4月16日 この時代に コロナウィルス感染症でうっかり死ねないなと思う事

すいません。昨日のブログで この感染症がらみの暗い話題は なるべく取り上げないようにしようと 書いておりますが 本日のニュースを見て 強く感じてしまったことなので 書かせていただきます。志村けんさんの話で有名になりましたが コロナウィルス感染症と診断されてしまうと 家族ですら 一切面会できないようです。まあひどい状態になれば 咳が止まらないのかもしれませんし 呼吸困難で唾液の飛沫が飛び散らかるのかもしれません。面会した家族に 感染の危険性がすごく高いのなら 面会を禁止されるのも致し方のないことかもしれませんし そんなもだえ苦しんでいる状態は 家族としても 見たくないのかもしれません。とはいえ 常識的に考えて 死に水を取ることを家族が強く望むのは 当然です。
一人の人生の幕が引かれる瞬間を 家族としては 直接自分たちの目で見届けたい と考え そう望むのは 伝統的な日本の文化だと思います。どうして日本の大切な文化をつまらない感染症なんかによって 否定されてしまうのでしょうか。百歩譲って 家族への感染を心配しての 配慮だと主張するのなら どうして死に顔さえ見せてもらえないのでしょうか。この病気は 今の所 空気感染しない 呼吸や咳クシャミにより 飛び散る飛沫によって感染する と言われているはずですが 息を引き取ってしまって 呼吸をしていない状態なのに どうして家族が死に顔さえ拝めないのでしょうか。
勿論 遺体を抱きしめたりしたら 家族に感染してしまう可能性があるのかもしれませんが 少なくとも病院で亡くなってから 医師の指導の下遺体を清潔に消毒したのなら 家族が死に顔を見てお別れをする機会を与えられないのは どう考えても間違っているように思います。病室に家族が入ることが問題なら 遺体安置所などで 生身の体の本人と面会できてもいいのではないでしょうか。実際には見ておりませんが コロナ感染症で亡くなった遺体の入った棺桶は 厳重に包装されて火葬場へ送られるのだそうです。そして当然のように お骨拾いさえ許されないのです。ウィルスなんて 遺体を火葬してしまえば 百パーセント間違いなく死滅しているのです。どうしてお骨拾いさえ許されないのでしょうか。残された家族の気持ちを これだけ徹底的に踏みにじる出来事が 恐らく繰り返されているのだと思うと 本当に悲しくなってしまいます。
私は この感染症を 普通の風邪の親せきぐらいにしか考えていませんから 現実的には全く恐れておりません。エボラ出血熱や 鳥インフルエンザのような 致死率の非常に高い病気は 私も勿論恐ろしいと感じます。この病気は もし感染しても全く無症状の人間か少なからずいるのだそうです。よくこれらの無症状の人たちが 感染を広げている 等と言われていますが 果たしてそうでしょうか。無症状 という事は発熱もしておらず 咳も殆どしていないはずです。無症状の人間と キスでもするのなら この病気を感染させるのかもしれませんが 基本的には 咳やクシャミによる唾液などの飛沫を飛ばしていないのですから 日本人同士の普通の関係では 無症状の人間が 他人に感染させる可能性はゼロとは申しませんが 凄く低いはずです。
私も 還暦を過ぎておりますし 糖尿病という免疫力を低下させる可能性のある病気を抱えて一生過ごさねばなりませんから この感染症にかかる可能性は 少なからずあることを覚悟しております。ひょっとしたら 重症化して 運が悪いと命を落とす可能性があるのかもしれません。私としては これまで頑張ってきた分 老後にのんびりとして楽しく過ごすつもりでおりますが その夢がかなわないままに人生を終わってしまうことは 避けたいのですが 人生なかなか思い通りには 運んでくれないものであることは知っているつもりですから 不本意な人生の結末があることも覚悟しております。私には 奥様以外に 殆ど家族も友達もおりませんが 出来たら最後の瞬間は 奥様に看取ってもらいたいと考えておりますので 出来たらコロナウィルス感染症でだけは 命を落としたくないです。
とにかく 家族の死に目にも会えず 生身の遺体とのお別れも出来ず お骨拾いさえできない世の中なんて 私は嫌です。一日も早く 普通の日本に戻って欲しいと願います。

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