3月14日 1970年の本日 EXPO70が 開幕しました

このブログでは 何度か話題にしたように思いますが 私が中学一年生の時で 初めて一人で 電車に乗って知らないところへ出かけられるようになるきっかけを作ってくれた博覧会です。中学生にもなって 男なら 一人で知らないところに出かけられるのは 当たり前かもしれませんが 腰抜け野郎の極みである私は それまで親と一緒か 友人たちに金魚の糞みたいにくっ付いてでしか 知らないところへ出かけられませんでした。所が 春休みに 開幕した手で 非常に込み合っている時期に 友人たちと初めてこの博覧会に出かけてみて そのあまりの面白さに 魅了されてしまって たとえ一人でも 頑張って出かけてみたいと 思ってしまったので 何度も何度も 一人で電車を何度も乗り換えながらの 私にとっては大冒険に出かけたのです。
不安なら 友人を誘うなり 家族で出かけるなりすればいいのでしょうが 会場内で どのパビリオンに入るのか その為のどの行列に並ぶのか 自分の意志で決定したかったので あえて一人で弁当は作ってもらいましたが 交通費は自分の小遣いから捻出して 十回以上一人で 出かけました。何時から 会場に入場できたのかも サッパリ覚えていませんが 開場される前から 会場のゲートの前にすごい行列ができていましたので 人気のパビリオンに入るのには 出来るだけ早く入場して 目当てのパビリオンに入るための行列に並ばねばなりませんから かなり早起きして 出かけていたように思います。
当時交野市の松塚に住んでいましたので まずは京阪交野線の郡津駅から電車に乗り 枚方市駅で本線に乗り換えます。さすがに枚方市駅は 勝手知ったる駅でしたが その先には 未知の世界が広がっていました。大阪方面の急行に乗り 終点の淀屋橋まで行きます。淀屋橋なんて それまでにも何度も乗り降りした駅のはずですが 一人でおりて 御堂筋線に乗り換えるのは 相当に不安が伴いました。まあ終点の千里中央駅を目指していましたから 乗る電車も間違えようがないのですが 不安で不安でしょうがありませんでした。千里中央駅に着くと 大部分のお客さんが万博会場を目指しているようなものでしたから あとは流れに任せていれば ものれーつ乗り場につきますので 混みあう方向の車両に乗り込んで 何とか会場にたどり着きました。
開場に辿り着いたら その日どのパビリオンに入るのか 前日に十分にシュミレーションした通りの順番で パビリオンに入りました。記念に 公式ガイドブックみたいなののページに入場記念のハンコを押しました。当時人気のあったパビリオンは 月の石が展示してあったアメリカ館や とにかく規模の大きかったソ連館 それから三菱未来館や 日立グループ館などで 入場ゲートになるべく早く並んで 会場とともにそのパビリオンを目指して走って行って 行列に並んでも三十分から一時間ぐらいは 待たされました。私は せっかちな性格なので あまり行列に並ぶのは好きじゃありませんが 人生で初めて長時間行列に並ぶことを経験しました。
人気のあるパビリオンに普通に行列に並んだら 二~三時間待たされるのは 当たり前でしたから この博覧会のおかげで かなり忍耐力が養われたように思います。私がこんなに行列に並ぶのは 近年ではディズニーランドに出かけた時ぐらいのものです。まあ会場内にいる時間の 大半は 行列に並んでいる時間でしたから 文庫本を持参して読んだり 携帯ラジオを持参して イヤホンで聞いた入りして 退屈しのぎをしておりました。友人たちと出かければ 喋っていれば 自然と時間は過ぎたのでしょうが とにかくこの博覧会場では わがままを通したかったので 一人で出かける事にこだわっていたのかもしれません。別に誘っても一緒に行ってくれる友達がいなかったわけではありません。
殆ど会場が閉まってしまうぎりぎりの時間まで 歩き回って くたくたになってからの帰り道で また私の大冒険が始まります。 取り敢えずモノレールに乗って 千里中央駅におります。ここまでは 大部分の人が同じ流れなので 間違い用がありませんが 御堂筋線に乗って淀屋橋で降りればいいだけの事なのですが ちゃんとその駅で降りれるかどうかが 相当に不安でした。淀屋橋駅についてしまえば あとは乗りなれた京阪電車の急行に乗って 枚方市駅で降りればいいのですが ここでも不安は募っていました。千里中央にしても淀屋橋にしても 終点であり始発駅ですから 逆方向に乗ってしまうような間違いは 起こりえないのですが ひょっとして何かの間違いでも起こっていないのかと 実際に枚方市駅に着くまで心配でした。何とか勝手知ったる枚方市駅に着いたら 相当にほっとしていたのを未だに覚えています。
今からちょうど五十年前に始まった 万博は私にとっては とっても面白くて 楽しくてしょうがない そして一人で遠出ができるきっかけを作ってくれた有難いイベントでした。数年後に万博がまた開催される頃には 大阪にはいないと思いますが 移住先から訪れて 多分キャンピングカーで来るでしょうから 何日も続けて入場してしまうと思います。今からとっても楽しみにしております。

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