Dr.喜作のブログ

2018年3月 の記事一覧

  • 3月30日 暑いです。三月中に「夏日」になるのなら この表現変えるべきではないでしょうか

    どうしても 年よりは昔話が多くなってしまいますが 現在還暦の私が子供の頃には その日の最高気温が25度を超えたら 「夏日」と言う表現が適切であったように思います。本日の最高気温は 別に枚方だけではなくて 近畿地方の各地で25℃を超えていましたから 気温からみると夏日だったようです。まだ桜が咲いているのに 夏日と表現される日があっては おかしいでしょう。「桜」とは 梅や椿と並んで春の季語ですから 桜の咲いている時期に 夏と表現される言葉があっては おかしいのではないでしょうか。
    小学生の頃の夏休みの宿題に「夏休みの友」なんて言う小冊子がありました。これには 少しだけ漢字の書き取り問題やや計算問題がついていましたし、夏休みの過ごし方のアドバイスのようなものがかいてありました。図画工作の宿題や 自由研究の宿題についての説明も書いてあったように思います。漢字や計算問題は ごく簡単なので 終業式の日にその冊子を受け取ると ほんの短時間で 学校にいる間に溶き終えていました。私は昔から絵をかいたり工作をするのが苦手でしたから どこかに遊びに出かけた時の事を 水彩絵の具で画用紙に絵をかいたりノートに絵日記を書いたりするのが 大嫌いでした。小学生の宿題ですから レベルは知れていましたが 工作物を作成するのが苦手で どうしても最後まで残ってしまい結構苦労したのを覚えています。
    この冊子の中に 夏休みの間の毎日のお天気と朝具時だったと思いますがの気温を書き込む一覧表がありました。毎年の事なので 何時もカレンダーにでも書き留めておけばいいのは分っていますが なかなかきちんと記録しておく事が出来ませんでした。勿論 旅行に出かけたり 親戚の家に出かけた日には その地の天気と気温を書き込むのですから 厳密に一つの正解があるわけではありません。ある人は晴れたと思った日でも 雲が多かったので曇りの一日だったと判断する人がいても 別に夏休みに入る前に お天気の定義について勉強などしていませんでしたから その辺りの細かい表現の自由は認められていたのだと思います。
    現在なら ネットで過去一月の お天気と気温の変化位は 簡単に調べがつきますが 私が子供の頃にはインターネットどころか 各家庭にパソコンなどが存在するはずもございませんから そのような情報は簡単には入手できませんでした。私は夏休みの最後の方になって 最初の頃のお天気や気温の記録が残っていない日が あって悩みましたが 結局は前後の人のつながりを考慮して 適当に記入して提出しました。大体気温なんかも 測定する部屋 と言うか寒暖計の置いてある部屋の条件によって かなり数値が異なっても不思議ではありません。
    クラス全員が 一斉にその小冊子を提出するのですから 担任の先生がいちいち細かくお天気や気温の記入してある事柄をチェックするはずはないのですから 適当にかいておけば 後でその間違いを注意されるはずがない事は 分り切っているのに 子供としては 適当なあてずっぽうの書き込みをしてしまう事に やはり抵抗があったのかもしれません。その時に子供なりに苦労して気温の数値をひねり出したので 何となく覚えているのですが 同じ部屋で同じ時間にはかる気温ですから そんなにばらつきがあった方がかえって不自然なのかもしれません。
    大体20~23℃ぐらいだったと思います。子供の頃は 夏休みの期間 つまり七月の二十日から八月いっぱいの時期でも 朝起きた時 朝顔がまだ咲いている時間帯は 結構ひんやりとしていたものです。当時の庶民の家には 勿論クーラーなんて代物が存在するわけはなくて 扇風機も一台だけだったように思います。ですから 何時も母親が口癖のように「午前中の涼しいうちに勉強をしておきなさい」を繰り返していました。私の夏休みの一番の楽しみは 網と虫かごを持っての 蝉取りでした。
    今になって考えるの なんであんなカンカン照りの中 麦わら帽子位はかぶっていましたが 夢中になって蝉を採集することに夢中になっていたのか分りません。他の遊びは 大抵近所の友達たちと一緒でしたが 蝉取りは喋りながらはできませんし一度に蝉が見つかるのは 当然一匹だけですから 一人で出かけないとつまらない争いが起こっていたのかもしれません。特に私は子供の頃から視力が悪くて 眼鏡をかけていましたから 木にとまっている蝉を見つけるのが 得意ではありませんでした。
    ある日山の中をうろついていると 偶然にクラスの友人と出くわしました。夏休み中で 久し振りに再会しましたので いろんな話が盛り上がって 暫くは一緒に蝉取りをしました。その友人は 普段から気づいてはいましたが 私の家よりも裕福なおうちの子供でしたので 持っている網も私が近所の文房具屋さんで購入した 最低の安物なのに きちんとした昆虫採集用の 網の部分のつくりもしっかりとしているし 貼ってあるネットもきめが細かい上等のものでした。網のついた棒の部分も 私のは二メートルと少ししかない竹ざおでしたが その友人のは二メートルぐらいのものを三段に継ぎ足せましたから 一番長くすると五メートル以上の長さがありました。勿論持ち手の部分が長ければ長いほど その先端の網の部分の操作は 難しくなるはずですが 二メートルと少ししかない私の網では全然届かない所にいる蝉も苦労せずに捕まえることが出来たみたいです。
    各家庭の貧富の差は 持っている道具で明らかでしたが 普段の学校のお勉強では 正直私がクラスのトップを争っていたのに 彼は平均点もなかなか取れない位の成績でしたから 教室で勉強をしている時には 私の方がその成績的には上回っているのは明らかでした。蝉取りでも 道具では完全に劣勢でしたが 網の操作の仕方などでは こちらが上回っているつもりでしたから 負けたくありませんでした。所が 私は目が悪くて 一番大事な蝉を見つける能力において 完敗に近いぐらいに負けていました。
    虫取り網の性能において 差をつけられていたし 肝腎の蝉を見つける能力でも数段劣っていましたから 虫かごにいる蝉の数や種類でも 大きく差をつけられていました。普段から 別にその友人の事を馬鹿にしていたわけではありませんでしたが 学校の成績では 体育も含めて 私の方が上回っていたつもりの相手に 叩きのめされたので それ以降はあまり蝉取りに出かけなくなってしまいました。子供の頃から負けず嫌いでしたから クラスの友人に完膚なきまでに叩きのめされたので ある意味蝉取りを上手く卒業できたのかもしれません。
    話が夏の気温から全くそれてしまいましたので 戻します。兎に角私は蝉取りに少しでも早く出かけたかったのですが 何しろ目が悪くて 木にとまっている蝉を見つけるのが苦手でしたから 蝉がある程度気温が上がって 泣き出してくれないと なかなか蝉を見つけて捕まえる事が出来ませんでした。蝉はオスしか鳴きませんから 私が捕まえる蝉の八割がたは オスの蝉でした。兎に角蝉が鳴き始めるのが お昼の十二時を回ったころからでしたので 私が蝉取りに出かけられるのもその時間帯以降でした。
    所が現在では 浅野六時ごろから 蝉がギャンギャン鳴いていたりします。セミの鳴き声がうるさくて 目が覚めてしまう事もしばしばあるみたいです。蝉の体内にある温度計が 一定の数値を超えると 泣き始めるのでしょうが 私が子供の頃にはお昼ごろにスイッチの入る気温だったのが 最近では 朝の六時ごろには 既にその気温に達しているのかもしれません。夜の咲いて気温が25度を下回らない夜を熱帯夜と表現していましたが 昔は 昨夜が蒸し暑くて熱帯夜だったみたい と言うのが話題になっていました。日本は温帯気候のはずでしたから 夜だけでも熱帯と表現されるのが 珍しくて話題になった時代がありました。
    所がこの頃では 七月八月には 昨夜が熱帯夜ではなかったことが 話題になります。日本は既に温帯ではなくて 亜熱帯気候の国になってしまったのでしょうか・子供の頃には クマゼミと言う種類の蝉が 大阪では全く見かけませんでした。九州の婆ちゃんの家の周りには 沢山いましたから 別に九州にしかいないとは思っていませんでしたが 自然が豊かでないと存在しないセミだと思っていました。所が 最近では枚方市で鳴いている蝉で一番多いのはクマゼミかもしれません。蝉の種類の変化についても気温が上昇していることを表しているのではないかと思ってしまいます。魚の生息地も確実に北上しているみたいですから 気温だけではなくて 海水温も上昇してしまっているみたいです。
    とにかく三月のうちから 最高気温が25度を超えたから 夏日と表現するのは 私はおかしいと思います。昔は「真夏日」も[猛暑日」若しくは「酷暑日」等と言う表現も存在しませんでした。現在では 最高気温が25度度を超えると 流石に暑くは感じますが本格的な暑さを感じる夏と言う季節を思い出しもしませんから 最高気温が30度を超えた日を夏日と呼び 35度を超えた日を真夏日と呼ぶようにした方が 言葉と季節がマッチするように思いますが 如何でしょうか。
    とにかく夏の暑さは 地球の温暖化を心配させてくれますが 不思議な事に冬の寒さについては 子供の頃と殆ど変っていないように思いますし 数字的に見た気温にもあまり変化はないように思います。今年もつい先日までは 冬の寒さや 積雪の話題で盛り上がっていたように思います。もし本当に地球が温暖化してきていて 日本が亜熱帯化しているのであれば 冬の気温も上昇して 積雪量や気温が高めに推移していなければ おかしいように思います。本当の所 地球温暖化は 進んでいるのでしょうか。誰か詳しい事を御存知の方がいらっしゃれば 是非ご連絡を頂きたい様に思いますので よろしくお願い致します。

  • 3月29日 本日の誕生花は ゴボウなのだそうですがアザミの様な鮮やかな花なのだそうです

    一年365日 それぞれに誕生花と言うのはあるみたいですが 本日がお誕生日の人にゴボウの花をプレゼントされることはまずないのだと思います。ネットで調べてみると かなりトゲトゲしていてあまり可愛らしくはないようにも思いますが 鮮やかな紫色で それなりの魅力はあるのかもしれませんが まず花屋さんで売ってはいないのでしょうから プレゼントしたくても入手するのが難しいのかもしれません。一般的には その植物の根っこを食するので 誰もがゴボウと聞けばそちらを思い出すように思います。
    見た目は 普通に判断すると木の根っこにしか見えません。食用にしているのは 日本と日本がかつて統治した国の一部位のものなのだそうです。ですから第二次世界大戦で 日本軍の捕虜になった外国人が 木の根っこを食べさせられたとして 戦後日本軍から虐待を受けたなどと訴えたことがあったのだそうです。日本では ゴボウはごく当たり前の食材ですし 戦時中はゴボウはどちらかと言うと貴重な食材であったわけで 決して悪気があったわけではないのでしょうが 何しろ敗戦国であった日本ですから なんでも戦勝国の言い分が通ってしまった裁判で 結構日本軍に対して厳しい判決が下されたのだそうです。
    食材として 扱う国がマイノリティである場合 どうしてもその材料を食材としない国がマジョリティを占めるので 排除されそうになるのは 致し方のない事かもしれませんが 日本では極当たり前にゴボウを食べていただけだし クジラの問題にしても同様だと思いますが 各々の国に昔から伝わる歴史であり文化なのですから 自分たちにその習慣がないからと言って 頭からその文化を否定してしまうのは 如何なものでしょうか。オーストラリアなどのクジラを食べる国への対応は 目に余るものがありますが あの国では カンガルーが 作物を荒らすので害獣として 年間に相当数を殺戮しているのです。日本も オーストラリア人がカンガルーを大量に殺戮している場面を撮影した映画でも作って オーストラリアの過激な行動に 対抗してもいいのではないかと思います。
    話をゴボウに戻しますと 私は子供の頃は固くて 土臭い味がするような気がして あまり好きな食材ではありませんでした。所が 大人になってからは ゴボウやレンコンなどの歯ごたえのある食材が大好きになってきました。ゴボウ料理の代表はやはりキンピラゴボウだと思います。我が家のおせち料理には 必ず作られていましたので この料理は子供の頃からよく食べていました。それから お正月のお煮しめ 我が家ではがめ煮と呼んでいましたが これにも結構な大きさに切ったゴボウが入っておりました。私の父が やはり固い食材ゴボウやレンコンが好物で 煮物を食べるときにそれらを中心に食べていましたが 私も現在では サトイモやニンジン コンニャクのように柔らかいものよりも歯ごたえのある食材を喜んでいただきますので やはり親子は似てくるものだと思います。
    ゴボウは笹ガキゴボウにして お鍋やトン汁に入れても とても美味しくいただけます。笹ガキにしたゴボウは 肉と炒めてもとても美味しいです。私は 塩コショウで味つけして 仕上げにゴマをたっぷりとかけたものが 大好きですが ご飯が進んでしまうオカズなので 最近は食べないように心掛けています。唐揚げ粉をつけて 油でカラッと揚げたものも 凄く美味しいです。千切りや笹ガキにして 天ぷらのかき揚げに加えると サクサクと歯ごたえが良くて 私は大好きです。
    千切りにしたものを 湯がいて サラダの食材にするのも 凄く美味しいように思います。ブッフェのお店のサラダコーナーには ポテトサラダやマカロニサラダ 春雨の中華サラダ等と並んで ゴボウのサラダが置いてある場合が多いので 結構人気があるのだろうと思います。私は最近 業務スーパーによく買い物に行きます。サラダコーナーに ポテトサラダやマカロニサラダ 玉子サラダ等とともに一キロ入りのゴボウサラダが売られています。本音はポテトサラダの方が好きなのですが 血糖値を上げる炭水化物ですから ゴボウサラダを選んで食べています。出来合いのサラダは ドレッシングが多すぎて 味が凄く濃いので キュウリの薄切りやキャベツの千切りと混ぜて 食べております。
    本日の誕生花がゴボウの花だったので ゴボウについて書いてみましたが 結局は食いしん坊の私ですから 花よりも食べられる根っこの部分の話ばかりになってしまいました。やはり私には 花について語るようなことは似合わないのだと思います。

  • 3月28日 倒木で大破したスポーツカーの損害賠償が奈良県に求められました

    2014年に 道路を普通に走行していた トヨタ2000GTという超有名な ビンテージもののスポーツカーが 普通に公道を走っていて 倒れてきた木によって 大破したのだそうです。トヨタ2000GTと言うスポーツカーは 1967年から三年間で三百数十代が 生産されたのだそうです。見た目は いかにもスポーツカー と言う流線型の形をしています。いかにもスピードが出やすくて レーシングカーのようにも見えます。恐らく私の様なデブでは 座席が小さすぎて 乗れないだろうと 思います。社交も低いし 当然窓も狭くて 外が見えづらそうで 凄く運転しにくそうな車に見えますから 私は全く魅力を感じません。
    販売価格は 当時で238万円だそうですから 現在の貨幣価値なら1500~2000万円位はするのだそうです。とは言っても 一台を作るのに 手間暇が滅茶苦茶にかかるのだそうで この価格でもメーカーとしては赤字が大きかったのだそうです。大量生産が出来なかったので 売れれば売れるほど赤字が拡大してしまうために 非常な高価格である割には 人気がありましたが 僅か三年で生産を中止にしたのだそうです。
    この車の開発段階で トヨタ独自では完成に至らなかったので ヤマハとの共同開発により ようやく完成にこぎつけたのだそうですが 車としての重要な部分は殆どヤマハの技術が採用されていたみたいで 一部からは あの車はトヨタ2000GTではなくて ヤマハ2000GTと呼ぶべきだと言われたこともあったのだそうです。只ヤマハは二輪車の専門メーカーでしたから 四輪車として完成させるには どうしてもトヨタの協力が不可欠だったようです。
    生産している時の価格が 現在の貨幣価値として2000万円位なのだそうですが 現在流通しているものは 勿論中古車になるのですが プレミアがついて 4000~5000万円位もするのだそうです。兎に角超レアで貴重な車ですから オーナーが大事に運転するし点検にもお金を惜しまないのでしょうから 中古車と言っても かなりいい状態で売り買いされているみたいです。私は 車は単なる移動するための道具に過ぎないと認識していますから 単なる道具に対して そんな莫大なお金を支払う人がおられるというのは 信じられない事ですが 世の中にはそんな風に凄く車に拘りを持っておられる方が結構いらっしゃるから そんなとんでもない高値がつくのでしょう。
    確かにこの車は 昔007の映007は弐度死ぬ」に登場したことで 世界的にも有名になったのかもしれませんが その事を知っているのは 私たち位の世代の話ではないでしょうか。今のお若い方にしてみれば007の映画がシリーズ化されて どんどん公開されていた事すらご存知ないのではないでしょうか。後に1980年代辺りに スープラと言う車が トヨタ3000GTと言うキャッチコピーで販売されましたから お若い方にすれば スープラの方が馴染があるのかもしれません。
    私は このブログで何度も書いております様に 引退してからキャンピングカーでのんびりと旅してまわりたいというのが夢です。キャンピングカーは移動手段であると同時に 生活をする場でもあります。ですから キャンピングカーについては それなりの充実した装備に拘りますので 価格も恐らく一千万円位はかけようと思っております。凄く大きな買い物になりますが 自分の大切な夢をかなえるためのアイテムですから 普段はけちん坊の私ですが お金は惜しまないと思います。
    話が最初から横道にそれ続けていますが そのトヨタ2000GTが一般道を普通に走行していたのだそうですが 恐らく枯れてしまっていた木が 道路上に倒れ込んできて 大破してしまったのだそうです。運転していた方は 軽症で済んだのだそうですから 凄く幸運だったと言えるのかもしれません。その車のオーナーは そのトヨタ2000GTを3000万円台の運よく 購入されたのだそうですが どうもそこで運を使い果たしたからか 普通に走っていてそのような災害に遭遇されたのですから 非常に不幸な運命だと思います。
    普通の日本人の感覚だと 自分の不運を恨みながら 泣き寝入りする場合が多いのかもしれません。所がこの車のオーナーは 道路を管理していた奈良県を相手取って 損害賠償の請求をしたのだそうです。アメリカは 些細な事でも 裁判沙汰になることが日常茶飯事の 訴訟社会ですから 珍しくもない事かもしれませんが 日本ではまれなケースのように思います。結局購入価格の半分ほどは奈良県から受け取れるのだそうですが それでも一千万円以上の損害を被ったのですから 大損をしたのは間違いないようです。裁判所も 日本における判例が乏しいのでしょうから 判決を下すのに闘争苦労したのでしょう。まあこの車のオーナーとしても 恐らく倒木が起こったような条件の悪い天候の時に 希少価値の大きな車を走らせたことに 多少は責任があるのかもしれないとも思います。
    何でもかんでも 自分の権利を主張して 訴訟を起こすアメリカのような風潮を決していいものだとは思いませんが 直ぐに泣き寝入りしてしまうのが一般的 頑張って訴えても ご近所から陰口をたたかれるのが関の山の日本も 決して褒められる状況にはないように思います。ですから 日本と言う国でも 自分が不利益を被った場合には 客観的な判断は自分では難しいのでしょうから 弁護士さん辺りと十分に相談して 不利益を取り返せる可能性がある事なら 訴訟でも何でも起こして 頑張れる社会になるべきではないかと思います。

     

  • 3月27日 1961年の本日B’zの松本さんが誕生されたのだそうです

    先日のアメトークで B、z芸人が集まる放送がありました。そもそもB’zと言う表記の仕方で 正しくて ファンの方が納得して頂けるのかどうかわかりません。番組の冒頭で ファンでない方はB’zさんの呼び方のイントネーションが間違っているという指摘から始まりました。私もB’zさんと言う男性の二人組の歌手がいらっしゃることは 勿論存じ上げておりましたが カラオケのレパートリーにヒット曲が凄く沢山あることは知っておりますが 一曲も入っておりませんから 全くファンではありません。
    一般的には と言うか私は ビーズの読み方としては 抑揚をつけないで 平坦に発音しておりました。所が 正しくは と言うか熱心なファンの方々は 女の子が糸を通して遊ぶビーズと同じ発音 似たイントネーションとしてはビールがあるのだそうですが そのように発音されるのだそうです。ファンでなければ どうでもいいことのように思いますが ファンにしてみれば 大事なユニット名ですから キチンと正確なイントネーションで 呼んでほしいのだそうです。私も大好きな乃木坂や欅坂を 見当違いのイントネーションで発音されたら かなりむかつきますから ファンとしては当然の拘りかもしれません。
    B’zさんと言うユニットが活動されていることは かなりの昔から知っておりましたけれど 以前にアルバイトで雇っていた女の子の一人が 熱狂的なファンだった位で 私の身の回りにはあまり関わり合いがありませんでした。例えば 好んで見ていたドラマの主題歌等を歌ってくれていれば 何となくカラオケで歌ってみようという気になるはずですが 勿論長年一流歌手の座をキープされているのですから ドラマの主題歌も勿論歌っておられるのかと思いますけれど 私の好んで見ていたジャンルのドラマでは そのようなケースもなかったみたいです。たまたま見ていたアニメの主題歌を歌っていたことから その存在を知った歌手としては 「光るなら」のグースハウスさんや 「翼」の藍エイルさんがいます。この二曲は 私のカラオケレパートリーにしっかりと入っております。
    B’zさんの CD売り上げが かなりすごいといううわさは聞いておりましたが これまでの日本の歌手のCD売り上げランキングが 番組内で発表されていました。ユーミンやサザン ドリカムなど日本を代表するような一流アーチストが居並ぶなかに AKB48がはいっていたのには 驚きました。乃木坂は 最近の活動においてライバルのAKBを既に追い越したのかもしれない 等と言われておりますがCDの売り上げ実績では 残念ながらまだまだAKBの足元にも及んでおりません。ただAKBがずっこいなあと思うのは 普段の活動は SKEやNMBなどが独立して行っていますが AKBのシングルの選抜メンバーには 各グループのエース級の人気メンバーをかき集めて構成していますから 必然的に他のグループのファンまでが AKBのシングルを購入してしまうので 尚更売り上げが多くなるのだろうと思います。更には殆どのシングルCDが おまけのメンバーの個人企画が 四タイプ位に分けて入っています。ファンとしてはCDの特典である個人企画を揃えたいので どうしても四タイプを揃って購入してしまいますからなおさらCDの売り上げ増につながっているのでしょう。秋元さんの作戦にはまってしまっているのですが 私も乃木坂や欅坂のCDをその作戦にはまってしまって全タイプ購入していますから しょっぴり悔しいです。
    CD売り上げランキング上位になると数千万枚の単位ですから 信じられないレベルですが 結局第二位のミスチルが五千万枚台だったと思います。一位がB’zで八千万枚を超えていましたから ぶっちぎりでトップでした。私が子供の頃からよく知っている人気のあった歌手 例えば演歌の森さんや五木さん ピンクレディーの売れ方も半端ではありませんでしたが 所詮レコードの時代ですから CD売り上げランキングには 全くカウントされていないのかもしれません。所詮 土俵が違うので比較してもあまり意味がないのかもしれませんけれども その辺りの数値にも大いに興味があります。
    昭和を代表する美空ひばりさんや 三橋道也さん辺りの売り上げも 相当数に上るはずですが 当時の正確な売り上げ枚数のデーターが保存されているのかどうかも疑問だし 今更調べるのは難しいのかもしれません。私がカラオケで歌う曲の多い 松山千春さんや さだまさしさんも 相当な売り上げ実績をお持ちだと思いますが どちらかと言うと レコードの時代の歌手ですから やはり同じ土俵で比較するのは 難しいのでしょうか。
    とにかくB’zさんの売り上げと その人気がけた違いにすごい事は 間違いありません。所が私は このユニットの事についても その作品についても全く知識がありませんので 具体的な内容には全く触れられませんが 稲葉さんと言う方がボーカルで松本さんがギターを担当しておられて ジャンルとしてはロックに入るのかなあと 思っております。普通ロックバンドと言えば ビートルズを筆頭にギターにベース ドラム等のメンバーで 少なくとも四人はいるように思うのですが このユニットは どうしてたった二人で活動されているのか 不思議に思っていました。二人組のユニットと言えば コブクロやケミストリー あみんを思い出しますが 二人とも楽器演奏する場合はありますが 二人で歌ってハーモニーを奏でるのなら一般的だと思います。
    正直申し上げて私は このお二人について 何にも知らないし それだけCDの売り上げ実績で 断トツの人気と実力を誇っておられると分っても 殆ど興味が湧いてきません。私はエグザイルと言うグループも 現在ではかなりいろんな形に発展を遂げているみたいですが 全く興味が無くて 結構魅力的な作品を発表されているのは 存じ上げておりますが やはり私のカラオケレパートリーに全然入りません。
    B’zさんもエグザイルさんも その曲が 私の琴線に触れなかったので 全く触手が動かない と言うか自分の中に入って来ないのだと思います。下世話な話で申し訳ないけれども 松本さんは私よりも四歳年下の方ですが それだけ売れまくっているユニットで 数十年活動をされているのですから 使っても使っても使いきれない位の金額を稼ぎまくっておられるのだろうと思います。勿論人生の幸せが どれだけお金を稼いだかで決まるなんて思っておりませんが お金はやはりないよりは 沢山ある方が生きていきやすい世の中です。恐らく松本さんは稲葉さんと知り合って ユニットを形成して 趣味で歌い始めた延長線上に 現在があるのでしょうから 自分の好きな事をやり続けて 歌手としての実績や人気をほしいままにして おまけにタップリとお金を稼いでおられるのでしょうから 幸せな人生であることは間違いないように思います。
    私の様に 人よりも大きく回り道をしてしまった人生ですから 人並みの幸せを望むのは おこがましいのかもしれません。何の才能にも恵まれておりませんし 真面目に頑張る勤勉さも持ち合わせておりませんが 私にできることを 無理せずにこなしながら 一生懸命に生きていこうと思います。

  • 3月26日 1821年の本日 統計学者エンゲルが生まれました

    エンゲル係数と言うのは 凄く有名な経済用語だと思います。学校で習ったのは 凄く昔だったとしか記憶にありませんが 要するに生活費に置ける食費の占める割合をエンゲル係数と言うのだと解釈しております。日本のこの十年の平均値は25パーセントほどのようです。この係数が高いほど 生活水準が低いのだそうです。恥ずかしながら 私は月々の出費のうち 食費にかける割合が凄く高くて 厳密な数字は分りませんが 50パーセントに近いように思います。
    一応言い訳をしておきますと 私は病院の二階で生活しておりまして 住宅部分を増築した時の借金は返済を終わっておりますので 住宅費が一切かかりません。通勤も二階の住居部分から 階段を一階の病院部分に降りるだけですから 交通費も一切かかりません。酒やたばこなどの嗜好品も一切嗜みませんので その方面のお金も一切かかりません。ギャンブルも学生時代に暇つぶしにパチンコを少しだけやった位で 現在は全く興味さえありません。
    お金のかかる趣味も殆どありません。一応乃木坂と欅坂のファンですから 発売されるCDや写真集を購入することはありますが コンサートや握手会などには出かけませんから 年に何度か二つのグループのグッズを購入しても その総額は多くとも年間数万円位のものです。他には月に二三回 近所のカラオケ屋さんに出かけますが そこはかなり古くて 汚いので 料金設定が凄く安くて ドリンクバーの料金を加えても 二人でフリータイムで入って千五百円かかりませんから大人の遊びとしては可愛らしいものでしょう。
    水道光熱費などは 決算をするときに年額十万円を経費から 事業主貸しに移していますから 月額八千円位だと思います。私は携帯電話はガラケイだし 契約していないのでメールも出来ませんし 現実に電話として使用することは殆どありませんから 通信費もかかりません。洋服や靴も 年に一枚若しくは一足購入するかしないかなので その金額は微々たるものでしょう。カラオケ以外の娯楽と言えば お弁当を持って近所の公園や展望台に出かける事ぐらいですが そのお弁当は殆ど全て私の手作りですし 大した食材は使いませんから 弁当代としてかかっている金額もごく僅かでしかありません。別に有り合わせで作ったお弁当を食べながら 奥様と楽しくおしゃべりが出来れば 私にとっては最高の娯楽ですから 別に楽しい事ややりたい事を 無理して辛抱しているつもりは 全くありません。
    それ以外の日々の楽しみと言えば 奥様と外食を楽しむ事ぐらいです。おきにいりのレストランは 露庵と言う野菜料理を中心としたブッフェ形式のお店です。私は普段 炭水化物禁止令が出ていることが多いので あまりご馳走とは縁のない生活ですが そのお店に行ったときは 野菜や豆腐がメインの料理を中心に お肉や卵料理もたっぷりと食べて 普段の食べたいものを辛抱している生活から ほんの一瞬だけ解放された気分を味わいます。但しお米や麺類そしてデザート類などの血糖値を上げてしまう食べ物は極力食べないように 気をつけてはおります。露庵に二人で出かけると ランチでも三千円以上かかりますが 私が普段から炭水化物を辛抱しているので その締め付けを時々は緩めてやらないと 摂生生活が長続きしないので 月に何度か 訪れてしまいます。勿論この費用は食費に入ってしまいますから 普段の食材購入費は 野菜が中心のメニューで 贅沢していませんので そんなに高くないとは思いますが 月々の食費としてはそこそこの金額になってしまうように思います。
    私は 本来怠け者で 自分に甘い だらしない人間ですから 安易に無駄遣いとかしてしまいそうですが 一日も早く 優雅な老後を迎えたい という目標がありますし 元気で長生きしたいので 食生活も野菜中心で 価格の高いお肉などは殆ど買いませんから 食材費は それ程かさみませんが とにかくそれ以外の出費もほんの僅かですから どうしても食費の占める割合 即ちエンゲル係数が高くなってしまいます。勿論食べたいものを食べたいだけ食べて生活したいのですが そんな事をすれば あっと言う間に血糖値の指標となる項目 ヘモグロビンA1cが 10近い値まで跳ね上がってしまい 糖尿病が一気に加速してしまいますから 辛抱せざるを得ません。
    そんな訳で 私は特別に辛抱を重ねた生活をしているつもりはありませんが 無駄な出費をしないように心掛けている事と元気で長生きしたい事から エンゲル係数の高い生活 客観的に見ると生活水準の低い生活をしているのかもしれません。とは言っても 別に望みもしない無駄遣いはしたくないし 元気で長生きしたいので野菜中心の食生活を続けていますが そんなに惨めな身持ちで生活していませんから 仕事を引退するまで このままの生活を続けていくつもりです。エンゲル係数なんか気にしないで 頑張って生きていこうと思います。

  • 3月25日 本日は25日ですから サラリーマンの人たちはお給料日なのでしょうか

    私は一つ目の大学を卒業してから 三年ほど塩野義製薬と言う立派な会社でサラリーマンをしていました。その時の給料日が毎月25日でした。当時数人の友人に聞いたら その会社は給料日が 十日と二十日でしたから 会社によって全然異なるようですが やはり25日がお給料日の会社が一番多いのではないでしょうか。公務員の場合 月半ばと言うイメージがありましたから 調べてみると一口に公務員と言っても 仕事の内容によって16日、17日、18日辺りが一般的みたいです。
    私は サラリーマン時代 分不相応な待遇を受けていました。一人暮らしなのに 2LDK位のアパートを用意してもらっていましたし 家賃は勿論会社が支払ってくれていました。車も支給されていましたし ガソリンもカードを預かっていましたから一銭もかかりません。仕事は 他の会社に勤めたことがないので比較できませんが それなりに相当にハードだったとは思います。お給料も薬屋さん業界では 中ぐらいだったように思いますが いわゆる営業手当的な収入も含めると 入社一年目から かなりの高額を頂いていましたから 金銭的に切迫したことは全然ありませんでした。何しろ私は 当時から全く自分では飲みに行きません。営業の仕事ですから お医者さんを接待して 結構上等のお店でご相伴には預かっておりましたけれど。
    勿論ギャンブルなども一切しないし 煙草などのカネのかかる嗜好品には 一切手を出しておりませんでした。性欲は人一倍強かったように自覚していますが 彼女持てない私ですから 勿論出来なかったし お金のかかる風俗遊びも これには大いに興味がありましたが 性病などが怖くて全然手をだしていませんでした。もっぱら一人でしこしこしていましたから ティッシュの消費量は多かったかもしれませんが かかるお金は知れています。そんな訳で殆ど食費しか出費していないような生活でした。私は自炊が得意でしたから と言うか作ってくれる女の子がいませんでしたから 仕方なく自炊の腕が上達したのでしょう。その為に外食するよりはかなり安く上がっていたはずで お金は銀行の口座に貯まる一方でした。
    給料日と言っても 塩野義は 銀行振り込みでしたから 会社の自分の書類入れの中に 橋梁明細の紙切れが入っているだけで 普段と全然生活が変わるわけではありません。紙切れ一枚受け取るだけなので 全然嬉しくもないし 気に留めてもいませんでした。二三年先輩の方がいましたが その方は暇さえあれば 飲み屋さん通いをしていましたから 給料日前になると手持ちの金が足りなくなるみたいで 何時も給料日にはニコニコしながら 飲み屋さんに繰り出していました。私は飲む事やギャンブルには一切興味がありませんでした。性欲だけは二十代前半でしたから ふつふつとわき立っておりました。
    別に性欲のはけ口を求めていたわけではありませんでしたが 会社の事務の女の子をコッソリとデートに誘ったりしました。その子が凄く可愛くてスタイルもよかったのに 私の様なもてない男からの誘いを 嫌な顔一つしないで いつも機嫌よく受けてくれていましたから 周到に準備をして 丁寧に手順を踏んで 上手に雰囲気を作れば ものにできたのかもしれませんが 私は女性にもてた経験が一度もありませんでした。高校時代の修学旅行の時に 好きな女の子に告白して 凄く冷たくあしらわれてしまったことが トラウマになってしまっておりましたので 可愛くてスタイルの良い 非常にチャーミングな女の子が 私なんぞと付き合ってくれるなどとは 決して考えらませんでした。今思うと犯罪行為になるのですが 深夜の絶対に誰も戻ってこない時間帯に こっそり会社に戻って その子のロッカーにかかっている制服の臭いを嗅ぎながら オナニーするのが関の山でした。まるで高校生みたいで 恥ずかしい事この上ありませんが 本当に申し訳ございません。
    給料日にまつわるエピソードを書こうと思って書き始めましたが とんでもない恥ずべき行動を告白してしまいました。給料日についての思いでは 塩野義時代には全然ありません。岐阜大を卒業して 動物病院で修行を積んでいる時には はっきり言って非常に安月給でしたから 年がら年中金欠病でした。給料日が来てももらえるのは ほんのスズメの涙でした。塩野義時代の方がよほど恵まれておりました。常にお金がない時代には 例えわずかでも受け取れる給料日は やはり月末の25日でしたが 楽しみにしていました。従業員一人一人に現金が手渡されましたから 非常に薄給ではありましたが 一応は嬉しそうな表情を浮かべなければならず 複雑な心境でしたが その日だけは 帰り道にちょっと豪華な外食をして帰りましたから ほんの一瞬幸せを感じました。やはり給料日と言うのは 貧しい時代には 嬉しいものだと思います。
    自分が開業してからは 必要に応じて病院にある現金から 自分の財布に入れておりました。開業当時は 自分で申告の作業をするわけでもないので 毎日真面目にコツコツと働いておりましたが 一体自分の病院が儲かっているのか儲かっていないのか全然見当がつきませんでした。只 月々の経費などを支払い 借金を返済し 何とか生活できていましたから それなりに利益は出ていたのだと思います。奥様には 毎月月末に決まった金額を生活費として渡していますが 経営者である私には当然給料日がありません。ここ十数年は 完全に自力で決算して 確定申告書を書き上げておりますが 未だにうちの病院が儲かっているのかいないのか 殆どピンときておりませんから 自営業とはその辺りの状態が分り辛いのかもしれません。まあ毎年目標とする金額を貯蓄できていますし 奥様と最低限度ではありますが それなりに楽しく生活できていますから これ以上の事は求めません。何とかこんな状況があと数年続いてくれたら のんびりとした老後につながることを信じて 日々頑張っていこうと考えております。

  • 3月24日 1970年の本日に蒸気機関車が 引退したのだそうです

    鉄道の表舞台からは蒸気機関車は引退したのかもしれませんが 地方ではまだまだ現役で頑張っていたようです。私は 幼稚園から大阪で通いましたので 小さい頃に蒸気機関車に乗った記憶がありません。大阪では子供の頃から電車網が発達していたからかもしれません。奥様は私よりも六歳年下ですが 大分で生まれて育ちましたので 子供の頃に出かけるとなると 近所は自家用車だったけれど 遠出をするときには 大抵蒸気機関車に乗って出かけていたのをよく覚えているのだそうです。
    男の子は 結構小さい時から 乗り物 例えば鉄道や自動車に 凄く興味を持ってしまう場合が多いのかもしれません。ただ私は 自動車も鉄道も 全く興味がありませんでした。従って ミニカーや鉄道模型などにも一切魅力を感じませんでした。子供の頃に 父の友人が家に遊びに来た時に よくお土産に男の子が喜ぶことが多いはずの ミニカーを頂きました。ただ私は その類の玩具には一切興味が無くて どうせもらうのなら 活字ばかりの本を貰った方がよほど嬉しかったように覚えています。
    1970年ですから 丁度大阪で万国博覧会が開かれた年に 世界中から大阪へ沢山の人が押し寄せてきて 何か大きく日本と言う国が大きく変化した年に 蒸気機関車が第一線を退いたようです。明治時代の幕開けとともに 日本の動脈として 活躍して日本の発展に大きく貢献してきた蒸気機関車が 第一線を退いたのですから 鉄道マニアの方にとっては 凄く寂しくて 悲しい出来事だったのかもしれません。まあ鉄道マニアの方は 新幹線を筆頭に どんどん新しい列車が開発されて 登場してくるから 嬉しい事も続々とあって 寂しがってばかりもいられなかったのかもしれません。
    世の中には 鉄道マニアの方が結構沢山いらっしゃるみたいです。確かに見た目もいろ色と個性的な種類の車両があるし 機能などに様々な特徴があるようです。ある特定の地方にしか走っていない車両とかもあるみたいで マニアの方はそんななかなか出逢わない車両に出くわすと 恐らく写真を撮ったり 乗り心地 すわり心地を確認したり と忙しいのかもしれません。私は鉄道に全く興味がないのと同じように 自動車にも全然興味がありません。車こそ鉄道よりももっと身近で 見た目のスタイルも色んな種類があるし 内装やエンジンの性能なども 凄く個性的ですから 自動車マニアの方はそれなりにすごく拘りを感じておられるのだと思います。私にとっては 鉄道も自動車も あくまで移動するための手段に過ぎない様に思っております。
    私も仕事に必要なので 毎日車に乗っていますし 病院の仕事を続けている限りは 現在のアルトにのり続けると思います。三年前に新車を購入しましたから あと数年恐らくこの病院をたたむまでは 機嫌よく走り続けてくれると思います。アルトを選んだのは 別にスタイルが気に入ったわけではなくて 勿論軽自動車ですから性能に魅力を感じたわけでもありません。車の構造上 後ろの座席をたたんだ状態で 大きめのケージがつめたら 条件としてはOKでした。価格的には それまでずっと中古車を乗り継いでいましたから それらよりも一応新車ですから高額になりましたが カミタケモーターズと言うお店で 購入後に点検やエンジンオイルの交換が無料であるなどの様々な特典がありましたから納得して購入しました。事あるごとのこのお店に車を持ち込んでお世話になっています。私がz綱運転をして こすって塗装が剥げたりしていましたが エンジンオイルの交換や車検で 車を預けた時についでに塗料を塗って 目立たない様な処置を無料でしてくれていたりしますので とてもありがたく感じております。
    燃費も悪くありませんし 軽にしては 車体重量が小さいからなのでしょうが ダッシュ力もまずまずあるように感じておりますので 車の性能そのものにも特に不満はありません。ただウィンカーを出した時などに鳴る音が ピコピコといかにもおもちゃの様で 凄く安っぽくて初めて聞いた時には笑ってしまいました。まあ正真正銘 日本で販売されている車のうちでも恐らく一番を争う位の安物の車を選んで購入しましたから 文句は言えません。
    仕事を引退してからの私の夢は もうこのブログには何度も書いていますが キャンピングカーで日本中を駆け巡る事です。ですからその為のキャンピングカーは 半分自宅代わりになるわけですから 総額一千万円位はかけて かなり豪華な車を購入するつもりです。現在でも 経済的には アルトよりはもう少し上等の車に乗れない事はありませんが 現在の所は 少しでも早く仕事を引退したいし その為には 今は多少でも切り詰めて生活して 引退後に優雅に暮らせるための貯蓄をふやす事を第一に考えて暮らしています。蒸気機関車についての私の出来事を書こうと思っていましたが 実際にはのったことがないし 鉄道博物館に飾ってあるものを眺めた位なので 殆どこれと言ったエピソードを思いつきませんので 本日はこれまでとさせていただきます。 

  • 3月23日 ボルトが ドルトムントの練習に参加したそうです

    ウサインボルト選手と言えば 昨年陸上選手を引退されましたが もともとマンチェスターユナイテッドの大ファンなので イギリスのプレミアリーグでプレイをするのが夢なのだそうです。私は サッカーに全く興味がないので 陸上競技をやっていてプロのサッカー選手に転向された方がこれまでにいらっしゃるのかどうか全然知りません。サッカーはボールを蹴ってナンボのスポーツですから 幾ら走力があってもプロの それも世界最高水準のプレミアリーグの選手になれる可能性は 現実的にはなさそうに思います。
    昔 東京オリンピックで百m走で金メダルを取ったボブヘイズ と言う選手が オリンピック後にアメリカンフットボールの選手に転向されて 活躍されたことはよく覚えています。ボブヘイズ選手は 筋肉隆々とした体格で あまりスプリンターらしからぬ体つきに感じておりました。ヘイズさんの場合は アメリカ生まれのアメリカ育ちで 陸上競技をやりながらアメリカンフットボールの経験もあったのだそうです。その時のポジションは ランニングバックだったのだそうです。
    筋骨たくましい体格で ダッシュ力にも優れていたのでしょうから クウォーターバックからボールを貰って 相手のディフェンスラインをかいくぐって前進するプレイでは 相当に力を発揮したのだろうと思います。プロに転向後は よりその飛び抜けた走力を活かす為にワイドレシーバーのポジションに転向したのだそうです。相手チームのディフェンスバックは 世界一足の速いレシーバーが 走り回るのをカバーしなければなりませんが 現実にはカバーしきれるわけがなくて パスを簡単にキャッチしていたようです。
    ヘイズ選手の場合 アメリカで生まれて育ちましたから 当然子供の頃からアメリカンフットボールと言うスポーツとも馴染が深かったでしょう。それにこのスポーツは極端に仕事の分業が徹底されています。ワイドレシーバーと言うポジションの選手は ボールスナップと同時に ダッシュして相手陣奥深くに侵入して あらかじめ決められた位置に到達したら 振り返って クウォーターバックが投げるパスをキャッチする事だけが仕事です。それ以外の動きは 一切求められませんから 例えプロ選手の高いレベルの技術でも その事だけに絞って練習すれば チームにとってすごく大きな戦力となったはずです。事実スーパーボウルと言う世界一決定戦にも二回出場しています。
    ボルト選手がこれまでにサッカーと言うスポーツとどれだけ関わってきたのか 全然知りませんので 迂闊な事は言えません。サッカー選手もポジションによって求められる技術が異なるのでしょうが アメリカンフットボールの様に極端に分業化されていて 仕事が限局されているわけではないように思いますので 話題作り 思い出づくりとしては いいのかもしれませんが それ以上の事を望んだら 赤っ恥をかくだけだと思いますので 程々にされた方がいいように思います。
    日本の百m走者でオリンピックに出場された飯島選手がロッテオリオンズに三年間在籍されたことがあります。球団としては ランニングと言うよりも盗塁のスペシャリストとして期待したみたいですが 三年間在籍して 23盗塁17盗塁失敗 と言う平凡な成績でしたから やはり畑違いで十分にその能力はいかせなかったようです。陸上のスタートとピッチャーの投球動作に合わせてのスタートでは そのダッシュ力が十分には発揮できなかったのでしょうし スライディング等の技術も 簡単そうに見えますが プロのレベルとなると そんなに簡単に身に付かなかったのかもしれません。
    ドルトムントの選手も ボルト選手と一緒に練習できたのですから 一寸友人に自慢できる話題が出来て 喜んでいるのかもしれません。ボルト選手がランナーとして偉大な実績を残された方だけに 幾らサッカーが好きだからと言って プロの選手に本気でなる気持ちは恐らくないのでしょうが くれぐれのいい思い出になってよかったと 自分の気持ちにけりをつけられることを期待いたしております。

  • 3月22日 グランマーブルと言うデニッシュパンのお店に出かけました

    先週あたりにテレビで紹介されていたパン屋さんです。奥様は かなりのパン好きです。まあ麺好きでもありますから 炭水化物好きと言えるのかもしれません。奥様も還暦目前ですから かなり中年太りしてきています。まあ食いしん坊の私と一緒に生活していると どうしても食べる量が増えてしまうので ポッチャリさんになってしまうのかもしれません。とはいえ 私と違って膵臓がちゃんとインスリンを分泌してくれているらしくて 血糖値やヘモグロビンA1cも全然高くないので お好きなものを機嫌よくお好きなだけ召し上がっていらっしゃいます。羨ましい限りです。
    そんなパン好きの奥様へホワイトデーのお返しを先週買いに行きましたが 奥様のお気に召すものが見つかりませんでしたので 何かいいものはないかと思案していたところ テレビで凄く美味しそうなデニッシュパンが紹介されていましたので 奥様をお連れすることにしました。テレビでは祇園の本店を紹介されていましたが ネットで調べてみたら 南区上鳥羽にあるファクトリーの方が工場ですから 焼き立てを直ぐに販売されるブランと言う特別のパンも購入できるし、デニッシュパンも全種類が置いてあるので 沢山購入するのなら 本店よりもファクトリーの方が都合よさそうです。
    特にファクトリーの方が 大阪方面からみると 手前にありますから近いし そんなに広くないけれども駐車場もあるらしいので 車で出かけるのには 尚更好都合みたいです。十二時になったらすぐに出かけようと思っていましたが 十二時間際になって 緊急の患者さんが来院して かなり状態が悪かったので そのまま入院してしまう事になりました。十年以上通っていただいている常連さんでしたから 丁寧に検査して その場でできる治療を十分に施してから出かけましたので 一時近くになって病院をスタートしました。国道一号線を少し脇に入ったところにそのお店がありましたので 何時も京都に出かけるときの様に 第二京阪の側道を北上しました。
    先日梅見に出かけた城南宮の近所でしたから 似たようなコースを通ってグランマーブルファクトリーに到着したら 丁度二時頃でした。奥様が電話でブランというデニッシュパンの焼き立てを購入できるので 予約していましたが それが丁度二時に焼き上がる予定でしたから 一番いい時間に到着できました。駐車場には 車が数台停まっていて 中で人が待機していました。何をしているのかと思っていたら 二時に焼き上がるブランと言う商品焼き上がるのを待っておられたみたいで 私たちが車を降りるのほぼ同時に車から出てこられました。
    このブランだけは 焼き立てを直ぐに販売するので予約制になっているらしいのですが 本日の焼き上がり時間 十時も十一時も 奥様が予約した二時も予約完売になっていましたから この商品は予約してから出かけないと 購入できないみたいです。他には デニッシュパンが十種類以上も販売されていました。デニッシュパンは 普通のパン生地にバターを挟み込んで何度も何度も折りたたんでから焼き上げていますから バターの風味が楽しめるサクサク と言うよりもふんわりとした食感のパンみたいです。
    中にいろいろと美味しそうな具材が練り込まれていますので 見た目もカラフルで美しいです。奥様は女性ですから 当然甘いものが大好きです。なのになぜか チョコレートと餡子が好きではないと 分けの解からない事を仰います。私はパッと見て抹茶と餡子が練り込まれた宇治金時風のパンが気になりましたが 奥様は餡子が苦手なのでスルーされてしまいました。奥様がチョコレートの中ではまだ美味しく感じるというホワイトチョコレートとイチゴが 半分ずつ練り込まれた 見た目が紅白でおめでたいので お祝いの日によく購入されるパンや やはり奥様の大好きなキャラメル味のパンなど数種類をチョイスされました。こちらは焼き上がって冷めてから 一旦冷凍庫で凍らせて パンを落ち着かせているのだそうです。その為に常温でも一週間から十日はそのまま食べられるのだそうですが 焼き立てを直ぐに販売するブランは殆ど生菓子扱いで 当日か遅くとも翌日には食べきってください とのことでした.
    奥様は ブランを二本と デニッシュパンを四本購入されて 七千円以上も支払われました。つまり一本が千円以上もする高価なパンなのです。大きさは12.5センチ×12.5センチ×19センチですから 普通に販売されている食パンの感覚で言うと一斤半位の大きさです。私は恥ずかしながら 根っからの貧乏人なので とても自分の為には そんな贅沢なパンを買いたいとは思いませんが 奥様が喜んでくださるのなら 全然気にしません。今回はホワイトデーのお返しのつもりでしたが 奥様の為にする贅沢なら全く金額が高いとは感じません。私が仕事を頑張る目的は 唯一奥様に喜んでいただくためですから 奥様がニッコリと嬉しそうに笑ってくだされば それで私も大満足です。
    只人間は 贅沢にはすぐ体が馴染んでしまいますが いつもいつもこんな高級パンばかり食べていられるほど うちはお金持ちではありませんから 購入したパンが無くなったら また普通にパン屋さんやスーパーで売っているパンを食べる生活に逆戻りです。その時に これまでは普通に食べていた安物のパンが 美味しくなくて食べづらくならなければいいとだけ思っています。私は子供の頃 ウニの瓶詰されたものが大好きでした。子供がご飯にのせて食べるのですから 当然安物の練うにでした。所がある時 お歳暮か何かで 上等の粒うにを何本か貰ったことがあります。もらいものですから当然食卓に上がり 私は同様にご飯にのせて頂きました。
    粒うには 練うにの何倍もする高価なものでしたが 子供には値段のことなど全くわかりません。只粒うにがいつも食べている練うによりもずっと美味しい事だけは 子供でもよく分りました。もらい物の粒うにが無くなったら 当然いつもの練うにが食卓に並びましたが 私は練うにを一口食べてからは 二度と口にしなくなってしまいました。高価な粒うにの味を覚えてしまいますと それまではご機嫌で食べていた練うにが不味くて全く食べたくなくなってしまったのです。人間 贅沢を知るとろくなことはないと その時に学びました。
    奥様は子供ではないし 私たちが こんな上等のパンをいつもいつも食べられるようなお金持ちではない事は 勿論自覚されているはずですが いつもの安物のパンに戻った時に 少なくとも一時的に辛い思いをされるのではないかと 一寸だけ心配してしまいます。このパン屋さんのパンは 私も少しだけ食べてみましたが 凄く美味しく感じましたし 店員さんの応対も親切丁寧で よかったので これからも事あるごとに立ち寄り お土産代わりに購入することになると思います。
    死ぬ時にお金をあの世に持って行けるわけではありませんから 遺産をたくさん残したって仕方がないと思います。死ぬ間際になって 経済的に苦しくなるような間抜けな事は絶対にしたくありませんが 分相応にできる贅沢は しながら 残りの人生を楽しく生きていこうと帰り道に車を運転しながら 考えました。 

  • 3月20日 本日は LPレコードの日と言うのだそうです

    1951年、日本コロムビアから初めて LPレコードが「長時間レコード」の名前で発売されたのだそうです。 LP盤は直径 30 cm で収録時間約30分間でした。これまでよりも長時間再生できるので、long playが可能なレコードと言った意味合いからLPレコード と呼ばれるようになったのだそうです。また、一分間の回転数がそれまで普及していたEPレコードは45回転でしたが 33回転になったのだそうです。更に昔にはSP盤と言う代物があったのだそうですが 流石に私もうわさに聞いた程度で 現物を見たことも 再生装置に触ったこともございません。
    EPレコードは 真ん中に開いている穴が大きかったので ドーナツ盤などとも言われていたみたいですが 私はEP盤のレコードを一枚も購入したことがありませんので 診たことはありますが 殆ど知りません。以前にもこのブログで書いたことがありますが 我が家でちゃんとしたステレオが購入されたのは 私が中三の時だったと思います。昔のリビングルームや応接間によく置いてあったアンプとプレーヤーが一体化した家具調のものです。当時の流行で 四シャンネル録音されたレコードの為に部屋の四隅にスピーカーが置いてありました。但し四チャンネル録音されたレコードがあまりありませんでしたから そのスピーカーの機能が十分に発揮されることは 殆どありませんでした。
    我が家では リビングルームに置いてありましたが この部屋には 当時としては当たり前かもしれませんが メインの場所にでーんとテレビが置いてありました。当然テレビが娯楽の中心でしたから 昼間の時間帯は 大抵誰かがいてテレビをつけていましたので 私がステレオでレコードを聴けるのは 深夜とか早朝の誰もリビングにいない時間帯だけでした。そんな時間帯にレコードをかけるのですから 当然ヘッドホンでばかり聞いていましたから 尚更四つのスピーカーが活躍する場面は 殆どありませんでした。
    私が生まれて初めて購入したのは ビートルズの「HELP]でした。父親が ステレオと同時に購入したクラシック音楽のかなりの枚数からなる全集のようなレコードはありましたが 当時私はピアノのレッスンに通っていましたが クラシック音楽をステレオで聞く習慣がなかったので たった一枚のビートルズのレコードばかり何度も何度も繰り返し聞いていました。その頃の私の小遣いは確か三千円ぐらいだったと思います。当時LPレコードは普通一枚二千円ぐらいしたものです。レコードを一枚買ってしまうと 小遣いが半分以上消えてなくなりますから その購入は慎重になりますが とにかくレコードの枚数を増やしたかったので 最初はビートルズのレコードばかりを買っておりました。私がビートルズのレコードを買い始めた時代には 既にビートルズが解散していましたから 何となく虚しいような気もしましたが 他に欲しいレコードもなかったので バカの一つ覚えの様に買いあさっておりました。フォークソングなどに興味が湧いた時代がありましたが 当時はラジカセからカセットテープに録音するのが流行っていましたので そのジャンルの音楽は もっぱらカセットテープに自分で録音して聞いておりました。
    その後友達からローリングストーンズを強く推薦されましたが 何となく好きになれなくて モンキーズやカーペンターズ等のレコードを買い集める時代があり 大学生になると クラスの友人の影響でやっとクラシック音楽のレコードに興味が向きました。大学時代はサークル活動として 混声合唱団に所属して それなりに合唱に打ち込んではいたつもりですが 何故か合唱曲のレコードは一枚も購入したことがありません。私としては十年以上習っていたピアノに対するこだわりがありましたから 当時はバックハウスやケンプ、ホロビッツ等のピアニストの全盛期でしたので 彼らのピアノソロやピアノコンチェルトのレコードを盛んに買い集めるようになりました。
    所がクラシック音楽を一旦きき始めると 徐々に交響曲に移っていきました。最初は有名なベートーベンやチャイコフスキーからきき始めました。私が今でも一番好きな交響曲は 有名すぎて書くのが恥ずかしいのですがベートーベンの五番「運命」です。特にその第四楽章が好きです。FM放送で 別に聞くつもりもなく流れていたので耳にした ブルックナーの交響曲には 恐れ入りました。ブルックナーの交響曲は どの曲もきちんと居住まいを正してから 聞く準備をしてから つまり かなり長い曲が多いので トイレでおしっこをしてから 飲み物などを用意して手元に置いて 電話などがかかって来ても出ない覚悟をしてから 聞き始めるのが礼儀だと考えていた時期もありました。
    現在はCDに時代が変化してしまいました。私はLPレコードを数百枚所有しておりますが レコードプレーヤーもないし レコード針なども販売していないのかもしれませんから 全く再生できません。今後も恐らくは再生できないのでしょうから 捨ててしまうか 売りに出せば多少の小遣いにはなるのかもしれませんが やはり私の青春時代の思い出が詰まった宝物なので 簡単に手放せません、レコードは置きっ放しにしていると どんどん痛んでしまうのだそうですから 現在恐らくレコードを収めているシートが張り付いてしまい ひょっとしたらカビだらけになっているのかもしれません。例えレコードを再生できる機械を手に入れても まともに再生できないと思います。貴重な録音であれば ほとんどが 現在CD化されているらしいので レコードよりももっと鮮明な音を簡単に再生できるはずです。でも思い出の品には 深い思い入れがありますから 簡単には処分できません。
    多分 仕事を引退して この病院から移住先へ引っ越すときに思い切って処分してしまうのだろうと思います。その日が来たら 泣きたくなるのか 逆にサッパリするのか分りませんが 恐らくその日がLPレコードを目にする最後の機会になるだろうと思います。私は未練たらしい女の腐ったような男ですから ほぼ間違いなくぼろぼろ涙を流して また奥様に皮肉を言われてしまうと思いますが 男だって 幾つになったって 泣きたいときには思い切り泣ける人間でありたいと私は思います。