たちの割合は相当なものだと思います。宗教によっては 相当にその戒律が厳しくて 日本人の感覚ではとても信じられない位 大きな負担があるみたいです。勿論信者の方にすれば 喜んでそのルールに従っておられるのでしょうから 義務だとか負担と考えてはおられないのでしょう。
    今年は テレビの番組欄を見ても それ程クリスマス色の強い番組が多くはないように思います。私も奥様に対しては プレゼントやケーキ と言ったクリスマス色のある品物を準備しますが 自分に関しては 全く普段と変わらない生活です。私は勿論無神論者ですが 年が明けたら人波に初詣には出かけますし 十日戎にも出かけて 大きな声では申せませんが 商売繁盛をお祈りいたします。情けない話ですが 困った時の神頼みをすることも たまにはあります。困った時だけ思い出されて お願いされても 神様が叶えてくれるなんて全然期待はしていませんが 何か頼るものが欲しくなった時だけ 神様小思い出します。普段はその存在すら忘れてしまっています。
    こんな罰当たりの生き方をしていますから ロクな死に方はしないのだと思いますが まあ愛する奥様に看取られて死ぬのでしょうから それだけで凄く私は幸せ者だと思いますし 奥様にめぐり合わせてくれたことについては 神様に本当に感謝しながら生きております。若い頃は 殆どいい事なんてなかった人生ですが 後半になって奥様と巡り合えてからは 心安らかな人生になったと思います。人にはとても口に出せないような ズルい事 悪い事 恥ずかしい事 卑怯な事を山のようにしでかしてきましたから 何とかこれから残りの人生だけでも いい事 人に誇れることをほんの少しでもして 罪滅ぼしをしながら 生きていこうと思います。こんなことを考えた切っ掛けは キリストさんの誕生日前日だからかもしれません。やっぱりキリストさんは偉大な存在なのかもしれないと ふと思ってしまいました。

  • 12月23日 1823年の本日 ファーブルが生まれました

    私は子供の頃から 昆虫やペットが大好きでした。更にこのブログでは何度も書いておりますが 小学生の頃から 文字ばかりの本が大好きでした。なので当然 シートン動物記とファーブル昆虫記は 何度も何度も読み返す 愛読書の一つでした。シートン動物記は 実話を題材として書かれたフィクションだと 中学生ぐらいになって知りましたが 子供の頃は野生動物の行動や生態を かなり細かく 具体的に表現されていましたので シートンと言う作家は 普段一体どんな生活をしているのか 野生動物と一体化した暮らしをしているのではないかと不思議でしょうがありませんでした。
    ファーブルの昆虫記は 実際に昆虫の生態を観察してその結果をまとめた報告書のようなものでしたから 面白みに欠ける傾向にはありました。それにオサムシやフンコロガシなど 自分の身の回りでは殆ど見かけない昆虫についての報告は 実物がどんな色形そして大きさの虫なのか 図鑑で確認してはみましたが 殆ど興味が湧いてきませんでした。只子供ですから サソリがほかの昆虫たちと対決する場面などは 勿論サソリなど身の回りには全く存在しませんでしたが 相当にワクワクしながら読んだ記憶があります。
    私が子供の頃ですら ファーブル昆虫記に興味を死滅子供はそれほど多くありませんでした。勿論女の子は一般的に虫が苦手ですから 話題として取り上げただけても 嫌な顔をされるのが関の山でした。子供が自然とふれあい 虫取りや魚取りに夢中になる機会も減っているのでしょうから 男の子でもあまり興味を持ってもらえない題材なのかもしれません。私は小学生の頃の夏休み どんなにじりじりと太陽が照りつけていても 捕虫網を持って 蝶やセミを追い掛け回したかったのですが 今の子はクーラーのきいた涼しい部屋で 冷たい飲み物を飲んでいる方が 楽しいのでしょうか。女の子には無理でしょうが やはり夏休みは 蚊に刺されながらも山に入り カブトムシやクワガタムシに熱狂する心をなくしてもらいたくないのは 私が還暦を迎えた爺だからなのでしょうか。
    仕事を引退してからの生活の場として 否かを求められる方が沢山いらっしゃるみたいです。やはり人間が本当にのんびりできるのは 自然が豊かで 人情の厚い田舎町だと考える方が多いからのように思います。できたら現在小学校に通っている 特に男の子たちには 是非ファーブル昆虫記を 読んで虫たちへの興味を持ってもらいたいです。子供が興味を持っても 親たちが衛生面などのリスクを心配し過ぎてしまって 現実に子供が虫たちと接触することにストップをかけてしまうのかもしれません。
    私が子供たちと直接話をする機会など 全くなさそうですから せめてこのブログを読んで頂いている方で 小学校にお勤めの先生がいらっしゃれば 是非ファーブル昆虫記を子供たちに勧めて頂きたいです。ネットで調べたら 現在でも六巻セットで販売されていました。現在でも販売されているのは それ程大量にではなくても コンスタントに売れ続けているからだと思います。この細々とした流れが もっと大きな流れになっていってほしいと私は思います。
    私が小学校の時に先生に勧められて読んだ本に ドリトル先生のシリーズがあります。このドリトル先生も 是非小学生の頃に 出来たら全巻読破して 動物を可愛がる優しい気持ちの人間が一人でも多くなってほしいものです。ファーブル昆虫記も ドリトル先生も 恐らく学校の図書館に置いてあるはずですから 無料で読めるので ぜひ手に取ってもらいたいものです。現在なら パソコンやスマホで読書気分は 味わえるのかもしれませんが 出来たら現実に本を手に取って きちんと机に向かって正しい読書を経験してもらいたいです。本日は 何だか押しつけがましい内容になってしまいましたが 良い本をきちんと読書することは 間違いなく人間を成長させてくれることだと思いますので このブログを読んで一人でも読書して頂けると 嬉しいです。

  • 12月22日 本日 自分の病院の日でした

    今年最後の病院での診察を受けました。何時もの血液検査と 本日は心電図がオプションで加わりました。採血と心電図の検査が終わると 直ぐにいつも病院の売店へ向かいます。ここ一月は 血糖値を上げないために 炭水化物と縁を切った生活でしたから 大きめのお握りと テリヤキバーガーを買いました。待合室に戻ると 取り敢えずは血圧計で血圧と脈拍数を調べます。収縮期血圧は 130台でしたからまあまあの結果ですが 拡張期血圧が99でした。普段自宅で測定すると拡張期でほぼ80前後に落ち着いていたのに 病院ではいい結果が出したくて 緊張するからか どうしても高めの結果になってしまいます。
    脈拍数も 前回の検査で120台で高すぎると注意されたのに 本日は130台に上昇していましたから 結果としてはかなり思わしくありません。仕方がないので 取り敢えずは購入したパンとお握りを食べました。持参した水筒に入れたアツアツの日本茶も頂いて 少しは気持ちと心臓が落ち着いたかもしれませんので 再度血圧計に挑みました。今度は収縮期がやはり130台でしたが 拡張期がなんと100台に上昇してしまいました。但し脈拍は60台に下がってくれました。
    血圧と言う検査項目はデリケートなもので 些細なストレスがかかったりしただけでも 上昇したり下降したりすることが多いのですが 脈拍数も一回目と二回目では 倍ほども異なりますから 相当にデリケートな検査項目のようです。まあ私がいかに プレッシャーに弱い けつの穴の小さな男かを 如実に表しているのかもしれません。それから体重的には 何とか102キロまで落としていましたので 血糖値やヘモグロビンA1cの値はそこそこの結果が出ることに自信はありましたが 血圧、脈拍ともに思わしい結果が得られません。
    思わしくなくても 厳密に機械では買った結果ですから 誤魔化しようがありません。困ったものだと思いながら さすがに三回目の計測は気が引けたので 大人しく待合室の椅子に腰かけて 順番が来るのを待っていました。しばらくすると 普通は診察室からマイクを通して名前が呼ばれるのですが 看護士さんの声が直に聞こえて 名前が呼ばれました。振り返ると 午前中の担当の先生の診察が長引いているので いつもとは違うコーナーにある診察室で今日は診察するので そちらの近くへ移動して 待っていてほしいと言われました。
    そこで そちらのコーナーに移ると また血圧計が置いてありました。その血圧計のすぐそばにまだ二歳になっていないかな位の男の子が お母さんに抱っこされて座っていました。凄く可愛らしくて 愛想もいいみたいで バブバブ言いながら周囲に愛想を振りまいていました。私が最後にもう一度血圧を測ってみようとそばに座ると にっこりとほほ笑んでくれました。私が思わずにっこりと笑いかけると 更に笑顔で反応してくれましたので 私の心を凄く和ませてくれました。心が和んだおかげか血圧も収縮期が120台拡張期が70台 脈拍も80丁度と 非常に望ましい結果が出てくれました。
    世の中には いろいろと心和ませてくれるものがあると思います。ナーチャンは私にとって 天使そのものであると信じている存在ですから 心の癒しの極みであるのかもしれませんが もしナーチャンに出会えたら 幸せの絶頂に登りつめて 心停止してしまうかもしれません。少なくとも大幅な血圧の上昇は 起こること間違いなしだと思います。でもほんの通りがかりの 可愛らしい無邪気な男の子の笑顔には 私を限りなく癒してくれてほっとさせてくれる効果があったみたいで ラッキーでした。次回から 血圧を測定するときには 可愛らしい赤ちゃんを探し求めてしまう事になるのかもしれません。
    ホッとしたとたんに名前が呼ばれて 診察室に入りました。血液検査の結果は 予想通り悪くありませんでした。ヘモグロビンA1cは 6.0以下が正常値ですが なかなか下回れなくて苦戦していましたが 前回久々に5.8と正常値の範囲に入り 褒められましたが 本日はさらに下がって5.4になっていましたので 更に先生に褒められました。担当してくださる先生が変わってから 診察の度に体重を聞かれるようになりました。それで毎日体重計に乗るようにしました。毎日気が進まなくても 必ず体重を測定しました。
    私の様なデブ体質の人間は そんなにドカ食いしなくても どんどん体重が増加していきます。なので毎日体重を量ると 結局毎日体重を意識して生活しますので 無意識に食べる量やカロリーに気を遣うようになり ほんの少しずつでも減少させようと考えるみたいです。そんな生活を続けていると 別に特別にダイエットを心掛けているわけではありませんが 自然に体重が減少傾向になり 血糖値も低く抑えられていたのかもしれません。
    私はお酒の類は一切嗜みませんが 白ごはんに代表される炭水化物が 大好物なので 辛い生活を強いられ続ける事になりますが 元気で長生きしたいですから 辛抱を続けていこうと思います。いずれ仕事から引退しますが 人間何か制限を受けながら生きていかないと タガが外れてしまい あまりの自由さにすぐに飽きてしまいそうに思いますから 何か自分を律するものがあった方が 生きている張り合いが感じられるのかもしれません。今も病院で検査を受けてからの一週間ぐらいは 食べたいものを食べて自分を思い切りゆるめます。この時の楽しさは その前の結構長くて辛い苦しみの後だから より有難く感じられるのだと思います。私は恐らく死ぬまで 糖尿病との戦いは続くのでしょうから あまり張り切らないで のんびりと上手にお付き合いしていこうと思います。