4月1日 1873年の本日 ラフマニノフが生まれました

ラフマニノフは 勿論ロシア出身の作曲家として有名ですが 作品数はそれほど多い事はないように思います。それは彼が人生の半ばでロシアを離れてしまい それ以後は作曲する意欲をなくしてしまったからだと思います。確か十月革命がおきて新しい政権が確立されてからは ロシアを離れ二度と祖国に戻っていないはずです。帝政ロシア時代に生まれ育った人でしたから その後政治改革が劇的に進んで共産主義国家ソビエト連邦へ向かう流れに 反発してしまったためかもしれません。
やがてアメリカへ移り住みました。友人に作曲をしない理由を訪ねられた時に「もう何年もライ麦のささやきも白樺のざわめきも聞いてない」と答えたのだそうです。私としては ロシアを代表する作曲家チャイコフスキーよりも そのピアノ協奏曲や 交響曲に ロシアの雄大な自然とロマンを感じますから その言葉に大いに頷ける気がします。その為に 祖国を離れてからは 作曲家と言うよりはむしろピアニストとしての活躍が目立っていたようです。
大柄なロシア人の中でも特に大柄で身長が二メートルにも達していたのだそうです。左手で十二度が押さえられたのだそうです。分かり易く言うと ドから一オクターブ上のドまでが八度です。ピアニストであるのなら 出来れば十度が押さえられることが望ましいと言われているみたいです。私も十年以上ピアノを練習した身ですが 残念ながら 身長が170センチで ズングリムックリの体型ですから 手足が短く出来ていますから 一オクターブ八度を押さえるのがやっとです。立命館大学時代にできたピアノの凄く上手な友人は わたしよりもずっとすらっと背が高くて 指も長かったので そんなに無理しなくても十度が押さえられました。凄く羨ましかったです。
ラフマニノフは 十二度ですから ドから一オクターブ上のソまで押さえられたのですから 私から見れば化け物のようにでっかい手を持っていたのだそうです。ピアノ演奏史上有数のヴィルトゥオーソ(凄い達人)と称されていたのも当然かもしれません。二十世紀最大のピアニストだと思っている ホロビッツと親交もあり 肩を並べて共演もしていたそうですから そんな演奏会がもし現在行われるのであれば 私は仕事をほったらかしにしてでも チケットを手に入れて出かけると思います。現在の所 大好きな乃木坂や欅坂のコンサートも駆け付けたい気持ちは山々ですが 一応仕事を優先しているので 辛抱しています。ちなみに 私の些細な音楽知識において 人類史上最高のピアニストは リストだと思っておりますが 彼は十九世紀の人物です。
私は自分が ピアノをかじったからかもしれませんが 十代から二十代にかけては クラシック音楽のジャンルで一番好きなのが ピアノ協奏曲でした。その頃は かなりいろんな作品を 色んなピアニストで聴き比べしていました。そんな中で 一番好きだった作品がラフマニノフのピアノ協奏曲第二番でした。ピアノ協奏曲は 割と静かに始まって オーケストラの伴奏の助けを借りながら徐々にクライマックスに向って盛り上がっていく流れが 一般的だと思いますが ラフマニノフの二番は 始まっていきなりクライマックスに達してしまい そのまま延々と盛り上がり続けるように感じれるところが好きです。ちなみに二番目に好きなのは 平凡かもしれませんが シューマンのピアノ協奏曲です。
三十代になってから 交響曲が好きになりました。立命館大学時代に知り合った 音楽にものすごく詳しい友人によると ブルックナーの交響曲が最高だと言う事でしたが 二十歳前後の若造だった私にはブルックナーは壮大過ぎて理解できる範囲を超えていました。三十代になって 自分がピアノからすっかり離れた生活をするようになってからか ピアノの音に対するこだわりをなくしてきいてみると やはり管弦楽により奏でられる交響曲に興味が移りました。ラフマニノフの三番もとても好きな作品ですが やはりロシア音楽としては チャイコフスキーの五番や六番の方が より心を動かされるような気もします。じっくりと音楽に浸りたいときなどは ブルックナーの七番などが一番聴きごたえを感じます。以前にもこのブログに書いたことがあるとは思いますが 交響曲で一番好きなのは ベートーベンの五番「運命」です。あまりにメジャーすぎる作品なので 名前をあげるのが気をひけるぐらいですが 第四楽章を気持ちを入れて聴いていると涙が流れます。ちなみに二番目に好きな作品も ベートーベンの七番です。「のだめ」でフューチャーされましたから ご存知の方もおいかもしれません。
話が横道にそれてしまいましたが ラフマニノフは六十代で亡くなりましたが ロシアの墓地に埋葬されることを希望したのだそうですが 米ソが対立していた時代だったためにアメリカの墓地に埋葬されたのだそうです。きっと人生の晩年は ずっとロシアの雄大な大地に帰りたかったのだと思いますから 偉大な作曲家でありピアニストだったとは思いますが 寂しい人生の結末だったのかもしれません。彼の作品は 一般聴衆には熱狂的に受け入れられたのだそうですが 音楽家いわゆる評論家たちからは 非常に評判が悪かったのだそうです。その理由が 私の様に音楽的に無知な人間には理解できませんが 私には とても個性的であり魅力的な作品だと思いますから 素晴らしい作曲家であったと断言したい気持ちです。 

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