3月11日 一つ目の大学のサークルの同窓会がありましたので 参加してまいりました

私が一つ目に卒業した大学が 京都の立命館大学と申します。理工学部化学科を卒業しましたが もっぱらサークル活動にばかり 勤しんでいたように思います。そのサークル活動が 混声合唱団でした。ピアノを十数年習っていたこともありましたので 歌にもある程度自信がありましたから 特に勧誘されたわけでもありませんでしたが 自主的に参加しておりました。そこから卒業するまで どっぶりとはまったのが 「メディックス」(ムラサキウマゴヤシ)という名称の合唱団でした。この名称は ヨーロッパが原産だったと思いますが 一つの花としては小さくて目立たないけれど 花束としてまとめられると 可憐でとても魅力的な花の名称なのだそうです。
私たちの二つ上の学年が 非常にまとまりがあり 魅力的な先輩たちの学年でした。その方々が 同期会的な集まりを開かれたのですが その学年に一人 特異的な音楽家が存在しています。確か立命館大学文学部の日本文学科を卒業されたのですが 卒業後何と音楽活動をされるために ドイツに旅立たれたのです。いわばずぶの素人が 音楽家として通用するものなのかと心配しておりましたが 音楽家として頑張るんだという その信念が岩をも貫いたみたいで ヨーロッパで主にパイプオルガン奏者として 認められて 名のあるオーケストラと共演するような音楽家として 現在も現役で活動されているのです。
ドイツで音楽家として 立派に活躍されているだけではなくて その先輩は 何と橋本環奈ちゃんの 叔母さんにあたられるのです。数年前「アナザースカイ」という番組で その事実が取り上げられて放送されていました。立場上叔母さんにあたるのだけれども 環奈ちゃんからオバサンという呼び方をされるのに抵抗があったみたいで ドイツ語で叔母にあたることばである「タント」と呼ばせていたのだそうです。三十分番組の 前半は環奈ちゃんの紹介ばかりでしたが 後半はその先輩のドイツでの活躍が紹介されて 殆ど出ずっぱりでしたから 単なる一後輩に過ぎない私ではありますが 誇らしく思ったりしておりました。
その先輩が コロナの事もあって 久しぶりに帰国されたので その同期の学年を越えて集まろうという企画が持ち上がって 日曜日の夕方からの泊りがけでの

宴会が企画されましたので 申し訳ないけれど 半日病院をお休みして 参加してまいりました。最近は このブログでほとんど触れなくなりましたが 数年前までは熱狂的な乃木坂46の大ファンでありまして アイドル好きですので 環奈ちゃんの裏話が聞きたくて 参加したようなものでした。二十人近くが集まりましたので なかなかその先輩と話す機会はありませんでしたが 環奈ちゃんの子供の頃のエピソードなど聞けて嬉しかったです。それからドイツでの生活の方が長い先輩なので 夢を見るときなどはドイツ語で考えるのか日本語で考えるのか たずねましたらケースバイケースなのだとお答えいただきました。
コロナのことがあり 先輩方とお会いするのは 凄く久しぶりでしたので 充実した楽しい時間を過ごせました。私も還暦を通り越して 大分経ちますので 懐かしい方々と再会できる機会があれば なるべく大事にしていきたいと考えております。

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