2月3日 節分ですが 今年もまた恵方巻きが大量に廃棄されてしまうのでしょうか

節分に豆まきをする習慣は 私の家でもありました。極めて定番ですが 父が鬼のお面をかぶり 鬼役を演じて 私や妹と母が鬼に向って炒った大豆を投げつける と言うどこの家庭でもありがちな 豆まきの光景が繰り広げられました。ただあまり派手に投げつけると その後の母の掃除が面倒になりますので投げつけるにしても加減してあまり飛び散らないように気を使いながら豆まきをしておりました。その後 確か年の数だけと個数を一応制限されていましたが 撒いた大豆を拾って食べました。

子供の頃 我が家では 子供の日には 柏餅やちまき食べて 菖蒲湯に浸かっていましたし 冬至には カボチャの煮物を食べて柚子湯に入浴していましたから一般的であり代表的な日本の風習は割と踏襲していたように思いますが 恵方巻きを節分に食べるという習慣は全くありませんでした。妹が 大阪で代々商売をしている家に嫁ぎましたが 節分に当たり前のように恵方巻きを皆で食べるのを見て 驚いたと話していました。当時我が家には全くなかった習慣だったからです。恵方巻きと言う呼び名すら聞いたことがありませんでした。

恵方巻きが始まった理由や起源については 諸説あるようですが どうも発祥はともかく長年受け継がれていたのは大阪の商家にあるようです。厄を払い縁起を担いで商売繁盛につながる風習として かなり昔から受け継がれてきたようです。私が説得力を感じたのは 海苔業者たちが バレンタインのチョコレートがお菓子メーカーの策略に国民が見事にはまったことを参考にして 海苔の消費量の拡大を図って アピールした と言うものです。

但しその習慣は関西地方に限定されていたらしいのですが 全国展開しているコンビニ「セブンイレブン」が便乗して全国的に宣伝を繰り広げたために ここ十年ほどで全国的な恵方巻きブームが始まったらしいのです。私は 事の起源や経緯を全く理解できていなくても 単なるブームに乗りたがる 日本人の軽薄な気質を日本で暮していく以上は受け入れざるを得ませんが 客観的に見ると やっぱり残念だと思います。せめてその習慣にどのような謂れや意味合いがあるのか 知りたいという気持ちを少し位持っていてほしい様に思いますが 私がどんなに大きな声でぼやいても どうしょうもない事ですね。

さて話を本題に戻しますと 恵方巻きを販売する側が 現実に売れる量よりもたくさん準備してしまうために 売れ残ったのり巻きが 上等のものであるほど生魚が材料に含まれているかもしれませんから 日持ちしないので 直ぐに廃棄処分になってしまうようです。庶民的な巻きずしでも 玉子焼きなどが具材として使われていれば 翌日には売り物になりにくいのでしょうから 遅かれ早かれ廃棄されてしまうものが大量に出来てしまっているようです。

売れ残ってしまい 廃棄処分にすれば 販売する側としても 見込んでいたほど売り上げは上がらないし 廃棄するのにも余分な費用が掛かってしまうのでしょうから 結局のところ かかった労力と比べて 儲けは微々たるものになってしまっているように思います。日本は 国力を世界中の国と比較したら 私が若い頃はそれこそ世界一をアメリカと争っていた時代もあったのかもしれませんが 現在の所はだいぶその順位が下がっているようですけれども それでもかなり恵まれた部類の国だと思います。美味しく食べられるはずの食糧が 販売するお店の見込み違いによって 大量に廃棄されて その事がニュースとして毎年取り上げられるのは とても恥ずかしいことであり 食糧難で苦しんでいる沢山の人々に大変申し訳ない事だと思います。

私も病院を経営していくときに 見込み違いで薬を余分に注文してしまうミスを何度もしたことがありますが 大部分の薬が使用期限として約二年間ありますので その翌年に処方できますので 期限切れで廃棄するような無駄を出したことはありません。経営者としては 無駄を出さないで いかに効率よく儲けるかを求められるはずですから 何度も同じ過ちを繰り返していないで もうちょっと賢い経営者になってほしいものです。多分 売り切れてしまって もうけそこなう事を心配して 余分に発注してしまうのでしょうが 余った分により発生する損を取り戻すのには かなり頑張らなければならないのでしょうから それまでの失敗を教訓として 賢い経営者になって頂く事が 地球規模で考えた時の 食糧不足に貢献する事にもつながると思いますので 宜しくお願いしたいです。

クリスマスケーキが 大量に廃棄されていることも 問題になっていますが 結局自分の身の丈をわきまえて 商売すれば 生物を扱う商売で多少の無駄は致し方のないことでしょうが 本当に食糧難であえいでいる国々は沢山ある実態を理解して 目先の己の小さな利益にとらわれないでほしいと思います。日本人は 昔は礼節をわきまえた 素晴らしい国民性が 世界に誇れる国だったと思いますが 例えばスーパーの駐車場で考えてみても とても恥ずかしい実態があります。隣接した人たちへの配慮のために「前向き駐車」と言う看板がいたる所に掲げられているにもかかわらず堂々と後ろ向きに駐車している人の方が多いのを見ると 悲しくなってしまいます。自分が帰る時に 後ろ向き駐車の方が前進で出発できるからなのだと思いますが、 何故恥ずかしげもなく自分の都合だけを優先した考え方が出来るのか 不思議でしょうがありません。

後ろ向き駐車することは その人に備わったモラルの問題だと思いますが 駐車場に車を停めても 誰かが車に残る場合など エンジンをかけっぱなしにしている人が殆どであることも とても恥ずかしいことだと思います。エンジンをかけっぱなしにして 余分な二酸化炭素を放出することは 前向き駐車のように隣人への迷惑やモラルの問題以上に地球温暖化に直結する事であることぐらい 常識として誰もが知っているはずなのに どうしてそんな極めて愚かな行動がとれるのか 私には全く理解できません。

昔の良き時代を振り返って懐かしみ 現在の悲惨な状況を嘆くのは 年をとった証であることは 認めます。でも昔の日本人は 今よりもずっと素晴らしい国民性を有していたのは間違いないことだと思います。どうせ私は老い先短い老人です。こんなどうしょうもない国に成り果てた日本なんて 私が死ぬまで持ってくれれば十分なので その後はとっとと滅びてしまえばいいと思います。私が子供を作らなかったのは 私の様な極めて愚かな人間の子孫を残したくなかったこともありますが 日本の現状と未来に 絶望しか感じられないからもあると思います。

まあ大好きなナーチャンは まだ二十四歳ですから 将来がありますので ナーちゃんが生きてる間は 日本も存在していてほしいと思うのが 正直な気持ちです。でも本当にナーチャンの命が尽きた時には こんな情けない日本が消滅してしまっていいと思ってしまう自分が悲しいので 本日はこの辺りで終りにします。

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